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42.195キロの奥深さ
2008年01月28日 (月) | 編集 |
昨日の大阪国際女子マラソンで、
25歳で初のマラソンに挑んだ副士加代子は、
練習での距離走はほとんど22キロまでだそうだ。
マラソン練習での距離走は30、40キロか人によっては
もっと長く走る場合もあるのに、随分短い。
さすがにトラックの女王だけに、
外国流のスピード型の調整で今回挑んだのだが・・・。


日本陸連女子長距離マラソン強化部長の金哲彦さんに聞くと、
『外国では40キロは走らない。
 故障を起こさないため、せいぜい30キロまで』という。
しかし、外国勢は起伏に富んだクロスカントリーで
筋力をつけ、いかに30キロまで楽に走り、
そこからスピードを上げて勝負するのが
一線級の走り方という。


かりに5000メートルで14分53秒22の日本記録を持つ
福士が、5キロを16分30秒から17分のペースで余力を残して
30キロまでついていって、残りで持ち前のスピードを
爆発させれば・・・??
『男子の場合、初マラソンでは速いペースに戸惑うが、
 女子は怖さ知らずで、力まずに走れる』と金さんは言う。


だが結果は惨敗・・・。


残り2キロ。
並走する監督が『もうやめてもいいよ』―。
だが、声は届かない。
痛々しい姿に天も涙したのか。
終着点の長居競技場に、雪が舞う。
残り600メートルを切った地点で転倒。
さらに、競技場に入ったトラックで3度、力なく倒れ込んだ。
『頑張れ!!』―。
2万人が集まったスタンドから拍手と励ましが鳴り響く。
あと5メートル。
数歩で届くゴールを前に、また崩れ落ちる。
“立ち上がれ!!”
観衆の祈りが、最後の力を与えた。
2時間40分54秒。
19位・・・。
計4度転倒しながらも、レースを捨てることはしなかった。
『ごめんなさい・・・』
監督の顔を見て、真っ先に口をついたのは、
お詫びの言葉だった。
すりむいた膝の治療の為、
『何とか生きています』と言い残し、
医務室へと消えた。


マラソン練習では『定番』といわれる40キロ走を1度もやらず、
30キロ以上を続けて走ったのも1度だけ。
昨年12月10日、監督に『申し込んでおいて下さい』と
決意したマラソン転向。
常識に挑戦する自己流も、準備期間が少なすぎた。

まだトラック競技で北京を目指す手段もある。
これが終わりではなく、これが始まり。
走りきった強いハートで、
力強く再起する。


≪福士が見せた『2つの衝撃』≫  

『福士さんが見せてくれた「2つの衝撃」が印象に残った
レースでした。
1つ目の衝撃は4回転んで、それでもゴールに辿り着いたこと。
30キロ付近で視界が真っ暗になったそうです。
脱水症状だったのでしょうが、普通は棄権しますよ。
(残る)12キロは走れません。
どんな気持ちで残りの距離を走ったのか・・・。
マラソン初挑戦で、マラソンの怖さ、難しさ、奥深さを
感じたことでしょう。

もう1つはの衝撃は、初体験なのに失敗を恐れず速いペースで
飛び出したこと。
これは素晴らしい勇気で、私の中ではこちらの方が
衝撃度は大きかったくらいです。


マーラ(ヤマウチ)さんはランニング専門誌をチェックしたり、
コースのビルや木の影まで把握して走るなど
頭脳プレーが得意な人。
スピードを磨いてきたことが勝因でした』

                       ~増田明美~

                       
30キロ過ぎた付近でドンドン抜かされ
福士選手が額の汗を拭い口にあてるシーンが
印象的でした。
コース街頭の人たちが『頑張れ~!!』と一緒に並走している
姿を見ながら涙が止まりませんでした。
たくさんの人たちに励まされ、後押しされて競技場に
辿り着いた福士選手を見ながら、テレビの前で
観客のひとりになって手をたたきながら応援しました。
奥が深いマラソン競技。
今回の42.195キロのドラマは、熱くて胸が痛くなった
でも、最後は安堵の涙に変わった感動のファイナルでした。











  
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