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マイケル中村吉秀 日本代表への熱い想い
2007年05月07日 (月) | 編集 |
 この男には、熱い日本男児の血が流れていた。
 独特のサイドスローから繰り出されるスライダー。
 そして魔球と恐れられるカーブを自在に操る。
 2006年39セーブのパ・リーグ新記録を打ち出した
 北の守護神。
 かつてオーストラリア代表としてオリンピックを戦ったまでの
 男が、国籍を捨ててまで見る夢。
 今度は日の丸と共にあの場所へ―。

 『日本代表としてプレーしたい。
  僕にとっての大きな夢だから・・・』
 彼の野球経歴は委細を払っている―。


 奈良で生まれた彼は、2歳のときオーストラリアへと移住。
 そこで野球と出合った。
 だがオーストラリアは、いわば野球発展途上国。
 『初めてキャッチボールをしたのが9歳の時、
  その瞬間から野球の“とりこ”になったんだ。
  でも、学校の先生によく言われたんだ。
  “野球をやっても将来は無いぞ”ってね』―。

 そんな周囲の声も いつしか賞賛に変わった。
 オーストラリアを2度もオリンピックへ導いたからだ。  
 2003年には野球最高峰の地アメリカメジャーリーグへ。
 (メジャー通算成績03~04年31試合0勝3敗1セーブ)
 でもそこでは満たされなかった。
 04年オフ、日本行きを決意。
 この時28歳。突然の転身だった。
 『まだメジャーで出来ると周囲には言われたが、僕は
  生まれ故郷の日本でプレーする事が夢だったし、
  野球のキャリアは日本で終えたかったんだ』―。
 日本こそ野球人生最後の地。

 所がひとつ問題があった。
 日本では二重国籍が許されないのだ。
 彼の決断は日本人として生きることだった。  
 『本当に難しい選択だった。
  でも、日本国籍を選んだことに後悔はないよ。
  昔から日本人であることに誇りを持っていたからね
』―。

 だが、彼が選択した日本での生活はというと
 シーズンの大半は妻と娘をオーストラリアに残し一人暮らし。
 慣れない一人暮らしに加え、言葉の壁がマイケルを悩ませる。
 2歳の頃から英語で育った彼が、どんなに疲れても
 時間を見つけては日本語の勉強。

 
 そして来日2年目の去年、彼が手にしたものは日本一の証、
 揺ぎ無い自信だった。  
 『2年前は日本でプレー出来るだけで嬉しかった。
  日本一になれるとは夢にも思わなかったよ。
  日本に来て本当に良かったと心から思うよ』―。

 そして2007年、日本人として3年目を迎えた
 マイケルの胸で大きく膨らんできた夢がある。
 それが“日本代表 日の丸への想い”―。
 『オーストラリアの人達は、野球はアメリカにしか無いと
  思っているんだ。
  でも、WBCでは日本が世界一になった。
  だから、日本代表でプレーする事は、自分として
  ベストの中のベストという事。
  誇りなんだ!
』―。
 そして、もしオーストラリアと戦う時が来たら
 『マウンドに上がればオーストラリアが相手でも
  情けは無い。
  ボクの球を打てるなら打ってみればいい。
  (オーストラリアの選手らと)試合後は、
  仲良くするけど、試合前は話をするつもりは無いね』―。
 
 今日、日本代表1次候補選手発表。
 
 
 今年はコンディションを崩して体調は良くはないが、
 良くなればカーブとスライダーがいいものを持っているし
 経験があるので精神的にも強いと思う。
 頼もしい存在になると思う。
 果たして結果は―。
 

 
 
 
 
  
 
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