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大リーグに挑む“切り札”を託されたルーキー
2007年04月15日 (日) | 編集 |
 今年から大リーグに挑戦している28歳ルーキー
 岩村明憲。

 ヤクルト時代、3年連続30本以上のホームランを打った
 強打者。
 チーム躍進の切り札として期待を集めていた。  
 しかし、大きな試練が待っていた。

 日本より広いストライクゾーン。
 アウトコースの球に苦しんだ。
 のしかかる期待と、立ちはだかる壁―。


 岩村明憲選手 開幕までの3ヶ月を、昨晩BS1で放送された
 『ドキュメント スポーツ大陸』から
 紹介したいと思います。


 1月4日、母校(愛媛県立宇和島東高校)での最初の練習。
 例年より早い始動。
 メジャーでアピール出来る体を作りたいと考えたのです。
 
 “勝負の年”―。
 初練習の場所に母校を選んだのには理由がありました。
 ここでの練習が、野球人生の原点になっているから。
 『決して自分自身“野球エリート”ではなかった。
  甲子園で騒がせてプロに入ったわけでもない。
  頂点を極めたい!という気持ちは本当に強いし
  昔から負けず嫌いでしたしね。
  野球をやっている上で“負けず嫌い”というのは
  必要なこと


 無名で入団したプロ野球の世界。
 “誰にも負けたくない!!”―。
 練習の2時間前にはグラウンドに姿を見せバットを振り続けた。
 そして入団4年目、レギュラー獲得!
 翌年にはヤクルト歴代の好打者が付けた背番号「1」を背負い
 チームの顔となる。

 才能が開花したのは04年、ホームランを量産し日本を
 代表とする強打者に成長した。
 持ち味は、おもいきりの良いスイング!
 三振を恐れずピッチャーに立ち向かっていった。
 『子供の頃から、中途半端なバッティングをして凡打に
  するなら、おもいきって空振りしてピッチャーが
  ビビるくらいの打者でベンチに帰っていた
。オヤジの言葉で。
  当てに行くバッティングは多分、ファンも喜ばないし、
  振って振って三振でもいいから
  “こいつ、振って当たったら何かが起こる!”というものを
  ファンに見せたかったのが自分の野球スタイルですね
』―。

 ワールドクラッシックや日米野球。
 世界の舞台で活躍することが多くなった岩村は
 大リーグ挑戦を意識し始める。

 『最高峰の舞台という、高いレベルというものがあれば
  アスリートなら誰でも思うこと。
  メジャーリーグに行って活躍したいという想いが強くなった』

 アメリカに発つ前、岩村はある人に報告した。
 2年前に亡くなった母、美千代さん。
 美千代さんは岩村にとって世界の舞台に挑む先輩でもあった。
 美容師だった美千代さんは、技術を競う大会で何度も優勝し
 世界大会に出場していた。
 幼い頃から憧れていた母の姿―。
 今、同じ舞台に挑もうとしている。
 『母親は多分言うと思います。“入るのが目的じゃなくて
  再確認する為。これからが大変よ”ってね。
  その気持ちを胸にアメリカに行きます』

 高校時代に味わった悔しさ、世界を教えてくれた母の姿。
 自分の原点を胸に刻み込んだ岩村だった。


 岩村が入団するデビルレイズの本拠地トロピカーナフィールド。
 3万8千人入るこの球場が、岩村の戦いの場になる。
 2月9日入団発表。この日は28歳の誕生日。
 一生の記念にしたいということで、この日に決まった。
 会見には日米合わせて50人の報道陣が集まった。
 岩村の背番号は「1」。
 チームを引っ張ってきたヤクルト時代と同じ背番号。
 “岩村がデビルレイズに旋風を巻き起こす!”
 地元紙は岩村への期待を大きく報じた。
 デビルレイズは岩村獲得に14億円を賭けていた。
 
 過去9年で8回最下位。長い低迷が続いている。
 深刻なのは打線。去年チーム打率が大リーグ最低。
 打線を引っ張る存在が必要だった。  

 デビルレイズ ハンシッカー球団副社長は
 『岩村はオールラウンドプレーヤーです。
  打撃については、日本で何年にも亘って素晴らしい
  成績を残しています。長打力もあるし、打率も残せる
  バッターです。守備も堅実で足も速い。
  我々は非常に優秀な選手を獲得できたと喜んでいます。
  彼はきっとチームに貢献してくれるはずですよ!』

 キャンプが行われている施設でも岩村が実感することがあった。
 ロッカールーム。
 岩村には2人分のスペースが用意してあった。
 レギュラー選手だけに与えられる特権。
 
 キャンプまであと1週間。
 岩村は自主トレを始めていた。
 この時のバッティングフォームは日本にいた頃と大きく
 変化していた。 
 右足をホームベースに近づけるいわゆるクローズドスタンス  
 に変えていた。
 日本では右足をホームベースから離すオープンスタンスだった。
 大きく異なるスタンス。
 ここには大きな狙いがあった。
 それは、ストライクゾーン。  
 特にアウトコースへの対応だった。
 大リーグのストライクゾーンは日本よりアウトコースに広い
 傾向がある。
 日本ではボールの球が、大リーグではストライクと判定される
 可能性があるのである。

 岩村は、アウトコースをしっかり見極めようと
 スタンスを変更したのだ。
 
 『どうしてもバッターは体で反応してもバットが出ない時が
  ある。だから反応出来る様に練習できっちりと見極めたい』
 
 だが、アウトコースに対応したいと始めたクローズドスタンス。
 それが、岩村のバッティングそのものを混乱させていた。
 アウトコースの球は見えやすいものの、肝心のスイングが
 窮屈になっていたのだ。

 
 キャンプ後半、岩村のスタンスに変化が起きていた。
 取り組んでいたクローズドスタンスを止めていたのだ。
 右足と左足を平行に置く“スクエアスタンス”―。
 右足をホームベースから離す“オープンスタンス”―。
 岩村は、どういうスタンスがいいか改めて試していたのだ。
 『クローズにすると、背中から来る感じ。自分には慣れない
  という感じは受けた。バッターボックスの中で
  窮屈さを感じたら、打てないしスッキリしない感じ』

 自分のバッティングに悩み続けていた岩村。
 その後も快音は聞かれなかった。

 
 3月、オープン戦が始まり、岩村はどのスタンスで始めたら
 良いか悩んでいた。
 オープンスタンスで構えると、アウトコースのストライクを
 見逃し、スクエアスタンスで構えるとボール球に手を出す始末。
 どちらのスタンスで構えてもアウトコースの球に
 対応することが出来なかったのだ。

 オープン戦7試合目、岩村の試行錯誤は続いていた。
 スタンスだけはオープンスタンスに固まりつつあった。
 打ち慣れていることを優先したいからだ。
 ただアウトコースの球だけは、相変わらず見極められずにいた。
 しかしこの試合、ヒントを掴むのだ。  
 岩村はボールをよく見ていこうと望んでいたのだ。
 これまでなら手を出したコース、何度か見逃す事ができたのだ。
 そして岩村に自信を与える1球が来る。
 ストライクを取られてもおかしくないコース。
 ぎりぎりボールと判断できたのだ。
 判定もボール。
 アウトコースのストライクゾーンを克服出来たと
 感じることが出来た瞬間だったのだ。
  

 これまで岩村は、アメリカのストライクゾーンは
 自分の感覚でボール2個分外に広いと思い込んでいたのだ。
 しかし、広いのはボール1個分だけ。
 これなら元のオープンスタンスでも対応できると
 確信したのだ。

 『最初は色々な打ち方を試したけど、アウトコースの球を
  考えすぎだと思った時から今まで通り打てばいいんだ、と
  思った』

 アウトコースのストライクゾーンを見極めた岩村。
 しかし、全てが解決したわけではなかった。
 ヒットが出なかったのだ。
 アウトコースに体勢を崩される場面が目立ったのだ。
 9試合に出場して20打数1安打―。
 この試合、初めて報道陣の前に姿を見せなかったのだ。

 ボールが見えてるのに、なぜ打てないのか。
 この頃から岩村は空いている時間を見つけては
 バッティング練習を行っていた。
 試合開始直前まで打つ日もあった。
 
 岩村の不調の原因に気づいていた人がいた。
 ヘンダーソン打撃コーチだ。
 『もう少しリラックスして打って欲しい。
  岩村は結果を欲しがり、走りながら打っているように見える』
 
 これまでヘンダーソンコーチは岩村が自分で気付くのを
 待っていた。 
 しかし、開幕まであと2週間あまりとなり、
 この日直接アドバイスをおくることにした。
 コーチは打つ際、体が1塁側に流れてると伝えた。
 おもいきったスイングが出来ないというのだ。
  

“試合ではボールをよく見ろ、速い球を打つ為にしっかり振れ!”
 
 日本ではどんな時もバットをおもいきり振ってきた岩村。
 アメリカに来てヒットを欲しがるあまり、当てにいく
 中途半端なバッティングになっていたのだ。
  

 更に、コーチの一言が岩村の気持ちを楽にしたのだ。
 『“体が動くようになれば(頭では分かっている)お前は
  打てる!日本では打ってるだろう”―。そう言われ気持ちが
  楽になった。 その間に打てなかった時期に得た
  アウトコースに対して考え過ぎてた部分が
  一気に無くなった』
  
   
 アドバイスを受けた3日後のパイレーツ戦
 “強く振り切る”そのことだけを考えて望んだ。  
 13打席目ぶりのヒット。
 苦しんできたアウトコースの球を強く振り抜いたのだ。
 
 オープン戦が終わり岩村は22試合 通算2割2分。
 

 4月2日 ニューヨーク ヤンキーススタジアム。
 憧れ続けていた大リーグ初舞台、名門ヤンキースとの戦い。

 『今まで通り強気な姿勢は見せていかないと、自分自身が
  必ず潰されてしまうと思いました』
 思い切りのいい責めの姿をどこまで出せるか?!

 岩村は6番サードで先発出場。
 第一打席は2回表に回ってきた。
 この時、岩村は ひとつの事だけを心掛けていた。
 『開幕戦の1打席のファーストストライクは、空振りでも
  ファールでもいいから、とにかくバットを振ることが
  一番落ち着かせる 手っ取り早い方法だと!』
 
 1球目、アウトコースの球を見送り。
 2球目、ファール。ファーストストライクに対して
 力強いスイングができた。
 6球目、ショートゴロ。アウトコースの球を打たされた。

 第二打席。相手は第一打席で打ち取ったアウトコースを投げた。
 しかし、岩村はアウトコースは手を出さない。
 しっかり見極めフォアボールを選んだ。 
 六回表の第三打席。相手投手は150㌔を超えるストレートが
 武器の左腕 ヘン。
 2-3フルカウントからの1球、アウトコースだった―。
 初ヒット!!
 アウトコースに苦しんできた岩村、結果を出したのだ!  
 第二戦、八回同点で迎えた第4打席。
 アウトコースを打ち返してツーベースヒット!
 この後、決勝のホームを岩村が踏んだ。
 開幕カード、岩村は7打数3安打。
 確かな手応えを掴んだのだ。

 『迷って壁にぶち当たったからこその結果。
  2試合だけの結果で喜びたい気持ちもありますが
  まだ160試合あるわけで、これから大切に行くために
  いい滑り出しが出来たと思います』

 続く本拠地開幕戦、38000人の大観衆の前で
 岩村は大きな仕事をやってのける。
 第一打席、センター前ヒット。
 第二打席、大リーグ初ホームラン。
 第三打席、センター前へ。
 第四打席、セーフティーバント。
 4打数4安打の大活躍!!
 そして同点で迎えた9回裏、サヨナラのホームを踏んだ。

 期待していた切り札としての役割を果たす事が出来たのだ!

 『この試合は、自分自身これ以上無い責めの野球が出来た
  “証”だと思うし、岩村明憲というものを
  バッターボックスで表現出来たと思う。
  1打席でも忘れることなく打席の中で
  “責めの岩村”というものを皆さんに見てもらいたい』
  

 低迷脱出の切り札として
 期待を背負うルーキーはバットで答えを出し続ける
 覚悟でいるのだ―。
  
 
  
 
 
  
 
 
 
   
 
  
  
 
 


 
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コメント
この記事へのコメント
kuni28さんこんにちわ!岩村さんはポステイングの時もチームは何処でもいい自分が入り1つでも上に行ければと言ってました。本人はとても豪快な性格と繊細さを兼ね備えボスの風格充分持っています。レイズ悪ガキ集団も束ねるのに時間は掛からないでしょう。これからが常勝軍団の目覚める時です。

何苦楚魂
2007/04/16(Mon) 11:34 | URL  | daiya #-[ 編集]
daiyaさん、返事遅れてごめんなさい。  毎回スポーツニュース見るのが本当に楽しみです。  “岩村明憲”という男に益々興味が出てきました!  私のブログでも、随時紹介していきたいと思っております。    インタビューを受ける岩村選手に“貫禄”と“オーラ”が満ち溢れて見えるのは、私だけでは無いと思います。  
2007/04/17(Tue) 10:46 | URL  | kuni28 #-[ 編集]
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