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『人間性』で強さ育てる
2008年02月16日 (土) | 編集 |
頭上から陽光が降り注ぐグアム島のリゾートホテル。
昨年12月19日、大音量で音楽が流れるプールサイドは、
ピリピリした緊張感に包まれていた。

水泳日本代表コーチ平井伯昌(のりまさ)(44)が、
サングラス越しに送る視線の先には、
アテネ五輪平泳ぎ2冠の北島康介(25)や
背泳ぎの銅メダリスト中村礼子(25)が黙々と
泳ぐ姿があった。

『康介には強度を抑え、量的練習をするよう言ってある』  
と平井。
プールから上がってきた北島は、
『メニューはコーチに全部任せますので』と
一片の迷いもない表情で話した。
  


北島は、平井がコーチを務める東京・駒込の
東京スイミングセンターに5歳から通う。
東スイは1968年のオープン。
東京五輪で日本競泳陣が惨敗した教訓から、
幼児期からの選手育成を目的に設立された。
高度成長で子どもに習い事をさせる家庭が増えてきた時代。
25メートルで25コースもある室内温水プールはめずらしく、
会員は近県からも集まってきた。


東スイに伝わる指南書がある。
ミュンヘン五輪ヘッドコーチだった小柳清志の講義を
書き留めたメモだ。
『チーム平井』の参謀格で日本体育大助教の
岩原文彦(36)に言わせると、
平井の指導法は『小柳方式の現代版』という。
  

例えば、
『目に頼るな。機械を使え』という小柳の言葉。  
東スイでは、北島の泳ぎを水中カメラで撮影し、
コンピューターで解析して水の抵抗を受けにくい
足の動きを覚えさせた。
選手の疲労度をみるために乳酸値測定を早く採り入れたのも
効果的な練習メニューを組むために、
状態を常に把握する小柳の教えが基本にある。
平井はこの値を参考に高地トレーニングなどを課し、
『頑張れる体』を作り出してきた。
  

もちろん理屈だけで、選手はついてこない。  
平井の指導を受けたくて2003年秋に移籍してきた中村は、  
『細かく言ってくれる。
 でも、そっと見守っていて欲しい時は口を出さない。
 接し方が絶妙なんです』という。
  


平井の原点は、早稲田大水泳部時代のマネージャー経験だ。  
3年生の春、トップクラスの選手が2人入部し、
ロサンゼルス五輪を目指す練習をさせるために
監督の補佐役を命じられた。
  
1人は五輪代表入りを有力視されていたが、
ほめると
『全然ダメっす』とむくれ、
修正点を指摘すると
『こういう動きを試していたんです』と言い返した。
選考会で勝ったのは、持ちタイムでは劣ったが、
助言に率直に耳を傾けたもう1人の方。
  
『水泳を強くするのは人間性』と感じ、
育てる面白さに魅せられた。
  



『康介で行くべきだ』―。
アトランタ五輪が終わった秋、育成方針を話し合う
コーチ会議の場で、平井はこう主張した。
当時、北島は中学2年。
同年代に、練習嫌いなのに速い選手がいて、
その選手の方が将来性は上と考えていたコーチが多かった。
  
『世界を目指すには、ハードな練習に耐えられる子じゃないと』―。
平井の熱弁に、最後は他のコーチが折れた。
  


ある試合前には多目に泳がせて疲れさせ、
不利な状況を経験させた。
逆に大一番では、目標タイムをクリアさせて
成功体験を積み重ねる。
平井はこんな戦略で、北島を世界の舞台へと押し上げた。
  


アテネ後、北島は日本選手権で敗れるなど、
スランプに陥っていた。
  
06年初夏、都内のレストランで開かれた平井の誕生会。
平井は、
『2年連続で負けて北島康介のコーチも辛いんだぞ』と
上段めかして挨拶した。
  
この時、北島の闘争心に火が付いたと平井は感じている。  
北京五輪代表を決める日本選手権まであと2ヶ月。
『康介は、まだ進化できる』―。
東スイの遺伝子を受け継いだ男の顔は
確信に満ちていた。


             読売新聞 『メダリスト製作中』より
                              小島剛氏
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