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ユニホームという戦闘服での壮絶な“戦死”
2010年04月26日 (月) | 編集 |
併殺を狙った遊撃手の一塁送球が二塁へ走る走者の
右側頭部を直撃した。
1972年7月、神宮球場での日米大学野球。
一塁走者の東門明選手(当時早大2年生)は、
その場に昏倒したまま動かず担架で運ばれた。
そして一度も意識が戻らないまま5日後、
祈りもむなしく脳挫傷で還らぬ人になった。


いまのような両耳を覆うヘルメットなら惨事は防げただろう。
ユニホームという戦闘服での壮絶な“戦死”。
巨人・木村コーチもまたユニホーム姿で
試合前のノック中に倒れた。
同じ5日後の死去。
外傷と病の違いはあれ脳への不測の“一撃”の恐ろしさを
改めて知る。


身長1㍍73㌢と小柄な木村さんは、何度も現役続行の危機に
直面しながら
『絶対に生き残ってやる』と、
たゆまぬ努力で19年も現役生活を続けた。
出番がないと思われた巨人でも、いぶし銀の活躍を見せ、
今季からコーチに転身していた。
キャンプでは手を豆だらけにしてノックバットを
振り続けたという。


『明るく誰からも好かれた。
 宮崎出身で同県人を集めてゴルフコンペを開くなど、
 面倒見も良かった』と関係者は言う。
慣れぬコーチ業や、長い単身赴任生活で、
ストレスをため込んだという指摘もある。
若い選手にとって、そのままお手本となる人が亡くなったのは
球界全体の大きな損失だ。


早大では東門選手の背番号『9』が永久欠番になっている。
慣れ親しんだ神宮がその終末の球場なら、
木村さんも古巣広島・・・。
何の慰めにもならないだろうが、
野球人としては球場でのユニホーム姿の最後は
本望といえるのではないか。

ご冥福をお祈りする。


         サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                      今村忠氏
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