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7年7つのイチローShort Story(1)
2007年11月22日 (木) | 編集 |
 当たり前のように試合に出て、当たり前のようにヒットを放つ。
 傍目には淡々として見えるイチローの日常。
 しかし彼は常に闘っていた。
 メジャー7年間の誰も知らない内なる闘い。
 7つのイチローがここにある―。
  


≪2001 駐車場を走る≫
  ―テロが全米を停止させた翌日、イチローはひとり
   黙々と走っていた。―

 2001年9月11日、全米同時多発テロ―。
 マリナーズは、地区優勝を目前にしていた。
 ニューヨークのワールドトレードセンターから、
 秋の青空には似つかわしくない真っ黒な噴煙が
 立ち上っていたところ、イチローはアナハイムの
 ホテルの部屋で眠っていた。

 やがて、ワールドトレードセンターは轟音とともに
 崩落してしまう。
 事の重大さは街の風景を一変させた。
 昼過ぎ、店のシャッターは次々と閉まり始め、
 フリーウェイも閑散としてきた。
 アメリカ国内の空港は完全に閉鎖され、
 全てのフライトがキャンセルされた。

 そしてメジャーリーグの試合が中止となった。

 9月12日。
 丸1日が過ぎた。
 全米各地の空港は相変わらず閉鎖されたままだった。
 店も相変わらず閉まっていたが、フリーウェイには車が戻って
 きていた。
 アナハイムは、よく晴れていた。

 エンゼルスのホームグラウンド、エジソン・フィールド(当時)は
 ホテルからすぐのところにあった。
 予定通り、試合が行われていれば、マリナーズの地区優勝が
 決まっていたはずの球場は、シンと静まり返っていた。
 
 広大な駐車場には停まっている車はなく、ゲートは閉ざされた
 ままだ。
 陽光が傾きかけた頃。
 イチローは、黙々とエジソン・フィールドの外周を走っていた。
 イチローは来るべき日に備えて、人知れず準備を
 始めていたのである。
  

 『野球どころではないという気持ちは、当然、みんなが持って
  います。その半面、僕たちにできることといえば、
  野球しかないというところもあります。
  再開のゴーサインが出たからには、それに向けて準備を
  するということです。
  その日のゲームが中止になっても、
  明日はやるかもしれないという状態ならば、
  練習をしないわけにはいかないですからね。
  
  でも、アナハイムの球場は使えない、っていうし、
  じゃ外でやるしかないってことで・・・』―。


 イチローの1年目、
 アメリカという国は彼にいくつもの顔を見せ、
 思わぬ試練をいくつも与えた。
 その中で、イチローは傑出した数字を残した。
 あれほど非日常の漂う空間で、日常を全うしようとした
 イチローだったからこそ、
 それが可能になったのである。
  


 ≪2002 胸を張った≫
  ―9年連続首位打者を逃した日、
   イチローは清々しく胸を張った。―

 2002年のシーズンはアナハイムで終わった。
 残った数字は208安打でリーグ2位、打率は.321で4位。
 シーズンを終えたイチローは、報道陣の前で
 胸を張ってこう話した。
 『やれることは全てやってきましたし、手を抜いたことは
  一度もありません。
  常にやれることをやろうとした自分がいた、
  それに対して準備ができた自分がいたことを
  誇りに思います』―。
  

 聞いている方が呆気にとられるほど清々しく
 堂々とした態度だった。 
 そこまで胸を張って言い切られてしまうと、
 『調子が悪かったのは・・・』などと、
 切り出せなくなる。
 不調をどう受け止めたのか、打率が下がった原因は
 どこだったのか―。
 そんなネガティブなコメントを期待していた報道陣は、
 イチローがあまりにも清々しい表情で2年目を
 受け止めていることに困惑した。
 残った結果は、満足がいくものではなかったはずだ、と
 決めてかかっていたからだ。
  

 しかし、イチローは残った数字をありのままに
 受け止めていた。
  
 世界中から超一流が集まるメジャーという舞台では、
 選手達の力の差も大きくはない。
 そんな中での力の勝負は、1打席ごとに紙一重の
 結果をもたらす。
 ヒットになるか、アウトになるか、紙一重の結果が600以上も
 積み重なれば、どんな数字が出ても不思議ではない。

 『どんなに苦しい時でも、
  諦めようとする自分がいなかったし、
  諦める自分もいなかった。
  その時のベストを尽くそうという自分がいつもいた
  ということ・・・。僕は2000年のシーズン、.387打ちました
  けど、ヒットの数は141本、試合数も100試合ちょっと。
  多くの人はその数字をすごいという。
  でも今年と比べてどちらが価値があるかは
  本人には明らかです。
  だからこそ、
  (首位打者というだけですごいと思ってしまうような)
  そういう価値観を、僕が彼らに負わされるわけには
  いかないんですよ。
  世の中の流れに乗ってしまうことの怖さ、
  何が大事なのかということは、
  自分で知っておかなければなりません』―。
  

 イチローには、ブレがない。
 常に数字に一喜一憂することなく、
 やるべき準備をこなして、イチローとして舞台に
 立ち続けていた。

   
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