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懸命に生きる それが幸せ
2009年04月13日 (月) | 編集 |
85歳となった作家、
佐藤愛子さんの新刊『院長の恋』(文芸春秋)は、
人生にふと訪れる喜びや悲しみをユーモアあふれる筆致で
描いた短編集だ。
帯には『これが最後の作品集』とあり、
5編を収めるが、そこから浮かび上がるのは、
生きることへの絶対的な肯定とも言うべき眼差しである。


父・佐藤紅緑、異母兄・サトウ八チローら
破天荒な佐藤家の人々を12年かけて描いた『血脈』
(2001年刊)以来、久々の小説となった。
刊行まで時間が空いたのは、
『「血脈」でエネルギーを使ったんでしょう。
 その後、小説が書けなくなってしまって』―。
しばらくエッセーばかりをしたためたが、
身辺雑記を記すエッセーは、どうしてもパターン化していく。
自分でも『嫌だな』と感じ始めた頃、
文芸春秋から小説執筆の依頼が来たのだという。
締め切りも枚数も決めない。
自由に書き、書けた段階で順次、雑誌に載せていく、
という条件で。

『それがありがたかった。
 昔は、借金とか生活の為とかに無理やり搾り出していたけど、
 今回は時間をかけ、じっくり書けましたから。
 かつて書き散らしたものを全部捨て、
 これだけを残しておきたいぐらいです』―。

確かな手応えが、『最後の作品集』という帯の言葉に
つながったのだろう。
『次に書くものが、これより落ちるのはイヤ。
 それぐらい、自分でも気に入っているんです』―。


そんな言葉の通り、5編はどれも人間の心の機微を描き、
実に味わい深い。
表題作では、妻子に恵まれ、病院長としても尊敬される
52歳の男が、20歳近く若い女に恋い焦がれ、右往左往する。
『離れの人』では、昔の恋人の前に姿を現した男の霊が、
自分を思い出してもらえぬことに嘆息しながら、やがて、
自分が悲しんでいる理由すら分からなくなる。
『沢村校長の晩年』では、
妻に先立たれた主人公が、お手伝いの過分な善意に辟易とし、
最後は憎みさえするのに、結局受け入れてしまう。


時に滑稽で、時に切ない。
まさにそれが、人生である。
誰もが山や谷を越え、生きて行く。
『人は、かく生きてかく死んだ、それだけだ、という思いが、
 私の芯の部分にあるんです。
 何が幸せで何が不幸かなんて、その時には分からない。
 ただ、大事があれば、そこで精いっぱい頑張って生きる。
 それが幸せということだと思う』―。

その境地に達するには、『荒ぶる血』を持つ佐藤家の男達に
振り回され、自身も結婚で苦労した経験が大きかったという。
最初の夫はモルヒネ中毒、次の夫は膨大な借金を作った。
『もう、悲劇的なことを面白く見立て、笑うしかないんです。
 ひどい話でも、面白おかしく他人に話して笑ってもらえれば、
 自分も一緒に笑い、慰められる』―。

そう生きられれば、ちょっとしたイライラならすぐ解決されるだろう。
例えば電車の中で化粧をする女性を見た場合―。
『ブスがきれいになっていくのを見て、
 さて化けた後、どこに行くのかと想像してみるんです。
 男に会う?なら、男はこの女を美人と思っているのか?
 もし結婚したら、化粧を落とした朝の顔を見て、
 男は失望するのか、あきらめるのか。
 そう考えると、楽しくなるでしょう』―。


もちろん、今の日本の状況にまで視野を広げれば、
簡単に笑い飛ばせるものばかりではない。
だが、
『愚痴をこぼしたり絶望したりする暇があるなら、
 何か出来ることを探せばいい。
 日本人は豊になり、傲慢になった。
 だから少し謙虚になり、立ち直るチャンスにすればいい』―。

辛いことを、笑って紛らわせもするが、
最後には、しっかりと受け止める。
愛子節、健在である。

                  読売新聞より

 
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