日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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WBCから見る日韓
2009年03月31日 (火) | 編集 |
読売新聞 3月26日の記事より  ~小倉紀蔵氏~

WBC決勝戦は、
原監督が試合前に『世紀の一戦』と形容したごとく、
まさに『決闘』という言葉がふさわしい内容だった。
人生そのもののように苦しみと喜びがめまぐるしく交錯する
哲学的な試合で勝利を収めた日本チームに、
祝福と感謝の意を表したい。
  


今回のWBCで最も重要なことは、日本と韓国がともに
決勝まで勝ち上がり、最高の試合を戦ったという事実であろう。
アジアの野球が強く、うまく、おもしろいということが、
WBCという舞台で完全に証明されたということが、
最大の収穫だったのだ。
  


しなやかで流麗な日本の野球。
きりりと引き締まった美しい肉食動物がサバンナを自在に
跳び回るかのようだ。
  
それに対し、重量感があり爆発的なパワーを誇る
韓国のヤグ(野球)。
強靭な肉食動物が力ずくで獲物に襲いかかるかのようだ。
  


どちらがよりよい野球かという問題ではない。
米国発祥のbaseballを自分たちの文化や体質に合わせて
つくりあげた、野球(日本)とヤグ(韓国)の個性の違いなのだ。
そしてこの時代に生きている我々の喜びは、
baseballも野球もヤグも同時に楽しめるということなのである。
  

緻密な日本野球より豪快な韓国ヤグの方に魅力を感じる
日本人がいたっていいし、
美しきダルビッシュや岩隈の動きに胸ときめかす
韓国人がいたっていいのだ。
  


野球とヤグの関係は、遡れば1980年代の韓国プロ野球
黎明(れいめい)期以前からの歴史を持っている。
当時韓国で活躍した新浦や福士といった
在日選手の名が懐かしい。
最近の関係の深化示す特に象徴的な出来事は、
イスンヨプ選手の巨人軍入団だった。
李選手の活躍を見ようと、たくさんの韓国人が日本のプロ野球の
テレビ中継に釘付けになった。
その頃韓国人に会うと、
『オガサワラはまさにサムライですね』などというので
驚いたものだ。
  


今回のWBCをきっかけに、
野球の世界でもアジアの発言権が高まるように
アメリカにどんどん働きかけていくべきだ。
今後のWBC運営に関しても
もっとアジアが関与できないのか。
その資格は充分にあるはずだ。
そのためには、日韓がよき仲間でもあることを
もっと強く認識するのがよい。
  


韓国がこれほど急に強くなった理由のひとつは、
日本の野球を徹底的に研究し、学んだことにある。
日本も韓国から学ぶべき点はたくさんあるはずだ。
すでに両国はそれほど緊密な関係なのだ。
  

残念なことに、大会中、インターネットの中では日韓両国とも、
相手を侮辱し憎悪する言葉が見られた。
スタンドで韓国人の観客が竹島(韓国・独島)に関する
プラカードを掲げたり、
韓国選手たちが勝利後マウンドに国旗を突き立てたりしたのは
いただけない行為だった。
  
国際大会に愛国心はつきものだが、
国威発揚のための手段としたり、
排他的なナショナリズムのはけ口として利用するのは、
野球という神聖なスポーツへの冒瀆(ぼうとく)である。


米国チームに勝利した後、米国野球への尊敬の念を
きちんと語った原監督は、
その点充分に紳士的であり、立派だった。
前回大会の王監督とともに、
日本では野球というスポーツが人間の精神性を育てる役割を
果たしていることを世界中に見せたこともよかった。
サムライは強いだけではなく、謙虚で気高い心も持つのである。


野球という競技を通して、
自分と相手の双方の素晴らしさを認め、
互いに尊敬する関係をつくるという手本を、
これからも日本が見せてくれることを希う(ねがう)。
そしてその土台の上に、互いの違いを認めつつ切磋琢磨する
日韓関係を築くことを目指すのだ。
その重要な通過点として、
WBCは本当にいろいろなことを教えてくれた。

    
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スポーツは人生の教科書
2009年03月30日 (月) | 編集 |
読売新聞 『熱視線』 より  荒井秀一氏


『熱視線』というタイトルは、旬のスポーツシーンに
熱い視線を送る、という意味でつけた。
昨年3月に連載を始めるにあたって考えたのは、
  
『極力、関係者に会って、じっくり、話を聞いてみよう』
ということ。
  
スタート前は不安だったが、
恩師や専門家らの話が想像以上に興味深く、
助けられた思いで、いっぱいでもある。
  


例えば、イチローについて書いた時には、
マリナーズのトレーナー、森本貴義さんにインタビューした。
  
感心したのが、イチローが誰よりも早く球場に現れ、毎日、
黙々と準備メニューをこなしている、
という話。
  
森本さんは言った。
『彼は“イチロー”になっていくプロセスを自分で作り、
 ルーチン(一連の決まった動作)の中に
 入れている点がすごい』―。
  
8年連続200安打は、そんな積み重ねが実った大記録。  
森本さんによると、昨年も、シーズンが終わって、
5日間しか休まず、練習を開始したという。
  
頭に浮かんだのは、
『継続は力なり』という一般社会にも当てはまる言葉だった。
  

イチローと言えば、中京大・湯浅景元教授の分析も印象に残る。  
35歳のイチローの衰えについて聞くと、
教授はこう答えた。
『彼の性格から言うと一番、
 楽しい時期を迎えるんじゃないかと思う。
 困難とは思っていない可能性がある。
 チャレンジですよ』―。

WBCに向けても、イチローは  
『王座を守るのではなく、奪いに行く』と話していたが、
これこそ、チャレンジ。
教授の説明は、どんな人にも通じる困難への対処法でもあった。


このコラムは今回が最終回になる。  
1年間、『熱視線』を注いで見えたのは、
スポーツは人間ドラマが詰まっているから、
生き方の教科書になるということ。
  
サムライジャパンの優勝も、
チームがひとつになることの大切さを改めて教えてくれたような
気がする。



私はこの『熱視線』のコラムを読むのがとても好きで、
選手の表ではなく裏の部分を、丁寧に分かりやすく書いていて、
きめ細かな文章に毎回、心打たれていました。
色々な角度でたくさんのスポーツを愛し、
そこから学ぶ強い姿勢に敬服します。
また荒井秀一さんのコラム、楽しみにしたいです。


                
大胆策に貢献
2009年03月29日 (日) | 編集 |
WBCの日本の優勝が決まると、
日本代表の三井康浩スコアラー(48)、
小西太郎撮影は三塁ベンチでスタッフと抱き合った。
『様々な思いが全部吹っ飛んだ』―。
腎臓の人工透析の治療を受けながら、
2月中旬の宮崎合宿からチームとともに約40日間。
体を張って取り組んできた仕事の集大成の瞬間だった。


巨人スコアラーとして20年間の実績を買われ代表スタッフ入り。
東京ラウンドを終えてチームとともに渡米したが、
1日おきの透析治療は米国でも欠かせなかった。
スタッフ間の支えもあり、
明け方に宿舎を出て病院に行き、戻ってきて球場に向かう。
睡眠は約4時間。しかも、勝手の分からない外国の病院での治療。
当初は不安と重圧で足が地につかなかったという。

同じ巨人の西山一宇、上野裕平の両スコアラーとともに作成した
ライバル国の資料は、要所で生きた。
『外国の投手の高めの球に、日本の選手は力負けしている。
 日本なら高め狙いだが、ここは低めを狙っていこう』
という指示を選手が徹底し、準決勝の米国戦では
先発投手を見事に攻略した。

キューバや韓国の投手の攻略や打者の弱点をついた攻め方など、
短期決戦ならではの大胆な策も、勝負どころで的中し、
裏方としての喜びは2倍にも3倍にも膨れ上がった。
不安も、勝ち進むにつれて消えた。

『仕事をやり遂げて、体から力が抜ける。
 その心持がどんなものか、今ようやく分かった』―。

今後、巨人軍査定室長として、長いペナントレースが待っている。
休む間もないが、『今は少しだけ余韻に浸りたい』―。


                       読売新聞より 
                                 千葉直樹氏

一段落・・・。
2009年03月23日 (月) | 編集 |
学校の卒業式(謝辞)、
スポーツ少年団の卒団式、
そして少年団の30周年記念式典と・・・。
大きな行事が立て続けであり、
ようやく一段落しました。
後は記念写真や資料の整理など。

目まぐるしい1週間でした。

卒業式も盛大に挙行され、最後の保護者代表謝辞も、
言葉一言一言大事に、思いを込めて発表させて頂きました。
その後の感謝のつどいでも、
みなさんから『良かったよ!』『代弁してくれてありがとう!』
『堂々としていて感動したよ!』など・・・。
お褒めの言葉を頂戴しました。
感謝のつどいでは、保護者代表の方々が担任の先生を迎え
子供も交えて和気あいあい楽しく盛り上がりました。
1組担任の石井先生は、
数日前から風邪をひかれ、喉が荒れて声が出ない状況の中、
精一杯、お母さんたちにお礼のお言葉を下さいました。
『この声をしていたせいか、
 子ども達は私を困らせないように気遣い、
 静かにしようと、声を掛け合い助けてくれました。
 こんなに先生思いの生徒とお別れするのは、とても寂しいです』―。

2組担任の新木先生は、
『言葉ではうまく言えないので、
 みんなに声援を贈りたいと思います。
 僕は学生時代野球をしていて、まわりの皆さんから
 声援を受け頑張ってこれました。
 今度は僕が君たちへ今までの恩返しで応援をします!!』
と言って、
『フレ~~~~~フレ~~~~○○!!』と
応援団長でエールをみんなに贈ってくれました。

3組担任(勇汰の担任)石川先生は、
さだまさしの曲を真っ赤な顔で恥ずかしそうに歌って下さり、
(途中、歌詞を飛ばしましたが・・・)
真心を贈って下さいました。

保護者代表の方々が奉仕の心で運営して下さり、
和やかでアットホームで
手作り感のある素晴らしい会でした。
このような会に参加できて思い出になりました。

運営委員会の方々、ご苦労様でした。



少年団の卒団式では、1年間の成績発表や監督から卒団生への
温かいお言葉を頂戴致しました。
一人一人のエピソードなどもお話し下さり、
勇汰へも有難いお言葉を頂きました。
帰り際、監督にお会いし、個人的に監督の思いを聞けることが
できました。
『私は、選手として勇汰が大好きだ』―。
監督の重みのある一言は、6年間の出来事を
走馬灯のように駆けめぐり思い出させてくれました。
2年生の頃からジュニアでスタメン。
3つ上の先輩からは、その先輩が卒団する際、
『長さんがオレのショートを継いでくれ!』
と言われ、
ショートのポジションを2つ上の先輩から3年の時奪い取り、
『長さんになら譲ってもいいや!』と言われ
不動のショートとしてチームを守りました。
数々の大会でチーム一丸となり優勝を重ね貢献してきました。
先月から急きょ、2番手ピッチャーとして
チームをけん引していきました。

監督からの『選手として大好きだ―』という言葉は、
胸に焼きつき目頭を熱くさせました。
数々の子ども達を送り出している監督に、
勇汰が出来ることは、
お礼奉公として今後、何らかの結果を出し、
野球に精進していくことだと思いますし、
本人もそう思ったようです。
とにかく監督には、1年の頃からお世話になりました。
この場をお借りして『ありがとうございました!!』―。
今度は違う形で、後輩達を応援し、チームを盛り立てたいと
思っています。
40周年、50周年・・・と続きますよう、
願っています。


首脳陣の方々には恵まれました。
成長過程での通過点で、このような方々に指導していただき、
接することが出来たことに、感謝しております。






『これでいいじゃん』 心に余裕
2009年03月16日 (月) | 編集 |
フリースタイルスキー、モーグルの上村愛子(北野建設)が強い。
昨季はワールドカップ種目別優勝に輝き、今季もすでに2勝。
29歳の上村に何が起きたのか。
愛子の変容を探った。
               (読売新聞3月2日付け 三橋信氏)


数年前、昔の日記を読み返しながら思った。
『今、私何歳だっけ。
 次の五輪は、30歳かあ。
 無理していたら、疲れちゃうなあ。
 自然でいたいなあ・・・』

音楽の好みが変わった。
以前はにぎやかなモーグル会場に合うヒップホップや
レゲエを聴いていた。
いまは、クラッシックやジャズが多い。
『モーグルって、元気いっぱい滑るものだと思っていた。
 音楽もそういう音楽を聴くものだって。
 でも、そうじゃない。
 いいと思ったものを正直に聴こうと』―。
難聴のピアニスト、フジ子・へミングが好きだという。

以前は過剰なくらい気配りする女の子だった。
『この人、私に気を使っている、って気づくと、
 すいませんって思っちゃう』―。
スケジュールを立て、その通り運ばないとイライラするのに、
それを口に出さない。
『一人じゃないし、わがままかなって思っちゃう』―。
イライラする自分と、それを我慢している自分。
自称『実戦に弱いタイプ。もろい人』だった。

それが、少しずつ変わった。
いま、1年の半分をともに生活するチームメートのhとんどが年下だ。
自分をしっかり持った選手に囲まれ、
『何だ、私が一人で気にしているだけじゃん』
『気を使いすぎて失敗した』―。
そう思えるようになった。

変わりつつある上村を、幸運な出会いが後押しした。
3年前から指導を受けているフィンランド出身の
ヤンネ・ラハテラコーチは、7年前のソルトレーク五輪モーグル
金メダリスト。
滑りのスムーズさに定評のあるコーチの下で技術を伸ばし、
自信を持つことの大切さを教えられた。

せきを切ったように勝ち始めた。
昨年2月からW杯5連勝。今季も2勝。
通算9勝のうち7勝を、この1年間に挙げている。
『長く気づかなかった。“こう滑ればいい”という自信ができて、
 環境があって、指導者もいる。
 どのように調整すればいいのかも分かってきた。
 そして勝てた。
 気づくまで少し時間がかかったけど、“これでいいじゃん”
 って、思える』―。
ちょっとした心の持ちようや、精神面の充実。
『果実』は、手を伸ばせば届くところにあった。


フリースタイルスキーは、文字通り『自由なスタイル』のスキーだ。
滑って、跳んで、タイムも競う。
『何よりもスキーが好き。
 辛いことがあっても笑える。
 無心になれる』―。

五輪が行われるバンクーバーに近いスキー場で、
初めてモーグルに出会った中学2年の女の子は、
3度の五輪を経て、大人の女性に成長し、
再びカナダに戻る。

張本さんの 『喝!』
2009年03月12日 (木) | 編集 |
読売新聞連載の『時代の証言者 最多安打 張本勲』が
先月24日で、終了した。
今回、担当として張本さんの話を聞く機会に恵まれたが、
圧倒されたのが、これでもかというぐらいに降りかかる
苦難の多さだった。

4歳で右手に大やけどを負い、5歳で広島で被爆し、姉を失う。
戦後間もなく父が亡くなり、貧困の中、名門・広島商への
受験に失敗。
進学した浪商(現大体大浪商)では快速投手として鳴らしたが、
左肩を痛め、投手を断念する。
右手にはめたグラブの中には、自由にならない指があり、
心の中では常に、原爆症への不安とも戦っていた。

そんな張本さんだが、苦境に立たされても、
負けるようなことは無かった。
学生時代、夜、木にくくりつけたタイヤをバットでたたき続け、
近所の人からは、
『勲ちゃんの餅つき』と呼ばれた。
プロに入ってからは1日300回の素振りを自らに課した。
手はいつしか血だらけになり、包帯が手に張り付いてしまうので、
自転車のチューブを巻いて振っていたというほどの
すさまじさだった。
張本さんのすごさは、まさにここだと思う。

思い込んだら一直線、決して、迷いがない。
徹底的に困難を克服する方法を探り、目標に向かって、
一心不乱に取り組む。

巨人時代、左目の『中心性網膜炎』になった時に、
3日に1回ぐらでいいのに、毎日、
病院に押しかけて治してしまったというエピソードは、特に、
張本さんの生き方を現していると思う。

現在、TBS系『サンデーモーニング』での『喝!』が人気だが、
張本さんは、苦言を呈する時の基準についてこう語っている。
『真剣さの足りない、必死さのないプレーは意味がないんです。
 スポーツは、そこが尊い。
 没入するぐらいやらないと』―。

苦難にぶつかっても、諦めず、必死に打ち勝ってきた
張本さんだからこそ言える、『喝!』である。


                        読売新聞 『熱視線』より
                                   荒井秀一氏
久しぶりの更新
2009年03月11日 (水) | 編集 |
金曜日から熱を出し、久々寝込んでしまいました
気管支炎です。
熱が上がったり下がったりで、
それでも仕事はこなしましたが、限度を超えてしまいダウン
ようやく昨日後半から、
チーム30周年式典準備に取り掛かり、
巻き返しを図ろうと、朝から奮闘中です
まだ無理は出来ないのですが・・・

その間に、息子のチームが最後の大会で有終の美を飾り、
祝勝会あり、盛り沢山の週末にも関わらず、
寝込んでいた私・・・
しかも、先月、急に息子が2番手ピッチャーに抜擢され、
決勝戦で先発・・・
見たかったです
その前の週も3回戦でやはり先発で投げていて、
その日は公式戦初めての先発だったので
見ている親は、かなり興奮していましたが、
主人いわく、決勝戦では堂々たるものだったと
振り返っていました。
卒業式終わると引っ越してしまうチームメイトのために、
チームが一丸となり、白球を真剣に追い求め
必死に喰らい付いていたようです。
試合経過を、回が終わる度にメールで報告してくれる
友人ママのお陰で休むどころかドキドキしながら、
球場に応援に行っている父兄のみなさん、
そしてOBパパや現在チーム後輩パパらも駆けつけ、
みなさんと同じ思いで声援を送っていました

本当に最後のしかも記念大会で優勝できて良かったです

これで21日に行われる30周年記念式典に華が添えられました
猛ダッシュで式典準備に励みます
その前に息子の卒業式の謝辞が・・・
衣装選びも楽じゃないです・・・
その前にダイエット・・・かな
透析なんの 分析任せろ
2009年03月05日 (木) | 編集 |
WBC日本代表のスコアラー、三井康浩さん(48)
~読売巨人軍査定室長~は、
人工透析の治療を受けながら、日本の相手チームの情報収集、
分析という激務をこなしている。
『人より野球を覚えられ、選手とのコミュニケーションが
 何よりの財産』という20年のスコアラー人生を誇りに、
連覇を目指すチームを支える。


1978年に出雲西高(島根)から巨人に入団。
内、外野手としてプレーしたが、一軍出場はなく、
腎臓疾患のためにプロ5年あまりで現役を引退して
26歳でスコアラーに転身、一昨年までチーフ職を務めた。
長嶋監督時代、打撃不振に陥ったチームで、
それまで打撃コーチが主導していたミーティングを任されたり、
他球団に先駆けて試合のベンチに入ったりするなど、
現場の厚い信頼を得た。

『数年で入れ替わることのあるコーチよりも、
 選手のことを知ることができるのがスコアラーの強み』
という三井さんは、
『練習で観察して得た自分の感覚と相手の選手のデーターを
 照らし合わせ、チームの仕上げの段階で伝えていきたい』という。


日本代表の原監督が三井さんを指名した時、
体調に配慮する球団に、
『日本代表で働くなんて一生一度できるかどうか。
 やらせてほしい』と希望した。
十数年前に父親から移植を受けた腎臓が機能しなくなり、
再び透析を始めてから1年5ヶ月。
腎バンクに登録しながら週3回、遠征先でも練習や試合の
合間を縫って地元の病院に通うが、
『体が悪いからいいよって言われるのが一番嫌い』と言い切る。
同じく巨人から選出の西山スコアラーとともに、WBCの
情報戦を戦い抜く覚悟だ。

                            千葉直樹氏
ワンちゃんのお陰で改心
2009年03月04日 (水) | 編集 |
読売新聞 『時代の証言者』より  ~最多安打 張本勲氏~

1962年(昭和37年)、東映(現日本ハム)が日本一になった年に
パ・リーグの最優秀選手(MVP)に選ばれました。
後で考えると、もう一人前だとテングになっていました。
まだ22歳。
まあ、それも無理は無いと思います。
最高の賞を取ったのですからね。
  

プロに入ってからは、1日、300回の素振りを
自分に課していました。
普段の練習と試合は、誰でも一生懸命やります。
  
しかし、その後の努力が勝負だと思っていました。  
まして、4歳の時のやけどで、右手の指が不自由でしたから、
余計にやらなければ、ライバル達に負けると思っていました。
  

でも、バットを振っていることは間違いなく振っているのですが、
その頃は、本当に気持ちを込めて振ってはいませんでした。
全身全霊で振ると、『ビューッ』と音がするんです。
10本振って、20秒くらい休む。
それでまた10本振る。
その繰り返しです。
プロに入った当初は、それをきちんとやっていたんですが、
やっぱり、慢心しているから、数だけ振って、
自分を納得させていました。


そんな時です。
63年に行われたオールスターゲームで、
巨人の王貞治君の打球を見たのは。
驚き、そして目が覚めました。
彼はプロ入りが同期で同い年。
前年、本塁打王のタイトルを初めて取っていたとはいえ、
入団当初は苦しんでいたことを知っていました。
私の方が一軍で実績も残していましたし、
『よし、冷やかしに行ってやろう』と、
軽い気持ちでセ・リーグの打撃練習をのぞきに行きました。


王君の打球はすごかった。
『パン、パーン』という感じで。
冷や水を浴びせられたみたいでした。
  
オレは、何をしていたのかと。  
オールスターゲームは、普段の試合と違うので、
みんな夜は美味しいものを食べに行ったり、
飲みに行ったりするものなんです。
  
でも、私は行きませんでした。  
そのまま宿舎に帰って、バットを振り続けました。
慢心から立ち直ったのは、ワンちゃんのお陰です。


MVPを受賞した翌年の63年、だいつ2割8分で、
それまで3年続けていた3割を逃し、65年にも2割9分2厘と、
3割を切りました。
  
振り返ると、その頃は、300回の素振りを本当に真剣に
やってこなかったことのツケが回っていたんだと思います。
気づいて取り返そうとしましたが、取り返せなかったんでしょうね。
慢心しなければ、ずーっと3割を打てたかもしれません。
今でも、ものすごく後悔しています。


                            聞き手 荒井秀一氏  


毎日続けることの意味を、自分なりに理解しながら、
素振りやトレーニングをしなければ意味が無いのですね。
現役を離れて初めて、自分がしてきたことを
他の選手を通して客観的に理解し、学べたことだけでも
成長しているわけですが、
私も含めて終わったことを後悔することの方が多いようです。
親は子どもよりも長く生きてますから、学びも多いです。
自分が失敗してきたことを子どもに繰り替えさせたくない、
という強い気持ちを、あまり子どもにぶつけても、
逆効果だと思います。
失敗をして初めて理解できることもあります。
屈辱をあじわって成長していくのだと思います。
これからも子どもの成長に口は出さず、
黙って見守っていこうと思います。

『失敗は成功の元』―。

大田の魅力 無限大
2009年03月03日 (火) | 編集 |
読売新聞 『フロム番記者』より ~西村海氏~


鳴り物入りで巨人入りした大田を、
番記者として追い続けた1ヶ月が終わる。
カメラの列を前にした『囲み』や、
移動の際に歩きながら会話する『ぶらさがり』で、
必ず質問者の目を見て話を聞く。
疲れている様子も見せず、嫌な質問にもハキハキと答える。
そんな姿は、好青年そのものだ。

そうかと思えば、ちゃめっ気たっぷりの笑顔で
『ついて来られる?』とダッシュしたり、
『とうとう報道陣が4人になっちゃった』と
朝の散歩で寂しそうな表情を見せたりもする。

恐らく、優等生的な一面も、人間味あふれる一面も、
どちらも素顔のオオタタイシ。
野球だけでなく、無限大の魅力を秘めた18歳を、
これからもしっかり追いかけていきたい。

成功7カ条もらった
2009年03月03日 (火) | 編集 |
プロ野球の新人選手研修会が2日、都内ホテルで開かれ、
12球団の85選手が参加した。
講師として招かれたソフトバンク球団会長の王貞治氏(68)は、

プロで活躍するための7カ条などを伝授。  
世界の王と初対面した巨人ドラフト1位ルーキー、
大田泰示内野手(18)も、緊張の面持ちで耳を傾けた。


背筋がピンと伸びる。
講義の大トリで登場した王氏を前に、最前列に陣取った大田は、
目をパチクリさせるしかなかった。
  
『今までは打席で色々考えてしまっていた。
 でもボールをよく見てバットに当てるだけなんですね。
 もっと無心で臨みたい』―。
  

約1時間に及ぶ王氏の“金言”で、まさに目からウロコが落ちた。  
『練習後や試合後にスイングして筋肉に覚えさせる』
『選手の投げた球をよく見る』などなど・・・。
実はどれも基本中の基本。
  
実戦3試合で10打数無安打の大田に、  
野球では基本が一番大事なんだということを、
世界の王が教えてくれた。


前日から『いよいよ明日。もう明日なんですね・・・』と、
初対面が楽しみだった。
司会者に指名され参加した新人選手の中でただ一人、
王氏の現役時代のバットの長さについて質問。
講義後は
『とっさに振られてどうしようかと思ったけど、
 聞けてよかった』と笑顔を見せた。


その王氏は  
『投手は片手だけど、打者は両手でやってるんだから、
 振って振って振りまくれ。
 少しでも長くボールを見る。自分がやるしかないんだよ』と
貴重な言葉を贈った。


『帰ってスイングします』と大田は早くもやる気全開。
今日3日には、イースタン春季教育リーグの初戦が始まる。
王氏の言葉を胸に、無心でフルスイングする。


   ~王さんから7カ条~  

①試合、練習後にスイングする  
②投手の失投を逃さない  
③キャッチボールの時からボールをしっかり見る  
④両わきを開けずに窮屈な振り方をする  
⑤自分を守るためボールをよける技術をつける  
⑥筋トレは上が1なら下は3倍やる  
⑦ボールの中をバットを通すようなイメージで打つ