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剛球の残像
2007年06月17日 (日) | 編集 |
 白球の記憶、あの夏の記憶―。
 どれだけの人が覚えているだろう。
 2001年8月、甲子園球場。
 宮崎からやってきた少年は、ずっとスピードだけが
 全てだと思っていた。
 “怪物・松坂”を越える 高校史上最速の154㌔をマーク。
 未だにこの記録は塗り替えられていない。
  
 あれから6年―。
 甲子園を沸かせたヒーローは今、横浜にいる。
 
 横浜ベイスターズ 寺原隼人(23歳)。  

 挑戦と挫折を繰り返し、ようやく辿り着いた新境地。
 そこにはスピードだけを追い求めていたあの頃の面影はない。
 スピードよりコントロールを―。
 剛球よりバランスを―。
 師と仰ぐ城島健司からの言葉が今も心に残る―。

 ずっと絶望感と戦ってきた男が、
 横浜ベイスターズで再生を誓う!

 
 寺原の野球人生を変えたあの一球。
 “松坂以来の怪物”―。  
 メディアはそう騒ぎ立て、少年の周囲は劇的に変化した。
 高校生にして154㌔を投げる逸材をプロが放っておく
 わけがなかた。
  
 その年、2001年ドラフト会議。
 1巡目で4球団が1位指名共有。
 クジを引き当てたのは当時の福岡ダイエーホークスの
 王監督だった。
  
 1年目に6勝2敗1セーブ、2年目7勝5敗。
 期待通り球界を代表するピッチャーへと一気に駆け上がる
 かに見えた。
 しかし、更なる飛躍を誓った3年目に悪夢が待っていた。  
 あれだけ自信を持っていた速球が、軽々とスタンドに
 運ばれていく。
 3年目0勝、4年目0勝―。
 フォームを崩しコントロールが乱れ、剛球も鳴りを潜める。
 もちろんスピードだけではこの世界では生き残れないことは
 分かっているつもりだった。
 プロの本当の怖さを知った時、かつての輝きは
 失われていった。
  

 “行き先はボールに聞いてくれ!!”―。
 力で抑え込むことでズッと快感だった。
 スピードに魅せられた男にとって、豪腕を封印することは
 自分自身を否定することだと。
  

 最高級のピッチャーになる為の条件を解いてくれたのは
 メジャーへと渡った名捕手・城島健司だった。
  
 『自分が投げようとした所にちゃんとボールを責任持って
  放っている、ということ。
  たまたま抑えられたからっていって結果オーライだ、と
  考えてやっているピッチャーは、いつまでたっても
  そこに投げられないですからね。
  良いピッチャーの条件としては、そこにボールを
  絶対ほ放るんだ、と思って責任を持って投げれる、
  ということ』―。
  
 城島はそう語っていた。
 ただ信頼されるピッチャーへ。
 城島はそれを寺原に伝えたかった。
  

 2006年プレーオフ。
 負けたら終わりの大一番で過去2年1勝も出来なかった寺原に
 思わぬ形で先発のチャンスがめぐってきた。
 この日の前夜、寝付けなかった寺原はアメリカにいた
 城島に1本の電話を入れた。
 『マウンドで良かった時も悪かった時も、堂々とベンチに
  帰ってくればいいんです。
  悔いを残しちゃいけないんです。プロとして』―。
 そう電話の向こうで城島はアドバイスしたという。
  
 ずっとボールを受けてくれた城島はもう日本にはいない。
 一球一球低めに丁寧に、極限に達した緊張感の中での経験が
 今大きな絶てとなっている。
 悔しくもこの日が寺原にとってホークス最後のユニホーム姿と
 なった―。

 
 2ヵ月後、それは突然のトレード通告だった。
 先発陣の層が薄い横浜は、寺原にとって逆にチャンスの場所
 だった。   
 新境地での初キャンプを控え寺原はある行動に出た。
 新しいチームメイト1人1人に挨拶して回った。
 今シーズンに賭ける決意の表れだった。

 
 開幕から先発ローテを勝ち取った寺原は、抜群の安定感で
 すぐにエース格の存在を示す。
 あれほど苦しんだ3年間が
 まるでウソのような変貌ぶりだった。
 九州一筋でやってきた男が、今は横浜で戦っている―。

 セ・リーグNO1の破壊力を誇る巨人打線との
 初対戦を控えたある日。
 寺原は斉藤明夫コーチとビデオルームにこもっていた。
コーチ)寺原のボールだと力があるから、そう簡単に
    高めさえ行かなかったらミートはうまく出来ないと
    思うから、自分の球を信じて投げ込んでいく、
    っていうことが大事だと思うよ。
 寺原の前に立ちはだかるのは、左のスラッガーたち。
コーチ)(小笠原は)オレが教えて欲しいくらいだけど
    どんなバッター?
寺原)相性は悪かったです。
   (パ・リーグ時代~26打数11安打 .423)
コーチ)(李へは)寺原だったら力のある球でいった方が
    いいと思うよ。
寺原)自分の力より それ以上を出そうと思わずに
   していきたいですね。

 そして決戦の日を迎えた。
 5月16日対巨人戦。
 警戒する小笠原には今シーズン初MAX153㌔。
 今の寺原はスピードだけではない。
 高低、更には緩急を使った投球で5回まで無失点。
 完璧に押さえ込む。
  
 しかし6回、巨人打線が遂に牙を剥く。
 あまく入ったストレートを小笠原が弾き返す。
 更に李―。
 まるで吸い込まれるように あまく入った変化球を―。
 強力打線の主砲は失投を見逃してはくれなかった。
 この回まさかの5失点。
 初対戦はほろ苦い結果となった。

寺原)気持ちの面で余裕が無かったのかな、と思いますし
   この悔しい気持ちは絶対忘れないでしょうし
   次こそはしっかり抑えたいと思います。
 もうあの頃の残像を追い求めることは無いだろう。
 今はただ、前だけを見据えて―。
  

寺原)がむしゃらな気持ちで行けると思うし、今まで
   “頑張ってね”とか“どうしたの?”とか(ファンが)
   そういう声の掛け方だったので、やっぱり自分の中で
   悔しいですし、やっぱり“今年は頑張ったね”って
   1年終わった時に そういう声を掛けられるように
   1年野球が出来ればいいと思います―。



 プロ野球は本当に厳しい世界です。
 150㌔投げる球を持っていても、簡単にホームランを
 打たれたり、勝てないし。
 皮肉なもので、高校の時すごく速くても、プロに入って
 急にスピードが出なくなって。 
 そしてコントロール重視し出すと、
 おもいきり手が振れるようになってきて
 スピードが戻ってきたり。
 逆に遠回りのように見えるけど、
 1歩1歩大きい道になってくる可能性があると思うので、
 今少しずつ1歩ずつ
 階段をゆっくりと上がっていってる状態のようなので
 長く苦悩した分、大きくもっと花が咲くことを
 願いたいし応援したいです。
    
                  
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