日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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マドン監督と須藤氏
2009年05月31日 (日) | 編集 |
サンケイスポーツ 『アナザーストーリー'08'~09』より

米紙のコラムニストから先日、著書を贈られた。
サインに添えて、こう書かれていた。
『野球の素晴らしさのひとつは、日本の友人が増えることだ』―。
昨年9月末にもレイズのジョー・マドン監督が
同じことを言っていた。


きっかけは1枚のファックス。
大洋(現横浜)の元監督・須藤豊氏から
ア・リーグ東地区初制覇の祝福メッセージが届いたことを知り、
意外な関係について取材したことだった。


2人の出会いは1986年までさかのぼる。
当時の須藤氏は巨人の2軍監督で、桑田ら有望な若手を
連れて渡米。
2Aの指導者だったマドン監督率いるエンゼルスの若手と、
アリゾナ州で行われた秋季教育リーグで
熱戦を繰り広げたという。

22年前といえば、野茂もドジャースに入団していない。
米大リーグでは日本野球のレベルが低く見られていたが、
マドン監督は違った。

『ミスター・スドーは基本と礼儀を重んじる指導者。
 情熱的で、参考になることもあった』と
懐かしそうに語りながら、直立不動の姿勢から一礼。
“鬼軍曹”と呼ばれた須藤氏のマネで披露してくれた。

一方の須藤氏は国際電話でこう述懐する。
『当時から守備と走塁がしっかりしていて、
 キビキビとしたチームを作っていた。
 岩村も言っていたが、一塁への全力疾走など
 当たり前のことを きちんとするのが難しい。
 まだ日本の野球は米国から学ぶべきことがある』―。

マドン監督のエンゼルスベンチコーチ時代には、
キャンプのメニューを譲ってもらったこともあったそうだ。

須藤氏とマドン監督―。
意外な関係だが、性格や経歴には共通点も多い。
アリゾナでの真剣勝負を通じて、互いの人生観ならぬ野球観で
共感できたのだろう。
今でも続く2人の親交は、国や言葉の壁を越える
野球の素晴らしさを物語っている。

                           田代学氏

マドン監督は日本人的な思考の持ち主のようです。
マドン監督の良さは須藤さんは元より岩村選手の心も
捉えて逃がさなかったのでしょう。
その岩村選手がケガの為、今シーズン出場できません。
このブログに足を運んで下さる方々、
どうか岩村選手へ激励のメッセージを送ってパワーを届けて下さい!!
宜しくお願い致します
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マドン監督は愛読書で『直感』磨く
2009年05月29日 (金) | 編集 |
サンケイスポーツ 『アナザーストーリー'08~'09』より

新人記者時代に頂いた助言を今でも思い出す。
『担当球団の監督や選手と同じ趣味を持て』―。
野球以外で共通の話題が出来れば監督や選手との距離を
縮めやすいし、グラウンドでは見せない一面や
性格が分かることがあるからだと教えられた。
  

愛読書でも同じことが言える。
一昨季、お荷物球団だったレイズを初めて
ワールドシリーズに導いたジョー・マドン監督(54)に
聞いてみた。
有名な経営者や他競技の名指導者の著書を挙げる
米大リーグの監督が多い中、
読書家の知将らしく選手にも勧めているという
ユニークな一冊を紹介してくれた。
  
題名は『blink』(マルコム・グラッドゥエル薯)。
通常の『まばたき』という意味ではなく、
この本の内容では『直感』とか『第六感』が適訳だろう。
ネタばれになるので詳細は明かせないが、
『ひらめき』に関して興味深い実例が多く
挙げられていた。
  

野球に限らずスポーツではセオリーやデーターが重要だ。
最近は、その傾向が顕著になっているが、
試合では瞬時の判断を必要とされる場面が何度もある。
実際は、ほんの数秒の間にあった
『直感』や『ひらめき』が勝負を左右していることも多い。
  

一昨季のプレーオフで奇策といわれた
『内野5人シフト』や『新人左腕のクローザー抜擢』も
マドン監督の『勝負勘』が大舞台で働いたのではないか。

マイナー時代から27年に及ぶ指導者経験の中で磨いてきた
直感―。
データー偏重と思っていたマドン采配への見方が変わった。
  

この本は日本でも第1感ー最初の2秒のなんとなくが正しい
(光文社)という題名で入手可能。  
レイズやマドン監督、大リーグに興味のない読者の方にも
お薦めできる。
  
瞬時の判断を求められるのは野球の世界だけではないから。
                              
                                   田代学氏


レイズ・岩村明憲選手がケガの為、
今シーズン絶望という記事は皆さんもご承知だと思います。
昨シーズンからワールドシリーズを戦い抜き、
日本へ帰国後も多忙なスケジュールの中、
テレビ出演などをこなし、年明けには自主トレ。
WBCへ召集されイチロー選手と共にチームを牽引し、
連覇を果たした後、すぐにシーズン突入。
休む暇なく取り組んできました。
ここまで順調だったところでの戦線離脱。
本人が一番苦渋の思いをしています。
このブログに足を運んで下さるみなさんで
岩村選手に励ましのエールを送って下さる方は
是非、アクセスして言葉を投げかけて下さい!!
このブログでも岩村選手をこれからも応援していき
見守り続けていきたいと思います!!

岩村明憲 後援会公式サイト
ひじや肩 使いすぎに注意
2009年05月28日 (木) | 編集 |
スポーツのやり方を間違えると、
故障して運動が制限されるだけでなく、
日常生活に支障が出ることもある。
子どもの間で目立つのは、野球ではひじと肩、
サッカーではひざやすね、かかとの故障だ。
子どものスポーツ障害の問題に取り組んできた
東京厚生年金病院(東京)の整形外科部長、
柏口新二さんによると、

成長期の骨には新芽があり、そこが傷つきやすい。  

『指導者、保護者は、子どもがスポーツをすることの
 「リスク」も考えてほしい』としたうえで、
保護者にもできる体のSOSチェック法を教えてくれた。


例えば、ひじ。
手のひらを上に、左右の両腕を前に伸ばし、
ひじを曲げ伸ばして左右の角度を見る。
どちらか一方が肩につかない、伸びきらない場合は要注意。
  
専門家に診てもらった方がいい。
『子どもの場合、痛みがすぐになくなり、大したことないと判断し、
 手遅れになりがち』と、柏口さんは注意を促す。


次に、予防するにはどんな方法があるのか。
『国立スポーツ科学センター』(東京)の整形外科医、
奥脇透さんは、
  
『障害の原因を取り除くこと』とアドバイスする。
多くのスポーツに共通する障害の原因は、
特定の部位を偏って使うことにあり、休養はもちろんだが、
少年野球の投手でいえば、球数の制限も必要になる。
  

また、運動する前はウォーミングアップやストレッチで
体を温めて関節や筋肉を動きやすくし、運動後は、
肩、ひじ、ひざなど故障が起こりそうな箇所を触って
痛みがあるかどうかを確認することも大切だ。
体温、脈拍数、体重をチェックすることで、
体の内部の変化にも目を配りたい。
  

見過ごされがちだが、日頃の姿勢も大事だ。
日常生活からの体の一部に負担をかけ続けていれば、
運動で負担が加わることでケガにつながる恐れもあるからだ。
立つ時は、あごを引いて胸を張る。
お腹を締める。
足指で地面をつかむ。
イスに座る時も背筋を伸ばすようにする。
『小さい頃から歯磨きのように体の手入れを習慣づけてほしい』と、
奥脇さんは話している。


                      読売新聞 『くらし 学び』
                             ~健康プラス~より  

~ケガの予防策4か条~

①故障のリスクを知ろう
②偏った使い方を避ける
③運動後に必ず体を点検
④日頃からよい姿勢で
  


息子も小5の時、ひじを痛めてしまい、
その頃から上の予防策に今でも取り組んでいます。
ケガを恐れるのではなく、自分で意識し普段からケアをする、
大切なことです。
長く野球に関わりたいのなら、自分へのメンテナンスに
こだわりなさい、と うちでは話しています。
『本気』見せれば道開ける
2009年05月27日 (水) | 編集 |
読売新聞 『オンの才能 オフの達人』より
今回は漫画家・神戸芸術工科大教授の
安彦良和さんのコラムを紹介します。


~今やロボットアニメの代名詞ともなった
  『機動戦士ガンダム』。
  キャラクターデザインを担当した安彦さんの描く、
  ギリシャ彫刻のような端正で華麗なタッチは、
  初放送から30年たった今も多くのファンを引き付ける。
  現在、月間ガンダムエース(角川書店)に
  『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』を連載。
  アニメで触れられなかった部分にも光を当て、
  物語の再構築に取り組んでいる。~


子供の頃から絵を書くのが好きで、
漫画家にも憧れはありましたが、
早々に諦め、学校の先生を目指して弘前大学へ進学しました。
しかし、学生運動に巻き込まれて首になり、
やむなく、職を求めて上京しました。
ある日、新聞の求人広告欄を眺めていると、
手塚治虫さんが作ったアニメ制作会社
『虫プロダクション』がアニメーターを募集していました。
当時、アニメに興味は全くありませんでしたが、
マッチのラベル用に絵を描いてお金をもらった経験があり、
『絵を描く仕事ならできそうだ』と、この業界に飛び込みました。


アニメーターというと、今日では長時間低賃金労働が指摘
されていますが、虫プロには正社員として入社し、
ボーナスも出たので、待遇に不満はありませんでした。
ただし、虫プロは3年後にオイルショックの影響で倒産し、
以後はフリーになりました。
むしろ仕事の内容の方が不満で、
上から言われるまま同じような絵を何枚も描いていくのは、
非情に苦痛でした。


『自分で考えた、独創的な作品を描きたい』―。
と言う思いは日に日に強くなります。
  
まずは、つまらない現状を打開しようと、
1ヶ月分の作画の仕事を3週間で終わらせ、
1週間空いてることを監督らにアピールし、
アニメの設計図にあたる絵コンテを描かせてもらいました。
必然的に演出に関与できるので、
仕事も面白くなりました。
  
嫌な仕事から逃げるのではなく、常に手を動かしていれば、
仕事の幅が広がり、
やりたい仕事に近づけると思います。
  


現在、大学でアニメ制作の基礎を教えていますが、
学生達を見ていると、
  
『やりたいことと違う』といって課題を提出しないなど、
ハングリーさが感じられない傾向があります。
  
やりたい仕事をやるまでには長いプロセスがあり、
地道にスキルアップしていかないと、
仕事を割り当てる上司も振り向いてくれません。
上の人間にアピールするには、
まず本気であることを見せないと。
本気なら、多少下手でも評価され、道が歩けるものです。
誰もが生き残れる業界ではないので、
学生たちには、いい意味で人を出し抜くことも
学んでほしいと思います。



夢追う男にサービスデー
2009年05月26日 (火) | 編集 |
先週木曜日(21日)の夕刊に、
伊良部秀輝さん(40)のほころぶ笑顔があった。
2面スポーツ欄。
かつて剛速球投手が5年のブランクを経て、
球界復帰するという。
今度の舞台は米独立リーグ。
新しいユニホームを前にかざして、なごやかに写真に
納まっているのを見て、
随分印象が変わったなあと思った。



無愛想と仏頂面がトレードマークだった人が、
なぜこうなるのか。

記事によると、引退の原因となったひざの痛みはまだあるが、
阪神の投手に指導を頼まれ、教えているうちに、
ひょうんなことから、ひざに負担がかからないフォームを
見つけたという。
で、草野球を始めたところ、球速はたちまち145㌔まで
回復したそうだ。

こんな思いがけないことがあっては、
朗らかにならないわけにはいかない。
いかに伊良部さんといえど。



直木賞作家の朱川湊人さんの著書に、
『本日、サービスデー』(光文社)という小説がある。
地球上の人間すべてに神様が一生に1日だけ、
何でも願いのかなう日を与えるという物語だ。
ただし、サービスデーは本人には伝えられない。
だから、何も望まない人は何事もなくその日が過ぎていく。
願望がかなったとしても、
いつもは無愛想な立ち食いそば屋の青年が、
その日はなぜか満面の笑みで『はい、これ』と
コロッケをどんぶりに入れてくれる程度。
サービスデーが来ていることなど、
特別な事がない限り分からない。



伊良部さんにとって、『その日』は
きっとサービスデーだったのだろう。

何かを願い、夢見る気持ちが続いていたからこそ、
幸運をつかまえられたのではないか。
いじけて感受性の扉を閉ざしていたら、
運が来ていることすら気付かない。

サービスデーの贈り物は、
それこそコロッケ一つだったかもしれない。



『最近の若い人は志が低いんだよ』―。
保険会社の人事部にいる友人が最近、こんな心配をしていた。
20代の社員に明確な目標を持たせるため、
何かいい研修ができないかと言う。
その時は聞いただけだったが、
余計なお世話というものだろう。

人に教えてもらったような夢は夢ではない。


まあ、若いと失敗もし、怒られたりもする。
でも、元気がなくなったら自分の心の中に
希望を探してみよう。
その日がたまたまサービスデーだったりして。


               読売新聞 『NEWSなおにぎり』より
                             清水純一氏

なんか、心温まるお話しです。
強く願い信じていれば、絶対願いは叶う!!
と、いつも思っている単純な私なので・・・。
その為には日頃から、『気づき』が必要です。
その願いを叶えるために今、何をしたらいいのか、
そう考え日々、人の話に耳を傾ける努力を
自分なりにしています。
忘れないように、ブログに書いたりもします。
勇汰のサービスデーに間に合うように、
母は出来る限りのサポートをしていきますよ!!

世はエコ時代 使い捨て見直し
2009年05月25日 (月) | 編集 |
プロ野球の各球場から、ファンによるジェット風船飛ばしが
消えようとしている。
京セラドームが真っ先に中止を決断し、
ヤフードーム、マツダスタジアム・・・。
日本最大のスケールを誇る甲子園球場の風船飛ばしも今後、
風船販売から自粛していくことが先日、
阪神球団から発表された。


新型インフルエンザの2次感染拡大を防ぐ意味でも、
当然の措置だろうし、これだけ国内各地から
感染者が現れている現状を考えると、当分、
復活の声も出せない状況になるのでは。
ただ、各球団の収入という観点で見たとき、
ジェット風船販売の停止は、大きな減収となるようだ。


阪神営業担当者に以前、聞いたことがあるのだが、
1試合での風船売り上げは200万円以上。
ソフトバンク担当者の話でも150万円から200万円が
入ってくるという。
この風船、1回飛ばせば、その場限りで、再使用は不可能。
次に球場に来れば再び購入することになる。
こんなボロい商売はない。


しかも、ファンにとっては今や、この風船飛ばしが
野球観戦の楽しみの一つとして定着している。
マツダスタジアムは、球場フェンスを越えて隣接するJR線路内に
飛び込まないように、と飛距離の短い
(要するにあまり飛ばない)新型風船まで作って、
ファンのニーズに応えているほど。


ただ世はエコ時代。
大量のゴム製品の“使い捨て”は、
時代の流れに真っ向逆らう行動ではあるのだ。
各球団もそんなことは承知していても『ファンの要望』という
“錦の御旗”のもと、
目先の日銭を集めてきた。後ろめたさを感じつつ・・・。
ちょうどよい機会だ。
風船飛ばしに代わる、エコ時代に即した新たな応援を考えても
いいのではないか。


                 サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                              上田雅昭氏
内藤選手 拳だけじゃない
2009年05月22日 (金) | 編集 |
内藤選手は1996年にデビュー。
2007年7月に世界王座をつかんだ時は、
さほど騒がれなかったが、
同年10月の防衛戦で亀田大毅選手を破って、
一躍人気者になった。
昨年3試合の視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区)は、
26.3%、24.7%、25.6%。
中継したTBSの年間視聴率トップ3を独占する人気ぶりだった。

『内藤人気』の背景のひとつに、
彼の生い立ちがある。
母子家庭で育ち、思春期は いじめに遭っていた。
TBSの磯崎裕啓プロデューサーは、
『(内藤戦は)子供や主婦層が多く見ているのが特徴』
と指摘。
実際、いじめに悩む子供がボクシングジムの門をたたく例も
増えており、
元世界王者の大橋秀行・東日本ボクシング協会会長は、
『いじめに遭っている全国の人々に勇気を与えた』と
話している。


人柄も人気の要素だ。
『礼儀や謙虚さを説けるアスリート』と磯崎プロデューサー。
北海道弁の素朴な語り口は、人間味あふれる。
若い頃に、派遣社員として契約を切られた経験もあるといい、
反則行為をした大毅選手が謝罪へ訪れた際には、
『お互い頑張ろう』と励ます寛容さを見せた。
ボクシングファンのコラムニスト、勝谷誠彦さんは、
『内藤選手は、強さと優しさを備えた武士のよう。
 人々が失われた理想の日本人像を(内藤選手に)
 見ているからでは』と人気を分析する。


強さを誇示する亀田兄弟が席巻した05~06年ごろは、
IT長者など『勝ち組』を持てはやすムードが漂っていた。
しかし、その後、格差問題が深刻化。
弱者への配慮など日本古来の美徳も見直される中、
内藤選手は『時代の申し子』(勝谷さん)として、
大衆の心をとらえているのかもしれない。


野木丈司トレーナーは
『意欲がある限り、体力的には38歳までやれる』と
太鼓判を押す。
人気と王座防衛は、どこまで続くか。

                   読売新聞 『気になる!』より
                               新田哲史氏
命の大切さ説いて回る
2009年05月20日 (水) | 編集 |
聖路加国際病院の内科医としてスタートし、
終末期医療の普及や看護教育に尽力してきた
聖路加国際病院理事長・日野原重明さん(97)。
75歳以上の元気で自立した人々を募った『新老人会』では、
いきいきと働く『新老人』を自ら実践。
97歳の現在も現役医師として活躍する傍ら、
産科医の充実、医学教育制度の改革など、
医療の抱える様々な問題の解決に力を注いでいる。
  



日野原重明氏)
私は毎朝目覚めると、5月の風を額に受けているような
すがすがしさを感じます。
睡眠は10年前から5時間ほどですが、
眠りが深いので、短くても充実している。
健康は気持ちの持ち方も大きいですね。
  


戦時中の物がない時代は、お米を少し分けてもらうだけでも
感謝の気持ちで満たされました。
  
私は、病気で寝たきりになったり、
よど号ハイジャック事件に遭遇したりするなど、
辛い経験をしてきました。
  
人は試練にあうと、自分よりもっと辛い人のことを思うことで、
それに耐えることができ、耐えることで『感性』が育まれる。
ちょっとした優しさに感謝したり、人に仕える気持ちが
出てくるのです。
今のような平和の時代は、皆、
自分の事だけしか考えていない。
もっと人のことを思いやるべきです。
  


日本が憲法でうたった平和を、
将来の日本を担う子ども達の手で守ってほしい。
そのメッセージを伝えるのが自分の使命だと思います。
だからこそ、どんなに忙しくても、毎週のように小学校で
『いのちの授業』を行い、命の大切さを説いて回っています。
  
医者を目指したのは、10歳の頃、
尿毒症で死にかけた母を救ってくれた先生のように
なりたかったからです。
そして、薬もなくマラリアが広がるアフリカで医療活動を続けた
シュバイツァー博士の伝記を読んだことがきっかけです。
  


現在、東京の出生率は0.9。
このままでは、30年後に日本の人口は大幅に減ってしまいます。
東京・中央区でお産ができるのは、聖路加国際病院だけ。
産院もありません。
そこで、聖路加では、病院の敷地内に産科医院を別々に作り、
それが一段落したら、熱を出した子供も引き受ける
育児所を作ります。
共働きの親でも安心して預けられる場所があれば、
フランスのように、中央区が世界に誇る育児モデルケースにも
なり得ます。


もう一つは、医学教育の改革です。  
日本で医師を目指すのは『使命感』からではなく、
偏差値が高いと『医学部を受験しなさい』と勧められるから。
明確な動機付けがないから、入学しても勉強しなくなります。
  
一方、アメリカでは、社会人を1,2年経験した後、
どうしても医師になりたい人が受験し、
真剣に学びながらローンで学費を返済している。
この制度を輸入し、現状の6年制ではなく、
4年の大学卒業後、4年の制度にし、
使命感と、広く教養を持った人に医師を目指してもらえる
システムを作りたいと思っています。
  

聖路加看護大学で4年間勉強した後、産科、麻酔科、
小児科などを専門的に学べる2年の修士コースを作る
準備中です。
これまで医師がやっていた診断と治療をナースが
ある程度できるようにするものです。


土日の休みはありませんが、
仕事することがストレス解消です。
自分のビジョンや計画がだんだん目に見えてくるのですから、
うれしいですよ。
仕事のダイアリーは、4年先までスケジュールがいっぱい。
手帳を見るとわくわくします。

                           (談)
引いてみるのも勇気
2009年05月19日 (火) | 編集 |
読売新聞  ~『松井秀喜 09』~ より


意地を張るかどうか、選択に迫られた。
12日のブルージェイズ戦(トロント)。
二回の第1打席で三ゴロを内野安打にしようと、
今季一番の全力疾走。
途中で、右太ももの裏側が悲鳴を上げた。
  
『少し、つったような感じになった』―。
ブレーキを解いて懸命に走ったのは、
手術明けの左ひざが回復してきたからこそ。
なんとも皮肉な結果になった。
  

ベンチへ戻ると、異変には誰も気づいていない。
全力疾走は、首脳陣に対してひざの回復のアピールとなり、
守備練習の解禁から、先発での左翼出場へとつながっていく。
  

だが、ももの違和感を放置する事は後戻りにもなりかねない。
悩んだ末に結論を出した。
『“あの時”のことがあったし、ここは人工芝だから』―。
無理をした記憶がよみがえった。
  
2年前の4月7日、同じ二回。
捕ゴロで一塁にダッシュした時に、左太もも裏を痛めた。
だがその後、気温4度の中で守備につき、
結局は軽度の肉離れによる15日間の故障者リスト入り。
我慢が傷口を広げた。
今回は指名打者だが、トロントは、足腰に負担の大きい人工芝だ―。
  

『印象が悪くなったとしても仕方ない。
 続けて出て、大きなケガにつながる方が、
 よっぽど迷惑をかける』―。
次打者の打席後にトレーナーに申告。
第2打席で代打が送られた。
  

ひざに加え、新たに、不安な部位を伝えたことになる。
しかし、左手首、右ひざ、左ひざと3年連続の故障で
戦線を離脱した苦い経験から、たとえ、
目先の守備の機会が遠のくとしても、
1年という長い目でプレーするための道を選んだ。
  

『試合に出たいがために、選手は正直に言わないものだが、
 よく言ってくれた』―。
ジラルディ監督が褒めた勇気ある撤退。
幸い、経過は順調で、2日後には決勝のソロ本塁打。
6月下旬には守備につけそうだ。
  

『ここまで学んできたから』―。
来月35歳の松井は言う。
かつて頑丈ボディーは数々の痛みに耐え抜いた。
その中で、大局を見る目を養いつつある。
  

                             ~小金沢智~  



野球選手に必要不可欠『ランニング』
2009年05月17日 (日) | 編集 |
赤ヘル軍団のエースとして活躍した川口和久さんから
聞いた話がある。
川口さんがまだ若かった頃、広島には今のような
きちっとした室内練習場がなかった。
そのため、雨が降るとコーチから
『一日中走っとけ!』と命じられたという。
梅雨になると当然、
『走っとけ!』の回数は多くなる。
『朝、目が覚めるとまず窓を開けて
 空を見上げるのが日課だった』という。
  
しかし、
『そのランニングが夏場になると生きるんだよね。
 梅雨の時にみっちり走った年は、夏バテしないし、
 フォームも安定して投球内容も良くなる。
 しんどいけど、やっぱり走ることは大事なんだよ』―。
  


野球選手にとってランニングは、単に体力をつけるだけの
ためではない。
下半身をしっかり作ることでフォームが崩れなくなる。
逆に言えば走れなくなった選手は、
選手生命の危機にさらされるということでもある。
  


松井秀がまた足の違和感で試合を欠場した。
右太もも裏の軽い張りで、深刻なものではないとはいう。
ただ、ひざの手術でただでさえランニング量が減っている中での
足の故障は、症状以上に今季の松井秀に影響を与えるかも
しれない。

『足を故障すると、全力でプレーできないこともあるけど、
 練習で走り込んで下半身の切れがつけられないのが
 一番響く』―。
実は松井秀自身も、こう吐露したことがある。
  

2005年に右足首を捻挫した時だ。
当時は連続試合出場がかかっていたため、
故障を押してグラウンドには立った。
だが、まともにランニングができなかった影響は、
体ではなく打撃技術に大きな影響を落とした。
  
ようやくひざの状態も上向いてきた中での今回の太ももの張り。  
『悲しいかな、走れなくなって、走ることの大切さを
 痛感しているよ』―。
  
今年の自主トレで松井秀がこぼした一言が妙に気にかかる。

              サンケイスポーツ 『球界インサイドリポートより』
                                   鷲田康氏
東都の盛り上がりは『巨』
2009年05月15日 (金) | 編集 |
東浜巨には驚くばかりだ。
読みは『ひがしはま・なお』。
沖縄尚学高時代の去年のセンバツで、
あどけない顔をした優勝投手として記憶には刻まれてはいたが、
東都大学野球の亜大に進んでルーキーながらリーグ戦で、
いきなり3連続完封。
さらに12日の立正大1回戦では初失点したものの
完投で4連勝した。
名前通りやることも『巨』だ。


同じ神宮球場を使う東京六大学に比べて地味な東都だが、
12日には普段めったに来ないテレビも5社取材に集まり、
テレビ用の会見もセットされたとか。
マスクの良さは同じでも入学前から大騒ぎされた
早大・斉藤佑樹と違って、
1試合ごとに注目度が積み重なってのフィーバーだ。


亜大時代、通算35勝している大先輩の
ヤクルト宮本賢治スカウトは言う。
『ゆっくりと左足を振り上げたとき、頭から軸足まで一直線になって
 重心を受け止め、勢いではなく、重心を確認してから投げる。
 それだけ制球力がありボールに力がある。
 すごい後輩が出てきたもので、
 1季最低5勝として通算40勝は確実だろう』―。


神宮は水曜日まで六大学に優先権があり、
火水と日程を組んでも六大学次第では雨でもないのに
順延になるのが東都の宿命。
実力伯仲の上、スライドを何度も経験し、
雑草のようにたくましい投手を輩出するのも東都だ。半面、
『入替戦のある最下位を避けるため、堅い投球に走って
 伸び悩むケースもある』(宮本氏)という。


今は余計なことを考えずにノビノビ投げている感じの東浜だが、
これからは他校が細かく研究してくる。
さらに本当のエースになった時、
どんなピッチングをするか。
戦国東都の荒波にもまれ、どう成長するか、
楽しみに見守りたい。

                   サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                                   今村忠氏
ヒルマン監督流“和洋折衷”
2009年05月14日 (木) | 編集 |
昨季ア・リーグ中地区4位に終わったロイヤルズが、
今季は地区首位を争っている。
6勝1敗の若手右腕・グリンキーの成長なども挙げられているが、
快進撃の最大の要因は、
日本ハムから移籍2年目を迎えたヒルマン監督の手腕だろう。


大リーグ関係者の間では、今春キャンプ前から
同監督の変身ぶりが話題になっていた。
テキサス州リバティーヒルにある自宅の敷地6エーカー
(約2万4000平方㍍)の半分を人工芝の内野グランドに改造。
1月に内野手8人による自主トレを行ったからだ。

『自主参加といっても、実際は選手を自宅に呼んでの
 ミニキャンプ。
 こんなことは初めてだ』とは
地元紙『カンザスシティー・スター』でロイヤルズを87年から
取材しているボブ・ダットン記者。
日本では巨人時代の松井秀が、長嶋監督(当時の)の自宅で
指導を受けるなど珍しい話しではないが、
シーズン中とオフ、グラウンド内と私生活を区別する大リーグでは、
監督の自宅での自主トレは前代未聞だ。
(日本には、それだけ広大な敷地を持つ監督もいないが・・・)

『ゴロや併殺の練習など基本的なプレーの確認をしたいだけ』と
同監督は地元紙に語っているが、
日本流の自主トレ効果で内野の守備は改善されたようだ。

昨季は失策数と守備率でともにア・リーグ7位だったが、
今季は30試合終了時点でともに同4位。
奪った併殺数は同8位から2位に増えた。

内野の守備からチームを再建。
2年目のヒルマン監督が率いるロイヤルズは、
簡単に崩れそうもない。


            サンケイスポーツ 『MLBプレスルーム』より
                      大リーグ担当 田代学氏
病気の子には笑顔で
2009年05月13日 (水) | 編集 |
急性骨髄性白血病で2005年11月に亡くなった
歌手で女優の本田美奈子(本名・工藤美奈子)さんの母、
工藤美枝子さん(68)は、
美奈子さんの入院直後から日記をつけ始めました。
美奈子さんの様子を綴り、日々の支えにしました。
治ると信じ、美奈子さんの前では笑顔を心掛けました。
                      (読売新聞・ケアノートより)


美奈子は白血病の告知を受けてから、10ヶ月で亡くなりました。
短かった。
私は直前まで必ず治ると思っていましたから、
目の前で亡くなったと言われても、まさか、としか
思えませんでした。
  


全国6ヶ所で行うコンサートを前に、
3日間の人間ドッグを受けることにし、
その事前検査で病気が分かりました。
その1ヶ月ぐらい前から、めまいや微熱が続くなど、
異変は感じていました。
仲の良い親子でしたから、よくお風呂に一緒に入りました。
ある日、私が先に上がると『脱衣所で待ってて』と言います。
貧血を起こすことがあるから、と。
心配して尋ねても『大丈夫!』『すぐ治るから』と、
元気そうに振る舞っていました。
  


05年1月、東京都内の病院で検査を受け、
医師団から病名を告知される。
話に聞き入る美奈子さんの手が、震えているのが分かった。
出演が決まっていたミュージカル『レ・ミゼラブル』
『クラウディア』は、降板することになった。
 


『病名は白血病。血液のがんです』と言われても、
ピンときませんでした。
デビュー20周年で、活躍の絶頂にあった時です。
突然の宣告で即入院、即無菌室入り―
などということが一度に起こって、家族としては、
何か夢を見ているような感じでした。
何が何だか分からなくて、びっくりして涙が溢れて、
胸が苦しかったのを覚えています。
美奈子には『頑張るから心配しないで』なんて
励まされてしまって。
日記の初日には『私が代わってあげたい』と書いています。
  


日記は入院3日目から始めた。
治療内容のほか、美奈子さんの様子がイラストで描かれている。
最初のページには、抗がん剤治療に備えて長い髪を
バッサリ切った顔。
『全身チューブ。痛々しい』という辛い絵の日もあれば、
『きょうは病院の売店に買い物。
 歩く姿も生き生きしている』など、
鼻歌交じりの表情が描かれている日も。
病院から帰ると、日記はそのひのうちに書きました。
書いていると涙があふれて鼻水も出てきて。
でも必ず治ると信じ、毎日続けました。
『こんなにたいへんだったのね』『これ、似てる~』などと、
後で見て一緒に笑おうと思って。
 
 

美奈子も復帰への強い意欲を持ち続けました。
無菌室で2ヶ月間過ごし、別の病室に移る時のことです。
多くの患者さんは車椅子や介助が必要なのに、
美奈子は自分の足で歩ききったのです。
無菌室で一人、トレーニングしていたのだと思います。
その後も、病院の階段を上り下りし、廊下を何往復もして
体を鍛えていました。
  


夏にいったん退院し、通院治療を続けた。
『すごく元気になっていた』退院4週目、主治医に呼ばれた。
生活上の注意を伝えられるものと思って訪れると、
再発を告げられた。
9月に再入院。
  


それからは電話が鳴るだけで、ドキッとして飛び上がりました。
ドクターからの電話にいい話はなかったから。
美奈子の日々の変化にも、一喜一憂しました。
今日は笑っていたな、食べられたな、など。
少しでも笑ったほうが病気が逃げていくんじゃないかと思って、
今日は何を言って笑わせようか、電車の中で考えながら
病院へ通いました。
  


日記は11月1日で終わっている。
翌2日、容態が急変。
家族や友人に見守られながら、11月6日に亡くなった。
38歳だった。
  


この日記を見ると、支えるつもりだった私の方が、
美奈子に支えられていたことが分かります。
私にとって、美奈子は今でも支えなんです。
いつ帰って来てもいいよう部屋はそのままにしてあるし、
掃除をして、布団は夏と冬とで交換します。
パジャマも1週間に1度、洗っています。
これからも、ずっとそうしていくと思います。
  


我が子が自分より早く亡くなるなんて、誰も考えていないでしょう?
私も娘のお墓を作るなんてこと、
本当に考えられなかった。
子どもが重い病気になったら、お母さんは泣かずには
いられないと思います。
でも、子どもの前では笑顔で頑張って欲しい。
あなたなら大丈夫、早く学校に行こう、おうちに帰ろう、と
励まし続けてほしいのです。
お母さんが悲しい顔をしていたら、
子どもはその何倍も気を使うから。
病気はドクターに任せるしかないけど、
培ってきた親子関係は私たちだけのもの。
母親が、家族が、子どもの心を支えないと。
それには、笑顔が大事なんです。
  


『美奈子の前では泣かないようにしていたけど、
 本当は泣いてばかりだった』という美枝子さん。
闘病中、夜中に目が覚めて眠れなくなってしまうことが
しょっちゅうだったという。
そんな時は、泣き疲れて寝てしまうので、
一人で声を出して泣いたそうだ。
取材の為に久しぶりに手に取ったという日記をめくり、
また涙。
『笑顔が大事よ!』と言うことで、
今も自らを元気づけているのかもしれない。
  


                   (聞き手 月野美帆子さん)


私の友人の息子さんで(勇汰とは同級生同士で野球仲間)
昨年の今頃、この病気にかかり、
闘病生活を続けています。
もうすっかり元気になったようで、
3月には退院、中学にも入学したようです。

私のブログに観覧で来て下さる方の息子さんも
この病と闘っています。
病気と闘う生きざまを見ていると胸が痛みますが、
美枝子さんが
『少しでも笑った方が病気が逃げていくと思って
 今日は何を言って笑わせようか・・・』と
一緒にいる時、楽しめる雰囲気つくりを心掛けて
前向きに病気と向き合いながら闘う姿に感動し、
この記事を今回、取り上げてみました。

家族はいつも自分を支えてくれる発電所!!
明るく楽しく賑やかに。
病気なんか寄り付かせないぞ!!
せいちゃん、頑張ってね!!


鎌田實の見放さない
2009年05月12日 (火) | 編集 |
ボランティア活動を中心に活動されている鎌田實さん。
読売新聞で掲載されていた一部を今回は紹介します。


4年間、ボランティアでハワイの旅につきあってきた。
病気があっても、障害があっても、
旅を諦めてはいけないと言いながら、シコシコとやってきた。

50代の男が参加していた。
4年前にホームから転落し、電車に轢かれた。
両下肢を切断。
突然のことだった。
集中治療室で、彼は途方に暮れていた。
大きな仕事も抱えていた。
子どもはまだ小さかった。
生きなくてはいけないのは分かってはいたが、
両足をなくして生きていけるか心配だった。
そんな時、奥さんがポツリと言った。

『助かってよかった。奇跡に会えたわ』
明るくふるまってくれた。
男は救われた。
『どんなに勇気付けられたか分からない』―。

車椅子で会社にも復帰することができた。
バレーボールなどの障害者スポーツもやれるようになった。
奥さんには心だけでなく、
生活の一つひとつを支えてもらった。

二人で旅をしたことはなかった。
もちろん外国の旅は初めて。
奥さんにプレゼントをしたいと思った。
ハワイの旅に誘った。
内緒にしていたことがあった。
バウ・リニューアル。
夫婦が再び愛を誓い合う。

2008年6月1日ハワイの教会で、牧師さん立会いのもと、
人生の途上で、あらためて、妻にプロポーズをした。
『ありがとう。君に出会えて僕の人生は幸せだった。
 100回生まれ変わっても、100回君にプロポーズします』―。
奥さんは泣きながら、夫の言葉を聞いた。
夫の気持ちがうれしかった。
来年で結婚25年。
1年早い感動の銀婚式だった。
  


同じ日、もう一つ金婚式が行われた。
男は白いタキシードに身を包んでいた。
80歳。
女は純白のウエディングドレス。
70歳。
上山政文さんと和子さん。
男は脳卒中に倒れて4年。
ワイキキの海岸沿いの教会のバージンロードを二人は歩く。

3年前からぼくはずっと二人につきあっていた。
ハワイへ3回、上諏訪温泉へ3回。
男は脳卒中の後遺症のため右の手足がまったく動かなかった。
歩けなかった。
半年に1回、鎌田實に会うことを楽しみに、
リハビリを続けた。
1年後、1~2㍍歩けるようになった。

2年前、肺がんと胃がんのご夫婦が金婚式をハワイでした。
二人ともがんに侵され、一人は脳にまで転移していた。
ぼくは今年もハワイからがんと闘っているこの夫婦に電話をした。
この二人は奇跡的に今も元気に生活している。
まったく病気にまけていなかった。
2年前、上山さんご夫婦はこの二人の姿に感動し、
自分たちもこのハワイで金婚式をしようと心に決めた。

金婚式を目標に、リハビリに取り組んだ。
バージンロードを車椅子ではなく、足を引きずってでも
二人で手を取り合って歩きたい。
必死にリハビリをした。
  
夢は何かを変える。

バージンロードを二人は歩いた。
杖をつきながら、足を引きずって歩いた。
バージンロードが長く感じられた。
周りがヒヤヒヤしているのがわかる。
二人の目から涙がポトポト落ちている。
うれし泣きだ。
牧師さんが優しい顔で迎え入れる。
期せずして拍手が湧いた。
参列者も泣きながら手をたたいていた。
うれしかった。
今日、一つの夢が実現した。
  



~人の為に何かができる。
 形として行動できる素晴らしい姿に感動させられました。
 鎌田實さんのHPも是非、ご覧下さい。
 心がピュアになります。~
         
友への思いが『やる気』生む
2009年05月11日 (月) | 編集 |
読売新聞 『くらし 学び』より
            ~子どもの心 中学校で~ より

中学1年のころのB男は何をするにも、のんびりしていた。
忘れ物も多く、やる気のない姿も目に付いた。
2年生になってもその姿勢に変化はなかった。

担任の私は、このままではB男は変わらないと思い、
練習の厳しい駅伝部への入部を勧めた。
季節によっては日が沈んでも練習する。
B男はしぶしぶ入部した。

顧問は『本気を出せば速くなるかもしれない』と話したが、
B男はずっと控え選手だった。
3年生になったある日、『相談がある』と
B男が私のもとにやってきた。
マネージャーになりたいという。
『前年度のマネージャーのように、みんなのためになりたい』
と話すB男。
『それもいいね。頑張って』と声を掛けると、B男は、
『なんで走らないのって、怒られるかと思った』と笑った。


翌日からマネージャーの仕事が始まった。
練習メニューを選手に告げ、マッサージもする。
選手経験のあるB男は、練習のつらさが分かる。
タイムの伸びない選手には励ましの言葉をかけた。


ある大会で、2年生のC太が正選手に選ばれ、
3年生のD男が控えに回った。
D男はショックを受け、選手発表の教室から
飛び出してしまった。


大会当日、チームのみんながD男に気を使っていた。
2年生でただ一人出場するC太は特に辛そうだ。
そのC太のそばにいてくれたのがB男だった。
それからもB男はマネージャーとして頑張り、
以前のようなやる気のない姿はなくなった。


中学最後の大会の日。
キャプテンが『B男のためにメダルを取ろう』と、
チームメートに話をし、宣言通り2位に入った。
B男の首にも銀メダルが掛けられた。


B男の将来の夢は、教師。
仲間の大切さを教えたいという。

              (筆者は中学校の女性教諭です)


先生はその子の能力をきちんと見極めてチャンスを上手に
与えています。
先生が生徒に、話しやすい環境作りをし、
心のつながりを大切にしている様子がこの文章で感じ取られました。
中学生活は人生の中で将来を左右する、
経験を活かす大事な時期だと思います。

息子も4月から中学生になり、毎日様々な変化が起きています。
その中で学び得ることもたくさんあるようです。
私は息子の話を聞いて楽しむことで、
息子の成長を確認できることに幸せを実感させられます。
言葉 勇気にも凶器にも
2009年05月10日 (日) | 編集 |
エッセイスト 岸本葉子さんのコラムを今回は紹介します。
言葉の持つ意味を、エッセイストとして分かりやすく
答えていました。


言葉の持つ力は思った以上に大きい。
そのことに改めて気づいたのは、がんになった後、
ある女友達からもらった励ましの手紙の一文でした。
  

『あなたの笑顔がどんな時も曇ることがないように
 祈っています』―。
  

就職した保険会社を辞め、
文章を書く仕事一筋で順調だったさなかに病気になり、
うつむき加減になっていた気持ちが励まされました。
がんという事実は変えられないけど、命があるだけでも、
と思えるようになりました。
  


温かい言葉を共有できたらと一昨年4月、
同じくがんを経験した仲間2人と一緒になって、
がんや難病を抱えて生きる人の希望をはぐくむ活動
『HOPE★プロジェクト』を始めました。
その一つが、メッセージを公募する
『希望の言葉を贈りあおう』という企画でした。
  

3ヶ月で全国から約200作品が集まりました。
一昨年11月、その中から65作品を選び、
『ちょっとだけ凹んでいるあなたへ』という本にまとめて
出版しました。
  

『自分の信じる道をまっすぐに進めばいいよ』
『生きていてくれてありがとうね』―。

素朴な言葉ですが、読む度に力がわいてきます。


今、子供たちがインターネット上で友達を中傷する
問題が起きています。
言葉には人を勇気付ける力もありますが、
反対に人を傷つける凶器にもなります。
ただ、相手に言った汚い言葉は必ず自分に返って来ます。
言葉には『言霊』というように本当に不思議な力があるんです。

                        (聞き手 板垣茂良)

言葉のパワーは絶大で、
日々、悩んでいることを解決してくれる方法の一つは
『言葉』だと思います。
人の言葉に耳を傾ける努力をすると、
すぐに解決できます。
私もつい最近、ある経験をしました。

生真面目なところがある私は、ある一人の人との
人間関係で思い悩んでいました。
かなり重大な悩みで、3月には体調も崩してしまいました。
掛かり付けの病院の先生には
『ストレスからくる気管支炎だね。
 ゆっくり休みなさいよ。気が張りすぎかもよ』と言われ、
1ヶ月間心の休養を取りました。
その時、ある番組で私の好きな女優さんがドキュメンタリーに
出演されていて、
(めったにテレビ番組には出演されない方です)
その方の素顔が思い存分、画面上に映し出された姿を見て、
心が安らぎました。
帯同していたインタビュアーが
『なんでこんなに自然体でいられるのですか?』
と聞くと彼女は
『白のままの私が私なんです』―。

女優は色々な役柄をこなさなければなりません。
自分の色を持つと、役に入れない。
それ以前に彼女は本当に欲が無い方で、純粋そのもの。

『ゼロの自分が好き』―。

そうだ、ゼロの気持ちで人と接すれば楽なのかもしれない・・・
そう思いました。
相手に対しての何の情報もいらない。
まっさらな気持ちで相手と接することが出来れば
気が楽になるかも、と。

『あの人苦手』『この人変なウワサあるから近寄れない』などなど。
不必要な情報を持っていると、顔に出てしまいがち。
生真面目で不器用な私に課せられた問題は
これで解決しました。


息子は日々、野球を頑張っています。
できることを続けています。
そんな息子へ昨日、とてもいい言葉をCMで聞いたので
ここで紹介します。
イチローのCMで、彼は毎日、同じことを繰り返している・・・
ナゼ続けるのか・・・という質問にイチローはこう答えていました。

『確かな1歩の積み重ね』―。

着実に無駄の無い確かな1歩を積み重ねることで、
偉業を成し遂げられるのです。

誰でも出来ることです。
少しずつでもいいと思います。
目標を持ち前に進む。
何でも試してみる。
人の言葉をよく聞く。

私が息子にいつも話している言葉です。
全盲の先生 普通高で創意工夫
2009年05月08日 (金) | 編集 |
埼玉県の長瀞(ながとろ)町立長瀞中学校に勤務する全盲の教師、
新井淑則さん(46)に昨年夏休み、
教え子達の感想が吹き込まれた声の便りが届いた。
『先生が努力しているから私も負けずにやりたい』―。
ハンディを克服して15年ぶりに普通中学校の教壇に
復帰してから4ヶ月。
生徒達は、新井さんから生きる力を学び取っていた。

『目が見えないのに黒板に字が書けてすごい』―。
『宮沢賢治の「オツベルと象」の授業で、
 象の泣き声の読み方が情感がこもっていてすごかった』―。
国語の授業を受け持つ1年生82人がつづった1学期の感想文を
音訳ボランティアが吹き込んだICレコーダー。
新井さんは手厳しい意見も覚悟していたが、
感謝や驚きの声ばかり。
文章の切れ目が分かりにくい点字の教科書を
何百回も音読して授業に臨んだことを思い起こし、
目頭が熱くなった。


網膜剥離で右目を失明し、1993年に養護学校へ移った。
その後に左目の視力も悪化して休職。
リハビリを重ね、養護学校や盲学校経て去年4月、
普通中学校への復職を果たした。
生徒に名前と自己紹介をレコーダーに吹き込んでもらい、
名前と声が一致するまで何回も聴いた。
生徒の机の裏に点字テープの名前を張り付けた。
板書では、磁石のついた定規をけい線代わりに使う。


1年の小沢優一君(12)は、
『りんごを剥いて見せてくれたのには驚いた。
 障害者への意識が変わった』―。
野口静香さん(12)も
『先生を助けたくて、より積極的に勉強するようになった』と言う。
新井さんが副顧問を務める文化部の生徒達は、
夏休みに絵本の点字に取り組んだ。
高田忠一校長(55)は、
『子ども達が思いやりを持つようになった』と話す。


新井さんは、生徒達の表情が見えないもどかしさも感じている。
それでも、
『教えることは楽しい』と、
生徒達の元気な声を聞くのを心待ちにしている。
『みんなのため』で自信回復
2009年05月07日 (木) | 編集 |
読売新聞 『くらし 学び』より

~子どもの心~

中学2年のA男は、新クラスの学級委員になった。
進級してすぐ、誰が学級委員にふさわしいのか
よく分からない時期。
近くの席の子が、授業中に進んで挙手をするA男を推薦し、
A男もなんとなく引き受けた。

学級会の司会をする学級委員は、元気のいい子の意見ばかりが
通らないよう、全体に気を配らなければならない。
が、A男は、『なんで俺を当ててくれないのか』という
一部の声に押されてうまく仕切れない。
掃除の時間には、友達とふざけていて
掃除担当の教師から注意をされ、クラスでも
『頼りない学級委員』と言われることがあった。


自信をなくしてきたA男が
『学級委員は何をすればいいのか分からない。
 僕にはできない』と言い出した。
終礼の時、隣のクラスからいつも学級委員の大きな声が
聞こえてくる。
元気のいい子にも、掃除をさぼっている子にも、
毅然と対応している。
それに比べ自分は・・・と弱気になっていた。


そんなA男に私は、
『リーダーは先頭に立つことも大切だけど、
 みんなが気持ちよく学校生活を送れるように考えて動くことが
 一番大事なんじゃないかな』と話をした。
次の日からA男は、終礼が終わった後、
黒板をきれいに拭き始めた。
毎日、黒板をきれいにしてからクラブ活動に行く。
それからは、生徒の机が乱れることも、
教室にゴミが落ちていることも少なくなった。
日直の生徒も、授業の合間に黒板をきれいにすることが
当たり前になった。

時々、教科の先生が
『このクラスの黒板はきれいだな』と褒めてくれる。
そんな時は、クラスのみんながA男の方を見て微笑むそうだ。
毎日欠かさず黒板を拭くA男をみんなが認め、
『頼りない』とも言わなくなった。
これからのA男の活躍が楽しみだ。

                 ◇筆者は中学校の女性教諭です◇


言葉で伝わらなければ態度で示す・・・。
先生のアシストも素晴らしかったと思います。
『みんなのため』にもう一度、周りを見渡して、自分のすべき事を
考えて行動、実行することは大切なことですね。
すごいことをしなくてもいいと思います。
できることで。そして、
その姿はみんなに認められ、クラスの雰囲気も良くなる事でしょう。
粋な大人になろうぜ
2009年05月04日 (月) | 編集 |
いつまでも若さを失わず、つねに何かにトライし続ける大人たち。
50代になったときにジーンズの似合う大人になろう。
そして50歳を過ぎたらもうそれ以上は年をとらない。

そんな『新しい大人たちの時代』を代表する著名人に贈られる
ジーンズフィフティ大賞が今年2月18日、都内において
受賞者が決定発表されました。
その中で大賞を受賞した北野武氏(映画監督)のメッセージが
とても気に入っているので、今回、取り上げてみます。


『粋な大人になろうぜ』 ~北野武~

俺ガニマタだから、あんまりジーンズって似合わないんだけどさ。
年寄りとジーンズくっつけると、
図々しくいろいろ仕事やってる人のイメージかな。
カッコいい大人って言ったら、やっぱり『粋な人』がいいね。
ただ、粋だってことを自分で言ってしまうと
スゴイ下品だからね、それは粋じゃない。
あのオヤジしょうがないねって言ってて、
いざとなったとき粋だっていう、その意外さが粋なんじゃないかな。
普通にその辺にいて、酒飲んでみたら結構面白い人とかね。
それと、場がもつ先輩っていいよね。
後輩は自分からワーワー言うわけにいかないじゃない。
でもある程度先輩だと、お前アーだろコーだろとか言って
うまく喋らせてくれる。
そういう気配り。
どこに気を配ればいいか分かっている人、
それが『粋な人』なの。


ダメなのは、飲む前に“これだけは聞いとけ”とか、
“会社でアレやったろ”“俺はアレが嫌いなんだ”とか
文句言って終わり。
最後は割り勘だったりしてね。
レストランなんかでもイヤな客いるもん、
ウンチクがうるさくて、コックに文句言ってるんだけど、
イヤなら食わなきゃいいじゃねえかって思う。
そういう気配りができない人もいるよね。


そういえばスゴイ粋な人がいて大笑いだったんだけど。
昔、銀座の焼き鳥屋で酒飲んでてね、
すごく話が面白くてね。それで、
“タケちゃん悪かったね遅くまで、これ使ってタクシーで帰んなよ”
って言って1万円くれたの。
でも、お金もったいないから電車にしようと思って、
東京駅から電車に乗ったらその人に会っちゃって。
お互い目を合わせないようにしてさ。
そういうバカバカしい話もあったけどね。


若い人にも、『粋な人』になりなさいっていうのはあるよね。
瀬戸物とか焼き物とか、いいのが分かるとか、
その世界を自分で追求していくと、裏千家のように
あれだけの侘び寂びの中で十分宇宙がが広がるし、
楽しいと思うね。
それで言うと、今の『I T』に代表されるお金を動かすだけの世界が
いいとは思わないよね。


一般公募に寄せられた、武さんの推薦理由は、
『いつも何かに挑戦し続けている』『逃げないで人に向き合う』
『理由をもって叱ることができる大人』『夢のある人』などが
挙げられる。

『粋な・・・』という言葉が私は好きで、
外見からにじみ出る、味のある“慰ぶし銀な大人”が
今回受賞された武さんなのではないでしょうか。



 

時には待ってでも・・・
2009年05月03日 (日) | 編集 |
今朝のサンケイスポーツに、
とてもいい記事が載せられていました。
取り上げてみたいと思います。
                   『甘口辛口』より


『きずな』などをテーマに全国で講演活動もしている
女性歌手から先月、こんな話を聞いた。
『和歌山の男子高校に歌と講演に行った時のことなんだけどね。
 おばさんだからかな、
 会場の男子生徒は何を話しても静まり返っている。
 仕方がないので壇上から降りて、
 「将来、どんな仕事をしたい?」と聞いてみたの』―。

すると1人の生徒が突然、立ち上がった。
『でも、マイクを向けても、何にもしゃべらない。
 ただ、目を見開いて何か話したそうにしているの。
 そのままじっと3分は待ったかしら』―。
そして、生徒はゆっくりと、だが力強くこう言ったという。
『ぼ、ぼくは・・・将来・・・人に夢を・・・与えられるような
 仕事をしたいと思います』―。


周りの生徒は弾かれた拍手し、教師たちの中には
泣き出す人もいた。
それからは、和やかな雰囲気に。
講演後、教師の一人から、こうねぎらわれたという。
『あの子は気が弱くていじめられやすく、
 人前で話すことができないんです。
 さっきも周りから、はやしたてられて、無理やり立たされた。
 でも、きょうから、あの子はヒーローです。
 ありがとうございました』―。


歌手の名は大阪で通天閣の歌姫と呼ばれる叶れい子(42)。
かつてNHK朝の連続テレビ小説『ふたりっ子』の登場人物
オーロラ輝子のモデルになり、
『夫婦道』のヒットでも知られる。
先天性右足脱臼で歩行にやや難があるが、数年前、
著書『お母ちゃん生んでくれてありがとう』(青幻舎刊)を出してから、
学校や福祉施設での講演も多数、舞い込んでいる。


時には待ってでも、人の話はじっくり聞く。
教育現場に限らず、大事なことを改めて学んだ気がする。

                           ~森岡真一郎氏~






正しい形
2009年05月01日 (金) | 編集 |
昨晩、息子が素振りをしながら私に
『昨日の練習試合(29日)、打てなかったけど
 当たりは良かったんだ。
 やっぱり変化球への対応が課題みたい。
 打つ時のトップの形の対応をうまくできれば、
 打てると思う』
と、黙々とスイングの確認をしていました。

石毛宏典さんがある雑誌でスイングのアドバイスを
取り上げていたのを思い出して、
息子に見せました。
息子も『ふむふむ・・・』と理解しながら
バットを持ち直し再び振り始めました。


~野球を楽しむためにも正しい形を覚えよう~

打つときは、トップの形が重要だ。  
ただ、この言葉はよく使われており、指導者によって
認識がバラバラになっている。
それでは選手も戸惑ってしまうので、『何がトップの形か』
ということは統一されていくべきだと思う。

私の場合(石毛さん)、バッティングのトップというのは、
構えから打ちにいく直前の状態のことで、
その形は左右対称でなければならず、
『全ての動作の中でイコールである』と捉えている。
そして、まずはその形で、ストレートをしっかり打てるタイミングを
身につけていくこと。
  
打者にとって、ボールに差し込まれるということは最大の屈辱。
変化球を待っていると、ストレートがきたときに、
そういう状態になってしまう。
  
また、投手に対して向かっていく姿勢も大事だ。
気持ちの弱い打者は、打ち取られてしまう。
思い切って投手方向へ打ちにいって、ストレートをしっかり捉える。
そうすれば、グリップが後ろに残った状態になるので、
変化球がきても粘ることが出来る。
変化球は崩れたボールなので、バットが泳いでも良い。
どれだけ粘れるかが勝負なのだ。
  
 
これが、バッティングの正しい形である。