日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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野球の定石
2010年01月27日 (水) | 編集 |
~サンケイスポーツ 『甘口辛口』より~  
                    今村忠氏

知り合いの元フジテレビアナウンサー、
松倉悦郎さん(兵庫県姫路市善教寺住職)から
1冊の本が届いた。
『野球の定石』というA5判72ページの小冊子。
難病の妻が自殺し、自らも49歳で急逝した元高校野球監督が
熱い思いを込めた練習マニュアルで、
親交があった松倉さんが、
『生きた証に・・・』と関係者に働きかけ出版した。


監督の名は山内政治さん。
滋賀・彦根東高から早大に進み、4年の時は新人監督として
手腕を発揮した。
『同じノックでも左打者の打球は違うからと、
 左打ちをマスターするような熱心な男だった』
と松倉さん。
信用金庫に勤務後、母校を含む滋賀の3高校で監督を務めた。


悲劇の発端は妻・智子さんを襲った化学物質過敏症。
微量の化学物質に反応し通常の生活さえ営めなくなった。
保険がきかず1ヶ月80万円もの治療費がかかった。
10年近い闘病の末、
苦痛に耐えかねた智子さんはマンションから飛び降り、
山内さんは懇願されその現場に連れて行ったことで
自殺幇助罪に問われた。


懲役2年2月、執行猶予3年の判決を受けて東京に移住。
昼夜を問わず働き私立校の監督就任直前の昨年2月、
腸間膜出血のため急死した。
好守のセオリーを細かく記述したマニュアルは
看病で指導できないことが多く、
選手の為に書き残したもの。
野村克也さんの言葉も引用されていたが、
松倉さんが事情を話し快諾を得た。


昨夏刊行会が発足し、少年野球の指導者など
山内さんとは面識のない多くの人々も協力。
195万円の募金が集まり一部は化学物質過敏症の
支援団体に寄付された。
希望者には1000円で販売する。
申し込みはFAXで。
善教寺 079・281・2487へ。

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今季の楽天は大化けする!! 野村克也の後任監督が優勝するわけ
2010年01月26日 (火) | 編集 |
              中村計 = 文  


緊張と緩和。
組織とは、畢竟(ひっきょう)、このバランスなのだと思う。
どちらに傾き過ぎても「平均台」の上を上手に歩くことはできない。

全国優勝の経験もある高校野球の監督が、
こんな話をしていたことがある。

「それまでずっと厳しくしていた監督が辞めて、
 おおらかな監督に変わった途端、
 ポッと強くなることがある。
 張り詰めていたものが緩んでちょうどいい状態になるんですよ。
 でも逆はないですね。
 監督を代えて、それまでの緩みを締め直そうとしたら、
 やっぱり最低でも3年はかかる」

そんな話を思い出したのは、ある野球解説者が、最近、
西武について似たような分析をしていたからだ。

「あそこは前監督の伊東(勤)さんがけっこう厳しくやっていたでしょう。
 それで選手たちともギクシャクしていた。
 そんなときに放任主義の渡辺(久信)さんがやってきた。
 就任1年目はうまい具合に結束したんですよ。
 そういう状況だと、
 おおらかな監督というのは求心力を得やすいですしね。
 でも、それが通用するのは1年だけ。
 勝ち続けるには厳しさも持ち合わせていないと無理ですよ」

~野村監督からの「親離れ」の時期を迎えていた楽天~

そんな見方を用いると、今季、
恐ろしいチームがいることに気づかされる。
そう、楽天だ。

前監督の野村克也氏は、縛って、縛って、縛り付けた。
サインプレーなどが多すぎて、投手陣からは
「投球に集中できない」と不平不満もあったが、当時、
まだよちよち歩きだった楽天にとっては、
そういう「義務教育」が必要な時期でもあったのだろう。
しかし、それが功を奏するのは草創期もしくは再建期だけだ。

チームが強くなってくると、そのバランスは微妙に崩れ始める。
自立し始めた選手の中に監督を疎む気持ちが芽生えるのだ。
親離れの時期を迎えた子が、親をうっとうしく思うのと同じだ。
そんな風の変化を読み違えると、せっかく上昇気流が生まれても、
それに乗り損ねてしまう。
昨季の楽天は、まさにそんな状況の真っ直中にあった。
風をつかまえたり、見失ったり、そしてまたつかまえたり、と。

楽天の上昇気流は、今はまだ勢いを失っていない。
そして、そんなタイミングで、監督交代劇が起こったわけだ。
この人事は、これまで挙げた2人の証言に照らし合わせると、
これ以上ない吉兆なのではないか。

野村氏が残留していたとしてもそれなりの結果は残しただろう。
だが、ブラウン監督にバトンタッチしたことで、
絶妙な時期での「緊張」から「緩和」という黄金リレーが成立したことになる。
楽天が大爆発しそうな予感がプンプンするではないか。



~ 野村氏の後任監督は必ず優勝。二度あることは三度ある!~

思えば、野村氏の後任監督は、
プレイングマネジャーを務めていた南海時代を除き、
いずれも優勝を経験している。

ヤクルトの若松勉氏は3年目、
阪神の星野仙一氏も2年目に優勝を果たしている。
いずれも、どちらかに分類するとすれば「緩和」の人だ。
強面な星野仙一氏は、一見すると逆のタイプに見えるが、
当時を知る記者が明かす。

「星野さんはヘッドコーチの島野(育夫)さんあっての星野さん。
 あの人の恐さは、生きているときからすでに伝説化していましたからね。
 島野さんが、締めるだけ締めてたから、
 星野さんは楽だったと思いますよ。
 星野さんは怖いことは怖いですけど、
 それは消極的なプレーをしたときだけ。
 基本的には伸び伸びやらせるのがうまい人です」

監督を引き継いだ1年後というわけではなかったが、
「緊張」のあとの「緩和」が十分効いていたのだ。

つまり、二度あることは三度ある。
結果、野村氏の再建屋としての名声はますます高まることになるだろう。
もちろん、その一方で
「貧乏くじを引いた感」も強くなり、
野村氏の悲哀の色もますます深くなるのだが……。



【筆者プロフィール 中村計氏】

1973年千葉県出身。ノンフィクションライター。
某スポーツ紙を経て独立。『Number』(文藝春秋)、
『スポルティーバ』(集英社)などで執筆。
『甲子園が割れた日 松井秀喜の5連続敬遠の真実』(新潮社)で
第18回(2007年度)ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。
他に『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)、
共著に『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)などがある。
『雪合戦マガジン』の編集長も務める。
趣味は、落語鑑賞と、バイクと、競艇。
パイレーツ入りの岩村明『新天地ではチームリーダーに』
2010年01月25日 (月) | 編集 |
                   津川晋一 = 文  


流浪の俳人・種田山頭火は『人生即遍路』という言葉を残したが、
昨季、天国と地獄を味わったこの人にとっては
『野球即遍路』なのかもしれない。
パイレーツの岩村明憲が年末年始を使って、
故郷・愛媛もルートに入っている
四国八十八カ所の巡礼をしたのだ。


~白装束と杖の“お遍路さん”スタイルでスタート~

「2009年はケガをしてしまったので、
 キャンプインにむけて故障のない良い一年にするために、
 体も心も清めたいと思った。
 チームも変わったし、新天地での意気込みもあるしね」と、
寺院が開いている毎朝7時から夕方5時まで、
自ら車のハンドルを握り、
コンビニのおにぎりをほお張りながら、精力的に寺を巡って行く。


~チーム一の高年俸選手となる岩村に寄せられる期待の大きさ~

昨年は本当に波瀾万丈だった。
春先に歓喜のWBC連覇を味わったが、
5月には左ひざ靭帯の部分断裂で残りシーズン絶望とも言われた。
だが奇跡的な回復力で8月末にメジャー復帰。
そしてオフに入り、レイズからパイレーツにトレードで移籍した。
そんな岩村が、巡礼中に足を止めて見入ったのは不動明王像。
「逞しくカッコいい不動心に憧れる。僕の理想とする姿です」と、
山中の崖によじ登って、眼前の巨大な石像に想いを馳せた。

今季からプレーするパイレーツでは重要な役目を担うことになる。
弱小レイズをリーグ優勝に導いたリーダーシップを期待するからこそ、
首脳陣はチームトップの年俸485万ドル(約4億4000万円)となる
岩村を招聘した。
かつて世界一5度の名門も、今では17年連続負け越し中。
白装束の下にパイレーツのウエアを着込んだ岩村は、
巡礼に訪れたすべての寺で必勝祈願をしていたに違いない。


~『不屈の何苦楚(なにくそ)魂』で4季目のメジャーに挑む~

行程の半分を終えて、雪の降りしきるなか絵馬に座右の銘の
『何苦楚(なにくそ)魂』をしたためた。
そしてその頭には『不屈の』の三文字が加わっていた。
「八十八カ所、そして(満願成就のため参拝する)高野山を回って
 最後にそういうものになっていればいい。
 魂にもっと磨きをかけて、
 どんなことにも折れない心を持つことが大事」と
意図を明かしてくれた。

最初は棒読みだった般若心経も
「だんだん読めるようになってきたね」と笑顔の岩村。
八十八カ所を巡り終え、
1月下旬の高野山の“お礼詣で”まで修行の旅は続く。

筒香はニュータイプ? 理論を越えた本塁打王を目指す!
2010年01月20日 (水) | 編集 |
               氏原英明 = 文  


左打者に好打者が目立つ時代になった。

イチロー(マリナーズ)をはじめ、
多くの左打者が球界を代表する好打者として数えあげられている。

昨年2連覇したWBCでもスタメンの半数が左打者だった。
川崎宗則(ソフトバンク)、青木宣親(ヤクルト)、
岩村明憲(パイレーツ)、福留孝介(カブス)ら…
日本には左に好打者が多いのだ。

しかし、こうやって左の好打者を列挙してみると、
妙な偏りがあることに気がついた。

左打ちの中の「右投左打」には、
なぜかホームランバッターが少ないのだ。

右投左打のホームランバッターといえば、
松井秀喜(エンジェルス)や金本知憲(阪神)など
大打者もいることはいるのだが、
数でいうとイチローなどアベレージ・ヒッターが多いように思われる。
「右投右打」や「左投左打」の選手には
様々なタイプの打者がまんべんなくいるというのに、だ。

理由はあるのだろうか? 


~通算本塁打数ランキングの上位にほとんどいない右投左打~

実際、歴代の日本人のホームランバッターを振り返っても、
その傾向は顕著である。
右投左打でホームラン王に輝いたのはセ・リーグでは松井秀喜と
掛布雅之(元・阪神)ら少数で、
パ・リーグでは小笠原道大(当時・日ハム、現・巨人)
しかいないということが分かった。

プロ野球の通算本塁打数の10傑では、
1位は左投左打の王貞治、2位が右投右打の野村克也、
3位左投左打の門田博光と続き、以下、山本浩二(右投右打)、
清原和博(右投右打)、落合博満(右投右打)、
張本勲(左投左打)、衣笠祥雄(右投右打)……と、
10位以内には右投左打がひとりもいない。
20位まで見ても、実は右投左打はふたりしかいないのだ。 


最近、アマチュア選手を取材していて
右投左打の指導の難しさをよく耳にするようになってきた。
イチローの活躍や出塁率を最重要視する勝利至上主義の影響なのか、
やたらと左打者が増えているという現状がその背景にはある。
右投右打の選手でも右投左打に修正することが増えているらしい。

そんな流れの中で、
右投左打が多い風潮そのものを否定的に見る人も増え始めている。
実際現場に行くと、
「右投左打は育てるのが難しい」と指導者たちは口を揃えて言っている。   


~右投げ・左打ちは体の自然な動きに逆らっている~

数人の指導者から、伝え聞いたのは以下のような声である。
 
「右投げ・左打ちは体の自然な動きに逆らっている」
 
「右投げ・左打ちは利き腕が右になるわけですけど、
 バットを振る時に使う筋肉とボールを投げる時に使う筋肉は
 使うところが違う。ここに無理が生まれる」
 
前者はごく一般的に言われている理論である。

たとえばキャッチボールは野球の基本だが、
右投げの場合、右足に体重を乗せて力を貯え、体重移動をし、
左足で受け止め指先に伝える。
この動作はバッティングでも同じで、
指先がバットに変わっただけである。
さらに言うならば、利き腕が右であれば、
打球のひと伸びには後ろ手の押しが一役買う。
左利きの左打者でも同じだ。
これはごく自然なことである。
これが右投左打なら、利き手が右手だから、
後ろ手は押しになってはくれない。
金本のように左手の筋力を意識的に鍛えるという選手もいるが、
野球の基本となる動きとは逆のことをしている、
という疑問は的を射ている。


~バットを振る筋肉と投げる筋肉が違うことが右投左打の問題~

ともあれ後者は無視できない理論に思われる。

バットを振り抜く筋力とボールを投げるときに使う筋力では
違う筋肉を使っているのは確かなようだ。
だから、振り抜く力をつけていくと打球は飛ぶが、
ボールを投げる分にはプラスにならない。
逆に、投げる方を特に強化していけば、
振り抜く力はその分おろそかになる、と。
 
「使う筋肉はそう違わない。要するに偏り」だと指摘する専門家もいる。
大事なのは筋肉ではなく
「体のバランスが保たれているかどうか」だということだ。

右投左打に好打者タイプが多いのは体をバランスよく使えているからで、
彼らはおしなべてシャープなバッティングを持っており、
スローイングもいいという。

一方、右投左打のホームランバッターはボールを運ぶ力がある分、
筋力のバランスを上手く保てずスローイングに欠点がある選手が多いようだ。


~松井秀喜に続く、右投左打のホームランバッター誕生なるか?~

そうした意味で、右投左打のホームランバッターが少ない理由が
透けて見えてくる。
人間の身体の構造上、
右投左打ではホームランバッターを育てにくいのだ。

とはいえ、ここでこのコラムを終わりにしたくない。
それでも右投左打のホームランバッターは生まれるのだと、
ある男にひとつの夢を託したい。
 
それは、横浜ベイスターズに1位入団した
背番号55番・筒香嘉智、である。  


~右投左打で高校野球界屈指のスラッガー筒香嘉智~  

筒香は高校通算69本塁打を放った高校球界屈指のスラッガーである。
彼は一般的には右投左打だが、
少しタイプの違う右投左打のホームランバッターでもある。
 
184cm、88kgという恵まれた体格を持つ筒香は、実は、
右でも打てるスイッチヒッターなのだ。

横浜高時代、左サイドの変則投手が登板した場合に限って
右打席で打っていたという筒香は69本塁打のうち、
2本は右で打ったものである。
ただ、特別視したいのは、
その意識がただ単に左変則派投手対策だけでやっていたわけではない
という点だ。
中学生時代のことを筒香はこう語っていた。

「中学の時に教えていただいていたトレーナーの方に、
 バランスを良くするために、
 右でも打つようにと言われてトレーニングのつもりでやってきました。
 それをずっと続けてきましたし、
 試合の打席でも右打席で立てるくらいにやってきました。
 そのおかげでバランスが良くなっていると思います」


~非凡な打撃センスと頭脳を持つ未来のホームランキング~

もともと非凡な打撃センスを持つ筒香にバランスの良さが加われば、
これまでの右投左打のホームランバッターではなし得なかったものが
生まれてくるはずだ。
そういう期待が持てる。
 
また、筒香の野球選手としての特異性はその点だけにとどまらない。
技術的な考え方も含めて、
すべての物事を自分で考えられるだけの頭脳と芯の強さが垣間見えるのだ。
中学時代のトレーナーの言葉を忘れずに、
名門・横浜でも続けたということも、その一端だろう。
 
個人的には右投右打の中田翔(日ハム)や
左投左打のT-岡田(オリックス)と比較して
その成長を追いかけたいと思っているが、
そうしたちょっと意地悪な意見にも、
まったく動じずにこう語ってくれた。
 
「(中田やT-岡田を)特に意識はしないです。
 特長やフォームはそれぞれにあるものですし、
 みんなが同じということはないですから。 
 1年目から一軍への期待もされていますが、
 自分ではすぐに一軍に上がりたいという気持ちは
 そんなに大きくないです。
 長く野球をやるための準備が必要で、僕には、
 それがまだ足りない。
 目先にとらわれず、じっくり体を作っていきたいんです。
 プロでもホームランで勝負できるバッターになりたいんです」
 
 希少な右投左打のホームランバッター。

筒香には日本でのホームラン王と、
ゆくゆくは、世界の舞台、メジャーでのホームランキングの夢を託したい。


【筆者プロフィール 氏原英明氏】

1977年ブラジル生まれ。
奈良大学を卒業後、地方新聞社でのアルバイト勤務を経て、
フリー活動を開始。
高校野球を中心に活動を続けるが、
野球を通じた人間性、人生観を伝え続け、
Numberのほかに野球専門誌で活躍。
WEBの世界でも「人間力×高校野球」(高校野球情報.com)
と題したコラムを連載している。

奥ゆかしき侍
2010年01月18日 (月) | 編集 |
いつになったら発表されるのか。
カブスを退団した田口壮外野手のオリックス入りを待ち望む
一人として“先延ばし”にいらぬ心配をしている。
将来的に米球界で指導者になる夢を持つ田口が、
ギリギリまで米残留を模索し、
代理人もより好条件を求めているため、
合意が遅れているとも。
ただ、オファの可能性は低く、
自信満々の岡田監督を信じても良さそうだ。


今や日本球界は誰もがメジャーに行きたがる時代に突入。
その中で異彩を放つスタイルを貫いてきたのが田口だ。
出場機会が減ろうが、マイナー落ちしようが、
日本球界復帰の選択肢を排除し続けてきた。
この点では出場機会を求めて阪神入りした城島と
対極に位置する。


心底『ベースボール』を愛する男は昨シーズン、
新たな体験をした。
マイナーのシーズンが終了した9月末にメジャー初昇格。
初打席で三振したが、
『久々の打席でも8球粘れた集中力』を
自身のブログで自画自賛している。
『打てない理由を集中力のなさと言い訳してきたが、
 それは誰のせいでもなく自分のせい。
 18年かかってやっとわかった』と。


野球の奥深さを教えてくれるコメントだ。
例年ならオリックスの施設で自主トレをしている時期だが、
今年は姿を見せてない。
『今の立場じゃ、迷惑をかけちゃう』―。
なんと奥ゆかしい。
それでいてイチローに負けない人望がある。
岡田監督のオリックス再建を、ぜひ手伝ってあげて欲しい。


将来、本当に指導者の道を歩むときこそ、
日米のどちらを選ぶかで思い切り時間をかけて悩んでもらえれば・・・。
今は一日も早い発表を。
18年かけて得た財産を、くじけぬ闘志を日本の選手に
伝えてもらいたい。


            サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                       上田雅昭氏
    
巨人・大田泰示と日ハム・中田翔。“記憶に残る三振”でレギュラーに!
2010年01月14日 (木) | 編集 |
                    田口元義 = 文  


大学時代に「アマチュア屈指の打者」と呼ばれ卒業後にプロ入りしたが、
持ち味を発揮できずに戦力外通告を受けたプロ野球選手がいた。

その彼が以前、
「自分がプロで通用しなかった理由」について、
実に興味深いことを話してくれた。

「見逃し三振なんですよね。チャンスはもらっていたんです。
 でも、大事な場面でそれをしてしまった。
 プロは印象も大事なんですよ。
 監督、コーチに見逃し三振の印象を与えてしまうことは、
 ダメなレッテルを貼られたのと同じこと」

それを痛感したのが、所属していたダイエー(現ソフトバンク)
で受けた王貞治監督からの叱責だった。

「ボールはプロの世界では『お金』だ。
 目の前に飛んでくるお金(ボール)を、
 お前は取ろう(打とう)ともしなかった。
 それではある意味、プロ失格だ」


~豪快な空振りで存在感を示した大田泰示と中田翔~  

アマチュア時代にスラッガーとして注目を浴び、
十分な実績を残したとはいえ、
プロでも打撃で一流になれるとは限らない。
しかも入団1、2年目はそうそうチャンスを与えられるものではないため、
数少ない機会で首脳陣に評価され、
レギュラーとなるのは容易ではない。

だが、たとえ安打にならなくとも打席でアピールする術がある。
プロをクビになった彼や王監督の言葉を借りれば、それが空振り。
付け加えれば、中途半端なものではなく
「豪快な」となれば申し分ない。

昨年、それを印象的な場面で体現してくれた打者がふたりいた。

 巨人の大田泰示と日本ハムの中田翔だ。


~小さく当てるぐらいなら、語り継がれる三振を~  

大田はプロ初打席で豪快な空振り三振を記録している。
「『絶対にバットを振ろう』とだけは思っていました」と、
後に本人が語っていたが、
押し潰されそうな重圧のなか思惑どおりに
身体を反応させることは実に難しい。
一軍ではこの1打席のみだったが、
「これからも臆することなく、打席では積極的にバットを振っていきたい」
と自信を持つことができ、ファームではクリーンナップに定着。
イースタンリーグ3位の17本塁打を放ち、2年目に大きな弾みをつけた。

念願の一軍デビューを飾った中田は、
日本シリーズ第3戦に最後の打者として登場し、
シリーズ初打席を経験した。
結果はカウント2-2からの高めのボール球を空振り三振。
体勢が崩れるほど豪快なものだった。
チームも敗色濃厚だっただけに、
バットにちょこんと当てただけの安打よりもかえって印象深い打席となった。
試合後に本人は、
「ボール球に手を出すようじゃまだ甘い」と反省したが、
梨田昌孝監督は
「いいスイングをしていた。今後に生きると思う」
と彼の積極性を評価している。

若い時期はチームにとって重要な試合で起用される場面は少ない。
そのため首脳陣は、
「結果」よりも「姿勢」で実力を判断することだってあるのだ。

かつて、長嶋茂雄がデビュー戦で国鉄の金田正一から食らった
4打席連続三振は、全て空振りだった。
ふたりはスターになれる素質が十分にある。
いつか、「そういえばあのときも」
とファンに語られるような打者になるためにも、
前述した三振の姿勢を貫き通して欲しい。


~レギュラー獲りに欠かせないのは安定した守備力~

とはいえ、豪快な空振りをし続けていればレギュラーになれるわけでもない。
打撃とはあくまでもセールスポイント。
それだけなら代打要員で終わってしまう可能性だってある。


~現段階でふたりに共通して言える最大の課題は守備だ~

昨年、大田本人に「今の課題は?」と尋ねると、
「今の自分に必要なのは守りを安定させること」とそれを自覚していた。

「坂本(勇人)さんがレギュラーでやっていけているのは、
 バッティングはもちろん守備がうまいからなんです。
 エラーでの失点が一番チームに迷惑をかけてしまう。
 だから守りは、
 若い今のうちから意識して練習しないといけないと思っています」

年明けのスポーツ新聞の報道によると、
打球の速さに対応するべくポケットの深いグローブを新調するなど、
守備力向上に余念がない。意識は十分に高いようだ。  


~スレッジ退団でチャンス到来の中田は走塁にも課題が~

1年目から守備に疑問符がついている中田には今季、
チャンスが巡ってきそうだ。
これまでは内野手だったが、スレッジが退団したことで
レフトを任される可能性が浮上してきた。
干支にちなんで“虎柄”の髪型で登場し、周囲の失笑を買ったにせよ、
「外野でレギュラーを取るために頑張る」と、
成人式に出席せず自主トレに励むなど意気込みが感じられる。
ただ、彼の場合は昨年のプロ野球対大学選抜との試合が象徴するように、
お粗末な走塁もどうにかしたいところだが……。

大田、中田は若いが、「スター候補生」と呼ばれるだけに、
他の若手より「候補」というテスト期間は短い、
と捉えて研鑽を積んでいかなければならない。

2年目と3年目。
持ち味である豪快なスイングでアピールしながら、
課題の守備で首脳陣の信頼を勝ち取れるか? 
本当のスターになるために、さらなる飛躍を誓ってもらいたい。

27歳の新人王・攝津正は51年ぶりの記録を目指す。
2010年01月13日 (水) | 編集 |
~ソフトバンクの苦労人が追う夢~
                 永谷脩 = 文  


福岡県警中央署の一日署長や、
九州・筑豊電鉄のイベントに参加するなど、
このオフ多忙を極めている選手のひとりに、
ソフトバンクの攝津(せっつ)正がいる。

'09年、リーグ最多の70試合に登板。
5勝2敗34H、防御率1.47の成績で、新人王に輝いた。
文句のつけられない成績を残し、
年俸が1200万円から5千万円に上がった今も、
「新人王を獲得しましたけど無駄な四死球も多かったので、
 2009年の自己採点は80点。
 結果を残したこのフォームを忘れないために、
 オフでも毎日キャッチボールを続けます」
と驕る様子は全く感じられない。

~アドバイスに耳を傾ける素直な姿勢が成功に導いた~

秋田経法大附属高時代から「東北に攝津あり」と言われ、
毎年ドラフト候補に挙がっていた。
しかし指名されたのは卒業から7年経った2008年のこと。
すでに26歳。
5位指名での入団だった。

そんな攝津がプロ入り1年目から活躍できた理由は、
秋山幸二監督をして
「素直にして努力家」と言わしめたその性格にあるのだろう。

高校卒業後に入社したJR東日本東北では、
コントロール向上のため、それまでの豪快なフォームを変えた。
球の出所を見えにくくする、
テイクバックの小さなフォームにしたのである。

またプロ入り直後の新人研修で、高山郁夫投手コーチから
「セットポジションで投げたら? 
 そうすれば直球と変化球のフォームの見分けがつかなくなる」
とアドバイスされると、すぐに実行。
オープン戦で10試合に登板し、3勝3S、防御率0.00の好成績を挙げ、
見事開幕一軍の座を掴んだのだった。  


~来季の目標は“神様”稲尾以来の「2年連続70試合以上登板」~

年間70試合以上に登板した投手は、
プロ野球全体でのべ31人いたが、
2年連続となると稲尾和久('58年~'59年)以降現れていない。
そこで'10年の目標を「2年連続70試合以上登板」に決め、
新年1月からは馬原孝浩と共にハードな自主トレに挑むという。

「いつか野球でメシを食えればいいな、
 と思って社会人時代も無遅刻無欠席で頑張ってきた。
 なかなかプロから指名されなかったけど、諦めなくてよかった。
 野球を仕事にできてこんな幸せなことはない」。  

新人王に選ばれた喜びを素直にそう表現していた攝津。
真摯に野球に取り組み続けた遅咲きの東北人が、
ついに福岡の地で花開いたのである。

「億」の重みを存分に伝える、“熱い男”山崎武司のプロ意識
2010年01月11日 (月) | 編集 |
                    田口元義 = 文  


シーズンオフのこの時期、現実的な重みなど想像もつかないためか、
どうしても「億単位」の金額を軽く受け取ってしまう。

スポーツ新聞などを開けば、
連日のように億、億、億……の文字。

日本ハムのダルビッシュ有が3億3000万円で更改した。
あれほどの成績を収めたのだから周囲も納得だろう。

西武の涌井秀章が「沢村賞の重みを全く分かっていない」と、
8000万円増の2億円をいったんは保留した。
その気持ちも分からなくもない。

ただ正直、こうも思ってしまう。
「年俸の頭打ちがない分、球団も大変だろうな」と。

活躍すればするだけ選手の年俸は上がっていく。
上昇の額は球団の財政状況にもよるだろうが、
新人から3、4年続けて結果を残せば1億など軽く超えてしまう。
楽天の田中将大が3年目(4年目シーズン)にして
1億8000万円を手にしたのがいい例だろう。

1986年に落合博満(当時中日)が球界初の「1億円プレーヤー」となり
周囲を騒がせた、あの時代が懐かしい……。


~史上最高齢、プロ24年目41歳で「2億円プレーヤー」に!~

そんなプロ野球界の金銭事情において、
彼の年俸は「億」の重みを十分に伝えていた。

 楽天の山崎武司、である。

39本塁打、107打点はともにリーグ2位。
4番としてチームをクライマックスシリーズに導いたこともあり
アップは確実。
契約更改交渉前、山崎本人も冗談交じりで「2億5000万円」
を希望するほどだった。
そして、その希望は実際に叶った。
年俸2億5000万円プラス出来高の2年契約。

この金額は、シーズン中に数々の「40代記録」を塗り変えた山崎にとって
新たな記録を作ることとなる。

24年目にして自身初となる2億円台。
2005年の中日・山本昌の22年を抜き、
プロ野球史上最も遅い24年目での「2億円プレーヤー」となったのだ。

交渉を終えた会見の席で、彼は満面の笑みを浮かべながら、
不況下の世間に詫びるように過去を振り返った。

「オリックスで1度クビになった男がこんなにもらっていいのかなぁ。
 不況なのに大金を貰ってしまい責任を感じる」

これを「自慢」と捉える人間はいるかもしれない。
だが、山崎においては断言できる。
この言葉は偽りのない「謙遜」だ、と。



~引退の決意を翻し、オリックスから新天地の楽天へ~

山崎のプロ野球人生における最高年俸は、
1億2000万円で1度、終わっている。

オリックス2年目、
’04年の山崎は出場機会の激減に加え首脳陣との軋轢も囁かれ、
野球に対するモチベーションがゼロになった。

二冠王に輝いた’07年、彼は豪放磊落な性格そのまま、
オリックスから離れた当時の気持ちを話してくれた。

「なんか、このまま野球を続けても『人間がダメになる』って
 思ったんですよね。
 だったら辞めて家族と楽しい時間を過ごそう、と」

シーズン途中にあっさりと引退を決め、
家族や親、知人にも早々と「辞めます」と伝えたという。
西武の松坂大輔が6年目にして「2億円プレーヤー」となった年の話である。

それが一転、現役続行を決めた。
理由は大きくふたつ。
ひとつは息子から「パパ辞めないで」と何度も懇願されたから。
ここで引退の意志が大きくぐらつき、
新規参入の楽天初代監督・田尾安志から
「若手もベテランもない。君が必要だ」と熱心に誘われたことで、
現役を続けることを決意した。  


~移籍3年目には二冠王に輝き、山崎のなかで何かが変わった~

移籍初年度の年俸は、前年の半分以下である5000万円だった。
それから3年目には二冠王にも輝いた。
翌'08年シーズンには、年俸が自己最高額となる1億9200万円にまで到達した。


~39歳で二冠へと飛躍~

若い頃は技術とプライドで金を稼いできたかもしれないが、
それも薄れてきているのだろうな、
そう感じさせたのが二冠当時の発言の中にあった。

「僕はホームラン王と打点王を獲らせてもらいましたけど、
 仮に『これであと2、3年はやっていける』なんてね、
 そう思っている人がいたとしたらほんっとめでてぇことだな、って。
 来年ダメなら辞める。楽天に入ってからそう思ってやっています」

勝手に解釈すれば、今シーズンまでの山崎は、
年俸よりもむしろ引退を撤回してまで移籍した
“意地”に執着していたのではないだろうか。

それが、来季からの2年契約を結んだということは、
少なからず彼のなかで何かが変わった、と判断するのが自然なことだろう。
「次の年がダメなら」という意識のままであれば、
1年契約でもよかったはずだからだ。


~「『コノヤロー!』って気持ちがプロには必要だと思う」~

「プロの晩年は悔しさいっぱいでしたから。
 最後に『コノヤロー!』って気持ちを出していければね。
 古い精神かもしれないけど、
 それってプロには必要だと思うんですよ」

二冠獲得時、山崎はオリックス時代の最後を
「晩年」という言葉で表現した。

楽天ではそれを自分に強く認識させ、
熱い男を積極的に演じ続けるほどになった。

その結果が今年の2億5000万円という評価に結びついたのであれば、
彼が古いと苦笑する時代錯誤の“熱さ”もまだまだ捨てがたい。

少なくとも「晩年」は2年伸びた。
この期間の山崎武司のプレーを見ていれば、
複数年契約の真意が分かってくる。そんな気がした。



【筆者プロフィール 田口元義氏】

1977年福島県生まれ。
元高校球児(3年間補欠)。
ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。
Numberほか雑誌を中心に活動。
試合やインタビューを通じて
アスリートの魂(ソウル)を感じられる瞬間がたまらない。
共著に「戦力外通告 プロ野球をクビになった男たち」、
同「諦めない男たち」などがある。
楽天を“闘う”チームに成長させた、田中将大の『人を惹きつける力』
2010年01月09日 (土) | 編集 |
                  中村計 = 文  


先日、楽天の田中将大の契約更改が行われ、
1億8000万でサインしたと伝えられた。

わずか3年でここまできた。
入団4年目の年俸としては、日本プロ野球史上、
ダルビッシュ有(日本ハム)の2億円に次ぐ2番目の金額だ。

 しかし、それも納得だ。  

昨季、2位と躍進した楽天の快進撃の秘密が、
さまざまな媒体で、さまざまな角度から語られた。
ただ、絶対要素は何かと言えば、それは田中しかいない。
'07年、田中が加入していなかったら、今の楽天はありえなかっただろう。
  

その証拠に、田中の成績と楽天の成績は、不思議なほど連動している。  

2005年に誕生した楽天は、2年連続で最下位に甘んじた。
しかし、'07年、新戦力の田中が11勝を挙げると、
初めて最下位から脱出し、4位に食い込む。
翌'08年、田中は途中、北京五輪で抜けたことなどもあり9勝どまり。
するとチームも5位とわずかに後退。
そして昨年だ。
15勝と飛躍すると、チームも一気に2位にジャンプアップした。

~田中が全身から発する闘争心が楽天を変えた~

もちろん、勝利数だけではない。
それらの数字を生んでいた田中のメンタリティーにこそ、
田中の本当の価値がある。
  

入団当初、よくチームリーダーの山崎武司が話していたものだ。

「あんなに若い選手が、
 あれだけ気持ちを前面に出してがんばってるんだから。
 俺たちがやらないわけにはいかない」

田中と同期入団の捕手の嶋基宏も言う。

「彼は、目に見えるボールもすごいけど、
 それ以上にすごいのは目に見えない部分。
 人を惹きつける力がすごい。あれは練習してできるもんじゃない」
  

入団1年目、監督の野村克也が、
大量失点しても味方が援護し不思議と負けがつかない田中のことを
「神の子、不思議の子」と評していたが、
それも不思議なわけではなく、
田中が発するエネルギーがそうさせていたのだ。  


~彼の最大の功績は、チームを変えた、ということだ~

田中が入団したばかりの頃、野村はまだ
「楽天の選手は大人し過ぎる」とぼやいていたものだが、
田中が一本立ちして以降、そのようなことはまったく言わなくなった。
彼の闘争本能がチームに注入され、浸透していったのだ。
楽天が無色であったということがチームにとっても彼にとっても幸いした。
  


~同年代の投手のなかで田中ひとりが突出している理由~  

彼だけがなぜあんなに勝てるのか。
よく考えることがある。
過去にも、アマチュア時代、
彼と比べて遜色のない強いボールを投げている選手は何人もいた。
最近でも、'07年に大学・社会人ドラフト1位で東洋大から
ソフトバンクに入団した大場翔太などは、
田中と同等の評価を得ていたように思う。
だが2年でわずか4勝しかしていない。
  

ここ数年で言えば、結局、田中なのだ。  
田中ほどの実績とインパクトを残した選手は他にいない。
その要因も数え上げれば切りがない。
ただそれも、絶対要素は何かと問われれば、
やはり彼の“闘争本能”ということになる。
  

プロ野球でも、ひとりの選手がチームを変えることというのは
実際にあると思う。
楽天と田中の成長過程を見ていると、それをつくづく感じる。
そのような選手になるには、プレーヤーとしての能力だけでは足りない。
見ている人に何かを感じさせる力が必要だ。
  


~西武に入団する菊池雄星は第2の田中将大になれるか?~

そんな田中に次ぐ選手ということで言えば、来シーズン、
楽しみなのは西武に入団する花巻東の菊池雄星だ。
マウンドに上がったとき、
闘争本能の塊と化するあの感じは田中を彷彿とさせる。
  

ただ、西武は、楽天のように歴史の浅いチームではない。
すでにありあまる伝統と実績がある。
そこが楽天と田中のケースと違うといえば違うところだ。
  

いずれにせよ、そういう意味で、
田中には単純に金額だけに置き換えられない価値があるのだ。
  


【筆者プロフィール 中村計氏】

1973年千葉県出身。
ノンフィクションライター。
某スポーツ紙を経て独立。
『Number』(文藝春秋)、『スポルティーバ』(集英社)などで執筆。
『甲子園が割れた日 松井秀喜の5連続敬遠の真実』(新潮社)で
第18回(2007年度)ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。
他に『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)、
共著に『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)などがある。
『雪合戦マガジン』の編集長も務める。
趣味は、落語鑑賞と、バイクと、競艇。
今年も宜しくお願い致します。
2010年01月05日 (火) | 編集 |
今年も家族みんな元気に新年を迎えられました。
毎年恒例の稲荷神社へ参拝、
東京の主人実家へ帰省。
毎年楽しみにしている大学ラグビー観戦は今回は
私の体調を考慮して諦め、今回は
汐留のホテルブッフェで東京湾を一望しながらの食事を
家族で楽しみました。
都内をドライブしながらお台場や青山通りを散歩し、
娘と竹下通りへお買い物。
自宅に戻り私の家族全員が揃い、
インド料理店へディナーへ行き、
食べてばかりのお正月でした・・・

息子は昨日から部活動、塾の冬季講習と
普段と変わらない生活に戻り、
私たちも仕事始め。
楽しいお正月は毎年あっという間です。

今日は主人が息子の部活動へ参加して
一緒に汗を流している頃・・・?かな

親戚友人からの年賀状には近況報告が書いてあり
いつも驚かされることもあるのですが、
今回は中学の同級生で3年前に結婚→離婚、
去年再婚してニコヤカな笑顔の披露宴での写真で届きました。
・・・若い・・・
まぁ、私よりかなり若作り()した友人ですが、
羨ましい・・・
今度はうまくいきますように・・・ナンちゃって

あと、東京にいる専門学校時代の寮の友人で、
毎年お子様の写真をいつも送ってくれる友人は、
私たち夫婦の出会いのきっかけを作ってくれた
キューピットで、年賀状を今年も送ってくれました。
365日私のブログを観覧してくれています。
スポーツお宅・・・の彼女は、学生時代もコンビニで
スポーツ新聞を購入しては色々なスポーツを幅広く読み、
知識も豊富な私にとってはある意味
尊敬できる友人のひとりでもあります。
これからも宜しくね、デカさん


みなさん、今年も『一緒に育てよう!』を
宜しくお願い致します。
気軽にコメントも下さいね、待っています


蘇った「7番=お掃除屋」論
2010年01月05日 (火) | 編集 |
              鷲田康 = 文  


7番打者の役割とは何か?

一つの答えを見せてくれたのが、日本一に輝いた
巨人の7番打者・阿部慎之助捕手ではなかっただろうか。

「例えば僕が、ワンアウトからシングルヒットを打って
 一塁にランナーで出ても、ベンチは鬱陶しいでしょう」

 阿部はいたずらっぽくこう語る。

「足が速いわけでもないし、後は8番、9番。
 もちろんシチュエーションにもよるんですけど、
 ベンチが僕にシングルヒットじゃなくて、
 二塁打を打って欲しいだろうなあってことはよくあります」

 確かにそうだ。

阿部が一塁に出ても盗塁があるわけではない。
8番打者が送りバントをしても次は9番。
7番という打順の難しさはそこにある。

~セ・リーグトップの長打率が示す7番打者・阿部の特異性~

「だから……」

 阿部は続けた。

「今年はバッティングを意識的に変えました。
 意識して長打を狙って打席に入るケースを増やしました」

'09年シーズンの阿部の打率は2割9分3厘と3割には届かなかった。
確率はわずかに落ちたかもしれないが、
その代わりに特筆すべき数字がある。

 長打率だった。

5割8分7厘はセ・リーグではナンバー1。
両リーグを通じても、西武・中村剛也内野手の6割5分1厘
(これは日本球界では突出した数字です!)に次ぐ2番目の高さとなる。
もちろん長打率上位の打者は、
チームでクリーンアップを打つ選手がほとんど。
その中で、7番打者のこの数字は、阿部の特異性を表すものとなっている。

~阿部は藤田元監督の“7番論”を体現する長距離打者だ~

「6番、7番打者は第2のクリーンアップだ」

こう語っていたのは亡くなった藤田元司元巨人監督だった。

'89年から4年間、指揮を執った第2次政権のときに
篠塚、原、クロマティーらで3、4、5番を組むと、
その後の6、7番に岡崎、駒田を起用。
この二人で残った走者を、きれいに返して
塁上をお掃除(クリーンアップ)させた。

「3、4、5番のヒットで点が入ると一塁に走者が残るケースが多いが、
 あまり動きようがない。
 だから6、7番には率ではなく大きいのを打てる打者がいるのがいい。
 あの打順に一発や長打のある打者がいるだけで
 相手バッテリーは神経を使うし、気持ち悪いものなんだよ」

 藤田監督は説明していた。

足のない走者を一塁に置いて、7番打者に「打たれてもシングル」と思えば、
相手バッテリーは精神的に楽になる。
打者への攻めも幅が広がる。
だが長打を警戒すれば四球も増え、塁上に走者を溜められる。
7番打者は確率は低くても、
そういう威圧感のある打者が最適ということだった。

その7番論を体現した打者が'09年の阿部慎之助だったわけだ。


~「7番には慎之助がいる」と原監督は絶大なる信頼を寄せる~

「慎之助にはクリーンアップを打てる力があるし、
 実際に今年も何試合か任せたことがある。
 ただ、捕手というポジションで打撃への負担を軽減すること。
 そして彼の勝負強さを今のチーム環境の中で
 どう生かしていくかと考えた末に、あの打順を任せた。
 僕の中では最強の7番打者だと思っている」

 という原辰徳監督は続けた。

「2010年は8番を若手の打順にしたい。
 坂本を使ったように若い選手をここに入れて
 経験を積ませる打順にできれば、もう一歩、
 先につながる打線になるはずです。
 ただ、そのオーダーが組めるかどうかは1番から7番までが、
 8番をどこまで支えられるかにかかってくる」

この構想ではもちろん7番までの打線の得点力がどれぐらい上がるかだ。
ただ、やはり8番を育てるカギは、
その前を打つ7番にかかるのは火を見るより明らかとなる。

 そう考えると――。

「7番には慎之助がいる」

指揮官の絶大な信頼こそが、
この新打線構想の核であることも間違いない。



【筆者プロフィール 鷲田康氏】

1957年埼玉県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。
およそ10年にわたり読売ジャイアンツ取材に携わった。
2003年に独立。
日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、
Numberほか雑誌・新聞で活躍。
著書に『僕のメジャー日記 松井秀喜』(文藝春秋)、
『ホームラン術』(文春新書)がある。