日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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多くの球数が本当に必要なのか?前田健太に見る『投げ込み』の意味
2011年01月26日 (水) | 編集 |
                   氏原英明 = 文 

近年、特に気にかかっているのは、キャンプイン前、
あるいはキャンプ中の投手陣の「投げ込み」に関する報道である。

やれ「ブルペンにはいつ入る」「肩が出来上がった」
「○○○球の投げ込みを行った」などなど……。

~かたくなな「投げ込み」信仰は果たして正しいのか?~

この時期に投げ込みをすることの是非を問わずして、
その球数の多寡だけが先行することに、
果たしてどれほどの意味があるのだろうか。

たとえば昨年、この時期にメディアを賑わせていた
新人の菊池雄星(西武)、二神一人(阪神)は、
キャンプイン前から早くもブルペン入りしていたが、その後、
二人は身体に異変をきたし、
シーズンのほとんどを棒に振ってしまうこととなった。
投げ込みだけが故障の原因とは決めつけられないのだが、
理由の大きなひとつだったことは間違いないだろう。

だからこそ……メディアや野球ファンにあえて問いたいと思う。
また、選手や首脳陣にも改めて聞きたいのだ。

そもそも投げ込みはそれほど重要なものなのだろうか、と。
投げ込む球数の多さは、何を示しているのだろうか。

~100球以上の投げ込みをしてこなかった沢村賞投手!?~  

昨年の春季キャンプで、そんな風向きを変えるかのような情報を目にした。
キャンプ中、投げ込みに関する興味深いコメントを
自身のブログに書き込んだ選手がいたのだ。

昨シーズン、セ・リーグの投手部門を総ナメにした
広島の若きエース前田健太である。
彼のブログ『じゃけん まえけん 頑張るけん!!!』にはこう記されていた。

「プロに入って初めて ピッチング練習で100球以上の投げ込みをしました」

プロ入り4年目にして練習で100球を投げ込んだのが「初めて」というのである。

前田健は名門校出身、甲子園でもバリバリ投げていた男である。
力投派とも知られる彼は、
てっきり投げ込み至上主義を貫いているのかと想像していただけに、
そのブログの告白には驚かされたものだ。

「何のために投げ込みをするのか、僕は意味を見出せないんです」
だが、このブログにはちょっとした脚色が行われていた。

シーズンオフ、前田健にこの日のブログについて聞く機会があった。
プロに入って初めて100球を投げたという告白を意外に思った、と。
すると彼はこう教えてくれた。

「僕は投げ込みをするのはあんまり好きじゃないんです。
 (ブログには)100球って書きましたけど、
 あれは、チームの体制も変わって練習をしようという雰囲気の時だったんで
 100球をクリアーしようと思って投げただけでした。
 実際、ちゃんと投げたのは50球くらいで、後は軽く投げていたんですよ」

 さらに、聞いた。

多い球数の投げ込みを必要だと思わないのか、と。
そうした風潮をどう捉えるのか、と。

「何のために投げ込みをするのか、僕は意味を見出せないんです。
 投げ込めば投げ込むほど何かが良くなるならいくらでも投げますけど、
 そうではないので。
 僕は普通でいいんじゃないかな、と。
 もちろん投げ込みたいという人もいるし、それぞれの意見もあると思う。
 ただ僕の場合は、投げない方がシーズンにうまく入れる。
 特に投げ込まなくても、肩のスタミナには自信あるし、
 フォームを固めるために投げ込みが必要だと言われますけど、
 オフで1、2カ月空いたくらいでフォームを忘れるとか、
 何百球を投げないと思いだせないような、やわなフォームはしていない。
 調整する方が大事だと思いますから、投げ込む必要はないと思っています」

 まさに、目からウロコが落ちるとは、このことである。


~新人投手こそ投げ込みより身体づくりを優先させるべき~

最多勝、防御率、奪三振など数々のタイトルを獲得した前田健は、
昨シーズンのキャンプでもその方針を貫き、調整をしていたのだ。
沢村賞を獲った投手でもあるだけに、より説得力があるというものだ。

考えてみれば、シーズンが始まれば試合で嫌というほど
投げる状況に追い込まれるのだ。
それに、シーズンは1年だけではない。
本人が納得するための投げ込みは必要だが、
それは最小限にとどめなければいけないのではないだろうか。

もちろん、前田健もつけ加えているように、
それぞれタイプがあるというのも否定はしない。
投げ込みをするのが好きなタイプもいる。
しかし、一律じゃないということを理解する必要がある。

キャンプ中に投げ込んだ数字にとらわれるのではなく、
徹底的に走り込みをするなど、
まずは身体を作っていくことがこの時期には必要なのではないだろうか。
年々、新人選手のブルペン入りが早くなっている傾向にあるように思えるが、
特に新人選手こそ身体づくりを優先させるべきなのだ。

冬の厳しさに耐え、春に新芽を出し、
夏に花咲き、秋に実りを迎える。

野球選手もまた、秋に歓喜を迎えるため、
冬場はしっかりとトレーニングに没頭し、
耐えしのぶ時期なのである。

急いてはならない。

選手も、首脳陣も、そして報道も……。


【筆者プロフィール 氏原英明氏】

1977年ブラジル生まれ。
奈良大学を卒業後、地方新聞社でのアルバイト勤務を経て、
フリー活動を開始。
高校野球を中心に活動を続けるが、
野球を通じた人間性、人生観を伝え続け、
Numberのほかに野球専門誌で活躍。
WEBの世界でも「人間力×高校野球」(高校野球情報.com)
と題したコラムを連載している。

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一流選手や監督による言葉の力と、叱る極意~巨人軍再建を支えた「叱る技術」~
2011年01月23日 (日) | 編集 |
             文=本城雅人

34歳でラグビー日本代表監督に就任した平尾誠二氏に、
監督になって最初にしたことは何かと尋ねたことがある。

平尾氏の答えは
「選手と一緒に食事を取らないようにしたことです」。

昨日まで仲良くしていたのが突然、距離を置く。
選手は平尾氏の急変を不満に思っただろうが、
ラグビーという競技は監督はスタンドから試合を観戦しなくてはならない。
よって試合前、
ハーフタイムにいかに的確に指示を出すかが大事になる。

「日常会話に慣れてしまうと、
 監督の一言が選手の耳に残らなくなるんです。
 試合中に選手の頭の中に自分の声が呼び起こされるか。
 たった数分のミーティングのために前の晩から眠れなくなります」

平尾氏の説明に言葉とは綿密に計算した筋の中に織り込んだとしても
効果を発揮するとは限らない、
むしろ話すほど薄れていく一瞬の生き物だと理解した。

『こんな言葉で叱られたい』は巨人軍代表の清武英利氏の著書であるが、
球団代表として部下や選手を叱咤したことをまとめた
自叙伝の類に入るものではない。
読売新聞の社会部記者だった著者が、監督やコーチが選手を、
あるいは先輩が後輩を叱るのをそばで聞き、感じた
「言葉の力」をテーマにした一冊である。

~原監督が東野を叱責した言葉に込めた真意~

2009年8月、五勝目を挙げた東野峻だが、
8安打5失点の内容に監督の原辰徳は怒っていた。
記者会見でも東野をやり玉にあげ、さらに本人を呼び
「打たれてもみんなで守っているんだ。
 そんな姿をみんなに見せるな。
 だから、もう一度投げてみろ」と叱責した。
著者は「厳しいもんだなあ」と思わず東野に同情してしまったが、
そばにいたスタッフから
「最後の一言で東野は寝られるんです。また先発しろと言われたんだから」
と監督の真意を教えられ、
前向きに叱って相手を気持ちよくさせるのが叱責の極意だと納得したという。

 
二軍監督の岡崎郁は1対25で大敗した日、選手をベンチに座らせた。

「今日の負けにどう対処するか。方法は二つある。
 もう野球をやめてしまうか。練習して力をつけるか」

西武の守護神だった豊田清は、
FA移籍した巨人では二軍落ちも経験している。
その豊田が同じくファームでもがき苦しんでいる選手に
こう声をかけていた。

「チャンスは準備をしている選手でないと気づかないぞ」

いずれも長々としたフレーズではない。
あらかじめ用意して話したとも思えない。
だがその局面で出た言葉だからこそ耳によく響き、重みがある。
自前の選手が育つようになった巨人の土壌の変化が
これらの言葉からも窺い知れる。

~体の奥までガツンと響く「叱る言葉」が選手を変える~

リーグ四連覇を逸した巨人は今オフ、大補強が予想される。
どこに投資することが常勝球団を作る近道なのか?
これはいつか著者に問うてみたいと思っているが、
よりベターな方法を一つだけと訊けば、
著者は一人の選手に高い年俸を払うより、
他球団に先駆けてマイナー球団を複数作り、
育成選手や他球団を解雇された選手を多く確保することが、
長く安定した強いチームになる、
そう答えるのではないかと勝手に想像している。

そこから第二、第三の山口、松本、星野、オビスポが出てくると
安易に考えていると思っているのではない。
だが、選手が血の通った人である以上、
他では目立たなかった者が、
なにかを拍子に一変した先例はこの世界にはいくらでもある。
本書でも「プロの眼力には限界があることを知った」
という一文が記されている。

それではその拍子となるものは何か?
それこそ魂がこもったパンチの如く、
体の奥までガツンと響く「叱る言葉」である。  



こんな言葉で叱られたい
――常勝巨人を復活させた「叱る技術」――
球団代表として選手育成に注力。
巨人軍第四期黄金時代を支える男が、
原監督、コーチ陣、スタッフ、ベテラン選手の「言葉の力」を明かす
<735円(税込)/清武英利・著>   



【筆者プロフィール 本城雅人氏】

1965年、神奈川県生まれ。
明治学院大学卒業後、新聞社に入社。
スポーツ紙の野球記者、デスクを経て作家に。
2010年、『ノーバディノウズ』で第1回サムライジャパン野球文学賞の大賞受賞。
他に『嗤うエース』『W(ダブル)』など

本当に努力は才能を凌駕できるのか?“偉大なる凡人”小笠原道大という謎
2011年01月22日 (土) | 編集 |
                中村計 = 文 

 わからない選手だ。

巨人の小笠原道大のことである。

私事だが、私は小笠原と同い年だ。
小笠原も私も千葉県出身。
しかも同時期に県内の高校で野球部に所属していた。

だが私も含め、私の周りの野球仲間も当時の小笠原を
記憶している人に遭遇したことがない。

小笠原の母校である暁星国際は、
ちょうど小笠原の年代から野球に力を入れ始め、彼らが2年生のとき、
全国高校野球選手権大会の千葉大会で準優勝を果たしている。
ちょっとした番狂わせだった。

だが、のちに日産自動車を経由してヤクルトに入団したエースの
北川哲也以外の記憶は、まったくといっていいほどない。

~日本ハムに入団した時も薄かった存在感~

そのころの県内では、東京学館浦安の石井一久(西武)が
知名度では群を抜いていた。
石井は前評判通り、高校卒業と同時にドラフト1位でヤクルトに入団した。

それ以外にも県内からは、我孫子の荒井修光(早大-日本ハム)、
船橋法典の金子貴博(日本ハム)、
習志野の花島寛己(千葉ロッテ)と、
何人もの同級生がプロの門を叩いた。

当然高校時代から彼らの名前ぐらいは知っていた。

プロ野球選手になる人というのは、つまり、そういうものだと思っていた。
同時期に同地域で野球をやっていれば
最低限名前ぐらいは聞こえてくるものだ、と。

だから小笠原がNTT関東で5年間プレーしてから、
ドラフト3位で日本ハムに入った時もほとんど気にしなかった。

プロ入り3年目あたりでブレイクし始めた頃、
出身高校の「暁星国際」という表記を見てもしばらくは
誤植だと思っていたぐらいだ。
北川以外、プロに行くような選手はいなかったはずだが、と。
ひょっとしたら千葉県以外にも同名の高校があるのかもしれない
とまで考えたくらいだ。

~高校の監督が獲得をためらった程の平凡な選手~

小笠原の暁星国際時代の恩師である五島卓道は、
今は木更津総合の監督を務めている。

あるとき別の取材で会う機会があったので、
ここぞとばかりに小笠原のことについて聞いてみたことがある。

 なぜ彼はあそこまでの選手になれたのか、と。

だが、ありきたりの答えしか返ってこなかった。
当てるのはうまかったということと、練習熱心だったということ。
しかし、そんな選手はいくらでもいる。

 またこんな話も聞いた。

当初、五島は小笠原を獲得するつもりがなかったというのだ。
小笠原が中学時代に所属していたチームの練習を見に行ったとき、
本当は別の選手が目的だったのだが、
そのチームの監督から懇願されて
「内野で使えそうだから、まあいいかな」という程度の理由で
小笠原を引き受けたというのだ。
こんなエピソードで、ますます小笠原に対する謎は深まることとなった。

~小笠原本人の理由としては……「バットは振った」~

実は小笠原本人にも数年前、この長年の疑問をぶつけてみたことがある。

「高校時代、本当に1本もホームランを打ったことがないのか?」
などと幾度となく問い質してみたのだ。
そうしたら「しつこいですねえ……」と、かえって呆れられてしまった。

小笠原は、ここまでの選手になれた理由を
「バットは振った(素振り練習をした)」としか言わない。
そして「それが多いのか少ないのかは、自分ではわからない」
とつけ加える。
誠実な答えだといえばそうだ。

実際のところ、どれだけ努力したかなど比べようがないのだ。

こちらも一流のプロ野球選手を分析しようとするとき、
どこかで冷めてしまう時があるのだ。
どう解説しようとも所詮は才能なのかもしれない、と。
そして、そんな選ばれし人たちのことを軽々しく「努力でつかんだ」
などと書く方がむしろ失礼なのではないかという複雑な思いまで出てくる。

だが小笠原だけは高校時代の「無名ぶり」を知っているだけに、
努力する才能というのもあるのかもしれない、と信じたくなる。
そして、ときにそれが素晴らしい才能をも凌駕してしまうことさえ
あるのかもしれない、と。

~高校時代に本塁打0の男が偉大な記録達成へ~

高校時代に彼ぐらいの知名度しかなくとも、
プロに入った選手は他にも多くいるだろう。

でも彼はパ・リーグで本塁打王になっているのだ。

高校時代に1本もホームランを打ったことがない打者が、である。

そして今では巨人のクリーンナップにすわり、年俸4億3千万円をもらい、
あと11本で2000本安打を達成するところまで登り詰めている。
しかも今シーズン13試合以内で2000本に到達すれば
日本球界では川上哲治、長嶋茂雄につぐ3番目のスピード記録となる。

成長率の高さ、もっといえば「成り上がり度」では
過去に彼を上回る選手はいないのではないだろうか。

彼の足跡を理解しようとするとき、やはり、
どうしても「努力」という言葉が必要になってくる。

2000本まで残り11本――。
そんなことを感じながら見れば、また思いも違ってくる。


【筆者プロフィール 中村計氏】

1973年千葉県出身。
ノンフィクションライター。
某スポーツ紙を経て独立。
『Number』(文藝春秋)、『スポルティーバ』(集英社)などで執筆。
『甲子園が割れた日 松井秀喜の5連続敬遠の真実』(新潮社)で
第18回(2007年度)ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。
他に『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)、
共著に『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)などがある。
『雪合戦マガジン』の編集長も務める。
趣味は、落語鑑賞と、バイクと、競艇。

“ミスター・タイガース”に育て!!一二三慎太への阪神の異常な愛情
2011年01月19日 (水) | 編集 |
               田口元義 = 文 


2011年1月6日、阪神タイガース選手寮「虎風荘」の入寮日、
母親が荷物を搬入した。

9日からの新人合同自主トレは
「他の選手に感染する恐れがある」とのことで参加を見合わせた。

阪神のドラフト2位・一二三慎太は、
「溶連菌感染症」にかかったのだという。

なにやら深刻な響きを持つ名称だが、主な症状としては発熱やのどの痛み。
言ってしまえば「風邪」だ。
しかし、彼の場合だとそれでは説得性に欠ける。
というより話題性が増長されにくい。
だから具体的な病名を出す。

周囲の目を一二三に向かせるべく、
球団やメディアは様々なアプローチをかける。

入団後の体力測定で新人選手中トップの懸垂16回を記録すると、
「鳥谷(敬)は13回で能見(篤史)は10回。
 高卒選手としては驚くべき数字だ」とトレーナーの言葉を用いながら
身体能力の高さをアピール。

そのほか、「一二三」という苗字にちなんで、
甲子園でのお立ち台に上がった際には
アントニオ猪木のお約束パフォーマンスである「1、2、3、ダーッ!」を、
「ひ、ふ、み、ダーッ!」とアレンジして大観衆に披露するという
青写真を早くも描かせる。

阪神のルーキーのなかで最も注目されている選手が
一二三であることは間違いない。


~球団が明言する「スター候補」という位置づけ~

球団の期待感はドラフト指名直後から表れていた。
それは、メディアに配布される選手紹介を見れば一目瞭然だった。

“非常に高い身体能力の持ち主。
(中略)今ドラフトの高校生ではトップレベルであり、将来がとても楽しみ。
プロで育てがいのある選手。
スター候補として期待する”

ちなみに、東京ガスからドラフト1位で指名された
榎田大樹の選手紹介の一部を紹介すると、“ゲームを作れる投手。
1年目からローテーションに入ることができる即戦力左腕”と記されている。

実力が未知数の高校生と即戦力として入団する社会人とでは評価の仕方が違う。

だが、球団の一二三に対する昂揚感は文面を比較すれば十分に伝わる。

~大阪出身で、なおかつ貴重な「甲子園のヒーロー」~

「スター候補」ということは、阪神の場合、必然的に
「ミスター・タイガース」候補であることを意味する。

ドラフト前は、一二三の獲得に阪神はそれほど積極的でもないと
思っていただけに、
この指名はちょっとしたサプライズだったが、
彼の球歴を紐解けばそれもすぐに納得できた。

高校は神奈川の東海大相模だが出身地は大阪。
中学時代は堺市のボーイズチーム、ジュニアホークスで抑えを務め、
ジャイアンツカップで全国制覇を果たしている。

 そして記憶に新しいのが昨年の甲子園だ。

センバツではナンバーワン投手と騒がれながらも初戦敗退。
大会後に極度のスランプに陥り、
投球フォームをオーバースローからサイドスローに変更。
「迷走」など厳しい声が飛んだが、
「バッターを打ち取ることだけを考える」とマウンド上では常に集中し、
チームを33年ぶりに夏の甲子園に導き準優勝。
全国の舞台で、自分の選択が間違っていなかったことを証明してみせた。


~阪神の地元である大阪の出身で、
 チームがホームとする甲子園を沸かせたヒーロー~

一二三にはミスター・タイガースを継承しうる資格が十分に備わっている。
だからこそ、球団はスター街道というレールを用意したのだ。

~阪神ファンとメディアによる「過剰な期待」にさらされる~

ただ阪神の場合、報道の仕方が過剰なだけに、
期待は「洗礼」にも置き換えられる。

選手からすれば、期待値が高まれば高まるほど、
それと比例するようにプレッシャーも重さも増す。
実際にこれまでも、一二三のように潜在能力が高く、
将来を有望視されていながら、
見えない重りを跳ね除けられず阪神を去っていった選手が何人もいた。

過去の事例を引き合いに、
一二三もいずれそうなってしまうのではないか……
そう危惧してしまうファンも少なからずいるだろうが、
きっとそうはならないだろう。それはなぜか。

東海大相模に入学を決めた理由に、
彼の芯の強さを感じたからだ。
彼はこう語っている。

「大阪にも強豪校がたくさんありますけど、
 神奈川は日本一の激戦区と呼ばれていますからね。
 厳しい環境のなかで自分の力がどれだけ通用するか試したかったんです」

~プロとしての選択。オーバースローかサイドスローか?~  

熱狂的な応援を代表するように、
現在の阪神は日本一人気があるチームといっても過言ではない。
戦力的にも球界随一と言っていい。
今オフも千葉ロッテの小林宏の獲得に名乗りを上げるなど
近年は大型補強が目立ち、
生え抜き選手の一軍での出番が少なくなっているのも事実。

1年目の目標を「新人王」と掲げてはいる一二三ではあるが、
オーバースローに戻すのかサイドスローのままでいくのか
決定していない状況で、
早々の一軍デビューまでが確約されているとは言いづらい。

ただ、前述の言葉や高校時代の実績でも分かるように、
一二三は環境が厳しければ厳しいほど成長し、飛躍するタイプの選手だ。

球団も「育てがいがある」と断言している以上、焦る必要などない。

昨年、高卒ルーキーながら後半戦で4勝を挙げた
秋山拓巳のような好例があるだけに、チャンスは必ずやってくる。

1歩ずつ着実にプロの階段を上っていけば、結果はおのずとついてくる。
ミスター・タイガースへの道は、まだ始まったばかりだ。


【筆者プロフィール 田口元義氏】


1977年福島県生まれ。
元高校球児(3年間補欠)。
ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。
Numberほか雑誌を中心に活動。
試合やインタビューを通じてアスリートの魂(ソウル)を
感じられる瞬間がたまらない。
共著に「戦力外通告 プロ野球をクビになった男たち」、
同「諦めない男たち」などがある。

杜の都から横浜へ。楽天・渡辺、涙の移籍。~“野村門下生”尾花監督の下へ~
2011年01月15日 (土) | 編集 |
              永谷脩 = 文 


ある場所から去ることになった時、
心から涙を流してくれる人が何人いるかで、その人の価値が決まる。
楽天・渡辺直人の横浜移籍が決まった時、
鉄平、嶋基宏、草野大輔が悔し涙を流しているのを見て、
若い頃に読んだ本に記されていた一節をふと思い出した。

「女性以外に3人も泣いてくれる人がいたんだ。
 それってすごいことじゃない」

渡辺に声をかけると、何とも所在無げな作り笑いを返してくれた。

昨年最下位に沈んだ楽天は岩村明憲、松井稼頭央の
元メジャーリーガーで二遊間を補強し、
岩隈久志のポスティングで得た落札金でふたりの年俸を払う、
という青写真を描いていた。
ところが交渉が不調に終わり、岩隈の残留が決定。
そこで同じ内野手の渡辺が放出されることになったのだ。
控えで置いておくよりも金銭トレードで金にしたい、
そう思われても仕方のないトレードだった。

ブラウンが指揮を執り出場機会が減った昨季
「なぜダメなのか」と説明を求めたことも、
フロントから小うるさいタイプと思われたのかもしれない。

~野村克也を師と仰ぐ尾花高夫と野村野球の申し子・渡辺直人。~

渡辺は野村克也監督就任2年目の2007年に大学・社会人ドラフト5巡目で入団。
野村監督の評価が高く、野村野球の申し子といわれる選手だった。
一度だけ宴席をともにした時、若手が野村監督のボヤキに不満を言う中で、
監督の意図はここにあるのだから、
と仲介役を買って出ていたことを今でも憶えている。

渡辺は移籍が決まった夜、野村克也に電話を入れ、
「よそのメシを食うことは視野が広がる」とアドバイスをもらった。
また世話になった仙台の知り合い一人ひとりに電話で挨拶を済ませ、
誰もいないロッカールームで私物を整理していた時、
渡辺を師匠と呼ぶ鉄平が「お手伝いさせて下さい」と声をかけてきた。
さすがにこの時は涙が止まらなくなったと言う。

「今は横浜で自分のポジションをどう獲るか、
 それしか考えないようにしている」と渡辺は言うが、
ショートには売り出し中の石川雄洋がおり、
熾烈なポジション争いになることは確かだ。

3年連続最下位の横浜は「自己犠牲」という発想がないチーム。
勝つためには泥臭いプレーも厭わない渡辺は、
野村克也を師と仰ぐ尾花高夫にとって、
何より頼りになる存在になるかもしれない。


今までの横浜ナインの野球感を覆す、カウント1-3における渡辺直人の選択
2011年01月12日 (水) | 編集 |
                鷲田康 = 文 


このオフ、ある意味、最も衝撃的だった発言は、
昨オフにロッテから横浜に移籍した橋本将捕手が1年間、
横浜にいて感じたというこの言葉だった。

「このチームでは、ありえないことが当たり前になっている」――。

橋本によると
「試合中にベンチにいる選手が少ない」など、
他チームでは考えられない出来事に、
横浜では当たり前のように遭遇したというのだ。

確かにこれまでも某主力選手は途中交代すると、
ベンチ裏に下がってソファーで寝そべりながらテレビ観戦を決め込んでいた――
そんな話も聞いたことがある。
他チームでは打ちこまれた投手も、
アイシングが終わればベンチに戻って声を出す。
そういうことは常識中の常識だと思っていたが、
横浜ではどうやら違うようなのだ。

尾花高夫新監督を迎え、これまでの大雑把な野球から
「アナライジング・ベースボール」を掲げて
野球スタイルの一新を図ったものの、
シーズン中には監督と主力選手の不協和音がささやかれ、
終わってみれば3年連続最下位。
しかも、シーズン中に身売り騒動が表面化し、
オフには主力の内川聖一内野手がFAでソフトバンクに移籍した。

 そして橋本のこんな爆弾発言だ。

~暗い話題ばかりの横浜に渡辺直人が明るい光を注ぎ込む~

2010年の横浜にいい話なんか何もなかったが、
唯一ともいえる朗報は、
楽天から渡辺直人内野手を金銭トレードで獲得したことだった。

「(楽天では)最高の仲間と最高の野球ができたことに感謝したい。
 でも、今日からはお互いに頑張って最高のステージ(日本シリーズ)
 で戦えれば……。
 今度は敵になるので、楽天を叩きつぶしたい」

突然のトレード通告に涙した渡辺の気持ちも、
もうすっかり吹っ切れていた。

渡辺は今季、楽天では規定打席には届かなかったが
115試合に出場して打率は2割6分5厘、本塁打は0、打点も26と
レギュラーとしては不満の残る数字だった。
星野仙一監督が遊撃手のレギュラーとして
メジャー帰りの松井稼頭央内野手を考えるのは、
仕方ないことでもあった。

~“自分で自動待て”が3割5分3厘の高出塁率に結びつく~

だが、渡辺にはあまり目立たないが、特筆すべき数字がある。

 それは3割5分3厘という出塁率だ。

「カウント1-3になったら“自分で自動待て”をかけているんだろ?」

 ある選手が、こんなことを渡辺に聞いたことがあるという。

「……」

企業秘密もあるので、本人は言葉を濁したそうだが、
この沈黙が答えでもあった。

1-3は圧倒的に打者有利のカウントだが、
そのシチュエーションで渡辺はほとんどバットを振ることがない。
四球の可能性があるので、
そこで我慢して“自分で自動待て”と決めているのだ。

~打率2割6分5厘でもチームにとっては3割打者と同じ価値が~

カウント1-3というヒットカウントで我慢していたら、
その打者はなかなか3割は打てないだろう。
ただ、選手が3割を打つにはおいしいカウントでも、
チームにとっては安打も四球も意味は同じなのだ。
より高い確率で出塁できる、
安打を打てる可能性を捨てても四球をとる。
渡辺はその可能性を選択する選手、ということだ。

逆に言えば、だからこそ打率2割6分5厘でも、
出塁率は1割近くアップする。
実質的に渡辺はチームにとっては3割打者に匹敵する能力を秘めた選手、
ということになるわけだ。

2010年シーズン、横浜の選手で100試合以上出場して
出塁率が3割5分を越えたのは内川(3割7分1厘)と
下園辰哉外野手(3割6分5厘)の2人しかいなかった。
しかも、そのうちの1人の内川がソフトバンクに移籍してしまった。

塁に出て、まずチャンスを作るリードオフマンがいない。
そう考えると、横浜には渡辺のような選手がいかに必要か、
ということが鮮明になってくる。

~個人プレーに走りがちな横浜ナインを渡辺が変える!~

そして、もう一つは、橋本を驚愕させた横浜の常識を変えるために、
渡辺獲得は一つのきっかけになるはずだ、ということだ。

 選手が勝手気ままに野球をやる。

横浜ではカウント1-3は、
一発長打を狙う絶好のバッティングチャンスだった。
もちろんそれが全面的に間違いだ、というつもりはない。
ただ、その選択だけならば打てれば勝てるが、
打てなければダメという、
これまでのスタイルからの脱却は永遠に不可能だということだ。

その横浜に風を送る存在となりえるのが、
カウント1-3から“自分で自動待て”をかけられる渡辺という選手だった。

あとはこの選手のそういうやり方を、
選手個々にきちっと気付かせられるかどうか。
選手としての存在価値をどう評価するか。
そこが2011年の首脳陣、フロントの大きな仕事になるはずである。


【筆者プロフィール 鷲田康氏】

1957年埼玉県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。
およそ10年にわたり読売ジャイアンツ取材に携わった。
2003年に独立。
日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、
Numberほか雑誌・新聞で活躍。
著書に『僕のメジャー日記 松井秀喜』(文藝春秋)、
『ホームラン術』(文春新書)がある。