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7年7つのイチローShort Story(4)
2007年11月27日 (火) | 編集 |
 ≪2006年 恩師の笑顔≫
 ―WBC優勝を決めた直後、突如、イチローの心を
  支配したある感情―

 2006年3月、イチローは第1回のWBCで日本代表を
 世界一に導いた。
 キューバを破ったグラウンドの上で、イチローはふと、
 恩師の顔を思い浮かべていたという。
 亡き、仰木彬さんのことだ。

 『胴上げが終わって間もなくしたら、仰木さんのことを
  考えていました』―。
 最後に会ったのは2005年の11月、
 WBCの出場を決める直前のことだった。
 仰木さんは、福岡まで見舞いに来てくれたイチローの
 顔を見て涙を流した。
 亡くなったのは12月15日。
 イチローが帰って来たら、うどんすきを食いに行こうと
 約束していた日の、わずか5日前。
 元気になっているとイチローが思っていた矢先の、
 訃報だった。

 12月19日、イチローは帰国してすぐ、仰木さんの
 持っていた携帯に電話を入れてみた。
 もちろん、すでにこの世にいないということは承知の上で
 それを実感できなかったイチローは、
 メモリーの中にあった恩師の番号を呼び出し、
 発信してみたのである。
 
 すると、電話が鳴った。

 イチローは驚いた。
 もちろん、運命を変えられるはずもない。
 電話がつながったのは、故人の携帯がそのままになって
 いるからだろう。
 しかし、イチローはどこかで仰木さんが生きている
 のではないかという錯覚に陥った。

 『監督がいなければ、今の僕はありませんから・・・。
  (キューバに勝った)あの日はずっと自分の感情に
  任せていたんですけど、そうしたら監督の顔が自然と
  わいてきたんです』―。

 思い出すのは2004年の9月のことだ。
 シーズン最多安打記録に迫っていたイチローを見るため、
 仰木さんはアメリカに来ていた。
 大記録まであと2本に迫った試合後、サンフランシスコにある
 ジャパニーズ・レストランで仰木さんはご機嫌に
 飲んだくれていた。
 一緒だったイチローに、
 『監督、飲みすぎですよ』と、からかわれていた。
 『いやいや、老け込んでいるようじゃ、とても“オリ近”の
  監督なんか、やっとれんぞ』―。
 『監督、“オリ近”っていうんだから、チーム名も
  “バファウェーブ”にしたらいいじゃないですか(笑)』―、
 『監督、大阪ドームをたこ焼きドームに改称して下さいよ』―。

 イチローも、記録達成を間近に控えたプレッシャーを忘れ、
 心の底から かつての恩師とのバカ話を楽しんでいた。
 やんちゃな仰木さんもイチローへの注文を忘れない。

 『イチロー、メジャーに行っていいと言った時のこと、
  ちゃんと覚えとるか?』―。
 『もちろん、覚えていますよ』―。
 『今度はお前が“オリ近”に戻って恩返しする番
  じゃないのか』―。
 
 2時間ほどの食事の間、イチローに“オリ近”入団を5回も
 迫った仰木さん―。
 イチローの家のテーブルには、今も仰木さんの写真が
 飾られている。
 
  
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