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懸ける (3)
2008年09月12日 (金) | 編集 |
『絆が薬』 感謝のトス 復活 
~ シッティングバレーボール  中山要選手 ~

夜になっても人もまばらな京都市障害者スポーツセンターの
トレーニングジムでガシャッ、ガシャッと、
マシンの重りがきしんだ音を響かせていた。

男子シッティングバレーボール日本代表の中山要選手(33)の
左足は、太ももまでしかない。
トラック運転手だった10年前、仕事中の交通事故で失った。

翌年から地元の『京都おたべーず』でプレーを始めると、
すぐに頭角を現した。
2004年のアテネパラリンピックでは、代表の正セッターを
任された。


今は京都府庁の勤めを終えると、ジムに直行して
右足でマシンと格闘する。
『練習のきつさなんて何てことない。
 仲間と離れなければならなかった時間を思えば・・・』―。
時折、右ひざの周りをさする。



『君の右ひざはボロボロだよ』―。
06年末。
アジア・オセアニア地域の障害者スポーツの祭典、
フェスピックが開かれたマレーシアから戻ると、
医師の非情な通告が待っていた。
大会で北京への出場権を獲得した喜びは吹っ飛んだ。

もともと事故で骨折の古傷があったうえ、この4年前に
靭帯を断裂していた。
シッティングバレーは尻を床に着けたまま動き回る。
何万回もコートをけりつけてきた代償だった。

その時は手術でつなぎ、だましだましプレーしてきたが、
今度は裏側が切れかかっていた。
『歩けなくなるよ』という医師の言葉に、
コートを離れる決心をした。

昨年4月、北京のメンバー12人を決める選考会が
行われたが、欠席した。
だが、おたべーずの練習を見に行くと、
日本代表でも指揮を執る冨田圭造監督(40)が
『選んだのは10人だけ。いつ戻ってくる?』
と声をかけてきた。
『ピンチサーバーでもええぞ』―。
顔を合わせる度に誘われる。
心は揺れたが、めったに使わなかった車椅子に乗り始め、
無言で『無理』と伝えた。


間もなく、携帯電話に着信が入り始める。
『一緒につかんだ北京だろ』
『ベンチにいてくれるだけで嬉しい』―。
ジャパンのチームメイトからだった。
『足を引っ張るだけや』と突っぱねても、携帯は鳴り続けた。

選手会辞退から半年。
妻の実穂さん(38)の言葉に背中を押された。
『戻ったら。 もう一つの家族の元に』―。




昨年10月の東京での代表合宿で、コートに姿を見せた
セッターは、握手攻めにされた。
右ひざをプロテクターで固め、球拾いからの再起だったが、
役に立てるのがうれしかった。

ひざの負担を軽くするため、筋トレで周辺を強化し、
体重を10㌔絞った。
今年5月、回復したと自信がついてトスを上げた時は、
涙で仲間の姿がにじんだ。

8月23日、合宿地の神戸で冨田監督から
『JAPAN』のユニホームを渡された。
ナンバーは『5』。
アテネでも背負った正セッターの番号だ。
『ウソつき。ピンチサーバーでも、なんて』―。
ドーピングを考慮し、痛み止めの服用はやめた。
『おれには絆という最高の薬がある』と言う。
仲間への感謝を込めてトスを上げる。


                      読売新聞 『懸ける』より
                                 竹村文之氏
 
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