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松木コーチと出会う
2009年02月05日 (木) | 編集 |
読売新聞 『時代の証言者』より ~最多安打 張本勲~

私のプロ野球人生で大きかったのが、
東映(現日本ハム)入団1年目に、コーチの松木謙治さんに
教わったことです。
  


1959年(昭和34年)春のキャンプで、
高卒新人の私の打撃を見るなり、
  
『お前のバッティングは右手が弱い。ダメだ!』と指摘されました。  
松本さんは、左打者は右手が心臓であり、
エンジンであると力説しました。
私が左手だけで打っていると言うのです。
そして、
『右手が強くないと、打球が途中から失速する。
 右手を伸ばしてパーンと叩くと、途中からボールが伸びる』
  
と言われました。  


右手の強化が始まりました。
松木さんがひざをついた姿勢でボールをトスし、
私がネットに向かって右手だけで打つ。
毎日500本くらいは打っていました。
最初はわきの下が痛くて、歯も磨けない状態でした。
  
すると、『弱いから痛いんだ!』と怒られました。
今の選手は少しの痛みでも休みますが、当時は違います。
やっているうちに、確かに痛くなくなりました。
  
ホームランバッターではなく、中距離打者として歩むことに
なったのも、松木さんの教えが大きかった。
  


松木さんは、
『お前はホームランを狙ったら、本塁打王を1,2回は取れるかも
 しれない。
 でも、打率が低い、粗い打者になってしまう』
と言いました。
さらに、
『お前は左打者で、足も速い。
 完璧な、しかも、怖がられる打者になれ!』
と理想の打者像を説くのです。

松木さんの言う通りの打者を目指そうと思いました。
『安打製造機』『スプレー打法』『広角打法』とも呼ばれた
私のプロ野球人生は、そういう松木理論からスタートしたのです。
  


≪松木さんは、張本さんと同じ左打者で、
  戦前は、大阪タイガース(現阪神)の主力として活躍。
  37年春に首位打者と本塁打王を獲得した。
  指導者としても、阪神、大映、東映の監督を務め、
  田宮謙次郎ら多くの選手を育て上げた。
  78年に野球殿堂入りを果たし、
  86年に77歳で亡くなった≫
  


プロ野球選手がうまくなるには、
1に『努力』、2に『自己管理』、3に『良い指導者に出会うかどうか』
だと思います。
努力と自己管理は、自分がしっかりしていれば何とかなりますが、
最後の一つだけは、どうしても運、不運があります。
例えば、長嶋(茂雄)さんにしても、ワンちゃん(王貞治)にしても、
川上哲治さんという偉大な選手が監督としていたからこそ、
ああいう素晴らしい打者になれたんだろうし、
オリックス時代のイチロー(現マリナーズ)には、
河村健一郎という打撃コーチがいました。


松木さんに教わったのは幸運でした。
あの人に出会ったから、曲がりなりにも記録を残せるような
選手になれたんだと思っています。

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