日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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来季坂本の課題
2009年11月30日 (月) | 編集 |
21打数4安打と13打数2安打―。
この2つの数字に巨人・坂本の来季の課題が隠されている。
プロ3年目で本格ブレークした坂本にとり、
あえて悔いが残るとすれば、それは日本シリーズでは
なかったろうか。

21打数4安打。
これが日本シリーズでの成績だった。
第1戦では同点の5回に勝ち越し2塁打、
第2戦でも中前打を1本とシーズン中と同じ活躍を見せていた。
だが、第3戦以降は、どうも首をかしげる打席が多くなっていった。
理由は日本ハムバッテリーの攻めの変化だった。

徹底して外角にボールを集めた。
内角に無類の強さを誇る坂本に対して、普通ならある
『内角を見せて外角勝負』というパターンすらなかった。
首尾一貫して外角オンリー。
これが1,2戦を終えて練り直した坂本対策だった。

その外角球を強引に引っ張った結果が13打数2安打という
2つ目の数字だった。
この数字には、当然のごとく来年の相手チームの
坂本封じのカギが隠されている。
逆に言えば、坂本にとっては、この数字をどうとらえて対応していくか。
そこから2010年のシーズンは始まることになる。

基本的にプルヒッターで、右方向に強い打球がほとんど飛ばない。
ただ、同じプルヒッターの原監督が取り組んだ
『右中間に引っ張る感覚』という打撃技術を身に付けられれば、
外の球も右中間に強く打ち返せる。

昨年の坂本はフル出場したとはいえ打率は2割6分にも満たなかった。
穴も多く、簡単に打ち取れる打者の1人だっただけに、
相手バッテリーも多少、軽く見てシーズンに入った感じはあった。
ただ、来季は確実に徹底マークされる。
これでもかと執ように弱点を突く配球の中で、
打席に立つことになる。
それをどうさばいていくのか・・・。

このハードルを乗り越えて初めて、
坂本は一流への道を歩き始めることになるはずだ。


              サンケイスポーツ 『球界インサイドリポート』より
                           鷲田康氏
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いびつな制度 はねのけた選手こそ素晴らしい
2009年11月25日 (水) | 編集 |
セ・リーグの新人王に巨人の松本哲也外野手が選ばれた。
今年は『2番・中堅』のレギュラーとして定着し、
打率・293をマーク。
広い守備範囲でゴールデングラブ受賞となった。

松本の受賞でクローズアップされるのが、最近話題の育成枠だ。
昨年の山口に続く2年連続で同枠からの新人王。
確かに快挙だった。
その一方で『?』と思ってしまうことがある。
なぜ育成枠だったのか、
正規のドラフトでなぜ指名されなかったのか、ということだ。

育成枠誕生の背景には、各球団の思惑があった。
枠を広げて選手を多く抱えたい球団と、
経費を抑えるために現行の支配化選手登録70人という枠を
保持しようとする球団。
2つの思惑から枠を広げないで、選手を獲得できる制度として
生まれたのが育成枠だった。

ドラフトという選手獲得制度がありながら、
それも横並びで指名人数を制限する。
一方で安い契約金と年俸で契約できる育成枠という
いびつな形で選手獲得をできるようにする。
やりようによっては、球団の経費節減の道具として
育成枠があることもまぎれもない事実なのだ。

育成枠から選手が育って新人王をとる。
これからプロを目指す選手、2軍で汗をかく選手達にとっては
大きな励みとなる。
ただ、育成枠という制度そのものが胸を張って誇れるか
というと、決してもろ手をあげられない、
いびつな制度だということも忘れてはならない。

『私は選手を育成育ちだ、ドラフト1位だと思って起用
 するわけではない』―。
日本シリーズを制した直後のインタビュー。
『育成選手を育てての日本一ですね』という問いに
巨人・原監督がこう答えていた。

育成枠が素晴らしいのではない。
いびつな制度をはねのけて育った選手こそが素晴らしい
ということだ。
山口、松本の新人王受賞によって絶賛すべきは、
育成枠という制度ではなく、彼らである。


              サンケイスポーツ 『球界インサイドリポート』より
                       スポーツジャーナリスト 鷲田康氏
捕手・阿部慎之介に見る リードとバッティング
2009年11月24日 (火) | 編集 |
                        永谷脩 = 文

捕手はよいリードができるかどうかで、
バッティングの調子も左右されるといわれる。
打たれた投手のことを考えていては、
自分のバッティングどころではないというわけだ。
しかし、巨人の阿部慎之助は例外だろう。
バッティングの冴えが、投手への強気のリードとなって現れる。

中大時代からバッティングセンスを高く評価されていた阿部だが、
インサイドワークについては疑問視されていた。
シドニー五輪で捕手として起用されることが少なかったのもこのためだ。
野手に転向させたらという声もあったが、
本人は納得せず、捕手で獲ってくれる巨人に入団した。  

しかし、捕手として投手をかばって献身的に尽くすよりは、
スターが並ぶ強力打線で、一緒になって打ちまくるタイプ。
「ストライクが欲しい時に、
 投手に何を投げさせるか考えて打席に立っている」
という阿部の言葉に、
そのメンタリティーがよく表れている。

阿部が入団した頃の巨人には絶頂期の投手が多かった。
少々、大雑把なリードでも球威で抑えてしまえた。
ベテラン投手の中には、大胆なリードを好む者もいて、
若い捕手を鍛えるというより、おもしろがって好きにさせてくれた。
'02年日本シリーズでの対西武4連勝は、
初球から平気でフォークを要求する阿部の配球に
西武ベンチが面食らったのが勝因のひとつだろう。

だが、意外性に富むリードは相手に研究されれば脆(もろ)い。
巨人の先発投手が球威の落ちた終盤に一発を浴びる
ケースが多いのは、
阿部の繊細さよりも大胆さを求めるリードに原因があるように
見えてしまう。
これまで力のある投手が揃った環境で育ってきたことで、
苦労知らずのリードとなっているところがあったのかもしれない。

阿部がリードの手本にしている中日の谷繁元信の配球哲学は
「基本の応用に意外性がある」というもの。
阿部は試合後に野球日記をつけている。
最近は、そこにバッティングのことよりも、
リード面の記述が多くなってきているという。
今シーズン、天性の打撃面で目立っているが、
その裏で打たれて勉強したリードを心掛けている。

『人材育成』新戦略、成功までの裏舞台(5)
2009年11月21日 (土) | 編集 |
~つねに競争にさらされるきびしい環境が選手を育てる~

育成といっても、支配下の二軍選手と練習の上で違いはない。
ただメニューは同じでも、機会には微妙に差がつけられている。


【 大田泰示 】
1990年6月9日、広島県生まれ。
東海大相模高時代に通算65本塁打。
'09年、ドラフト1巡目で入団。
6月21日のロッテ戦で豪快な3球三振の一軍デビューを果たした。

「打者でいえば、特別強化選手、大田泰示なんかがそうですが、
 彼らは年間600打席立ってもらうように考えている。
 つぎのランクの選手は400打席。
 投手でもエース級なら80イニングから100イニング、
 それより下ならもうすこし少なくという具合で段階をつけています」

機会は与える。
しかしそれは本人の達成度によって違ってくる。
単に実力だけではない。
シリウス、フューチャーズを率いるキム・キイテ監督
(北京五輪韓国代表打撃コーチ)は、
礼儀やユニフォームの着こなし、
練習への取組みなど精神的な要素にも目を配る。

「若いときは、きれいな気持ちで野球に取り組むことが大事なんです」

礼節も評価の対象なのだ。

育成は機会を与えてくれる優しい制度に思える。
しかし、期限が区切られ、報酬も十分とはいえず、
つねに競争にさらされ、評価されつづける。
評価の関所が増え、選手にとってはきびしい。
きびしいからこそ山口、松本も出てくる。

育成の旗振り役である清武は去年暮れ、
著書を出した。
タイトルは『巨人軍は非情か』。

本人にもそうした自覚はあるのかも知れない。

『人材育成』新戦略、成功までの裏舞台(4)
2009年11月21日 (土) | 編集 |
~育成選手に必要なのは自分の役割を見抜く眼力~

【 松本哲也 】
1984年7月3日、山梨県生まれ。
山梨学院大附属高、専修大を経て'07年、
育成ドラフト3巡目で入団。
昨春キャンプからバットを担ぐような独特の打撃フォームに
坂本のあとを打つことの多い松本も、
育成という「器」がなければプロに入っていたかは疑問だ。  
 


「契約金は無しで年俸240万円という条件も知っていましたが、
 声をかけてもらったんだからと決めました」

プロに入ったら育成も支配下も同じだ。
負けたくない気持ちは人一倍強かった。
だが、それだけでなくチーム事情をしっかり見抜く目も持っていた。

「チームは脚の速い選手を必要としている。
 自分がアピールできるのも脚だ。それはいつも考えていましたね」

スピードある若手を起用して、
チームカラーを変えようとする時期に立ち会っていることを
理解していたのだ。

育成の選手は、まず支配下に入らなければならない。
しかも期限がある。
支配下になっても一軍までは遠く、
レギュラーとなるとさらに遠い。
がむしゃらにやるのももちろんだが、
ただ周りを見ずに進んでも遠回りをする。
なにが求められているのかを理解すること。
育成という「身分」が松本にそうした目を持たせたのかもしれない。

~ダルビッシュに食らいついた松本哲也の闘争心~

もっとも松本が育成にいた期間は短かった。
1年目の春季キャンプで俊足と守備力を買われて支配下に入る。
2年目には一軍に昇格して、3試合だけ出場した
(初打席の走塁で自慢の脚を骨折してしまったが)。
この年から打撃フォームの改造に取り組み、
今年は飛躍的に確実性を増した打撃で
レギュラーポジション争いの先頭に立っている。

「育成で入団したこともあるし、
 1打席だけで骨折して二軍に落ちたこともあって、
 絶対に落ちないぞという気持ちは強いですね。
 育成出身だからこそ怠けたら下がる一方だというのが
 身に染みている」

交流戦では、ダルビッシュ有から2安打して勝利に貢献した。
気持ちの強さを評価する人は多い。

育成の現場を預かる育成部統括ディレクターの松尾英治は
育成選手の闘争心に注目する。

「はい上がろうとする気持ちはやはり強いですね。
 気持ちが前面に出る」

30センチ近く身長の違うダルビッシュに食い下がった
松本の打撃など、闘争心が露骨なくらいに見てとれた。

『人材育成』新戦略、成功までの舞台裏(3)
2009年11月21日 (土) | 編集 |
~育成枠は、チームが選手を育てる力を試される制度~


最初の育成ドラフトで他球団が採用しなかった
山口をすくい上げたことで、
ジャイアンツの「慧眼」ぶりに注目が集まった。
FA補強、トレードで「カネに飽かせて」と批判を浴びてきた
ジャイアンツのフロントからすれば、
「どうだ」と胸を張りたいところだろう。

「たしかに山口などは育成という器を作ったから採用できた人材です。
 テスト時には、133kmのストレートしか投げられなかったんだから、
 支配下で獲るのはむずかしい。
 だから、彼の成功例はこうやって育てればいいんだという
 ひとつのモデルになっている」

そういいながらも、
清武は育成という仕組みを思いのほか冷静に見ている。

「どの球団もジャイアンツのようなやり方を取っているわけじゃ
 ありません。
 二極化しているといったほうがいい。
 スワローズやファイターズは育成枠をあまり使わず、
 少数の有望な選手をドラフトで獲って、
 その選手たちに集中的に機会を与えるやり方です」

どちらがよいのかという競争に、球団自体もさらされているわけだ。

「それに選手のほうも、
 高卒の時点で育成で採用されるよりも、
 大学、社会人を経て、契約金をもらってプロに入るほうが
 いいと考える選手もいる。
 むしろそれが主流かもしれない。
 だから育成枠というのは、プロの選手を育てる力を試されてもいるんです」 


~ジャイアンツでは久しく見かけなかった光景~

今のところ、ジャイアンツの「育てる力」はつぎつぎに花を咲かせている。
今年は山口についで松本哲也が一軍に定着し、
センターの定位置を奪う勢いだ。

7月には育成と支配下を2往復したドミニカ共和国出身の
ウィルフィン・オビスポが初先発初勝利をあげた。
人懐こい性格で、「オビちゃん」と呼ばれて親しまれている
オビスポが先発した試合は、
「オビちゃんを勝たせろ」とばかりに同期入団の坂本が大活躍を見せた。

考えてみれば、坂本も高校生ドラフト1位とはいえ、
いわゆる「外れ1位」で、
指名の際には疑問の声がなかったわけではない。
最初の年は大半をファームで過ごした。
苦労をともにした選手が仲間をサポートするといった光景は、
最初からスターで入ってきて定位置を取る選手の多かった
ジャイアンツでは、久しく見かけなかったものである。


『人材育成』新戦略、成功までの裏舞台(2)
2009年11月21日 (土) | 編集 |
~ヤンキースのように獲り、カープのように育てる~

山口の支配下選手登録に待ったをかけた代表の清武は、
育成制度の旗振り役、実質的な創設者である。

「直接のきっかけは'04年、'05年の低迷です。
 特に若い戦力がなかなか育たない。
 そのためにチームの空気もよどんでいた。
 本来なら支配下選手70人の枠を取っ払い、
 見込みのありそうな選手をどんどん獲って競争させたいところ
 なんですが、すべての球団の賛同を得るのはむずかしい」

そんな時、広島カープの鈴木常務のアドバイスを得て、
育成というシステムを思いついた。
支配下には入れない、契約金も出さない。
ただし、いっしょに練習はさせるし、
試合への出場機会も球団が準備する。
期限は3年。その間に支配下で採用されなければ契約は打ち切る。

「チーム編成はFAやトレードのような補強と自前で育てるのと、
 両方のバランスが取れなければ失敗する。
 ヤンキースのように獲り、カープのように育てる。
 それがわれわれの理想なんです」

なんと欲張りな。もちろん、ジャイアンツの強化が最大の目標ではある。
だが、それと同時に、育成のシステムを考えた背景には、
日本球界全体の選手強化の仕組みに危機感を持っていたからだ。

「ファームの試合は年間100試合そこそこ。
 若くて経験を積まなければならない選手が一軍よりも
 40も試合が少ないんです。
 これではなかなか成長しない。
 例えば、坂本勇人は新人の年、ファームで330打席ほど打ちましたが、
 レッドソックスのルーキーは1年で500打席は経験する。この差は大きい」 


~ジャイアンツは新たな育成チームを発足させた~


現状のファームの枠組みでは自前で戦力を育て上げるのには限界がある。
それはジャイアンツに限らず、他球団にも共通する悩みである。
それを少しでも解消しようと、
清武が中心になって新しいチームが誕生した。
ジャイアンツを中心にイースタンリーグの所属チームから選手が集まる
フューチャーズと、
マリーンズと合同で育成と若手の選手で構成されるシリウスである。

「今までの二軍をアメリカの3Aになぞらえれば、
 フューチャーズは2A、シリウスは1Aに当たります。
 今年はフューチャーズは44試合、シリウスは24試合を予定しています」

従来の70人の支配下選手にくわえ、
ジャイアンツは12人の育成選手を抱える。
その選手たちに、相応の出場機会を与えるには
新チームの創設は欠かせなかったのだ。
フューチャーズはイースタンリーグで試合のない1チームと戦い、
シリウスはクラブチーム、社会人チームと試合をする。
将来的には地域リーグとの交流も生まれるかも知れない。


『人材育成』新戦略、成功までの舞台裏(1)
2009年11月21日 (土) | 編集 |
実力と魅力を兼備した若き生え抜き選手が続々と台頭し、
大観衆で埋まったスタジアムで、華々しい戦果を挙げている。
若手の成長を促す新たな戦略は、
どんな経緯で生まれ、なぜ実を結んだのか。
「育成枠」の出世頭、山口、松本や“G改革の仕掛け人”に
話を聞き、その秘密に迫った。


山口鉄也は片道16時間のバス移動をしたことがある。
観光などではない。
バスに揺られて着いて、ユニフォームに着替えて試合をした。
アメリカのルーキーリーグにいたときのことだ。

「8時間ぐらいの移動はよくありましたが、
さすがに16時間というのは」

モンタナ州の片田舎のチームで、
普通の家庭にホームステイして、
1カ月900ドルの給料でやりくりした。
4シーズン過ごし、4シーズン目の'05年秋、
日本に戻ってプロの入団テストを受けた。
ベイスターズ、イーグルスのテストに落ち、
最後に残ったジャイアンツからも
すぐにははかばかしい返事がもらえなかった。 


~山口鉄也は“育成”の申し子である~

【 山口鉄也 】
1983年11月11日、神奈川県生まれ。
横浜商業高卒業後、米・ルーキーリーグで4年間プレー。
'06年育成枠で入団。'08年は中継ぎで11勝を挙げ、
新人王を獲得した  


「やっぱりきびしいかなあ」

あきらめかけていたとき声がかかった。
「育成」という枠で採用するというのだ。
支配下の選手ではなく、契約金も出ない。
それでもプロに足がかりだけはできる。

「とりあえずよしとしなきゃという気持ちでした」

もし山口の帰国が1年早かったら、
'08年の新人王は山口以外の選手の手に渡っていただろう。
育成ドラフトの制度ができたのは、
まさに山口の帰国した年の秋だった。
育成の申し子といっても大げさではない。

「育成といっても背番号が大きいくらいで、
 練習は二軍の人とまったく同じだったし、
 1年目から25試合も登板させてもらうことができました」

ただし3年で支配下選手としての契約ができなければ
ユニフォームを脱がねばならない。
期限のことはいつも頭にあった。

'06年のシーズンが終わった時、
支配下選手になれるかという期待があったが、
声がかからない。
採用を決める代表の清武英利に電話で食い下がった。

「どうして上がれないんですか、とまではいいませんでしたが」

寡黙な山口がなかなか電話を切らないので、
清武は納得させるのに苦労したようだ。

「順風満帆」の環境では山口の飛躍はあり得なかった。
 しかし、育成の身分で過ごした
 '06年秋から'07年春までが山口の飛躍につながった。

「代表やコーチのかたからここでクサってはだめだといわれましたし、
 自分でも春には絶対上がろうと思って練習に集中しました」

'07年の春には入団したころよりも10kmあまりも速いストレートを
投げるようになっていた。
その年には支配下に入り、一軍に登場した。
新人王になった去年の活躍はいうまでもない。

「順風満帆でプロに入っていたら、
 ぼくみたいな選手は成長しなかったんじゃないでしょうか」

高校までは、どこの所属チームでもつねに一番の選手だった。
それが当然で、必死にやるまでもないという考えが染み付いていた。
それがルーキーリーグ、育成枠という「逆境」で鍛えられた。
これこそ育成枠を作った狙いで、
その点でもやはり山口は育成の申し子なのだ。


戦力外通告選手たちの、無情の現場
2009年11月18日 (水) | 編集 |
~実は条件が最悪だったトライアウト~

                       田口元義 = 文  

プロ野球選手であり続けられるのか。
それとも、新たな人生を歩みださなくてはならないのか……。

11月11日、球団から戦力外通告を受けた42名の今後を占う
合同トライアウトが甲子園球場で行われた。

 当日は、雨だった。

開催地や各球団の関係者などのスケジュールを考えると
日程をずらすわけにはいかない。
開催地が甲子園であることは間違いなかったが、
「球場」ではなく「室内練習場」に変更された。
球場であればスタンドが無料開放されるため、
ファンも観戦できるはずだったが、それも叶わなかった。

選手もこのことでプレーが大きく狂わされることとなってしまう。
誰のせいでもない。
すべては雨。
これに尽きた。

即席のマウンドは使いづらく、打席も人工芝マットだった。

ブルーシートの上に即席で作られたマウンド。
とりあえず土を盛ったというだけでは、
さすがに十分な硬さと高さが出なかったようだ。
 
室内練習場にはブルペン以外にマウンドが設けられておらず、
ブルーシートの上から即席で“山”を作る。
打席も土ではないため、
ティー打撃などの際に使用する人工芝のマットを敷くなど、
自分たちの運命を左右する“舞台”としては悲しすぎる佇まいだった。

参加者も戸惑うしかなかった。
マウンドについては、
「正直、投げづらかったですよ」と首をかしげる選手もいたし、
「全然ダメ」と呆れ顔の者もいた。

事実、この日投げた投手のほとんどが“ノーコン”だった。
ワンバウンドや高めに浮くボールは当たり前。
その度にマウンドの土を掘り返すなど、
露骨ではないが苛立ちが窺えた。
ここ数年、トライアウトを見させてもらっているが、
全投手トータルで過去最多の四死球だったのではないだろうか。

打席に関しては、それほど否定的な意見はなかった。
「最初見たときは『嫌だなぁ』と思っていたけど、意外としっくりきた」、
「自分のスイングができた」という声が多かった。
このことから、今年は「打者有利」だったのではないか、
とも思えるが、実際にはそうとも言いがたい。

~結局、投手も打者も明確な評価ができなかった!?~

勘がいい人はトライアウト翌日の新聞記事を見て
気がついただろう。
注目選手だった阪神・今岡誠の打撃について
<安打性の当たりが2本>と書かれていたのを。
安打性――。
つまり、打者にとっては明確な結果がないテストだった。

プロ仕様の室内練習場とはいえ、
球場に比べたらその広さは雲泥の差。
天井も低い。内野ならまだしも外野を守るのは不可能だ。
そのため守備はなく、内野と外野はネットで仕切られた。
打者対投手の、いわばフリー打撃形式というわけだ。
だから、球場ではライト前のテキサスヒットになるはずの打球が、
周囲の認識としてはセカンドフライになってしまう。そんな具合だ。

トライアウトでの合否は結果だけで判断されるわけではない。
だが、'07年の小関竜也(巨人→横浜)のように
2本塁打という明確な結果を出すことができれば、
急遽、獲得の意向を示す球団も出てくる。
結果は重要なのだ。


~ 戦力外の男たちは、どんな条件でも言い訳は許されない~  

ただ、彼らは戦力外になった身である。
ここは、今までのように言い訳が許される場ではない。
「思ったより緊張しました。マジで、久しぶりに」と、
独特の雰囲気を初めて体感した今岡の言葉がそれを物語っていた。

「バッティングに関してはね、自分でどうこうと言うんじゃなくて、
 見た方が判断することですから。
 やることはやったんでね、今日の結果で評価をしてもらいます」

今日の結果で評価――。
正直、この日の今岡のプレーはどこか気が抜けていたように思えた。
キャッチボールやノックの動きにはキレがなかったし、
打撃にしても往年の迫力は感じられなかった。
当初は獲得を前向きに検討しながら、
それを白紙に戻した広島の評価も分からなくもない。

どのような結果になっても現実を受け入れなければならないが、
オリックス・古木克明のように本音をポロリと漏らす選手もいた。

「バッティングでは自分のスイングができたと思います。
 ただ……守備が。
 今年1年ですごく自信がついたし楽しくできるようになったんです。
 守りが課題だと周りから言われていただけに、
 今回は汚名返上のチャンスだと思っていたんですけど」

プレー環境もそうだが、選手たちにとって不運だったのは、
監督がひとりも視察に訪れなかったことだ。'
07年は楽天・野村克也、'08年は中日・落合博満が現地に訪れた。
現場の最高指揮官の光った眼がそこにあれば、
選手だって自然と力が沸いてきただろう。
しかも監督はチームの補強ポイントを誰よりも把握している。

~今岡、古木、三井、前川……晴天を信じて二次でもう一度!~

西武の三井浩二にしてもそうだった。
全盛期の力はないとはいえ経験豊富な左投手だ。
本人も「力を出すことができた」と言ったが、
「左は欲しがる球団が多いのでは?」との問いに対しては
いささか懐疑的だった。

「そう言ってくれる人もいるんですけどねぇ……。
 そればかりはなんとも言えないですよ(苦笑)」

トライアウトは二次まであるが、
一般的に一次で声がかからなければ、その後、
日本の球団からオファーがくる可能性は限りなく低い、
と言われている。現に、今岡や古木、三井をはじめ、
「二次は受けない」と答える選手が多かった。
なかでも日本での再起を誓う
元オリックスの前川勝彦('07年に解雇後、米国へ)は、
自らの過去を振り返りながらこう断言したほどだった。

「あの交通事故で初めて自分の甘さに気づきました。
 もう、甘さはありません。
 今回がダメなら力不足だと理解します。
 チャンスはこの1度だけ。二次は受けません」


選手の気迫、悲壮感が驚くほど伝わるトライアウトだった。
1回のチャンスに賭けるのは男らしい。
だが、今回は条件が悪すぎた。
二次トライアウトは25日に神宮球場で行われる。
晴天になることを信じ、
もう一度、死に物狂いでプレーしてはどうだろうか? 
悔いを残さぬためにも……。


        ~筆者プロフィール 田口元義~

1977年福島県生まれ。
元高校球児(3年間補欠)。
ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。
Numberほか雑誌を中心に活動。
試合やインタビューを通じてアスリートの
魂(ソウル)を感じられる瞬間がたまらない。
共著に「戦力外通告 プロ野球をクビになった男たち」、
同「諦めない男たち」などがある。
“秀才型”スラッガー 筒香が与えたインパクト
2009年11月14日 (土) | 編集 |
                     小関順二 = 文  

夏の甲子園大会の地区予選を振り返ってみると、
横浜高校の主砲・筒香嘉智(三塁手・右投左打)の充実ぶりに
目を奪われた。
神奈川大会では準々決勝で優勝した横浜隼人に
延長の末に惜しくも破れたが、
高校通算69本塁打は立派である。

地区予選前、
6月14日の銚子商戦から7月8日の横浜商大戦までの
練習試合で放った本塁打は8本。
みごとなハイペースだった。
さらに目を奪われるのが対戦相手の顔ぶれで、
銚子商、東海大浦安、常葉菊川、東海大甲府、
花咲徳栄など甲子園の常連校が続く。
63号は常葉菊川の萩原大起、
65号は東海大甲府の快速球左腕・渡辺圭、
66号は花咲徳栄の五明大輔という具合に、
高校球界でも名前が知られた本格派から打ってきた。

5月30日の花巻東戦では、
高校ナンバーワン左腕の菊池雄星から55号本塁打を放ち、
6月20日の東海大望洋戦ではドラフト上位候補、
真下貴之を本塁打こそ出なかったが4打数3安打と攻略し、
左腕相手でも苦にしない懐の広さ、深さも存分に発揮している。

~打撃理論を説明できる“言葉を持った”強打者。~

筒香の凄さは無駄なことを一切しない、
ということに尽きる。
例えばバッティングの際にバットを大きく引いたりしない、
“反動”を極力抑えたバッティングは、
これが高校生かと目をみはらされる。
いつから反動を使わないで打っているのかと聞くと
「中学生になって本格的に野手になってからです」と言われた。
プロでも中島裕之(西武)など多くの
一流選手が反動を使って打っているのに、
筒香は中学生で反動を抑え込もうとしていたという。
そのことに、ただただ驚かされた。

2年前に甲子園を沸かせた中田翔(日本ハム)が依然、
苦労しているのを見て、
「筒香も同じ轍を踏むのか」と危ぶまれそうだが、
2人の違いは野球を語る言葉を持っているかどうかだ。
中田は本能で本塁打を量産した天才だが、
筒香は理詰めで考えながら打つ形を構築してきた秀才型の選手である。
例えば、すり足と一本足打法について聞くと、
「一本足打法だと打ちにいったときに
 体がドーンと前に出てしまいますが、
 すり足だとそっと出せるんです」と答えてくれた。
こういう言葉を持っている選手は、
バッティングの修正に要する時間も短いものである。

 
“ハマのゴジラ”の愛称より、言葉を備え、
理詰めでバッティングを考える習慣ができている筒香には、
“ハマのメカゴジラ”の愛称のほうが似合っている。  


小関順二
1952年神奈川県生まれ。
日本大学芸術学部卒。
1988年ドラフト会議倶楽部を創設し、
模擬ドラフトで注目を集める。
Numberほか雑誌「週刊現代」にも野球コラムを連載中。
『プロ野球 問題だらけの12球団』(草思社)は
シリーズ10年目を迎えた。
他に『プロ野球のサムライたち』(文春新書)、
『プロ野球スカウティングレポート』(アスペクト)など著書多数。
日本シリーズ2三振の中田翔に、来シーズン爆発の予兆を見た!
2009年11月12日 (木) | 編集 |
                            氏原英明 = 文  


日本シリーズ第3戦。
代打で出場した中田翔が最後のバッターになった。

 三振だった。

 日本シリーズ第4戦。二日続けて中田は代打で出場した。

 また三振だった。

一軍にはまだ早い。
ましてや、日本シリーズの大舞台など、踏むべき選手ではない。
そんな声が聞こえてきそうだった。
確かに、三振という結果だけで彼を評価すれば、
そう思うのは当然だろう。

 しかし、鳥肌が立った。
 
なぜなら、あまりに変貌した中田を見たからだ。
今年のレギュラーシーズンで記録した
15の三振と同じには思えなかったのだ。

定まらなかったグリップの位置を、
意識的に固定させてから投手を向いて、どっしりと構える。
ストレートに詰まることを怖れず、
なおかつ外角のスライダーに対応する。
これほどまでに中田は成長を遂げていたのか……。
 
改めて、中田ほどバッティングフォームが様変わりしてきた選手は
いないと思う。
いや、様変わりではない、
バージョンアップといった方がいいかもしれない。
高校時代から思い返してみても、時を経るほどに、
中田はそのバッティングの形を変え、成長してきたのだ。

~高校1年時のバッティングは「ピッチングのついで」だった。~

高校1年夏、
甲子園の左中間スタンドに特大の本塁打を叩きこんだ
中田のバッティングフォームは自由気ままだった。
オープンスタンスで構え、
スイングは右肩を下げバットが出しやすいアッパー気味。
技術的な意識の感じられない気ままなフォームだった。

当時、中田は投手。
登板がない時は内野を守ったが、
彼が持っていたのは投手としての意識で
「投手として目立ちたい」と、当時の中田はよく言っていたものである。

その意識はMAX151kmを計測した高校2年春になっても
変わることはなかった。
高校生としては高水準のクイック、素早いけん制やフィールディングなど、
高校生投手としてトップレベルにいた中田にとって、
バッティングは「ピッチングのついで」でしかなかった。

それがこの春の間に右ひじを故障すると、
中田はバッティングへ真剣に取り組むようになり、
フォームへの意識を強く持つようになった。
高校2年夏、大阪府大会で4試合連続5本塁打の記録を引っ提げて、
甲子園に出場。
1回戦の横浜戦ではセンターバックスクリーン横に飛び込む
特大の本塁打を放った。

この時、中田のバッティングフォームは
左足を大きく上げるフォーム。
右足に体重を乗せて、
力を蓄えボールにぶつけて飛ばすというものだったが、
このリスキーなフォームは2回戦の早実・斎藤佑樹の
研ぎ澄まされた投球術によって欠点が浮き彫りになった。

~斎藤佑樹に敗れフォームを改造し、高校通算HR記録を樹立。~

そこから、中田はフォームの見直しを繰り返した。
2年秋から3年春にかけてスリ足に変え、
オープンスタンスもやめた。
結果が出始めたのに、夏にかけてまたスリ足を一本足に戻した。
「スリ足にしていたのは体が前に突っ込むからなんです。
 でも、今は、一本足にしても前にいかなくなった。
 遠くへ飛ばせるのは一本足なので、
 こっちに変えました」と中田はさらなる上へ目指した。

同年7月5日、中田は高校通算本塁打記録となる87本塁打を樹立。
フォームの改造を繰り返し、
さらにはメディアからの期待やプレッシャーを乗り越えての、
偉業達成だった。
最後の夏は甲子園出場を果たせなかったものの、
それまで繰り返してきたフォームへの取り組みが、
彼の大きな糧となった。



~プロ入りしてフォーム改造。手首の故障に悩んだ1年目。~  

プロに入り初めてのシーズンを迎えた中田は
春季キャンプで一軍入りを果たす。
そしてここでも中田は、高校時代からのフォームを変える荒業に出る。
閉じていた左足をオープンスタンスへと戻した。
キャンプ中、その変遷について、中田はこう話していた。

「高校1年の時のフォームと3年の時とを見て、
 シャープさがないなと。
 それで、ちょっとオープンにしてみようかなと思ったんです」

結局、それは一時的なものでしかなく、
また本来のスタンスへ戻すことになるのだが、
通過点としては歩むべきものだったのかもしれない。
1年目は手首の故障もあり、不本意なままに終えた。

~二軍で本塁打&打点を量産するが、一軍では活躍できず。~

そして、今シーズン、
オープン戦からの不調で開幕を二軍で迎えたあと、
中田は二軍で本塁打と打点を量産、一軍へ昇格した。
すると、また中田のフォームは違うものになっていた。
足はほんの少し開き気味で、グリップを極端に下げる。
ステップは一本足ではなく、1年前から続けているすり足。
上体の力みが消えたリラックスしたフォームになっていた。

要因は下げたグリップにあった。
力を抜こうとする意識がうかがえ、
中田の悪癖とされていた左脇も締められた。
それがイースタンでの好結果につながった。
しかし、グリップを下げるという試みは力を抜くことができるが、
アッパースイングになる弊害を招いた。
グリップを下げた状態から始動するために、バットが下からでるのだ。
そのため一軍では二軍ほどの成績は収められなかった。
その後も、中田は一、二軍を行き来したが、
結局、一軍では持ち味の長打力を発揮するまでにはいかなかった。

~CS直前に再びフォーム改造。来季爆発への準備は整った!~

 教育リーグを挟んで、CSを前に中田は一軍に合流する。

 そして日本シリーズで例の“2打席”を迎え、変貌した姿を見せた。
 
ここへきて、なぜ、彼がフォームを変えたのかは分からない。
新たな出会いがあったのか、自ら編み出した末に、
たどり着いたものなのか。
少なくとも言えるのは、
イースタンの好成績がありながらのフォームの改造は、
彼のバッティングへの意識の高さを象徴しているといえるだろう。
それは、高校時代から積み上げられてきたものである。

 だからこそ、確信したのだ。

中田が来年には爆発するのではないかという予感めいたものが、
日本シリーズでのあの2打席にはあったのである。  



     ~筆者プロフィール 氏原英明~

1977年ブラジル生まれ。
奈良大学を卒業後、地方新聞社でのアルバイト勤務を経て、
フリー活動を開始。
高校野球を中心に活動を続けるが、
野球を通じた人間性、人生観を伝え続け、
Numberのほかに野球専門誌で活躍。
WEBの世界でも「人間力×高校野球」(高校野球情報.com)
と題したコラムを連載している。
いぶし銀の職人芸を見せる苦労人
2009年11月11日 (水) | 編集 |
プロ野球日本シリーズで、ひときわ光ったのが
40歳のベテラン、巨人の大道内野手。
5日の第5戦で日本ハム・林投手から奪った
代打同点タイムリーが、チームに勝利を呼ぶ引き金となった。

本紙巨人担当によると、試合中のベンチでも
積極的な声援でチームを盛り上げるが、
礼儀のなっていない若手には
『ちゃんと挨拶しろ!』と叱り飛ばすという。
キャプテンの阿部捕手とともに首脳陣からの信頼が厚いのは、
そうした点も含めての話だ。
プロ野球生活22年。
南海ホークス在籍経験のある最後の現役選手で、
極端に短くバットを持って振りぬく打法で
ヒットを量産してきた。
が、2006年にソフトバンクから戦力外通告され、
07年に原巨人に。
今年も春のキャンプで左ひざを痛めて出遅れ、
1軍復帰は交流戦の日本ハム戦で代打。
この時も同じ林投手から初タイムリーを放っている。
今季の年俸は推定3000万円。

『毎年、引退を覚悟してやっている』という
左投手キラーは、家に帰れば双子の娘のパパでもある。

松井やイチローらスーパースターもすごいが、
野球の盛り上げに欠かせないのは、大道のように
いぶし銀の職人芸を見せる苦労人の存在が必要なのでは
ないだろうか。  


                    サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                               森岡真一郎氏

ノムさん退任にみるプロの厳しさ
2009年11月10日 (火) | 編集 |
~球団経営にもっと危機管理意識を!~
                           鷲田康 = 文  

 感動のフィナーレだった。

札幌ドームで行なわれたパ・リーグのクライマックス・シリーズ
第2ステージ。
4勝1敗で日本ハムが日本シリーズ進出を決めた
試合後のグラウンドは、
勝った日本ハムへの祝福ではなく、
敗れた楽天の野村克也監督の退任セレモニーのような
形になってしまった。

楽天ナインだけではない。
ヤクルト時代の教え子の日本ハム・稲葉篤紀外野手、
吉井理人投手コーチらも混じって両軍選手による胴上げ。
スタンドから湧き上がる野村コールの中で、
老監督は野球人生の幕を降ろした。

「球団首脳へのボヤきは功労金のため」という噂まで流れた。
最後はテレビのワイドショーも参戦して
「ノムさん、可愛そう……」「もっとボヤきを!」と
異常な盛り上がりとなった野村監督の退任騒動。
だが、実際のところは世間に伝えられるような美談では
語りつくせないドロドロの退任劇だった。  


早々に“解任”を決めている球団に対して、
マスコミをつかって揺さぶりをかけた野村監督。
実は早くから横浜に“売り込み”をかけるなど、
シーズン中から次の就職活動もしており
退任は織り込み済みだったと見られる。
それでは最後の騒動の狙いは何だったのか? 
「留任」ではなく「功労金」だったのでは、
というウワサがまことしやかに流れた。

その狙い通りだったのか。
厳しい球団批判をしていたノムさんが、突然、上機嫌になった。
三木谷会長との会談で年俸1億円といわれる
名誉監督就任が決定、しかも席上「何年契約?」と直談判して、
3年契約を結ぶことになったのだから笑いが止まらなかった。

監督退任はうまくいったが子飼いのコーチたちは就職浪人に。
そしてその陰では……。
長男の克則バッテリーコーチが早々と巨人への再就職が
決まったのとは裏腹に、
監督子飼いといわれた橋上秀樹ヘッドコーチや
池山隆寛打撃コーチ、松井優典2軍監督らは、
次の就職先も決まらないままに球団からの解雇通告を受けた。


~労働争議で“ボス交”という言葉がある。~

経営者と組合トップが裏交渉をして双方の利益優先による
妥協を計ることだ。
野村監督の退任劇を見て、思わずこの言葉を思い出した。

そこには仁義はない。
“ボス交”で泣くのは下で働く組合員……。
楽天の現場スタッフとして監督に尽くしてきた
コーチたちだというわけだった。


~最近の監督人事には“仁義”が無いのでは?~

こうしたスタッフの置き去りとは違うが、
最近の球界人事には“仁義”はまったくなくなってきている。

監督を退任したら、
すぐにライバルチームのユニフォームを着るのもその一つだ。

思い起こすとその先鞭をつけたのも
ヤクルト監督を退任するとすぐに阪神監督に就任した
野村監督だった。
その後には中日監督から阪神の監督に鞍替えした
星野仙一現阪神SDの例もある。

その昔、巨人を石もて追われた三原脩は
西鉄ライオンズの監督として再起を図り
「打倒巨人」に闘志を燃やした。
だが、そのときは1949年に巨人監督を辞すと、
その後は名ばかりの総監督として日がな大好きな
碁を打ちながら一年間の“浪人生活”を過ごしている。
そして1951年に西鉄ライオンズの監督に就任。
その後の黄金時代を作り上げることになる。

だが、最近は右から左にボールを持ち替えるように、
同一リーグのライバルチームの監督へと転身する。
そこには世話になったチームへの仁義もへったくれもない。

監督が移れば秘密も漏れる……。
情報管理に無策な野球界。
一般社会でも日本的な終身雇用から転職、
ヘッドハンティングなど欧米の契約概念が次第に広まってきている。

その中でむしろ一般企業の方がその人材と情報を守ることに
大きな努力を払っている。
人が動くということは、その人間の持つ情報も同時に動くということである。

野球界のそういう点での危機意識の薄さ、
無防備さは一般企業からは信じられないものだという。

少なくとも最高機密に触れる監督ぐらいは、
他のチームに移るときには必ず1年以上の期間を空けるなどの
厳しい制約があってもいいのではないだろうか。 



    ~筆者プロフィール 鷲田康~

1957年埼玉県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。
およそ10年にわたり読売ジャイアンツ取材に携わった。
2003年に独立。
日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、
Numberほか雑誌・新聞で活躍。
著書に『僕のメジャー日記 松井秀喜』(文藝春秋)、
『ホームラン術』(文春新書)がある。
これがメジャーリーガー
2009年11月07日 (土) | 編集 |
昨日に引き続き、2008年03月27日 (木) 付けブログに載せた
松井秀喜の記事をご紹介します。


ヤンキース・松井秀喜外野手(33)が大リーガーになった今でも
重視している練習が『素振り』だ。
キャンプでは部屋で振り込む。
野球少年や高校球児、草野球命の会社員らに向けた  
ゴジラ流素振りの極意とは・・・。  


『投手の姿を思い描き、球種とコースを考える。
 球の高低、内外角。
 直球を打ちにいきカーブのタイミングで打つとか、
 自由な想像も素振りでは可能。
 僕はどの球、コースでもセンターに打ち返すイメージで振ります』。  
また、「明日対戦する投手」や「前回打ち取られた投手」など、
相手をより具体的に設定すると効果的だという。  
大事なのは「ただ振る」のではなく、
「本番をイメージして振る」こと。  
『音でスイングの切れを確かめる。
 鋭いと空気を切る音がビュッとする。
 鈍いと音がボワッと割れる。
 音の違いは長嶋(巨人終身名誉)監督とやっているうちに
 分かるようになりました』―。

この域に達すれば、あなたも大リーガーになれるかも・・・。  

                    サンケイスポーツ 阿見俊輔氏  
成熟の打撃へ 『間』模索
2009年11月06日 (金) | 編集 |
松井秀喜ワールドシリーズ優勝&MVPおめでとう!企画

2008年05月20日 (火) 付け ブログに載せたものを
ここで再度、ご紹介します!


ボールを見極める“間”は、『バッティングの命』。  
時に、はかないものだ。
つかんだと思えば、すうっと消えている。  
『打撃のリズムを「イチ、ニィ~の、サン」だとしたら、
 「イチ、ニィ~」が勝負。
 トップに入るまでの、打ちに行く時の“間”が大切なわけ』―。  


技術の根っこだ。
重心を軸足となる左足の内側に残したまま、ボールを待ち、
打ちに行く。
テークバックと右足のステップがうまく調和することで、
バランスは保たれる。
これがピタリとはまっている時、瞬間を逃さない。  


0コンマ何秒でやって来るボール。
それを長く見ている感覚を手にする。
そんな時は、
『打席の中で余裕がある。
 どんなボールも打てそうな気がする』―。
球界屈指の左腕サンタナ(メッツ)は、格好の物差しだ。
昨年7月4日、二回に右翼席へ放った同点ソロは、
『技術の裏付け』。
月間13本塁打でMVPを取る7月は、そうして始まった。
今月17日はボール球にも手を出し、完敗の3打数無安打。
17試合連続安打があった今季も、
間を手にしかけたが、長続きしなかった。  


イメージと感覚を重ね合わせ続けるのは難しい。
自分の打撃理論では、ステップの幅とトップの位置は
絶対的なものがある。
それでも、構え方に始まり、ステップの仕方やテークバックの
取り方、そのタイミングなど、組み合わせは限りない。
疲労や、昨季であれば、ひざの痛みといった要素も
感覚を惑わせる。  


小1の頃。
稲刈りの終わった田んぼで、初めて打球があぜ道を越えた。
初本塁打だ。
『子どもの頃は、何も考えずに打っていた。
 むしろ一番いいスイングだったりして』―。
そう豪快に笑った後で真顔になる。  
『打撃は、どんどん難しくなる。
 (身を置く)レベルに合わせて、自分なりに求めるものが
 多くなるから』―。  


6月で34歳。
体が更に強くなり、パワーが増すとは思っていない。
だからこそだ。  
『技術がこれからの勝負になる。
 技術を高めていくことが、
 僕の野球人生で大きなポイントになる』―。  


一球、一振りごとに、より良い“間”の模索は続く。
きょう、打つためだけではない。
それは成熟へ、必要な道のりでもある。  


                   読売新聞 『松井秀喜’08』より
                                 小金沢智氏
投手による捕手論
2009年11月04日 (水) | 編集 |
サンケイスポーツ 『なるべく週刊エモト!~江本孟紀~』より

辛口トーク連載、今週のテーマは『投手による捕手論』。
エモやんが投手の立場から見た名捕手の条件とは、
リードよりも打力。
今季限りで米大リーグのマリナーズを退団、
阪神入りが決まった城島健司捕手(33)の
日本球界復帰をチクリと刺しながら、
捕手育成の重要性を説いた。


~巨人はいい補強~

―先週はドラフト会議が開かれた
『それぞれの球団がチーム事情に沿ったいい指名をしたと思う。
 オリックスが投手ばかり5人を指名したりね。
 中でも巨人が育成を含めて3人も捕手を指名したのが良かった。
 日本の球団は捕手が少なすぎるよ。
 1チームあたり6,7人しか捕手登録されていないやろ』

―全体の指名選手中、捕手は7人だった
『少ないね。メジャーのキャンプでよく見かけるのは、
 1ヶ所に何十人もの捕手を並べて同じ練習をさせている風景。
 激しい競争の中から1人出てくればいい、という考えでやっている。
 それくらい重要なポジションだよ。
 日本も捕手のスター選手を作る努力をしなきゃ』

―投手から見た名捕手の条件とは
『肩が強くて捕球時にミットが流れない、
 打者心理を読むのがうまいとか色々あるが、
 打撃と両立できなければ名捕手とは呼ばない。
 むしろ打てるようになるのが先よ。
 田上(ソフトバンク)も打てるようになったから使われたと思う。
 打つ方でチームの柱になれるような選手であることが条件だね』

―打力重視の理由は
『安心して投げられるからよ。
 レギュラーなら捕手も打力で年俸を査定されるから、
 打撃が好調な方が気分良く球を受けてもらえる。
 捕手といえばまずリードが評価対象にされるけど、
 大事なのは投手が投げたい球をスッと要求できるかどうか。
 勝利投手インタビューで「リードのおかげです」と言うのは礼儀よ。
 それを真に受けて、捕手はリードが全てと考えるのはどうかな』

―そんな中で強打の捕手、城島が日本球界に復帰
『出番がないから日本に戻ってきた、というのはおかしいと思う。
 何かもうちょっと納得することを言わないと。
 それでもすぐに声がかかったのは、いかに日本に打てる捕手が
 不足しているかということだよ』

~打てる捕手 不足~

―阪神は相当期待していると思うが
『働いてもらわなアカンけど、以前(ダイエー時代)のような成績を
 残せるかは疑問だね。
 狩野を外野に回すのも良く分からない。
 城島と併用すればいいじゃないか。
 捕手で育てる方がチームのためにもいいとおもうけどね。
 すぐにヨソからとってきて・・・。
 まあ、それについては次の機会にしておこうか』

菊池雄星がファンの情熱で伸びる!! 清原、松坂から学ぶ西武の球団経営
2009年11月02日 (月) | 編集 |
                       中村計 = 文
 西武か……。

 この感じ。

1985年、PL学園の清原和博を引き当てたとき。
また、1998年、横浜高校の松坂大輔の交渉権を獲得したときの
「感じ」がフラッシュバックした。

先日のドラフト会議で、
花巻東の菊池雄星が次に着ることになるユニフォームの色が
ほぼ決まった。
西武のレジェンドブルーだ。

 それにしても、西武は引きが強い。

~清原、松坂を継ぐスーパースター候補・菊池をどう育てる?~

西武の育成システムは評価が高い。
それは誰しもが認めるところだろう。

だが、こと清原、松坂という超一流クラスの選手となると、
どこか「力を持て余していた」という印象も拭えない。

先日、ある北海道日本ハムの関係者がこんな話をしていた。

「昔、巨人の選手はお客さんが入るから気を抜けない、
 だからうまくなる、って言われていた。
 それが今の日本ハムを見ていて本当によくわかりましたよ」

日本ハムのダルビッシュ有がその才能を遺憾なく発揮しているのは、
連日のように熱狂的なファイターズファンで埋まる
札幌ドームの環境と無縁ではあるまい。
楽天における田中将大もそうだ。
観客の大声援が、最後の最後まで
チューブの中の歯磨き粉を使い切るように、力を絞り出させるのだ。
最も自分を磨かなければいけない時期に、
2人は本当にいい球団に入ったと思う。

西武も「埼玉西武」に変わってから、
徐々に平均観客動員数を伸ばしている。
今年も、福岡ソフトバンク、北海道日本ハムに次いで
パ・リーグでは多かった。
トータルの観客動員数でも、
ホーム球場の収容人数が多いというのもあるが
東北楽天を上回ってさえいる。
だが、やはり楽天の方が地域に根差した一体感がある。
熱がある。

~一流選手にふさわしい西武ドームの熱気が欲しい~

一流選手には一流選手にふさわしい舞台というものがある。
ましてや清原や松坂のように高校時代、
超満員に膨れあがった甲子園球場の興奮を知っている者なら、
観客が半分にも満たないスタンドに寂しさを覚えるのも無理はない。

その昔、「清原は大舞台に強い」とか
「松坂は大舞台に弱い」と言われたように、
舞台が大きくなればなるほど気分が乗ってきたり、
また逆に気持ちが空回りしてしまっていたのは、
常日頃、ホームにしているグラウンドの環境が
影響していたのではないだろうか。

手を抜いていた、とまでは言わない。
でも人間など、そういうものだ。
人が見ていればいるほど力の水位は上がる。
また、人に見られている時の感覚を知っている者ほど、
誰も見ていなければ力の水位は下がる。    



~「世界の宝」菊池を西武の営業サイドがどう活かすか?~

ユニフォームを着た西武のスタッフの優秀さはもうわかっている。
だから、「世界の宝」とまで言わしめた菊池の才能を
どこまで活かすかは、
それ以外のスタッフたち、営業サイドの人間の力に
かかっていると思うのだ。

菊池も超満員の甲子園球場の味を知っている選手だ。
かといってタイプ的に観客の多寡によって
力を調整するような選手でもない。
普通にやってさえいれば、それなりに力は出すだろう。
だが、我々は最高の素質を備えた選手が
常に100%の力を出すところを見たいのだ。
もっといえば、101%、102%の域に達する瞬間を見たい。 


~地域球団として埼玉県にしっかり根ざしたチームを!~

それに必要なのは、地元の西武ファンの熱のこもった大声援だ。

過去、西武は清原、松坂というスター選手をつかみながらも、
それを永続的な球団人気につなげることができなかった。
3度目の正直だ。
今度こそ、地域球団として埼玉県にしっかりと根付かせて欲しい。

球団のためにも、菊池のためにも、野球界のためにも、
このチャンスを絶対に逃さないでもらいたいものだ。 




   ~筆者プロフィール  中村計~

1973年千葉県出身。
ノンフィクションライター。
某スポーツ紙を経て独立。
『Number』(文藝春秋)、『スポルティーバ』(集英社)などで執筆。
『甲子園が割れた日 松井秀喜の5連続敬遠の真実』(新潮社)で
第18回(2007年度)ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。
他に『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)、
共著に『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)などがある。
『雪合戦マガジン』の編集長も務める。
趣味は、落語鑑賞と、バイクと、競艇。