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19歳同士の因縁
2008年05月28日 (水) | 編集 |
交流戦が始まった。  
注目の一つが小学校時代、兵庫県伊丹市の
『昆陽里(こやのさと)タイガース』でバッテリーを組んでいた
巨人・坂本と楽天・田中の対決。
  
2人を指導した山崎三孝監督(62)によると、  
田中は『努力の人』で、坂本はその田中を
『かなり意識していた』という。
  


田中は捕手だった。  
ある日、標的に球を当てるスローイング練習をさせると、
なかなか当たらない自分に腹を立て、
『クソッ』『クソッ』とつぶやきながら、続けていた。
  
『まじめ一本で、我が道を行くタイプ』と監督。  
当時、田中よりプロへの可能性を感じさせていた坂本は、
6年生の時に遊撃手から投手に転向。
ここで“黄金バッテリー”が誕生するわけだが、この2人、
全く息が合わなかった。
  
監督によると、  
『田中のリード通りに投げないこともあった』―。
当時の坂本は、一番にならないと気が済まないタイプで、
遠投の時に田中の距離に届かないと、
『もう一回』・・・『もう一回』・・・と、勝つまでやろうとした。
  


2人は中学で別のチームに分かれ、
高校は坂本は青森の光星学院、田中は北海道の
駒大苫小牧高へ、進学。
  
私学の恵まれた環境で力を伸ばしたが、こつこつタイプの田中の
方が甲子園で優勝し、プロでも新人王を獲得、
評価は逆転した。
  
『お山の大将』の自尊心は相当、傷つけられたはずだ。  


その坂本が今年、巨人では松井秀喜(ヤンキース)以来という
10代での開幕先発出場を果たし、1983年の駒田以来、
プロ1号を満塁弾で記録した。
まだ、マー君に追いついたとは言えないが、
負けず嫌いの坂本の意地をハッキリと感じさせる。
  


今年1月、坂本は山崎監督に決意を伝えた。  
『田中と対戦したら、三振したって、
 食らいついていくつもりです』―

19歳のライバル物語は、まだ、始まったばかりだ。  


                読売新聞 『熱視線』より
                            荒井秀一氏
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