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父が師 福祉農園
2008年01月21日 (月) | 編集 |
 毎日息子とランニングしているコースに
 田畑の広がる場所があります。
 季節を感じ、のどかな風景が広がっています。
 が、ここ数年。
 ウィークリーマンションやアパートが建ち、
 田畑がなくなりつつあります。
 その原因のひとつには、農家を継がない、
 後継者がいない、という深刻な悩みが背景にあるようです。

 土がなくなってコンクリートに引き詰められると、
 地表が呼吸できなくなるので、夏にはヒートアイランド現象が起き
 冬には昔よく見かけた地面の霜柱や
 氷が張るという現象などを見るということもなくなり、
 生活はしやすくなったのかもしれませんが、
 徐々に季節感を感じることもなくなり、
 情緒を感じることもできなくなりました。


 そんな不安を抱いていた中、こんな記事を見つけたので
 載せてみたいと思います。
 心温まる 『人・物語』 です。


≪最初は渋々『人つなぐ喜び』を知った10年≫  


作業着姿の猪瀬浩平さん(29)が足元をまじまじと見つめた。
床板の所々に穴が開いている。
今月12日。
さいたま市の「見沼田んぼ福祉農園」で、倉庫として使っている
小屋の修繕作業が行われた。
全体が傾き、出入り口の戸も開けにくくなっていた。
『こんなに腐っていたなんて』―。
そうつぶやいた浩平さんの後ろで、父、良一さん(58)の
声がした。
『これほど長く続くとは思わなかったもんな』―。
父が開いた農園は今年、10年目を迎えた。


浩平さんの兄の良太さん(34)には知的障害がある。
農業ジャーナリストだった父が、地元の農家から小さな土地を
借りたのは20年前。
良太さんに農作業を経験させるのが目的だった。
  
浩平さんが小学校だった時は、週末ごとに家族と通った。
深い森には別世界があった。

だが、中学に入ると、部活動や友人との付き合いが忙しくなって
足が遠のいた。
家族との距離を感じ始めたのは、高校に進んだ頃からだ。
同級生から、父の仕事や兄について聞かれると、
どう説明していいか分からなかった。
家族とほとんど口を聞かなくなり、生まれ育った土地から離れた
大阪大の人間科学部への進学を決めた。


大学2年になった1999年5月。
父は農場を1ヘクタールに広げて福祉農園を始めた。
それまでは家族だけで農作業をしていたが、
障害者やボランティアを受け入れるようになった。
  
夏休みに帰省すると、『農園で草むしりをやれ』と父に言われた。
避けてきた相手だが、有無を言わせぬ口調に従うしかなかった。

その後も帰省の度に農園の仕事を手伝わされた。
初めの何年かは苦痛でしかなかったが、
渋々手伝ってるうちに、農業というものが少しずつ違って
見えるようになっていった。
  


そんな自分を初めて意識したのは、東大大学院に進むため
埼玉に戻った2001年の春だった。
  
ジャガイモを作ろうと、種芋を4分の1に切って植えた。
本当に芽が出るのかと半信半疑だったが、
2週間後、緑の葉がぽつぽつ顔を出し始めた。
畑が新芽で埋まったのは、その1週間後だ。
あんな切れ端から、こんなに多くの芽が育つとは・・・。
生命の神秘を目の当たりにした思いだった。
  
失敗も繰り返した。
雨の翌日に耕運機をかけ、すっぽりと泥に埋もれたことがある。
農薬を使わずに枝豆を育てようとして、新芽を全て青虫に
食べられたこともある。
  
そんな経験を重ねながら、苗が実った時の感動は
何物にも代え難いと知った。
  


翌年の1月。
子供らにも農業に触れてもらおうと、
農園の一区画で農作業の体験教室を開き始めた。
しかし、教室の準備に追われるなどして本来の農作業が
おろそかになり、畑は雑草だらけになってしまった。
  
この時に意見したのは父だった。
『知識も技術も十分じゃないのに、子供を受け入れるのは
 早過ぎる。
 まずは地道に農業と向き合うべきなんじゃないのか』―。
  
その通りだと思った。
農業だけでなく、父を見る目も徐々に変わっていった。
  


農園から発電機や耕運機がごっそりと盗まれたのは
一昨年5月のことだ。
揃え直す経済的余裕がなく、
『もうダメかもしれない』と気持ちは沈んだ。
  
だが、思いがけないことが起こった。
地元の農家や企業から、中古品や現金を寄付したいという
申し出が、約40件も寄せられたのだ。
  
父とお礼に回り、地域の人々が障害者や若い農業者に向ける
まなざしの温かさを実感した。
農園のことで、父と一緒に怒ったり笑ったりしている
自分がいた。
  



昨春からは明治学院大で『ボランティア学』を教えている。
秋には学生を農園に連れて来て農作業を体験させた。
  
若い人に伝えたいのは、
『人と人をつなぐ農業の素晴らしさ』だ。
  
農園では今、約200人の障害者や若者が汗を流す。  
10年目を迎え、父にこう提案した。
『これからは採算のとれる方法も考え、
 農園を何世代にもわたって続けられる体制にしたい』―。
  
  
小屋の床板を張り替えた後、農園の釜戸でおでんを作った。
具のジャガイモや大根は農園で採れたものだ。
汁をすすると、冷えた体がほんわり温かくなった。
鍋から立つ湯気の向こうに、
満足そうに笑う父が見えた。


                ~読売新聞 1/20付け 朝来野祥子~

 
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コメント
この記事へのコメント
農業離れの時代に、こんな素晴らしい人がいることに感銘しました。「人・物語」感動です。福祉農園の経営問題も、深刻だろうと思います。お父さんの熱意が自治体、国をも動かすようになることを、切望するものです。先ずご挨拶まで。
2008/01/21(Mon) 23:27 | URL  | 荒野鷹虎 #-[ 編集]
私も大学で農の尊さを学びました。
私自身が農に触れずに育ったものですので、そういう環境を得られる人のことを今では羨ましくすら思います。
自分が食べるものがどこから来るのか、どれだけ多くの人に支えられて自分が立っているのか。
それを知ることも「強さ」なのではないかと思います。
とても良い話をご紹介くださり、ありがとうございます。
2008/01/22(Tue) 00:19 | URL  | 夏海 #Vg9n7Irs[ 編集]
読売新聞に記事は全て打ち込んだのでしょうか、コピーして使わせていただきます。
2008/01/22(Tue) 10:03 | URL  | 猪瀬 #-[ 編集]
私の家も稲作農家です すこしですが
今稲作農家は大変な危機 作れば作るだけ赤字
離農する農家が多くなり田畑が荒れてる
 勇気をもらえるブログでした
2008/01/22(Tue) 19:56 | URL  | kiyo358 #-[ 編集]
みなさんの温かいコメント、感謝です。  みなさん同じことを思っていらっしゃるのには、驚きと同時にやはり『農業』という日本の誇りある職業に対して国もおおいにバックアップして欲しいと、熱望したい気持ちでいっぱいです。   農家の方々には誇りを持って頂きたい!!  『食べること』は人間生きる上でとても必要なことです。       今日、主人とお墓参りに向かう車中から田畑を眺めていると、白菜がたくさん放置してありました。   心が痛みました。   色々と事情もあるのでしょうけど、国もこの現状から目を反らさずにもう一度『農家』の嘆きを聞き入れて欲しいです。  
2008/01/22(Tue) 22:46 | URL  | kuni28 #-[ 編集]
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