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「億」の重みを存分に伝える、“熱い男”山崎武司のプロ意識
2010年01月11日 (月) | 編集 |
                    田口元義 = 文  


シーズンオフのこの時期、現実的な重みなど想像もつかないためか、
どうしても「億単位」の金額を軽く受け取ってしまう。

スポーツ新聞などを開けば、
連日のように億、億、億……の文字。

日本ハムのダルビッシュ有が3億3000万円で更改した。
あれほどの成績を収めたのだから周囲も納得だろう。

西武の涌井秀章が「沢村賞の重みを全く分かっていない」と、
8000万円増の2億円をいったんは保留した。
その気持ちも分からなくもない。

ただ正直、こうも思ってしまう。
「年俸の頭打ちがない分、球団も大変だろうな」と。

活躍すればするだけ選手の年俸は上がっていく。
上昇の額は球団の財政状況にもよるだろうが、
新人から3、4年続けて結果を残せば1億など軽く超えてしまう。
楽天の田中将大が3年目(4年目シーズン)にして
1億8000万円を手にしたのがいい例だろう。

1986年に落合博満(当時中日)が球界初の「1億円プレーヤー」となり
周囲を騒がせた、あの時代が懐かしい……。


~史上最高齢、プロ24年目41歳で「2億円プレーヤー」に!~

そんなプロ野球界の金銭事情において、
彼の年俸は「億」の重みを十分に伝えていた。

 楽天の山崎武司、である。

39本塁打、107打点はともにリーグ2位。
4番としてチームをクライマックスシリーズに導いたこともあり
アップは確実。
契約更改交渉前、山崎本人も冗談交じりで「2億5000万円」
を希望するほどだった。
そして、その希望は実際に叶った。
年俸2億5000万円プラス出来高の2年契約。

この金額は、シーズン中に数々の「40代記録」を塗り変えた山崎にとって
新たな記録を作ることとなる。

24年目にして自身初となる2億円台。
2005年の中日・山本昌の22年を抜き、
プロ野球史上最も遅い24年目での「2億円プレーヤー」となったのだ。

交渉を終えた会見の席で、彼は満面の笑みを浮かべながら、
不況下の世間に詫びるように過去を振り返った。

「オリックスで1度クビになった男がこんなにもらっていいのかなぁ。
 不況なのに大金を貰ってしまい責任を感じる」

これを「自慢」と捉える人間はいるかもしれない。
だが、山崎においては断言できる。
この言葉は偽りのない「謙遜」だ、と。



~引退の決意を翻し、オリックスから新天地の楽天へ~

山崎のプロ野球人生における最高年俸は、
1億2000万円で1度、終わっている。

オリックス2年目、
’04年の山崎は出場機会の激減に加え首脳陣との軋轢も囁かれ、
野球に対するモチベーションがゼロになった。

二冠王に輝いた’07年、彼は豪放磊落な性格そのまま、
オリックスから離れた当時の気持ちを話してくれた。

「なんか、このまま野球を続けても『人間がダメになる』って
 思ったんですよね。
 だったら辞めて家族と楽しい時間を過ごそう、と」

シーズン途中にあっさりと引退を決め、
家族や親、知人にも早々と「辞めます」と伝えたという。
西武の松坂大輔が6年目にして「2億円プレーヤー」となった年の話である。

それが一転、現役続行を決めた。
理由は大きくふたつ。
ひとつは息子から「パパ辞めないで」と何度も懇願されたから。
ここで引退の意志が大きくぐらつき、
新規参入の楽天初代監督・田尾安志から
「若手もベテランもない。君が必要だ」と熱心に誘われたことで、
現役を続けることを決意した。  


~移籍3年目には二冠王に輝き、山崎のなかで何かが変わった~

移籍初年度の年俸は、前年の半分以下である5000万円だった。
それから3年目には二冠王にも輝いた。
翌'08年シーズンには、年俸が自己最高額となる1億9200万円にまで到達した。


~39歳で二冠へと飛躍~

若い頃は技術とプライドで金を稼いできたかもしれないが、
それも薄れてきているのだろうな、
そう感じさせたのが二冠当時の発言の中にあった。

「僕はホームラン王と打点王を獲らせてもらいましたけど、
 仮に『これであと2、3年はやっていける』なんてね、
 そう思っている人がいたとしたらほんっとめでてぇことだな、って。
 来年ダメなら辞める。楽天に入ってからそう思ってやっています」

勝手に解釈すれば、今シーズンまでの山崎は、
年俸よりもむしろ引退を撤回してまで移籍した
“意地”に執着していたのではないだろうか。

それが、来季からの2年契約を結んだということは、
少なからず彼のなかで何かが変わった、と判断するのが自然なことだろう。
「次の年がダメなら」という意識のままであれば、
1年契約でもよかったはずだからだ。


~「『コノヤロー!』って気持ちがプロには必要だと思う」~

「プロの晩年は悔しさいっぱいでしたから。
 最後に『コノヤロー!』って気持ちを出していければね。
 古い精神かもしれないけど、
 それってプロには必要だと思うんですよ」

二冠獲得時、山崎はオリックス時代の最後を
「晩年」という言葉で表現した。

楽天ではそれを自分に強く認識させ、
熱い男を積極的に演じ続けるほどになった。

その結果が今年の2億5000万円という評価に結びついたのであれば、
彼が古いと苦笑する時代錯誤の“熱さ”もまだまだ捨てがたい。

少なくとも「晩年」は2年伸びた。
この期間の山崎武司のプレーを見ていれば、
複数年契約の真意が分かってくる。そんな気がした。



【筆者プロフィール 田口元義氏】

1977年福島県生まれ。
元高校球児(3年間補欠)。
ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。
Numberほか雑誌を中心に活動。
試合やインタビューを通じて
アスリートの魂(ソウル)を感じられる瞬間がたまらない。
共著に「戦力外通告 プロ野球をクビになった男たち」、
同「諦めない男たち」などがある。
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コメント
この記事へのコメント
こんばんわお邪魔します。

山崎武司選手はもう若くない年で不振に陥り、一時期はもう完全に駄目だと思った選手ですが、見事に新天地楽天で復活したかなり珍しい選手なので、これからもできる所まで頑張って欲しいですね。

球団の年俸の高さも、選手側からしてみれば自分のライバルとしている選手より高く貰いたいというのもあると思うので、年俸の上限がなくならないでしょうね。

例えば今季のダルビッシュ投手が1億円なら涌井投手も9000万位で納得するとは思いますね。
2010/01/11(Mon) 21:11 | URL  | スポーツ猫 #CwrboUno[ 編集]
スポーツ猫さん、こんばんは。

チームの顔になった山崎選手。
山崎選手の活躍度合い=年俸が、
今後のチームの年俸の基準になりそうですね。
2010/01/13(Wed) 20:32 | URL  | kuni28 #-[ 編集]
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