日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
今年もありがとうございました
2010年12月31日 (金) | 編集 |
今年もあっという間に過ぎ去りました

勇汰は自分自身も野球の実力がどんなものか、中学2年生になって
ようやく分かってきたようです。

全国レベルの先輩と小学校から一緒のチームでプレーし、
今年はその先輩の偉大さをまざまざと思い知らされ、
自分の能力のなさや、野球に対しての強い気持ちの足りなさを
痛感させられたようで、勉強させられた1年だったようです。

私も勇汰が中学に入ってからは、
小学校の頃のように手を出さず、本人の体調管理に協力する程度で
遠くから見守っています。
が、やはり気持ちが足りない、というか・・・
母的には物足りなさを感じてしまいます

来年はいよいよ、高校進学を決める大切な年になります。
このブログを始めるにあたって掲げた
『甲子園を目指す』―という始めの一歩にあたる
重要な年になります。

ちょっと後悔()もしていますが、
有言実行に近づけるように、
この冬を乗り越えてコーチや先生の期待に応えられるような
チームを牽引していけるような選手になっていって欲しいと
願っています


来年も皆様にとって幸多い年になりますように。

来年も宜しくお願い致します

年明け1月2日は毎年恒例、大学ラグビー準決勝を観戦に、
 国立競技場へ主人と行きま~す
スポンサーサイト
意識的に困難に立ち向かうイチロー
2010年12月31日 (金) | 編集 |
NHKのBS放送で、マリナーズのイチローが興味深いことを
言っていた。


『結果は困難を伴って出すべきものだ』―。  


多くの人々が、何かをやろうとしたとき
『自分のベストを尽くせば、結果はついてくる』と
考えるはずだ。

そう考える理由は、まず結果を意識しすぎないため。
結果の意識が強すぎると、
それが自分のパフォーマンスに悪影響を及ぼすことがある。
  
それを避けるためには無心で、できることに集中すべきだ、
という考えだ。


それとともに、こういうネガティブな考えもある。
結果が出なかったとき、
『自分はやることをやったのだから』
と納得する道具としての言葉だ。

その発想を、イチローは問題視するわけだ。
だから、結果とは意識的に困難に立ち向かい、
それを乗り越えてこそ得られるものだ、と語ったのだ。


実は、同じような考えをしているのが、来季からアスレチックで
プレーする松井秀喜だ。

『野球選手は結果でしか評価されない。
 打席で打てたか打てなかったか。
 それが全てです』―。

2010年のシーズンは、松井にとっては不満に満ちたシーズンだった。
開幕直後から不振に陥り、チームも優勝争いから
脱落していった。

『一瞬、このまま引退すると言い出すのではないかと
 思ったときもあった』―。
こう6月のどん底を振り返ったのは、
ヤンキース時代から苦楽を共にしてきた
広岡勲広報だった。

『彼はそういう意味ではシビア。
 ダメならダメと自分自身で言い訳を封じ込める部分がある』―。

常に常識的に自分を追い込み、瀬戸際で戦う。
そういう困難を乗り越えることによってでしか、
本当の結果は得られない―。
それがイチローと松井という二人のメジャーリーガーに共通する
心構えということだ。


アスレチックで迎える松井の2011年は、
『後がない』年となる。


『困難を乗り越えて』松井が結果を手にできるかどうか。

イチローの言葉が、妙に意味深く思えてきた。


       サンケイスポーツ 『球界インサイドリポート』より
                          鷲田康氏

「優勝チームに名捕手あり オフの選手移籍の要はやっぱり捕手
2010年12月26日 (日) | 編集 |
               田口元義 = 文 

今季のストーブリーグは、例年になく派手だと言っていいだろう。

星野仙一が楽天の監督に就任し、
メジャーリーグでも実績を挙げた岩村明憲、松井稼頭央の獲得と、
阪神時代を彷彿とさせる大型補強を敢行。
そして、金銭難からこれまで補強に消極的だった広島が、
ドジャースの黒田博樹や横浜の内川聖一の獲得に
名乗りを上げたことにも驚かされた。

なかでも、個人的に気になったのは捕手の補強だ。
今年、ロッテが日本一になって「捕手を補強すれば勝てる」
ことを教えてくれたことも、注目した理由のひとつである。

~ロッテの“下剋上”を縁の下で支えた、ある捕手の存在~

昨年オフ、橋本将がFAで横浜へ移籍したことにより、
ロッテの一軍レベルの捕手は里崎智也のみとなった。
そこでチームが目をつけたのが、
同時期にソフトバンクから戦力外を受けた的場直樹だった。

 この補強が見事にはまる。

レギュラーこそ里崎だったが、
その里崎がシーズン終盤に故障で離脱すると、
的場がしっかりと代役を務めた。

背景には、指揮を執る西村徳文監督の見事な采配が
あったのも事実だ。

里崎は投手の投げたい球種を投げさせ、
勝負どころでは直感でリードするタイプなのに対し、
的場はデータを尊重し巧みなインサイドワークで投手の能力を
引き出すタイプ。
この、両極端のふたりを西村監督はうまく活用した。

良い事例が、ソフトバンクとのクライマックスシリーズだ。

相手の手の内を知る的場に初戦を託し、
エース・成瀬善久を持ち前のリードでけん引させ勝利に導いた。
第6戦では、中4日の登板で疲労の残る成瀬に
気持ち良く投げさせるため、
そして、配球をガラリと変えるために里崎を起用。
結果、シーズンで対ソフトバンク戦未勝利だった成瀬は
同シリーズで2勝。
MVPに輝いた。

ロッテ日本一の原動力は、
切れ目のない打線と安定した投手陣であることは言うまでもない。
だが、このふたりの捕手、
特に的場の存在は非常に大きかった。

~ソフトバンクが西武の細川を獲得した理由とは?~

これで分かるように、捕手の場合、
明確な起用プランがなければ補強しても意味がない。

そういった意味では、
ソフトバンクが西武の細川亨を獲得したのは頷ける。

今年は、前年にチームトップの26本塁打を記録し正捕手となった
田上秀則が、二軍落ちするなど絶不調。
山崎勝己もリード面では貢献したが、
打撃では打率2割1分と精彩を欠いた。

城島健司がチームを離れてから自前の捕手がなかなか育っていない。
そのため、西武の正捕手として日本一を2度経験している細川は、
ソフトバンクにとって垂涎の選手であったことは言うまでもない。

細川の捕手としての能力を高く評価する野村克也は、
捕手の重要性についてこう簡潔に述べてくれたことがある。

「優勝争いするようなチームには必ずと言っていいほど
 優秀なキャッチャーがいる。
 『優勝チームに名捕手あり!』ですよ」

この言葉をソフトバンクに当てはめてみれば、
'03年以降日本一から遠ざかっているだけに、
チームとしてもウィークポイントはしっかりと認識していたことになる。

~阪神入りした藤井には「競争」よりも「役割」が重要~

ソフトバンクとは異なる事情で捕手を獲得したのが阪神だった。

左ひざの手術に踏み切ったため来季開幕戦まで間に合わないとされる
正捕手の城島の代役として、
楽天からFA宣言した藤井彰人に白羽の矢を立てたのだ。

藤井本人は、入団会見で
「城島の代わりとか言われているけど、
 自分の力で競い合って頑張りたい」と
正捕手取りに意欲を見せた。

 ただ、果たして本当に競争という舞台は用意されるのか?

城島は今シーズン、
全試合スタメン出場し打率も3割をマークした選手だ。
ひざが回復すれば即スタメンは必至。
そのため、打撃が課題とされる藤井を、
同じ土俵で勝負させるのはいささか酷な話ではある。

ならば、「競争」させるのではなく
「役割」を与えたほうがチームにとってプラスになるのではないか。

阪神といえば、'02年オフにも似たような補強を行ったことがある。
当時、不動のレギュラーである矢野輝弘がいながら、
日本ハムから野口寿浩を獲得。
同時期に金本知憲や伊良部秀輝といった大物選手を呼びよせながら、
監督の星野はきっぱりとこう言ってのけた。

「この補強で一番の収穫は野口や」

野口にそのことについて尋ねたことがあったが、彼自身、
「二番手という意識は全くなかった」という。
それは、監督から求められているものが分かっていたからだ。

~岩隈を支えた藤井は阪神若手投手陣をどう育てるのか?~

野口に課せられた大きな役割のひとつに若手の育成があった。
彼はそこで、自分の経験を伝えていった。

「データなどを見せながら、
 前の試合での投球を意識させていたと思う。
 前回の登板と同じシチュエーションでどんなボールが投げられるか。
 いい結果を出せれば成長だし、悪ければ集中力が足りない証拠。
 そんなことを言い続けていました」

その結果、上園啓史を新人王へ導き、岩田稔を2ケタ勝利に導くなど、
阪神投手陣の底上げに多大な功績を果たした。

藤井もプロを12年も経験したベテランであるし、何より、
楽天時代は岩隈という球界を代表する投手を支え続けた捕手である。
今の阪神若手投手陣にとっては絶好の「生きた教材」であることは確かだ。
藤井が野口のような役割を担うことができれば、
それだけで十分な戦力となる。

今シーズン、日本一を逃したソフトバンクと阪神は、
来シーズンへの第一歩として捕手を補強した。

両チームはそれをうまく生かせることができるのだろうか? 
「扇の要の支配力」が試される。  


【筆者プロフィール 田口元義氏】

1977年福島県生まれ。
元高校球児(3年間補欠)。
ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。
Numberほか雑誌を中心に活動。
試合やインタビューを通じてアスリートの魂(ソウル)を
感じられる瞬間がたまらない。
共著に「戦力外通告 プロ野球をクビになった男たち」、
同「諦めない男たち」などがある。

人気と戦力以外に必要なことがある!楽天が渡辺直人と共に放出したもの
2010年12月22日 (水) | 編集 |
             田口元義 = 文 


12月1日の契約更改交渉後の会見で過去最低の出場試合に終わった
今季を振り返り、
北楽天の渡辺直人は忸怩たる思いをぶつけた。

「今年は本当に自分でも納得していません。
 来年は競争になるけど、
 試合に出たら最高のパフォーマンスを出せるように
 自分を高めていきたい」

メジャーから松井稼頭央と岩村明憲が移籍してきたことで、
内野のレギュラー争いが激しくなることは覚悟している。
だからこそ、
「今まで自分がやってきた自負もある」と己を鼓舞した。

加えて、副選手会長に任命されたことでより一層、
責任感も芽生えた。
渡辺直には、ひとかたならぬ決意が漲っていた。

 そんな矢先、である。

9日、金銭トレードにより渡辺直が横浜へ移籍することが決まった。
理由として、
「ショートは松井稼とポジションが重なる。
 横浜でレギュラーとしてキャリアアップしたほうがいい」
という説明が球団からあった。

「来年も楽天でやりたい気持ちがあるなかで、
 仙台を離れるのは寂しい。横浜でも頑張ろうと思います」

渡辺直は、そう気丈に現実を受け止めたが、記者からの
「楽天ファンへメッセージを」という質問を受けると言葉を詰まらせ、
涙ながらに感謝を述べた。

「仙台のファンは本当に熱くて、温かく……応援してくれました」

~降って湧いたトレード話にチームメイトも動揺~

急転直下の移籍劇は、チームに波紋を呼んだ。

翌日の契約更改交渉に臨んだ選手のほとんどが、
渡辺直に惜別の言葉を贈る以上に、悔し涙を見せた。

公私ともに仲が良く、渡辺直を「師匠」と慕う鉄平は、
自身の契約にはわき目もふらず、
事態の説明を球団に求めたほどだ。

「直人さんがあんなことになって……。
 技術だけではなく、
 人間的に未熟だった自分にいろいろなことを教えてくれた先輩でした」

同期入団で、来季から「二人三脚で頑張っていこう」と
渡辺直と誓い合ったばかりの新選手会長の嶋基宏も、
涙ながらに語った。

「悩んでいるときに声をかけてくれましたし、
 来季も副会長としてサポートしてくれると言われていたので……。
 直人さんがいなくなってしまって、僕も悔しくて」

さらに翌日には、チームの精神的支柱の山崎武司ですら、
「プロだからトレードは仕方がありませんけど、
 出すべき選手ではなかったと思う」と、
球団に疑問を投げかけた。

 これで十分に伝わるだろう。

 彼はチームメイトから信頼される選手だった。
 そして、ファンから愛される選手であった。

渡辺がどれほどファンから愛されていたか。
それを裏付けるエピソードがある。

~渡辺の厚い人情を知るファンは球場で熱い声援を送った~

1年目のことだった。
同期入団のゴールデンルーキー・田中将大に
ファンが群がりサインを求める。
しかし、一部のファンが営利目的のため
ネットオークションで売却していたことを知った球団が、
公式イベント以外でのサインはしないよう全選手に通達した。

だが、渡辺直だけはサインをし続けた。

関係者の話によれば、
球団が困惑しながらやめるように言うと、彼はこう返答したという。

「100人にサインをして、99人がネットオークションで売ったとしても、
ひとりだけ本当に喜んでくれるファンがいるかもしれない。
だからやめません」

ファンは、そんな渡辺直の人情を知っているからこそ、
ホームゲームではどの選手よりも大きな声援を贈るのだ。

~派手さには欠けるが「フォア・ザ・チーム」を貫いた~

プレーヤーとしても、渡辺直は自分の持ち味を貫いた。

派手さはない。
だが、右方向へ打球を飛ばすために何球もファウルで粘り、
死球を恐れることなく思い切り踏み込んでインコースの球を打ちに行く。

出塁すれば果敢に次の塁を狙った。
4年通算97盗塁がその証。

上位、下位どの打線を任されても力を発揮した。

守備では、'09、'10年と2年連続でショートの守備率1位。
堅実かつ必死に打球に食らいつく守りでチームのピンチを幾度となく救った。

 渡辺直は、「フォア・ザ・チーム」の塊のような男だった。

 そんな選手が楽天からいなくなる。

~人気と戦力以外で、球団を支えている要素とは何か?~

 結局、球団はチームを強くすることを優先した。

監督が星野仙一になり、松井稼、岩村を獲得したことで
人気、戦力は底上げされた。
そのことで、来季は優勝争いに加わるかもしれないし、
ホームの集客率も上がるだろう。

だからといって、楽天がより
「ファンから愛されるチーム」になったかというと疑問符が残る。

渡辺直のように、
ファンと真摯に向き合う生え抜き選手がひとり、
またひとりと増えていくことで信頼関係が生まれ、
愛されるチームになっていくのではないだろうか。

なにより仙台を拠点とする楽天は、「地域密着型のチーム」だ。
バレンタイン解任騒動で揺れた'09年の千葉ロッテのように、
ファンの意思が形になって表れやすい。

今回の渡辺直の放出を教訓に、
球団にはそのことを少しでも理解してもらいたい。

【筆者プロフィール 田口元義氏】

1977年福島県生まれ。
元高校球児(3年間補欠)。
ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。
Numberほか雑誌を中心に活動。
試合やインタビューを通じてアスリートの魂(ソウル)を
感じられる瞬間がたまらない。
共著に「戦力外通告 プロ野球をクビになった男たち」、
同「諦めない男たち」などがある。

選手の発掘はチーム強化の第一歩。プロ野球スカウトに正当な評価を!
2010年12月16日 (木) | 編集 |
         氏原英明 = 文 

世間では一般的に知られているスカウトという存在――。

チームを強くする一番の正攻法はスカウト部門の強化である。
チームの土台を作るスタートは新人選手獲得であり、
スカウトの力量こそが、チームを強くする重大な要素になる。

 たとえば、今年の日本シリーズ。

優秀選手賞を獲得した千葉ロッテ・清田育宏、
中日・大島洋平のルーキー二人は、
ともにドラフト下位指名選手である。
誰しもがその善し悪しを判断できる上位指名選手とは違い、
下位指名選手にこそスカウトの眼力に差が出るというものだが、
彼らをリストアップしたスカウトは大きな仕事を果たしたといえる。

しかし、その割にはスカウトの功績が大きく謳われることはない。
選手が活躍すれば、時の人として取り上げられるのは、
指導したコーチであり、使い続けた監督であると言われるのがほとんどだ。
プロ野球が「プロの集団」である以上は、
スカウトという仕事も、
優勝のための不可欠な存在として認められるべきである。

 常々、思うのである。

 スカウト業の地位が向上しないものか、と。

誰もがその存在を知っていながら、
決して表に出てこないスカウトという仕事は、
もっとスポットライトを浴びるべきではないのか、と――。

~一流選手を発掘しても評価されにくいスカウトの仕事~

千葉ロッテで言えば、
'02年のドラフト1位、西岡剛の担当スカウトも大きな仕事をしている。

大阪桐蔭高時代の西岡の評価は当時で「3位程度」
というのが評判だった。
特に西岡が高校3年生の頃は、
大学4年が松坂世代に当たっていた時だった。
そういう事情もあり、
多くの球団が自由枠での大学生獲得に走ったのだが、
千葉ロッテは西岡の才能を見抜き、1位指名を断行した。

西岡のこれまでの活躍は言うまでもない。
今年は200本安打を達成し、日本一に貢献。
メジャーのポスティングにかけられるほどの選手になった。
彼の一本釣りに成功したスカウトは、
かなりの目利きだったといえる。

もちろん、一人のスカウトの力だけで指名が決まるわけではないが、
自チームの育成システムを理解し、
ウチなら伸びると評価を上げた人物の眼力には、
プロフェッショナルを感じずにはいられない。

しかし、西岡を評価したスカウトの名を、
野球ファンは知っているだろうか。

西岡に限らず、清田や大島を評価したスカウトが誰であるのか――。

知る者は業界の人間しかいない。
ここで挙げた選手たちをスカウトした人物を公表したいとも思うが、
実際には所属する球団による説明や推薦が必要になってくると思われる。

~成果を上げればGMにもなれるメジャーのスカウト~

これを、アメリカの場合を例に取ってみると具体的で面白い話がある。

メジャースカウトの話では、ある選手に対して、
サインしたスカウトの名は残っていくのだという。
たとえば、獲得した選手がオールスタープレイヤーや
サイ・ヤング賞などのタイトルを取ると、
スカウト自身の名も上がっていく。
箔が付いていくのだ。

スカウティング能力が認められ、成果を繰り返していくと、
やがてはGMという夢までつかむことができる。
もちろん、逆もあり、
「下位指名」と評価した選手が他球団で上位指名され、
オールスタープレイヤーにでもなったりするとやり玉に挙げられるのだが、
そうした仕事に対しての評価が明確にあるから、
メジャーのスカウトはやりがいを感じているのだそうだ。

「みんなで、選手を獲得する」のが日本流だが……。
とはいえ、これをそのまま日本に当てはめられるかというと
そう簡単にはいかないだろう。
ある日本球団のスカウトにこうした評価を
日本でもやらないのかと尋ねると、きつく言い返されたものだ。

「いや、そんなことをしたら、それぞれのスカウトが、
 いい選手ばっかりしか見に行かなくなって、
 スタンドプレーに走るでしょう。
 スカウティングはそういう問題ではない。
 みんなで、選手を獲得するんだから」

アメリカと日本の文化の違いを考えれば、
話を同じ土俵にあげてはいけないかもしれない。
功績に対しての評価をどう明確にしていくかは
各球団の方針によるとしても、
「スカウトの仕事はもっと評価されるべきものである」
という機運だけでも日本の野球界にあっていいのではないだろうか。

現状を変えうる手立てとしては、
毎年シーズン前に各新聞社・出版社から発行される
あの手のひらサイズの選手名鑑に、
担当したスカウトの名前を載せるという方法もある。
それを実現するためには球団の協力が必要だが、
スカウトという仕事は特別なものだという評価を
与えるためにもぜひ実現してもらいたい。

~スカウティングの正否は必ず数年後に判明する~

今年のベストナイン、各タイトルのメンバーの中には
上位指名選手だけでなく、下位指名の選手もいた。
セ・リーグの首位打者、6年連続のベストナインを獲った
ヤクルト・青木宣親は'03年のドラフト4位指名である。
この年は鳥谷敬(阪神)が目玉だったから、
多くのスカウトは鳥谷と早大の同級生・青木を見ているはずだが、
ヤクルトのスカウトはよく見抜いたといえる。

この他にも、パ・リーグの三塁手でベストナインを獲得した
小谷野栄一(日ハム)は'02年のドラフト5位、
2年連続で最優秀中継ぎ投手に輝いた攝津正(ソフトバンク)は
'08年のドラフト5位である。
また、セ・リーグの投手部門を総なめにした
広島・前田健太は順位こそ1位であるとはいえ、
当時の高校生ドラフト1位指名選手では唯一の単独指名選手だ。
田中将大(楽天)や堂上直倫(中日)、増渕竜義(ヤクルト)らに
注目が集まる中、
一本釣りを成功させたスカウトの眼力は評価されてしかるべきだ。

~チーム作りの中核を担うスカウトにより高い評価を!~

実際、現場にいると、熱心なスカウトがいる半面、
残念な話だが……だらしないスカウトがいるのも事実である。
試合をほとんど見ずに、居眠りしているか、
しゃべっているだけの人がいる。
一生懸命に仕事をこなしているスカウトが、
そういう人たちと同じような評価しかされないのはプロではない。

メディアやファンが、
あるスカウトの目利きに一目を置くようなことがあっていい、

良い仕事をしているスカウトは
美味い飯が食えるというようなことが、実際、あっていい。

 そう思うのだ。

スカウトという仕事は、
チーム作りの中で重要な役割を占めているのだから……。



【筆者プロフィール 氏原英明氏】

1977年ブラジル生まれ。
奈良大学を卒業後、地方新聞社でのアルバイト勤務を経て、
フリー活動を開始。
高校野球を中心に活動を続けるが、
野球を通じた人間性、人生観を伝え続け、
Numberのほかに野球専門誌で活躍。
WEBの世界でも「人間力×高校野球」(高校野球情報.com)
と題したコラムを連載している。

青木宣親 己の才能を証した日
2010年12月15日 (水) | 編集 |
偉大な記録は、当たり前のように静かに打ち立てられた。
9月26日、青木宣親はプロ野球史上初、
2回目の年間200本安打を記録した。

この偉業が大きく騒がれなかった背景には、3人の存在がある。
史上最大の下克上を果たし206本を打ったロッテの西岡剛。
イチローの210本を抜いて214本の新記録を作った
阪神のマット・マートン。
そして最多安打の本家イチローが3日前にMLBで10年連続200本安打を
達成したことが、青木を小さなニュースにしてしまった。

しかし、彼が西岡やマートンと決定的に違うのは、
これが2回目ということだ。
イチローですら、日本では200本安打は'94年の1回だけ。
その210本を「無邪気に野球をやっていたときの記録」
と位置付けるイチローの言葉が、
狙って打つことの難しさを物語っている。
なぜなら、相手から執拗にマークされる日本では、
露骨に厳しいコースを攻められるからだ。
事実、イチローの死球は翌'95年に18個に増加。
今年の青木も18死球だった。ちなみに西岡は4、
マートンは3死球しかない。

~2度目の偉業達成後、イチローが語った祝福の言葉~

青木の打撃開眼は、
最初に200本超えを記録した'05年の春に遡る。
前年、新人としてファームで首位打者に輝いた青木は
自信を持って新シーズンを一軍で迎えた。
ところが開幕からさっぱり打てない。
それどころかバットに当たらず三振の山を築いていく。
叩きつけるバッティングでゴロを打ち俊足を生かすのが彼のスタイル。
ところが、ゴロも打てないのだから、
まったく打つ手がない。

このとき青木は、常識の真逆を敢行する。
本人曰く「上から叩いてもダメなので、
下からしゃくりあげるくらいのつもりで振ってみようと思ったんです」。
すると、どうだろう。これが自身の感覚にぴったりくる。
ボールを十分に引き付けて身体の前で自在に対処できる「間」が
手に入ったのだ。  

本人はその感覚を
「テニスのラケットのようにボールを面で打てるようになった」と言う。
上から叩く斜めの軌道だと、ボールと出会う接点は一点しかない。
ところが下から振ろうと意識することで、
バットは早めに水平軌道に入り、
ボールを線でとらえることができるようになったのだ。

  
2度目の偉業達成後、イチローは
「打席に入ることの怖さを知ったうえでの200本なのだから、
 すごいことだよ」と祝福した。
200本を目標に据え、
それを達成することの難しさを知る者だけが感じる、
怖さと共感がそこにある。
孤高のイチローの背中を青木がとらえた日とも言えるだろう。

【青木宣親 Norichika Aoki】

1982年1月5日生まれ、宮崎県出身。
早稲田大学卒業後、ドラフト4巡目でヤクルトに。
'05年、イチロー以来2人目となる年間200本安打を記録。
今年、209安打でプロ初2度目の200本安打を達成した。
175cm、80kg

咆哮する猛虎メディアを手懐けた、城島健司の言葉を尽くすプロ意識
2010年12月06日 (月) | 編集 |
                 氏原英明 = 文 


初っぱなのヒーローインタビューからして痛快だった。

 開幕戦でのことである。

「長崎県佐世保市から来ました城島健司です。
 (中略)いい時も、悪い時もありますから、悪い時は、みなさん、
 お手柔らかにお願いします」

今年、阪神に入団した城島は開幕戦で3安打4打点のド派手なデビューを飾って
お立ち台に上がると、そういってファンを喜ばせたのである。

翌日にはサヨナラ本塁打を放ち存在感を見せつけると、
全144試合に出場し、シーズン3割3厘28本塁打を記録。
ゴールデングラブ賞も獲得した。
11月21日にはチームの勝利に貢献するプレーをした選手に贈られる
「ジョージア魂」賞の年間大賞に選出された。

 つごう1年で、完全にタイガースファンの心をつかんだのである。

~関西の虎メディアをも魅了する城島の豊潤な言葉~

いや、ファンだけではない。
きわめて特殊と言われる“タイガース・メディア”でさえ、
同様なのである。
彼の放った輝くようなパフォーマンスと、
開幕戦に代表されるような痺れる一言一句の虜になっていた。

「ジョーさんはプロ中のプロですよ。
 どんな時でも、質問に答えてくれますし、話が面白い。
 多分、数えてもらったら分かると思いますが、負けた翌日の紙面は、
 ほとんどジョーさんですよ。
 負けても話してくれるんです。
 本当はそうあってはいけないんでしょうけど……。
 もちろん活躍すれば載りますし、
 1週間でどんだけジョーさん使うねんって感じですよ」

 とは、あるトラ番記者の証言である。

今季、城島はどんな試合になっても、メディアの前に立ち続けてきた。
勝った時はもちろん、敗戦の責任が自身にありそうな時でも、
矢面に立って来た。
敗戦時には口数が少なくなる選手が多い中、
彼だけはどんな時も必ずメディアの前で口を開いてきたのである。

その心構えは、まるでインタビューに答えることが
プロのアスリートの仕事であるかのようだった。

~過剰なまでのタイガース依存が選手とメディアの軋轢を生む~

 プロ野球選手とメディアの関係―――。

中日・落合監督とメディアの関係があまり良くないということが
漏れ伝わってくることはあったが、
タイガース・メディアもこれまでそう上手くいっていたとは言い難い。

一部主力選手が新聞報道に掲載された自身のコメントを、
ブログで真っ向から否定するということが、かつて何度かあった。

そういう不幸な出来事の裏側を今までの経験から推測すると……
上司から「何が何でもコメントを取ってこい」と厳命を受けた記者が、
口数の少ない選手の声を断片的に拾って記事を書くからそうしたことが
起こるのだろう。
ひどい場合は、質問にちょっとうなずいただけでも、
あたかも選手が話したかのように書く場合もあると、聞いたこともある。

お互いが仕事だという観点に立ち返れば、
ユニフォームを着ている以上は勝った時しか話さないというのは、
プロのアスリートとしての務めを果たしていないといえる。
しかし、だからといって、記者が都合のいいように
記事を書いていくというのも大問題である。
どちらが悪いかという問題ではなく、
そうした悪循環が渦巻いていることが、いびつな現象を導くのだ。

~記者の問いかけに野球哲学で応答する城島のクレバーさ~

記者とのやりとりという点においても、城島の取材は非常に面白い。

彼はただ質問に答えているのではなく、
一人の選手として野球についての「語り」を入れてくれるのだ。

例えば、6月4日のオリックス戦で下柳の好投を引き出すと
「やっぱりピッチャーはストレートですよね。
 どれだけ、変化球がいい投手だって言っても、ストレートが走らないとね。
 下さん(下柳)もそう感じたでしょうね。
 まぁ、下さんは、前から分かっていたでしょうけど」と答えた。

7月20日の広島戦では、延長10回表、1死一、三塁のピンチで、
相手のスクイズのサインを見破りながら、
ウェストした球をバットに当てられたことがあった。
「やってはいけない失敗だった。
 バットに当てられないところに投げさせないといけなかった。
 僕の指示で野手の全員が動くわけだし、そこは反省しないといけない。
 敗因にならなかったことだけが救い。
 打ってくれた野手に感謝です」といった風だ。

~理路整然とした城島の言辞にはメディアも襟を正す~

とはいえ、城島はただ従順に対応してきただけではない。
的を射ないメディアの質問に対し、真っ向から反論することもあった。

6月5日の対オリックス戦、
9回裏、4-9で負けている状況で一塁走者だった城島が二盗を決めた。
試合の大勢が決まっている展開で盗塁をすることは
「挑発行為だとオリックスの岡田監督を怒らせたのではないか」
という質問が飛ぶと、城島は言い返した。

「岡田さんが言っているのは
 勝っているチームが負けているチームにした時に問題だと
 言っているんでしょう。
 勝っているチームが譲る塁は行くでしょう。
 アメリカだろうが、日本だろうが。
(遺恨について)みなさんが騒いでいるだけで、
 やっている選手は意識していないですよ」

6月30日の中日戦ではチェンに抑えられ、
「今年チェンの調子は良くないけど、今日は良かったですね」
と問われると、城島は血相を変えた。

「誰がそんなこと言ったの? 俺言った? 言ってないよ。
 チェンは前からもずっといいよ、いい投手だよ」

こうしたやり取りを繰り返していくと、
メディアの方も城島と向き合うようになる。
紙面を埋めるだけのコメントを取るような当たり前の質問を避けるようになるのだ。

城島はシーズン中盤以降、常に
「今日の勝負どころ」について語るようになったのだが、
それが記者の方からも的を射た話がでると、城島はにっこりと笑ったものだ。

「そこだよ、俺もあの場面が勝負どころだと思ったよ。
 分かるようになったんじゃない」

 そう言った後は、すらすらと試合を振り返るのである。

まさに、これがメディアと選手との友好な関係なのだろう。
選手はある一定の時間を割いてくれる。
一方で、聞く方も節度を持って質問する。

そこにあるのは、どちらもプロフェッショナルという意識である。

~プロとしての姿勢を言葉で表現することの重要性~

この1年間、城島がそうしたプロフェッショナルな姿勢を保ち続け、
メディアもそれに応えた。
だから、両者の関係は友好だった。

城島が作り出した選手とメディアの関係は、
タイガース・メディアを変えるきっかけになるかもしれない。
もちろん、城島に度量の大きさがあったことは確かだが、お互いがプロフェッショナルであるという姿勢を保ち続けられれば、城島以外の選手であっても、
彼らが野球の世界にいるプロなんだということを、
その語りの中から得られるのではないだろうか。

コメントされてから数日後に選手が真っ向否定するような、
いびつな関係ではなく友好な関係でつながっていくように……。

そのあるべき姿を、城島はこの1年で示してくれた。
そんな気がしている。

このシーズンオフ、城島に膝の半月板損傷が発覚した。
最悪の場合、来シーズンの開幕に間に合わないそうだ。
せっかく、城島がいい雰囲気を作ってくれたのにと、
そういう想いもするのだが、あの城島である。
来季の開幕には元気に顔を出し、冗談っぽく言ってくれそうな気がする。

「みなさんが大げさに書きすぎなんですよ」と。


プロとアマ 交流加速へ
2010年12月04日 (土) | 編集 |
慶大の主砲、伊藤隼太(3年)は今春の東京六大学リーグで
打撃不振に陥った。
一人、悩み苦しんで、バットを振っても出口が見えない。
そんな時、就任1年目の江藤省三監督が声を掛けてくれた。

『体重が尻にかかりすぎているよ』―。

その言葉をもとにフォームを修正すると、
状態が良くなっていった。

巨人、ロッテ、横浜でコーチを歴任した江藤監督が、
母校の慶大に招かれたのは昨年12月。
『春はまだ選手に遠慮があった』
と指揮官は振り返る。
それが、最初のシーズンで11季ぶりの優勝を果たすと、
監督と選手の距離はぐっと縮まった。

秋、再び調子を崩した伊藤は、
今度はすぐに江藤監督に助言を求めた。
『うまく間が取れないんですけど、どうしたらいいですか?』―。

監督の指示で、内野へノックを繰り返し打った。
フリー打撃ではバスターの構えから打つようにした。
バットの出方を確認し、十分に間合いを取るためだった。


江藤監督はプロ野球生活で、米国への留学、スコアラー、
スカウト、査定担当など、様々な職務を経験した。
伊藤は言う。
『持っている引き出しの数が違う。
 知識が豊富で、本当に学ぶことが多い』―。
今では、多くの選手が個人指導を受けるようになった。

投手担当として支える竹内秀夫・助監督は、
江藤監督の勝負勘の鋭さに舌を巻く。
『ベンチから見ていて、投手と打者の呼吸が合うのが分かると言う。
 そういう時は(選手を)代えた方がいいと。
 それがまた当たるんです』―。
プロの厳しい世界で研ぎ澄まされた感性を采配に生かし、
秋は宿敵・早大を優勝決定戦まで追い詰めて神宮を沸かせた。


『学生野球の憲法』と言われる日本学生野球憲章が今年2月、
約半世紀ぶりに全面改正され、
長く垣根で隔てられていたプロとアマの交流が
解禁される方向になった。
プロ出身者のアマ復帰の条件も緩められる見通しで、
江藤監督のような指導者がさらに増えれば、
学生野球のレベルアップにつながるはずだ。

プロと大学の試合や合同練習が来春をめどに解禁されそうだ。
江藤監督は、
『プロの投手のスピードや打者の飛距離を目の前で
 見せてあげたい。
 高いレベルのプレーを見れば、もっとやる気が出るはず』
と期待を寄せる。

プロとアマが手に手を取って、日本野球の質を高めていく。
新たな時代は、すぐそこまで来ている。


12月3日 読売新聞 『2010 球景』より
                   山脇幸二氏
セ・パの最多安打男が語る 200本超えで見えた新世界
2010年12月02日 (木) | 編集 |
イチローが日本球界に残した200という指標を、今季
新たに二人の打者が超えた。奇しくも、ともにプロ8年目。
“超一流”への階段を彼らは着実に昇り始めている。

200という数字は16年前、イチローが到達するまで、
日本のバッターにはピンとこない数字だった。
いや、20歳のイチローが200本のヒットを打ってもなお、
それは突風に過ぎないという距離感だったろう。

 それが、変わりつつある。

イチローはメジャー2年目から、
この数字をシーズンの目標として口にし始めた。

『日本では考えられない数字だったかもしれませんが僕は打ちましたし、
 こちらでは年間に何人も出ているわけですから、
 そんなにビックリする目標ではないと思っています』

今や、日本でもその数字は突風ではなくなった。
'05年に青木宣親(ヤクルト)が、
'07年にアレックス・ラミレス(当時、ヤクルト)が200安打をクリアしたが、
今年はなんと一挙、3人がこの数字に到達したからだ。
2度目の200安打を達成した青木(209安打)、
206本の西岡剛(ロッテ)、
そして214本を打ってイチローの記録を破った、
マット・マートン(阪神)である。

~27度の猛打賞で、イチローの持つプロ野球記録を超えた西岡~

 今季、パ・リーグの最多安打は206本。

トップバッターとしてチームを牽引した西岡は、
レギュラーに定着してから6年目になるが、去年まで、
シーズン150本をクリアしたことさえなかった。

「200本を打った打席、1番、西岡ってアナウンスされた瞬間、
『ああ、この打席で決めてしまうなぁ』って自分でわかっちゃったんです。
 ホントなんですよ(笑)。
 集中して自分の世界に入り込んでいたら、
 球場がスタンディングオベーションに包まれて、
 おめでとうって言ってもらう映像がパーンと入ってきたんです。
 だから僕、この時間を大切にしようと、
 ピッチャーが構えた瞬間にわざとタイムをとったり、
 打席で構えるまでの時間をいつもより長くしたりして、
 雰囲気を味わってました。
 あれがゾーンに入っていたということなのか……
 不思議な体験でしたね」

200安打だけではない。
西岡は、打率.346で首位打者も獲得。
シーズン27度の1試合3安打以上は、
'96年にイチローが記録した26度のプロ野球記録を超えた。

「猛打賞ですか(笑)。そんな記録があるんだって、初めて知りました。
 でも歴史に名を刻めるわけですから、
 イチローさんの数字は、超せるものなら超したいと思いましたね」

~小学生の頃から憧れてきたイチローへの想い~

イチローは、第1回のWBCで同じ釜の飯を食った
『青木、ムネ(川崎宗則)、西岡』の3人の名前をよく口にする。
西岡が自らの猛打賞の記録に並んだ時も、
『はよ抜け、抜いて大喜びしろ、まだ早いよ』と檄を飛ばした。

「僕、別に喜んでなかったんですけど(笑)。
 でも、イチローさんは憧れの選手です。
 小学生から高校生になるまでずっと首位打者で、
 それをテレビで見てたわけですから、リスペクトしちゃいますよ。
 ただ、憧れで終わってしまうのは、
 イチローさんの数字には絶対に届かないって決めつけてるのと同じですから、
 それでは自分の成長をストップさせてしまいます。
 結果が出たのは1年だけだし、首位打者も200本を打ったのも1回だけ。
 来年以降、野球人生を終えるまで
 コンスタントに成績を残していかなければ、
 超一流という場所には行けません」

~チームが空中分解の危機の中、西岡自身も自分を見失っていた~

 飛躍のきっかけは、去年の悪夢だった。

ボビー・バレンタイン前監督の進退について
フロントやファンを巻き込んだ騒動は、選手にも悪影響を及ぼした。
チームがバラバラになるという危機感の中、
思うように自分の数字を伸ばせない西岡は、思い悩んでいた。

「去年はつらくて、野球、辞めようかと考え込むくらい落ち込みました。
 打てなくなって、やっとバッティングがつかめたと思ったらケガして……
 WBCのメンバーから外されて、
 燃えたのが空回りしたんだと言ってくれた人もいましたけど、
 そんなんじゃない。
 僕自身、ロッテのユニフォームを着て、グラウンドに立って、
 ファンの方に声援してもらってる、
 その意味を感じにくくなっていたんです。
 自分を見失って、打席に立つのが怖かった。
 自分って弱い人間だと、初めて感じました」

200本を打つ1年前のことだ。
ヒーローインタビューを受けた西岡は、
監督解任反対、フロント批判の横断幕を出した一部のファンに対し、
『大人になったらこういうところでプレーをしたいと
 頑張っている子どもたちの夢を崩さないで』
『本当にロッテを愛しているんなら、明日から横断幕を下げてほしい』と、
お立ち台を降りて、直接、呼び掛けた。

~飲み屋から心配されるほど酒を控えた今シーズン~

「あれだけの言葉を口にした以上、自分はどうしなくちゃいけないのか、
 今年の自主トレのときからすごく考えてきました。
 だから今年は、シーズンが始まるのが怖かった。
 去年までだったら休みの前の日は朝まで飲んだりしてましたけど、
 今年はまず、お酒を遠ざけました。
 シーズン中はほぼ、飲んでないです。
 24時間、野球のことを常に考えておこうと……だから、
 飲み屋の女の子たちから、どうしたのって言われましたよ(笑)。
 最近は世の中の景気が悪くて、銀座に飲みに出なくなる社長は
『会社が潰れたのかな』って思われるのに、
 僕らは『野球に集中して頑張ってる』って思われるらしいんです。
 だから、野球選手っていいよねとも言われましたけど(苦笑)」



~1年目で記録を塗り替えたもうひとりの天才~

 今季、セ・リーグの最多安打は214本。

イチローの持つシーズン210安打の日本記録を16年ぶりに塗り替えたのは、
メジャーで期待されながらチャンスをつかみ切れず、
今年、日本にやってきたマートンだった。

「僕のキャリアの中で、
 1シーズンに同じチームで600回以上も打席に立つことができたのは、
 今年が初めてだった。
 だからこの668という打席数は、
 素晴らしいチャンスを与えてもらった証拠ということになるね」

マートンは、メジャーでも陽の当たる道を歩くべき野球エリートだった。
'03年、ドラフト1巡目でレッドソックスに入団したマートンは、
'04年、カブスに強く望まれて大型トレードに組み込まれた。
'05年にメジャーデビューを果たし、
'06年はレギュラーとしてレフトを守ってカブスの人気者となる。
しかし'07年以降は、長打力を重視するチームの方針もあって、
出場機会が激減した。

「メジャーのルールや契約の犠牲になって、
 アップダウンを繰り返すだけだったアメリカでの日々に別れを告げて、
 僕は28歳でキャリアを再び軌道に乗せるチャンスを
 日本に与えてもらった。
 本当にクールな1年だった。
 今年、214本のヒットを打てたのにはいろんな理由がある。
(日本語で)カミサマハワタシノチカラデス……
 神の存在もその理由の一つだし、天から授かった能力、日々の努力、
 出場機会を得られたこともそう。
 すべてが214本の要因になっているんだと思うよ」

~マートンとイチローが対戦した唯一の公式戦~

今から3年前の、'07年6月12日。

マートンはこの日、6番ライトで先発しながら3打数ノーヒットで、
終盤のチャンスに代打を送られた。
そして試合後、
メジャーに定着してから初めてのマイナー落ちを言い渡される。
屈辱の一日――実は、この日の試合はマリナーズ戦。
マートンとイチローが同じグラウンドに立った、
唯一の公式戦だった。

「いや、覚えてないなぁ。
 スプリングトレーニングでマリナーズと対戦した時のイチローなら
 記憶にあるけど、シーズン中のことは思い出せない。
 完全に記憶の外だね。
 普通は誰とどこで対戦したのかはよく覚えているんだけど……
 ちょうど自分が苦しかった時期と重なっているから、
 当時の記憶は意識して削除してしまったんだろう。
 マイナーには何度も落とされては這い上がってきたから、
 いちいち覚えてなんかいられないよ(苦笑)」

メジャーとマイナーを行ったり来たりの選手が、
日本での1年目にイチローの記録を超える214本ものヒットを放った。
イチローはマートンについて訊かれたとき、
『なんとなく名前を聞いたぐらいの選手が日本に行って
 1年目で210を打つというのは、ちょっと衝撃ですよね』と語り、
さらにこう続けた。

「アメリカをナメちゃいけないなと思わされます」(イチロー)
『それでも(試合数が違っても)難しい数字ですから、
 凄いと思います。ビックリしますよね。
 WBCで日本が勝ったり、
 メジャーにも(日本人選手が)何人か来るようになって、
 傍から見ると急激に距離が縮まった印象なのかもしれませんけど、
 この事実には、アメリカをナメちゃいけないなと思わされます』

 このイチローのコメントについて、マートンはこんなふうに話した。

「選手にとって最も重要なことは、
 試合に出場する機会を手にするということ。
 自分にとって、その機会を与えてくれたのは日本の野球界だった。
 イチローは、僕がメジャーでの実績がないまま
日本に来たって言うけど、
 でも、日本に来る前の僕にはチャンスが与えられて
いなかったんだから、
 メジャーで数字を残す力があったのか、なかったのか、
 誰にもわからない。
 僕は日本の野球はハイレベルだと思っているし、
 アメリカと日本の差はアメリカ人が思っている以上に
縮まっていると思う。
 それぞれの野球に違いがあることは事実だけど、
 どちらかが一方的に上だという話ではない。
 ただ、フクドメ(福留孝介)が日本から来て、
 入れ替わりでカブスを去った自分が今、
 こうして日本でプレーしているんだから、
 運命って不思議なものだと思うよね」

~二人に共通する「詰まることを恐れない」という価値観~

もちろん、心の持ちようだけではない。

西岡とマートンが葛藤を乗り越えることができた裏には、
技術的な裏付けがあった。
イチローが生み出した“200”という価値観に挑み、
クリアした二人には、イチローのバッティングとの共通点が
あったのだ。
イチローが初めて世に発した
『詰まることを恐れない』という価値観――西岡はこう言った。

「初球からどんどん振っていくというスタイルを崩さずに、
 ボール球をしっかり見極めようと考えました。
 そのために今年は、打つポイントを身体に近づけようと
意識したんです。
 今までは、当たれば飛ぶという理由で
 身体の重心をボールにぶつけにいって、前で捌いていました。
 でも、それでは変化球に泳がされるし、ボール球にも手が出て、
 空振りも多くなる。
 だから、ポイントを近くしたんです。
 その分、差し込まれて詰まる恐れもありますけど、
振り切ればいい。
 しっかり振り抜いて200本を打つんや、
 というところは絶対に譲らんとこうと思ってました」

 一方のマートンも、こんな話をしていた。

「詰まることを恐れないという意識は重要だよ。
 優れたバッターは、詰まることを怖がらない。
 意識すべきは両手の軌道であって、
 打球の強さよりも手の動きが正しかったかどうかが重要になるんだ。
 常に正しいスイングをして、
 適切な角度でボールを捉えられるかどうかを強く意識する。
 結果として、詰まって内野の頭を越えるポテンヒットに
なったとすれば、
 それがまともなスイングだったという証になる。
 スイングが悪ければ、内野ゴロに仕留められてしまうのが
オチだからね」

~西岡とマートンが立った野球人生、二度目のスタートライン~

知らず知らずのうち、
イチローの価値観を道標にバッティングと向き合い、
200という大台を初めて超えた二人。
溢れんばかりの才能を持て余し、
チャンスを生かし切れなかったもどかしさを、
西岡とマートンは今年、ついに振り払うことができたのだ。

「今年は僕の野球人生で、初めて自分の実力を存分に、
 フルに出せた年だと思います。
 でも、もっと早いうちに気づいて、もっと野球にのめり込んで、
 もっと野球をナメずにやっていれば、もっと、もっと……」(西岡)

「自分には能力があると思っていたし、自信もあった。
 でも、努力なくして成功はあり得ない。
 日本に来たときも、全力で取り組む覚悟ができていた。
 アメリカでの境遇を悔やんだりするヒマはなかったんだ」(マートン)

“200”という未知の世界に足を踏み入れた西岡とマートンは今、
野球人生、二度目のスタートラインに立つことができた。
孤独と向き合わなければならない、
超一流の世界へのスタートラインに――。



ベースボールファイナル2010 【シリーズMVP】 今江敏晃
【クローズアップ】 成瀬善久/清田育宏/和田一浩/谷繁元信
【指揮官の戦い】 落合博満×西村徳文
【全7戦プロフェッショナル解説】 工藤公康/立浪和義 ほか
【2010日本野球総括】 西岡剛×マートン/城島健司×矢野燿大/
 和田毅×杉内俊哉/斎藤佑樹

特価:560円(税込)