日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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阿部慎之助は高校時代、何が違った?一流が超一流に育つ条件を考える。
2012年11月09日 (金) | 編集 |

中村計 = 文



 一瞬、何を言っているのかわからなかった。

「次は、初回からいいピッチングができるよう
 修正しないといけないですね」

この夏の甲子園で、プロ注目の左腕、
濱田達郎を擁する愛工大名電(愛知)は、初戦で浦添商(沖縄)と対戦。
序盤で濱田が5失点し、最終的に4-6で敗れた。
そして試合後、
濱田はまるで明日また試合があるような調子でこうコメントしたのだ。

「次」――?

初戦敗退である。
しかも、高校野球はこれで最後なのだ。

 
だが直後、
「次」というのが、プロを指しているのだと理解した。
プロ志向の強かった濱田らしいといえば、
実に濱田らしい言い回しだった。

それにしても、最後の夏で敗れ、
聞かれてもいないのに「次」の話をした選手というのは記憶にない。
高校野球は、あくまで通過点。
そう、露骨に言ってしまっているわけだ。

その濱田は先のドラフト会議で、中日から2位指名を受けた。
今ドラフトで、濱田とは若干ニュアンスは異なるが、
同じような志向を持つ左腕がいた。

 
ソフトバンクから5位指名を受けた福岡工大城東(福岡)の笠原大芽だ。


「プロに行きたい」ではなく「プロに行きます」という心構え。

笠原は「プロへ行くのは、当たり前だと思っていた」
と語っている。

笠原の場合、それもわからない話ではない。
父・栄一は1984年にロッテからドラフト1位指名を受けた
元プロ野球選手。
兄・将生も4年前、福岡工大城東を経て、
ドラフト5位で巨人へ入団している。
つまり、正真正銘のプロ一家なのだ。

福岡工大城東の山本宗一監督も、
笠原が入学したときの印象をこう話していたものだ。

「衝撃的でしたよ。プロに行きたいじゃなくて、行きます、って感じ。
 普通、高校生なんて、甲子園行けたらいいな、
 って感じじゃないですか。
 だから、1人だけ雰囲気がぜんぜん違った」

 
こうした意識の差は、後に大きな差となって表れるのではないか。


その見本が、今や球界を代表する捕手であり、
打者になった巨人の阿部慎之助なのである。

安田学園(東京)の前監督で、阿部の恩師である中根康高は、
しみじみとこう語っていた。

「素質的にはこれまで見てきた選手の中でも、
 ベスト10に入るか入らないかでしょうね。
 でも、高校生ぐらいだと、普通は、周りが騒ぎ始め、
 スカウトが見に来て、初めてプロを意識する。
 それで指名されて、じゃあ、行こうってなるんです。
 阿部はそこらへんが違った。
 彼の場合は、入ったときから
 『プロへ行く』って言っていた。
 そこはやはりお父さんの影響でしょうね」

 
阿部の父・東司は習志野高校(千葉)出身で、
高校時代はあの掛布雅之(元阪神)と
クリーンナップを組んでいたほどの選手だった。
それだけに、「プロ」がそもそも身近にあったのだ。


~「阿部より素材のいい選手は何百人といたはずですよ」~


中根が続ける。

「人間、持って生まれたものもあるけど、阿部は、
 考え方ひとつでこんなにも変わるんだ、といういい見本。
 過去に、阿部より素材のいい選手は何百人といたはずですよ。
 でも、単にうまくなりたいなと思ってやってるだけのやつと、
 プロへ行くんだってやってるのと、
 日に日に差がついていく。
 阿部は毎日、いい加減帰ってくれと思うぐらい
 夜遅くまで練習してましたからね」

 
小さい頃からプロを意識してやるかやらないかは、
一種の「プラシーボ効果」のようなものなのではないか。
つまり、思い込みの力である。

『その科学が成功を決める』(文藝春秋)という本によると、
砂糖を固めた錠剤と薬品で比較実験したところ、
〈薬の効き目の60~90パーセントがプラシーボ効果〉だったという。
薬本来の効果以上に、患者が効くはずだと信じる心が、
病気を治癒の方向へ向かわせるのだ。

 阿部にも、同様の効果が働いていたのではないか。

それだけに、ドラフト会議の翌日の新聞で、指名を受けた選手の
「信じられない」といった種類の発言を見かけると少々心配になる。

少なくとも、濱田や笠原にそれはない。
おそらく彼らは誰よりも自分がプロ野球選手になることを信じていたはずだ。
これは「薬」だと信じ切って、
日々の練習を積み重ねてきたことだろう。

指名順位はそれぞれ2位と5位だが、
2人にはそれだけでは計れない資質を備えている可能性がある。

理屈を実戦で生かす、中日・高橋周平の野球偏差値の高さ
2012年02月25日 (土) | 編集 |
小関順二 = 文

セ・リーグは高橋周平(中日)が最大の注目株。
2月18日のLG(韓国プロ野球)戦までの5試合で18打数6安打、
打率.333という好成績。
これには高木守道新監督も頬を緩ませ、
「ずっと使いたい」とコメントしている。

~高橋のよさは大嶋のよさに似ている。共通するのは形のよさ~

簡単に書いたが、バッティングのことを考える習慣がないと
「いい打ち方」は身につかない。
昨年夏、山梨大会の準々決勝で敗退してから金属バットを
木製バットに替え、
「考えないと打てないから(木製バットは)面白い」
と言ってのけた。

大事なところで負け続け、甲子園に縁がなかった高橋を見て、
「持ってない奴」と批判する人もいたが、
私はこの一言で高橋を見る目が変わった。

~「当ててから腰を回す」非凡な打撃術で飛距離を稼ぐ~

そして、AAAアジア野球選手権では甲子園大会未出場でありながら
代表選手に選ばれ、
何と全試合3番・遊撃手で出場し、
通算20打数10安打13打点の成績でMVPを獲得している。
結果がいいだけではない。
何度も言うが、打つ形がいい。

高橋のインタビューを掲載した1冊の雑誌がある。
『アマチュア野球31号』(日刊スポーツ出版社)で、
「考えないと打てないから(木製バットは)面白い」という発言も
ここから引用した。ここで高橋は
「スイングではどういったことをこころがけているのですか?」
という質問に対して、次のように答えている。

「ボールを呼び込んで、ポイントを近くして打つようにしています。
 感覚としてはバットに当ててから腰を回すという意識でやっています」

プロ野球関係者がさまざまな媒体で
「回転で打つ」「腰を回して打つ」
と言ったり書いたりしていることもあり、過剰に腰を回して、
バットがインパクトのとき斜めに入る高校球児が結構いる。
高橋の「バットに当ててから腰を回す意識でやる」という発言は、
なかなか意味深長なのである。

しかも言うだけではなく、
「バットに当ててから腰を回す」バッティングを
実践しているところが非凡である。
AAAアジア野球選手権の決勝、韓国戦で放った
2ランホームランがまさにそういう打ち方で、
打ったボールは137キロのストレート。
これを右中間上段まで運んだ。

~1、2年後には「サード・高橋」で一軍定着か~

プロでは遊撃から三塁に回ることが予想されている。
遊撃には井端弘和がいて、荒木雅博
(昨年遊撃を守り、今年は二塁に再コンバート)、
岩崎達郎、若手の堂上直倫、吉川大幾と後継候補が目白押しである。
それに対して三塁を守るのは守備に難がある森野将彦。
ゆくゆくは森野を一塁に回し、
三塁には高橋周平を持ってくるというプランが首脳陣の中で進行していると聞く。

高校卒野手は3~5年で一軍に昇格してくれればいい、というのが
監督、コーチの一般的認識だが、高橋には回り道せず、
すぐ実戦の場に飛び込める下地が既に出来上がっている。
一軍定着は1、2年先、というのが私の予想である。


野球の華はショートかピッチャーか?日本人野手の評価がMLBで低い理由
2012年02月01日 (水) | 編集 |
中村計 = 文


「日本人は野手が育たないね」

先日、ある人にそんな風に言われた。
日本人野手に対するポスティングシステムの入札額が
軒並み低かったからだ。

 だが、私はこう反論した。
「育たないんじゃなくて、人材が回ってこないだけですよ」と。

神奈川県の強豪高校の監督がアメリカにコーチ留学したときの話だ。
監督は、その際、わざわざ横浜高校時代の松坂大輔の映像を持っていった。
日本にもこんなに素晴らしい投手がいるということを見せたかったのだ。

 だが、彼らの反応は意外なものだった。

「なんでショートにしないんだ?」

彼らアメリカ人の思想が、ここに端的に表れている。
彼らにとって野球とは打つことを競うスポーツであり、
華は「3番ショート」なのだ。
松坂の投球フォームを見て、彼が類い希な運動能力の持ち主であり、
「3番ショート」をこなせる選手であることを見抜いたのだろう。

余談になるが、メジャーでビジターチームが自動的に先攻になる習慣も
「まずは、お客さんに打ってもらう」という
もてなしの発想からきていると聞いたことがある。
もし、野球が日本発祥のスポーツであったなら、
逆になっていたのではないだろうか。
「まずはお客さんに守ってもらおう」と。

~アメリカだと「野球はショート」から。
 日本だと「野球はピッチャー」~

前述の監督は、留学体験をこう振り返る。

「アメリカの学生って、あんまりピッチャーをやりたがらないんだよね。
 まず、打ちたい。
 だから、背がひょろっと高くて、ちょっと不器用そうで、
 他に守るポジションがないような選手が投手になりがち。
 松坂も、なんで守れてしかも打てる選手を
 わざわざピッチャーにしなきゃいけないんだという
 発想なんでしょうね」

日本の高校野球の監督に、新チームを立ち上げるとき、
まずどのポジションから決めますかと何度か聞いたことがある。
すると、十中八九、投手だと答える。
希に捕手だと言う監督もいるが、
それはあくまで投手を最大限生かすための判断であり、
「野球はピッチャー」という思想の延長に過ぎない。


~ダルビッシュも田中将も高校時代はすごい打者だった!?~

 もちろん、監督の意向だけではない。

ダルビッシュ有も、田中将大も、高校時代、
すごいバッティングをしていた。
そもそも打球の質が違うのだ。

彼らが本気で打撃に取り組み、野手としてプロ野球の世界に入っていたら、
どれほどの打者になっていたことだろう。

ただ、残念ながら、彼らは高校時代からさほど打者への執着心がなかった。
それも「投手が野球の華」という日本の野球文化の中で育ったからだろう。

その点、松坂は高校時代から、投手と同等かそれ以上に打撃が好きだった。
彼が入団時、セ・リーグにこだわっていたのは、打席にも入れるからだ。
そのためドラフト会議で交渉球団が西武に決まったとき、
松坂は本気で進学か就職を考えたという。

そんな松坂だっただけに、アメリカ人が言う通り、なおさら
「3番ショート」の松坂を見てみたかった気はする。

~「まずはショートから」という高校野球の監督が現れたら……~

ときおり日本のプロ野球で投手が打撃練習をしている光景を
目にすることがあるが、何より驚かされるのは、
その打球の角度であり、飛距離だ。

今でもよく覚えているのは、当時、
横浜のダブルストッパーとして売り出していた佐々木主浩と盛田幸妃が、
遊びでホームラン数を競っていたときのことだ。

2人は、まるでいつもよりフェンスが20メートルぐらい前に
きているのではないかと錯覚したくなるほど、
軽々とバックスクリーンに放り込むのだ。
彼らがあれだけのボールを投げられる理由が一瞬にしてわかった。

そう、日本にも人材はいるのだ。
そういう人材が野手になれば、日本でもメジャーで通用する打者は育つはずだ。
だが、それが日本の野球文化なのだろう、優秀な人材ほど投手に流れる。

高校野球の監督で「私はまずはショートから決める」
という監督でも現れるようにならない限り、現状は変わらないのではないか。

日本ハム監督に就任した、栗山英樹が貫く“信念”~“魔術師”三原脩に近づけるか?~
2012年01月26日 (木) | 編集 |
'12年はタイプの違う4人の新監督が誕生する。
孫のような年齢の選手を見守る中日・高木守道、
浪花節でチームを引っ張る横浜・中畑清、
チーム事情を熟知した理論派の阪神・和田豊。
そして、無縁の地、
北海道にたった一人で飛び込んだ日本ハム・栗山英樹である。

球団の方針もあり、腹心のコーチを帯同しない“単身赴任”。
あるコーチは、
「球団のやり方が徹底されているので不安はないが、
 監督がどんな野球をやりたいのかが見えてこないのが気掛かり」
と打ち明ける。
戦力面でも、日本ハムを取り巻く状況は決して甘いものではない。
中5日でチームを支えてきたダルビッシュ有が
ポスティングシステムでメジャー行きを決めた。
ここ数年間、勝敗差“10”に加えて、
ローテーションを支えてきた存在を新たに作り上げるのは、
至難の業である。
武田勝(11勝)、ケッペル(14勝)、ウルフ(12勝)ら
二桁勝利投手が生まれたのも、ダルが相手エースを抑えたからこそ。
加えて、ローテ入りを期待していた
ドラフト1位の菅野智之が現時点では入団を拒否している。

ー斎藤佑樹や中田翔にかけた栗山流のアドバイス。ー

 
 厳しい状況でも栗山監督は明るく語る。

「プロにいる選手はそれなりの力があるからスカウトの目に留まった。
 少し発想を変えることで選手は大きく変化する。
 色メガネで見るのは嫌いなんだ」

この考えは、敬愛する日本ハムの大先輩・三原脩が標榜した
“個性を生かす超二流集団が勝負を制する”という理論と一致している。
2年目の斎藤佑樹について
「相手を抑える術と力はある。あとはそれを活かす体力が必要。
 ともかく走ってもらう」ときっぱり。
4番候補の中田翔にしても、ただバットを振れとは言わない。
「状況と場面を常に頭の中に入れておくように」と諭している。
余分な技術論も時代錯誤の精神論も語らないのだ。

背番号80は、ヤクルト時代の三原の番号にちなんでのこと。
先入観を持たずに人を使った名采配に近づきたいという思いからだという。
縁のなかった球団に単独で乗り込んだのは
“先入観に踊らされずに監督ができる”適切な場所だったからかもしれない。
三原は人当たりの良さの一方で、したたかさも持ち合わせていた。
このことも理解したうえで、名将の名を出したならば、
栗山の監督術でチームは大きく変貌するかもしれない。


永谷脩氏=文
恩師に挨拶
2012年01月17日 (火) | 編集 |
13日、高校の推薦入試の結果が出ました。
お陰様で合格し、晴れて今春、
入学が決まりました。

14日、中学校の野球部に参加し、
外部コーチの方々に報告。練習に参加しました。

15日、小学校6年間お世話になった学童チームを訪問。
監督、コーチに合格を報告。
今後の備えや心得などの話を聞きました。

監督は目を細めながら息子の顔を見て、
『お父さんより大きくなったかな?
 あんまり大きくなったから、始め分からなかったよ。
 お母さんはいつも、自転車をこいで二人で走っていたよね。
 本当によく頑張った。
 これからは沢山、苦労しなさい。
 苦労して沢山吸収して、心も体も大きくなりなさい。
 これからが楽しみだな。
 甲子園、連れて行ってくれな』―。

少し目を潤ませながら、優しく話してくれました。

子供が大好きで、野球の楽しさを伝えたい・・・と、
何十年も変わらないスタイルで学童野球チームの監督を続けて
おられます。
時には厳しく、時には優しく、温かくみんな平等に
子ども達に接し、大きな器で子ども達の野球への情熱を
受け止め指導して下さいます。

息子も何度も励まされ、何度も叱られ・・・
でも、野球のいろはを基本を丁寧に6年間指導して頂けたことが
中学野球に活かされ、
最後は有終の美を飾れたのだと思います。

息子にとっての原点でもあるチームの監督。
一生の宝物です。


『小事が大事を生む』―。

監督が息子に昨年、贈って下さった年賀状の言葉です。
この言葉を胸に昨年一年間、
中学野球を本人なりに必死に頑張りました。
今度は高校野球の舞台で、
今までお世話になった指導者の方々への恩返しができるように
日々、努力しその舞台に立って欲しいと思います。
それが私の願いです。