日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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『自分を貫く』 小学生から ~長野久義(上)~
2010年04月27日 (火) | 編集 |
3度目のドラフト指名で悲願の巨人入りをし、
走攻守3拍子揃った即戦力、長野久義外野手(25)。
長野の軌跡、魅力を探る。
            読売新聞 『夢に向かって』より


昨年9月1日、東京ドーム。
一目をはばからず号泣する長野がいた。
都市対抗で首位打者に輝き、ホンダの日本一に貢献した。
前回大会では、自らのエラーがきっかけで準決勝敗退。
しかし、昨年の春には、巨人が異例の早さでドラフト1位で
指名する方針を打ち出していた。
『1位にふさわしい結果を残さなければ』―。
巨人入りを熱望し、他球団の指名を2度断っていた経緯もあり、
注目を浴びる中での悲願達成。
自然と涙が溢れた。


ボール遊びが好きで、小学1年生のとき、
自ら望んで地元・佐賀県基山町の少年野球チームに入った。
中学進学時には
『強いところでやりたい』と、
中学硬式野球で九州トップクラスの
『筑紫野ドリームズ』でのプレーを希望。
『中学校の軟式野球で十分』と考える父・久俊(62)と
衝突したが、押し切った。
結局、父とは3年間、ほとんど口をきかなくなった。


同級生と比べると頭半分ほど体が小さかった長野。
当初は、練習についていくのがやっとだった。
それでもめげなかった。

『父との事もあったし、大きい子に負けたくなかった』―。

母・博美(54)が
『毎日、白い練習着が真っ黒。
 ここまでやらないといけないのかと思った』と言うほど、
練習に明け暮れた。
ミート力向上にいいとコーチに助言を受けると、
自宅で母に丸めた新聞紙や大豆を投げてもらい、
バットに当てるティー打撃を繰り返した。


ガッツも見せた。
まだレギュラーではなかった頃、練習試合で送球が当たり、
肩を痛めたが、痛みを押して翌週の試合にも出場。
ボールにバットが当たった瞬間、鎖骨が折れた。
医師からは、以前から骨にひびが入っていた可能性が
高いと告げられた。石井高雄監督は、
『辛さを顔に出さない子。
 掴みかけたチャンスを逃したくなかったのでは』と
振り返る。
この年の夏に定位置を手に入れた。


高校進学時にも自分を貫き通した。
本人は地元の強豪・筑陽学園(福岡)への進学を望んだが、
周囲は『ベンチを温めることになる』と反対した。

『なぜやる前から決め付けるんだ』―。

地元公立高校への推薦話もあったが断り、勉強に打ち込んだ。
見事合格。
こうして進んだ筑陽学園で、急成長を遂げることになる。
 
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ユニホームという戦闘服での壮絶な“戦死”
2010年04月26日 (月) | 編集 |
併殺を狙った遊撃手の一塁送球が二塁へ走る走者の
右側頭部を直撃した。
1972年7月、神宮球場での日米大学野球。
一塁走者の東門明選手(当時早大2年生)は、
その場に昏倒したまま動かず担架で運ばれた。
そして一度も意識が戻らないまま5日後、
祈りもむなしく脳挫傷で還らぬ人になった。


いまのような両耳を覆うヘルメットなら惨事は防げただろう。
ユニホームという戦闘服での壮絶な“戦死”。
巨人・木村コーチもまたユニホーム姿で
試合前のノック中に倒れた。
同じ5日後の死去。
外傷と病の違いはあれ脳への不測の“一撃”の恐ろしさを
改めて知る。


身長1㍍73㌢と小柄な木村さんは、何度も現役続行の危機に
直面しながら
『絶対に生き残ってやる』と、
たゆまぬ努力で19年も現役生活を続けた。
出番がないと思われた巨人でも、いぶし銀の活躍を見せ、
今季からコーチに転身していた。
キャンプでは手を豆だらけにしてノックバットを
振り続けたという。


『明るく誰からも好かれた。
 宮崎出身で同県人を集めてゴルフコンペを開くなど、
 面倒見も良かった』と関係者は言う。
慣れぬコーチ業や、長い単身赴任生活で、
ストレスをため込んだという指摘もある。
若い選手にとって、そのままお手本となる人が亡くなったのは
球界全体の大きな損失だ。


早大では東門選手の背番号『9』が永久欠番になっている。
慣れ親しんだ神宮がその終末の球場なら、
木村さんも古巣広島・・・。
何の慰めにもならないだろうが、
野球人としては球場でのユニホーム姿の最後は
本望といえるのではないか。

ご冥福をお祈りする。


         サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                      今村忠氏
ロッテを「足」で勝たせる男。荻野貴司という異能の新人とは?
2010年04月21日 (水) | 編集 |
                 氏原英明 = 文  


昨シーズン、パ・リーグ5位に沈んだロッテの快進撃が続いている。
週末に行われた西武との首位決戦も2勝1敗と勝ち越し、
その差を3ゲームとしてリードしている。
この時期での順位をどうこうの言うのは早計なのは分かっているが、
とにかく、今年のロッテは一味違う戦いぶりを見せている。

その象徴とも言えるのが、
新人にして開幕から2番に抜擢されている荻野貴司の存在である。
打率.357、打点9 得点13、盗塁8と絶好調で、西岡剛とともに、
俊足1、2番コンビを形成。
井口資仁、金泰均、大松尚逸から成る
強力クリーンアップにつなぐ役割を果たしている。

 足、足、足……。

そのプレースタイルを見れば、
彼がどんな選手なのか一目瞭然である。

リーグトップの8盗塁もさることながら、
普通の送りバントでも、セーフティ気味に転がし、
一塁まで駆け抜ける。
外野の間に飛ぶ単打を放てば、
あわよくば二塁を陥れようかのごとき勢いで、
常に先の塁を狙う。
自らの武器がどこにあるのかを、強く意識しているのがわかるのだ。

一つの武器をもった選手がプロの世界でこれほど映えるとは……
彼の活躍にはいつも驚かされるばかりだ。

~努力する天才! 才能が無かった荻野貴が成長した背景~

そもそも荻野貴の野球人生は、
これまでそれほど華やかだったわけではない。

奈良県出身の荻野貴は中学時代、
ボーイズリーグの名門チーム・橿原コンドルに所属していたが、
チームメートだった加治前竜一(巨人)とは対照的な存在だった。
加治前が走・攻・守がそろうスーパースターだったのに対し、
荻野貴は常に控えに甘んじた存在でしかなかった。
のちに智弁学園―東海大を経て、
先にプロ入りした加治前の経歴と比べて、その差は明らかだった。

彼のポテンシャルが発揮され始めたのは高校に入ってから。
奈良県下有数の進学校・郡山高に進んだ荻野貴は
1年春からベンチ入りし、頭角を現す。
2年春には遊撃手でレギュラーをつかみ、
それからはチームの顔になった。
郡山高の恩師で、元監督の森本達幸氏は言う。

「加治前君は中学時代からスーパースターで、
 荻野はそんなに目立つ選手ではありませんでした。
 荻野はうちに来た時は守備が上手く、足も速かったのですが、
 身体が小さいという印象でしたね。
 高校に入ってから彼自身が努力をし続け、
 パワーがついてきたことで、チームの中心になったんです」

高校3年、夏の甲子園予選では3番・遊撃手の
ポイントゲッターとして、チームの準優勝に貢献。
甲子園出場は果たせなかったものの、
チームを引っ張る存在になっていたのである。
ちなみに、準決勝では加治前のいる智弁学園を大差で破っている。
高校卒業時には、ロッテ、阪神など
複数球団がドラフトでの指名を窺ったほどで、
本人が大学進学を希望したために実現することはなかったが、
荻野貴の存在は在阪スカウトの中ではちょっとした話題となっていたのだ。


~大学時代の荻野貴がついに気づいた“自らの方向性”~

とはいえ、当時の荻野貴から今の姿を想像できたかというと、
決してそうではない。
筆者自身も、高校時代の彼を見てきたが当時の印象とは全く違う。
確かに足は速かったが、彼の持ち味として語られていたのは、
遊撃手としての華麗な守備とミートに優れたバッティングセンス、
勝負強さなどだった。
森本氏はいう。

「高校の時から足は速かったんです。
 僕の指導方針の中で、選手に『ノーサインで走れ!』という指示は
 あまりしないのですが、荻野には任せていました。
 ただ、荻野はチームプレーをいつも考える選手で……
 ノーアウトで自分が盗塁を試みて失敗することで
 チームのムードが悪くなったりすると、
 それを気にし過ぎて積極的に走らなくなったりはありましたね」

むしろ、足を武器とする選手としての才能が開花したのは、
大学も上級生になってからのことである。
関西学院大に進んだ荻野貴は、
大学時代に自らをこう振り返っていた。

「2年の春くらいに、
 うちのチームには長打を打てる選手がいないということに
 気づいたんです。
 そこで、自分が塁に出て、
 足を生かす野球をしようと思ったんです。
 それからは、とにかく盗塁に力を入れるようにしました」

~学生リーグ新記録まで樹立して、大学卒業時はプロを回避~

3年春に1シーズン10盗塁を記録しその成果を見せると、
4年春リーグ戦ではついに本領発揮し1シーズン17盗塁の
関西学生リーグ新記録を樹立。
少しでもモーションの大きい投手ならば必ず盗塁を決めたし、
マークがきつくても試合の勝負所となると、
それをかいくぐってでも見事に盗塁を決めてみせた。

~「自分の武器は足」~

このころの荻野貴には、現在見られるプレースタイルへの手ごたえが
すでにあったようだ。
しかし、大学卒業時には結局プロ志望届を出さなかった。
本人自身の思いはともかく周囲の評価は高かっただけに、
在阪担当スカウトの多くがその決断に頭を抱えることとなった。
すでに当時の荻野貴は、誰もが欲しがるほどの
魅力的な「足」を持っていたからだ。

社会人のトヨタ自動車での経験を経て、
昨秋のドラフトでロッテの1位指名を受けた。
ドラフトの目玉・菊池雄星を回避してでも、
ロッテが欲しがった理由は今の活躍を見れば、
理解できるというものである。

~荻野貴の存在で、今後ますます難敵になっていくロッテ~

今後、荻野貴に対するマークは厳しくなるだろう。
それは走者として、盗塁が警戒されるだけではなく、
「塁に出したくない」打者としても厳しく攻められるということだ。
彼が越えなければいけないプロとしての壁が高いのは確かだが、
しかし、それだけ対戦相手を苦しめているということでもある。

昨シーズンの盗塁数がリーグ最下位だったロッテに注ぎこまれた
荻野貴司という新たな要素。
こうしたプレッシャーを相手チームに与え続ける選手がいるということで、
ロッテはシーズンを通してますます戦い難い相手となっていくはず。

4月11日の試合でロッテは11-0で西武に圧勝した。
一見するだけでは荻野貴の足が西武をかき回した試合ではないのだが、
その存在が目に見えないところで
対戦チームにプレッシャーを与えていたのは間違いない。

 荻野貴の存在が、ロッテの野球を熱くさせている。



【筆者プロフィール 氏原英明氏】

1977年ブラジル生まれ。
奈良大学を卒業後、地方新聞社でのアルバイト勤務を経て、
フリー活動を開始。
高校野球を中心に活動を続けるが、
野球を通じた人間性、人生観を伝え続け、
Numberのほかに野球専門誌で活躍。
WEBの世界でも「人間力×高校野球」(高校野球情報.com)
と題したコラムを連載している。

『昨季2位はたまたまだった』と認識せよ!
2010年04月17日 (土) | 編集 |
名誉監督とは実に中途半端な立場だ。
現場やフロントに口を出せるわけではない。
だからといって、ただ『がんばれ』と言うのも柄ではない。

昨年の2位をどう評価しているか―。
ユニホームを脱ぐ際、私は球団に
『この2位はたまたまだ』と言い残した。
西武は前年日本一の反動があり、ソフトバンクは故障者続出。
ロッテは内部がガタついていた。
恵まれていたのだ。
その認識を誤ってはいけない。

選手が自信を持つのはいいが、ベンチの過信は困る。
この日(15日の対西武戦)、堤防が決壊するように4失点した
4回の守備。
分岐点は、無死一、二塁からの犠打野選だった。
捕手の藤井は明確に一塁を指示していたが、
ラズナーは三塁へ投げた。
意思の疎通がない。
こういうミスの後、外国人投手は『よく聞こえなかった』
ということが多いらしい。
発音が違うなら、事前に打ち合わせればいい。
ファーストを『ファー』、サードを『サー』など、
シグナルを省略しておくのだ。
また藤井のリードは単調だった。
ラズナーのカットボールしか信用しておらず、
右打者は外角一辺倒、左打者には内角への
カットボールが中心。
右の高山の2点二塁打は外角直球、左の上本の2点タイムリーは
内角カーブ。
単調な配球を読まれた。

本来、配球とは『信用する球で打ち取る』
瞬間から逆算して組み立てるものだが、
カットボールを生かすために内角直球を使う、などの意図は
見えなかった。
ブラウン監督は『初球はストライクから入る』ことを
好むという。
しかし、捕手の立場からすれば、初球は
『打者の狙い』を探るためにある。
1球で打ち取る球があればいいが、ラズナーのように
ゴロで打ち取る球種を持たない投手は結局、
球数を減らせない。


私は昨年、楽天のチームスローガンを『氣』とした。
ベンチでは『勝つ気があるのか?』と
叱咤を繰り返した。
相手の動きを読んで警戒する。
球種を絞ってヤマを張る。
そうした読み、準備を怠ることを
『勝つ気がない』としかった。

相手の動きを察知しようとしない、気配を読もうとしない
野球は、私の目にはただの
『調整試合』と映る。

そうしたプレーの積み重ねだから、
『調子任せ』で勝負が決まってしまう。
監督が選手を見ているように、選手も監督を見ている。
『選手には力がある。やってくれるはずだ』というのは、
信頼ではなく願望である。
その願望がかなわなかったとき、いったい誰が責任を取るのか―。


ヤクルトの監督をやめた後、後任監督の若松勉
(本紙専属評論家)は
「野村野球を継承したい」と言ってくれた。
阪神の監督を辞めた時、星野監督の参謀だった島野育夫に
「野村さんのいいとこ取りをさせてもらいます」と
あいさつされ、うれしかった。
すべて『継承』しろとは言わない。
だが、すべて『断絶』する必要はない。


選手間のコミュニケーションは、言葉の意思疎通が難しいなら、
『省略』で事が足りる。
ただし、監督の意思を選手に伝えるのは
『省略』で済ませられない。
確かなつながりが必要である。
ブラウン監督にアドバイスするとすれば、
グラウンドでのリーダーを決めることだ。
リーダーになりうる人材を探し、育て、とことん
『勝つ野球』を伝授し、チームに伝えさせる。
そうすることでチームに確かな一本の『線』が通される。


『勝つ気があるのか?』―。
もう一度、問いたい。
努力の方向性を、チーム全体で定めてほしい。
勝つためには『相手の動きを読む』という
当たり前のことを、当たり前にやるべきである。
これが継承されてゆくなら、それこそ
『名誉』なことだ。


    4/17付け サンケイスポーツ 『ノムラの考え』より

オリックスを変貌させた、岡田彰布の『眼力』~理論派監督が目指す改革とは~
2010年04月13日 (火) | 編集 |
                    永谷脩 = 文 

開幕2戦目の京セラドームを訪れた時に
「思い切ったことをやりますね」と岡田彰布監督に声をかけると、
「そんなの当たり前よ」と言わんばかりにニヤリと笑って見せた。
楽天との開幕戦で主砲・カブレラを外した件について
聞いたときのことだ。

指名打者を嫌がり一塁を守りたいと言うカブレラに対し、
T-岡田を一塁で使う、と申し出を拒否。
反発するとそのままスタメンを外してしまった。
これまでわがまま放題だったカブレラも
「今までの監督とは少し違う」と思ったのか、謝罪をし、
開幕2戦目からはDHで出場することが許された。

監督の毅然とした態度はナインにも伝わる。
何よりもカブレラが危機感を持ったことは確かだろう。
楽天・田中将大から先制2ランホームランを打って存在感を見せ、
チームも開幕3連勝の好スタートを切った。

「まだ始まったばかりよ」と言う岡田監督が
何か運を持っているように思えてくるのだから、不思議だ。  


~岡田理論が如実に見えた開幕2戦目の選手起用~

 選手の使い方も理に適っている。

評論家だった昨年、古巣・阪神の真弓明信監督の采配批判の中で
「選手の使い方の順序」を厳しく追及していたが、
開幕2戦目にもそれが如実に表れていた。

2点を追う6回、主戦捕手の日高剛のところで大村直之、
開幕戦のヒーローにもかかわらず大引啓次には、
北川博敏を代打に送って勝負にでた。
1点差に追い上げた8回、
日高に代わってマスクをかぶった鈴木郁洋には
徹底して送りバントを指示。
スリーバントを成功させ田中をマウンドから引きずり下ろし、
サヨナラ勝ちに結び付けている。

得点圏に走者を送り、相手にプレッシャーをかけて戦う。
開幕戦、1点差の9回にノーアウトの走者を出しながら、
ダブルプレーに打ち取られたブラウン采配とは大違いだ。  


~チームの活性化に貢献するベテラン・田口壮の存在感~

「ローズは断っても、田口壮は獲ってくれ」
と岡田監督はフロントに直談判したと言われるが、
ベテランの域に達したメジャー帰りの田口の存在も、
チーム内の活性化につながっている。

誰が必要で誰が不要なのか。
選手起用の眼力に秀でている岡田監督によって、
オリックスは確実に骨太のチームへと変貌を遂げようとしている。


自信を持つ
2010年04月12日 (月) | 編集 |
4月に入りいよいよ、シーズン本格的始動。
先月から練習試合が続いて、今月から息子もいよいよ
肩の具合もよくなり、レギュラーに返り咲きました。
試合もほぼ先発出場。
少しずつショートの守備も以前のステップに戻り
軽快にボールをさばいています。

ただ、悩んでいたのは右で打つか左で打つか・・・。
肩の調子が昨年秋のシーズン終了後から思わしくなく、
冬場に右から左にフォームを代え、バットを振り込む予定が、
満足いくまで振り切れず、結局今まで自分の振っていた右に
一端戻しました。
同級生もレギュラーに定着し、確実にヒットを打ち
チームに貢献している姿を目の当たりにして、
“打たないと出れない”と自分に危機感も持ったのでしょう。
バッティングセンターでも右打ちで何度かホームラン賞も
取って帰って来て、右に自信を持ち始め・・・。

“右なら打てる!!”・・・。
本人も戻すことに迷いがなかった・・・と見ていましたが、
先週たまたま2日間私が送迎、お茶当番で
お手伝いをさせて頂いていた時のこと、
コーチが『勇汰は何で右に戻したんだ』―。
と気難しそうな顔で息子に言ってきたそうです。

『左が打てないから右に戻した・・・と言う事は
 絶対に許さないぞ!!』―。
昨秋、右から左にバッティングを代えたいと
申し出た時、コーチから浴びせかけられた言葉でした。

みごとに裏切り自ら右に戻した息子。
コーチも呆れたことでしょう。
ただ、呆れただけではなかったようでした。
実は、左打ちの息子に惚れてしまったのが
コーチだったから。
右より左打ちの方が、無駄な力が入らず、
安定していてきれいなフォームだったからなのです。
冬のトレーニング期間中、素振りをしていた息子を見て、
コーチいわく
『松井秀喜のフォームに似ている!』
と、県南選抜に選ばれている先輩を捕まえ、
『よく見てみろ!』とお手本にされたそうです。
それ位、魅力的なフォームができます、左打ちでは。

どうしても左で打つことを勧められ、息子なりに悩みました。
母)『勇汰はどうしたいの?』

息子)『右と左、どちらにするか悩んでいる・・・』

母)『それすごい!だって今まで右で結果を出してきて
   左はまだ始めたばかりなのに、右と同じ位悩むんだもん。
   同じ位力が付いてきたんだよ!
   その通りにコーチに言ってみてごらん。
   きっと最終的に勇汰が打ちたい方を言って下さるよ!』

息子)『そうだね。左はまだティーや素振りしか
    やっていなかったから、試合で結果を求められると
    右で打たないと、って思って右にしたんだ。
    でも、コーチには左が絶対いい!って言われているし、
    どちらかハッキリすれば打ち込めると思うし、
    自信持ってできる』

母)『なら明日、コーチに自分の口からハッキリ言ってね』

息子)『うん!』


そして昨日、本心をコーチにお伝えし、左で打つ決心をしました。
迷いが晴れたのか、ティーバッティングでは左でバンバン
飛ばしていたそうです。
コーチも付きっ切りで指導して下さったそうです。


3年生は最後のシーズン。
絶対、県大会優勝して全国大会のキップを手に入れたいと、
みんな必死に頑張っています。
3年生に2人、県南選抜の先輩もいるので、
かなり気合が入っています。
これから今まで以上にバットを振り込んで、
先輩らの為にも勝ち進んで欲しいです。
微力ですが力になれるといいのですが・・・。
 
『コーチ哲学はない』それがキムタクコーチの哲学だった
2010年04月10日 (土) | 編集 |
キムタクが逝ってしまった。
引退のあいさつを行った現役最後の日、
木村拓也はインフルエンザにかかっていた。
昨年11月23日。
東京ドームで行われた巨人のファンフェスタのときだった。

巨人で5年間愛用したロッカールームには入れず、
一塁側の球団ブース、金魚鉢のような小さな部屋で、
キムタクはたたずんでいた。
投手以外なら何でもこなすユーティリティープレーヤーとして
3つの球団を渡り歩いた。
捕手経験を買われてアテネ五輪の日本代表では
ブルペン捕手まで務め、先発した最後のカナダ戦では
5打数3安打と日本の銅メダル獲得に貢献した。

『僕にコーチ哲学はないですよ。
 あえて言うとしたら、
 それが僕のコーチとしての哲学ですかね』

その日を境に選手から指導者への道を歩み始める。
そのスタートに当たって、キムタクはこう言って静に笑った。


決してなりたくてなったユーティリティープレーヤーでは
なかった。
プロの世界でどうやったら生き残っていけるか。
そのことだけを考え続けた結果、
8つのポジションをこなすことになったのだという。
『だから・・・』キムタクは言った。
『僕のような選手にならないように。
 選手にとっての幸せは1つのポジションでレギュラーになって
 毎日試合に出ることですから。
 そういう選手を目指せるように、
 若い選手と一緒に汗を流していきたい』
指導者としてのスタートにこんな思いをはせていた。

『みんなに支えられた野球人生。
 幸せものでした』
ファンフェスタの引退セレモニー。
インフルエンザのキムタクは、こうファンに引退のあいさつをして
金魚鉢のような球団ブースに戻っていった。
そしてセレモニーが終わると、
独りで背番号0のユニホームをたたんでいる姿があった。
人に迷惑をかけない。
すべて自分で始末してしまう。

木村拓也とは、
そんな選手だった。


      サンケイスポーツ 『球界インサイドリポート』より
                           鷲田康氏
本紙(サンスポ)を愛読 『7つのまちがいさがし』で「動体視力鍛えている」
2010年04月10日 (土) | 編集 |
4月8日 サンケイスポーツより

まさかこんな文章を書く日がくるとは思いもしなかった。
信じられないし、信じたくもない。
木村コーチは弊紙の愛読者だった。
毎朝130円出して購入してくれていた、ありがたい存在だ。
記者が巨人担当キャップ時代、
活躍を1面で報じたことも何度かあった。
『広島や宮崎では売ってないから』と、
たくさん買って自宅や実家に送っていた。
駅売り用の即売面に載っている
『7つのまちがいさがし』が好きで、
『あれで動体視力を鍛えてるんだよ』と
冗談をとばしていたものだ。

巨人に移籍してきたときは、もうベテランと呼ばれる存在。
練習中でも試合中でも、若手選手に厳しい表情で叱咤する
シーンがしばしば見られた。聞くと、
『なんでそう判断したんだ』
『今のプレーはこうすべきだった』
『その投げ方はないぞ』などなど、気がついたら、
その場で注意していたという。

『小言の多いオジサンと思われているかもしれないけど、
 その場で指摘して考えさせるようにしている。
 オレも広島の時、野村謙二郎さん(現広島監督)から
 たくさん教えてもらったから』と、
嫌われ役は百も承知だった。
こんな熱い男がいるから、プロ野球の技術は
継承されていくのだなと思った。

今季から37歳の若きコーチとして、指導者の第一歩を
踏み出したばかり。
将来どれだけ素晴らしい選手を育てることができただろう。
そんなことを考えなければならないのは、
あまりに悲しく、悔しい。


         サンケイスポーツ  プロ野球遊軍・牧慈   
話術巧みに野球談議
2010年04月10日 (土) | 編集 |
~4月8日 読売新聞スポーツ欄より~

木村さんの巨人への入団記者会見は、2006年6月6日、
ソフトバンク戦を控えたヤフードームで行われた。
巨人は主力に故障者が相次ぎ、
熟練の選手を補強する必要に迫られ、広島から急遽。決まった。

しかし、木村さんは東京ドームで行われた試合で、
大事な送りバントに失敗し、チームは敗れた。
帰る時に選手サロンで、
『今日はすみませんでした』と大声で謝り、頭を下げた。
責任感にさいなまれた表情は、今も忘れられない。

08年に入ると、その存在が重みを増した。
暑い時には、ユーモア交じりにゼイゼイ言いながら、
6月21日のソフトバンク戦では延長12回に
逆転サヨナラ打を放つなど、夏場に活躍した。
この頃、遠征先では、試合後の食事会場で、
木村さんの座るテーブルが、野球談議で盛り上がる光景を
よく目にした。

得意の話術に、身ぶり手振りを加えながら、
若手の野手たちに、プロとしての経験を聞かせ、
野球指導に一役買っていたのだ。

昨年終盤のヤクルト戦では、頭部死球で退いた
加藤選手に代わり、捕手を務めて、ピンチを救った。
原監督が、
『「これが巨人の野球だ」と言える素晴らしいプレー』と
称賛した働きだ。
そのことを本人に聞くと、
『監督から「もしもの時は(捕手が)出来るか」って声を
 かけられていたし、年に何度かはブルペンに入って(投手の球を)
 捕っていましたよ』と、
実に嬉しそうだった。

『生え抜き選手』『移籍選手』という言葉がある。
一昨年まで巨人で働いた私は、この使い分けに、違和感を覚えた。
木村さんのような選手が、巨人の一員であることを誇りに、
懸命に努力する様子を見ているからだ。
だからこそ、原監督は引退した木村さんを、
すぐに一軍の内野守備走塁コーチに抜擢したのだろう。
喪失感はあまりに大きい。


                   運動部長 山岸均氏
“ON超え”見せた長野 イキのいいルーキーが野球界を盛り上げる
2010年04月07日 (水) | 編集 |
たまたまテレビのチャンネルを合わせたとたん、
長野の超特大ホームランが目に飛び込んできた。
4日の巨人ー広島戦。
4回ニ死一塁で長野が左翼へ放ったのは
推定飛距離140メートルの場外弾だった。
12打席目のプロ初アーチは長嶋茂雄の22打席、
王貞治の27打席を抜く“ON超え”というから恐れ入る。


プロに行きたくても指名されない選手も多いのに、
長野は日本ハム、ロッテと2度も入団を拒否した。
さらにプロでは何の実績もないシーズン前に、
年上の女子アナとの熱愛を週刊誌に報じられ、
あらぬ方で話題になった。
一体、このルーキーは何なのかと思っていたが、
昔の選手のように腕ひとつで黙らせるタイプらしい。


社会人ホンダ時代は、練習の合間に腹筋や背筋を
200回も300回も繰り返したとか。
体の鍛え方も大卒、高卒ルーキーとは大きな差があるようだ。
人気者好きの巨人が去年のドラフトでは菊池雄星でなく、
長野1位でいくことを早々と決めた。
その期待に当然のように応えるのは、
ただ者ではないということだろう。


パ・リーグではトヨタ出身のロッテのルーキー荻野貴が
2番に定着し大活躍している。
長野と同タイプの俊足外野手だ。
本紙専属評論家の江本孟紀氏は、
『注目度は低いが、社会人出身者は何より体ができている。
 全盛期280もあったチームが今は80程度に減り、
 切迫した状況の中で野球を続けてきた
 精神的な強さも学生の比ではない』と話す。


デーゲームだった4日のテレビ視聴率は7.2%
(関東地区、ビデオリサーチ調べ)。
長野や荻野に続いてイキのいいルーキーがもっと現れて、
めっきり減った地上波の中継を盛り上げてもらいたいものだ。


             4/6 サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                           今村忠氏
長野久義は「前」に出られるのか?~清原も陥った内角の罠~
2010年04月06日 (火) | 編集 |
                     鷲田康 = 文   


内角が苦手な打者には、基本的には二つの対処のパターンがある。

一つはバッターボックスのライン、ギリギリに立って、
投手が内角球を投げにくくする。
極端な選手はそれでも内角を突かれればわざと当たることで、
投手から内角を奪おうとするわけだ。

そしてもう一つの行動パターンは、逆にベース板から離れて立って、
内角のストライクを真ん中に持ってくるというタイプだ。

巨人のドラフト1位ルーキー、長野久義外野手(25)は
典型的な後者のタイプのバッターとなる。

長野の打席での立ち位置は、バッターボックスのラインから
ほぼ一足半近く離れたところにスタンスを取る。
当然、外角は遠くなるが、
そこを踏み込んで捕らえてオープン戦では好成績を残してきた。

~胸元をえぐる厳しい内角攻めに長野は対処できるのか?~

「ただ、あの打席の立ち方ではどうか……。
 本番が始まったらかなり苦労するでしょう」

こう指摘したのはあるセ・リーグのスコアラーだった。

「オープン戦では、ルーキーに対してはまだまだどの球団も
 相手の特長を探っている段階。
 投手も登板ごとに課題を持って投げているので、
 例えば内角に投げるのでも、相手打者に合わせるのではなく、
 実際のストライクゾーンのギリギリを狙って投げたりする。
 長野にとってみれば、そこはど真ん中のストライクだからね。
 ある意味、あれぐらい力のある打者なら
 打って当たり前ということでしょう」

 しかし、本番になればガラッと攻めが違う。

いくら長野が打席の後ろに下がっても、胸元の厳しいところを
「これでもか」と突いてくる。
ボールになってもそこを見せて、
今まで踏み込んで打ってきた外の変化球をより
有効に使おうと考えるのは
しごく当然のことになってくる。
長野に苦手の内角をどれだけ意識させられるか。
それが勝負の分かれ目となれば、ベースからいくら離れて立っても、
内角へのトラウマはこのルーキーを追いかけ続けることになる。


~内角を意識しすぎて球筋を見誤った清原和博~

「内角が弱いといっても、
 内角のストライクが打てないバッターは意外と少ない。
 内角を苦手にしているバッターの多くは、
 ストライクとボールの見極めができないことが原因になっている
 ケースが多い」

 こういうのは野村克也前楽天監督だった。

典型的な例が西武、巨人、オリックスで活躍した
清原和博選手だったという。

インコースに弱いといわれた清原だったが、
決して内角打ちがヘタだったわけではない。
確かに真ん中から外よりが最も得意とするホームランコース。
それに比べれば内角は多少、
詰まって苦しむ場面が多くなるのは仕方ないことだった。
ただ、入団当時はその苦手の内角球を
うまく腕をたたんでさばく姿も
何度も見られた。
決して内角打ちがヘタクソなわけではなかったのだ。

だが、厳しく攻められるうちに、
内角への意識だけが強くなりすぎてしまう。

「来るぞ、来るぞ」と待ち構えているところに、
内側にスッとボールが来る。

「来た~!」という過剰反応から、
微妙なコースのストライクとボールの見極めが
出来なくなってしまう。
その結果、ボール球に手を出して自滅していく。
野村前監督曰く、
それが内角を苦手として崩れていく打者の典型なのだそうだ。

~長野に足りないのは恐怖に打ち克ち半歩踏み出す勇気だ~

逆に言えば内角球でもストライクとボールを
しっかり見極められるようになれば、
かなりの部分で苦手を克服できるようになる。
そのためには、
やはり勇気を持って打席での立ち位置をノーマルにすることが
大事になってくるわけだ。

「インサイドは投手の領土だ」

 メジャーではこんな格言がある。

それだけ打者の恐怖心をあおるのが内角球で、
この恐怖のゾーンを自分の領土として
うまく操った投手は打者との勝負に勝てる。

その領土を投手から奪い取るためには、
まずは境界線をきっちりと見極めること。
そのためには半足だけでもいい。
長野には前に出る勇気が必要なのかもしれない。


【筆者プロフィール 鷲田康氏】

1957年埼玉県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。
およそ10年にわたり読売ジャイアンツ取材に携わった。
2003年に独立。
日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、
Numberほか雑誌・新聞で活躍。
著書に『僕のメジャー日記 松井秀喜』(文藝春秋)、
『ホームラン術』(文春新書)がある。

さまざまな見解
2010年04月02日 (金) | 編集 |
一花さんのブログとリンクを組ませて頂いてるのですが、
とても参考になるコメントを頂いたので、
この場をお借りして載せてみたいと思います。  

一花さんのコメント

私の場合、ちょっと独自色が強すぎるかも。
適当に読み流して下さい。

昨年は、当初横浜・筒香、亜大・中田からスタートして、
清峰・今村をトップに注目しました。

今年からは、ちょっと変えて、今年の候補に限定せずに、
世間一般の評価を気にせず私のチェックポイントをクリアした
候補だけ認定候補にリストアップする事にしました。

昨年は妥協して、菊池も最終的に追加しましたが、
今年からは貫く事にしました。

現時点で、1.早大・斎藤、2.PL・吉川、3.亜大2年・東浜、
4.帝京2年・伊藤、5.興南・島袋、6.王子製紙・熊代、
7.宮崎商2年・吉田を認定候補としています。

有名候補の一二三、大石、澤村らが入っていませんが、
何となく疑問があるまま 風評に流されるのは
止める事にしましたです。

選抜は、帝京2年・伊藤、広陵・有原、
花咲徳栄・佐藤遊撃手、興南・島袋に注目してます。

あと今年は、監督の特徴、指導にも注目していきたいですね。
指導者の影響がいかに大きいか、最近特にそう思います。
通常、名参謀は、名監督、名社長になれずといいます。
監督は大局を、参謀は細部をですから。

尾花さんは、PLで鍛えたディテールに基づいた戦略を練る人だと
推測します。
横浜は、過去も監督や投手コーチに有能な人たち、
森元西武監督、大矢、牛島、皆、
投手陣育成のプロというべき人達ばかりです。

尾花さんの手腕に注目ですが、私は、
横浜には有能なGMが必要かと思いますね。

横浜のドラフトの推移をチェックすると、
補強ポイントではなく、選手で補強していると思います。
楽天が大学・社会人の補強で毎年新戦力を輩出していますから、
ドラフトの方針策定に根本的な問題が潜んでいると推測しますね。

因みに、横浜から日ハムに移った岩井スカウトが日ハムとの違いを
方針の明確化だと野球小僧でコメントしてます。
日ハムはフロントがスカウティングに非常に力を入れていて
決めた事を貫いていて1年間言い続けるそうです。
横浜も大きく違いはないそうですが日ハム程強調していないそうです。

そのわずかな差、
あいまいなブレ部分がスカウトの結果に大きな差を
生んでいるようですね。


                3月23日のコメントより
  

一花さんの見解には、いつも納得させられます。
思考回路が似ているような・・・と、
一方的に私が勝手に思い込んでいますが・・・。

素人の私でも読みやすいブログです。
是非、みなさん寄って見て下さい!!
お薦めです!!