日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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育成出身ロッテ岡田 ~夫人の金言“3年理論”
2011年06月28日 (火) | 編集 |
球界には“3年理論”というのが確かにある。

『3年間、きちっとした成績を残して、
 初めて一人前として安心できる』―。

古くは巨人の長嶋終身名誉監督に始まり、
中日の落合監督、マリナーズのイチローや
アスレチックスの松井秀喜・・・。
名だたる名選手たちが、機を一つにしたように
『3年間』を、自分に自信が持てるようになる為の
時間として挙げている。

それと同じことをロッテの岡田に説いていたのが、
素人の由美子夫人だというから驚いた。


岡田は栃木の足利ガスから2009年育成ドラフトでプロ入り。
すでに結婚していた由美子夫人の反対を押し切って、
『2年間で芽が出なかったら、スッパリ諦める』と
プロの門をたたいた。

それが1年目には支配下登録され、
2年目の昨年に1軍昇格し、
日本シリーズ第7戦の決勝三塁打でブレークした。
そして今季は不動の1番として定着、
15日の巨人戦ではファインプレーを連発してヒーローとなった。

その岡田が由美子夫人にいつも言われているのが、
“3年理論”なのだという。

『あんたが天狗になったらおしまいよ。
 常に感謝の気持ちを忘れずに、
 最低3年間は実績を残すまで安心しちゃダメよ』―。

今年のキャンプで取材した岡田は
『僕が今あるのは、嫁のおかげ。
 だからその言葉を肝に銘じて人一倍の練習を
 心掛けています』と頭をかいていた。

もちろん由美子夫人に、プロの根拠があるわけではない。
おそらく、この3年は
『石の上にも・・・』ぐらいの感覚なのだろう。

ただ、岡田にとってはどんな名選手よりも、
夫人の言葉には力がある。
だれにも勝る夫人の言葉が、一流の理論と一致していた。
まさに岡田にとっての金言だった。


育成のスターだった巨人・松本は、
1軍で出場するようになって3年目の今季、
大きな壁にぶつかっている。
山口もまた同様に3年目の昨年が転換点となった。
“3年理論”は確かに存在する。

それを自然と説き、聞き入れている岡田夫人―
恐るべしである。


       サンケイスポーツ 『球界インサイドリポート』より
                       鷲田 康氏

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『捕って投げる』当たり前をこなし、選択肢は広がる
2011年06月27日 (月) | 編集 |
一番、心配していたことはスローイングだった。
アスレチックスの松井秀喜が、交流戦で1年ぶりの守備に
ついている。
もちろんスーパープレーを求められているわけではない。
飛んできた打球を、捕れる範囲できちっと捕ってくれるだけでいい。

メルビン監督代行も、そんな思いで先発メンバーに
松井の名前を書き込んだと思う。


しかし、思った以上に松井は守れていた。
21日(日本時間22日)のメッツ戦では、
フェンス際の難しい打球をスタンドにグラブを突っ込んで
好捕した。
打球への判断、捕球技術は、ひざのケガとそれによるブランクを
思わせないものだったといえるだろう。


そしてもう一つ、安心したのが、スローイングだった。

『下半身のケガをしたときに、
 守りで最も影響を受けるのが実はスローイングなんだ』・・・

巨人で守備コーチをしていた故土井正三さんが、
こんなことを言っていた。

『足をケガすると、もちろん動きも鈍くなるし、
 守備力は落ちる。
 でも、なかなか気がつかないけど一番、
 影響を受けるのはスローイングなんだ。
 足を使って投げられなくなる。
 手投げの送球は不安定だし、ボールがシュート回転して
 コントロールも悪くなる』―。


実は昨年、エンゼルスのキャンプを訪れ、
久々に松井の守備練習を見たときに、
スローイングの悪さに驚かされたのだ。

ひざの手術後は、ほとんどまともな守備練習はしていなかった。
もちろんキャッチボールはしているが、
捕球して強い球を投げる、という一連の動作は、
とんとご無沙汰だった。

だから、エンゼルスのキャンプでの送球を見た瞬間に、
土井さんの言葉を思い出したのだった。

22日(23日)のメッツ戦。
松井はニ回、フェンスに跳ね返った打球を素手でつかみ、
素早く二塁に強い送球を投げてみた。
捕って投げられる―。
野球選手として当たり前のことだが、
その当たり前のことが、普通にできることを証明できた。

これでイザという時、松井の選択肢は広がるはずである。


        サンケイスポーツ 『球界インサイドリポート』より
                           鷲田康氏
社会貢献も自然体
2011年06月20日 (月) | 編集 |
読売新聞より 『挑む (下) 』 ~小笠原 道大~


背中に視線を感じ、練習中の巨人・長野久義(26)は
「ぞくっとして」振り向いた。
『誰よりも、ガッツ(小笠原)さんに見られると
 緊張します』―。

一切の妥協なしで、戦いに備える先輩の日常を知っているから、
若手は気合を入れ直す。

心に隙があると、あの人に見透かされるぞ―。


小笠原が姿を現すと、フィールドの空気はピンと張り詰める。
絶大な影響力は、しかし、
ユニホームを脱いでも薄れることがない。



多岐、長期にわたる社会貢献活動が評価されて、
2009年、
ゴールデンスピリット賞(報知新聞社制定)に輝いた。
球団代表兼ゼネラルマネージャー(GM)の
清武英利(60)は
『受賞を伝えたら、彼は「矛盾を感じます」と答えた。
 「陰でやるべき活動なのに、表彰されると目立ってしまう」
 とね』と振り返る。

そんな男の価値観に近年、変化の兆しが表れた。

00年、自宅のある千葉県市川市の社会福祉協会に、
寄付を開始した。
以降、活動の幅は継続性を保ったまま広がっていく。

児童養護施設の子供を公式戦に招待したり、
小児ガン患者と家族を支援するNPO法人に協力したり、
地震などの被災者へ義援金を送ったり・・・。

『伏し目がちだった子供の表情が、パッと明るくなる。
 疲れきったお母さんの顔が、一瞬でも和らぐ。
 そういうのが、うれしかっただけ』―。

ところが、活動の積み重ねは視野の拡大につながり、
新たな課題が見えてきた。

『苦しんでいる当事者、支えている家族、
 それをサポートする人々や団体。
 助けを求める人は、限りなく存在する。
 一人じゃなく、大勢の力が集まれば、
 笑顔になる人が多くなる』―。

だから、

『性格的に、積極的なアピールはできそうにない』けれど、
『無理に自分の活動を隠すことはない。
 誰かが行動を起こす、そのきっかけになる可能性があるなら』
と決めた。


球団に対し、
『何らかの形で、社会の役に立ちたい』と相談を持ちかけてくる
巨人の選手が、明らかに増えたそうだ。
清武は、
『小笠原君の存在が大きいんじゃないか』と言う。
『彼は、我々が求めていた「見て学べる」人物。
 フリーエージェントになったら、何としても獲得したいと
 思った』―。


あくまでも、自然体を貫くロールモデル(模範的存在)。
今季、主将の阿部慎之介(32)が故障で離脱している間、
代行として小笠原の名前が挙がった。
もちろん、誰も異論を唱えなかった。


読売新聞掲載  ~田中富士雄氏~

独自の進化15年目
2011年06月13日 (月) | 編集 |
読売新聞 『挑む (中) 』 ~小笠原道大~ より


娘に細心の携帯型デジタル音楽プレーヤーを薦められ、
買い求めたはいいものの、
あまり活用せずに手放してしまった。

『機能が多すぎてねえ。ちょっと昔の、
 音楽が聴けるだけのヤツで十分なんだけどなあ』―。

今年の秋で38歳。
老け込む年齢でもないけれど、
小笠原の発する“香気”は、『サムライ』の印象も手伝って、
どこか時代めいている。


もっとも、セ・パ両リーグで最優秀選手に輝き、
通算2000本安打も達成したスラッガーは、プロ15年目。
選手として客観的に判断するなら、
明らかに『ベテラン』だ。


背番号2の打撃フォームが、数年前と比べて変化していることに、
ファンも気付いているだろう。
肘は伸ばし気味で、グリップの位置は体から離し、
バットは外向きにグンと倒す―。

いわゆる『神主打法』の構え方は、長い間、
小笠原のトレードマークの一つだった。
ところが、近年、肘はたたまれているし、
バットの角度は垂直か、むしろ内側へ傾いているぐらい。
球界屈指の左打者に一体、何が起きたのか。


『無意識っちゃあ、無意識に変わったかな』と
小笠原はつぶやく。

『最初は(バットが)立っていたと思う。
 3年目か4年目か、そのあたりから次第に(構えが)
 大きくなっていった。
 スムーズに振れる位置を探して、自然に。
 今も、意図してるわけじゃない。
 そういう体だってこと。
 バランスや仕組みという意味で』―。


謎解きのような説明なので、同じ『神主打法』で活躍した
巨人のコーチ・江藤智(41)に継いでもらう。

『長くやっていると、
 出来るだけシンプルな形にしたくなるんだよ』―。

つまり、加齢に応じて打撃の効率化を進めるため、
小笠原の構えは小さくなったらしい。


どう水を向けられても、絶対に『衰えた』と口にしない。
実は昨夏、こんな言葉を漏らしている。

『体力が落ちたからとか、痛んでるとか、
 そう考え始めたら、きった現実になる。
 だから、マイナスなことは自覚しない。
 「ベテラン」だなんてね、
 オレは認めないよ」―。


アスリートは、いつまで進歩し続けるのか。
『体力、技術、知識、その比率は状況によっても
 人によっても違うけど、
 ずっと「うまく」なっていくと思う』と、
小笠原の答えは明快だ。
ただし、条件がある。
『その気持ちさえ、保っていられるなら』―。

歯切れの良いセリフ、鋭い眼光、引き締まった肉体に、
若々しさがにじむ。
 
努力の人 『飽きない』 才能
2011年06月10日 (金) | 編集 |
読売新聞 6月8日付け 

挑む(上)より  
プロ野球 小笠原道大(37) 


闇の中で聞こえてくるのは、かすかな寝息だけ。
そんな小笠原家の静寂が、突然に破られた。
『いつだったかなぁ』と頭をかき、
『朝になってね、うちの奥さんに言われた。
 「あなた、寝ぼけて叫んでいたわよ。
 レフト!だの、ライト!だの」って』―。
このスラッガー、夢の中でも白球を追いかけているらしい。


弱肉強食のプロ野球界で14年間、生き残ってきた。
自ら『器用じゃない』と認める背番号2を、
今の地位に押し上げたもの―。
それは多分、努力することに『飽きない』才能だ。


過去4年、オフの自主トレーニングに同行してきた
巨人の打撃投手・白井正勝(44)の証言に、耳を傾けてみる。

『彼の何がすごいって、毎年同じ作業を繰り返せるところ。
 「つまんねぇ」なんて言うけど、ホントに楽しそうだよ』―。

試合前の準備運動、トレーニング、打撃練習、
試合後の体の手入れと、
それぞれについて見事なまでに、ルーチンが確立されている。
独特の手順で進められるティー打撃は、
多くのファンが目撃しているはず。

まずは右腕のみでバットを掲げ、トスされたボールをコツン、コツンと
はじく。
次は左腕で、コツン、コツン。
続いて両腕でカツーン、カツーンと打球音を響かせる。

―よく飽きない

『飽きるという感覚には、ならないでしょ。
 やらなきゃいけないんだから』―。

―練習に変化をつければ、新たな刺激になるが

『刺激・・・・・・。
 いらないな。
 限られた時間で必要なことをやり切って、
 納得して1日を終えられたらいい』―。

―毎日を精一杯に過ごせばいい?

『そう。社会人球団を経てプロに入って、
 「1年で結果が出なければ、契約解除になる」という思いが
 強かった。
 (日ハム)入団と一緒に結婚してるし、先を考える余裕なんて
 なくて。
 「やっておけば良かった」と後悔したくない。
 その気持ちは変わらない』―。


プライベートは意外と淡白。
ふと思い立って長編ドラマのDVDを全巻、購入しても
『数話分を眺めて終わっちゃう。
 後で見りゃいいやって』―。
だから、思わぬ資質を引き出した野球との出会いは、
運命的なものだったと言っていい。


5月5日、通算2000本安打の金字塔を打ち立てた。
もちろん、大記録達成で飽きるわけもなく、
次の1本を打つために、飽きることなく汗を流す。

名将の挑戦
2011年06月07日 (火) | 編集 |
『プロなら派手にビールかけだったろうね』―。
東京新大学春季野球リーグで、
加盟27年目にして初優勝した東京国際大の
古葉竹識監督(75)が笑った。
前日の最終戦で優勝を決め、この日は閉会式。
元広島監督などプロでは百戦錬磨の古葉さんにとって、
美酒は抜きでも就任4年目で味わう
アマ初の優勝はまた格別だったようだ。

東京新大学といってもピンとこない人が多いだろう。
連盟発足は1951年。
急増する首都圏の大学の新規加盟を積極的に受け入れ、
現在24校は東都大学の21校を上回り
東日本最多の連盟でもある。
最近6連覇していた創価大からは日ハム・小谷野ら
10人がプロ入りしている。

その創価大の厚い壁を破っての初Vは
新聞各紙にも大きく取り上げられた。
『考えられなかったこと。
 大学の名前を覚えてもらうためにも、本当にありがたい』という。
『高校の監督は、自分の母校や付き合いのある名の知れた大学に
 うまい子を入れてしまう。
 うちあたりはその他大勢ばかり。
 名前を知ってもらい北海道や沖縄からも来て欲しい』―。

無名集団を基本から鍛え上げ、出場が叶った全日本大学選手権
(今日開幕)では、勝ち進めば準決勝で慶大と対戦の
可能性もある。
慶大・江藤省三監督の兄で強打で鳴らした
元中日の故・慎一氏と古葉監督は、同じ熊本出身の同年代で、
オフには酒を酌み交わしながら野球談議に花を咲かせた仲。
その縁で弟とも付き合いが深い。

今年3月には練習試合で初めて慶大が埼玉・川越の
東京国際大まで出向き、古葉監督を感激させた。
広島監督として阪急との84年の日本シリーズを制して以来、
27年目となる“日本一”を争う舞台。
老将の采配に注目したい。

       サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                      今村忠氏

『野球を通じてしっかりとした人間をつくる』―。
学生を指導するにあたっては、教育を第一に考えた。
主将の山田(4年)は、
『最初のミーティングで“あいさつや服装面から指導する”と
 言われた』という。
広島監督時代に指導した“炎のストッパー”故・津田さんの
長男・大毅さんが今春卒業したが、就職先の企業から
『こんなに生活態度のいい学生さんなら10人でも20人でも
 欲しい』と絶賛された。

『野球はもちろんだけど、そう言ってもらえて嬉しかったね』と
なにより教え子の成長を喜んだ。

『耐えて勝つ』―。
色紙に必ず添える言葉は昔から変わらない。
広島、大洋監督時代の“参謀”だった故・寺岡孝さんが
2月4日に亡くなり、必ずや優勝の報告をすると誓った。
強豪の慶大とオープン戦を行うなど、
選手達に実践経験を踏ませて強化。
就任初年に指導した選手が4年生になって悲願を達成した。

名将の挑戦は続く―。


~東京国際大学~

1965(昭和40)年、国際商科大として創立した私立大学で、
86年から現校名。
商、経済、言語コミュニケーション、国際関係、人間社会の
5学部からなり、学生数は約6000人。
野球部創部も65年で、85年に東京新大学野球連盟に加盟。
近年は運動部の活動に積極的で、
女子ソフトボール部は元日本代表監督の宇津木妙子氏が総監督、
男子サッカー部監督は元日本代表主将の前田秀樹氏。