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『考える野球』 森の3球勝負
2009年10月27日 (火) | 編集 |
1967年10月28日 捕手がMVP

『最優秀選手は森昌彦(現祇晶)』。
そのアナウンスを、森は想像すらしてなかったという。
無理もない。
この日本シリーズでの打撃成績は22打数5安打、4打点、
1本塁打。
平凡というより、むしろ悪い。
  
それでもMVPに選ばれた。
理由は捕手としてのリード、つまりは守りの要として
評価されたのだ。
  


このシリーズの勝負を分けたと言われる1球がある。  
巨人1勝で迎えた第2戦の一回無死一、二塁での阪急の攻撃。
打席には赤鬼の異名をとるダリル・スペンサー。
直球にはめっぽう強いこの主砲に対し、
森は先発堀内恒夫にカーブを2球続けて要求する。
スペンサーは打つ素振りすら見せずたちまちカウント2-0に。
そして3球目、今度は一転、外角低めに糸を引くような直球。
見逃しの3球三振。
スペンサーはあっけにとられたままバッターボックスを去った。
堀内はこれで立ち直り、1-0で完封勝ち。
巨人はシリーズ3連覇に大きく前進する。
  

『まさに罰金もの』と森は振り返る。
実際、当時の巨人は2-0から打たれると、罰金を取られた。
それを逆手に取ったのだ。
元大リーガーらしい豪快な打撃や激しいスライディングで恐れられた
スペンサーだが、実は研究熱心で、
日本に考える野球をいち早く持ち込んだとも言われている。
森も彼には『巨人は丸裸にされていたはず』という。
だからこそこの場面で、罰金もののセオリー無視の3球勝負が
生きたわけである。
  


ただ、こうした芸当ができたのも、森がスペンサー以上に
研究熱心で緻密な頭脳を持っていたためだ。
森はシーズン終盤、リーグ優勝が見えてくると、
川上哲治監督に毎年のようにシリーズ相手の偵察を命じられた。
おかげでV9時代、リーグ優勝の胴上げにはほとんど立ち会えず、
『なぜ俺だけいつも』と恨んだこともあったという。
ただそれは信頼の裏返しでもあった。
それまで投手がただ投げ、打者がそれを打つという
単純な野球から、データーとその分析をもとに考える野球へ。
  

『日本一になってうれしいと思ったことなど一度もない。
 ほっとするだけ。
 ただこの時は僕のような縁の下の力持ちというか、
 目立たない所での働きを初めて認めてくれた。
 それがうれしかった』―。
  

近代野球において捕手がいかに重要な存在か。
森のMVPはそれを証明していた。
  


           10月16日 読売新聞 スポーツ面より

                                 新妻千秋



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