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夜の公園で母と練習
2011年02月15日 (火) | 編集 |
   読売新聞(1月13日付け)~拓く 沢村の挑戦 (中)~


大学時代の猛練習で剛腕投手へと飛躍した沢村だったが、
野球への直向きな姿勢は、幼い頃から
何一つ変わっていなかった。
母・和子(54)は、
『自分が決めたことに対しては、絶対に譲らなかった』と、
懐かしむ。

幼稚園に通っていた当時は、Jリーグ開幕の影響で
空前のサッカーブーム。
沢村もヴェルディ(現東京V)に憧れ、幼稚園の卒園文集に
『プロのサッカー選手になりたい』と
書き込んだほどだ。
そんなサッカー好きが野球にのめりこんだのは、
栃木市の小学校2年生の時。
サッカー仲間が少年野球に入団したことをきっかけに、
『野球をやりたい』と父・伸一(54)に頼んだ。
『水泳・習字など色々な習い事をさせたけど、
 自分からやりたいと言ってきたのは野球が初めて』と和子。
それが図らずも、運命的な出会いになった。

チームで決められた週末の練習だけでは物足りず、
平日は共働きの両親が帰宅するのを待って、
バトミントンのシャトルなどで打撃練習。
夜になっても、近所の公園で母親が懐中電灯で照らした
壁を的に、ボールを投げ続けた。
市内の遠投大会では、小学3年生から4年連続で優勝。
『とにかく投げるのが好き。
 マウンドにいる時が一番、自分らしくいられた』―。
だから、小学校の卒業文集では、
『ドラフト1位でプロ野球選手』と夢を記した。

佐野日大高(栃木)監督の松本弘司(59)には、
今でも忘れられない光景がある。
沢村が2年生になる春、練習試合のため、関西に遠征して
平安高(京都)と対戦したときのことだ。
試合終盤、後に西武に入団する銀仁朗との対戦で
本塁打を打たれ、右腕は泣き崩れた。
繰り返すが、公式戦ではない。
『たかが練習試合で、あそこまで気持ちが入る選手は
 そういない』と松本。
高い志は、言葉にも表れた。
高校卒業式直後、沢村は1年時の担任で、野球部コーチの
永田泰彦(36)に告げた。
『プロに行きます』―。
入学時、初めて交わしたあいさつと、同じセリフだった。

野球以外で目立つことは苦手で、
クラスでは『地味な図書委員を引き受けた』。
普段は遠慮がちな少年だったが、
こと野球になると別人になるらしい。
栃木市内にある実家には、使い古された硬式球が残っている。

小学生の時に沢村が手に入れ、黒のペンでこう書き込んだ。
150㌔を出せるような練習を―。
有言実行を貫く信念で、夢をつかんだ。

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