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練習の虫 高3で開花 (下)
2010年05月06日 (木) | 編集 |
筑陽学園高(福岡)3年春の福岡・久留米市野球場。
九州大会準決勝で長野久義が放った打球は、
両翼98㍍の左翼フェンスをゆうに越えて、
場外に消えていった。
推定飛距離150㍍。
他の選手目当てに来ていたプロのスカウトたちも
驚く特大アーチだった。
長野にとっても、
『自分で見てもどこまで飛んでいくのかという感じ。
 すごく自信になった』という一打だった。

『1番・三塁』に定着したのは、最高学年になってから。
わずか半年ほどで、先頭打者本塁打を含む20本以上の
本塁打をたたき出した。
筑陽学園高監督の江口祐司(47)は
『1~5番が本塁打を打った時があったが、
 その口火を切ったのが長野。
 出塁率が高く、好機を広げる一打も多かった』と振り返る。


中学硬式野球の強豪『筑紫野ドリームズ』で鍛えられたとはいえ、
高校入学時は身長1㍍60で、進入部員の中では一番小柄。
2年夏までベンチにすら入れなかった。
新チームになっても、出番は少なかった。
明るく振舞いながらも、
『悔しかった。(進学時に)反対した人に「ほれ見ろ」と
 言われまいと必死だった』―。

当時、コーチだった下井英生(38)はこう証言する。
『何でも一生懸命。人が見ていない所で努力していた』―。
走力アップのため、仲間には内緒で、靴の中敷に
重りをしこんだ。
3年生になる頃には、重りをつけたままでも、
チームトップのタイムで走れるようになっていた。

2年生の冬に行われた体力強化練習。
下井は、他の選手が立てなくなるほど疲労している中、
与えられたメニューを早めに終わらせ、
ダッシュをこなす長野に気づいた。
朝7時前には登校し、他の選手が練習を始める前に
素振りもしていた。

春には、ユニホームがはちきれそうになるほど、
下半身が大きくなっていた。
『体が強くなったのが実感できた。
 スイングのとき、おへそを前に出すようにしたのも良かった。
 あの冬を境に打力がぐんと伸びました』―。

甲子園に出場できず、ドラフトにもかからなかった。
しかし、地道に努力を続けて得た体の強さと自信が、
その後を支える強固な礎となった。


            読売新聞 『夢に向かって』より
                      
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