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菊池以外も豊作の’09ドラフト総論~慢性的に不足する左腕と右打者~
2009年10月31日 (土) | 編集 |
                        氏原英明 = 文  

 ドラフトは運命の一日である。

 この日、プロを夢見る若者たちの運命が決まる。

昨年、阪神に1位指名された蕭一傑(しょう・いっけつ)は緊張で
「吐きそうになった」と吐露していた。

今年はいったいどんなドラマが待っているのか……
実は、彼らを追っかけている我々もその異様な雰囲気に
いつも緊張しきっているのだが。

プロには左打者に好打者が多い=左腕が欲しい!
「左腕はどれだけおっても、足らんよ」

ここ数年、プロのスカウトからそんな嘆きを聞くことが多くなった。

ただ、この言葉の本当の意味を履き違えてはいけない。
実は「左腕不足が深刻」ということではないからだ。
むしろ、こう言った方がいいだろう。

“プロには左打者に好打者が多い”

その事情は、
ことし2連覇を果たしたWBCを例に挙げてみても明白だ。

イチロー、川崎宗則、青木宣親、福留孝介、稲葉篤紀、
小笠原道大、亀井義行、岩村明憲、阿部慎之助……
と左の強打者がズラっと並ぶ。

例えば今年のパ・リーグにおけるリーディングヒッターを見てみると、
鉄平(楽天)や同2位の坂口智隆(オリックス)、
今シーズンにブレークした糸井嘉男(日ハム)や
長谷川勇也(ソフトバンク)も左打ち。
右打線を形成しているのは西武と中日くらいのもので、
阪神に至っては1番~4番まで左打者だけで
組んでいたことさえあった。

「左」の好打者に対抗する投手をと考え、
スカウトたちは「左投手」の需要を口にしているに過ぎないのだ。

圧倒的な評価を受けた“待望の左腕”菊池雄星。
 この春のセンバツ。

花巻東の菊池雄星が登場した時、
スカウトたちの鼻の下は大きく伸びたものだ。
「待ち焦がれていた左腕」として、
菊池の評価は群を抜いていた。

その菊池は6球団の競合になった。
彼の力量ももちろんだが、
さらに“左腕”に対する大きすぎる需要がそれを加速させているのだ。

菊池は抽選により西武が交渉権を獲得。
左腕の需要が高まる中、西武は大きな獲物をつかんだと言えるだろう。

とはいえ、今回のドラフトの注目は菊池の動向だけではない。
むしろ、菊池を意識しながらも他候補をどううまく獲得していくか……。
スカウトの眼力やチーム戦略が問われたのはむしろ
「菊池以外の選手」を見る目だったといえる。  


~菊池を逃した代わりに誰をとるのか?~  

各チーム戦略を検証。
菊池を逃した(回避した)代わりになる「左腕」をどう補てんするか。

さらには「左腕」に次ぐ需要として近年求められてきているのが
右打ちの野手だ。
「左打者」偏重に歯止めをかけたい、
という思いが各球団にも当然ある。

結果的にみると、今回のドラフトで左投手が指名されたのは13人。
右打者は18人だった。
プロが認めた数がそれだけだったということなのだが、
では実際にこの数を各球団でどう分け合ったのか?

戦力外となった選手を省いて、
現時点で左腕投手を抱えている数が最も少ないのは阪神で6人。
次いでオリックスの8人、楽天9人である。

球界全体の需要をより大きく感じているのはこの3球団であろう。
そして、分かりやすく行動したのはオリックスだった。

1巡目で菊池を回避すると、
九州の大学球界で名の知れていた古川秀一(日本文理大)を指名。
2巡目は右投手の比嘉幹貴(日立製作所)だったが、
3巡目に山田修義(敦賀気比)、
4巡目には前田祐二(福井ミラクルエレファンツ)、
5巡目には阿南徹(日本通運)と4人の左投手を指名した。

左腕不足のはずの阪神と楽天は、違う動きを見せた。
左投手という部分で、こだわりを見せたのが中日。
1巡目にこの夏の甲子園を沸かせた岡田俊哉(智弁和歌山)、
2巡目でも高校生左腕の小川龍也(千葉英和)の左腕を揃えた。

一方で、左腕不足の阪神と楽天はというと、
手薄な層を補充するには至らなかった。

菊池を外した阪神は1巡目で150kmを超す
ストレートが魅力の右腕・二神一人(法政大)を指名したあと、
2巡目で、地元・立命館大の左腕・藤原正典を指名した。
しかし、左投手は彼1人。
4巡目で右投手の秋山拓巳(西条)を指名している。
現在25人もいる右投手(左投手は6人)がさらに2人も
増えるのは左右のアンバランスさを加速させる。
ヤクルト外れ1位の中澤雅人(トヨタ自動車)や
オリックス3位の山田も狙えたのではないか?

楽天にも同じことがいえる。
9人しか左腕を抱えていない中、
さらに'05年の高校生ドラフト1位の片山が打者転向も
うわさされるというのに、左腕指名が今回ひとりも無かった。

ただ右打者という部分では、阪神の場合、
甲斐雄平(福岡大)、藤川俊介(近畿大)、
原口文仁(帝京)らを指名しているのが見逃せない。
足らない部分を補おうという姿勢が全くなかったわけではないのだ。



~ロッテ・荻野、巨人・長野ら、右の好打者にも注目したい~

菊池回避組では、右の好打者に的を絞ったのが目についた。

ことしの早い時期から長野の指名を確約していた
巨人はともかくとして、
今宮健太(明豊)を指名したソフトバンクと
荻野貴司(トヨタ自動車)のロッテには是非注目してほしい。

特にサプライズを感じたのはロッテで、
当日までの報道では「菊池一本」のはずが、
俊足好打の外野手・荻野の指名に踏み切った。

振り返ると、長野を昨年指名したのはロッテだったから、
「右の外野手」は補てん事項だったということなのだろう。
自チームの現状を冷静に把握しての菊池回避は、
彼らのプロフェッショナリズムを感じさせるものといえよう。

荻野で思い出すのは……
彼に陽がようやくあたり始めた頃の高校時代。
ロッテが熱心に彼を追いかけていた姿である。

「高校の時にロッテともう1球団が見に来てくれていたんです。
 『指名リストに入れたい』と言っていただいたのですが、
 本人が進学志望でしたからその時は実現しなかった。
 大学で力をつけて、社会人に行って、
 今年ロッテに指名していただいた。すごく縁を感じます」

とは、荻野の郡山高校時代の恩師・森本達幸氏である。

菊池雄星の動向に注目が集まった'09年ドラフト。
ここ数年の潮流である、巧い左打者を抑えられる
「左投手」と、左打線偏重を補う「右打者」の需要が高い、
という傾向は変わらなかった。
しかし、その中で若い野球人たちの運命は大きく揺れ動いた。
菊池雄星という巨星がために、
むしろ今年は各球団の戦略とスカウトの眼力がより
ハッキリ見えたドラフトではなかったか?

 来年は世にいう「斎藤世代」がドラフトを迎える。

逸材があふれ返っているという噂もあるが、
「左腕」と「右打者」はまだまだ足らない。
来年のこの日をどんな気持ちで迎えるのだろうか。
これからの1年がまた楽しみである。  


    ~筆者プロフィール 氏原英明~

1977年ブラジル生まれ。
奈良大学を卒業後、地方新聞社でのアルバイト勤務を経て、
フリー活動を開始。
高校野球を中心に活動を続けるが、
野球を通じた人間性、人生観を伝え続け、
Numberのほかに野球専門誌で活躍。
WEBの世界でも「人間力×高校野球」(高校野球情報.com)
と題したコラムを連載している。



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ライバル物語の続きはプロで
2009年10月29日 (木) | 編集 |
明豊・今宮と常葉橘・庄司が決闘!  

                        氏原英明 = 文  

 ライバル――。

 その存在だけで、己を高められる相手、好敵手。

日々の練習の力となり、また、対峙するとなれば負けじ魂を燃やし、
その心が自らを未知なる領域へといざない、
スーパープレーを生みだしてくれる存在。

甲子園という大舞台はスター候補生が大勢集まる場所である。
優れたアスリートであればあるほど、
ハイレベルなライバルたちを目の当たりにして
その心に火がつくことになる。

 反骨心という言葉に置き換えてもいい。

強大なライバルの存在で成長してきた男、明豊・今宮健太。
今大会でそんな気持ちを糧に戦っている選手とは誰か?
そこで最初に浮かんだのが、
明豊の投手兼遊撃手・今宮健太である。

「自分は特にマスコミから注目されているような選手に
 ライバル心を燃やすタイプなので、
 負けたくないという気持ちは(甲子園にくると)
 どんどん強くなりますね」

今宮は、一人の野球人として、
最高の舞台・甲子園で最高のライバルを相手に
自分を試してみたいという高いプライドを持って大会に臨んでいた。

2回戦の西条との試合では、
相手の剛球投手・秋山拓巳を強く意識し
「相手は注目されている投手。
 彼の得意球ストレートを狙っていきたい」
と試合前から宣言していたほどだ。

そしてもう一人。
その今宮健太にライバル心をむき出しにしていたのが、
常葉橘の投手・庄司隼人であった。

この2人が20日の第1試合で激突。
試合前、傍から見てもあからさまに分かるほど
互いのライバル心は燃えたぎっていた。

「試合になったらヤバイくらい燃える」男、常葉橘・庄司。
 まずは今宮の言葉。

「新聞や雑誌でも、庄司は凄い球を投げると書いてあった。
 やりたかった選手の一人です。
 ライバル心を持つと力が出る方なので、
 1回戦は島袋(興南)、2回戦は秋山と対戦できて、
 本当に自分は運がいいと思っています。
 この2試合の反省もあるんで、
 それをいかしたい。チーム全員で……常葉橘を叩きたい」

 一方の庄司。

「地方大会のときから、今宮と対戦したいと思っていた。
 今宮はプロ注目で、僕よりも小さい体なのに、
 149kmを投げて62本のホームランを打っている。
 ライバル心はあります。
 今はそうでもありませんが、試合になったらヤバイくらい燃えると思う」  


 ~最初の対決は庄司の四球から始まったのだが…~  

 最初の対決は1回表にいきなり訪れる。

投手・庄司が打者・今宮に挑んだが、四球を与えてしまう。
庄司に力みが先行している。
3回表の第2打席もストレートの四球だった。

試合は1回表に明豊が2点を先制する展開も、
常葉橘は3回裏に5本の長短打を集めて逆転。
4-2とするとともに、
先発した明豊の先発左腕・野口をマウンドから引きずり下ろした。

そして、3回裏途中、今宮がマウンドに上がった。
アップもしていない状態での緊急登板だが、
今宮は3球連続ストレートを投じて7番・稲角を3球三振。
2球目は147㎞、3球目は150kmを計測する圧巻の投球だった。
次打者には151kmも記録した。

4回裏、投手・今宮―打者・庄司の直接対決。
その2球目、今宮のストレートは153kmを計測。
しかし、庄司は打ち返した。左翼前への2点適時打。庄司に軍配。

 6-2で常葉橘がリード。 


  ~庄司の心が燃え上がった瞬間――速球が唸りを上げた!~  

5、7回。投手・庄司―打者・今宮の対決では
今宮が2安打を放ち猛追をかける。
そして9回表。常葉橘1点リードで無死三塁。今宮が打席に立った。

庄司に戦う姿勢がありありと出る。初球から140km台後半を連発。

 ストレート、ストレート、ストレート、ストレート、ストレート、ストレート。

 145km、146km、147km、146km、146km、146km。

 小細工なしのストレート一本勝負。

 2-1からファール2球の後、今宮が軽打。右翼前へと運んだ。

 同点タイムリー。

  ~延長12回まで続いた2人の死闘。~

 9回裏、今度は投手・今宮―打者・庄司の対決。

真っ向勝負を期待した庄司に対し、
今宮は初球フォークから入り、コントロール重視のストレート、
フォークを投げ分け、最後も抑え気味のストレートで
セカンドゴロに打ち取った。
技で今宮が勝った。

11回表2死2塁から投手・庄司―打者・今宮の対決を迎えたが、
この時は庄司の制球が定まらずストレートの四球。

 2人の勝負はここで終わった。  

試合は延長12回表に2点を奪った明豊が、接戦を制した。  
  

「今までで一番楽しかった」今宮。「最高の甲子園」庄司。
 試合あとの、2人のコメント。

 今宮は……
「この勝負にチームで勝ったことは先につながる。
 庄司との力勝負には負けたくなかった。
 ライバル心が強いので、打てて良かったと。
 好投手から打てたことはこれから先にもつながるので」
と胸を張った。

153kmを出せたのは庄司によって力を引き出されたから?
という質問にも「それはある」と答え、
「野球をやっていて、今までで一番楽しかった」と素直に言葉にした。

 庄司は……
「ライバル心があったので、力勝負したい気持ちがあった。
 たとえそれでホームランを打たれてもいい、と。
 試合には負けてしまったけど、
 最高のマウンド、最高の甲子園……本当にいい勝負ができた。
 今宮は僕のことを知っていたかは分かりませんが、
 これからも今宮にライバル心を抱きながら、
 上のレベルに行って、もう一度勝負したい」



2人のライバル・ストーリーは、プロ野球で再開される!
強烈なライバル心を抱きながら激突した2人の物語。
'98年夏、松坂大輔と杉内俊哉が投げ合って
今日の活躍があるように、彼らもまた、
ここでの対決を境に大きく成長を遂げてくれるものと期待したい。

この対戦は彼らの野球人生にとって、序章に過ぎない。
野球を続ける限り、彼らのライバル・ストーリーは永遠に続いていく――。



  ~筆者プロフィール 氏原英明~

1977年ブラジル生まれ。
奈良大学を卒業後、地方新聞社でのアルバイト勤務を経て、
フリー活動を開始。
高校野球を中心に活動を続けるが、
野球を通じた人間性、人生観を伝え続け、
Numberのほかに野球専門誌で活躍。
WEBの世界でも「人間力×高校野球」(高校野球情報.com)
と題したコラムを連載している。
本音は『誰だってやりたかないんだよ』だった・・・
2009年10月29日 (木) | 編集 |
『君なくしてV9は成し得なかった』―。  

川上哲治監督の弔辞に送られて、
巨人の名二塁手だった土井正三さんが天国に旅立った。
  

土井さんで思い出すのは、巨人のコーチ時代に、
選手だった長嶋一茂(現球団代表特別補佐)と繰り広げた
大喧嘩だ。
練習後に居残りバント練習をさせようとした土井さんに
一茂が反発。
『やれ!』『必要ない!』と報道陣が見ている前で
大喧嘩を始めた。
最後は一茂が『何様のつもりだ!』と捨てゼリフを残して
グラウンドから出て行ってしまった。


通算242犠打。
現役時代からバントの名手として知られた。
指導者になってもバントの重要性を説き、
選手にしつこく練習を強制して煙たがられるのを
何度も目撃した。
  

だが、そんな土井さんの『本音』を垣間見たことがあった。
ユニホームを脱いでマスターズリーグに
参加したときのことだった。
走者を置いて土井さんが打席に立つと、
“お約束”のようにベンチから『送りバント』のサインが出されたが、
そのサインに土井さんが怒ったのだ。
  

『こんな年になってもバントをさせられるとは思わなかった。
 誰だってバントなんかやりたかないんだよ。
 でも、チームが勝つために必要だからやってきたんだ』
と口をとがらせたのだ。
  


プロ野球は何のために戦うのか?
それはただ一つ、チームが勝つためでしかない。
だから好きでもないバントを必死に転がして走者を進め、
自分はアウトになってベンチに戻ってきた。
  

打率・263、65本塁打、425打点。
土井さんの14年間の通算記録だ。
  
突出した数字はない。
それでも『君なくしては』と言わしめたのは、
この勝つための心があったからだった。
  

そんな土井さんが野球を楽しむために参加したのが
マスターズリーグだったのだ。
それでも出されたバントのサインが、
土井さんは本当に寂しかったのだと思う。
  


             サンケイスポーツ 『球界インサイドリポート』より
                                  鷲田康氏
立浪和義の22年を支えた、ふたつの『資質』とは?
2009年10月28日 (水) | 編集 |
                       
                           永谷脩 = 文  


現役生活22年目、立浪和義らしいバッティングだった。
9月30日の巨人戦で、越智大祐の投じた内角ストレートを
きれいにはじき返すと、打球は右中間に転がった。
自身の持つ最多二塁打記録を487本に伸ばす一打は
「ミスター二塁打」の名に相応しいヒットだった。

~PL育ちの選手らしく、常にチームの勝利を求める選手だった~

ここ数年は代打での出場が多かった立浪だが、
ナゴヤドームにその名が告げられると、
誰よりも声援が多かったものだ。
「PL育ちの選手は、
 どんなに活躍してもチームが勝たなければ意味がないことを、
 徹底的に教え込まれている」との言葉通り、
常に勝利を追い求めファンから愛される存在だった。
ナゴヤドームでの引退セレモニーには、
高校の2年先輩にあたる清原和博、桑田真澄の他にも
同期の片岡篤史、橋本清、
監督だった中村順司らPL黄金時代のメンバーが顔を揃え、
立浪の打席に拍手を送っていた。

入団当初、薬局を営んでいた母親の好子さんは
「プロ野球で通用しますか」と心配していたが、
素質を見抜いていた当時の監督・星野仙一は
「責任を持って一人前に育てます」と言い、
少々のミスにも目をつぶり我慢をして起用し続けた。
その結果、見事期待に応え新人王を獲得したのである。
身長は173cmとプロ野球選手にしては小柄な体格だったが、
その野球センスは図抜けていた。

ホームラン王1回、ベストナインを3回獲得した宇野勝が
「グラブさばき、あの野球センスには敵わないと思った」
と舌を巻くほどだった。

~三冠王の落合から手首を柔らかく使う技術を学んだ~

もちろん野球に取り組む姿勢も、入団当初から際立っていた。

三冠王を三度獲得した現監督の落合博満が打撃練習を始めると、
必ずバッティングケージの後ろでその姿を見つめる立浪の姿があった。
「あの手首を柔らかく使う落合さんの技術を盗みたい」
と言っていたが、
野球へのあくなき向上心が小さな体を支えていたのである。

「慢強いヤツや」とポツリと漏らしていたが、
ファンの多くは立浪の活躍をまだまだ見たかっただろう。

『考える野球』 森の3球勝負
2009年10月27日 (火) | 編集 |
1967年10月28日 捕手がMVP

『最優秀選手は森昌彦(現祇晶)』。
そのアナウンスを、森は想像すらしてなかったという。
無理もない。
この日本シリーズでの打撃成績は22打数5安打、4打点、
1本塁打。
平凡というより、むしろ悪い。
  
それでもMVPに選ばれた。
理由は捕手としてのリード、つまりは守りの要として
評価されたのだ。
  


このシリーズの勝負を分けたと言われる1球がある。  
巨人1勝で迎えた第2戦の一回無死一、二塁での阪急の攻撃。
打席には赤鬼の異名をとるダリル・スペンサー。
直球にはめっぽう強いこの主砲に対し、
森は先発堀内恒夫にカーブを2球続けて要求する。
スペンサーは打つ素振りすら見せずたちまちカウント2-0に。
そして3球目、今度は一転、外角低めに糸を引くような直球。
見逃しの3球三振。
スペンサーはあっけにとられたままバッターボックスを去った。
堀内はこれで立ち直り、1-0で完封勝ち。
巨人はシリーズ3連覇に大きく前進する。
  

『まさに罰金もの』と森は振り返る。
実際、当時の巨人は2-0から打たれると、罰金を取られた。
それを逆手に取ったのだ。
元大リーガーらしい豪快な打撃や激しいスライディングで恐れられた
スペンサーだが、実は研究熱心で、
日本に考える野球をいち早く持ち込んだとも言われている。
森も彼には『巨人は丸裸にされていたはず』という。
だからこそこの場面で、罰金もののセオリー無視の3球勝負が
生きたわけである。
  


ただ、こうした芸当ができたのも、森がスペンサー以上に
研究熱心で緻密な頭脳を持っていたためだ。
森はシーズン終盤、リーグ優勝が見えてくると、
川上哲治監督に毎年のようにシリーズ相手の偵察を命じられた。
おかげでV9時代、リーグ優勝の胴上げにはほとんど立ち会えず、
『なぜ俺だけいつも』と恨んだこともあったという。
ただそれは信頼の裏返しでもあった。
それまで投手がただ投げ、打者がそれを打つという
単純な野球から、データーとその分析をもとに考える野球へ。
  

『日本一になってうれしいと思ったことなど一度もない。
 ほっとするだけ。
 ただこの時は僕のような縁の下の力持ちというか、
 目立たない所での働きを初めて認めてくれた。
 それがうれしかった』―。
  

近代野球において捕手がいかに重要な存在か。
森のMVPはそれを証明していた。
  


           10月16日 読売新聞 スポーツ面より

                                 新妻千秋



本当は皆メジャーに行きたい・・・ 日本野球界は菊池の涙に猛省せよ!
2009年10月26日 (月) | 編集 |
                         氏原英明 = 文  

 メジャー挑戦か、国内プロ入りか。

花巻東高・菊池雄星投手が、ついにその決断を下した。
25日に同校内で記者会見を開き、
「国内でのプレーを選択する」決意を表明した。
日米20球団との面談を行うなど、
自らの決断をドラフト4日前に発表した18歳の真摯な対応には、
敬意を表したいものだ。

 ~今の若い選手たちがいかにメジャーへの夢を抱いているか~

これを菊池は世間に知らしめてくれたと言っていい。
昨年の田澤純一(新日本石油→レッドソックス)に続いて、
今年も同じような騒動が起きたという現実は、
ドラフト上位候補の高校生が日本のプロを経ずに、
メジャーの舞台に挑戦する、
という事態が今後も起きる可能性を示している。

「菊池騒動」は彼本人の想いの深さだけによるものではない
ということを、日本の野球界は直視しなければならない。

今後、このような事態が起きた場合に、
日本球界はどのように対応していくべきなのだろうか。

 ~この騒動が契機になり、再び悲劇を繰り返さぬように…~  

今年、プロ野球実行委員会がとった菊池の
「流出対策」は成功したといえる。
たとえ菊池がメジャーに挑戦していても、
最大限のことはやり尽くしたといえるはずだ。
菊池本人が「メジャー挑戦」の想いを公言していたため、
誰にも悟られぬようにメジャー挑戦を決断されてしまった
田澤のケースとは事情が違う。
ドラフト前に、球団が選手と面談を行うということは
ほとんどないはずなのに、
それを実現させたことは昨年の轍は踏むまいという日本プロ野球界…
…いや、スカウト陣たちの熱い想いがあったからにほかならない。

とはいえ、若者の大志は面談だけで防げるものではない。
この騒動が契機になり、また同じようなことが起き、
異なる結果を招くことも十分考えられる。
昨年の田澤の件では、彼の復帰を抑制するという形で、
夢を抱いた人間への「仕返し」を決断した日本プロ野球組織だが、
実際は「規制」だけでは、いつまでたっても解決策は生まれない。

「田澤の気持ちは分かる」 あるドラフト1位選手の告白。
昨年のちょうどこの時期、田澤のメジャー挑戦について、
ある有名選手が興味深いことを話していた。
ちなみに、その選手は過去ドラフト1位で指名されており、
普通に入団を果たしている。

「田澤の気持ちは分かりますよ。
 今のプロ野球のルールだったら、
 いつメジャーに挑戦できるか分からないじゃないですか。
 入ってしまったら、いつ出られるか分からない。
 だから、今のうちに挑戦しようという気持ちはすごく分かる。
 僕は今の時点ではメジャーに行こうという気持ちがないので、
 田澤のようには思いません。
 でももし僕がいずれはメジャーに、
 という気持ちが少しでもあったら同じようにすると思います」

 非常に重い言葉である。

田澤と同年代の若い選手ならば、
今どきはそこまでメジャーを意識して計算しているのだ。
もっとも、彼らも日本のプロ野球に魅力を感じていない
というわけではない。
プロの球団が菊池を説得させる際に、口説き文句にあった
「日本で実績を残してからメジャーに行けばいい」というのも
本当によく理解している。
だが、そうした想いを抱いて日本のプロ野球界入りした選手たちが、
契約や規則を理由にメジャー挑戦を断念しているという現実を、
現代の若い選手たちはうすうす感じているのだ。  

  ~川上憲伸、上原浩治らのメジャー行きがあと5年早ければ~

我々、野球ファンが川上憲伸(ブレーブス)や
上原浩治(オリオールズ)にあと5年早くメジャーに行ってほしかった
と思うように、
菊池ら若い選手たちも同じ感情を抱いているのではないか。
入ってしまったら、自分もそうなるのではという懸念が生まれてくるのも
当然の話だ。

FAを短縮するのも、ドラフト前の交渉も、ひとつの案としてあるが、
それだけでは若者には訴えるものがない。
というよりも今、
若者たちの目に映っているプロ野球の閉塞感を
打破しなければいけないのではないか。

規制するよりもまず緩和すべきである。
メジャー志向が強くなってきているという現実を受け入れ、
解放する方向へと向かわなければならない。
それを紳士協定や日本野球のためにといって、
規制の柵を張り巡らしているから、
田澤や菊池の騒動が起こるのである。

スカウト活動にしても同様のことが言える。
甲子園などの全国大会では日本のプロ野球12球団に
「スカウト席」が用意されているが、
メジャーの球団にはそうしたものがない。
排除しているといった方がいいのかもしれない。
排除したからといって、メジャーのスカウトが自由に選手を見れない
と思ったら大間違いで、
「そっちがそうするなら」と奔放に動いてみせる。

スカウトといえば、誰もがバックネット裏で試合を見るとは限らず、
球場だけに足を運ぶわけでもない。
どこかでチーム関係者と接触を果たし、
日本のスカウト以上のことを彼らはしている。
実際には「紳士協定」などどこ吹く風なのだ。

  ~若者たちに閉塞感を植えつけ続ける日本のプロ野球界~

ただ、それもこれも彼らを排除するからであり、
規制するから起きるのだと思う。
極秘裏にメジャーと関わり、
独断で決断を発表した昨年の田澤問題に対し、
日本プロ野球組織はドラフト指名を拒否して
海外挑戦を選択した選手に関し、復帰制限措置を決めた。
しかしこのような規制こそが逆効果で、
プロを夢見るイマドキの若者たちに、
日本プロ野球界の閉塞感を伝えているだけだということに
なぜ気がつかないのだろうか?

世間を騒がせた菊池騒動は終焉を迎えたが、
昨年の田澤問題と含めて、
日本野球界に一石を投じたといっていい。
来年のドラフトの目玉と騒がれる早大の斎藤佑樹にも
メジャー挑戦が囁かれているが、
果たして、プロ野球界はどう変わっていくのだろうか。 


 規制しているだけでは、明るい未来は見えてこない。



    ~筆者プロフィール 氏原英明~

1977年ブラジル生まれ。
奈良大学を卒業後、地方新聞社でのアルバイト勤務を経て、
フリー活動を開始。
高校野球を中心に活動を続けるが、
野球を通じた人間性、人生観を伝え続け、
Numberのほかに野球専門誌で活躍。
WEBの世界でも「人間力×高校野球」(高校野球情報.com)
と題したコラムを連載している。
野村監督の名役者ぶりに、’73年の南海ホークスを見た
2009年10月24日 (土) | 編集 |
                    小関順二 = 文
1973(昭和48)年、
前後期制が初めて採用されたパ・リーグの前期を制したのは
38歳の青年監督、野村克也率いる南海ホークス。
後期は前年までリーグ2連覇をしている阪急が
2位ロッテに5.5ゲーム差をつける大差で優勝し、
南海は30勝32敗の成績で3位に沈んだ。

南海、阪急によるプレーオフの下馬評は圧倒的に阪急有利。
それもそのはずで、阪急は後期、
南海に1分けを挟み12連勝しているのだ。
この阪急がプレーオフで敗れるとはほとんどの人が思わなかったが、
蓋をあければ3勝2敗で南海が勝ち上がり、
当時のマスコミは後期の南海の戦いぶりを
「死んだふり」と形容した。
弱い弱いと思わせ、阪急各選手の心に油断を生ませたというのである。

36年前の南海が現在の楽天にオーバーラップするのは、
野村が今季限りの退陣をマスコミにボヤキながら、
その状況をうまく利用しているように思えるからだ。

~楽天はチーム一丸となって狂言を演じているのか?~

CSの仙台開催を決めた10月9日にはマスコミを前に
「楽天イーグルスは好きだけど、楽天球団は大嫌い」と吠え、
11日にはスタメン落ちに不服を唱えて
侮辱的な言動を取ったリンデンを登録抹消した。
CS初戦の対ソフトバンク戦を前にした16日には
自らの進退を泣きながら選手に説明し、
それを聞いた橋上秀樹ヘッドコーチは
「あんなことを言う監督は初めて見た」ともらい泣きしたという。

相手チームからすれば楽天のゴタゴタは嬉しい。
開幕前から監督とフロントに確執が生じたロッテが
5位に沈んでいるように、
球団内部のゴタゴタは選手の心を疲弊させる。
しかし、楽天の場合は野村監督のボヤキ、怒り、涙など
感情の揺らぎに選手が惑わされていない。
というより、
監督と選手が一体になって狂言を演じているように見えるのだ。

CS第2ステージを戦う日本ハム・梨田昌孝監督は
「俺も泣こうかな」と涙のミーティングを引き合いに出していたが、
さすが2球団で優勝(近鉄と日本ハム)しただけあって、
野村監督の狂言に惑わされていない。  


~試合中も大げさな感情表現で選手を鼓舞する野村監督~

ソフトバンク戦を振り返れば、
楽天ベンチには常に選手の笑顔があり、
ソフトバンクベンチには笑顔が少なかった。
この空気を反映するように、
野村監督は第2戦で決定的な3ランを打った山武司を
ベンチ前で抱きかかえ、感情を爆発させているように見えた。
なかなかの役者ぶりである。
成熟していない楽天の選手の心を揺り動かすには、
大げさな感情表現が最も効果があることを知っているのだ。

日本ハム戦は1勝アドバンテージを与えての戦いになるが、
追い風は相手エース・ダルビッシュ有が
右肩の不調でCS出場が絶望視されていること。
楽天にいい風が吹き始めている。


~筆者プロフィール 小関順二~

1952年神奈川県生まれ。
日本大学芸術学部卒。
1988年ドラフト会議倶楽部を創設し、模擬ドラフトで注目を集める。
Numberほか雑誌「週刊現代」にも野球コラムを連載中。
『プロ野球 問題だらけの12球団』(草思社)は
シリーズ10年目を迎えた。
他に『プロ野球のサムライたち』(文春新書)、
『プロ野球スカウティングレポート』(アスペクト)など著書多数。
落合采配の「ふたつの顔」~絶対的信頼と絶対的不振~
2009年10月21日 (水) | 編集 |
                          
                            鷲田康 = 文  

よほどの信がない限り、そんなまねはできないはずである。

中日・落合博満監督のさい配で、
日本のプロ野球史で語られるものは、
2007年の日本ハムとの日本シリーズでみせた
完全試合目前の山井大介投手の交代だろう。

日本一に王手をかけた9回。
「これが今シーズンのうちの野球だ」と
守護神・岩瀬仁紀投手にためらいなくスイッチした。
何せ完全試合である。
しかも日本シリーズというプロ野球最高のステージでの大記録を
目前にした交代指令に、
球界では賛否両論が湧き上がったのは当たり前のことだった。

非情と言われる落合采配の真価とは?  

だが、そんな賛否両論を無視して、
落合監督が語ったひとことが記憶に残っている。

「あんな場面でマウンドに登って平然と抑えてきた
 岩瀬の凄さをもっと評価すべきだ」

 確かにその通りでもある。

当時の岩瀬は絶対的な守護神として君臨していた。
だが、日本シリーズで完全試合達成を目前にした投手に代わって
マウンドに上がるプレッシャーとはいかばかりのものだったのか? 
そしてその交代を決断するには、
岩瀬に対するよほどの信頼がなければできないことだった。

 落合監督のさい配には二つの顔がある。

一つは絶対的な信頼。そしてもう一つは絶対的な不信である。

CSで無死二塁から8番の英智に送りバントを指示。
ヤクルトと対戦したクライマックス・シリーズの第1ステージ。
その初戦で象徴的な場面があった。

中日のチェン(陳偉殷)、ヤクルト・石川雅規両投手の
投げ合いとなったこの試合で、
中日は3回と5回に先頭打者の7番・藤井淳志外野手が
二塁打を放った。

無死二塁。
ここで落合監督は8番の英智外野手に2回とも送りバントを命じた。

1死三塁は外野に抜ける安打だけではなく
内野安打や犠牲フライ、相手のバッテリーミス、
場合によってはボテボテの内野ゴロでも得点チャンスが広がる。
両投手の調子が良く、僅差が想定された展開。
それだけにこの1死三塁のシチュエーションを
作りにいくのは常套のさい配ではある。
 
だが、一つ考えねばならないのは、
次の打者が投手のチェンだということだ。  


 ~落合采配を際立たせる、選手に対する“見切り”~  

走者が二塁で併殺の可能性が低いのだから、
普通なら英智には右打ちのサインを出して、
あわよくば安打が出る可能性にかける。
たとえ凡退しても、チェンで送れば走者を三塁に進めることはできる。
 
 だが、落合監督はそうはしなかった。
 
 そこには独特の選手に対する見切りがある。
 
この場面で落合監督が絶対的な信頼を置いたのは
2死から打席に立つ井端弘和内野手だった。
そして絶対的な不信で見切ったのが
打席の英智の打撃能力だった。

「オマエは打席では何もしないでいい。しっかり守っとけ!」

この試合で落合監督が8番に英智を起用したのは、
その守備力に対する信だった。

絶対の信頼を置く、1番・井端弘和の打力。
シーズンを通して防御率1.54というエースを立てた
短期決戦の初戦。
攻撃を無視しても守りを固めることを優先したわけだ。
だから英智のバットにはみじんも期待をかけない。
その代わりに2つのアウトを犠牲にしても
信じたのが1番に座る井端だった。
 
シーズン中には8番に捕手の谷繁元信が座るケースが多い。
その場合にも無死で走者が出ると谷繁に送りバントをさせて、
9番の投手には
「三振して帰って来い」と打席に立たせることが多くあった。
たとえ2死になっても井端のバットにかける。
それぐらい指揮官は井端の打力を信じ、
その期待に井端も5回のチャンスでは適時打で応えた。

「信」という言葉を巡る、落合監督と原監督の違い。
ヤクルトとの激闘を制してCS第2ステージでぶつかるのは
宿敵の巨人だ。
 
信と不信を使い分けて選手を動かす落合監督。
そして「選手を信用はするが信頼はしない」と同じように
二つの信を使い分ける巨人・原監督。
二人の監督がどんなタクトを振るって選手を動かすのか。
 
 巨人と中日の激突は、このベンチの戦いからも目が離せない。

  


      ~筆者プロフィール 鷲田康~ 

1957年埼玉県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。
およそ10年にわたり読売ジャイアンツ取材に携わった。
2003年に独立。
日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、
Numberほか雑誌・新聞で活躍。
著書に『僕のメジャー日記 松井秀喜』(文藝春秋)、
『ホームラン術』(文春新書)がある。

ノムさんが仕掛けた「一球の罠」。
2009年10月20日 (火) | 編集 |
喧嘩上等・楽天の次なる手は?
                       田口元義 = 文  


中学時代、暴走族の従兄弟がこう言っていた。

「喧嘩っつうのはなぁ、売ったほうが大概負けんだよ」

経験則からして、確かにそうだったような気がする。
ただ、ことスポーツにおいては、
そのような概念は通用しないのだと、
東北楽天対福岡ソフトバンクのクライマックスシリーズで
勝手に納得してしまった。

3位以上が確定してからの楽天は、世間を賑わせ続けた。

仕掛け人は当然、指揮官の野村克也だ。
後任候補が今季で広島を退団するブラウンだと分かれば、
報道陣の前で彼の十八番である
ベース投げのパフォーマンスを披露。
リンデンの監督批判に対しても、
コメントを控えることなく一部始終をぶちまけた。
解任が決定となると
「2連敗で終わるやろ」と早くも白旗宣言などなど、
監督の言動は連日スポーツ紙の一面を飾った。

野村監督のパフォーマンスはすべて計算ずくな“喧嘩の作法”。
ただ、監督・野村克也の歴史を紐解くと、
この一連のパフォーマンスは
リップサービスでもネガティブ・シンキングでもなんでもない。
喧嘩、挑発だと捉えるべきだ。  


過去にも似たようなことがあった。
南海のプレーイング・マネージャーを務めていた1973年、
前期は優勝したものの、後期は大失速。
そこには、プレーオフの相手になるであろう
阪急のデータ収集や戦術をたてる期間に費やすという意図があった。
さらに、後期の直接対決では完全に手の内を隠し、
12敗1分と「死んだふり」を決め込んだ結果、リーグ優勝を果たした。

'95年のオリックスとの日本シリーズでは、
2年連続首位打者のイチローに対し、
「たいしたことない」、「弱点は内角高めのストレート」と
'73年とは逆に、シリーズ前から手の内を何度も公にした。
それがイチローに直接影響を及ぼしたかどうかは知りえないが、
徹底した内角攻めによって彼はヤクルトバッテリーに完璧に封じられた。

今回のクライマックスシリーズでも、
「1球が命取り」と言っているように、
誰よりも短期決戦の恐ろしさを知っている野村だけに、
打てる手は全て打っておく。
ユーモラスな対応で周囲の目を引きつけながら、
実はそこを通じて相手に喧嘩をふっかけている。  


 たった1球、相手がその喧嘩に乗ってくれさえすればいい。   



第1戦、ソフトバンクの先発・杉内俊哉は、
“白旗宣言”を掲げる楽天を甘くみたのか、
まんまと野村の術中にはまってしまう。  

1回裏、内角低めのストレートが高めに浮き、
シーズン1本塁打の先頭打者・高須洋介に
レフトスタンドへ運ばれてしまう。
その後、セギノールにも2ラン、3回には鉄平のタイムリー、
伏兵・中島俊哉にも本塁打された。
これらは全て高めの失投を痛打されたもの。
杉内は3回途中7失点で降板。
高須への1球ですべてが狂ってしまった。

第1戦は指揮官が巧みにセッティングした喧嘩によって
手にした勝利ならば、
第2戦は選手の意地を見た試合だった。   


先発の田中将大は、
相手打線に的を絞らせない圧巻の投球で無四球完投。
高校時代から幾多の修羅場を経験し、
何よりも「気持ち」を大事にする若きエースは、
この大舞台で見事に真価を発揮した。
  

それ以上に、主砲・山崎武司の3ランが大きかった。
不惑を過ぎてもなおチームを牽引する男のひと振りは、
何よりの潤滑油となる。
  


 かつてこのふたりは、こんなことを語っていた。  

「僕はこの先もずっといい調子が続くとは思っていません。
 悪い状況を素直に受け止めて。
 でも、絶対に負けられない試合は、
 『強い気持ち』を持って臨みたい」
  

21歳の若武者がそう語れば、
1度は引退を決意したこともある山崎も、
今後の現役生活についてこう答えた。
  

「『1年でも長くやりたい』なんて思っていませんよ。
 楽天では、その年ダメなら終わりだ、 
 くらいの気持ちでやっています」 
  


「過去や未来を断ち切り、今を生きる」という教え。  
「野村の教え」のなかに「前後裁断」という言葉がある。  
「過去や未来を断ち切り、今を生きる」という意味なのだが、
今の楽天は監督解任をきっかけになんらかの団結力が増し、
この言葉の精神が強烈に浸透しているのだろう。  

 

21日からは北海道日本ハムとの第2ステージが待っている。
岩隈久志、田中が完投したことで、
第1戦は永井怜が先発するだろう。
投手力ならば、ダルビッシュ有を欠き、
先発陣が万全ではない日本ハムよりも分がある。
不安視されている中継ぎ陣も、
シーズンの対戦では防御率2.80と安定している。

 
これからのポストシーズン、
今季限りで楽天のユニフォームを脱ぐ名将は、
どのような喧嘩を相手に仕掛けるのか? 
まずはそこに注目したい。




    ~筆者プロフィール  田口元義~

1977年福島県生まれ。
元高校球児(3年間補欠)。
ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。
Numberほか雑誌を中心に活動。
試合やインタビューを通じてアスリートの魂(ソウル)を
感じられる瞬間がたまらない。
共著に「戦力外通告 プロ野球をクビになった男たち」、
同「諦めない男たち」などがある。
宮本慎也が若手に伝えたかったこと。果敢なヘッドスライディングの意味。
2009年10月15日 (木) | 編集 |
                     鷲田康 = 文  

去年のオフにずっと一塁へのヘッドスライディングについて
取材していた時期があった。

取材で会った選手や野球関係者に
「どう思いますか?」と聞いて回った。  


きっかけは一昨年の北京五輪アジア最終予選で
ソフトバンクの川崎宗則内野手が一塁に
ヘッドスライディングをしたのを、
シアトル・マリナーズのイチロー外野手が
「かっこ悪い。アマチュアみたいなことをするな」  
と怒ったという記事を読んだことだった。

高校野球ではよく見る光景だが、最近は
「一塁へは駆け抜けた方が早い」というのが定着して、
甲子園大会でもめっきり見る回数が減ったように思える。
  

プロの選手、特に若い選手の多くは
「やっぱり駆け抜けたほうが早いし、
 ヘッドスライディングはケガのリスクがある。
 心情としては川崎さんの気持ちも分からないではないけど、
 やっぱりイチローさんの言うことのほうが理にかなっている」
という答えが多かったように記憶している。  
  


~宮本慎也はイチローの持論に真っ向勝負する~  


そんな中で
「駆け抜けたほうが絶対に早いですか?
  ヘッドスライディングしたら、アンパイアがもしかしたら
 “セーフ”って、両手を広げてくれるかもしれないじゃ
 ないですか!」
と反論した選手がいる。

北京五輪でキャプテンを務めたヤクルトの宮本慎也内野手だった。

 そして宮本はその言葉を実践した。
  

クライマックス・シリーズへの出場権を巡って
阪神、広島と激闘を続けていた9月28日。
直接のライバルとの対決となった阪神戦(神宮)の3回、
遊ゴロを放った際に、一塁に猛烈なヘッドスライディングを試みたのだ。
  

一塁に頭から滑り込んだ結果はアウトと親指の剥離骨折。

ヘッドスライディング直後、親指の痛みに思わずうずくまる宮本。
しかしこの後、彼は怪我のそぶりを一切見せることはなかった。
結果は……最悪だった。
  

審判は両手を広げるのではなく、高々と右手を上げた。
しかも、一塁ベースに突いた右手親指には激痛が走った。

 親指の骨が剥離骨折していた。
  

「イチローに怒られますね」

あのときの会話を振ると、宮本は苦笑いを浮かべてこう続けた。

「でも、僕は試合に出ているからいいんです。
 1試合休んでしまったけど、もう迷惑はかけない」
  

翌日の試合は欠場したが
30日の阪神戦では右手親指に添え木を当てて、
包帯を巻いたままの姿でショートを守った。
6回の第3打席では右前安打を放って、
親指を骨折しているそぶりは全く見せなかった。   
  


~チームに活を入れるためのヘッドスライディングだった~  

野村克也監督(現楽天監督)の下で、
かつては優勝戦線の常連だったヤクルトが、
Bクラスに低迷するようになって久しい。
今のチームで、その時代を知る選手は宮本ぐらいしかいなくなった。
  

今季は久々に開幕から白星を重ねて
初めてのクライマックス・シリーズ出場へのチャンスを得た。
ところが夏場過ぎて成績が急降下。
阪神、広島とのAクラス争いが激しさを見せ始めた直後に、
宮本がこんなことを話していた。
  

「0-2とか1-3とか真っ直ぐ一本に絞って待っても
 いい場面で注文どおりに
 真っ直ぐがきてもバットが出ない選手がいる。
 固くなっているんです。
 こういう経験をもっとしないと、チームは強くならないですね」
  

優勝争いの重圧、ここ一番で負けてはいけない試合を勝つ力……
修羅場をくぐり抜けていくために必要なプラスアルファを
どういう風に若い選手に伝えていくか。
それがベテラン選手にとっての務めでもあると思っている。

だから宮本は自然と一塁にヘッドスライディングで
飛び込んでいってしまったのかもしれない。
  

激痛をこらえてプレーを続ける宮本が伝えたかったもの。
包帯を巻いた右手ではボールはまともには握れない。
打撃では詰まったときに激痛が走る。
  

「でも、痛いとか投げられないとか見せたらいかんでしょう。
 内角のボールにドン詰まって“うぉ~!”って
 いうことがあったけど、“顔に出したらいかん。
 顔に出したらいかん”と思って、一塁まで走りました」
  

イチローに怒られないためにも、
チームの若い選手に勝つことの難しさを伝えるためにも――
一塁にヘッドスライディングすることが、
決してマイナスにはならないことを、
身をもって証明しなければならない。




~筆者プロフィール 鷲田康~  

1957年埼玉県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。
およそ10年にわたり読売ジャイアンツ取材に携わった。
2003年に独立。
日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、
Numberほか雑誌・新聞で活躍。
著書に『僕のメジャー日記 松井秀喜』(文藝春秋)、
『ホームラン術』(文春新書)がある。


ロッテのファン騒動も一件落着!? ボビーと西岡のチーム愛が溢れた夜
2009年10月14日 (水) | 編集 |
                田口元義 = 文
10月6日、千葉ロッテマリーンズのホーム最終戦。
しかもこの日は、ただのホーム最終戦ではない。
ファンが愛してやまないボビー・バレンタイン監督の退団、
小宮山悟の引退セレモニーが試合後に行われる。

ただ、もしかしたら、何かが起きるかもしれない……と
雨に打たれ陰鬱になりながらも、
ファンはその「何か」を危惧していた。
球団も警備員を倍増させ、荷物チェックも慎重に行い、
場合によっては持ち物を没収する姿勢をとるなど厳戒態勢を敷く。

 ファン、関係者含め、「あの3日間」はそれほど強烈なものだった。

9月25日からのシーズン最後となる
週末のホーム3連戦で事件は起きた。

ライトスタンドに広がったチーム批判の横断幕。
 25日、いくつもの横断幕がライトスタンドを埋め尽くす。

「ファンは無視ですか?」

「フロントは責任とらないんですか?」

「改革の結果=Bクラス」

「つまらないシーズンをありがとう」

見ているこちらがビックリするほど誹謗中傷のオンパレード。
バレンタイン監督の契約解除の問題で、
球団の対応に納得できないファンのフラストレーションが大爆発した。

26日、さらに過激な内容になっていた
横断幕を目の当たりにした西岡剛は、お立ち台でファンに願い出た。

「僕たち選手は一生懸命プレーしています。
 (中略) 本当にロッテを愛しているのなら、
 明日から横断幕を下げてほしい」

このコメントが、一部のファンを逆なでした。
27日は西岡への集中砲火だ。

「二日酔いで試合サボり夢を語るスピードスター」

皮肉や冷やかし混じりの横断幕が掲げられ、
彼が打席に立つとライトスタンドの一角では、
応援拒否の沈黙やアウト・コールを鳴らすなどの行動が見られた。
また逆に、西岡を批判するファンに対してのブーイングや
怒号までが飛び交うようになり、球場は不穏な空気に包まれた。
西岡がこのゲームで走攻守にわたり活躍したにもかかわらず、
結局その嫌な流れはゲーム終了まで止むことはなかった。

バレンタイン監督は
「ロッテファンは世界一だと思っている」。  

試合後の監督室では、当然、この話題でもちきりとなった。
バレンタイン監督は言葉を選びながら、記者の質問に丁寧に答える。

「選手とファンの間に何があったのか分からないが、
 私たちは、千葉ロッテファンは世界一だと思っているし、
 26番目の選手として大切にしている。
 それでもリスペクトできない部分があるのなら、
 我々はもっと真剣にファンのことを考えていかなければならない」

そして、
「一連の横断幕は球団の責任?」の問いについてはこう話した。

「プロ野球を作る上でファンはとても大切。
我々は問題解決に努めてきたつもりだし声も聞いてきた。
それでももし、
言動に問題があったのだとすればみなさんから直接、
ファンに聞いてもらってはどうだろうか」
  
ホーム最終戦。球場でファンの声を拾ってみると……。  

だから、といってはなんだが、ファンの声を聞いた。
私設応援団と交流を持つ若い会社員は、
「あの横断幕はない」と、やや怒っていた。

「今のファンは『強いロッテ』しか知らないんです。
 ボビーをリスペクトしているのは分かるけど、
 僕らはチームを応援するために球場へ行っているわけですから。
 強くても弱くても一丸になってチームを応援する。
 それが本当のファンの姿」

川崎球場時代からロッテを熱烈に応援する自営業の中年男性は
「ファンの気持ちも分かる」と肯定的だ。

「27日はベニーの突然の退団表明にもびっくりしましたけど……
 試合途中から西岡選手の批判に気づきました。
 あそこまではやっちゃいけないと思いますけど、
 気持ちは分かりますよ。
 横断幕を作った人たちは、
 『自分たちは球団から無視された』と寂しかったんですよ、きっと」

横断幕にも西岡にも、チームを愛する「心」があった。  

批判の横断幕を掲げたファンを、新聞記事は
「心ない」と表現していたが、
あれだけ大きな横断幕を作製するにはかなりの時間がかかる。
そこには、「何かを伝えたい」という「心」が確かに存在しているはずだ。

西岡の問題にしても、批判する向きもあるが、
ほとんどが彼を擁護する優しいファンのようだった。
ここにももちろん心がある。

そして、西岡本人にも心がある。
WBC直後の言葉が何よりの証拠だ。

「僕にとっては千葉ロッテのユニフォームを着てプレーすることが
 一番大事なんです。
 そこでファンに認めてもらえて初めて日本代表になれるんやと思います」

代表選手になるならないの前に、まずチームのことを第一に想う。
千葉ロッテの選手にとって一流の証とは、
「ファンに認められる」ことなのだ。

ボビー勇退に際して、マリンスタジアムは一体感に包まれた。
10月6日は、結局、何も起こらなかった。
過激なファンが、
横断幕を警備員に没収されて騒ぎを起こすこともなかったし、
試合中に選手や球団を腕組み睥睨し、
罵声を浴びせることもなかった。

なんだかんだ言っても、
ファンはやっぱり千葉ロッテが大好きなのだ。
だからこそ、ボビー・バレンタインはセレモニーで、
こう力強く宣言したのだと思う。  


「これから私は千葉ロッテのファンです!」

来シーズン、チームの組閣は大きく変わる。
もしかしたら好成績は収められないかもしれない。
ただ、ボビーがファンでいてくれる限り、
あのような横断幕を目にすることは、もうないだろう。



常識が通用しない時代遅れの野球界
2009年10月12日 (月) | 編集 |
菊池雄星に、自由に夢を追わせたい!

                    中村計 = 文  


10月5日夕方、花巻東の菊池雄星が、高校で会見を開く。

国内球団か、メジャーか。

現段階でどこまで言及するかは不明だが、
9月8日にあるスポーツ紙が菊池が本気でメジャー行きを目指している
という記事を打ってから、
周囲への影響を考慮し、菊池は進路に関しては一切口をつぐんでいた。

 どちらに進むことになるにせよ、ひとつ、懸念がある。

メジャー志望を口にした場合、またしてもどこかに
「反逆児」のようなニュアンスを込めた見方をする者が
出てくるのではないかということだ。

 やれ日本の慣例をこわしただの、やれ大金になびいただの、と。

芸術、学問、料理……多くのジャンルで海外挑戦は非難されない。
本当に不思議だ。

野球の本場、アメリカでプレーすることを望むのが
そんなに悪いことなのだろうか。

その道を追求してきた人間が、
よりレベルの高い舞台でプレーすることを望むのは本能だ。

誰にも制御することはできない。

芸術の世界でも、料理の世界でも、学問の世界でも、
腕を磨こうと海を渡ったとして、
その挑戦を賞賛されることはあっても、
非難されることなどまずないだろう。

サッカーやバスケット、バレーボールなど、
他のメジャースポーツでは、そんなことはない。

 でも、野球界だけは例外なのだ。

 世間の常識が、野球界だけでは通用しない。

 いつごろからなのだろう。

野球界の組織やルールがあまりにも複雑化し過ぎてしまい、
夢を描きにくくなってしまったのは。

今の野球界に必要なのは、世間並みの「常識」。  

菊池が今回は国内球団を希望したとしても、
遅かれ早かれ、
高校球界のスターがそのままメジャー球団と契約する
というケースが現実になる日がくる。

 それに備え、急ぐべきなのは、流出を規制するルールではない。

もちろん、推奨する必要も、ことさらに応援する必要もない。
なんのことはない。
たとえ流出することになっても、
当たり前に送り出すことのできる「常識」を野球界にも植えつけることだ。
そして、その物差しではかった適正なルール改正を行うことだろう。

日本のプロ野球をメジャーに負けない魅力のある組織にするためにも、
それが遠いようで、いちばんの近道な気がする。

松坂クラスの菊池の投球を、メジャーで見たいのは当然だ。
それにしても先日の新潟国体を観戦し、改めて思った。

準々決勝、最終回だけマウンドに登った菊池は、
この夏の王者、中京大中京の4、5、6番を3者連続三振に切って取った。
ウイニングショットはいずれも真っ直ぐだった。

 やはりモノが違う。

ここおよそ10年でいえば、
松坂大輔(レッドソックス)、ダルビッシュ有(日本ハム)、
田中将大(楽天)と同等以上であることは間違いない。

一野球ファンという無責任な立場から言わせてもらうと、
あの菊池が早ければ来年、
メジャーのマウンドに立っているかもしれないという物語は、
考えただけでぞくぞくとするものがある。

 実現するかしないかは別として、
そんな夢を見ることさえできない野球界にしてはいけない。


    ~筆者プロフィール 中村計~

1973年千葉県出身。
ノンフィクションライター。
某スポーツ紙を経て独立。
『Number』(文藝春秋)、『スポルティーバ』(集英社)などで執筆。
『甲子園が割れた日 松井秀喜の5連続敬遠の真実』(新潮社)で
第18回(2007年度)ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。
他に『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)、
共著に『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)などがある。
『雪合戦マガジン』の編集長も務める。
趣味は、落語鑑賞と、バイクと、競艇。
きつい1年 声援が支え
2009年10月08日 (木) | 編集 |
日ハム 稲葉篤紀主将 手記より  


ヤクルト時代を含めたら6度目の優勝だけど、
一番きつかった。
主将を任され、勝ちたい、監督を胴上げしたいとの思いだけで、
やり切った感はある。

ワールド・ベースボール・クラッシック(WBC)に向けた準備を
昨年暮れから始め、本当に長く感じた1年だった。
最初は影響もないだろうと考えていたが、
精神的にも肉体的にも夏場以降、一気に来た。
体が軽いと感じた日はなかった。
9月には試合中、ふらふらして目の焦点が合わず、
途中交代したこともあった。
それでも逃げたくない、自分に負けたくない一心だった。

打撃でも打率、打点など数字こそ残っているが、
チャンスで打てない打席が続き、とても辛かった。
8月にインフルエンザが流行した時も、
体のだるさはみんな感じていたし、
士気も下がっているのを感じた。
『楽しくやろう』と練習では明るくやるが、
プレーボールがかかった途端に雰囲気が重くなった。
僕自身も『どうなっていくのか』と不安だった。

それだけに、ファンには本当に助けていただいた。
試合での表情から伝わったのか、
『一人で悩まないで』『笑顔が見たい』と寄せられた
励ましのメッセージを読んで、
改めてファンの力はすごいなと感じた。
試合終盤の逆転勝ちがこれほど多かったシーズンは
初めてだった。
『よう勝ったなあ』と話す日が続いたが、
みんなが勝敗のポイントをよく分かっていた。
ここぞという場面に点を取って守り勝つ野球ができていた。
坪井らがベンチで声を出して控え選手を引っ張ってくれ、
チームに溝がなく、一丸を改めて感じた。

札幌ドームでCSを戦うという目標はまず達成できた。
しかし昨年、西武とのCS第2ステージが僕の三振で
終わったことは忘れていない。
挑戦する気持ちで臨みたい。

                読売新聞より
頭かかえた4年前・・・成長実感『エルニーニョ打線』
2009年10月06日 (火) | 編集 |
10月5日付け サンケイスポーツ 『ノムラの考え』より
 ~3日のナイター 楽天Vs西武から~

≪特別寄稿≫

クライマックスシリーズ初進出を果たした
楽天・野村克也監督(74)が、
本紙に随時連載している評論『ノムラの考え』を特別寄稿した。
楽天はどう強くなったのか。
4年間の成長を余すところなくつづった。

<目標達成できた>  

目標にしていた「Aクラス」を達成できた。
当初、私は3年で達成したいと思っていた。
実際には4年かかった。
  
『石の上に3年 風雪5年』という。
私はこの言葉を
『3年間継続して努力し、なお2年間、風雪にさらされて
 辛抱して努力を続けなければ
 物事を成すことはできない』
という意味に理解している。
  

シーズン終盤。
相手のミスに付け込み、連打が続いてビックイニングになる-。
こんな試合が続いた。
『エルニーニョ』という言葉がひとり歩きしているようだが、
  
偶然の連打だけではない。
成長を感じることが多かった。
  

1日のソフトバンク戦がひとつの例だろう。
7回に3点を奪って逆転勝ちしたのだが、
3回に右中間本塁打を放っていた鉄平が、7回一死一塁、
  
カウント0-1からの外角球を大きく空いた三遊間へ打ち返した。
本来はA型(直球を待って変化球に対応する)の鉄平が、
2点ビハインドの走者一塁という状況、
カウントを見て、C型(打つ方向を決める)で対応した。
打つまでの『備え』ができていた。
  

『技術には限界がある』―。
これが私の考えの根本にある。
だから備える。
  
難しい注文ではなく、相手の持つ変化球に
Aでついていけないのであれば、B、C、Dを使い分けなければ
ならない。
  


楽天の選手を初めて見た4年前。
A型だらけの打線に驚いた。
プロとして高いとはいえない技術、能力に頼り
『来た球を打つ』だけでは、好投手に対応できない・・・。
頭を抱えたことを思い出した。
  


私は自分の『目』で確認しながらやってきた。
人つくりに必要なものは、まず人を見抜く目であり、
次に我慢と忍耐である。
いい場面で打てず、凡打してベントに戻る。
悔しい顔をして帰ってくる選手の『その後を見る』のである。
どうやって凡打を、自分の欠点を穴埋めするのか。
それが見える選手ならば、私も我慢して使い続けることができる。
  


今の日本を見ると、
『便利は弱い』と痛いほど感じる。
便利なものが売れて、弱いものが消えていく。
人間が育たない。
育つまで待ってくれない。
  
そんな時代、人間形成に役立つのは、
野球を始めとするスポーツだけだ。
だから私は『努力するチームをつくりたい』と
訴え続けてきた。
練習量にはまだ不満だが、方向性は示せつつある、
と感じている。
  


<負けず嫌いの血>  

『石の上に3年、風雪5年』―。
『あと1年あれば』の思いはある。
ただし、クライマックスシリーズから始まる短期決戦は、
人づくりとは無縁の勝負の舞台だ。
私の体の中には、負けず嫌いの血が流れている。
その気迫と備えで戦うつもりである。
  

             (楽天ゴールデンイーグルス監督)


【打者の対応型】

野村監督は、打席での打者の対応を以下の4タイプに
分けて分析している。

[A型] 特にヤマを張らず、直球に重点を置きながら
    変化球にも対応しようとするタイプ。

[B型] 内角球か外角球か、狙う球のコースを
    どちらかに絞り込むタイプ。

[C型] 打つ方向を、右方向か左方向かに決めるタイプ。

[D型] 直球か変化球か、球種にヤマを張るタイプ。


 【ノムラの考え】

正式には『野村の考え』。
多忙な現役、監督生活で愛息・克則(現楽天バッテリーコーチ)
との時間がとれず、
『遊園地に連れて行ってほしかった』と寂しがっていたのを聞き、
『せめて野球で生活したいと希望する息子に
 何か残してやりたい』と自らの野球理論の文章化を
思い立った。
ヤクルト監督の末期から、阪神監督時代をへて、
現在も書き続けている。
『“野村の考え”は永久に未完成。だから私はユニホームへの
 執着を捨てきれず、楽天の監督になったとも言える』と
就任時に話した。
阪神監督時代に配布した“極秘資料”が、
その後プロ・アマ問わず野球関係者に流出したこともある。
 
おかわり君を開眼させた1本のホームラン
2009年10月05日 (月) | 編集 |
~松井秀喜もかつて通った道~  

                           鷲田康 = 文  

9月16日(日本時間同17日)のヤンキースタジアム記者会見場。

この日のトロント・ブルージェイズ戦に5対4で
サヨナラ勝ちを収めたヤンキース、
ジョー・ジラルディ監督の会見での出来事だった。

8回に左腕・ダウンズから起死回生の
同点2ランを放った松井秀喜外野手に関する質問が飛んだ。

「彼は日本で多くの左投手とも対戦して経験を積んでいる。
 相手投手の左右を苦にしないのは監督として心強い」

指揮官がこう答えると会見の司会役を務める
ジェイソン・ジロー広報部長が、ニヤッと笑った。

「いまイサオがクビを振っていたから、
 彼はそうは思っていないようだ」

松井の広報として日米のメディアを仕切っている
広岡勲広報の方を指差し、
こんなことを言うと会見場は爆笑に包まれた。

松井秀喜を成長させたのは、“松井キラー”の左腕投手だった。
「フッと遠山のことを思い出したんですよ」

会見が終わると広岡広報は首を振った事情をこう説明した。

遠山とは阪神タイガースで“松井キラー”といわれた
左腕・遠山奨志投手のことだった。

当時の野村克也監督(現楽天監督)に
「シュートを投げろ」と言われ、
外角に逃げるスライダーとのコンビネーションで
一躍左キラーとなった。
1999年には松井を13打数ノーヒットに抑え、
松井に「顔を見るのも嫌だ」と嘆かせた投手だった。

「でもあの年だけだよ。打てなかったのは!」

そんな広岡広報の言葉に反論したのが松井本人だった。

左投手の変化球に対していかにして
肩を開かずに溜めて打てるか。
これを契機に分かっていても、
なかなか出来ない左腕対策に必死で取り組んだ。
苦手との対戦が、松井を成長させるきっかけとなったのだ。  


西武・中村剛也を開眼させたオリックス・香月良太。
おかわり君こと西武の中村剛也内野手が一皮剥けたといわれる。

ホームランダービーのトップを快走していた8月26日に
左太ももの故障で登録抹消されたが、
9月10日の復帰戦で37号を放つなど故障の影響はない。
日本人としては久々の50発の大台への可能性も残している。

そんな中村を開眼させたのが、
実はオリックスの香月良太投手だというのは、
あまり知られていない。   


<内角に意識を置いて、外角を打つ─弱点を克服した中村>  

「あのホームランで考え方が変わりました」

中村が振り返ったのは7月22日のオリックス戦の8回、
香月から放った右中間への31号本塁打だった。

もともと内角に弱点があるといわれる中村にとって
鋭いシュートを武器にする香月は、
対応の難しい投手の一人だった。

「どうしてもシュートに意識がいくと
 外のスライダーに対応できないような気がする。
 でも、あれだけえげつないシュートを投げられると、
 内角を意識しないわけにはいかないんです」

その日もシュートを意識しながら打席に立っていたが、
来たのは外角へのスライダーだった。

「自然にバットが出て逆らわずに
 ボールを右方向に打ち返せたんですよね」

外角寄りの球でも強引に巻き込んで左方向へ打つ。
むしろ甘い外寄りのボールの方が踏み込んで
腕が目一杯伸びる分だけホームランにしやすい。
外角は得意なコースだった。

ただ、内角に意識を置かなければならない投手の場合は、
意識が分散される分だけ外のボールへの踏み込みが
甘くなってしまうのがジレンマだった。
それを引っ張りにいくと、引っ掛けてゴロになるか、
ラインドライブがかかってしまう。

だが、香月から放った右方向への本塁打で意識は変わった。

「得意なコースっていうのは、意識しないでも打てる。
 自然にバットが出て、
 逆らわずにボールを打ち返せば本塁打になるということです。
 そういう意識で待てるようになったのが一つのポイントでした」

苦手投手の存在が打者を成長させる。
香月のような投手のときには徹底的に内角に意識を置く。
それで外角に来ても、
得意なコースには体が自然に反応してバットも出るから対応できる。

「今は意識しないでも左肩が開かないで
 ボールを拾えるようになっている。
 むしろ左投手の方が溜まって打てるぐらいだよ」

 松井もこう解説した。

内角を徹底して待てる分だけ、
中村も本塁打にできるコースの幅は広がった。

香月という苦手の存在が、
おかわり君をさらに成長させるきっかけとなったわけだ。




    ≪ 筆者プロフィール ~ 鷲田康  ≫  

1957年埼玉県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。
およそ10年にわたり読売ジャイアンツ取材に携わった。
2003年に独立。
日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、
Numberほか雑誌・新聞で活躍。
著書に『僕のメジャー日記 松井秀喜』(文藝春秋)、
『ホームラン術』(文春新書)がある。