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これでいいのか辻本賢人!! 阪神をクビになった20歳は草食系。
2009年12月06日 (日) | 編集 |
                     田口元義 = 文  

 結局、30分以上は待っただろうか。

11月25日のこと。
場所は神宮球場内の関係者通路。
大勢の報道陣が彼を待ち続けていた。
なかには他の参加選手の結果を気にしている記者もいたし、
暇をもてあまして携帯電話をいじっているカメラマンもいた。

今季最後となる第二次合同トライアウトで投球を終えた彼は、
選手控え室に入ったきり出てこない。

15分くらいたった頃、扉越しから声が聞こえてきた。
すべては聞き取れなかったが、断片で判断すれば、多分、こんな内容。

「(取材は)メシ、食べてから」

20歳の若者は、自分よりもはるかに年上の人間たちをやきもきさせていた。
悪気はないのだろうが、やっぱりよくないと思った。
なにせ、置かれている立場が以前とは明らかに違う。
彼は「クビになった人」なのだ。
「メシなんていつでも食えるんだから、早く出てきてくれよぉ」。
これが、その場にいた大人たちの共通認識だったはずだ。

実力が認められれば周囲はある程度の言動は許してくれるだろう。
ただ、多くの人間は、ときには褒められ、
またあるときは厳しい評価を下され、辛い現実に直面する。
その繰り返しなのだ。  


15歳だった辻本賢人は間違いなく前者だった。
そして、阪神から戦力外通告を受けた20歳の辻本賢人は、後者となった。 


~戦力外通告を受けた20歳。プロの思い出は「ないです」。~

トライアウトでの投球の率直な感想としては、
やっぱりダメなのかな? だった。
打者5人に投げ、安打は西谷尚徳(元楽天)に打たれた二塁打のみだったが、
ストレートの最速はたったの134km。変化球は100kmと少し。
カメラマン席で観ていた限りでは、カーブにしては変化が小さすぎるし、
スライダーだとしても球速が遅すぎた。

メシを食べ終え(?)、ようやく報道陣の前に姿を現した辻本は、
具体的な投球内容について、小さな声で淡々と球種を並べる。

「真っ直ぐ、ツーシーム、カーブ。あと、スライダーも投げたかな?」

「今日のピッチングについては?」という質問に対しては、
「今できることはできたと思う」と言った。
それなのに、なぜ自分で投げた球種を把握できていなかったのか?

 
11月11日に甲子園で行われた第一次のトライアウトのときもそうだった。
戦力外を受けてからどのように過ごし、
今後をどう見据えているのかが明確に伝わってこなかった。

そして最も驚いたのが、「プロでの思い出は?」の問いに、
少し間を置いてから「ないです」とポツリと答えたときだった。 


~プロ野球史上最年少の15歳で指名を受けたことは思い出ではなかったのか…~


12歳で単身渡米した辻本は、
15歳になる頃には最速142kmの速球を誇る投手へと成長を遂げ、
日本の球団からも注目されるようになった。
そして'04年、15歳にして阪神からドラフト8巡目で指名された。
「ワンダーボーイ出現」「将来のエース候補」など、
獲得した阪神のみならずプロ野球全体が彼の明るい未来を想像した。   


~「5年後にはものすごいピッチャーになっている」はずが…~

ところが、現実は甘くはなかった。
1年目こそ二軍でプロデビューを飾ったが、
その後は度重なる故障に悩まされ、
5年目の今年にはとうとう育成枠に降格。
背番号も61から121へと変更された。
再起を誓うはずだったが、シーズン前に腰椎の疲労骨折が発覚し、
1度も実戦のマウンドに上がることなくシーズンを終えた。

入団直後、辻本のコンディショニングを担当していたこともある
立花龍司が、ある雑誌で言っていたことを思い出した。

「5年後にはものすごいピッチャーになっていると思いますよ」

5年後とは今年。
辻本はものすごい投手どころか、プロ野球選手という肩書きを失った。
一軍での登板はゼロ。
二軍で25試合、0勝1敗、防御率5.33。
これが今のところプロでの全成績である。

恐らく、阪神以外の球団に入っていても似たような結果になっていただろう。
理由はいくつも考えられる。
年齢相応のトレーニングができなかったことや、
アマチュアでの経験と実績から生まれる自信、などなど。
それでも本人は、
「5年間、お世話をしてくれた阪神には感謝しています」と言った。
それはそうだろう。
彼の野球人生で最も長く在籍した場所なのだから。
前向きに捉えれば、
阪神は初めて高校生以下の選手の面倒を見たことで何かしらの
教訓を得ることができただろうし、
辻本自身、日本一ファンから支持されている球団にいたことで
スポットライトを浴びることができた。
互いにとってプラスの5年間だと思いたい。  


~辻本の世代は今まさに“ゴールデンエイジ”となったのに~

皮肉なことに、現在、辻本と同い年の選手が野球界を席巻している。
プロでは田中将大、坂本勇人、アマチュアでは斎藤佑樹。
1歳下には中田翔や由規、唐川侑己と、
言うなれば彼らは「ゴールデン・エイジ」となった。

一方、その世代の筆頭と目されていたワンダーボーイは今、
岐路に立たされている。
戦力外になったこと、今後の野球人生について、
20歳の若者はどのように考えているのだろう。
一次、二次のトライアウトでの辻本のコメントをまとめればこうなる。

「プロの世界において20歳で戦力外になることは当たり前のことだと思います。
 まだ、どこからもオファーはきていませんが、
 日本の球団で野球を続けたい。
 独立リーグや海外も頭には入っていますけど、
 それはまだ具体的に考えていません」

模範解答を聞いているようだった。
個人的には20歳でクビになることが当たり前なことではないと思っているし、
5年のプロ生活は別として、
2度のトライアウトの投球には「力を出せた」と言ってほしくはなかった。

辻本は物静かな男だ。
性格もあるだろうから語調までは求めないが、
こういうコメント内容を本当は期待していた。

「トライアウトでの投球は全然、納得していません。
 僕の力はこんなものじゃない。
 年齢も20歳だし、まだまだ伸びる自信がある。
 それを証明するために日本で野球を続けたいんです。
 だから、宜しくお願いします」

 やっぱり、これくらいの負けん気はほしい。

 だってまだ、ハタチなんだから。





田口元義
1977年福島県生まれ。
元高校球児(3年間補欠)。
ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。
Numberほか雑誌を中心に活動。
試合やインタビューを通じてアスリートの魂(ソウル)を
感じられる瞬間がたまらない。
共著に「戦力外通告 プロ野球をクビになった男たち」、
同「諦めない男たち」などがある。
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