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指揮官の目 21年間積み上げた答
2007年05月19日 (土) | 編集 |
 スタンドの大歓声が一塁上の“ミスターファターズ”に
 向けられた。
 田中幸が四回、山村の138㌔直球を右前へ。
 積み上げてきた安打が2000本に達成した。
 39歳5ヶ月での達成は至上6番目の遅さ。
 実働22年目での到達は最遅記録だ。

 
 『(記録を)意識し出した』という1900安打を超えてから
 3年以上の歳月が過ぎた。
 肩、肘、ひざなど故障続きの体は言う事をきかなく
 なってきた。
 特に97年に手術した右肘の痛みは深刻。
 術後もバットが思うように振れず
 『自分でも諦めている部分があった』という。
 痛み止めの注射や薬、電気治療など、効くと助言された
 ものは全て試したが、期待した効果は得られなかった。
  

 何度も折れそうになった心を支えてくれたのが
 周囲のサポート。

 同級生の榎本通訳は、下を向くことが多くなった田中幸に
 『ベテランのお前がそんな事でどうする!』と叱咤激励。  
 いつもは大きな声を出すこともない同通訳のきつい一言に
 渇を入れられた。

 そして最大の支えは最愛の妻の存在。  
 『外ではあまり言わない』という溜め込んだ愚痴のはけ口は
 いつも千恵子さんだった。
 勢いに任せて言葉をぶつけることもあったが
 『好きにすればいいんじゃない?いいんだよ、辞めて』―。
 いつも優しい笑みで返してくれた。
 結婚2年目、子供がいない二人は、犬を2匹飼い始めた。
 遠征の多い旦那を持つ身でもあり、千恵子さんは愛情を持って
 接したが、一昨年に2匹揃って他界した。
 いつも笑顔で自分の不満を受け止めてくれた千恵子さんが、
 初めて見せた憔悴(しょうすい)の色。
 妻を励ます立場にまわった時、苦しんでいたのは
 自分だけではなかったことを知った。

 二人で支え合いながら積み上げてきた22年間の軌跡。
 一塁ベースに立つ夫を見ながら涙を流す千恵子さんの姿が
 平坦ではなかった険しい道のりを物語っていた。


 日本ハム・高田繁ゼネラルマネージャー(61)は、
 田中幸が入団した86年当時、監督を務めていた。
 高卒2年目の87年に、周囲の反対を押し切りレギュラーに
 抜擢。 
 『肩が強かったし、クリーンアップを打てる打撃もあった。
  荒削りだったけどダイヤの原石だった』―。
  
 と、当時を振り返る。

 当初の田中幸は失策が多く、起用を疑問視する声もあったが
 『エラーよりも魅力の方が大きかった。
  あれだけの大型内野手出会えるというのは、監督としては
  嬉しいことだった』
と懐かしむ。
 『失敗しても毎日使われるので、考える暇も無かった』と
  田中幸も当時を思い出す。

 その後の活躍が、
 指揮官の見る目が正しかったことを証明する。
  
 04年に高田氏がGMに就任して再会。
 田中幸の86年のプロ初安打と2000本安打を
 20年の時を隔てて間近で見守ることになった。
 『当時はまさか2000本安打なんて思っていなかった。
  でも2000本安打で終わりということではない。
  今はすごくチームに貢献してくれているし、
  頑張っていって欲しい』―。
 磨き続けた原石が、最高の輝きを放ち、感慨深げだった。 
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