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オレは野球を辞めたんだ(2)
2009年09月11日 (金) | 編集 |

サラリーマン時代の須藤。
月給は3分の1になっても、
野球界だけでは学ぶことのできない貴重な体験をした 。

1976年(昭51)1月5日。仕事始め。
「復興と前進を合言葉に栄光を取り戻そう」。
東京・大手町の巨人軍球団事務所で、
正力亨オーナーが悲壮な面持ちで最下位脱出の誓いを述べた。

同じころ、須藤は埼玉県川口市の鉄建用の丸棒メーカー
「向山工場」で、作業着に黄色いヘルメット、
安全靴を履いて汗まみれになっていた。
グラウンドでボールを追っていたころの苦しさなど比較にならない。
暑い。ものすごい騒音に何度も耳をふさぎたくなった。
鉄の製造、スクラップをしている工場では全員、
塩を舐めながら作業をしていた。

起床は午前5時。
東京・恵比寿の自宅から1時間以上かけて勤務地へ。
帰宅は時計の針が午後8時半を回るころ。
テレビではプロ野球中継、
とりわけ巨人戦が連日のように放映されていたが、
須藤は見向きもしなかった。
「オレは野球を辞めたんだ」。 


一方、巨人の体質改善は急ピッチで進んだ。
日本ハムから張本勲外野手、
太平洋(現、西武)から加藤初投手が入団。
開幕から“5点打線”が火を噴き、
淡口憲治、高田繁の新1、2番が機能し、
小林繁、新浦寿夫など期待された投手がフルに力を発揮した。   


5月4日に後楽園で中日に10-3で圧勝すると、
同13日には7連勝で待望の首位に浮上。
阪神の猛追がありながらも、1度も陥落することなく、
ついに10月16日、広島市民球場でのシーズン最終戦、
5-3で逆転勝ちを収め優勝。
前年、後楽園で見せ付けられた
屈辱の胴上げを広島でやり返すことになった――  


須藤 「野球とは全く関係のない世界に行きたいと、
    オイルショックの後で不景気だったけど、
    鉄を扱う工場に入社したんだ。
    工場の社長は一代で築き上げた人なんだけど、    
    最初は“今は不景気で時期が悪い。
    それに、プロ野球でスポットライトを浴びた人が勤まらない”
    って反対したの。
    朝5時半ごろ恵比寿の家を女房が作った弁当持って出て、
    帰りは夜の8時半ごろ。
    1年間は全く野球を見なかった。
    もう、野球から足を洗ったというけじめのつもりがあったからね」  


    「初任給は忘れもしない19万5000円。
     巨人の最後の年は、60万円もらってた。
     銀座で50万円飲んで、
     門限破りで川上さんに10万円の罰金取られた男が
     20万円に満たない給料になった。
     最初の給料日の時、
     同僚が僕の周りをウロウロして何かうかがっているんだ。
     僕の初任給の額を知りたかったのさ。
     元プロ野球選手で社長の知り合いの40(歳)男が、
     いくらもらうか気になったんだろうね。
     あまり俺たちと変わらないじゃないかということになって、
     それから工場の人間が僕と打ち解けるようになったなあ。
     社会って、そういうものかと。
     勉強になったねぇ。
     野球界だけじゃ分からない世界だったね」  


     「てっきり営業だと思ってたけど、
      最初は基本が大切と、社長は僕に現場を経験させた。
      初日にいったら、いきなり安全靴と作業着渡されて、
      鉄のスクラップから始めた。
      2年目からは営業に移ったけど、商社相手の輸出部門。
      英語の契約書とか読まなきゃならないし、
      鉄の知識は大したことないし商談にならない。
      一生懸命勉強しましたよ。
      相手にされなくても商社回りしてね。
      経理のことも知っとかなくちゃいけないから、
      バランスシートの見方も覚えた。
      そんなこんなでしばらく頑張っていると、
      契約が取れたり道が少しずつ開けてきた。
      めげずにやれば通じるものだ。
      これもサラリーマンやってあらためて教えられた」

     「仕事で目一杯だったのと野球と決別したという気持ちから、
      長嶋巨人のV1達成もロクに見ていなかった。
      選手が優勝して、
      広島から帰ってきてから河埜とか若い連中が
      みんな電話くれたりして、
      祝勝会やったことは覚えているけれど、
      本当に51年はあんなに好きだった野球と
      点は全くなかったね」
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