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甲子園で泣く選手は大成しない!? プロ入りした後の活躍を検証する
2012年11月09日 (金) | 編集 |
中村計 = 文


 初めて聞く「価値基準」だった。

ずいぶん前の話になる。
プロ注目の高校生投手が、夏の甲子園で早々に負けたときのことだ。
試合後、ある放送局の記者に
「今、感謝の気持ちをいちばん伝えたい人は誰ですか?」と聞かれ、
その投手は涙をこらえ切れなくなってしまった。

よく見る光景ではある。
うがった見方をすれば、テレビ取材でありがちな
「泣かせるための質問」でもあった。

すると、近くにいた記者が「幻滅した」と吐き捨てるように言った。
いわく、「甲子園で負けて泣くようなヤツは、プロでも大成しない」と。

~一流のプロ野球選手の多くが甲子園で涙を見せていない!?~

そのときは、そういうものかと思いつつも、
そんな見方に抗う気持ちもあった。
涙にもいろいろな種類があるし、
あまりにも杓子定規に過ぎると思ったのだ。

ところが、そのとき号泣した選手は、
大学、社会人を経て何とかプロ野球選手にはなったものの、
時代を経るごとに輝きを失い、
今では高校時代のスケール感はすっかり影を潜めてしまった。
わかりやすくいうと、ぱっとしないのだ。

それからというもの、心のどこかで、
そんな視点で選手を見るようになった。


~負けたとき、この選手は、どんな表情を見せるのか――。~


近年で、もっとも大量の涙を流した選手といえば、
'09年夏、準決勝で敗れた花巻東の菊池雄星(西武)だろう。

 慟哭。

そんな表現がぴったりなほど、菊池は激しい泣き方をした。

結論を下すのは時期尚早ではあることは承知の上だが、菊池も、
前評判からすると、ここまでは結果を出せていない。

確かに、プロで一流と呼べる成績を残している選手の多くは、
甲子園で涙を見せていない。


~甲子園で負けた瞬間でさえ笑う……堂々とした選手。~

'92年夏、2回戦で5連続敬遠を受けて敗れた
星稜の松井秀喜(レイズ)の泰然たる態度は
今や語り草になっているし、
'95年夏、準々決勝で敗退した
PL学園の福留孝介(元ホワイトソックス)も
驚くほど淡々としていたと聞いたことがある。

実際に目撃した例でも、
東北のエースだったダルビッシュ有(レンジャーズ)は、
2年夏('03年)に決勝戦で敗れた時はそれこそ号泣していたが、
3年夏('04年)は3回戦で最後の打者になったものの、
見逃し三振をした瞬間、笑みさえ浮かべていた。

'06年夏、早実との決勝戦で敗れた
駒大苫小牧の田中将大(楽天)もそうだった。
斎藤佑樹の真っ直ぐに空振り三振を喫し、ゲームセット。
そして、打席の中で、やはり笑っていたのだ。

 彼らが泣かなかった理由――。

 悔いがなかったから。
 感情を制御できていたから。
 甲子園はあくまで通過点で、もっと先を見ていたから。
 だいたいそんなところだろう。

2つ目と3つ目は、プロで活躍するのに必要な資質だ。
そういう意味では、泣いてしまう選手は、
やはりプロ向きではないのかもしれない。


~甲子園で号泣した堂林翔太が、いま活躍している理由とは?~

しかし現在、甲子園で号泣した選手が大活躍している。
今季、広島のサードに定着している堂林翔太だ。

高卒3年目の野手で、ドラフト2位ということも考えたら、
ここまでの働きは二重丸をつけていい。

'09年夏、日本文理との決勝を戦い終えた中京大中京のエースだった堂林は、
お立ち台で泣きじゃくっていた。

「最後まで投げたかったんですけど……
 情けないんですけど……すいませんでした」

 甲子園史上、優勝して謝った投手など堂林が唯一ではないか。

その試合の堂林は、先発しながらも調子が今一つで
いったんライトに回っていたのだが、
9回表、10-4と大量リードしていたこともあり再びマウンドに上がった。
ところが、再び打ち込まれKO。
その後、リリーフがしのぎ、チームは10-9で何とか逃げ切ったが、
堂林の乱調で、あわや優勝を逃すところまで追い込まれてしまったのだ。

 プロに入って、彼の性格はどちらに転ぶのか。

 密かに注目していた。


~単に泣くだけでなく「とにかくよく泣く」堂林の凄さ。~

堂林は練習試合などでもよく悔し涙を流していたそうで、
追いかけていたあるスカウトが、そんな堂林の涙に
「妙に惹かれた」と語っている記事を読んだことがある。

つまり、そのスカウトは、
堂林のそんな性格を好意的にとらえていたのだ。

そうなのだ。
冒頭で紹介した選手も、決して「軟弱」だったわけではないと思う。
ただ、純朴ではあった。

涙を弱さと捉えると否定的な見方になりがちだが、
泣くということは激しさの裏返しでもある。
純粋でも、とことん純粋であれば、
それはエネルギー源になるのだ。
堂林は、まさにそんな選手だった。

だからこそ、入団してから2年間、
まったく一軍での出番がなかった悔しさをバネにし、
3年目、ここまでの成績を残せているのだ。

そう言えば、勝って大泣きした選手がもうひとりいた。
'06年夏、やはり全国優勝した早実のエース、斎藤である。

斎藤は、試合が終わり、応援スタンドにあいさつに行こうとした瞬間、
普段は無口な部長に「お疲れさん」と肩を叩かれ、
感情が一気にあふれ出してしまったのだ。

 彼の涙も、やはり激しさの裏返しだった。

「甲子園で泣く選手=プロでは成功しない」――。

この法則は、まったく的はずれではないものの、
やはり絶対的なものでもないのかもしれない。

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阿部慎之助は高校時代、何が違った?一流が超一流に育つ条件を考える。
2012年11月09日 (金) | 編集 |

中村計 = 文



 一瞬、何を言っているのかわからなかった。

「次は、初回からいいピッチングができるよう
 修正しないといけないですね」

この夏の甲子園で、プロ注目の左腕、
濱田達郎を擁する愛工大名電(愛知)は、初戦で浦添商(沖縄)と対戦。
序盤で濱田が5失点し、最終的に4-6で敗れた。
そして試合後、
濱田はまるで明日また試合があるような調子でこうコメントしたのだ。

「次」――?

初戦敗退である。
しかも、高校野球はこれで最後なのだ。

 
だが直後、
「次」というのが、プロを指しているのだと理解した。
プロ志向の強かった濱田らしいといえば、
実に濱田らしい言い回しだった。

それにしても、最後の夏で敗れ、
聞かれてもいないのに「次」の話をした選手というのは記憶にない。
高校野球は、あくまで通過点。
そう、露骨に言ってしまっているわけだ。

その濱田は先のドラフト会議で、中日から2位指名を受けた。
今ドラフトで、濱田とは若干ニュアンスは異なるが、
同じような志向を持つ左腕がいた。

 
ソフトバンクから5位指名を受けた福岡工大城東(福岡)の笠原大芽だ。


「プロに行きたい」ではなく「プロに行きます」という心構え。

笠原は「プロへ行くのは、当たり前だと思っていた」
と語っている。

笠原の場合、それもわからない話ではない。
父・栄一は1984年にロッテからドラフト1位指名を受けた
元プロ野球選手。
兄・将生も4年前、福岡工大城東を経て、
ドラフト5位で巨人へ入団している。
つまり、正真正銘のプロ一家なのだ。

福岡工大城東の山本宗一監督も、
笠原が入学したときの印象をこう話していたものだ。

「衝撃的でしたよ。プロに行きたいじゃなくて、行きます、って感じ。
 普通、高校生なんて、甲子園行けたらいいな、
 って感じじゃないですか。
 だから、1人だけ雰囲気がぜんぜん違った」

 
こうした意識の差は、後に大きな差となって表れるのではないか。


その見本が、今や球界を代表する捕手であり、
打者になった巨人の阿部慎之助なのである。

安田学園(東京)の前監督で、阿部の恩師である中根康高は、
しみじみとこう語っていた。

「素質的にはこれまで見てきた選手の中でも、
 ベスト10に入るか入らないかでしょうね。
 でも、高校生ぐらいだと、普通は、周りが騒ぎ始め、
 スカウトが見に来て、初めてプロを意識する。
 それで指名されて、じゃあ、行こうってなるんです。
 阿部はそこらへんが違った。
 彼の場合は、入ったときから
 『プロへ行く』って言っていた。
 そこはやはりお父さんの影響でしょうね」

 
阿部の父・東司は習志野高校(千葉)出身で、
高校時代はあの掛布雅之(元阪神)と
クリーンナップを組んでいたほどの選手だった。
それだけに、「プロ」がそもそも身近にあったのだ。


~「阿部より素材のいい選手は何百人といたはずですよ」~


中根が続ける。

「人間、持って生まれたものもあるけど、阿部は、
 考え方ひとつでこんなにも変わるんだ、といういい見本。
 過去に、阿部より素材のいい選手は何百人といたはずですよ。
 でも、単にうまくなりたいなと思ってやってるだけのやつと、
 プロへ行くんだってやってるのと、
 日に日に差がついていく。
 阿部は毎日、いい加減帰ってくれと思うぐらい
 夜遅くまで練習してましたからね」

 
小さい頃からプロを意識してやるかやらないかは、
一種の「プラシーボ効果」のようなものなのではないか。
つまり、思い込みの力である。

『その科学が成功を決める』(文藝春秋)という本によると、
砂糖を固めた錠剤と薬品で比較実験したところ、
〈薬の効き目の60~90パーセントがプラシーボ効果〉だったという。
薬本来の効果以上に、患者が効くはずだと信じる心が、
病気を治癒の方向へ向かわせるのだ。

 阿部にも、同様の効果が働いていたのではないか。

それだけに、ドラフト会議の翌日の新聞で、指名を受けた選手の
「信じられない」といった種類の発言を見かけると少々心配になる。

少なくとも、濱田や笠原にそれはない。
おそらく彼らは誰よりも自分がプロ野球選手になることを信じていたはずだ。
これは「薬」だと信じ切って、
日々の練習を積み重ねてきたことだろう。

指名順位はそれぞれ2位と5位だが、
2人にはそれだけでは計れない資質を備えている可能性がある。