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一球入魂 黒田のこだわり
2008年04月15日 (火) | 編集 |
精神集中して向かった初登板のマウンド。
ドジャース・黒田は
『面食らった』と振り返る。


初勝利を挙げた4日のパドレス戦。
サンディエゴのぺトコ・パークは軍隊に敬意を表す
『ミリタリー・オープニング・ナイト』だった。
パドレスは特別に迷彩色ユニホームだった。
『試合に入ろうとしたら、ユニホームが全く違っていた』―。


3年総額3530万㌦(約36億円)の契約は、
日本人投手最高峰。
結果が欲しかった。
初登板にすべてを傾注した。
『いろんなビデオをみて、しっかりイメージをつくった』―。
まぶたの裏で、ホーム用のユニホームを着たパドレスの打者を
何度も打ち取っていた。
広島時代は11年間で103勝も、10年連続Bクラス。
辛抱のマウンドが続いた。
うち6シーズンでリーグ最多完投をマークし、
完投は通算74試合。
そんな黒田には、一球へのこだわりがある。
こちらで当番日の3日前に入るブルペンでは、
きまって背番号『18』の2倍にあたる36球を投げる。
オープン戦では当番後にブルペンで投げて、
投球数をちょうど100球にした。



投手がマウンドで直面するものに、その日の調子がある。
例えば変化球。
『毎回、同じ変化をするとは限らない。
 良いボールも、悪いボールもある』―。
現実を受け入れるのも技量のうちだ。
それが一球を大切にする姿勢につながる。
『その日の調子がベストと思って投げないと、
 メンタル的に厳しい』―。


我慢強さを周囲は両親の気質から受け継いだとみる。
黒田も『いい教えをしてもらった』と感謝する。
  
昨年8月に82歳で他界した父の一博さんは、
元南海(現ソフトバンク)の外野手。
黒田が小学校5年で地元のチームに入団したときの
監督だった。
  
『やるなら最後までやれ』と諭され、
『天狗になるな』とたしなめられた。
  
母、靖子さんは砲丸投げの選手で、
大阪府の高校で体育教師をしていた。
大声で叱りながら涙を流す先生で、生徒から慕われた。
6年前に亡くなった時、葬儀後に全校生徒が
校庭で見送った。
同僚だった教師は
『人情家。一本気な先生だった』と話す。


黒田は、妻、娘2人と暮らすロサンゼルスの自宅に、
両親の写真と小さな仏壇を持ってきた。
『日本にいた時より、逆に近くにいてくれる、
 という気がする』―。

これからも心の支えだ。
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