日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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交流戦初優勝の立役者、Tー岡田の“貪欲な成長”~MVPを獲得した若き4番打者~
2010年06月29日 (火) | 編集 |
永谷脩 = 文   


「3割3分以上を打たないと、
 ウチでは3割打者とは言わんのですワ」と謙虚に語るのは、
交流戦を初制覇したオリックスのT-岡田。
それもそのはず、交流戦打率3割1分7厘、6本塁打、
24打点の活躍を見せたが、
チームには3割8分9厘の坂口智隆を筆頭に、
交流戦3割打者がズラリと並んでいるからだ。
だが、岡田彰布監督は「優勝の立役者の一人」として
22歳の若き4番の名を挙げる。

昨オフ、岡田貴弘が半ば強制的にT-岡田に改名させられたのは、
岡田監督のひと言
「同じ名前でややこしいやん」が発端だった。
オリックスには、仰木彬監督時代からパンチ佐藤、イチローら
「改名すると急成長する」という“伝統”がある。
当時のイチローを知る唯一のコーチ、米村理が、
「イチローのキャンプもすごかったが、T-岡田も、ようやる。
 時間外勤務が長すぎて、労働基準法違反やでェ」と語っていたのは、
今春の宮古島キャンプであった。
「練習はウソをつかない」はイチローの言葉だが、
T-岡田にも、今季、早々とその効果が現れている。  


~“浪速のゴジラ”覚醒の理由は豊富な練習量にあり~

高校時代は大阪桐蔭の辻内崇伸(現巨人)らと共に
“浪速の四天王”と称され、
'06年のプロ入り後はウエスタンで本塁打・打点の二冠王に輝き、
“浪速のゴジラ”と呼ばれるようになった。
昨年は8月から一軍に定着、43試合で7本塁打。
だが、三振も59喫し、
「バッティングの師」と仰ぐタフィ・ローズに相談したこともあった。
そのローズが解雇されたのは、
金銭面の問題の他に、T-岡田の成長を見越した面もある。
「タフィさんの“T”をもらったと思えば、あの当時、
 言われたことを思い出せる」と、
ファンの公募で決まった名前も前向きにとらえた。

「将来を考えれば、守れて打てる選手でなければいけない」と、
DHを嫌って守備を志願したカブレラをスタメンから外してまで
一塁手に起用し、カブレラが故障したとき、
あえて4番に使った岡田采配。
その期待感がひしひしと伝わるから、
「練習志願せざるを得ない。今は練習が当たり前になった」
と本人は言う。

今季、激減した三振については、
「配球や読みがわかるようになってきた」。
今季から野球ノートをつけ始め、
「自分では判別できなかった球種について、
 必ず聞きに来るようになった」と、
島袋修チーフスコアラーがそっと教えてくれた。

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ドラフト1位候補を3人に絞った巨人
2010年06月26日 (土) | 編集 |
実力の沢村、人気の斎藤、将来性の一二三。
巨人がドラフト1位候補を、どうやらこの3人に
絞ったようだ。

ことしは過去10年でもまれにみる豊作だ。
特に投手の1位候補は高校、大学、社会人を合わせて
10人を超える特A級がいて、
そこから誰を選択するか。
すでに水面下では各球団の駆け引きが始まっている。

その中で、巨人が重点候補としてリストアップしたのが
前述の3人だという。


中大の沢村は速球が150㌔を超える本格派。
一方の斎藤は早実高時代に“ハンカチ王子”として
絶大の人気を誇り、
そのマウンドさばきはプロ向きと評価する声も多い。
そして、将来性ではダルビッシュ級とも言われる
東海大相模高の一二三。
今春のセンバツでは1回戦で姿を消したが、
高い評価は変わらない。

今春の東都大学リーグ、中大ー国士舘大にはメジャーも含めて
日米16球団のスカウトが集結。
その中には巨人の清武代表の姿もあり、
直々に足を運んで“誠意”を示した。
ただ、これで決まりかというと、そうでもないようだ。

『結局はくじ引き。“逆指名”や希望枠のあった時代は早め、
 早めに選手を絞ってアタックをかけていかなければ
 ならなかったが、
 逆に今は最後の最後まで選手を力を見定めて、
 1位は直前に決めればいい』

ある在京球団のスカウトの話だ。

希望枠があった時代には、早めに仕掛けすぎて
身動きが取れなくなったこともあった。
巨人は“逆指名”にこだわり、“逆指名権”のない高校生を
1位指名できなかったため、
甲子園のスター選手を逃したマイナス面が指摘されている。


高校生は夏の大会を経て、見違えるように成長する選手が
珍しくない。
しかも、そういう選手は甲子園のヒーローとして
人気も全国区となることが多い。

斎藤の再評価とともに、一二三がこの夏に
どんな姿を見せるのか。
原監督の母校・東海大相模高出身ということは抜きにして、
そこが巨人のドラフト戦略の大きなカギを握りそうだ。


    サンケイスポーツ 『球界インサイドリポート』より
                      鷲田康氏
「斎藤世代」だけじゃない!! ドラフトの目玉はPLの吉川大幾。
2010年06月24日 (木) | 編集 |
             氏原英明 = 文 

 スカウトの声が弾む。

噂の選手の姿を目の当たりにしたからだ。

「澤村はいいよぉ。この前、観てきたんだけど、157キロだよ。
 神宮最速だって。
 終盤でも150キロ出ているし、変化球も切れのある球を投げる。
 あの選手は本当にいい投手だ」

「斎藤? 大学生で神宮を満員にできる投手がどこにいる? 
 すごいことだよ。
 ダルビッシュのようになるというのは難しいかもしれないけど、
 彼の持っているものからすれば、
 ローテーションを守っていくだけの力はある。
 それに、集客力とかも考えたら…
 球団にもたらす影響は計り知れない。
 そういう面で選手を評価することも悪くない」

スカウトの多くが来たるべき、
「斎藤世代」のドラフトに大きな期待を寄せている。

 斎藤佑樹、大石達也、澤村拓一……。

来年の春に大学を卒業する「斎藤世代」には、
とにかく優れた投手が多い。

~”BIG3”の他にも逸材投手が揃う「斎藤世代」~

ご存じ早大の斎藤佑樹に大石達也、中央大の澤村を加えた3人は、
BIG3といっていい。
この他にも、斎藤、大石と同じ早大の福井優也は、
ストレートで最速152キロを記録している。
法政大の加賀美希昇(かがみ きしょう)は
恵まれた体格からの迫力満点の投球が特徴。
佛教大・大野雄大はプロからの需要が高い左腕にして速球派だ。
鹿児島工時代、斎藤とともに甲子園を沸かせた
榎下陽大(えのした ようだい/九州産業大)も、
着実に成長を遂げドラフト上位候補と噂されている。

中央球界だけでなく、全国へと目を向けると、
さらに多くの逸材投手が出てくるのだ。

斎藤、大石、澤村のトップクラスを指名重複して外れたとしても、
その保険となる投手も見劣りしない。
となれば、スカウトとしての仕事は容易いものになる。
声が弾むのも無理はないのだ。
「斎藤世代」という言葉に歩調を合わせて、大学生の、
しかも、投手を指名しておけば、スカウトの役割はそれで片が付く。

 しかし……。

この春から夏にかけて、大学野球だけでなく、
高校野球、そして、プロ野球を併せて観ていて、
ふと気付いたことがあった。

今年の新人にして、
さっそくプロでの活躍を見せる3人の選手を目の当たりにしたとき、
プロが求めているイマドキの人材の特徴が浮き出ていると気がついたのだ。 


~今のプロ野球には「右打ちの野手」が求められている~

その3人とは、長野久義(巨人)、荻野貴司(千葉ロッテ)、
藤川俊介(阪神)である。

長野は、一時期ほど好調ではないが、
巨人には欠かせない選手の一人となっている。
外野ならどこでも守れるユーティリティー性とすでに
2個の補殺を記録した肩、率より勝負強さで光るバッティングは
7本塁打を記録している。
昨日(6月22日)は3打点の活躍だった。

荻野は、現在は故障離脱中だが、
以前のコラムでも書いたように、シーズンの序盤戦を足で席巻した。
俊足を生かした守備や、
捕球から送球までのスピードで魅せるスローイングも、彼の持ち味だ。

藤川は守備固めの出場ばかりだが、
ザルのような阪神外野守備陣には貴重な存在だ。
外野はどこでも守れ、守備範囲も広い。
途中出場が多い中、補殺も1個記録している。
ルーキーイヤーにして、阪神守備陣の切り札的存在である。

3人に共通するのは「右打ちの野手」であるということだ。
昨年のドラフト直後のコラムでも書いたが、
今のプロ野球には右打ちの野手が求められている。

3人に実力があったのは紛れもない事実だが、
キャンプから一軍に入り、今の立場を確立できたのは、
そうしたコマ不足の状況があり、期待にしっかり応えたからだろう。

~2年生で中田翔やT-岡田と並ぶ記録を達成した吉川大幾~

 そこで、この秋のドラフトである。

まさしく人材は大学生を中心に「豊作」と言えるのだが、
右打者の需要が大きい中、
投手陣に逸材が多い「斎藤世代」という流れだけで、
ドラフトを片付けてしまっていいのだろうかとも思うのだ。
この春、長野や藤川の活躍を脳裏に浮かべながら、
高校生のあの男の姿を見て、改めてその想いを強くした。

 三拍子がそろうPL学園の遊撃手・吉川大幾の活躍である。

吉川は右打ちの野手であり、現在は遊撃手を守るが、
2年秋まではセンターを守っていた。
内・外野どこでも守れ、
バッティングにおいては、昨夏の大阪府大会で5本塁打を記録。
ちなみにこの記録は、中田翔(日ハム)、T-岡田(オリックス)
に並ぶ数字で、しかも、
彼らが記録したのが高校2年時で、
吉川も同じく2年で達成したという奇縁もある。
吉川は中田やT-岡田とは違う巧打者タイプだが、
175センチの身体でもボールを遠くに飛ばせるリストの強さに
スカウトも目を見張っている。

積極的に次の塁を狙う走塁面においても、
一塁到達が4秒台前半で駆け抜け、
エリート選手にありがちな手抜き走塁が見られない。
さらに、彼を推したいのは、その意識の高さである。
プロの世界で通用していくであろう期待を抱かさせる、
意志の強さが感じられるのだ。 


~プロでの失敗を想像できないポテンシャルと意識の高さ~  

 吉川がこんな話をしていた。

「自分は負けず嫌い。
 だから、プロの世界に早く行ってみたいという気持ちがあります。
 プロって、すごい技術のもった選手の集まりじゃないですか。
 そこに行けば負けたくないって思うから、
 自分自身が成長できると思う。
 同じポジションとか、同世代とかには、絶対、負けたくないですから。
 守備について、どこでも守れる選手になっていたい。
 新外国人とかが入団して来て、出られなくなるんではなく、
 吉川はどこでも守れるって 
 監督に信頼してもらえる選手になりたいんです」。

走・攻・守の高いポテンシャルと意識の高さは、
プロでの失敗を想像できない。
失敗例の少ないPL学園出身というのもいい。
どの面をとっても、吉川には「斎藤世代」に劣らぬ魅力があふれている。 


~荻野のサプライズ1位指名の再現はあるのか?~

昨年、雄星(西武)を指名するといわれた千葉ロッテが、
サプライズで荻野を1位指名したようなことが、
起きてもおかしくはない。
「斎藤世代」だからといって無視するにはもったいない逸材なのだ。
この春から夏にかけ、高校野球、大学野球、
プロ野球を見ながら、そう思わずにはいられなかった。

 ある在阪担当のスカウトがつぶやいていた。

「うちのチーム、外野手は足りているからいらんのよなぁ。
 でもなぁ…吉川、セカンドでけへんかなぁ」

高校生野手トップ評価の逸材・吉川は
「斎藤世代」に待ったを掛けることができるのだろうか。

彼を審判する最後の夏、
全国高校野球大阪大会は7月10日に幕を開ける。



【筆者プロフィール 氏原英明氏】

1977年ブラジル生まれ。
奈良大学を卒業後、地方新聞社でのアルバイト勤務を経て、
フリー活動を開始。
高校野球を中心に活動を続けるが、
野球を通じた人間性、人生観を伝え続け、
Numberのほかに野球専門誌で活躍。
WEBの世界でも「人間力×高校野球」(高校野球情報.com)
と題したコラムを連載している。

日米間で異なる野球の「暗黙の掟」。 日本は独自の流儀を貫くべき?
2010年06月21日 (月) | 編集 |
              中村計 = 文 

ワカラナイ。

いわゆる「アンリトゥン・ルール(unwritten rule)」というやつが、だ。
書かれていないルール、つまり「暗黙の掟」などとも言われる。

6月10日の楽天-中日戦でのことだ。

6-0と中日の6点リードで迎えた8回表。
2死走者なしから、中日の2番・大島がバントヒットで出塁。
すると、楽天ベンチから「マナー違反だ!」という
ニュアンスの大ブーイングが起きた。
そして次打者の森野の打席のとき、初球、
インハイのボールを投げ込まれたのだ。

 それに対し、落合監督はこう激怒したという。

「何点あったって、ひっくり返されることもある。
 そんなことを言っていたら、勝てる野球も勝てなくなる。
 日本とアメリカの野球をごっちゃにしたらイカン!」

 至極もっともではないか。

~落合監督の考えは極めて真っ当な日本野球を表している~

時間制限のない野球という競技は、
1イニングしか残っていなくとも、確率は低いとはいえ、
その1回で10点を奪われる可能性だってあるのだ。

そもそも、大量リードしている場合、盗塁を企てるのは失礼だとか、
送りバントをするのは失礼だとか、その発想の根っこにあるのは
「相手が屈辱的と感じるから」という考え方だ。
だが、それはアメリカ的な思考回路だろう。
日本人には馴染まない。

日本で野球を覚えた選手は、高校野球に代表されるように、
小さい頃からトーナメント方式の野球がしみついている。
だから相手が大量リードを奪っているのに、
なおもどん欲に1点を取りにきても
「あのチームはスキがない」と感心こそすれ、
「そこまでするか!」と憤るようなことはないのではないか。

むしろ、サムライ的な発想からすると、点差がついたからといって、
一転して単純に打つだけの攻撃を繰り返されたら
「武士の情を受けるほど屈辱的なことはない」と
逆に気分を害しかねない。

~メジャーの思考回路が日本に馴染まないこともあるのでは?~

たとえば、こんなケースもある。
ある強豪校の監督は、普段はあまり送りバントはしないのだが、
点差が開いた途端に送りバントを多用し始める。
その言い分はこうだ。

「送りバントをやれば、
 相手は確実にアウトカウントを増やすことができる。
 ビッグイニングになりにくい。
 そうすると、ちょうど10点差ぐらいのコールド勝ちになる。
 でも、同じ調子で打ち続けていると15点差、
 20点差になってしまうことがある。
 そこまでやっちゃうと相手チームの子たちは野球をやるのが
 嫌になっちゃうと思うんですよね」

つまり、この監督の場合は、
相手チームに屈辱感を与えたくないからこそ、
点差がついたらあえて送りバントをしているわけだ。
プロ野球ではありえないが、そういう考え方だってある。

狭量とさえ思えるアメリカ的なアンリトゥン・ルールに
そこまでの深慮はあるまい。

~イチローはどんな打席でも手を抜かなかった~

イチローが日本にいた頃、オリックスの勝ちが決定的であっても、
最後までイチローの盗塁が見たかったし、
芸術的なバントヒットも見たかった。

イチローのすごさは、技術的なことより前に、
ひとつの打席、ひとつの走塁、ひとつの守備に対し、
どんなときでも手を抜かないところにあるのだ。
イチローもそれを何よりものファンサービスだと心得ていた。

何人もの日本人選手がメジャーでプレーするようになって流入してきた
アンリトゥン・ルールは、そんな考えを根底から覆す。

 楽天の選手たちに聞いてみたい気がする。

「あのとき、本当に失礼だと思いましたか?」と。

もちろん、チームの士気を乱しかねないので、
そうは思わなかったとは言えないだろうが。

~「世界基準」があるなら直すべきところは直すべき~

それまで日本では常識とされていたキャッチャーが
捕球時にミットをストライクゾーン寄りに動かす行為や、
ランナーコーチがアピールのために明らかにアウトであっても
セーフとばかりに両手を広げる行為は、確かに、
審判に対する侮辱といえばそうだ。
「世界基準」に反するというのなら早急に改善すべきだろう。

しかし、大量リードしている場合の盗塁や送りバントが
相手を侮辱しているという論法にはやはり違和感がある。
そこはもっと柔軟性を求めたい。

少なくとも日本で日本のチーム同士でやる場合は、
落合監督の言う通り、日本の流儀を押し通せばいいのではないだろうか。



【筆者プロフィール 中村計氏】

1973年千葉県出身。ノンフィクションライター。
某スポーツ紙を経て独立。
『Number』(文藝春秋)、『スポルティーバ』(集英社)などで執筆。
『甲子園が割れた日 松井秀喜の5連続敬遠の真実』(新潮社)で
第18回(2007年度)ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。
他に『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)、
共著に『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)などがある。
『雪合戦マガジン』の編集長も務める。
趣味は、落語鑑賞と、バイクと、競艇。

『自分を捨てる』ことなしにパのエースたちは攻略できない
2010年06月16日 (水) | 編集 |
サンケイスポーツ 『’10ノムラの考え』より

休養明けでノムラ筋全快!!

≪不思議の投手≫

どうして巨人打線が和田を打てないのか。
もちろん好投手ではあるが、納得しがたいのではないか。
和田は『不思議な投手』なのである。

この日(12日の交流試合3回戦 巨人対ソフトバンク)
和田が投げた104球のうち、なんと直球が半数近くを
占めていた。
140㌔前後の球速なのに、直球と変化球の割合はまるで
本格派投手の比率。
しかも小笠原とラミレスはその直球に空振り三振し、
阿部も直球を2度も簡単に打ち上げてしまった。

『球の出どころが見えないんです』―。
何度も楽天の打者たちに聞かされたものだ。
そのたび『だったら見やすくせい!!』と怒鳴った。
『見にくい』ばかり聞かされれば、
対戦のない打者でも暗示にかかる。
結局この日の巨人打線のように意識過剰になる。

球速があるわけではない。
際立って打てない球種もない。
ただ、フォームに特徴がある。

『左手が、投げる瞬間まで完全に体の後ろに隠れている』―。

それだけのことで、打者はタイミングが取れない。
投手の手首を見て反射的に始動する打者が多いからで、
この反射が無意識だから厄介なのだ。
和田の投法を私は
『いないいないばあ』と呼んでいた。
『いないいないばあ』にデーター分析は、あまり役に立たない。
『この球種に気をつけろ』と指示しても、
タイミングが合わせられないのだから、無意味なのだ。
そうなると個人の努力に頼るほかない。


≪セにない独自性≫


一昨年の楽天・山崎がそうだった。
いつもは足を上げた瞬間から『1、2の3』でタイミングを取るが、
和田相手のときだけは一瞬、バットを投手方向に倒して遠回りさせる。
こうして遅めの内角直球にタイミングを合わせて、
7打数6安打3本塁打した。
『見やすくせい!!』への、彼なりの答えだった。

山崎ほど打撃動作が大きくなければ、
『1、2の3』の『1』を省略して、『2』から始めて
コンパクトに備える。
これなら隠されたボールが見える瞬間からタイミングを取れる。

肝心なのは『いつもの自分』を捨てることだ。
交流戦でパがセを圧倒した。
和田以外にもダルビッシュ、杉内、涌井、岩隈・・・と、
パには他人がまねできない『独自性』を持った投手が多い。
セの打者から見れば『来た球を打つ』だけでは
攻略できない投手ばかり、ということだ。
その上、対戦が多くても2度しかない交流戦では、
極端な対策も立てられない。

逆にセには、打者が自分を捨てずとも攻略できる投手が多い
ともいえる。
これこそが『打てない』『勝てない』原因に
なっているのではないか。

これが私が推理した『パ高セ低』の結論である。


       サンケイスポーツ 専属評論家 野村克也氏




驚くぐらい球が飛ぶ
2010年06月15日 (火) | 編集 |
読売新聞 『時代の証言者』 ホームラン王 王貞治(13)より

マスコミは、僕が『一本足打法』に切り替えたことにすぐには
気づかなかった。
何試合かたってからですよ、
『王が変な打ち方をし始めた』と。
川上(哲治)監督は何も言わなかった。
びっくりしていたと思います。

≪だがネット裏の『一本足打法』に対する評価は芳しくなかった。
 評論家のほとんどは
 「あの構えではタイミングを外されると手も足も出ない」
 「田んぼのカカシだ。強い風が吹けば倒れる」などと言った≫

荒川さんは『悪評なんて結果が良ければ変わる』と言ってね、
僕の練習をさらに厳しくした。

結果、本塁打はどんどん増えていった。
僕が一本足で打ち始めたのは1962年(昭和37年)の
7月1日からですが、7月の1ヶ月で10本打てた。
それまでは3ヶ月で9本ですよ。
結果が出始めると、もっと打ちたい、打ちたいと思う。
そうなると日々の練習にも身が入るんです。

荒川さんと猛練習のお陰で、
バットを振る筋力はすごく強くなっていた。
本来、球を強く打てるタイプですから、
自分でも驚くぐらい球が飛ぶんです。

ホームランの会館は味わった者しか分かりません。
打球が飛んだ瞬間、スタンドに届くと分かる。
相手バッテリーも同じです。
僕と相手投手、捕手の3人だけがその瞬間、ホームランと分かる。
『やった!』と『しまった!』です。
球は放物線を描いて観客席に飛び込む。
時間が止まって僕だけがゆっくり走り出す。
誰も僕を止められない。
球場内のすべての視線が僕に注がれる。
何とも言えぬ気分なのです。
もっともっと味わいたいと思いました。

≪7月19日の中日戦から連続アーチをかけ、
 ホームラン争いで初の単独首位に立つ。
 9月9日の阪神戦では小山正明投手から3本塁打を放ち、
 チームの全5得点をたたき出した。
 王選手は本塁打38本、打点85の活躍で二冠に輝いた≫

うれしかったのは9月29日、シーズン最後の38号本塁打を
大洋の鈴木(隆)さんから打てたことです。
僕は左投手が苦手でね、鈴木さんはとりわけ苦手だった。
忘れもしません、2年目の6月でした。
先発が鈴木さんと発表されると僕はベンチに引っ込められ、
『もう帰っていい』と。
川崎球場の風呂場で、僕は悔し涙を流しました。

こうして本塁打、打点王の二冠を得て分かったことがあります。
給料は上がり、女の子も今までとは違う目で僕を見てくれる。
天国と地獄の違いでした。
前年までの僕はたぶん活躍する長島(茂雄)さんを
羨望のまなざしで見ていたはずです。
僕は心に誓いました。
この二つのタイトルは誰にも渡さないと。

荒川さんとの練習は辛かったけれど、僕から
『お願いします』という感じになっていったのです。


           西部編集委員 伊藤哲朗氏 
『足を上げて打ってみるか』
2010年06月14日 (月) | 編集 |
読売新聞『時代の証言者』ホームラン王 王貞治(12)より

荒川(博)コーチとのマンツーマンでの練習は、
1962年(昭和37年)2月の
宮崎キャンプから本格的に始まりました。
4年目の僕は、わらにもすがる気持ちだった。
もう低迷は許されないと。

パンツ1枚の裸でバットを振らされました。
荒川さんは名優。六代目菊五郎から
『芝居の稽古をする時、弟子を裸にした』と聞いたそうです。
筋肉の動きを見れば、どこに無駄な力が入っているか分かると。

≪荒川コーチは歌舞伎や合気道、居合術を研究して
 王選手の指導に行かした。
 ダウンスイングの会得のため真剣でわら束を切らせるなど、
 独特の指導は「荒川道場」と呼ばれた≫

とことん絞られました。
チーム練習の後に素振りをし、夕食後とミーティング後にも振る。
1日1000回は振ったでしょう。
僕の弱点は内角だった。
内角へ食い込むように投げられると、打球が詰まってしまう。
腕が伸びない。
どう克服するか、2人で試行錯誤を続けました。

公式戦が始まると球場へ行く前に多摩川で打つ。
試合が終わると荒川さんの家でバットを振る。
僕は21歳で荒川さんは31歳。
若かったからできたのでしょう。

ある日、荒川さんが話したのです。
内角を攻められて詰まるのは、バットの始動が遅いからだ。
では最初からバットを後ろに引き付けておいたらどうか。
相手投手が足を上げるのに合わせ、こちらも足を上げる。
太ももが水平になるくらい上げてみよう。
相手が足を地面に着けたら、こちらも下ろしていく。

『一本足打法』です。

忘れもしない、7月1日の川崎球場での
大洋戦ダブルヘッダーでした。
第一試合で、荒川さんから『今日は足を上げて打て』と
指示されたのです。

≪試合は前夜の雨で開始が30分遅れ、
 巨人はスタッフミーティングを開いた。
 ここで別所毅彦コーチが打線の不調をなじり、
 カッとなった荒川コーチは思わず
 「王に本塁打を打たせる」と宣言したという≫

僕は前日、大洋の鈴木隆投手に3打席2三振に抑えられ
代えられていた。
帰る時に荒川さんに言った記憶があるのです。
『打席に立つのが怖い』と。

荒川さんは言った。
『打つのが怖いと言うくらいなら、
 思い切って足を上げて打ってみるか』―。

その夜に一本足の練習をし、
1日の試合前のフリーバッティングで試した。
一本足で実際に球を打ったのはその時が初めてだったはずです。
それが一打席目で稲川誠投手からライト前に安打を打てた。
2打席目は右翼席への本塁打です。
4打席目も安打になった。
一本足で5打数3安打ですよ。
僕はもう、わあっという気分になった。

あの日打てなければ『一本足打法』は続けていなかった。
光明が見えました。
ああ、この打法は僕に合っているんだと。

            西部編集委員 伊藤哲朗氏
反抗期
2010年06月13日 (日) | 編集 |
ここ数日、息子との溝が広がりつつあります。
本当に野球をこれから続けていく気持ちがあるのかないのか、
全く分からないでいるのです。

先週1週間は送別会と称し、
クラスで3週間、教育実習に招かれていた大学生のために、
準備や計画を代表でまとめる、とかで
放課後の部活動には参加せず、そのまま帰宅する始末。
もちろん、帰ってからも素振りなどするわけもなく、
家庭学習も疎か、夕食後は寝てしまう・・・。
そんなだらけた1週間を過ごして案の定、
18日からの総体地区予選の背番号『20』をもらい落ち込み、
壮行会後すぐに自ら背番号を背中から外し、
『また違う背番号を大会までにもらうから外した』
と体裁を気にする・・・。
そして今日、やはり背番号『20』をもらい
さすがに落ち込む息子。

同じ箇所の右肩を、小学校の頃からしょっちゅう痛め、
今回も大したことはしていないのに
『また同じ箇所を傷めた』と言う息子。
先輩はケガを押してまで、最後の総体に懸けて気持ちを入れ、
態度で後輩らに示し見本を見せてくれているのに、
うちの息子は知ってか知らずか、気にもせずマイペース。

中学に入ってからは、自ら計画を立て、部活動に取り組んでくれる
はずだったのに、
言われるまで何もしない、考えない、計画性もない。
目的意識がなさ過ぎで、私も口を開けば
『何でやらないの?何でわからないの?』と
けんか腰になってしまい、衝突してしまう。

自分と同じ失敗をしてほしくない、と願い
近道を教えてしまうのは私の悪いクセだったな・・・と
反省もしています。
痛い目に遭わなければ分からない、と思いつつもつい、
近道を教えてしまう。


主人と昨晩話し合い、
目をつむって一歩後ろで黙って応援していこう、
と決めました。

素直にすくすくと育って欲しい、なんてことは
無理なはなしで、
自己主張をするようになるのも成長過程で大切なこと。
本人の主張を10のうち3は聞いて
あとは聞き流すくらいの大きな気持ちで
これから接していきたいと思いました。

自分も中学時代はこうだったのかな。


ある少年ファンの言葉を胸に、辞任した高田繁監督が描く“夢”
2010年06月02日 (水) | 編集 |
               鷲田康 = 文 

ヤクルトの高田繁監督が、シーズン半ばにしてその職を辞した。

「監督として責任を感じている。
 最後にこの状況を変えるには、
 監督を辞めることじゃないかと思った」

5月26日の楽天戦後の神宮球場。
急きょ報道陣を集めて行なわれた辞任会見で、
高田監督は静かに決断の理由を語った。

大阪の浪商から明治大学を経て巨人に入団。
攻守にスマートな外野手としてV9の一翼を担った。
現役を退いてからは1985年に日本ハム監督に就任。
その後は古巣巨人のヘッドコーチ、2軍監督を歴任した。

だが、その手腕を最も発揮したのが、
2005年から3年間務めた日本ハムのGM時代だった。
ダルビッシュ有投手のドラフト指名や稲葉篤紀外野手のFA獲得などで、
豊富な人脈を生かした数々の強化に成功。
現在の“強い日本ハム”の礎を築いてきた。

~次世代へ野球人生を捧げたい……高田監督の熱い思い~

「でも、僕のような年寄りにできることは、
 若い人に自分たちの経験を伝えること。
 そのためにはやっぱり自分がユニフォームを着て現場に立ちたい。
 そこに自分の残りの野球人生を捧げたい」

2008年にヤクルト監督として7年ぶりに現場復帰したのも、
実はそんな「次の世代」への思いがあったからだった。
そして就任2年目の昨シーズンは、
チームを初のクライマックス・シリーズへと導いた。

だが、歯車はそのときからギシギシと鈍い音を
立てていたのかもしれない。

3年契約の最終年を迎える今季に向けて、
チームは新外国人選手の獲得を含めて、
ほとんど補強らしい補強をしなかった。
そのことに不満がなかったわけではなかった。
しかし、長いフロント生活から得た独特のバランス感覚で、
強く現場の要求を突きつけることをしなかった。
球団の資金不足も十分に承知していたこともあり、
不満をあえて表に出すことはなかった。

~補強無しに突入した今シーズン。打線が機能しなくなった~

そうして突入した2010年のシーズン。
開幕直後こそ好スタートを切ったものの、
その後は不安視された打線が全く機能しなくなり、
ズルズルと黒星を積みかさねていった。
5月2日から6連敗。
そして白星1つをはさんで交流戦が始まった12日からは
再び連敗地獄にはまり込んだ。
事ここに至って、
チームは新外国人選手の獲得やコーチ人事などで
てこ入れを図ったが、時すでに遅かった。

~球団が慰留したにもかかわらず辞任した真相とは~

「(この日の楽天戦の)勝ち負けは関係ない。
 これだけ騒がせて、
 選手が思い切って野球に打ち込める状況ではなかった。
 今朝、家を出る時点で腹は決まっていました」

ここ数日は一般紙を含めた新聞の紙面で、
進退問題が何度も取りざたされた。

「ヤクルトはリストラ的なことはしない」

 鈴木正球団社長はこう語って慰留に努めた。

その中で高田監督を最後に辞任へと決断させたのは、
ある少年ファンのひと声だった――
そう報じたのは、5月26日付の朝日新聞だった。

「高田、やめちまえ!」

試合前には必ずファンへのサインに応じる監督に浴びせられた、
少年ファンからのヤジ。
このひとことで監督の戦意は一気に失われた、
と辞任発表の当日、同紙は報じている。
その日の楽天戦で9連敗。
泥沼から抜け出すことができないままに、
監督はファンの声に背中を押されて“辞任”を決意した。

プロの世界はこれで最後。少年野球への夢を追いたい。
「次は少年野球の指導をしたい」

まだ、今季が始まったばかりの頃、
高田監督が親しい知人に漏らした“夢”だった。

一部では監督退任後はGM就任などのウワサが流れた時期もあったが、
実は早くから3年の任期を終えたら、
プロの世界とは決別することを決めていた。
今度は若手の選手ではなく、もっと小さな子供たちに、
「次の次の世代」に野球の魅力と楽しさを伝えたい。
そう決めていたのだ。

だからこそ少年ファンから浴びせられたひとことが、
たまらなく重く感じられたのかもしれない。
  


【筆者プロフィール 鷲田康氏】

1957年埼玉県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。
およそ10年にわたり読売ジャイアンツ取材に携わった。
2003年に独立。
日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、
Numberほか雑誌・新聞で活躍。
著書に『僕のメジャー日記 松井秀喜』(文藝春秋)、
『ホームラン術』(文春新書)がある。