日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
原監督に導かれた大田泰示の野球人生
2009年07月02日 (木) | 編集 |
新入団選手に対する球団の期待度の高さを示すのが、
背番号と合宿所の部屋番号である。
ドラフト1位で巨人に入団した東海大相模高の大田泰示も、
大きな期待を背負って入団したひとりだろう。
松井秀喜(現・ヤンキース)の背番号55と、
彼が入団後2年間を過ごした合宿所の部屋を与えられたのだ。  



広島県福山市の城南中時代、
評論家をしていた原辰徳の野球教室に参加したことが、
プロ野球選手を目指すきっかけになった。
  
『辰徳さんにいいスイングをしていると褒められ、
 母校である東海大相模に入学を決めた』と言う。



東海大相模に進学後、
1年生の秋から4番・サードでスタメンに定着。
  
東海大系列野球部総監督の原貢(原辰徳巨人監督の実父)は
4番という重責に悩み、結果を残せない大田に
『高校生にスランプはない。打てないのは実力がないからだ』と
徹底して素振りをさせたこともあったと言う。
その結果が高校通算65本塁打となって表れたのである。  


高校3年時の夏の甲子園予選では、
大会記録となる5本塁打を放つなど活躍を見せた。
決勝戦では慶應高と4時間20分の死闘を繰り広げたが、
惜しくも敗退し、結局一度も甲子園出場を果すことはできなかった。
  
それだけにプロ生活にかける思いは誰よりも強いのである。  


原貢も  
『息子とはタイプが違うが、
 ボールを飛ばす力は大田のほうがずっと上。
 体が丈夫で、大きな故障をしたことがないのもいい』と
伸びシロがあることを強調している。
『時間をかけてじっくりと鍛え上げ、
 生え抜きの三塁手として育てる。
 松井よりもバランスのとれた体型だし楽しみな素材だね』と
岡崎郁二軍監督も話している。  
  


新人合同自主トレに参加した大田は、
『ここで始まって、ここで終わると思う』と
生涯巨人軍を貫くことを宣言している。
原辰徳に憧れて野球に打ち込むようになった大田が、
原辰徳によって意中の球団に入る。
『ちょっとできすぎかな、という気もするけれど、これも縁だから』
と笑う原辰徳。
ソフトバンクと競合の末獲得した新人に、目を細めていた。  
  


巨人にとって、久しぶりに抽選で獲得した大物新人。
坂本勇人との生え抜き三遊間コンビが一人前になった時、
巨人の黄金時代が再び到来するのだろう。



スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック