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7年7つのイチローShort Story(2)
2007年11月24日 (土) | 編集 |
≪2003年 松井秀喜との邂逅(かいこう)≫
―すべてが真逆の両雄が唯一混ざり合う野球の深遠―

 2003年、メジャーに松井がやってきた。
 『Hey,What's up?(よう、元気か)』
 『アイム、ファインで~す』
 『「です」を付けるな、「です」を(笑)』―。

 ニューヨークのヤンキースタジアムで出逢ったイチローと
 松井秀喜が交わすやり取りは、こんな感じだった。
 相変わらず、両極端なふたりである。

 イチローにあるものは松井にはなく、
 松井にあるものはイチローにはない。
 いつもとんがっているクラスのガキ大将がイチローなら、
 何事にも動じずにクラスをまとめる学級委員が松井だ。

 見た目ももちろん、性格や人当たり、集団の中で果たす役割、
 物事に対する考え方、プレイスタイルから結婚観まで、
 ことごとく対照的なのがイチローと松井なのである。
 並び立つ両雄というのは、こういうものなのかもしれない。


 ヒットとホームラン。
 マリナーズとヤンキース。
 華奢な体とでかい体。
 スマートなプレイースタイルと豪快なプレイスタイル。
 イチローのファンにとって松井は物足りないし、
 松井のファンにとってイチローは鼻につく。


 イチローと松井は、それぞれの目指す場所を聞かれて
 『200本安打』(イチロー)、『ワールドシリーズ制覇』(松井)  
 と答えた。
 『チームの勝利』を優先してプレイすべきか、あるいは
 『個人の成績』を優先してプレイすべきか―。  
  
 イチローはプロとして成績に伴わない勝利を求めるなんて
 ナンセンスだと主張し、
松井は勝利を求める姿勢こそが
 いい成績を生むはずだと主張していた。
  
 これも、よく噛み砕いてみれば、
 結局は高速道路に乗るか、一般道を行くのかの違い
 だけで、目的地は同じところだったりする。
 イチローは言った。
 『僕は、常に自分にプレッシャーをかけながら野球をして
  きましたし、プロならそれが当たり前だと思って
  プレイしてきました。
  だから、そういう9人がひとつのチームで野球をするのが
  理想だと思いますし、それでゲームに勝てないはずが
  ないと思っています』―。
  

 一方、松井はこう言った。
 『僕はこれまでずっと周りを見ながらチームを勝たせるという
  責任を背負って野球をやってきました。
  だからチームのためにプレイするという意識を持つことが、
  いい成績を残すための方法論だと思っているんです』―。

 打って勝ちたいイチローと、勝つために打ちたい松井―。
 ふたりが目指している場所はちっとも変わらないことを、
 ふたりの言葉を聞いて確信した。



 ≪2004年 過去からの声≫
 ―シーズン262安打の偉業を生んだ あの夏の閃き―

 サンフランシスコのジャクソン・ストリートには、
 ゴールドラッシュの時代に建てられた古いレンガ造りの
 アンティーク・ショップが並んでいる。
 その通りを、イチローが歩いていた。
 その頃、アンティークに凝っていたイチローは、
 サンフランシスコに来ると決まってこの通りをブラブラ歩いた。
 よさそうな店があれば、重い扉を開けて中に入り、
 テーブルやソファーなどを眺める。
 彼の自宅に飾ってある青銅のアーメット(兜)は、
 3世紀のギリシャのものだという。
 一目見て気に入り、衝動買いしてしまったのだと
 イチローは笑った。
 そして、アンティークの魅力をこう話していた。
 『古いものからは、声が聞こえてくる気がするんですよ』―。


 野球が生まれた19世紀。
 讃えられたのは、ライナー性の速い打球だった。
 そもそも、原っぱで生まれた野球にホームランはない。
 スピードこそが、野球の醍醐味だった。
  
 ところが、ベーブ・ルースの登場によって、
 野球が劇的に変わった。
  
 ボールを遠くに飛ばす―。
 時間が止まるホームランの魅力に人々は引き付けられた。
  
  
 1920年、ニューヨークのルースはシーズン54本の
 ホームランを放って、記録を大幅に塗り替えた。
 同じ年、セントルイスでコツコツとヒットを積み重ね、
 シーズン257安打の新記録を達成したのが
 ジョージ・シスラーだった。
  
 パワーに傾く時代の流れにシスラーが
 必死で抗って(あらがって)いたようにも見える。
 シスラーは1973年の春、セントルイスで80年の
 生涯を閉じた。
 奇しくも同じ年の秋、日本でイチローが誕生する。
 二人を結ぶ運命の糸は、このとき、絡み始めた。


 2004年の夏のことだ。
 7月1日、試合前の練習中にイチローがふと、
 ミスを減らせるかもしれない試みを思いついた。
 早速、試合で試してみる。
  
 ほんのわずか、右足を引いてみたのだ。
 すると、イチローの体が意外な反応を示した。
 右足を引いて背筋を伸ばしたら、自然にバットが寝た。
 その状態でスイングをすると、
 バットのヘッドが遅れて出てくる。
 そうすると、
 今まで以上にボールを引き付けることができる。

 ミスショットは劇的に減った。  
 7月以降、驚異的なペースでヒットを
 打ち続けたイチローは、
 その年の10月1日、シスラーが持っていた記録を、
 ついに塗り替えた。
  


 不思議だったのは、バットを寝かせた
 イチローのバッティングフォームが
 シスラーのフォームにそっくりだったことだ。
 そもそも体のサイズもほぼ一緒、三拍子そろった
 プレイスタイルも似通っている。
 84年の時を越えて、イチローが思い出させた
 シスラーの記録。
 野球がパワーに引きずられそうな時代にこの記録が
 蘇ったのは、偶然ではなかったのかもしれない。  
  


 記録達成の際、シスラーの家族は、イチローに一通の
 手紙を託した。
 シスラーが息子に書き残したバッティングの極意。
 そこにはこんな一文が認められていた。
  
 
 『バッティングの本質はタイミング、バランス、そして
  バッティングコントロールです』―。
  

 イチローは
 『この3つが揃って初めてパワーが生まれると、
  シスラーはそう言いたかったはずですよ』
と言った。
 イチローに262本のヒットをもたらしたあの閃き―。
 シスラーは忘れられつつあったバッティングの奥義を
 イチローに伝えてもらいたかったのだ。
  

 シスラーそっくりのフォームに変えた7月1日の夜、
 イチローは初めてセントルイスを訪れている。
 そこには、シスラーが眠っている。
 あの日、イチローが聞いたのは、やはりシスラーの声
 だったのだろうか。


 
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