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各テレビ局が競って特集を組む大スターになりつつある広島・マエケン
2010年05月30日 (日) | 編集 |
プロ野球交流戦はちょうど折り返し。
各チームとも別リーグ6球団との対戦を終えた。
明らかにパ・リーグの方が強いというのが正直な感想だ。
セVSパの42勝25敗1分けだが、
もっと差があるように感じる。
ファンなら誰もが思うだろうが、パの先発投手陣の
充実ぶりはすごい。

ダルビッシュ、涌井、岩隈、杉山、マー君・・・。
キラ星の如く名前が出てくる。
そんな剛腕たちにセでただ一人、対抗しているのが広島の
若きエース前田健太、通称マエケンだろう。
というよりも、この若者だけは現時点でパのエースたちを
上回っている気がする。
外角低めのストレートで見逃し三振を取るシーンは
一見の価値ありだ。

本紙専属評論家、野村克也氏がよく使う言葉に
『原点の球』がある。
打者の外角低め。
そこにいかに力のある球を投げ込めるか。
今のマエケンの投球なら、辛口のノムさんも目を細めるかも。
そんなマエケンから『原点』の言葉を聞いたのが今年1月。
母校・PL学園の新年初練習に姿を見せ、
後輩から離れて黙々と走り込んでいた。

『このグラウンドが僕の原点。
 気持ちを新たにできる場所です』―。
広島担当・山田記者に聞くと、キャッチボールの際、
グラブは腰にくっつけて、右手だけで投球する。
こんなことをする選手は聞いたことがない。
高校時代に教わった練習で、今もマエケンの『原点』の
練習法なんだとか。

チームの大エースだが、1軍投手陣最年少の22歳。
ゆえにボールを運んだり、ノックの際の捕球係もすべて仕事。
そんな若者が今や、各テレビ局が競って特集を組む
大スターになっている。
ダルにも成瀬にも投げ勝った最高にノッてる右腕。
見に行って損はないと思う。


        サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                   上田雅昭氏
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<天才の横顔>前田智徳 もののふの恥じらい
2010年05月29日 (土) | 編集 |
              藤島大=文


重たそうに引きずられる足、閃光のインパクト、
野手の届かぬ空間を裂く打球、
ああ、ここに前田智徳がいる。
奥の歯を噛んで笑みを封じる塁上の瞬間、
市民球場には善良なる市民の歓喜と安堵が交錯するのだった。

誰かは「サムライ」と書いた。
「天才」の見出しなら常にそうだった。
ただいま34歳。
九州は熊本の工業高校から球界を生きる場と選んだ男は、
いまだ青年の切れ味をたたえる打撃技術で、
本日も入場券の価値を高める。

 10年前の5月23日。神宮球場。

打つ。走る。守る。
すべてに優れた入団6年目の才能は、厳しい現実に襲われる。

 右アキレス腱断裂。

二塁ゴロで一塁へ駆けて、そのまま倒れた。
当時スワローズ遊撃手、池山隆寛は、
確かに鈍い濁音を野球帽の下の耳にとらえた。

「『ブチッ』という音が大歓声の中からはっきりと聞こえてきた」
(Number499号)

翌日、2時間半の手術。
8月4日まで入院。
以後、思うように走れず、踏ん張れず、再発の恐怖につきまとわれ、
つまり前田智徳は苦しみ、しかし、
欠落の分だけの新しい魅力を発散させながら重い歳月を過ごした。

左の打席へつく。
ゆったりとした動作が、いつしか小さくスキのない構えへと収まる。
右側の「体の壁」は絶対に崩れない。
世俗を超えた空間と時間は、突然、
メール送信の速度のスイングをもって消えた。

「天才」。
かの落合博満も、前田智徳をそう評したとされる。
アキレス腱を切り、それでも翌年度に打率3割を超えるなど、
負傷と伴走しながら一流打者の地位に揺るぎはない。
いつかイチローが最高の敬意を捧げたのは有名である。
天才?
「それは前田さんのような……」。

野球は理を究めている。
ただし、生き方は不器用である。
一途ゆえ、円満を拒む。
とことん記者泣かせ。
実は、本稿もインタビューを申し入れたのだけれど断られた。

それでも広島へ行こう。
ともかく見る。
その前に聞く。
往年の主砲、山本一義、
さらに軽妙な広島言葉が本質を突く達川光男、
ふたりのカープOB・現解説者がそれぞれ時間を割いてくれた。

 まずは次の質問を。

 前田智徳、天才ですか。

 「いやあ天才じゃない」

 達川光男の即答である。

 「あれはね、僕はとにかく練習でここまできました、
  そう言うたね。
  突然、閃いたらバット振るらしい。
  ワシなら閃いても、まあ明日にしようか思うけどね」

 現役、重なってますよね('90-'92年)。

 「最初のヒット、ヤクルト戦で川崎(憲次郎)から
  レフト線に打ったの覚えてますよ。
  新人で一軍に入ったからね。
  カーブかスライダーやったけどね」

ある日のバント練習。
頭脳派で鳴らしたベテラン捕手は、
熊本からやってきたルーキーに声をかけた。

 「バッターボックスに入って、どの球、待っとるんや」。
少年の顔の前田智徳は答えた。

 「いや、きた球を打つんですよ」

あれから15年、
スタジアムそばの飲食店で、のちに監督としても
「きた球を打つ男」と接した達川光男は笑った。

 「凄いな、お前。そう言いましたよ。
  それが最初の会話やったね。
  最初から左(投手)を苦にしなかったのも印象に残っとるね」

 監督('99-'00年)として四番にすえました。

 「僕ではふさわしくない。
  そう言うたよね。
  アキレス腱を切ってなかったら喜んで打たせてもらいますと。
  いまは故障したら治す自信がない。
  四番は一年間すべて出なくてはならない。
  ものすごく四番という打順に敬意を表したよね。
  そういう人間なんです。
  個性派のようで気を遣うタイプじゃね」

 もしアキレス腱を切ってなかったら
('00年には左アキレス腱も手術)。

 「メジャーの言い方なら3・3・3。3割。30本。30盗塁。
  それにゴールデングラブ(優秀守備者)賞も。そういう選手ですよ」

 負傷後も打率3割は記録できている。

 「ただ本人が言っとったけどね。
  僕は復帰はしたけど復活はしてません。
  打って守れて走れたら復活ですと。
  そういえば、この前は試合中のコメントでこう話した。
  開かずに開いて打ちました。
  下半身は開いても右肩は開かないという意味や思うけどね。
  復帰はしたけど復活はしてない。
  開かず開いて打つ。
  うまい表現よね。
  研究するんですよ。
  ミーティングも聞かんふりしてよう聞いとる。
  ビデオも見らんふりしてよう見とる。
  きた球を打つんやけど読みも凄いよ。
  相手が自分をどう攻めるかを考えながら練習する。
  自分で自分をよう知ってるの」

05・7・21記事

(以下、Number632号へ)

天才・前田智徳が帰ってきた!その“一射絶命”の精神が広島を救う
2010年05月29日 (土) | 編集 |
             氏原英明 = 文 


「一射絶命」という言葉をご存じだろうか?

弓道における正しい心のあり方を示す言葉である。
ベースボール・マガジン社発行『一射絶命』(ケネス・クシュナー著)
には、この言葉の意味をこう記してある。

「どんなことにでも、自己のすべてを尽くしてぶつかってゆくのだ。
 どんなことも、この世でただ一つのこととして行うのだ。
 弓で言えば、この一本の矢を射ることが一生で一度しかないこととして、
 すべてをこの一箭にかける」

この言葉がまさに似合う、一打に懸ける男の姿が、
今シーズンのセ・リーグにある。

 広島・前田智徳である。

現役生活21年、
イチローをはじめとした幾多の一流打者から
「天才」と一目置かれながら、
故障でシーズンの多くを棒に振った孤高のヒットメーカー。
常に全力プレーを心掛け、
自分を厳しく律する彼の姿は弓道の心に似ている。

 その前田智が、ここ数年で一番の活躍をしている。

 特にこの1週間の彼の活躍は、広島ファンの心を射た。

5月19日の対オリックス戦。
約2年ぶりのスタメン出場を果たした前田智は、
その第1打席で右翼線を破る二塁打を放ち、
前日に2-11と大敗していたチームに蔓延する重たい空気を
振り払ったのである。

試合は8-2で勝利。
開幕から不振で苦しんでいた選手会長・石原が本塁打など
3打点の活躍をするなど、
前田智の一打が与えた影響は単なるヒット以上に大きかった。
チーム快心の勝利だった。

~悲運の天才はブラウン前監督には理解されなかった~

 前田智ほど「悲運」として、語られる選手はいない。

'89年のドラフト4位で広島に入団。
1年目に初出場、初安打。
2年目の開幕戦の初打席で初本塁打を放って、レギュラーを獲得。
チームの顔になった。
ゴールデングラブ賞、ベストナインをそれぞれ4回ずつ受賞。
オリックス時代のイチローが「憧れの選手」に前田智を挙げるほど、
彼の走攻守のパフォーマンスはずば抜けていた。

それが'95年、試合中にアキレス腱を断裂。
そこから不遇の日々が始まった。
復帰を果たすも、故障を繰り返して満身創痍の戦いが、
彼には付きまとった。
それでも、'02年にカムバック賞を受賞するなど、
その底知れぬ忍耐力は多くの感動を呼んだ。
しかし、'07年に2000本安打を達成したものの、
ブラウン前監督が若手を重用する起用法から、
故障を抱えた前田智の出場機会は激減。
'09年は1打席もバッターボックスに立つことなく、
シーズンを終えていた。

~野村謙二郎新監督の下で蘇ったDH前田智徳~

前田智への風向きが変わり始めたのは、
野村謙二郎新監督が就任してからだ。
古き良き伝統を復活させた新指揮官の方針は、
前田智に一つのポジションを与えた。
代打としての出場機会が用意されたのだ。

3月12日オープン戦の対阪神戦。
前田智は復活の狼煙を上げる。
2点リードの展開で、
いかにも試されるかのように代打に送られた前田智は
その初球をスタンドへ放り込んだ。

彼らしく、バットをボールに軽く合わせただけの
柔らかなバッティング。
実に、1年10カ月ぶりの本塁打だった。

 試合後、前田智はほとんど口を開かなかった。

かすかに漏らしたのは
「僕がコメントできる立場じゃない」という
素っ気なくも厳粛な言葉だったのだが、
こうした姿勢も前田智らしくていい。

この時、野村監督は前田智の一打への集中力の凄味をこう表現した。

「1球で仕留めるのがさすが。これでチームは盛り上がる」

まさに、「一射絶命」の世界である。
一振りに全身全霊を懸ける姿こそ、前田智の姿ではないだろうか。
全盛期にはホームランを放ったにも関わらず、
納得がいかないスイングに首をかしげながら
ダイヤモンドを回ったほど誇り高い男である。
目先の結果にとらわれず、
理想のバッティングを追い求める前田智の姿勢は、
それこそ、侍のような世界観を持っている。

一打への集中力、ココ一番の勝負強さ。
過度に喜びを表現しないクールさと野球への実直な取り組み、
自分を律する厳しい姿勢。
晩年の今になっても、
広島ファンだけでなく多くのファンから
カリスマ的に支持される理由はそこにある。

~両足の状態は良くないが、代打としての準備だけは万端~

 今季、前田智は開幕から一軍入りを果たしている。

4月16日の対中日戦では、
16年ぶりとなるサヨナラヒットを放った。
カウント2-0と追い込まれながら、
セ・リーグ随一のセットアッパー・浅尾拓也のパームボールを
中前へとはじき返した。
技ありの一打だった。

冒頭のオリックス戦の後も、前田智のバットは火を吹き続けている。

21日のソフトバンク戦では、
勝ち頭・前田健太をラクにさせる追加の2点本塁打を放った。
25日の西武戦では敗れはしたが、
1-8から猛追する中、
前田智は1点差に迫る2点適時打で勝負強い打撃を見せている。

野村監督は起用が当たった前田智の最近の活躍をこう語っている。

「足が良くないという状態ではありますけど、
 ずっと代打という中で準備だけは怠らない姿勢はさすがの一言。
 みなさんもご存じだと思いますが、
 試合前はバッティング練習もして、しっかりノックも受けている。
 こういうときのために、
 準備を怠らない姿勢は見事だった。
 それがつながっている」

2点本塁打の翌日、スポーツ紙には前田智のコメントがこう掲載されていた。

「一打席目に打たないといけなかった」

 “一射絶命”の精神が、前田智の中には潜んでいる。



【筆者プロフィール 氏原英明氏】

1977年ブラジル生まれ。
奈良大学を卒業後、地方新聞社でのアルバイト勤務を経て、
フリー活動を開始。
高校野球を中心に活動を続けるが、野球を通じた人間性、
人生観を伝え続け、
Numberのほかに野球専門誌で活躍。
WEBの世界でも「人間力×高校野球」(高校野球情報.com)と題した
コラムを連載している。

不振の3年目、荒川道場へ(2)
2010年05月28日 (金) | 編集 |
読売新聞『時代の証言者』ホームラン王 王貞治(11)より

長嶋(茂雄)さんを語る場合に、1959年(昭和34年)の
天覧試合でのサヨナラ本塁打が引き合いに出されます。
でも、あの試合では僕も打っている。
長嶋さんとのアベック本塁打の第1号なんです。

≪昭和天皇を迎えて初の天覧試合は59年6月25日、
 後楽園球場で行われた。
 阪神に2対4で先行されていた7回、
 王選手は小山正明投手から右翼席へ同点本塁打を
 たたき込んだ。
 これが布石となり、9回の長嶋選手の劇的な
 サヨナラ本塁打が生まれた≫


僕の本塁打の印象が薄いのは仕方ない。
長嶋さんはこの試合で本塁打を2本打っていて、
1本が衝撃的なサヨナラですから。
でも1年目に球史に残る試合で打てた。
このシーズンに打った本塁打は7本ですからね、
僕に運があったということです。

しかし入団から3年間、僕は泣かず飛ばずです。
お粗末な3年間でした。

1年目は打率1割6分1厘。
2年目は早大の一塁手だった木次(文夫)さんの入団で奮起し、
2割7分を打った。
本塁打はチーム最多の17本でしたが、三振も多くてね、
何と101個にもなった。

プロの世界は甘くない。
3年目はスランプです。
相手チームや投手に研究されたのか、打率は2割5分3厘、
本塁打も4本減って13本です。
多摩川で猛練習をしたが、どうもバッティングに自信が持てない。
川上(哲治)さんに
『これだけの素質を持っているのに歯がゆいな』
と言われたことがあります。
どうしたらいいのか、僕は分からなくなっていました。
荒川さんから電話をもらったのは、
そんな昭和36年12月のことです。
『巨人のコーチになる』と。

荒川さんは中学2年の時に偶然出会い、
僕に左で打つよう助言し、早実に行くよう勧めてくれた。
奇縁というか、もう運命だと思いましたね。

≪荒川博コーチの就任は、この年から指揮を執っていた
 川上監督の要請で実現した。
 川上監督は『王を本塁打25本、2割7分を打てる打者に
 してくれ』と頼んだという。
 王を長嶋に次ぐ3番打者にしたい、
 というのが川上監督の考えだった≫


巨人のユニホームを着た荒川さんは、
多摩川グラウンドで僕の打撃フォームを見るなり言いました。
『ひでえもんだ』
『野球のボールじゃあ無理だな。
 ドッジボールでも投げなきゃ打てんな』と。
『遊びは上手になったらしいが、野球は下手になったな』
とも言われた。
荒川さんとの再会の初日は、この三つの言葉だけで
終わったんです。

数日後、言われました。
『やる気があるなら、3年間は俺の言うことを黙って聞け』。
夜遊びはやめろ、酒もたばこもやめろ、と。
『理屈はともかく、やめるということが大切なんだ』
と荒川さんは言う。
荒川道場の始まりです。

(西部編集委員 伊藤哲朗氏)
一花さんの貴重なコメント
2010年05月26日 (水) | 編集 |
先日『時代の証言者』より 王貞治氏の記事を載せました。
(今後もいくつか伐採して載せていきます)
一花さんのとても貴重なコメント頂戴いたしましたので、
ここでご紹介したいと思います。



この記事読みました。
私は、人間大事な物、集中したい事があるなら、
ある程度他の事を捨てる事も必要かな思います。

少し焦点は、ずれますが
日航の60代で現役パイロットだった人の著書に
「集中力を維持するコツは、他の事を捨てること」
というコメントがあり印象に残りました。

王さんも、長島さんも、
大事な事以外の雑念を捨てたからこそ、
偉業を成し遂げたんでしょう。

この記事の王さんのコメントにある通り、それぞれ、
相手の個性に追随せず、自分にないものは捨てて、
自分の特徴を生かしたと言えると思います。
  

最近は、40代で三流投手しか打てないのに
連続記録に拘り現役と記録を捨てられない選手もいますが、
私はONに関しては引退も潔く、
捨てる心を持った選手だったと思います。

ドラフト候補のインタビューや監督の評価を読むとき、
余分な話や課題盛りだくさんの選手より、

よりわかりやすくポイントを絞れている選手が好きです。
ここでも捨てる心の有無があるかどうかだと思いますね。
  


2010/05/24(Mon) 20:56 | URL | 一花 #-[ 編集]  


いつもコメント頂きながら、
私も学ばせて頂いている方です。

私事なのですが、うちの息子も自分のプレーの領域を
客観的に見て学ぶ力を養ってきている様子で、
何が自分に合った練習方法か、どんなことをすれば
いいプレーに結びつくのか・・・
色々と自分なりに学習しているようです。

つい先日も練習試合で、とても目を惹く守備をする
内野手がいたそうで、そのプレーを見ながら
『自分は手投げになっている』→『だから肩を痛める』
→『ストレッチを怠けない』・・・という
とても単純なことなのですが、
親がいつも注意していることをようやく
身を持って体感してことで、意識も高まり
解決策を自分なりに考え会得していっているようです。

足も遅く力もなく、
人より優れているものは持ち合わせていない・・・
と自信を失いかけていた息子でしたが私は、

『なんでもいい、なにか一つでも人より優れている物に
 自ら気付いて、それだけを全うしてみたら?
 お母さんが思うには、それが勇汰のバッティングだよ。
 誰でにもできる、というものではないよ。
 何か持っている。自信持ってみていいと思うよ』
と伝えました。

体も回りの友人達は大きくなって、息子はようやく
160㌢をは超えた中間よりも小さいほうです。
力も、みんなは体が大きい分あるし、
今の段階では自分に自信が持てていないようです。

でも、一花さんのコメントにもあるように、

『集中力を維持するコツは、他の事を捨てること』
ということを、私も息子に伝えたかったのです。

この記事を載せてみて私も再度、気づきましたし、
まずは自分の得意な分野に早く気付いて前に向かって
行って欲しいな、と親心ですが思いました。


一花さんのコメントにはいつも温かいものを感じると同時に、
タイムリーな時が多いです。


存在感が違った長嶋さん (1)
2010年05月24日 (月) | 編集 |
読売新聞 『時代の証言者』より
~ホームラン王 王貞治(10)~

入団してまもなく、夜行列車で広島に遠征した時のことです。
列車で『起きろ!』と誰かに怒鳴られた。
目の前に長嶋(茂雄)さんが立っているんです。
寝坊した僕に、
『荷物は俺が持って行ってやる。早く服を着ろ!』
とまた怒鳴った。
長嶋さんがネクタイやシャツ、上着を差し出してくれ、
僕は寝ぼけ眼でそれを着て通路に飛び出す。
長嶋さんは後ろから僕の靴を持って追いかけてくる。

1961年(昭和36年)にアメリカのベロビーチで
初めて海外キャンプをした時も寝坊して迷惑をかけている。
長嶋さんに世話を焼かされた人は多いようですが、
世話を焼かせたのは僕ぐらいでしょう。

僕は、プロ野球の戦後は長嶋さんの登場で始まったと
思っています。


≪立教大時代に六大学で8本の通算本塁打記録を持つ
 長嶋茂雄選手は58年、巨人に入団するや打点92、
 本塁打29本で二冠に輝く。
 打率3割5厘も2位と三冠王にあと一歩と迫る活躍で
 新人王を獲得した≫

スターです。
登場するやファンの心をわしづかみにしてしまった。
1年目から結果を出すのがスターなんですね、
僕はその意味でもスターではない。
成績もみごとですが、それだけではない。
長嶋さんはグラウンドに立つだけで人気があった。
存在そのものが野球界を支える中心でした。
大洋みたいなものですね、
僕らはその周りを回っているだけなのです。

とにかくダイナミックでね、走り方からしてカモシカのようで
明るく躍動感があった。
ファンの目を意識していたと思うのですが、
それがまたファンやメディアに受けるんですよ。

バッティングは天性の対応力があった。
どんなに体勢が崩れても球をバットの芯でとらえる。
相手バッテリーが『しとめた!』と思った球をヒットにする。
その一方で、ものすごく甘い球を凡打にする。
僕らの想像を超えていました。
投手からすれば一番攻めにくい。
ここに投げれば確率的に大丈夫という攻め方が通じませんから。


≪『ON砲』と2人が呼ばれるのは、王選手が62年に
 『一本足打法』を会得、63年に長嶋選手とともに
 巨人優勝の原動力となってからだ。
 74年に引退するまで長嶋選手は本塁打王2回、
 打点王5回、首位打者6回に輝き、
 王選手とともにV9の原動力となった≫


僕は相手の失投を見逃さずに打つ。
捕手が『あっ』と言った球は必ずものにしようと考えていた。
僕の人気はホームランを打ってのものです。
立っているだけで人気のある長嶋さんとは存在感が違う。

僕は長嶋さんに対してライバル意識はありませんでした。
僕の方が年下ですしね。
その方が面白いから、周りはいろいろ言っていましたが。
でも長嶋さんは僕の中では絶対に同格にならない。
だからONがうまくいったと思うのです。


僕は本当に幸運でした。
長嶋さんと一緒に野球ができたのですから。


         (西部編集委員 伊藤哲朗氏)
 
横浜の“振り切り男”石川雄洋。アグレッシブ過ぎる1番打者の魅力。
2010年05月19日 (水) | 編集 |
             田口元義 = 文 


近年、選手の登場曲がファンの間でも定着しているが、
これがまた、本人の好みが窺えるから面白い。

なかには、歌詞の内容が実際のプレースタイルと
見事に通じている選手もいる。

今シーズンなら、
横浜のリードオフマンとして申し分ない活躍を見せている
石川雄洋が、その象徴と言えるだろう。

“きばってこーぜ イェイ イェイ イェイ♪”
“振り切ってこーぜ ほら ブンブン♪”
“あたってこーぜ イェイ イェイ イェイ♪”

 この曲とともに打席へ向かう。

「きばってこーぜ」と「あたってこーぜ」というフレーズは、
人によって解釈は異なるだろうが、
「振り切ってこーぜ」は、今の石川にピッタリだ。

~開幕から37試合で四球がわずか5つという驚異的な数字~

この「振り切る」という姿勢こそが、
躍進の大きな要因となっている。

それは数字を見ても明らかだ。
まず、何と言っても四球が少ない。

5月18日時点で37試合に出場し、たったの5つ。
主に1番を任されているが、
セ・パ両リーグの1番打者のなかでひと桁なのは石川だけだ。
積極的な打撃でチームを牽引する巨人の坂本勇人ですら
11個を記録しているのだから、
彼がどれだけ攻撃的な打者であるかが理解できる。

 そこには、はっきりとしたわけがある。

「三振はしたくないので。三振からは何も生まれないですから」

初球からバットを振り切る「攻撃型1番」ではあるが、
2ストライクになるとシャープなスイングで
投手に多くの球数を投げさせる、
いやらしい「職人型1番」へと鮮やかにシフトする。

ファウルで粘る打席が多いことについて、石川は
「特に意識はしていない」と謙遜する。
こだわることはただひとつ。
「逆方向へ打つ」こと。

~名門・横浜高で培った高い野球偏差値がその打撃にいきる~

春季キャンプから大きなテーマに掲げていたことで、
同時にその「打ちどころ」を見定める眼も培われた。

5月4日の広島戦。
先頭打者で迎えた8回裏に三塁への内野安打を記録した。
本人は「ヒットになったのはたまたまです」と言っていたが、
その後の言葉で技ありの1本だったと納得させられる。

「サードが前に来ていたので三遊間のヒットゾーンが広くなる。
 だから、そこへ転がせば、と」

相手の守備陣形から的確な答えを導き出せる野球偏差値の高さは、
「さすが名門・横浜高の出身だ」と感嘆させられるところだが、
このような打球を安打にできるのは、
何より最大のセールスポイントである足があるからだ。

~リーグトップの内野安打を生みだす粘りの打撃と俊足~

どれだけ速いのか? と問われたとき、このような場合、
単純に盗塁数だけを挙げても説得力に欠けるため、
5月16日の西武戦で各塁への到達タイムをストップウォッチで計測してみた。

第2打席(三塁打)……10.1秒
第3打席(二塁内野安打)……3.87秒
第4打席(投手前犠打)……3.75秒

専門家の間では、一塁到達が4秒以内、
三塁到達が12秒以内であれば俊足と言われているだけに、
石川のタイムは充分それに値する
(といっても、ストップウォッチを押すタイミングには
 必ず個人差が生まれるため、あくまでも参考ではあるが)。

2ストライクからの粘りや逆方向への打球に対する高い意識。
そして足の速さ。
この三要素が石川の中に根強く染み付いているからこそ、
リーグトップの14個もの内野安打を量産し、
3割2分3厘のハイアベレージを残せている。

~昨季とは正反対の守備の良さが打撃好調を支えている~

補足すれば、打撃好調の要因のひとつに守備も挙げられる。
昨シーズンは、遊撃手部門での守備率はリーグワーストの9割7分。
失策数も17と多くの課題を残したが、
今シーズンは37試合で守備率10割。
つまり、失策を1度も記録していないのだ。

打者はよく、「守備で打撃のリズムを作る」と言われている。
石川もまた、守りが安定しているから
攻撃面に余裕が生まれているのだろう。

他球団にとって、
今シーズンの横浜のリードオフマンの存在は脅威であることは間違いない。

ただ、ひとつだけ気になることがある。
それはプレーではなく、冒頭でふれた登場曲だ。

曲名は「ズッコケ男道」。
<あたってこーぜ~~>の後に<ズッコケ男道>と続くのが、
この歌の特徴だ。

とはいえ、今の石川には“ズッコケ”る穴らしき穴は見当たらないため、
前向きにこの曲を捉えたい。

“ズッコケメロディー”を背に
スター街道をひた走る、彼の「男道」に期待しよう、と。

※ 今シーズンの成績は、全て5月18日現在のもの



【筆者プロフィール 田口元義氏】

1977年福島県生まれ。元高校球児(3年間補欠)。
ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。
Numberほか雑誌を中心に活動。
試合やインタビューを通じてアスリートの魂(ソウル)を
感じられる瞬間がたまらない。
共著に「戦力外通告 プロ野球をクビになった男たち」、
同「諦めない男たち」などがある。

バッター田中将大を堪能する。 交流戦のちょっと変わった楽しみ方。
2010年05月17日 (月) | 編集 |
               中村計 = 文 


高校時代の田中将大は、マウンド上と同じくらい、
打席での姿も魅力的だった。

「ミスター赤ヘル」こと、元広島の山本浩二のように
両脇を二度、三度と軽くしぼりながらタイミングをとるのだが、
その仕草がかっこよかった。

田中は駒大苫小牧では主に5番を任されていた。
ホームランも、少なくとも二桁は打っていると思う。
そんな中でも、忘れられないのは3年生のとき、
兵庫国体の準決勝、
東洋大姫路戦で打ったホームランだ。

ショートの頭上、数メートルを襲ったライナーが、
そのままレフトスタンドに入ってしまった――
印象としては本当にそんな感じだった。

超高校級。
そう表現しても決して言い過ぎではない打球だった。


交流戦の密かな楽しみのひとつは、高校時代、
そんな打者としても超一流だったパ・リーグの投手たちの
バッティングが見られることである。

~涌井秀章はホームラン・バッターだった!?~

15日の横浜対西武戦では、西武・涌井秀章が
3安打4打点と大活躍。
涌井は横浜高校時代、一時期、
「投手失格」の烙印を押されてしまった時期があるのだが、
そのときはクリーンアップを任され、
やはりホームランをけっこう打っていた。
ピッチャーに復帰したあとも、3年夏の甲子園では、7番打者ながら、
1回戦の第一打席、報徳学園の片山博視(楽天)から
左翼席へ放り込んでいる。

同日、広島のエース、前田健太から中前打をマークした
日本ハムのダルビッシュも、
東北高校時代は打者としても鳴らしていた。
前出の二人に比べると、
若干バッティングに対する執着心を欠いていたものの、
構えからは、その気になればいつでもスタンドに放り込んでしまいそうな
臭いがプンプンとしていたものだ。


~斎藤佑樹が語る田中将大の打者としての魅力~

16日は、田中も阪神戦で魅せた。
奇しくも、舞台は甲子園。

ただ、フォームは高校時代の面影はほとんどなくなっていた。
スタンスを大きくとり、極端に後ろ足に体重を乗せる構えは、
どこか千葉ロッテのキム・テギュンを彷彿とさせた。

しかし、フォームを改造しても結果を出してしまうあたりが
非凡なところだ。
6回表、貴重な追加点となる中前適時打を放った。

そうそう、田中は高校時代、一発を打てる力を秘めながらも、
こういうバッティングも実にうまかった。
スコアリングポジションに走者を置いたときは、
そうやって、しぶとくセンター前に転がすのだ。

高校3年生の夏、名勝負を繰り広げた早実の斎藤佑樹(早大)も、
当時、田中のことを
「嫌(なバッター)ですよ。なかなか空振りしてくれないんで
 三振がとれない」と評していた。

余談ながら、その斎藤は、
15日の法政戦では大学で初となるホームランをマークしている。
斎藤も高校時代は、コーチに
「本気で(打撃に)取り組んだら、素質は斎藤がいちばん」
と言わしめるほどのセンスを見せていた。


~剛速球を投じるピッチャーが打撃センスも高い理由~

彼らはいずれも、いわゆる「怪力」の持ち主ではない。
ただ、一点に力を集約させることに関して
類い希な才能を持っているのだ。
彼らが150キロを越えるボールを投げることができるのは
(斎藤のMAXは149キロ)、
要はそういうことなのだ。

それにしても、高校時代、
バッティングの才能も持ち合わせていた投手はどうしてみんな
パ・リーグに行ってしまうのだろう。

その最たる例が、横浜高出身の松坂大輔
(西武-レッドソックス)だった。
彼にあって、田中や涌井やダルビッシュにはないもの。
それは打つことが、
投げることに勝るとも劣らないほど好きだということだ。
ドラフト前、松坂が在京のセ・リーグにこだわったのは、
実は打席に立ちたかったからだった。

アメリカに渡ってからも、残念なことに、
松坂はDH制を採用しているアメリカン・リーグに行ってしまった。


~メジャーでは身体能力の高い選手はショートの強打者に~

こんな逸話がある。
神奈川県内のある強豪校の監督が、
アメリカに野球の勉強をしにいったとき、
現地で松坂の高校時代の映像を見せたそうだ。
すると、アメリカ人は一様に
「なぜ彼を野手にしないのだ」と驚いたという。
投げているシーンばかりだったとはいえ、
その身のこなしから、松坂の身体能力の高さを見抜いていたのだ。

日本では身体能力の突出した選手は大抵、ピッチャーを任される。
一方、アメリカではショートをやるのが一般的だ。
それで、3番を打つ。
ヤンキースのアレックス・ロドリゲスなどがその典型だろう。
マリナーズ、レンジャーズ時代、
A・ロドリゲスは主にショートを守っていた。

松坂がもしセ・リーグの球団に所属していたら――。
それこそ、
通算で2桁ぐらいホームランを打っていたのではないだろうか。
そう思うと、返す返すも残念でならない。

ピッチャーだからといって、
打席でまったく打つ気を見せない選手を見ていると、
だったらいっそのこと両リーグともDH制にしてしまえばいいのに
と思ってしまうこともある。
でも、そうなってしまったらしまったで、やはりつまらない。
いつまた、松坂や田中や涌井のような選手が現れるとも限らないし、
その選手がたとえパ・リーグに入ったとしても、
今はこうして交流戦だけでも
その選手の打席を楽しむことはできるのだから。  



【筆者プロフィール 中村計氏】

1973年千葉県出身。ノンフィクションライター。
某スポーツ紙を経て独立。
『Number』(文藝春秋)、『スポルティーバ』(集英社)などで執筆。
『甲子園が割れた日 松井秀喜の5連続敬遠の真実』(新潮社)で
第18回(2007年度)ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。
他に『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)、
共著に『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)などがある。
『雪合戦マガジン』の編集長も務める。
趣味は、落語鑑賞と、バイクと、競艇。

T-岡田のホームランは客を呼べる!! 打率2割3分でも起用される理由
2010年05月14日 (金) | 編集 |
          氏原英明 = 文 


 開幕戦のことだった。

楽天のエース・岩隈久志のストレートを捉えた打球が
破裂しそうなほどのインパクト音を残して、
右翼席ポール右上方5階席へと突き刺さる大ファールになった。
その軌道を見た時、
彼への期待度が単なる若さや話題性からくるものでない
という確信が持てた。

 あの日、目にした打球は本物だった。

 オリックスの若き大砲・T-岡田のことである。

ファールになったとはいえ、'08年の沢村賞投手でもある岩隈に向かって
あれほどの打球を返せたということは、
彼のレベルが開幕時点ですでに一軍レベルにあることを伝えていた。

 時を経て、5月5日の対ソフトバンク戦。

3回裏、1、3塁で打席に立ったT-岡田はここでも驚愕の打球を見せる。

高橋秀聡のストレートを捉えると、
打った瞬間にそれと分かるホームラン。
T-岡田は行方を目で追うことなく、ベンチを見やり
「どうだ」といわんばかりのジェスチャーを見せた。
打球は開幕戦と同じ、5階席まで飛んでいた。

 これがT-岡田のホームランなのだ。

~高校時代は「浪速のゴジラ」だが、ドラ1入団後は……~

打率が.220~.230台でもスタメンに抜擢され、
彼が5番を打つ理由はその凄まじい打球にある。
「自然にバットが出ました。打った瞬間に(ホームランって)
 分かったんでね」と笑顔を見せたT-岡田。
履正社高校時代は「浪速のゴジラ」として注目を浴びたが、
まさに松井秀喜の打球である。

T-岡田が「ゴジラ」の愛称で呼ばれるようになったのは、
高校2年夏を前にある専門誌で紹介されてからだ。
直後の大阪府大会で5本塁打、
さらに2試合をまたいでの5連続敬遠をくらい、
その愛称はますます彼のものになった。
高校を通じて甲子園に出場することはなかったものの、通算55本塁打。
足を高くあげて、左右に本塁打をぶち込む岡田の打棒は
「浪速の四天王」(阪神・鶴直人、中日・平田良介、巨人・辻内崇伸)の
ひとりとしても、アマチュア野球界を騒がせた。

しかし、'05年の高校生ドラフト1位でオリックス入りした
T-岡田にとっては苦しい日々が続いた。
1年目こそ、一軍昇格を果たしたが、
2、3年目は結果を残せずファーム暮らし。
ファームでも、これといった成績を上げられなかった。
当時を振り返り、T-岡田はこう話していた。

「2、3年目は苦しかったですね。
 メンタル的には打てなくて落ち込むことが多かったですし、
 フォームに関しても、全然、定まらなかったですから」


~藤井コーチの「4スタンス理論」で才能が一気に開花!~

彼が変化を見せたのは3年目のシーズンを終えた秋、
入団初年度にもコーチとしてタッグを組んだ
藤井康雄氏がコーチに復帰してからだ。

それまでスカウトや編成にいた藤井氏は
バッティングフォームを研究するために
「4スタンス理論」を学び、チームとT-岡田に伝えたのだ。
今はスカウトへ再転身している藤井氏が昨年、
こんなことを話していた。

「(4スタンス理論というのは)要するに
 体幹を意識するということなんだけど、選手によって、
 それぞれ微妙に違うということになるんです。
 (フォームを)止めて打つのが合う人もいれば、
 動きながら打つ方が合う選手もいる。
 岡田の場合は、踵重心で、
 それも動きながら打つのが合っているんですよ。
 コーチの考えに当てはめるのではなくて、
 そういう理論のもとやっていきましょうよ、
 っていう感じで取り組んでいて、
 岡田自身も自分で考えられるようになったんじゃないかな」

~理論を習得した後、自らフォームを研究するようになった~

高校までのT-岡田はカチっと止まった状態で始動し、
足を高くあげる一本足打法だった。
それに比べれば現在は大きく変化し、彼のフォームを見ていると、
高校時代とは別の方法で一定のリズムを保とうとしているのが分かる。
相手投手が軸足に体重を乗せた時に、一端、
身体を投手側に預けている。
そして、それを軸足の方に引き、体重移動させている。

ただ、理論の習得は確かに彼を成長させたが、
藤井氏と取り組んでフォームについて
自分自身で研究できるようになったことにこそ、
意味があったのではないかと思う。

高校時のフォームについてT-岡田に聞いたとき、
「あの時の打ち方だと(プロだと)クイックもありますし、
 一軍の球は打てない」と話していた。
今、藤井氏はチームを離れているが、
彼のフォームはさらに成長の跡を見せている。
それは、彼自身がフォームについて
自分で考えられるようになった証だろう。

「打った瞬間にホームランって分かるやつがいいですね」
5月9日現在のT-岡田は打率.233で8本塁打。
決して褒められた数字ではないが、
開幕戦に見たあの大ファールと5月5日のホームランを
ダブらせて考えると、
どうしてもその先の成績を考えてしまう。

それに、“打球”だけでこれほどまでにファンを魅了してしまう選手は
そう多くいないのではないか、と。

5月5日はこどもの日。
多くの子供たちが彼の打球を見て、
度肝を抜かれただろうと考えると、それだけでワクワクした。
低迷するオリックスだが、
T-岡田の空に突き抜けるような打球だけは、
あいかわらず爽快である。

高校時代、彼から聞いた話を思い出した。
どんなホームランを打ちたいか、と聞いた時のこと。

「打った瞬間にホームランって分かるやつがいいですね。
 どこまでいったんやろって、
 歩いて打球を眺めるみたいな。
 そういうホームランを打ちたいです」

 打席に立つだけで期待感を持たせてくれるスラッガーの誕生。

 T-岡田の打球は、野球ファンをスタジアムへといざなう。


【筆者プロフィール 氏原英明氏】

1977年ブラジル生まれ。
奈良大学を卒業後、地方新聞社でのアルバイト勤務を経て、
フリー活動を開始。
高校野球を中心に活動を続けるが、
野球を通じた人間性、人生観を伝え続け、
Numberのほかに野球専門誌で活躍。
WEBの世界でも「人間力×高校野球」(高校野球情報.com)と題した
コラムを連載している。

広島・前田健と西武・岸が変わった!? 新しい“悪魔のカーブ”の使い方
2010年05月13日 (木) | 編集 |
             田口元義 = 文   


サッカーでは、得点力の高いフォワードや
フリーキックの名手に対して、
「悪魔の右足(左足)」と呼ぶことがある。

悪魔とは、人に忌み嫌われる存在。
サッカーのそれが、
相手チームの敗北を呼ぶ魔性の存在であるのなら、
野球の変化球もまた、相通ずるものがある。

打者の手元から横に大きく離れていくスライダーに、
少しだけ曲がるカットボール。
胸元に食い込むように襲い掛かるシュート。
縦に鋭く落ちるフォークやチェンジアップ、微妙に沈むツーシーム。
相手をあざ笑うかのごとく、嫌らしく変化する様は、
さながらボールに悪魔が宿っていると思わせるほどだ。

近年はスライダーやフォークを用いる投手が多い。
今年に入って、ワンシームといった新種がベールを脱ぐなど、
時代ごとに変化球は増えてきている。

そんな風潮のなか、
変化球の王道であるカーブを最大の武器とする若手投手が、
今シーズン安定した力を見せている。

 西武の岸孝之と広島の前田健太だ。

~“元祖変化球”カーブが再び表舞台に出てきた理由とは?~

カーブとは、言わずと知れた「元祖変化球」。
明治初期の1878年に、
日本初の野球チーム「新橋アスレチック倶楽部」を創設した
平岡ヒロシが初めて投げたとされるこのボールは、
当時「魔球」として対戦相手の度肝を抜く。
以来、沢村栄治や堀内恒夫、桑田真澄など、
多くの名投手たちの命綱となり、隆盛を極めた。

今の時代、カーブの存在は薄れつつある。
それは事実だろう。
しかし、岸と前田によって、
この球種が再び注目を集めつつあることもまた別の事実としてある。

岸のカーブが脚光を浴びたのは、'08年の日本シリーズだった。
強打の巨人打線を相手に、14回2/3を無失点に抑え文句なしのMVP。
「スライダー、フォークの全盛時代に
 あれほどのカーブを投げるピッチャーはいない」と、
巨人ベンチを脱帽させた。

~徹底的にマークされてうまく使えていなかった岸のカーブ~

大舞台で好投したことによって、
「岸=カーブ」という印象が定着したこともあるだろう。
他球団のマークはより厳しくなった。
'09年は勝ち星、防御率とも前年を上回ったが、被安打は増え、
被本塁打は倍以上の25本。
カーブを狙い打ちされる場面も目立った。

前田のカーブは、PL学園時代から高い評価を受けていた。
プロ2年目には9勝をマーク。
だが、3年目は8勝14敗と大きく負け越し。
カーブをはじめ変化球を中心とした投球を続けるあまり、
チームの勝敗を分ける大事な局面で痛打されることが多かった。

緩急をつけることは大事だ。
そのためにカーブが必要だということも分かる。
昨年までの2人は、まだこのボールをうまく使いこなせていなかったのだろう。

それが今年は、2人ともカーブに依存していない。
あえて封印する場面を作り、
投手の原点であり最大の武器であるストレートで勝負する場面が増えてきた。

 だからこそ、投球に粘りが生まれる。

~カーブを見せ球にして投球術に磨きをかけた2人~

5月4日の楽天戦、
岸は初回に4失点を喫するなど7回途中10安打とピリッとしなかった。
メディア的には、
「デーゲームに弱いから」と言いたくなるのも当然だろう。

原因はそれではない。
3回までの岸は、制球が悪いにもかかわらずカーブを多く投げていた。
速いボールはコースを外れ、
ストライクゾーンに来るボールが遅いカーブであれば、
狙いが外れたとしてもプロなら簡単に打ち返せるものだ。

それが続けば早々にノックアウトされていただろう。
ところが、4回からはカーブを控え、
ストレート中心の投球に切り替えたことで、
楽天打線の狙いを外すことができ、以降3回1/3を1安打と立ち直った。

前田の場合は、今年に入り格段にストレートの割合が増えた。
「よくなかった」と本人が語る5月3日の横浜戦でも、
カーブは全129球中、たったの11球。
だが、ストレートとスライダーが中心だったことで、
この11球は効力を発揮した。

横浜各打者の目が慣れてきた中盤から、1、2球目でカーブを見せる。
相手を幻惑したか、
それまではひとりに対し多くの球を投げていた前田だったが、
早いカウントでアウトを稼げるようになった。

~“本物”になったのはカーブではなく、投手なのだ~

2人のこの投球スタイルは、カーブという存在以上の効果も生み出す。

ともにストレートは140キロ台後半、スライダーは130キロ前後。
これに、変化球で最も球速の遅い110キロ程度のボールが加わることで、
最大約40キロのスピード差を操れることになる。

前楽天監督の野村克也氏は、
「打者への印象付けが大事だ」と口すっぱく言っている。
だからといって、
「持ち球にはカーブもある」といった印象ではだめだ。
「得意球はカーブ」だと相手に思わせなくてはならない。
この日の岸と前田は、後者を意識させたことによって、
本来ならば黒星が付いていたかもしれない投球内容を、
最善の方向へと軌道修正することができた。

要するに、そのカーブが「本物」なのではなく、
カーブを効果的に投げ分けられるようになった岸と前田が
「本物」なのだ。

大きな弧を描きながら緩やかに地面へ着地しようとする、
あの一見やる気のないカーブという変化球。
見せ球でもない。
かといってウイニングショットでもない。
だが、徐々に相手を敗北という沼へと引き込んでいく。

その投手の球種が増えれば増えるほど、
より厄介な存在となっていく。
カーブとはそんなボールなのかもしれない。  



【筆者プロフィール 田口元義氏】

1977年福島県生まれ。元高校球児(3年間補欠)。
ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。
Numberほか雑誌を中心に活動。
試合やインタビューを通じて
アスリートの魂(ソウル)を感じられる瞬間がたまらない。
共著に「戦力外通告 プロ野球をクビになった男たち」、
同「諦めない男たち」などがある。

中心打者の低打率が先の読めない一因に
2010年05月12日 (水) | 編集 |
サンケイスポーツ専属評論家の野村克也氏(74)が、
今日の交流戦を前にシーズン序盤を総括した。
各球団の中心打者が揃って低打率という“異常現象”が
先の読めない一因になっていると指摘。
キーワードに『苦境を脱する術』を挙げ、
それを持つ選手、チームがレギュラーシーズンを
勝ち抜くと力説した。

【わかっていても前へ飛ばせない】

あまりに異様な状況ではないだろうか。
多くの球団の中心打者が、軒並み打率・250を下回っている。
「中心なき組織は機能しない」が私の持論とはいえ、
これほど中心がフラフラしたシーズンを見たことがない。
だから行方も混沌、といわざるをえない。
故障や2軍調整による規定打席不足などにとらわれず
名前を挙げれば、読者にも納得してもらえるはずだ。

セでは巨人・ラミネス、阪神・金本、横浜・村田、
ヤクルト・デントナ、ガイエル。
パは日ハム・稲葉、楽天・山崎、西武・中村、
ソフトバンク・松中・・・。
彼らは今季、共通する弱点を露呈している。
執拗な内角攻めを克服できないのだ。

打撃とは一言で言えばタイミングであり、
投手は「打撃フォームの壁を崩す」ことで、
打者にタイミングを取らせまいとする。
その手段が内角直球であり、外角低めのゴロゾーンへの
変化球である。


ネット裏からラミレス、村田、稲葉、山崎らが、
「内角とわかっていながら」前へ飛ばせない場面を
何度も見た。
「狙って振り切ればホームランにできる球」で打ち取られる。
真に怖い打者ならば、変化球で誘い、逃げてくるはずなのに
直球がくる。
内角を攻められる4番は真の4番ではない。
『一流』であれば、スランプを短くしなければならない。
だが、彼らには苦境を脱する術がない。
そのひとつは「狙う」か「捨てる」か覚悟を決めることだ。
内角球を狙うか、または1打席捨てる覚悟でボールを見送るか。
昨年まで山崎には
『内角を狙って、やっつけてこい!!』と言い続けた。


苦境を脱する術がない―。
それは今季、新監督を迎えた5球団
(横浜、広島、ロッテ、オリックス、楽天)の苦闘にも表れている。


【ロッテ西村監督 内部昇格の強み】

現時点でAクラスにいるのはロッテ1球団。
西村監督だけが他の新監督と違って「内部昇格」の強みを持っている。
ヘッドコーチとしてチームに足りないものを冷静に把握して
きたのだろう。
荻野貴の加入がその象徴であり、
西村監督の持つチームを知る強みもまた、一種の
『苦境を脱する術』だ。


巨人は、どこも弱みを持っているセ・リーグでは
頭ひとつ抜けているが、現状で投手力が昨年より不安定なことも
分かっている。
尾花投手コーチが横浜監督となって去り、
『苦境を脱する術』を知る人材がひとり欠けた。
好投手が揃ったパの各球団とぶつかる交流戦をどう勝ち抜くか。
巨人はそこで『今季の実力』が試されるとみるべきだ。


                 サンケイスポーツより 



~楽天・野村前監督が緊急入院 解離性大動脈瘤の疑い~
(5月12日19時41分配信 産経新聞)

プロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスの前監督、
野村克也さん(74)が、
都内の病院に緊急入院したことが12日、わかった。
関係者によると、野村さんは解離性大動脈瘤(りゅう)の疑いで
10日から入院しているが、命に別条はないという。


ゆっくり休んで下さい!!
亀井義行不振の原因は“向上心”? 野球選手と筋トレの微妙な関係
2010年05月11日 (火) | 編集 |
                        鷲田康 = 文 


野球選手にとって筋トレとは何なのか?

パワーアップはもちろん、ケガをしにくい強い肉体を作ることなど
様々な目的があるが、その中で最も直接的なものは、
技術の向上だけでは届かなかった未知の世界に、
肉体を改造することで足を踏み入れることではないだろうか。

打者なら今まではちょっと差し込まれて塀際でお辞儀していたボールを、
筋トレによってフェンスの向こう側まで押し込みたい。
投手なら筋トレで球速をあと3キロ速くして手元でひと伸びさせることで、
今まで本塁打となっていた打球をフェンス前に落下させたい。

筋トレの究極の目的は、自らの肉体そのものを改造して、
そうした“あとちょっとの世界”を手に入れることだった。
その夢のために、選手たちは毎日、
マシンと向き合い、苦しい汗を流すわけである。

~巨人・亀井の不振は上半身に偏った筋トレが原因?~

だが、偏った筋トレは選手の意とは反して、
マイナス効果を出してしまうケースも意外と多い。

「やっぱりバランスが大事なんですね」

巨人の亀井義行外野手がこんなことを言っている。

昨年はWBCの日本代表に選ばれ、世界一メンバーの一員となって帰国。
シーズンではチームの「5番」打者としてブレークして、
巨人の7年ぶりの日本一奪回の立役者ともなった。

その亀井が今季は、開幕からのスランプに苦しんでいる。
20試合を経過した時点でも、打率は2割に満たず、
「5番」の座も明け渡す日々が続いていた。
そして、4月末には怪我もあってついに二軍落ちをしてしまう。

その不振の理由の一つが、
上半身に偏った筋トレだったという声があるのだ。

「もう少しパワーをつければ、ホームランの数を増やすことが
 できると思ったんでしょうね。
 オフの間は熱心にトレーニングマシンでパワーアップを図っていた。
 でも、上半身を中心に筋トレをやった結果、
 下半身とのバランスが微妙に狂ってしまったのが
 スランプの一つの原因のようです。
 本人も『タイミングが全然、とれなくなってしまった』
 と頭を抱えていました」

こう説明してくれたのはベテランの巨人担当記者だった。

その微妙なバランスのズレを修正するために、
今はトレーナーに下半身中心のトレーニングメニューを作ってもらい、
必死に土台を作り直している。

「今はだいぶ下がしっかりしてきて、
 下半身からの回転でバットを振れるようになってきている。 
 このまま土台がしっかりしてバットを振り込めるようになったら、
 少し違う結果も出てくると思います」

本人もこんな風にスランプ脱出への青写真を描いているのだという。


~「上半身の筋肉は飛距離には結びつかない」という結論。~

もっとホームランが打ちたい。

打者としては自然な欲求かもしれないが、パワーをつければ、
本塁打が増えるかといえばそうでもない。
その“過ち”を実感している選手が、
ロサンゼルス・エンゼルスの松井秀喜外野手だった。

もともと松井は、日本では筋トレはあまり熱心にやるほうではなかった。

「アジア系の人種の骨格と欧米の人種の骨格では骨の太さや、
 関節の強さも違う。
 一概に大きな筋肉をつければパワーアップにつながるとは思わないし、
 むしろ故障の原因になりかねない」

メジャー挑戦直後にはこんなことも話していたが、
実際にメジャーの選手のパワーと直面したことで、
いくら練習を積み重ねても届かない領域を感じてしまった。
そうして2年目から必死に筋トレを取り入れ
パワーアップを図った時期があった。

「でも、結局、僕の場合は筋トレ、
 特に上半身の筋肉は飛距離には結びつかなかった」

これが今の松井の実感なのだという。
筋力をつけることがボールを飛ばす絶対条件ではない。
上半身と下半身の筋力のバランスが取れた上で、
それを効果的に使える技術があって初めてボールの飛距離は伸びる。

ボールを飛ばすためにはある程度の筋力は必要だが、
筋トレ至上主義が本塁打を生むわけではないというのが結論だった。

もともとアベレージヒッターの亀井は、
パワー信仰への執着が薄かったのもあるだろう。
それでも偏った筋トレによるマイナス効果に早く気づいたことが、
復活への一つのカギとなるのかもしれない。

あくまで持っているスキルを最大限に発揮するための
補助的なトレーニングである――
ここでは野球選手にとっての筋トレを、
そう定義しておくことにしよう。 




【筆者プロフィール 鷲田康氏】


1957年埼玉県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。
およそ10年にわたり読売ジャイアンツ取材に携わった。
2003年に独立。
日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、
Numberほか雑誌・新聞で活躍。
著書に『僕のメジャー日記 松井秀喜』(文藝春秋)、
『ホームラン術』(文春新書)がある。

確信と信念で原巨人采配的中率UP
2010年05月09日 (日) | 編集 |
巨人・原監督の采配が当たっている。
4日のヤクルト戦では左腕・石川の先発に、
前日に満塁本塁打を打った脇谷を外し、
2番に長野を抜擢下のが的中。
そんな場面を見て、2つの話を思い出した。

一つは亡くなった木村拓也コーチが、3月の新人研修会で
講演したときの話だった。
スイッチヒッターになって、どんな利点があったのか?

『打者にとって自分の近くから遠くに逃げていく球が、
 一番打ちづらい。
 スイッチすることで、この球を消せる。
 相手投手の球種が1つ減ったようなものです』―。

左投手に対してどれほど右打者が有利か。
それを分かりやすく説明してくれた話はめったにない。
左の石川に対して右の長野。
当たり前だが、その有利さはこんなに大きいという事を
木村コーチの話から改めて思った。


もう一つは、昨年のWBCでの原監督の話だった。
『采配で一番大切なことは選手を信じて
 ブレないことだと思う』―。

第1ラウンドの韓国との1位決定戦。
1点を追う8回一死一塁で原監督は2番・中島に送りバントを
命じた。
3番の青木が凡退してこの試合は敗れたため、
『消極的采配』と批判を浴びたが・・・。

『失敗してどんな批判を浴びても
 甘んじて受ける覚悟を持つことだね。
 だから今度、同じシチュエーションでも、
 同じサインを出す事にためらいはない。
 だってそれが野球なんだから!』―。

そう言って笑ったのを覚えている。


采配がズバリと当たるのは、決して偶然ではない。
前日に満塁弾を打っていようと、
今の脇谷だったら
右の長野の方が左投手を攻略できるという確信。
結果、失敗して批判を受けても、受け止めようという
揺ぎ無い信念。
この2つに裏打ちされた決断だからこそ、
原采配の的中率は非情に高いのだろう。


      サンケイスポーツ 『球界インサイドリポート』より
                      鷲田康氏
練習の虫 高3で開花 (下)
2010年05月06日 (木) | 編集 |
筑陽学園高(福岡)3年春の福岡・久留米市野球場。
九州大会準決勝で長野久義が放った打球は、
両翼98㍍の左翼フェンスをゆうに越えて、
場外に消えていった。
推定飛距離150㍍。
他の選手目当てに来ていたプロのスカウトたちも
驚く特大アーチだった。
長野にとっても、
『自分で見てもどこまで飛んでいくのかという感じ。
 すごく自信になった』という一打だった。

『1番・三塁』に定着したのは、最高学年になってから。
わずか半年ほどで、先頭打者本塁打を含む20本以上の
本塁打をたたき出した。
筑陽学園高監督の江口祐司(47)は
『1~5番が本塁打を打った時があったが、
 その口火を切ったのが長野。
 出塁率が高く、好機を広げる一打も多かった』と振り返る。


中学硬式野球の強豪『筑紫野ドリームズ』で鍛えられたとはいえ、
高校入学時は身長1㍍60で、進入部員の中では一番小柄。
2年夏までベンチにすら入れなかった。
新チームになっても、出番は少なかった。
明るく振舞いながらも、
『悔しかった。(進学時に)反対した人に「ほれ見ろ」と
 言われまいと必死だった』―。

当時、コーチだった下井英生(38)はこう証言する。
『何でも一生懸命。人が見ていない所で努力していた』―。
走力アップのため、仲間には内緒で、靴の中敷に
重りをしこんだ。
3年生になる頃には、重りをつけたままでも、
チームトップのタイムで走れるようになっていた。

2年生の冬に行われた体力強化練習。
下井は、他の選手が立てなくなるほど疲労している中、
与えられたメニューを早めに終わらせ、
ダッシュをこなす長野に気づいた。
朝7時前には登校し、他の選手が練習を始める前に
素振りもしていた。

春には、ユニホームがはちきれそうになるほど、
下半身が大きくなっていた。
『体が強くなったのが実感できた。
 スイングのとき、おへそを前に出すようにしたのも良かった。
 あの冬を境に打力がぐんと伸びました』―。

甲子園に出場できず、ドラフトにもかからなかった。
しかし、地道に努力を続けて得た体の強さと自信が、
その後を支える強固な礎となった。


            読売新聞 『夢に向かって』より