日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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日本シリーズの格
2010年10月30日 (土) | 編集 |
中日VSロッテ。
今年のプロ野球日本シリーズは、
なんとも渋い組み合わせになった。
パ・リーグでレギュラーシーズン3位のロッテに、
セ・リーグ優勝の中日が負けたら、
“格付け”は『パ4位』という理屈になり、
負けるわけにはいかない。
玄人受けはするだろうが、1,2戦は地上波テレビによる
全国中継がないというのが寂しい。

本紙専属評論家の江本孟紀氏はいう。
『クライマックスシリーズを細切れにやっている結果、
 日本シリーズの格が落ちているからだ。
 以前の1シーズン制のときは、ふだん人気のないチームでも
 シーズンの格でファンもテレビ中継は見た。
 目先の利益ばかり追っているからこうなる』

格の低下に加え、中日では全国的な高視聴率は望めないとか。
観客動員でも今季のレギュラーシーズンの数字を見ると、
セの3強では阪神、巨人がほぼ昨季と同じなのに
中日(219万3124人)だけは約10万人以上減らした。
企業が不況で年間ボックス席を手放したこともあるが、
落合監督の不人気も一因と聞く。

中日を率いて7年。
うちリーグ優勝3回、07年にはCSから勝ち上がって
日本一にもなった。
野球理論や監督術では文句なしの一流監督だ。
しかし、ホームランが出ても仏頂面で腕組みしたまま
出迎えもしない。
ファンあってのプロ野球、チームを代表する監督なら、
オーバーアクションの一つくらいあってもいい。

楽天監督に就任した星野仙一氏が根強い人気があるのは、
アクションの分かりやすさかもしれない。
かといって、落合監督が突然ファンを喜ばせる
『面白い野球』をやるはずもない。
渋く堅い野球でも、格を感じるシリーズにしてもらいたい。


       サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                     今村忠氏
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メジャー挑戦日本人内野手 求められる二塁手の資質・・・
2010年10月25日 (月) | 編集 |
日本人選手がメジャーで遊撃手としてプレーすることは、
ほぼ無理だと思った。
それを実証するような、すごいプレーを見たのだ。
ナ・リーグ優勝決定シリーズの第4戦。
同点の9回、フィリーズの先頭打者の放った三遊間のゴロを、
ジャイアンツのウリペべ遊撃手が深い位置で好捕。
そのままノーステップで一塁にノーバウンド送球をして刺した。

この超美技で9回を無失点に切り抜けたジャイアンツは、
その裏、ウリペがサヨナラ犠飛を打ち上げ、
リーグ制覇に王手をかけた。

『日本人には無理です』
こう日本人遊撃手の可能性を否定したのは、
ロッテの井口だった。
井口自身はダイエー(現ソフトバンク)時代に
遊撃手から二塁に転向。
05年にホワイトソックスに移籍後も二塁手としてプレーしてきた。
だが、ニ遊間でコンビを組んだメジャーリーガーを
つぶさに見て、この結論に達したという。
『身体能力が違いすぎる。
 単純な肩の強さだけでなく、捕球してから、
 そのまま踏ん張って投げられる下半身と体幹の強さ。
 メジャーではそういう体の強さを一番求められるのが、
 ショートなんです』―。

過去には西武でゴールデングラブ賞を4度もとった松井稼が、
メジャーでは遊撃手としては全く通用せず、
二塁にコンバートされた。
遊撃ばかりか、三塁手として海を渡った元ヤクルトの岩村も、
二年目には二塁手となった。

この事実が何を示すのか?
それはこれからメジャーに渡る日本人内野手に求められるのは
二塁手としての資質で、
メジャーのスカウトたちも、
必ず二塁手としての適性をチェックしているということだった。

ポスティングシステム(入札制度)でのメジャー移籍を希望する
ロッテの西岡も、おそらくメジャーでは
二塁を守ることになるはずだ。
06年の第1回WBCでは、ソフトバンクの川崎に
正遊撃手のポジションを譲り、西岡は二塁手に回ってプレーした。
あの時は、『なぜ自分が二塁なのか』と
おもってかもしれないが・・・。
今は逆に、そこでそつなく二塁をこなせたことが、
メジャーを狙う西岡の魅力になるのかもしれない。


     サンケイスポーツ 『球界インサイドリポート』より
                       鷲田康氏
戦術に徹した方が選手はリラックスできる
2010年10月20日 (水) | 編集 |
~シンプルが効果的~

落合、原両監督がクライマックスシリーズに入る前に、
180度異なるアプローチをした。
監督の視点からすれば、なかなか興味深かった。

落合監督は、レギュラーシーズン終了後、
1軍全員を出場選手登録抹消した。
まるでキャンプのように、メンバーを白紙に戻して、
『もう一度ふるいにかける』と言った。

原監督は坂本、長野、脇谷の3人だけに特別指導を行った。
中日ほど日程に余裕がないだけに、
『やってもらわなければ困る』選手を選抜して
底上げを図ったのだ。

ファーストステージは坂本、長野それぞれが粘り強さを見せ、
“脇役”として勝利に貢献していた。

『人を見て法を説け』という。
釈迦は相手の能力や人柄に応じ、理解しやすいように真理を説いた。
リーダーとして大事な選手操縦法の基本だが、
原監督の『説法』は坂本や長野に通じたのだろう。

今度は落合監督が結果を出す番になる。
短期決戦では
『こうすれば勝てる』『打席ではこれを狙え』と
シンプルに指示する方が効果的だ。
選手枠争いに緊張しただけならマイナスで、
過度の重圧をかけるよりも戦術に徹した方が
選手はリラックスできる。

ナゴヤドームで巨人は2勝10敗と圧倒的に不利だが、
短期決戦ではさほど重要ではない。
南海の兼任監督として阪急と戦った1973年の
パ・プレーオフ。
南海は前期優勝したものの、阪急には後期0勝12敗1分け。
私は『負けてもともと』の気楽さで江本のリリーフなど
思い切った采配を振るい、
選手もリラックスして動いてくれた。
逆に阪急は負けられない重圧でガチガチになっていた。

アドバンテージがあり、全試合本拠地の中日が圧倒的に有利だが、
すでに阪神を破って自信を手にし、
かつ気楽に戦えるのは巨人。
第1戦を前に、心理面でどれほどの優劣が生じるか。
そこに勝敗の分水嶺がある気がしてならない。

          
    10月20日 サンケイスポーツ 『ノムラの考え』より
                     野村克也氏
みんなに活かされていた自分
2010年10月20日 (水) | 編集 |
17日(日)、県南選抜チームのセレクションが行われ、
勇汰はM中学校の推薦で受けることができました。
勇汰の中学からは勇汰含め3人選出され、
県南地区から50人前後の候補選手が集められ、
15人に絞り込まれました。

セレクション当日、緊張した面持ちで出掛けて行く勇汰に
『チャンスを与えて頂けたのだから、自分の持ち味を
 十分出し切って、悔いの残らないように頑張って来てね』
と言葉を掛けました。
前日まで県南新人戦が行われ準優勝を勝ち取り、
自信もあったようで、セレクションに選ばれたからには
チームのみんなの分も力を出し切りたい、と
意気込んでいました。

1日中、守備やバッティング、試合形式の練習試合など・・・
初めて他の中学校選手らとの交流で緊張したらしく、
思い通りにはいかなかったようでした。

セレクションが終わり帰りの道中、
『俺は絶対無理、選ばれないよ・・・
 だってみんなスゴいレベルで、俺なんて全く歯が立たないよ。
 確かにチームは平均より上のレベルだけど、
 個々のレベルになると俺って何も無くて、
 今までみんながいたから自分がいいプレーできたんだ、って
 みんなに活かされていたことを今回、痛感させられたよ・・・。
 俺は一人の力でここまでこれたんじゃないんだな・・・。』

確かに小学校の頃から、ポジションが準備されていて、
監督やコーチ、仲間に恵まれ、
きちんと言われた通り無難にこなして、
みなさんの期待通りの結果を残していました。

尊敬できる偉大な先輩達にも恵まれ、
その中で当たり前のように野球が出来ていました。

でも、今回のセレクションで自分の無力さを思い知らされ、
今までの自分のやってきたことがまだまだだった、ということを
自分なりに学び感じ取れたこのセレクションに参加させて頂けて、
本人が自ら課題を見つけ取り組んでいく姿勢を
これから態度で示してくれるんじゃないかと、期待をしつつ、
勇汰もスイッチが入ったようで、
学校の練習や自主練習でも態度で示しています。


この場を借りましてM中の先生、
機会を与えて下さいまして、感謝しております。
先生の期待に応えられますよう、
本人も来週からの県大会で結果を残したいと
申しております。
本人の成長を今後も温かく見守っていて下さい。
本当にありがとうございました。

ちなみにやはり・・・落選してしまいました。
そんなレベルなんです、まだ今は。
屈辱を味あわないと、お尻に火が付かない性格で・・・。
同じチームのピッチャー、外野のチームメイトは
15人の中に選出されました。

来週からの県大会、目標はベスト4。
頑張って頂きましょう!!


ローカルです。~『青春ど真ん中』
調整役の手腕 チーム作りに
2010年10月17日 (日) | 編集 |
~都市対抗野球で住友金属鹿島をベスト4に導いた
 平野和男監督(51)~

温厚な話口は長年、営業部門と工場部門の“調整役”に
打ち込んでいた頃をほうふつさせる。
社会人野球の現場から退いて18年間を経て監督に就任し、
1年半でチーム最高タイの都市対抗野球大会ベスト4に導いた。
快進撃にも『選手が頑張ってくれたおかげです』と謙虚だ。

千葉県立銚子商校、中央大で主に三塁手として活躍し、
いずれも全国制覇を経験。
期待されて1981年に住友金属鹿島製鉄所に入社し、
全国大会に2度コマを進めたが、
いずれも初戦敗退だった。

8年間で退き、仕事中心の生活に変わった。
携わった生産管理は、顧客の要望を聞いた営業部門と
モノづくりを担う工場部門とのパイプ役だ。
営業部門が求める納期と工場側の意見はたいてい食い違う。
営業と工場の求める納期が1ヶ月もずれることもあった。
『それぞれの言い分を相手の気持ちになって聞かないといけない。
 頭を下げてばっかりでしたよ』と笑う。

仕事が軌道に乗っており、野球部復帰には迷いもあった。
それでも『野球で生きていきたい』と決意し、
コーチ2年間を経て、2008年12月に監督に就任した。

就任後、チームの課題は『世代交代』だった。
積極的に若手を起用し、ベテラン選手を控えに回した。
ベテランが腐ることのないように
『必ず助けてもらう大事なときが来る。
 調整しておいてくれ』と声を掛け続けた。
意識したのは
『ベテランと若手、双方の選手の話に耳を傾けること』―。
調整役は得意分野だ。

迎えた6月の都市対抗地区予選。
代表決定リーグの一戦で、最終回にベテラン選手が
サヨナラ本塁打を放って勝利。
『やってきたことは間違ってなかった』と
手応えを感じた。
チームは勢いに乗り、都市対抗野球で2000年以来
2度目のベスト4進出を果たした。

滑り出しは順風だが、
『今回は運もあった。
 社会人でも全国制覇したいね』―。
笑顔が少し引き締まった。

            読売新聞 『ズームアップ』より
                       建石剛氏
クルーン“大喧嘩”騒動の真相。忍耐強い野球選手がキレてしまうとき
2010年10月11日 (月) | 編集 |
                鷲田康 = 文 


スティーブン・スレーターという名前を聞いて、
ピンとくる人は相当な海外時事ネタ通だろう。

この男性はアメリカの航空会社の客室乗務員だったが、
ベルト着用サインが消えないうちに荷物を降ろそうとした女性客に
注意をしたところ無視され、
しかも落ちてきた荷物が頭を直撃。
謝罪を求めたが、逆にこの女性客からののしられてプチっときてしまった。
機内アナウンスで
「この仕事を28年やってきたが、もうたくさんだ! 以上」と宣言して、
缶ビール一本をつかむと脱出用シューターを作動させて機外に。
そのまま駐車場に停めてあった車で自宅に帰ってしまった。

その後、一度は警察に逮捕されたが、
釈放後はネットなどで同情を集めて、一躍ヒーローとなったという。

人間、ひょんなことでスイッチが入ってしまうことは、
ままあるものだ。
ただ、どこでそのスイッチが入るのか? 
他の人にとっては、思わぬことがきっかけになることもある。

~クルーンが観客と大喧嘩、騒然となったナゴヤドーム~

巨人のマーク・クルーン投手も、
思わぬことでスイッチが入ってしまった。

ナゴヤドームで行われた8月18日の中日戦。
練習中に観客と大喧嘩をして、一時、球場が騒然となったという。

「唾を吐きかけられた!」

 激怒の理由はこうだった。

試合前の練習中に三塁側スタンド前でファンにサインをしていたところ、
60~70代の男性ファンからヤジを飛ばされ、
唾を吐きかけられた、と激高。
そのファンに詰め寄り大騒ぎとなった。

男性は「入れ歯がはずれただけだ」と
唾を吐きかけたことは否定したが、
最終的には関係者が間に入っておさめ、
その男性ファンも球場関係者に事情聴取を受けるはめになったという。

クルーンはマウンド上ではちょっとエキセントリックなところはあるが、
普段はいたって落ち着いた選手だ。

「オレは甲子園の阪神戦が大好きだ。
 あんなにエキサイティングな球場はないよ」

~阪神ファンの過激なヤジや挑発にも「逆に燃えるね」~

クルーンは言う。

「ブルペンで投げていると、
 阪神ファンからものすごいヤジが飛んでくる。
 “バカ、ガ~イジン! バカ、ガ~イジン!”ってね。
 それで中身の入ったペットボトルとかが投げ込まれたりするけど、
 オレは逆に燃えるね。
 メジャーを思わせるエキサティングな雰囲気がある。
 その雰囲気がオレは好きなんだよ」

阪神ファンの過激なヤジをもこうやって受け入れている。
ペットボトルのジュースを浴びても、気にも止めない。

でも、そんなクルーンでも、
目の前で唾を吐きかけられたら、さすがにスイッチが入ったのだ。

スティーブン・スレーターさんも、
客室乗務員を28年間勤め(正確には20年間なのだが)、
プロとしての訓練も受けている。
ああいうトラブルの際にも、おそらくとても忍耐強い人物だったのでは、
と想像もする。

 実は野球選手も、非常に忍耐強いものなのだ。

クルーンが話していたように、
相手ファンからは厳しいヤジを浴びることも多い。
ものが飛んでくることもある。
メディアには批判され、プライベートを探られることもある。
そういう様々なことに対して、選手たちは忍耐強く我慢して、受け流し、
気にも止めないように努力しているのだ。

~お金さえ払えば、選手に何をやってもいいわけではない~

今回の事件で、そのファンが巨人ファンだったのか、
中日ファンだったのかは分からない。
実際に唾を吐きかけたのかどうかも水掛け論になるだけだろう。
ただ、選手にとって一番堪えるのは、
味方だと思っているファンに心ないことを言われたり、
そういう侮蔑的な行為をされた、と感じたときなのだ。

 決して「お客様は神様」ではない。

お金を払って入場したら、選手に何をやってもいいわけではない。

そこには一定のルールがあり、マナーもある。
外国人選手だから日本語が分からないと、
とんでもないことを言うファンもいるが、
彼らはそういう言葉は知っているし、心も痛むのだ。
そういうルールやマナーを守れないファンは、
もはや球場で観戦する資格はない。

スレーターさんと言い争った女性乗客は、
実は搭乗前にも別の乗客と荷物の置き方を巡って口論となり、
それをスレーターさんが仲裁していたのだという。

スレーターさんやクルーンが怒りに任せてとった行動を、
筆者は決して責めようとは思わない。


【筆者プロフィール 鷲田康氏】

1957年埼玉県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。
およそ10年にわたり読売ジャイアンツ取材に携わった。
2003年に独立。
日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、
Numberほか雑誌・新聞で活躍。
著書に『僕のメジャー日記 松井秀喜』(文藝春秋)、
『ホームラン術』(文春新書)がある。

波乱万丈の野球人生で鍛えた、日ハム・榊原諒の“全天候型”能力
2010年10月06日 (水) | 編集 |
                氏原英明 = 文 

“救援”投手とは、まさに、彼のことを言うのだろう。

初勝利を挙げた、6月15日のヤクルト戦の緊急登板に始まり、
中継ぎだけで実に10勝を挙げている。
中継ぎ投手の二ケタ勝利は、最近では特に珍しいことではないのだが、
この男は、常に、チームを“救援”する投球を続けている。

日本ハム・榊原諒は39試合に登板し10勝1敗。
防御率2.63とCS進出を争うチームの投手陣を支えている。

彼の活躍が驚きなのは、そのヤクルト戦にしても、
2勝目を挙げた6月18日のオリックス戦にしても、
先発投手のアクシデント降板から、
10球にも満たない投球練習でマウンドに上がった末に、
快投しているということだ。
緊急登板で、これほど高いレベルでのパフォーマンスを発揮できる投手は
そういない。

今となっては、「榊原が投げれば勝つ」とさえいわれている。
“強運リリーバー”と報じるメディアもあった。

とはいえ、その功績を「運」で片づけられてしまっては困る。
裏打ちされたしっかりとした力が榊原にあることも、
また事実なのである。

~高校卒業後、入社した三菱自動車岡崎野球部が休部に~

榊原は、MAX150キロのストレートと切れのあるスライダー、
シュートなどの変化球、正確なコントロールが評価されて、
'08年のドラフトで2位指名を受けた。
アマチュア時代は速い球も投げたが、本格派右腕と言うより、
バランスのとれた投手だった。
ランナーを背負ってもクイックが速く、
フィールディングをそつなくこなす。
身長176センチという大きくはない上背ながら、
高い評価を受けたのはピッチャーとしての総合的な力が認められてのものだ。

ただ、そんな榊原の野球人生は、
すべてが順風満帆だったわけではない。

中京高校(岐阜)3年の春のセンバツに出場。
実績もあったが、大学へは進学せず、
地元に近い三菱自動車岡崎に入社し、その力を磨くことになった。
もちろん、3年後以降のプロを目指していた。

ところが、彼が入社してすぐ、親会社のリコール問題が明るみになり、
三菱自動車岡崎野球部が休部を余儀なくされたのだ。
移籍も考えたが、1年目でまだ実績もない彼の行き先など
そう多くは望めるはずもなく、野球部を辞めるか、
休部状態のチームに残るか、
宙ぶらりんの立場に彼は追いやられた。

そんな状況を見抜いて、声を掛けてきたのが関西国際大だった。
創部して10年にも満たない地方リーグの新興勢力である。
監督を務める鈴木英之は、神戸製鋼時代に休部を経験した身で、
当時18歳の榊原の事情が理解できた。
「18歳の選手の移籍先なんてないんですよね。
 だから、本人に連絡を入れて、もう一度学生野球をやってみいひんか? 
 と誘った」そうだ。
榊原は関西国際大にいた高校時代のチームメイトに状況を聞き、
1年遅れで大学野球に身を転じた。

~現在の姿に重なる大学時代の波のないピッチング~  

規定で1年秋のシーズンまで登板できないという苦汁こそ舐めたが、
1年秋からエースになると、
徐々に投手としての力を積み上げていった。
3年春の時点では140キロ台だったストレートは大学4年時後半に
150キロまで伸びた。
もともとスライダーとコントロールが持ち味だったから、
球速が上がったストレートとともに、
彼はバランスのとれた投手となったのである。

とはいえ彼の持ち味は、そうした技術面だけではない。
それこそ、今の姿を映し出すような真骨頂が大学時代からもあった。
鈴木がこんな話をしていたことがある。

「榊原はどこでも変わらないピッチングができる。
 雨でも晴れでも、グラウンドコンディションが悪くても良くても、
 (全国大会である)神宮球場で投げていても
 (リーグ戦のある)万博球場でも、同じピッチングができる。
 それは彼の持ち味でしょう」

調子に波がなく、どんな時でも一定のパフォーマンスを発揮できる。
榊原の持つ大きな力である。
緊急時にマウンドに上がり、チームを救う今の姿と重ならないか。

それは技術的というより、人間的な部分と言った方が良いかもしれない。
そんな力をこれまでの経験で培ってきたのだ。
大学時代の、彼の言葉を思い出す。

「調子に波があるかないか……う~ん、それは性格だと思います。
 やったりやらなかったりをなくすことですね。
 たとえば、靴を脱いだら必ずそろえるとか、
 大学で言えば授業に出るとか出ないとかの、
 そういう波をなくすことが野球につながってくる。
 練習態度にしても、10本のランニングをただ走るだけなのか、
 上手くなるために走っているんだという意識を持つかどうかで、
 だいぶ違ってくると思います」

~10勝を挙げる活躍で、CS進出と自らの新人王を視界に~

天性のリリーバー向きの気質が彼には備わっている。
もともとは、先発投手として試合を作れるだけの技術力があるのだから、
本来の力が発揮されさえすればもっと他の起用法もあるだろう。
だが「どんな状況にも力を発揮できる」、
という彼の少しばかり特異な才能は、緊急登板で、今、発揮されている。

24日の楽天戦では先発の木田が1回2/3で降板。
榊原が救援に立ち、5回を1失点に抑えて10勝目を挙げ、
チームは今季初の単独3位となった。

思えば、榊原が初勝利を挙げた6月15日、チームは最下位だった。
おそらく、その時点では、シーズン終盤戦に日ハムがCS進出を賭けて
戦っているとは思っていなかっただろうし、
まさか、榊原が10勝を挙げているとも思っていなかっただろう。

「少しずつ自信がついてきた」と榊原は10勝目を挙げた後にコメントを残した。
チームのCS進出とともに、
榊原には新人王というタイトルまでもが、視界に入ってきているはずだ。


                        (更新日:2010年9月27日)

【筆者プロフィール 氏原英明氏】

1977年ブラジル生まれ。
奈良大学を卒業後、地方新聞社でのアルバイト勤務を経て、
フリー活動を開始。
高校野球を中心に活動を続けるが、
野球を通じた人間性、人生観を伝え続け、
Numberのほかに野球専門誌で活躍。
WEBの世界でも「人間力×高校野球」(高校野球情報.com)
と題したコラムを連載している。