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セ・パの最多安打男が語る 200本超えで見えた新世界
2010年12月02日 (木) | 編集 |
イチローが日本球界に残した200という指標を、今季
新たに二人の打者が超えた。奇しくも、ともにプロ8年目。
“超一流”への階段を彼らは着実に昇り始めている。

200という数字は16年前、イチローが到達するまで、
日本のバッターにはピンとこない数字だった。
いや、20歳のイチローが200本のヒットを打ってもなお、
それは突風に過ぎないという距離感だったろう。

 それが、変わりつつある。

イチローはメジャー2年目から、
この数字をシーズンの目標として口にし始めた。

『日本では考えられない数字だったかもしれませんが僕は打ちましたし、
 こちらでは年間に何人も出ているわけですから、
 そんなにビックリする目標ではないと思っています』

今や、日本でもその数字は突風ではなくなった。
'05年に青木宣親(ヤクルト)が、
'07年にアレックス・ラミレス(当時、ヤクルト)が200安打をクリアしたが、
今年はなんと一挙、3人がこの数字に到達したからだ。
2度目の200安打を達成した青木(209安打)、
206本の西岡剛(ロッテ)、
そして214本を打ってイチローの記録を破った、
マット・マートン(阪神)である。

~27度の猛打賞で、イチローの持つプロ野球記録を超えた西岡~

 今季、パ・リーグの最多安打は206本。

トップバッターとしてチームを牽引した西岡は、
レギュラーに定着してから6年目になるが、去年まで、
シーズン150本をクリアしたことさえなかった。

「200本を打った打席、1番、西岡ってアナウンスされた瞬間、
『ああ、この打席で決めてしまうなぁ』って自分でわかっちゃったんです。
 ホントなんですよ(笑)。
 集中して自分の世界に入り込んでいたら、
 球場がスタンディングオベーションに包まれて、
 おめでとうって言ってもらう映像がパーンと入ってきたんです。
 だから僕、この時間を大切にしようと、
 ピッチャーが構えた瞬間にわざとタイムをとったり、
 打席で構えるまでの時間をいつもより長くしたりして、
 雰囲気を味わってました。
 あれがゾーンに入っていたということなのか……
 不思議な体験でしたね」

200安打だけではない。
西岡は、打率.346で首位打者も獲得。
シーズン27度の1試合3安打以上は、
'96年にイチローが記録した26度のプロ野球記録を超えた。

「猛打賞ですか(笑)。そんな記録があるんだって、初めて知りました。
 でも歴史に名を刻めるわけですから、
 イチローさんの数字は、超せるものなら超したいと思いましたね」

~小学生の頃から憧れてきたイチローへの想い~

イチローは、第1回のWBCで同じ釜の飯を食った
『青木、ムネ(川崎宗則)、西岡』の3人の名前をよく口にする。
西岡が自らの猛打賞の記録に並んだ時も、
『はよ抜け、抜いて大喜びしろ、まだ早いよ』と檄を飛ばした。

「僕、別に喜んでなかったんですけど(笑)。
 でも、イチローさんは憧れの選手です。
 小学生から高校生になるまでずっと首位打者で、
 それをテレビで見てたわけですから、リスペクトしちゃいますよ。
 ただ、憧れで終わってしまうのは、
 イチローさんの数字には絶対に届かないって決めつけてるのと同じですから、
 それでは自分の成長をストップさせてしまいます。
 結果が出たのは1年だけだし、首位打者も200本を打ったのも1回だけ。
 来年以降、野球人生を終えるまで
 コンスタントに成績を残していかなければ、
 超一流という場所には行けません」

~チームが空中分解の危機の中、西岡自身も自分を見失っていた~

 飛躍のきっかけは、去年の悪夢だった。

ボビー・バレンタイン前監督の進退について
フロントやファンを巻き込んだ騒動は、選手にも悪影響を及ぼした。
チームがバラバラになるという危機感の中、
思うように自分の数字を伸ばせない西岡は、思い悩んでいた。

「去年はつらくて、野球、辞めようかと考え込むくらい落ち込みました。
 打てなくなって、やっとバッティングがつかめたと思ったらケガして……
 WBCのメンバーから外されて、
 燃えたのが空回りしたんだと言ってくれた人もいましたけど、
 そんなんじゃない。
 僕自身、ロッテのユニフォームを着て、グラウンドに立って、
 ファンの方に声援してもらってる、
 その意味を感じにくくなっていたんです。
 自分を見失って、打席に立つのが怖かった。
 自分って弱い人間だと、初めて感じました」

200本を打つ1年前のことだ。
ヒーローインタビューを受けた西岡は、
監督解任反対、フロント批判の横断幕を出した一部のファンに対し、
『大人になったらこういうところでプレーをしたいと
 頑張っている子どもたちの夢を崩さないで』
『本当にロッテを愛しているんなら、明日から横断幕を下げてほしい』と、
お立ち台を降りて、直接、呼び掛けた。

~飲み屋から心配されるほど酒を控えた今シーズン~

「あれだけの言葉を口にした以上、自分はどうしなくちゃいけないのか、
 今年の自主トレのときからすごく考えてきました。
 だから今年は、シーズンが始まるのが怖かった。
 去年までだったら休みの前の日は朝まで飲んだりしてましたけど、
 今年はまず、お酒を遠ざけました。
 シーズン中はほぼ、飲んでないです。
 24時間、野球のことを常に考えておこうと……だから、
 飲み屋の女の子たちから、どうしたのって言われましたよ(笑)。
 最近は世の中の景気が悪くて、銀座に飲みに出なくなる社長は
『会社が潰れたのかな』って思われるのに、
 僕らは『野球に集中して頑張ってる』って思われるらしいんです。
 だから、野球選手っていいよねとも言われましたけど(苦笑)」



~1年目で記録を塗り替えたもうひとりの天才~

 今季、セ・リーグの最多安打は214本。

イチローの持つシーズン210安打の日本記録を16年ぶりに塗り替えたのは、
メジャーで期待されながらチャンスをつかみ切れず、
今年、日本にやってきたマートンだった。

「僕のキャリアの中で、
 1シーズンに同じチームで600回以上も打席に立つことができたのは、
 今年が初めてだった。
 だからこの668という打席数は、
 素晴らしいチャンスを与えてもらった証拠ということになるね」

マートンは、メジャーでも陽の当たる道を歩くべき野球エリートだった。
'03年、ドラフト1巡目でレッドソックスに入団したマートンは、
'04年、カブスに強く望まれて大型トレードに組み込まれた。
'05年にメジャーデビューを果たし、
'06年はレギュラーとしてレフトを守ってカブスの人気者となる。
しかし'07年以降は、長打力を重視するチームの方針もあって、
出場機会が激減した。

「メジャーのルールや契約の犠牲になって、
 アップダウンを繰り返すだけだったアメリカでの日々に別れを告げて、
 僕は28歳でキャリアを再び軌道に乗せるチャンスを
 日本に与えてもらった。
 本当にクールな1年だった。
 今年、214本のヒットを打てたのにはいろんな理由がある。
(日本語で)カミサマハワタシノチカラデス……
 神の存在もその理由の一つだし、天から授かった能力、日々の努力、
 出場機会を得られたこともそう。
 すべてが214本の要因になっているんだと思うよ」

~マートンとイチローが対戦した唯一の公式戦~

今から3年前の、'07年6月12日。

マートンはこの日、6番ライトで先発しながら3打数ノーヒットで、
終盤のチャンスに代打を送られた。
そして試合後、
メジャーに定着してから初めてのマイナー落ちを言い渡される。
屈辱の一日――実は、この日の試合はマリナーズ戦。
マートンとイチローが同じグラウンドに立った、
唯一の公式戦だった。

「いや、覚えてないなぁ。
 スプリングトレーニングでマリナーズと対戦した時のイチローなら
 記憶にあるけど、シーズン中のことは思い出せない。
 完全に記憶の外だね。
 普通は誰とどこで対戦したのかはよく覚えているんだけど……
 ちょうど自分が苦しかった時期と重なっているから、
 当時の記憶は意識して削除してしまったんだろう。
 マイナーには何度も落とされては這い上がってきたから、
 いちいち覚えてなんかいられないよ(苦笑)」

メジャーとマイナーを行ったり来たりの選手が、
日本での1年目にイチローの記録を超える214本ものヒットを放った。
イチローはマートンについて訊かれたとき、
『なんとなく名前を聞いたぐらいの選手が日本に行って
 1年目で210を打つというのは、ちょっと衝撃ですよね』と語り、
さらにこう続けた。

「アメリカをナメちゃいけないなと思わされます」(イチロー)
『それでも(試合数が違っても)難しい数字ですから、
 凄いと思います。ビックリしますよね。
 WBCで日本が勝ったり、
 メジャーにも(日本人選手が)何人か来るようになって、
 傍から見ると急激に距離が縮まった印象なのかもしれませんけど、
 この事実には、アメリカをナメちゃいけないなと思わされます』

 このイチローのコメントについて、マートンはこんなふうに話した。

「選手にとって最も重要なことは、
 試合に出場する機会を手にするということ。
 自分にとって、その機会を与えてくれたのは日本の野球界だった。
 イチローは、僕がメジャーでの実績がないまま
日本に来たって言うけど、
 でも、日本に来る前の僕にはチャンスが与えられて
いなかったんだから、
 メジャーで数字を残す力があったのか、なかったのか、
 誰にもわからない。
 僕は日本の野球はハイレベルだと思っているし、
 アメリカと日本の差はアメリカ人が思っている以上に
縮まっていると思う。
 それぞれの野球に違いがあることは事実だけど、
 どちらかが一方的に上だという話ではない。
 ただ、フクドメ(福留孝介)が日本から来て、
 入れ替わりでカブスを去った自分が今、
 こうして日本でプレーしているんだから、
 運命って不思議なものだと思うよね」

~二人に共通する「詰まることを恐れない」という価値観~

もちろん、心の持ちようだけではない。

西岡とマートンが葛藤を乗り越えることができた裏には、
技術的な裏付けがあった。
イチローが生み出した“200”という価値観に挑み、
クリアした二人には、イチローのバッティングとの共通点が
あったのだ。
イチローが初めて世に発した
『詰まることを恐れない』という価値観――西岡はこう言った。

「初球からどんどん振っていくというスタイルを崩さずに、
 ボール球をしっかり見極めようと考えました。
 そのために今年は、打つポイントを身体に近づけようと
意識したんです。
 今までは、当たれば飛ぶという理由で
 身体の重心をボールにぶつけにいって、前で捌いていました。
 でも、それでは変化球に泳がされるし、ボール球にも手が出て、
 空振りも多くなる。
 だから、ポイントを近くしたんです。
 その分、差し込まれて詰まる恐れもありますけど、
振り切ればいい。
 しっかり振り抜いて200本を打つんや、
 というところは絶対に譲らんとこうと思ってました」

 一方のマートンも、こんな話をしていた。

「詰まることを恐れないという意識は重要だよ。
 優れたバッターは、詰まることを怖がらない。
 意識すべきは両手の軌道であって、
 打球の強さよりも手の動きが正しかったかどうかが重要になるんだ。
 常に正しいスイングをして、
 適切な角度でボールを捉えられるかどうかを強く意識する。
 結果として、詰まって内野の頭を越えるポテンヒットに
なったとすれば、
 それがまともなスイングだったという証になる。
 スイングが悪ければ、内野ゴロに仕留められてしまうのが
オチだからね」

~西岡とマートンが立った野球人生、二度目のスタートライン~

知らず知らずのうち、
イチローの価値観を道標にバッティングと向き合い、
200という大台を初めて超えた二人。
溢れんばかりの才能を持て余し、
チャンスを生かし切れなかったもどかしさを、
西岡とマートンは今年、ついに振り払うことができたのだ。

「今年は僕の野球人生で、初めて自分の実力を存分に、
 フルに出せた年だと思います。
 でも、もっと早いうちに気づいて、もっと野球にのめり込んで、
 もっと野球をナメずにやっていれば、もっと、もっと……」(西岡)

「自分には能力があると思っていたし、自信もあった。
 でも、努力なくして成功はあり得ない。
 日本に来たときも、全力で取り組む覚悟ができていた。
 アメリカでの境遇を悔やんだりするヒマはなかったんだ」(マートン)

“200”という未知の世界に足を踏み入れた西岡とマートンは今、
野球人生、二度目のスタートラインに立つことができた。
孤独と向き合わなければならない、
超一流の世界へのスタートラインに――。



ベースボールファイナル2010 【シリーズMVP】 今江敏晃
【クローズアップ】 成瀬善久/清田育宏/和田一浩/谷繁元信
【指揮官の戦い】 落合博満×西村徳文
【全7戦プロフェッショナル解説】 工藤公康/立浪和義 ほか
【2010日本野球総括】 西岡剛×マートン/城島健司×矢野燿大/
 和田毅×杉内俊哉/斎藤佑樹

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