日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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4種類のバットを使い分け! ラミレスの職人的な道具選び
2010年07月30日 (金) | 編集 |
                   鷲田康 = 文 


まだ野球記者になって間もない頃の話だ。

グラウンドで取材をしていて、突然、どやしつけられたことがあった。

「オマエ、ナニをまたいでるんだよ!」

あるベテラン選手の怒号に下を向くと、
そこにあったのは1本のバットだった。

「バットはなあ、武士の刀と一緒なんだよ!」

バットをひったくるように拾い上げたその選手は、こう言って
「キッ」と失礼な若造記者をにらみつけたのだった。
最近はこんなことを言う選手も少なくなってきてはいるが、
職人が道具にこだわるように、
バットにこだわりを持つ選手が多いのは言うまでもない。

長さと重さ、そして形状はそれぞれの打者のタイプによって異なる。
多くの打者は自分の好みのモデルを探し出し(あるいは特注して)、
そのバットを年間を通して愛用する。
疲れが溜まってくる夏場には、
同じモデルで重さを10グラムとか15グラムぐらい軽くする、
という選手もいる。
もっと細かい選手になると、何種類か重さの違うバットを用意して、
体調によって、その中の一本をチョイスする。

 いわば自分に合わせてバットを使い分けるわけだ。

~相手投手に合わせてバットを使い分ける巨人・ラミレス~

ところが中には相手によって、バットを使い分けるという選手もいる。
今季、本塁打を量産、前半戦のセ・リーグのホームランダービーで
トップを走る巨人のラミちゃんことアレックス・ラミレス外野手も、
そんな一人だった。

ラミレスは昨年までほぼ1つのモデルのバットを使っていた。
長さ34インチ、重さは920グラムのメイプル素材のものだ。
ところが今年は、それに加えてグリップを少し細くした新モデルを導入。
しかもそれぞれのタイプで今まで
より重量を10グラム軽くしたものも作った。

合わせて4種類のバットを、
相手投手によって使い分けるという芸の細かさだった。
この4種類のバットをどう使い分けるのか。
タイプ別に分類するとこんな違いがあるという。

重さの変化は相手投手の左右によって使い分ける。
920グラムのものはサウスポー用、910グラムのものは右投手用。

グリップの太さは、変化球主体の投手用には太めを、
細めのものは速球主体の投手用だ。
もちろん相手投手によって、
この基本用法をアレンジして分けているのだ。

~重量とグリップの違いを組み合わせて全球種に対応~

 ラミレスは言う。

「グリップの細いバットはヘッドも利くし、
 飛距離が出るような気がする。
 今年打っているホームランの7割ぐらいは、
 このグリップが細いタイプのバットだと思うよ」

グリップを細くして重量を重くすれば、飛距離は確実に伸びるが、
逆にヘッドが利きすぎてバットコントロールが難しくなる。
速いボールへの対応もしづらいという欠点も出てくる。

そのためにグリップが太めのものと、
重量を軽くした扱いやすいタイプも用意。

「バッティングでいちばん大切なことは、
 バットをどうコントロールして、
 ボールを芯で捕らえられるかということなんだ。
 だから色んなバットを使い分けているのも、
 よりバットコントロールを良くするための工夫ということになるね」

きちっとバットをコントロールできる
ギリギリのところで飛距離を追求しているわけだ。
その結果が今季はオールスター前までに32本塁打、
という量産ペースにつながった。

「ボックスに立つ前の準備で勝負の半分以上は決まる」
「今年はホームランキングを狙いたいね」

開幕前からこう宣言していたラミレスは、
そのためにこれだけの準備をして、
その道具を使いこなして宣言どおりにアーチを量産している。

「野球はマインド・ゲーム。
 実際にバッターボックスに立つ前の準備で勝負の半分以上は決まる」

 最強助っ人らしいこだわりだった。




【筆者プロフィール 鷲田康氏】

1957年埼玉県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。
およそ10年にわたり読売ジャイアンツ取材に携わった。
2003年に独立。
日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、
Numberほか雑誌・新聞で活躍。
著書に『僕のメジャー日記 松井秀喜』(文藝春秋)、
『ホームラン術』(文春新書)がある。


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“底抜けに陽気で過干渉な兄貴” デーブ大久保は誰にも理解されない?
2010年07月29日 (木) | 編集 |
                中村計 = 文 


今でも鮮明に覚えている。
デーブ大久保こと、大久保博元の第一印象だ。

私が記者1年目のときのことなので、もう十年以上も前の話になる。
大久保はそのとき、すでに現役を退き、解説業に就いていた。

 東京ドームの関係者食堂でのことだった。

トレーにその日の日替わりメニューを載せ、レジの前で並んでいると、
ちょうど真横にやってきた大久保が何事か話しかけてきたのだ。
まるで十年来の知り合いにでも話しかけるかのような親しさで。

 もちろん初対面だった。

話の内容はさっぱり覚えていないのだが、その飾らない人柄というか、
それなりの有名人でありながら
無防備過ぎるとも思える人柄に驚きもしたし、
少々、感激もしていた。

おそらく私と同じような経験をした人が
何百人といるのではないだろうか。

そのときの第一印象は、その後も変わらなかった。

取材で何度か世話になったことがあるのだが、イメージ通り、
常にサービス精神旺盛。
底抜けに陽気で、嫌悪感のようなものを抱いたことは
皆無といっていい。

だが、そんな極端に開放的な性向にブレーキが付いてないのでは?
そう危惧させる面も同時に持ち合わせていた。

~皆にかまって欲しい寂しがり屋こそ大久保ではないか?~

 今年の自主トレ中のことだ。

大久保は、ある選手が車で練習場に現れるなり、
ちょっとしたイタズラを始める。
まずはその選手の運動靴を車高のある四輪駆動車の屋根の中央
に放り投げる。
被害を受けたその選手が、苦笑しつつ、
その靴をやおら回収する。

するとその隙に今度は車のキーを強奪、
一瞬のうちにある場所に隠してしまった。
選手はキーを探すのは後回しにし、
再び苦笑いを浮かべながら、ひとまず練習に向かった。

大久保のその行為はややもすると執拗ささえ感じさせるものだったが、
選手の方は大久保の性質を十分に理解していたように思える。

 大久保の言い分はこうだった。

「ほら、あいつは寂しがり屋だからさ。
 かまってやらないとダメなんだよ」

わからないでもない。
でも、二人のやりとりを見ていて、それは逆なのではないか。
そんな風に感じたことも確かだった。
かまってほしいのは、大久保の方なのではないか、と。

その選手は、ある程度のキャリアを持ち、
鷹揚すぎるほどに鷹揚な選手だったからまだいい。
だが、万事この調子で接していたら、しかも、
それが毎日ともなると、中には煩わしいと感じる選手もいるだろうな、
という気がしたものだ。
私が目撃した選手のように、
それを受け流すだけの「適当さ」がない選手は特に。  


~デーブは貴重なキャラ。理解者さえそばにいれば……。~

だから先日、大久保が
「不適切な指導」があったということで二軍打撃コーチを解任された
という報道に接した時、
誤解を恐れずに言えば、合点がいかないこともなかった。

やれ新人選手に暴行を働いたとか、
やれ罰金制度が行きすぎていたとか言われているものの、
まだ詳細は明らかにされていない。
ただ思うのは、よくも悪くも大久保は選手に干渉し過ぎたのだろう
ということだ。
東京ドームで全く面識のない私に話しかけたような調子で。
はたまた、自主トレのとき、選手にちょっかいを出した調子で。

大久保は'08年に西武の一軍打撃コーチに就任するも、
シーズン終了後にプライベートな問題が発覚し、
わずか一年で退任。
だが監督の渡辺久信の強い要望もあり、今年、
二軍打撃コーチとして再び現場に復帰していた。
渡辺は、そんな大久保の過干渉な性質を
誰よりも好意的に解釈していたうちの一人だった。
だが、ファームにはそのような見方をする人は
圧倒的少数派だったのだろう。

あのキャラクターは貴重といえば貴重だった。
渡辺のような理解者がそばにいたらと思わないでもない。
ちょっと惜しいな。それが私のごく私的な感想である。


【筆者プロフィール 中村計氏】

1973年千葉県出身。
ノンフィクションライター。
某スポーツ紙を経て独立。
『Number』(文藝春秋)、『スポルティーバ』(集英社)などで執筆。
『甲子園が割れた日 松井秀喜の5連続敬遠の真実』(新潮社)で
第18回(2007年度)ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。
他に『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)、
共著に『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)などがある。
『雪合戦マガジン』の編集長も務める。
趣味は、落語鑑賞と、バイクと、競艇。

チームに貢献 「一流」目指す
2010年07月26日 (月) | 編集 |
サッカーワールドカップも無事閉幕。
メジャーへの挑戦を始める前年の2002年、
松井秀喜は日韓大会で日本ーロシア戦と、
ブラジルードイツの決勝を観戦するため、
横浜に足を運んでいる。
『世界のトップを争う戦いを見るのはいい』―。
スポーツからクラッシックのコンサートまで、
『一流』に触れるのは好きだ。

あくまで余暇の過ごし方なのだが、選手として得るものもある。
一観客の立場で一流を経験することで、
『人を感動させることの素晴らしさ』を改めて感じ、
選手として自分もそうあろうと再確認できる。

では、野球選手としての一流とは何か。
『記録とか成績だけでは測れないものを持つこと』と、
価値観の一端を披露する。
やはり大切なのは日頃から繰り返す
『チームの勝利のため』という姿勢だ。
ヤンキースで、主将ジーターに巡り合った。
日頃から積極的に周囲に声を掛け、
試合中も常に試合全体を見渡す目を持つ選手で、

『自分の実力を発揮するのは当然だが、何よりもチームの勝利を
 優先する気持ちが伝わってきた。
 尊敬するに値する』―。  

名外野手のウィリアムズや抑えのリベラ、左腕ぺティットも、
『自分と価値観が同じ』と思える存在だった。

まだ彼らに近づけたとは思わないが、
1試合6打点などMVPを獲得した昨年のワールドシリーズは
本望だった。
『そこで勝つことが目標のチーム。
 一番大事なところで貢献できて、チームメートも
 お客さんもみんな喜んでくれた。
 それが嬉しかった』―。

新天地での今季、開幕当初は自分は好調だったが、
チーム状態は今ひとつ。
だが、5月の不調を経て迎えた6月は、
1日から4日連続複数安打。
チームも首位争いを演じている。
サッカーワールドシリーズには及ばないが、
なかなかの満足感がある。

02年W杯決勝。
2失点したドイツのGKカーンが試合後、
ぼうぜんとゴールポストにもたれて、座り込んでいたのを
覚えている。
カーンがその後どうしたかは知らない。ただ、
『僕はああなっても、その日のうちに感情的な悔しさは
 整理すると思う。
 たとえW杯の選手だったとしても』―。

自分はまだ一流とは思わないというが、
さりとて『二流』の人間に言えることではない。


          読売新聞 『松井秀喜 2010』より
                        
阪神の生え抜き助っ人、マートン。活躍の秘密は“心意気”にあり。
2010年07月25日 (日) | 編集 |
                田口元義 = 文 

「神様のおかげ」

ヒーローインタビューなどで、
マートンは、このフレーズからその日の打撃について
話し出すことが多い。

「神様発言」といえば、
阪神ファンには忘れたくても忘れられない、
伝説の“捨て台詞”がある。

言うまでもなく、それは'97年の彼。
爆発したのはゴールデンウィークのみ。
直後に故障し、「神のお告げ」を理由に早々にチームを去った、
あのグリーンウェルの発言は、
今もなお、忌まわしき過去としてファンの心の奥底に刻まれている。

阪神は、少なくともここ10年ほど、
外国人の野手補強に関しては神から見捨てられていたような気がする。
活躍した野手といえば、アリアス、シーツ、
そして今季、日本記録を超える勢いで本塁打を量産する
ブラゼルくらいか。
しかし彼らは、国内球団から移籍した選手であり、
“生え抜き補強選手”ではない。
すでに日本で実績を積んでいる選手であれば活躍して当然
という見方もできる。
その一方で、“グリーンウェルの呪い”
というわけでもないだろうが、フォード、メンチと、
近年だけでも米球界から直接獲得した外国人選手は
ことごとく期待を裏切った。

だから、いくらメジャーの経験があるマートンとはいえ、
そう易々と信じてなるものか。
辛口で知られる虎ファンのなかには、
そう疑心を抱いていた者も少なくなかっただろう。
ましてや、あの赤星憲広の代わりとして期待され入団したのだ。
そこそこの活躍―新外国人の及第点で言えば2割8分、20本塁打あたり―
程度ではファンは当然、納得はしない。

~日本野球をよく知る先輩助っ人シーツが捧げたアドバイス~

ところが、である。
その“呪い”を払拭するかのように、
マートンはオープン戦から打ち続け、
シーズンに入っても首位打者になるなど、打率3割5分前後をキープ。
200本を超えるペースで安打を重ね続け、
1年目にしてオールスターに選出された。
今や不動の3番打者として、
リーグ制覇には欠かせないキーマンと言ってもいいだろう。

ではなぜ、マートンが来日1年目でこれほどまで
日本の野球に適応できているのか? 
その理由は、主に3つ挙げられる。

ひとつは、彼に目をつけた男だ。
球団は「長年リストアップした成果」と言うが、
やはり日本野球を十分に理解し、
阪神でも結果を残したシーツが、
昨年から駐米スカウトとなったことは大きかった。
来日直前の12月、先輩助っ人はマートンに、
「自分自身であれ」「修正点を確認してアジャストしろ」
「逆方向へのバッティングを心がけろ」と、
日本球界で成功するアドバイスを贈った。

これが2つめの理由に繋がる。
もともと勤勉なマートンだが、この訓示を受けて、
より日本の投手を研究するようになった。
「日本の野球はレベルが高い」と自覚し、
多彩な変化球を操る「日本式投球術」に
1日でも早く慣れるため、
各チームの投手の癖や配球を細かくノートに記し、分析した。
その結果、自分にとっていい球がきたら初球からでも
積極的に打っていく、という本来の打撃に加え、
追い込まれてからはファウルで粘り、
3ボールとなれば冷静にきわどいコースの変化球を見極める、
といった現在のスタイルが確立された。

~ マートンの人間性を物語る、あるファンとのエピソード~

そして3つめ。これは、野球選手としては最も重要なこと、
人間性だ。

「メジャー経験者」というプライドの壁を自ら取っ払い、
首脳陣の意見を素直に受け入れ実践する。
全く打てずにフラストレーションが溜まるゲームでも、
凡打して意気消沈する選手に対して「グッドスイング!」
と声をかける。
ポジティブな姿勢があるからこそ、
チームも最後まで高いモチベーションを保つことができる。

そのような姿を知るファンも、
彼を「虎戦士」として認め、愛するようになった。

ある日の試合前の練習中、
バックネット裏に背番号9のユニフォームを掲げたファンが、
近くにマートンがいることを確認すると、
「ミスター・マートン!」と声を張り上げる。
彼は笑顔で手を上げ、ベンチへと姿を消した。

と、これだけでも微笑ましい光景ではあるが、
なんとマートンはすぐにベンチから顔を出し、
そのファンの元へ歩み寄っていく。
手を上げる仕草は「ありがとう」ではなく、
「ちょっと待ってて」の合図だった。
サインペンを取りにいっていたのだ。
興奮したファンは、ありがとうございます、頑張ってくださいと、
早口で感謝の意を述べている。
それに対し彼は、申し訳なさそうにこう返す。
「ゴメンネ、マダ、ニホンゴガヨクワカラナインダ。ありがとう!」。

「ありがとう」だけ日本語で答えたマートン(カタカナの部分は英語)。
サインも適当にではなく、
自分の手元でしっかりと書いた。
日本語を話せなくとも相手の目を見て会話し、握手をする。
今できる最大限のコミュニケーションを図ろうと常に努力しているのだ。

~久々に現れた強力な生え抜き外国人に寄せられる期待~

「どのグラウンドでも甲子園だという気持ちでプレーしている」と、
マートンは話していたことがある。
彼にとってはどの球場もホーム。
そこに来てくれたファンのために全力でプレーする。
前述した要素に加え、
その心意気があるからこそ今の数字に結びついているのだろう。

個人成績については、度々「まだシーズンの途中だから」と
明言を避けるマートンだが、
久々に現れた強力な生え抜き外国人選手だからこそ
タイトルを獲ってほしい。
ファンからすれば、その思いは日に日に増してくるのも無理はない。

マートンの打棒は不可欠となってくるだろうが、
もし、首位になったことで上昇気流に乗り優勝、
となれば、神を信じる男は、
「神様、仏様、マートン様」と崇められるかもしれない。

いや、でもそれは、
本人が言うように、「シーズン途中だから」まだ気が早いか……。


【筆者プロフィール 田口元義氏】

1977年福島県生まれ。
元高校球児(3年間補欠)。
ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。
Numberほか雑誌を中心に活動。
試合やインタビューを通じてアスリートの魂(ソウル)を
感じられる瞬間がたまらない。
共著に「戦力外通告 プロ野球をクビになった男たち」、
同「諦めない男たち」などがある。

「20年に1人の逸材」のはずが…。西武・雄星、1年目の挫折の意味。
2010年07月14日 (水) | 編集 |
            中村計 = 文 


西武のゴールデンルーキー、雄星は1年目から活躍できるのか、
できないのか。
その結論がひとまず出たようだ。

先日、雄星は「左肩腱板の炎症」を理由に
7月22日のフレッシュオールスターを辞退した。
5月4日以降、実戦から遠ざかっているということもあり、
残りのシーズンで故障を完治させ、そこから再度調整し、
ファームで実戦経験を積み、
一軍でデビューするというのは相当難しいように思われる。
ましてや、「黄金級」の評価にふさわしい投球内容を
披露するというのは。

~楽天・田中ら高卒ルーキーの活躍がある空気を生んだ~

きっかけは'07年、楽天の田中将大が
高卒1年目で11勝を挙げたことだった。
翌年は千葉ロッテの唐川侑己が同じように高卒ルーキーとして5勝し、
シーズン終盤で一軍昇格を果たした
同級生のヤクルトの由規も2勝を挙げた。

高卒1年目でも、
ドラフト1位クラスの選手なら即戦力になるのではないか――。

清原和博や松坂大輔クラスの怪物はいざ知らず、
数年前までなら、高卒ルーキーはまずは体づくりから
という雰囲気が当たり前だった。
ところがそれらの事例によって、新たな空気が生まれた。
当の選手たちも、ソノ気になっていたに違いない。

ましてや高校時代、
「20年に1人の逸材」、「世界の宝」とまで言われた雄星は、
ドラフト開始以来、
もっとも評価の高かった高校生左腕と言ってもいい。
周囲の期待だけでなく、
自分で自分にかける期待も小さくなかったことだろう。

今年1月、雄星は1年目の抱負についてこんな風に語っていたものだ。

「最高の目標は2ケタ(勝利)。
 中間は、開幕一軍で5勝。最低は1勝です」

そんな発言を聞いても、
こちらも思い上がっているなどとは少しも思わなかった。
むしろ、これだけ注目されているルーキーなのだから、
それぐらいのラインが妥当なのではないかとさえ思っていた。

~高校時代MAX154キロを誇った直球が140キロ前後に~

だが実際には、通用するしない以前の問題だった。
高校時代と同じストレートさえ投げられなくなってしまったのだ。

プロに入ってからというもの、
雄星の真っ直ぐは出ても140キロ台止まり。
ひどいときは140キロにも届かず、高校時代、
MAX154キロを誇った真っ直ぐは見る影もなくなってしまった。

高校3年夏、肋骨を疲労骨折した影響で、その後、
十分な練習ができずに体のバランスを崩し、
結果的にフォームを見失ってしまったという。

だが、それだけではないだろう。
昨年9月の新潟国体の初戦、故障が癒えた雄星は、
夏の甲子園以来およそ1カ月振りにマウンドにのぼった。
9回1イニングのみの登板ということもあって、
そのときの真っ直ぐはやはりすごかった。

夏の甲子園で全国制覇を果たした中京大中京の4、5、6番打者に対し、
決め球はすべて真っ直ぐ。
150キロ台を連発し、3者連続空振り三振に仕留めた。

少なくとも、故障がほぼ治った段階で
あれだけのボールが投げられていたのだから、
不調の原因は疲労骨折の影響だけではあるまい。

ひとまず、あの真っ直ぐが、
プロ野球の一軍打者にどこまで通用するかを見てみたかった。


~「今のままでも即、通用する」という言葉の落とし穴~

 雄星のつまずきは、ひとつのことを物語っている。

プロのスカウトが、高校生に対し、
最大の賛辞としてよく使う言葉がある。

「今のままでも即、プロで通用する」

雄星も何度となくそう言われたものだ。
だが、その「今のまま」の力を数段上のステージでも
同じように出すことがいかに難しいか。

それは、どこか自転車に乗れるようになるまでの過程に似ている。

誰もがこんな経験があるのではないか。
まだ自転車に乗れない頃、親が
「押さえてるから大丈夫だよ」と言い、
それを信じているときはうまく乗れていたのに、
そう言いながらも実際は手を放していることに気づいた途端、
バランスを崩してしまう。

投手でも同じことが言える。
高校時代、少々甘いところにいこうがまず打たれることはあるまい
と思って投げていたのと、
プロで少しでも甘いところに入ったら打たれるかもしれないと
ビクビクしながら投げるのとでは、
自ずとフォームも変わってくるし、球の勢いも違ってきてしまう。
自転車と同じように、自信満々のとき、
つまり前者の方がいいパフォーマンスを発揮できることは言うまでもない。

~ドラフト1位でも、1年目は活躍できないその理由とは?~

ただ、だからといって、
雄星の現状を悲観することはまったくない。
田中と同年代で、現在、広島で大活躍している前田健太も、
1年目は一軍登板はなかった。
西武の涌井秀章も、わずか1勝に終わっている。
実際には、たとえドラフト1位であっても、
いきなり手を放され、
1年目から高校時代と同じようにスイスイと自転車をこげるものではない。

普通に投げることさえできれば、相手がプロとはいえ、
そう簡単に打たれるものではない――。
それを頭ではなく、体が信じられるようになるまで。

たとえどんなにすごいボールを持っているルーキーであっても、
その境地にたどり着くまでがけっこう時間がかかるものなのだ。
それは雄星とて、例外ではなかったということだけなのだろう。  



【筆者プロフィール 中村計氏】

1973年千葉県出身。ノンフィクションライター。
某スポーツ紙を経て独立。
『Number』(文藝春秋)、『スポルティーバ』(集英社)などで執筆。
『甲子園が割れた日 松井秀喜の5連続敬遠の真実』(新潮社)で
第18回(2007年度)ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。
他に『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)、
共著に『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)などがある。
『雪合戦マガジン』の編集長も務める。
趣味は、落語鑑賞と、バイクと、競艇。

ミルミル野球復活
2010年07月13日 (火) | 編集 |
                村瀬秀信=文


一時はどん底の状態まで落ちたスワローズが、
なぜ再起を果たすことができたのか。

不調だった先発投手陣の復調や、青木、田中、相川の打撃好調
なども考えられるが、
最大の要因は増渕、松岡、林の救援投手陣が
確立されたことであることは間違いない。

かつての阪神のJFK、
今季もオリックスのJHK(J・レスター、平野、岸田)、
ソフトバンクのSBM48(攝津、B・ファルケンボーグ、馬原、甲藤)など、
近年の野球界では終盤の7、8、9回を凌げる
「勝利の方程式」と呼ばれる救援陣の仕事ぶりが、
試合を有利に進める条件となっている。
昨年のヤクルトも、松岡、五十嵐、林の救援陣が機能し
3位となったが、今季は、五十嵐がFAで抜けてしまい、
救援陣に穴が空いてしまっていた。
4月、5月の不振はシーズン前から懸念されたこの穴が
埋められなかったことが一因ともいえよう。

~その穴を4年目の増渕が見事に埋めた~


「ハンカチ世代」の高卒ドラ1としてルーキーイヤーから
期待を受けていた増渕は、先発としてなかなか力を出せず、
昨年はケガもあって1試合のみの登板で終わっていた。

今季は開幕から中継ぎで登板し、
150kmをマークするなど球威も戻っていたが、
大きな転機となった試合があった。
6月7日のロッテ戦。
打者4人に2本塁打を含む4安打と一死も取れずにKO、
10連続安打の日本記録にも貢献してしまうというオマケもつく
屈辱の登板だった。 
その登板の後に、増渕はこう語っている。

「自信のある真っすぐを打たれたらしょうがない。
 気合いを入れて思い切り腕を振るだけ」。
開き直った結果、威力あるストレートを中心とした力の投球で、
その後の5試合を無安打無失点。
林と松岡の前の7回に増渕を起用することを決めた小川監督代行からも、
「最近は自信を持って投げている。
 イニング途中からでも頼る場面が出てくる。
 もう完全に任せられる」と信頼を勝ち取り、
新救援陣の一角の座を確たるものにした。


~「トリオ・ザ・ミルミル」の活躍で“フン詰まり”打線も活性化~

こうして完成したヤクルト新救援陣。
増渕、松岡、林(LIM)の頭文字を取ればMMLとなるところだが、
ここは今年の「ミルミル野球」と、
母上がヤクルトレディである増渕に免じて、
M・M・LIMの「トリオ・ザ・ミルミル」とでもしておきたい。
かなり強引ではあるが。

悪玉菌をやっつけて、生きて白星を小川監督代行まで届ける。

序盤にリードを奪えば勝ちが計算できることで、
フン詰まりの打線も活性化。

しぶとくとった点数を、みるみる投げて、みるみる凡退、守り切る。
チームイキイキ、トリオ・ザ・ミルミル。

そんな極端な連敗、連勝が続く「ミルミル野球」のヤクルトではあるが、
昨年の戦い、そして今季の連勝中の戦いぶりをみれば、
スワローズが力のあるチームであることは間違いない。

4、5月に連敗したのは、選手がケガや不調に陥り、
メンバーが揃わずにいたことも大きい。
その証拠に、好調の波を引き寄せた小川監督代行は、
高田監督の頃と比べても戦力をあまりいじっていないのである。
したことといえば、青木や増渕の配置転換、
新外国人にホワイトセル
(この名もミルミル拡販路線の暗喩のような気がしてならない)
を投入して外国人を競争させるなど、
選手にちょっと目先を変えさせたこと。
それだけで、チームの活性化と、勢いを引き寄せたように思える。

~まるでビフィズス菌のような小川監督代行の発言~

 小川監督代行は監督としてのポリシーを次のように語っている。

「監督に色がなくてもいい。結果が出ればいいのだから」

 さすがはミルミル野球の長、まるでビフィズス菌ではないか。

とはいえ、昨日の阪神戦では増渕が打たれてスワローズは2連敗。
調子は下降気味で、順位も5位に後退と、
「ミルミル野球」を前提に考えると、
悪い方にミルミル行くような嫌な予感を感じずにはいられない。

しかし、奇しくもミルミルが発売された'78年は、
ヤクルトスワローズが初の日本一に輝いた年である。
再発売となった2010年も何かが起きるに違いない。
「ミルミル野球」の今後に注目だ。



【筆者プロフィール 村瀬秀信】

1975年神奈川県生まれ。
茅ケ崎西浜高校野球部卒。
全国を放浪後、出版社・編プロ勤務を経て独立。
エンタテイメントとプロ野球をテーマに
「Number」「週刊文春」「週刊プレイボーイ」「GOETHE」などの雑誌へ寄稿。
幼少期からの大洋・横浜ファンのため、
勝敗に左右されずプロ野球を愉しむ術を自然と体得。
趣味は球場グルメの食べ歩き。
応援歌の詞の鑑賞

「飛ばない」低反発球に統一決定!矛盾抱えつつもプロ野球界が国際化
2010年07月12日 (月) | 編集 |
               鷲田康 = 文   


5年前に同じ掛け声を聞いた。

2005年にプロ野球の各球団はこぞって「低反発球」――
いわゆる「飛ばないボール」を採用した。

それまでセ・リーグで「飛ぶボール」を使っていたのは
巨人と横浜だったが、
両球団の本塁打数はこの年に激減。
チームの年間本塁打数は巨人が前年の259本から186本、
横浜も194本から143本へと減少した。
パ・リーグではロッテ以外の5球団が前年までは
「飛ぶボール」を使用。
その5チームが「低反発球」に切り替えたことで、
リーグ全体の本塁打数は920本から827本と約1割も少なくなっている。

実際にその後は各チームの本塁打数は以前に比べれば
低い水準に落ち着いている。

~年平均本塁打数が209本から174本へ激減している巨人~

あれだけ一発の印象の強い巨人でも、
2005年以降の本塁打数は186→134→191→177→182と推移。
合計870本塁打で年平均にすると174本。
2000年から2004年までの5年間の合計1049本、
年平均で209.8本塁打という数字からは、
まさに“激減”ということになる。

だが、それでもまだ球界には
「飛びすぎる」という声が引きも切らない。

理由はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)や
オリンピックなどで使ってきたボールとの違いだった。

「これからの日本球界の一つの方向性として
 国際化という道があるとすれば、
 ボールをどれだけ国際試合で使っているものに近づけていくか。
 そこも一つの課題となるはずだ」

昨年のWBCを終えて、
日本代表チームの監督をつとめた巨人・原辰徳監督の総括の一つだった。

~「飛ばない」だけでなく他にも多くの違いがある国際基準~

その声を受けて動いたのが加藤良三コミッショナーだった。

「プロ野球の公式戦で使うボールを国際基準にする」

そのトップの掛け声で再び、ボール改革がなされ、
来年から1軍の公式戦ではミズノ社製のいわゆる
「飛ばない」ボールの使用が決まった。

ただ、国際化という側面から考えると、
この新球でもクリアできない問題は多く、
作り手はそこにある種のジレンマを感じざるを得ないのだという。

 一つはボールの「滑り」だ。  

~急激にボールの質を変えると選手の故障につながる~

国際試合で使うボールは表面がツルツルしていて、滑りやすい。
それが日本のボールに慣れている投手には非常に違和感となって、
慣れるのに時間がかかると言われる。

実は日本のボールは革をなめす段階でたっぷりと油を含ませて、
しっとりとした仕上げにしている。
それが独特の指に吸い付くようなしなやかさを生んでいる。

ところがメジャーで使用してるボールや、
同じミズノ社製でも五輪などで使用された中国製「ミズノ150」
というボールは、この油になじませる過程が短く、
ツルツルしたものとなっている。

要するに丁寧に作ったボールより、過程を少し省略して、
言葉は悪いが粗悪に作ったものに
合わせなければならないことになる。

ただ、このボールの滑りに関しては、
今回は見送られることになった。

現場サイドから
「急速なボールの感触の変化は、
 握りの強さやフォームに影響するため、
 故障の原因になりかねない」という声が上がっていた。
そこを配慮したものだった。

~あえてボールの品質を落とすという努力もするべき!!~

そしてもう一つはボールの均一性だった。

実はメジャーの使用球(R社製で生産地はコスタリカ)の
大きな特徴として、ボールの縫い目や、
ひどいものでは球体の形そのものが不ぞろいなものさえ
あるといわれている。

来年から採用されるボールでは、縫い目を高くして、
これまで選手から「
握った感覚が大きく感じる」といわれていた
メジャー球に近い形状をできるだけ再現することになる。
ただ、それでもあえて縫い目や形を不ぞろいにすることはできない。

「ボールの国際化とは品質を劣化させることなんでしょうか……」

あるメーカー(あえて断っておくがミズノ社ではない)
関係者の言葉だった。

技術力と独特のキメの細かさからこそ起こる
「飛ばないボール」論争。
もし国際化を一義的に意識したボール改革を断行するならば、
徹底してメジャーの使用球に近づけることも必要だろう。
あえて日本的な感覚では“粗悪品”となるボールを作ることになっても、
徹底してやらなければ意味はないような気もする。
  

【筆者プロフィール 鷲田康氏】

1957年埼玉県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。
およそ10年にわたり読売ジャイアンツ取材に携わった。
2003年に独立。日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、
Numberほか雑誌・新聞で活躍。
著書に『僕のメジャー日記 松井秀喜』(文藝春秋)、
『ホームラン術』(文春新書)がある。

仲間
2010年07月06日 (火) | 編集 |
サッカー日本代表の活躍がまだ脳裏に残る中、
高校野球も熱い。
8月7日に開幕する夏の甲子園大会を前に、
先月から地方予選が火ぶたを切った。
中でも注目は、岩手県立伊保内(いぼない)高校3年の
MAX147㌔右腕、風張蓮(かざはり・れん)投手(17)。
今月17日、県立西和賀と初戦を迎える。

伊保内高のある風張投手の故郷・九戸(くのへ)村は、
青森県との県境に近く、山に囲まれた養鶏の盛んな
のどかな土地柄だ。
ちなみに、一から九まで『戸』のつく市長村は青森県と
岩手県にあり(四戸だけ現存しない)、
その起源は平安時代とも鎌倉時代ともいわれる。

そんな古い歴史を持つ村に現れた期待の球児、
風張投手は身長1㍍80、80㌔の恵まれた体から繰り出す
剛速球と鋭いカーブが武器。
春の岩手県大会にはプロ10球団のスカウトが
集結したほどだ。
軟式野球部に所属した九戸中時代から私立の強豪校に誘われたが、
仲間5人とともに地元・伊保内高の硬式野球部に入った。

全員、志を高く持ち、高校生活最後の夏に県大会で優勝で
甲子園初出場を目指す。
野球部長の地歴公民科教師、飯塚高さん(33)によると、
『蓮は普段、口数の少ない真面目な子ですが、
 試合になると率先して声を出す。
 内に秘めた闘志はすごい』と語る。
歌が好きで『遠征の合宿ではEXILEのヒット曲をアカペラで
みんなと歌ってます』とチームの結束力も厚い。

プロ志望と見られ、
今秋のドラフトの目玉に躍り出る可能性もある。
昨年も、ハイレベルの岩手からは雄星(本名・菊池雄星)が
埼玉西武ライオンズ入りしたばかり。
世の中をワクワクさせてくれるスター選手に
育ってほしいものだ。


          サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                     森岡真一郎氏