日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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肩を痛め、打者へ転向
2009年01月30日 (金) | 編集 |
読売新聞 『時代の証言者』より。

1956年(昭和31年)、張本勲が高校1年生の時に、
広島の松本商(現瀬戸内高)から、名門、
大阪の浪華商(現大体大浪商)に転校しました。
2年生になると、思いもかけない人から、
プロ野球に誘われました。
巨人の水原茂監督(当時水原円裕)です。
浪商の当時の前監督、中島春雄先生とシベリア抑留時代に
戦友だったそうで、その縁で、喫茶店で会うことになりました。
  

びっくりしましたね。
テレビで見る大監督でしたから。
当時の巨人は右投手が中心で、
左の先発は義原(武敏)さんぐらい。
だから、左腕投手の私に声が掛かったようです。
  



~56年の巨人は別所毅彦投手が27勝、堀内庄投手が14勝、
 大友工投手が12勝を挙げるなど、右腕中心の編成だった。
 左腕は中尾投手が5勝、義原投手は6勝で、
 2ケタ勝利はいなかった~


その時、巨人に入りたかったんです。
嬉しかったので、
『是非、入団させて下さい』と答えました。
  
しかし、広島でタクシー運転手をしている兄に相談すると、
『高校だけは卒業してくれ』と言われました。
もし、野球がダメでも、高校を卒業していれば、
就職に有利だからという理由です。
父親を早くに亡くしているので、兄の言うことは絶対です。
仕方なく、納得しました。
中島先生が水原さんにもその話を伝えたのでしょう。
『立派なお兄さんだな。卒業するまで待ってるぞ』 
と言ってくれたそうです。


しかし、その後、左肩を痛めました。
投手がやりたかったので、
『野球を辞めよう』とまで落ち込みましたが、中島先生に
『お前は絶対、打者の方がいい。
 足も速いし、オレは、初めからそう思っていたんだ』と諭され、
打者として勝負することを決めました。
それからです。
毎日、先生のところにバットを持って、
スイングを見てもらいに行きました。
  


浪商では、先輩の坂崎一彦さん(巨人など)も、
かなり打球を飛ばしたみたいですが、
私の方が遠くに飛ぶので、近所から苦情がきて、
さらにフェンスを高くしてもらった記憶があります。
浪商は転校した年に、部員の暴力事件で1年間の
対外試合禁止処分を受けましたが、
解除された2年生の秋の大会では相当、打ちまくりましたね。

3年生の秋には在日韓国人高校生の全国選抜チームに選ばれ、
韓国に遠征出来た事も、いい思い出です。
韓国では物凄く歓迎され、たくさんの賞を獲得できました。
  


~58年(昭和33年)12月の報知新聞によると、
 張本さんは2年生だった57年、15試合に出場し、11本塁打をマーク。
 韓国人選抜チームではセンターを守り、
 本塁打賞、盗塁賞、四球賞を獲得している~  


私はこの経験で、さらにプロでやる自信が膨らみました。
帰国すると、たくさんのプロ球団から誘いが来ていました。

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地域リーグを12球団傘下にせよ
2009年01月29日 (木) | 編集 |
サンケイスポーツ 『エモやん流 日本野球改革論 (中)』より

~底辺拡大急げ~  

2008年のプロ野球の観客動員数は、セ・パ両リーグ
合わせて864試合で2163万8197人。
1試合平均約2万5千人というから、まだ捨てたもんやないね。
  
ただ、テレビ中継は激減しているし、早く手を打たなければ
いけないことも事実。
野球人気を再び盛り上げるためには、
底辺拡大をわすれたらいかんと思うよ。
  

日本のチームには2軍があるけど、
イースタン・リーグは年間96試合。
対する米国のマイナーリーグは140試合。
  
試合数の違いはもちろんやけど、
米マイナーメジャーの傘下とはいえ独立採算制で、
地域に根ざした経営が行われている。
  
参加経験がある米独立リーグは1チーム24人で、
スタッフは監督とコーチ2人、トレーナー1人。
サラリーキャップ制で、もうかったら選手に配分するシステムに
なっている。


日本の2軍は環境に恵まれ、コーチやトレーナーがたくさんいる。
そして高額な契約金をもらったエリート候補生が
1軍と2軍を行ったり来たり・・・が、お定まりの状況よ。
  
何が言いたいかというと、日本人が好きなものの一つに、
“サクセスストーリー”があるけど、
2Aから飛び級してメジャーで活躍できるような米国と違って、
今の日本のシステムでは無理なんよ。


~地域密着徹底~  

日本の独立リーグは四国・九州、北信越に続いて今年は
関西でも始まるが、残念なのは既存のプロ野球の経営を
モデルにしていること。
やるなら地域密着の徹底、フランチャイズ権を
地元のオーナーに買わせる―というような
経営形態を考えるべきやね。
野球教室や地方での試合も大事やけど、
いろいろな地域で身近にプロ野球に触れる機会を増やすこと。
頑張った選手が1軍に昇格するチャンスを作ることよ。
  
そこで今日の提言。  

『12球団は米マイナーのように、
 地域リーグを傘下にする形をとれ!!』―。


これまで経営側からの視点でモノを言ってきたけど、
やはり主役は選手。



イチローとならいい勝負
2009年01月28日 (水) | 編集 |
鮮やかな『広角打法』によって、
巨人などで日本プロ野球最多安打記録をマークした
張本勲さん(68)。
幼少時に右手にケガを負い、被爆も体験しながら
不屈の闘志で乗り越えた大打者が、
劇的な人生を振り返り、イチロー選手や今の野球界を語る。
  


『大リーグ・マリナーズのイチローが、私の通算安打記録に
 あと2本に迫っていると騒がれています。
 日本のプロ野球は70年以上の歴史があります。
 私も名選手を何人も見ましたが、
 これほど、いとも簡単にヒットを量産する選手は、
 見たことがありません。
 
 彼の特徴は、バットを持つグリップが全然、動かない点です。  
 ワンちゃん(王貞治)、長嶋(茂雄)さん、
 落合(博満・現中日監督)でも、
 多少はグリップでタイミングをとるもんなんです。
  
 でも、彼は絶対に動かない。だから、正確に打てるんです。   

 35歳のイチローには、あと6年以上、
 年間200安打を続けて、ピート・ローズ(レッズなど)の
 メジャー記録、4256安打を抜いてもらいたい。
 そして、米国という一つの国で、3000本を打ってもらいたい
 (現在1805本)。
 彼なら、きっとやってくれると思います。

 ただ、イチローは日米通算で、私は日本の記録。
 試合数も違うし、あくまでも、別にしてもらいたいですね。
 参考記録という形で比較するならば、
 それはそれでいいんですが。
 
 イチローとは、是非、同じ時代に競ってみたかったですね。
 きっと、いい勝負をしていたでしょう』―。


~日本の現役最多安打は39歳の立浪和義選手(中日)の2459本。
 これに続くのが38歳の石井琢朗選手(広島)の2307本。
 張本さんの3085本の記録を抜きそうな選手は今のところ、
 見当たらない。
 高卒1年目から活躍した清原和博さん(オリックスなど)も
 プロ22年目の昨年、2122安打で引退した。~

『今は“打高投低”の時代と言われます。
 本当は、3000本安打も、日本のプロ野球から出てこなければ
 いけません。
 でも、もう出ないかもしれません。
 私は23年間、現役生活を送りましたが、
 20年続ける選手は少ないのではないでしょうか。
 鍛え方が足りないのです。
 もったいないですね。
 今の選手には年俸にも成績にも、もっと、貪欲になってもらいたい。
 私はどんな困難を前にしても、野球に必死に取り組み、
 情熱を燃やしていました』―。


              読売新聞 『時代の証言者』より
                              荒井秀一氏
 
 
イチローに朝原の足
2009年01月26日 (月) | 編集 |
夢のコラボレーションが実現した。
イチローが自主トレを行うスカイマークスタジアムを19日、
昨夏の北京オリンピック陸上男子400メートルリレーで
銅メダルを獲得した朝原宣治氏が電撃訪問。
『走』の極意と五輪仕様のシューズを贈られた。
3月のWBCに向けて、“朝原魂”を注入されたイチロー。
世界一連覇と9年連続200安打のメジャー新記録はもらった!!
  


同じオーラを放つ男の存在が気分を高揚させた。
練習にも熱が入る。
世界を知る男との交流。
激動の2009年へ、イチローが最高の出会いを満喫した。
  

『刺激なんて安直な言葉で表したくない。 
 朝原さんは人間が違う。
 年齢は1つしか違わないけど、人間の出来が違う。
 トップでやる選手は“ワールド”があって個性がある』―。
  

スカイマークに突然、五輪銅メダリストが現れた。
オリックス球団関係者を介して対面も実現した。
朝原氏は昨年9月に現役を引退し、
現在は指導者を目指して勉強を積んでいる。
  

訪問目的はイチ流の調整法などを探るため。
ウォーミングアップ時から熱い意見交換は続いた。
  
『どんなイメージで走っています?』
イチローの質問に朝原氏は
  
『足で走るのではなく、体の中心を移動するイメージ』とサラリ。
『走』の極意でもあった。
  

約2時間。濃密な時間の最後はサプライズだ。
『五輪本番前に履いたスパイク。
 本番で使ったものと同じ形で世界で2つしかない。
 イチローさんに持っていただきたい』―。
朝原氏からの贈り物にさすがのイチローも
『頂いていいんですか!?
 (履いたら)殺人スライディングですよ。
 えらいこっちゃ~』と目を輝かせた。


朝原氏から伝授された“極意”で、イチローは進化する。
内野安打は問題なく増える。
機動力が重要視される国際大会。
WBCではイチローの足が輝きを放つ。
シーズンも同じだ。
WBC連覇とメジャー新記録の9年連続200安打に向けて、
最高の“足固め”に成功したイチロー。
まさに夢の“日の丸コラボ”だった。
  

                       1月20日 サンケイスポーツより
井口 生涯4個目の『宝物』ゲット
2009年01月26日 (月) | 編集 |
昨季の井口資仁内野手(34)は、
右肩の故障(鎖関節損傷)に泣かされて散々だった。
出場85試合で打率.232、2本塁打、24打点。
数字的にはファンの期待に応えられなかった。
だが、自身にとっては最も記憶に残るシーズンとなった。
野球人生で4個目の『チャンピオンリング』を手に入れたからだ。


ダイエー(現ソフトバンク)時代の1999年、03年、
メジャーリーグではルーキーイヤーのホワイトソックス時代(05年)に
ワールドシリーズを制覇。
昨季はパドレスから9月初旬に移籍したフィリーズが世界一・・・。
メジャーリーガーなら誰もが憧れるチャンピオンリング。
ところが、フィリーズに移籍した時点でルール上の問題から
ポストシーズンの出場資格がなく、井口はベンチ入りすらしていない。
それでリングをゲットした。


『チャンピオンリングは欲しいですよ。
 何個あってもいい。
 (フィリーズで公式戦は)たった1試合しか先発出場
 していませんけどね』―。
タナボタという人もいるだろう。

井口の考えは違った。
野球人生で最悪のケガを負い、メジャー4年目で初のDL
(故障者リスト)入りを経験。
『頑丈な肉体』と言われてきただけに、ショックは大きかった。

故障、戦力外通告、2年連続トレード・・・。
どん底を味わった。
苦しんだシーズンだからこそ、このリングにも価値がある。
3個とは違った輝きを放っていた。

『リングを見れば苦しかったことや、楽しかった当時のことが
 鮮明によみがえる。
 誰にも譲ることができない大切な宝物です』―。


ア・リーグ本塁打王5度、MVPを3度獲得したヤンキースの
アレックス・ロドリゲス内野手(33)でさえ持っていない
チャンピオンリング。
今季は千葉ロッテに移籍したが、
井口には見れば元気になれる“魔法の指輪”が4個もある。


             サンケイスポーツ 『アナーザーストーリー』より
                                広岡浩二氏
『小さな大打者』 雪国の誇り
2009年01月23日 (金) | 編集 |
若松勉さん(61)が、野球殿堂入りした。  
先日行われた記者発表には、入団当時、
ヤクルトのコーチだった中西太さんも出席していたが、
背の低い若松さんが、なぜ、成功したのか、
熱っぽく語ってくれた。

『とにかく、オレがいいよ、と言うことを
 ものすごく素直に聞いてくれた、しかも、
 “もう一丁、来い!”という形で、積極性もあった。
 小さいと言っても、足が太かったから、バランスはいい。
 私も1㍍72で、低かったんだから』―。
  


若松さんの身長は1㍍68と公表されることが多かったが、
実際は1㍍66。
1970年(昭和45年)に3位指名された当時は、
かなり、見劣りしたはずだが、
師匠は背の低さをマイナスにとらえず、
弟子も一点の曇りもなく、師匠を信じた。


若松さんは言う。
『私もとことん、ついていった。
 これでもか、これでもか、というぐらい。
 途中で、中西さんも三原監督に言われたらしいんです。
“おまえ、あんな小さな選手、一生懸命練習させて、どうするんだ”
 って』―。


そんな若松さんは2年目には首位打者を獲得。
2人の共同作業は、身長のハンデを吹き飛ばし、
『小さな大打者』を生み出した。
若松さんと言えば、1㍍70以下の選手に勇気を与えたことが
大きな功績だが、もう一つの功績もある。


北海道出身選手の殿堂入りは今回が初めてという点だ。
北海道と言えば、当時の有名選手は、俊足の外野手として活躍した
中日の谷木恭平さんぐらい。
若松さんのような一流の登場は画期的で、
81年には道民栄誉賞も受賞している。

北海道は冬の間、雪で実戦練習ができないという悪条件があるが、
若松さんは距離スキーで、強固な下半身を作り上げた。
あの太いももは、道産子の勲章でもあった。


背の低さと雪国。
二つのハンデを乗り越えた若松さんの殿堂入りは、
だから、意義深いと思う。
  


                  読売新聞 『熱視線』より
                             荒木秀一氏 


球場最終年が後押し(下)
2009年01月22日 (木) | 編集 |
広島は黒田(ドジャース)、新井(阪神)と
投打の中心が抜けたが、東出や栗原がチームを引っ張り、
前田健ら若手も台頭し、CS進出に、あと一歩まで迫った。
そのチームを後押ししたのは、球場が持つ<見えない力>だ。  
広島市民球場の最終年となった昨季。
主催試合の総入場者数は球団史上2番目の
139万680人。
1試合平均でも10年ぶりに1万7000人を越え、
『球場への郷愁』に支えられた側面もある。  


ただ、東出が
『(Aクラスとは)ちょっとの差だと思うけど、それが大きい』
というように、
11年連続Bクラスの脱却には、
すきのない野球を求める必要がある。
  
今季は外野の広い新球場に移り、
守備と走塁の重要性はさらに増す。
  



オリックス、広島とも、
『ダークホース』ではなくなった。
今季こそ、真価が問われる。
  



                        読売新聞 『球景’08』より

自主性尊重して躍進 (上)
2009年01月22日 (木) | 編集 |
昨季、下馬評を覆し、
オリックスは2位でクライマックスシリーズ(CS)へ。
長年Bクラスの球団に何が起きたのか。


オリックスは昨季5月に早々と借金2ケタとなり、
同21日にコリンズ監督が突然の辞任。
シーズン中の監督交代で成績が好転した例はほとんどなく、
大石ヘッドコーチの監督代行にも
期待は大きいとは言えなかった。

ところが、選手の自主性を尊重する大石采配が明るさをもたらした。
柔軟な発想で選手を起用し、逸材を発掘。
守備に難がある一輝を一軍へ昇格させると持ち味の打力で活躍し、
中継ぎから先発に転向した小松が15勝を挙げて
新人王を獲得した。
  

最終的には貯金7の2位に躍進、
9年ぶりにBクラスを脱した。
今季へ夢は膨らむが、喜んでばかりはいられない。
他球団は北京五輪代表が調子を崩すなど影響を受けたが、
オリックスには代表選手がおらず、
終盤の追い上げに結びついたという見方もある。
今季は大石監督が課題に挙げる
機動力がカギとなる。



                  読売新聞 『球景’08』より
野球少年のヒジ守るには
2009年01月21日 (水) | 編集 |
新潟リハビリテーション病院の山本智章副院長(49)
=整形外科医=は、野球のヒジの障害について
熱心に取り組んでいる一人だ。
山本さんによると、少年野球では今、
ヒジの障害を訴える子どもが多く、問題になっているという。

『最近の学会でも“野球ヒジ”は、
 大きなテーマとして取り上げられています。
 機能障害が残って、生活自体に支障が出るような
 深刻なケースも出ています』―。


山本さんは2003年に医師を集め、障害予防チームを結成。
投球動作を解析し、ヒジに負担のかからない理想のフォームを
研究し、指導者に提言している。
ただ、正しいフォームを身につけるだけでは限界がある。
山本さんは訴える。

『確かに正しい投げ方を身につけることも必要だが、
 投げ過ぎないこと。
 “球数制限”をルール化することが第一歩になると思う』―。

『球数制限』と聞くと、06年のWBCを思い出すが、
実はリトルリーグでは、一昨年から全日本選手権などの大会で、
『球数制限』が導入されている。
『1日、11~12歳は85球、7~8歳は50球』と、
年齢別に3段階に分けられたもので、
エースを続投させたいところでも、降板を余儀なくされる。
WBCの時は、違和感を持ったルールだったが、
子どもを守るには、やはり、勝負は2の次。
今後、少年レベルの様々な大会で、導入を検討すべきだろう。

ただし、この問題は、
『球数制限』をルール化するだけでは解決しない。
全日本リトル野球協会リトルリーグ委員会の森島敏仁委員は
指摘する。
『チームを強くするにはどうしても、投げ込みが必要になる。
 試合で保護しても、練習でどこまで保護できるか。
 その兼ね合いが監督の苦悩だと思う』―。


『球数制限』にプラスして、指導者の勝利を求める気持ちに、
いかにブレーキをかけるか。
子どもの未来のために、大人たちの『心の制限』が必要になる。


                     読売新聞 『熱視線』より
                                荒井秀一氏

ヴォーテックスフットボールを先日、大田選手の記事で
紹介しましたが、
うちも早速、いつもお世話になっているスポーツ店で発注し
数日後に届く予定です。
息子も4月から中学に入学し、ボールも変わるので、
肩やヒジの故障を防ぐ意味で準備し、使っていこうと話しています。
中学に入ると気持ちが高揚して、おもいきりボールを投げてしまい
肩やヒジを痛めてしまうのではないかと心配もしていますが、
元々投球自体、無理な投げ方をしているので、
中学入学を機に、改めて投球を見直していこうと思っています。
由規の155㌔ 恩師の『貯金』
2009年01月20日 (火) | 編集 |
ヤクルトの由規は、楽しみな投手だ。
昨季最終登板となった横浜戦では、6回途中まで
完全試合を続け、2勝目。
  
目を見張るのがその球速で、155㌔をマークした。  
この数字は、球数の少ないリリーフなら驚かないが、
100球前後を投げなければいけない先発としては
球界トップクラス。
  
その秘密を探ろうと、所属した仙台東リーグ、
北六バッファローズの早坂和宏監督(46)に取材したが、
返ってきた答えは意外なものだった。
  


『運動神経のいい子ではなかったんです』―。
監督は続けた。
『4年生の時に来たんですが、
 足が遅いのを気にして、チームに入るのを嫌がったほど。
 “足を速くしてあげるから入りなさい”と言いました』―。
  

監督は、由規に足りない俊敏性などを磨くため、
徹底して下半身のトレーニングを課した。
ハシゴのような器具を置いて、様々なステップを切らせ、
ミニハードルを跳び越えさせるようなことも反復させた。
  


体力をつけた由規は6年生の後半にはエースに成長、
リトルリーグ世界選手権のロシア戦でノーヒットノーランを
達成する。
  
スピードボールの原点は、投げ込みではなく、
地道な下半身強化だった。
  


監督は言う。
『ボクは、由規が次のレベルに上がる時のために
 “野球貯金”のようなものを作って、送り出したかった。
 彼はシニアや高校でさらに、その“貯金”を増やし、
 使ったからこそ、活躍できたのかな、と思う』―。


体力に欠ける由規の欠点を補い、上のレベルで野球をするための
“貯金”を作って送り出す。
監督が目先にこだわらず、次のステップにつなげようとした姿勢が、
『155㌔』につながったような気がする。


由規の快速球は、そんな指導者の熱い思いが詰まった
“財産”でもある。


                 読売新聞 『熱視線』より
                           荒井秀一氏 
あたりまえにできることに感謝
2009年01月19日 (月) | 編集 |
阪神・淡路大地震から17日で14年の月日が流れた。
大阪市内は無事だったが、テレビから細切れに伝わる
神戸方面の惨状に呆然とした。

嫌がるタクシー運転手を説得して甲子園へ。
阪神高速はあちこち崩落して、路上には瓦礫がごろごろ。
左右には全壊の民家。
地獄のような光景の連続に
『甲子園も絶対につぶれている』と観念したものだ。
ところが、予想に反して?
甲子園は無事だった。
ホッとしたのを覚えている。


しかし、壊滅状態だったのが、甲子園から3㌔南東にある
鳴尾浜球場だった。
その前年秋、2軍選手養成のために新虎風荘と隣接する新球場が
同時に誕生したばかり。
なのに、液状化現象で球場はドロドロ。
長靴なしでは歩けなかった。
某大学地質学教授の『復旧まで数ヶ月』という談話を引用して
『使用不能』の記事を書いた。


すると、当時球場を管理していた
阪神OB浅越桂一さんに呼び出された。
『勝手なことを書きやがって。
 1ヶ月で使えるようにするで。
 伸び盛りの選手が練習できないなんて目には遭わせへん』
と猛抗議を受けた。

それから1ヶ月余。
春季キャンプ取材で関西を離れていたから、
どんな苦労が重ねられたか、詳しく知らない。


が、浅越さんや阪神園芸の奮闘のおかげで、
3月には練習試合ができるまでに回復。
先の大学教授は『奇跡』と評した。
奇跡の裏に、選手を思う裏方さんたちの努力があったことは
言うまでもない。
“泥沼”からの復旧を知る選手もほとんどいなくなったが、
当たり前に野球が出来ることへの感謝は
忘れないでほしい。


              サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                              上田雅昭氏

あたりまえのことに感謝できる心を持てる選手が、
一流の選手なのだと思います。
イチローは、シリーズを終えてからしばらくの間、
シアトルに残り、現地の球場でトレーニングをしていました。

『日本にいれば球場をいつでもどこでも貸してもらえるけど、
 当たり前に与えられることで(練習の場を)
 意欲が希薄してしまう。
 限られた場所で集中して(練習)できることが大切』
というようなことを、
新年の特番でイチローが話していました。

ケガをしてしばらくの間、公式戦や練習に参加出来なかった
時期があった息子も(小学校5年秋季)、
この状況を親身に受け取れたようで、
今は“あたりまえの精神”を大切に受け止めています。


どんなことにも当てはまることだと思いますが、
あたりまえにできる環境を、状況をもう一度見直すための
いい記事だなと、今回載せてみました。
ルーキーに新兵器 “松坂流トレ”
2009年01月18日 (日) | 編集 |
巨人は14日、川崎市のジャイアンツ球場で行った
新人合同自主トレで、
アメフットのボールを模した遠投用練習器具を初使用した。
米大リーグ、レッドソックスの松坂大輔投手(28)も
アメフットのボールでトレーニング。
ドラフト1位の大田泰示内野手(18)=東海大相模高=らは、
“松坂流”で正しい投げ方を体感した。


グラウンドでルーキーが見慣れない器具を手に取って
投げ始めた。
前方に小型のアメフットボール、後方に羽が付いた
変わった形状の矢。
合同自主トレ第2クール最終日、
スローイング矯正のための新兵器が導入された。  

『ちょっと難しかったです。
 でも、いい投げ方をしないと、いい回転にならないので、
 なかなかいいですよね』―。
と大田は満足そうにうなずいた。


ヴォーテックスフットボール』と呼ばれ、
アメフットを始める子ども用に開発された。
正しい投げ方をすると、矢はきれいな回転軌道を描いて
『ヒュー』と音を発する。
いきなりアメフットのボールを手にしても投げるのが難しいことから、
試みとして子ども向けの器具を用いた。


伊藤博2軍トレーニングコーチは、
『ひじが下がっていると、真っ直ぐに飛んでいかない。
 肩、肘の故障防止にもなります』と説明した。
  
近年、アメフットのボールを使ってトレーニングする選手が
増えている。
その代表格が松坂だ。
昨年導入し、18勝と大車輪の活躍。
『いい投げ方をすると、きれいな回転で飛んでいく』と
効果を実感している。

投手だけでなく、野手にとってもスローイングは重要。
大田らのヤングGが“松坂流トレ”でプロの基礎を築く。
55を継ぐ男 ~大田泰示物語 ④~
2009年01月17日 (土) | 編集 |
~ハードな練習 きっちり~

松井秀喜の3年目のオフから米・ヤンキースに移籍するまで、
自主トレを支え続けた打撃投手の北野明仁(47)は、
大田泰示が新人の先頭に立ってランニングする姿を見つめていた。
『がっちりしているね。
 ゴジ(松井)が入ってきた時より、全体的にデカイな』―。


入団時に1㍍85、86㌔だった松井に対して、
大田は1㍍88、90㌔。
身長も高く、体重もある。
それでいて、体脂肪率は巨人選手の平均の15%を下回る13%台。
トレーニングコーチの伊藤博(43)が
『身長と体重、筋量と体脂肪のバランスが取れている。
 高卒新人で、あれはすごい』と驚く体を、大田は、
日々の練習で作り上げてきた。


8日に始まった新人合同自主トレでも、
優れた体格を生かしてランニングや筋力トレを着実にこなしている。
その中で、伊藤は、別のところに目をつけていた。
例えば、9日の30㍍3往復のダッシュを何度も繰り返す
トレーニング。
疲れてくると、折り返しのラインまで足が届かない選手が多い中、
大田はラインに到達するどころか、毎回、
ラインを超えて折り返した。
大田自身は
『そういうところを きっちりやらないと、
 (東海大相模高)高校の(門馬敬治)監督に
 怒られますから』と平然と言うが、伊藤は
『きついことでも正面からぶつかるというのは、
 好感が持てる』と感心する。


松井と同期入団で、現在はトレーニングコーチの木村龍治(38)は、
大田が『○○先輩、次の1本頑張りますよ!』と
激励しているのに気付いた。
『松井はそういうところはなかった。
 あの姿を見ると、リーダーシップがあるなと思うよね』―。


『55』を背負う以上、松井との比較はずっとついて回る。
大田も、それを百も承知だ。
『この背番号をもらったからには、
 松井さんを越える活躍をしないといけない』―。

幼い頃から憧れ続けたスラッガーに挑む戦いが、今、始まる―。

55を継ぐ男 ~大田泰示物語 ③~
2009年01月17日 (土) | 編集 |
~大舞台 見られて本領~

巨体を揺らしながら、背番号『55』はゆっくりと東京ドームの
グラウンドの特設ステージへと向かった。
昨年11月23日の『ジャイアンツ フェスタ 2008』。
集まった約4万人の大観衆を前に、
大田泰示は声を張り上げた。

『前につけていたのが松井選手で、すごく重い背番号ですが、
 それをプライドにして野球生活を送りたい。
 子ども達に夢を与え、55は大田だと言われるような
 選手になりたい』―。

その堂々たる態度に、スタンドを揺らすような大歓声が
沸き起こった。


幼い頃から物怖じしない性格だった。
3歳の時、三輪車すら乗ったことがないのに、
2歳上の兄の自転車を奪って乗り回した。
『止まり方を知らなくて、転んであごの下を縫ったのが、
 これまでの人生で一番のケガ』と笑う。

小学生でソフトボールを始めた時も、
自分の顔ほどの大きなボールから逃げなかった。
『目立ちたがり屋』だからかもしれないが、
野球でも『見られる』ことを常に意識していた。
父、幹裕(50)も
『舞台が大きくなればなるほど、力を発揮してきた』とうなずく。


郷里の広島を離れて東海大相模高(神奈川)に入ったのも、
『注目度が高い中で、自分の力を試したい』という思いから。
2007、08年夏の高校野球神奈川県大会決勝
(08年は北神奈川大会)で敗れはしたが、
横浜スタジアムを埋めた大観衆の前で、
大田は2年連続アーチを放った。


8日の新人合同自主トレ初日。
1人20球ずつのティー打撃で、大田の豪快なスイングや
ネットに突き刺さる鋭い打球は際立っていた。
他の選手が早々と20本打ち終えて交代する中、
なぜか、大田の番がなかなか終わらない。
一球一球、じっくりとバットの出し方や打撃フォームなどを
確認しながら、1人、悠然とバットを振り続けた。
『球数が限られているし、雑に打つことだけはしたくなかった』―。

およそ高校生らしからぬ『大物感』を、
早くも漂わせている。

55を継ぐ男 ~大田泰示物語 ②~
2009年01月16日 (金) | 編集 |
~変化球攻略 開眼の一発~

昨夏の高校野球北神奈川大会決勝。
4回、慶応の好投手、田村圭の内角直球を振り抜いた打球は、
瞬く間に横浜スタジアムの左翼席中段まで飛んだ。
神奈川大会記録となる5本目のアーチ。
右手人差し指を突き上げ、
大田泰示は悠然と一塁ベースを回った―。


高校入学後すぐにベンチ入りを果たした大田は、
その年の秋から4番を任された。
周囲の期待が高まる中、
しかし、2年夏までに放った本塁打は、自分では納得いかない
19本にとどまっていた。
思い描く豪打をなかなか実現できなかった。


最大の要因は、変化球への対応。
思い切って引っ張ろうとすると、体が開いてバットの芯を外れ、
合わせようとすれば、当てるだけの弱々しい打撃になった。
ボール球に手を出しては凡打する日々が続いた。


それでも、東海大相模監督の門馬啓治が
『駄目な時期も、泰示は諦めなかった』と振り返るように、
大田は人一倍、バットを振った。
  
午後8時半に全体練習が終わった後、
日付が変わるまで打撃練習を繰り返し、
1日のスイング数は2000を数えた。
寒さが身にしみる冬は、重さ1㌔の竹バットで振り込んだ。
    

その積み重ねから1本のアーチが生まれた。
主将を任された2年秋の試合で、相手投手のカーブを
右中間席へ運んだ。
高校で初めて変化球を打った一発だった。

『変化球も“右中間に引っ張る”という風に打てば打てる』―。
この感覚が、変化球攻略の扉を開いた。

ヤクルト1位の赤川克紀(宮崎商)、
オリックス1位の甲斐拓哉(東海大三)ら、
ドラフト同期の好投手からも本塁打を連発。
最終的に、松井秀喜(星陵)の60本、清原和博(PL学園)の
64本を上回る、高校通算65本のアーチを放った。
  
『最後の年に打てたことが一番自信になった。
 1,2年がなかったら、3年はなかったと思う』―。

もがき、苦しみ、最終学年で才能は大きく花開いた。

55を継ぐ男 ~大田泰示物語①~
2009年01月16日 (金) | 編集 |
~怪童 飛距離ケタ違い~

『自分はジャイアンツへ、プロ野球の道に進んでいると
 信じています。
 1年目でホットコーナーのサードをキープして、
 新人王を獲得していると思います。
 あとは○○億円も稼ぐ選手になって女の子に
 キャーキャー言われて・・・』―。
大田泰示が中学3年の時、
『20年後の自分へ』というタイトルで書いた作文だ。
勝負の世界の厳しさを知る今、
『なめてますね。“入り口”だけ達成できたけど』と
恥ずかしそうに振り返る。


1990年6月9日、大田家の三男として誕生した。
3980㌘の大きな赤ちゃんで、高校まで野球を続けた父の
幹裕(50)は『こいつなら野球で食っていけるかもしれない』と
喜んだ。

小学1年でソフトボールを始めると、大田は非凡なセンスを見せ付けた。
2年でレギュラーを奪い、高学年になるとホームから60メートル離れた
学校の校舎まで打球を飛ばした。
『校舎越えの伝説を作りたかった。
 結局、越せなかったですけどね』―。
その頃から、打球の飛距離は、ケタ違いだった。

小学6年で軟式野球に転向した。
1㍍70を超す身長に驚いた松永ヤンキース監督の柳生豊晴(58)は、
バットを振る姿に目を疑った。
『こんなスイングスピードの速い子は初めて。
 プロへ行かせなければならない』―。
試合では内野ゴロやポップフライも多かった。
あまりの衝撃の強さで、軟式ボールが打った瞬間に
つぶれてしまうせいだった。
高校野球で大田の才能が開花すると信じていた柳生は、
『そのスイングでいい。結果は気にするな』といい続けた。
それでも、大田はは納得がいかず、父に見てもらって
家の前で素振りを繰り返した。
他の選手が普通車のタイヤを引いてノックを受けるとき、
大田は4トントラックのタイヤで走り回って足腰を鍛えた。


恵まれた体格、優れた野球センス。
それに甘んじない不断の努力。
プロ野球の“入り口”に立った黄金ルーキーの土台は、
少年時代にしっかりと築かれていた。


『パ』集客に知恵 (下)
2009年01月15日 (木) | 編集 |
新興が新機軸を打ち出すのに対し、
温故知新の改革に乗り出す球団もある。

西武は今季からユニホームのデザインを、前身の西鉄時代に
近いものに変更する予定。
詳細は未定だが、白を基調にチーム名や袖のラインを
『ライオンズブルー』と呼ばれる明るい青から濃紺に近い色とする。


昨季、西武をはじめロッテやソフトバンクなどが往年のユニホームを
着用する企画を期間限定で実施。
西武の場合、それが予想以上の反響を呼んだためだ。
これまで西鉄時代の歴史をほとんど無視してきた西武だが、
伝統にすがることになった。


平日の西武ドームでは日本シリーズでさえ空席が目立つように、
営業努力の余地はある。
埼玉・所沢の地に移転して30年。
新たなファン層の開拓手段として、福岡時代の野武士魂を呼び起こす。
今後は球団の通算記録も、西鉄時代のものと統合する方針だ。


地域密着をはじめ、あの手この手でファンを獲得しようと努力する
パ・リーグの各球団。
アイディアをひねり出す営業担当者にも支えられ、
選手は思う存分グラウンドを駆けめぐる。
『パ』集客に知恵 (上)
2009年01月15日 (木) | 編集 |
楽天の昨季の観客動員は、前年比約3万人増の
114万9061人に上った。
球団創設から4年、ほぼ右肩上がりで推移してきた。
  

チームは順位こそ一昨季から後退したものの、
岩隈が投手部門3冠、沢村賞、パ・リーグMVPに輝いた。
リックも首位打者となり、一昨季の山崎武の打撃2冠、
田中の新人王と合わせれば、
この2年で投打の主な個人タイトルは全て獲得した。
  


東北の地に、そして球界に、
新興球団がしっかりと根づきつつあることは疑いようもない。
勝負の5年目に向け、球団は積極的な戦力補強を見せているが、
営業面でも活発に動き始めている。
  


楽天は今季から、チケットの価格に『フレックス・プライス』を
導入する。
これは対戦相手や曜日、季節ごとに5段階の価格を設定する
システムだ。
例えば、巨人戦や阪神戦などの人気カードでは値上げし、
平日のナイターや寒冷期には値下げする。
楽天によると、日本球界では初の試みだ。


池田敦司・球団副社長は  
『試合ごとに顧客にとっての価値は違うという発想に
 基づいている』と説明する。
  
約2万3000人と大きくはないKスタ宮城の収容能力で
最大の利益を生み出そうとする姿勢は、
いかにもベンチャー企業を親会社に持つ球団らしい。
羽ばたけ 原チルドレン ~中井大介(19)~
2009年01月14日 (水) | 編集 |
昨年2軍で主に『4番・三塁』として94試合に出場した
中井大介内野手(19)。
昨年11月の秋季練習で原監督(50)から個人指導を受けるなど、
将来の4番候補として期待される逸材だ。
今季は背番号が『94』から坂本勇人内野手が付けていた
『61』へと変わり、気分も新たに1軍定着を目指す。


いつもニコニコ・・・。
あどけないスマイルを見せる中井だが、
練習になると表情は一変する。
1軍定着をつかもうと必死のオーラでプンプンだ。

『去年は1年間ケガもしないで試合に出続けられたし、
 90%は満足している。
 唯一、心残りなのは1軍で1試合も出られなかったこと。
 1試合でもいいから出たかった』―。

高卒1年目の昨季は、2軍で打率.267、10本塁打、
50打点の成績を残した。
とにかく野球に集中した1年だった。
体を休めるため、見たいテレビ番組も録画して1日8時間の
睡眠を確保。
イースタン・リーグ全94試合に出場した。
家族が支えてくれるから頑張れる。
『俺にずっと投資してくれたわけだし、1軍で活躍している姿を
 早く親に見せたい。
 それが1番の親孝行でしょう』―。

契約金を大学3年の姉・珠恵さんの学費や、母・澄子さんの車購入に
充てるなど家族思い。
応援してくれる家族のためにも1軍昇格は急務だ。


昨年の秋季練習では原監督から、
過去に松井(ヤンキース)や坂本らも経験した個人指導を受けた。
テーマは『内角球は下半身にタメを作って打て』。
2時間付きっきりの“愛のムチ”には
『マジで嬉しかった。
 とにかくこのオフで自分のものにできるかがカギになる』と
目を輝かせる。


今季から背番号が坂本が付けていた『61』へと“昇進”。
『期待してもらっての背番号変更ですよね。
 坂本さんを越えられるように頑張りたい』―。
笑顔も性格も満点のナイスガイが、
原監督の期待に応える。


~高校時代の中井選手~

宇治山田商高時代、05年に同校からソフトバンクにドラフト
1巡目で入団した江川智晃外野手と比較され、
『江川2世』と呼ばれていた中井。
『尊敬はもちろんしています。
 でも2世と呼ばれるのは嫌なんです。
 次は中井2世を作りたい。
 それには自分が活躍しないとダメですけどね』と
自らにハッパをかけている。


G二軍スローガン 『プロ意識』
2009年01月14日 (水) | 編集 |
巨人が今季から初めて、ファームの育成スローガン
『プロ意識 PROFESSIONAL ISM』を決めた。
岡崎郁・二軍監督の発案によるもので、
現在球団で作成中のファーム強化マニュアル
『GIANTS 育成ビジョン』の一環。
打撃・守備・走塁などの部門別のスローガンも定め、
岡崎監督は
  
『日常の生活においても、常に“プロ意識”を持って生活させる』  
と話している。  


『感受性を高め行動しよう』(投手)、
『常に魂を込めたスイングを』(打撃)など、
部門別のスローガンも担当コーチが作成。
さらに打撃では
『ヘッドスピードの向上』『選球眼を磨く』など12項目、
守備では
『けん制プレーを多用する』など13項目を、
全選手がクリアすべきテーマに掲げた。
  


一軍で通用する選手になる為の心構えと強化ポイントを、
分かりやすくまとめた“虎の巻”。
岡崎監督は、
  
『無意識で動けるのは一軍レベル。
 二軍の選手は技術を習得するまで、
 手足の動かし方から意識を強く持ってやらないといけない。
 まずは頭で理解して覚えること』と強調した。
  


昨年飛躍した坂本や山口に続く若い戦力の発掘、育成に
全力を挙げる方針だ。
  


*詳しくは昨日のブログで紹介しています*
巨人 V3へ万全!?
2009年01月13日 (火) | 編集 |
08年は13ゲーム差を跳ね返し、軌跡の逆転Vを飾った巨人。
大型補強のない今季は
スポーツビジョントレーニング』を採用し、V3を目指す。

『シーズンを通して動体視力のトレーニングを取り入れていく
 予定です。
 フィジカル面と同様に、継続してやっていきます』―。

構想を明らかにしたのは伊藤博2軍トレーニングコーチ。
イチロー(マリナーズ)や青木(ヤクルト)ら好打者も
取り入れているスポーツビジョントレとは、
運動の根幹となる外部情報の取り込みをつかさどる
視覚機能レベルを高めるトレーニング。
簡単に言うと、ボールの見極めや、正確にボールを捕らえる能力を
アップさせようともの。
  
トレーニング方法はさまざまだが、
巨人は『目と手の協応動作』を採用する。


最初の対象者は、静止視力1.5の大田ら期待の新人たち。
8日から始まった合同自主トレ第1クールで、
専門家が立ち会ってデーターを収集。
宮崎キャンプ終了後にはファーム全体で開始。
成果が上がれば1軍でも導入する予定という。

シーズン中は試合前に10分程度のトレーニングを継続。
ベテラン小笠原も強い関心を示している。


他球団の大砲やエースの獲得ばかりが目立つ巨人だが、
近年は坂本、山口ら若手が成長している。
今年最大の補強が
『スポーツビジョントレーニング』といわれる日が
くるかもしれない。


~巨人が採用するスポーツビジョントレーニング~  
①KVA (縦方向動体視力)  
眼前に直線的に近づいてくる視標形状を見極める能力  

②DVA (横方向動体視力)  
眼前から一定距離の空間を横に移動する視標の形状を
眼の動きで見極める能力
  

③眼球運動  
視線を動かして複数の目標を次々と見極める能力。
ボールの球種の見極めなど。
  

④コントラスト感度  
明るさの微妙な違いを識別する能力。
ドーム球場での屋根とボールの識別など。
  

⑤深視力(距離感)  
両眼の視力バランス、および視差による視標の相対的な位置関係を
認識する能力
  

⑥瞬間視力  
味方選手や相手選手の位置関係など、
必要な情報を瞬時に認識する能力
  

⑦目と手の協応動作  
眼でとらえて素早く反応する能力。視野全体に注意を配り、
周辺視でターゲットを捉える能力。
バッティングなど

成功への3カ条伝授
2009年01月11日 (日) | 編集 |
レイズ・岩村明憲内野手(29)が先月26日、
神宮室内練習場にて、
ドラフト3位で横浜に入団した山崎憲晴内野手(22)
=横浜商大=が参加。
プロデビュー前のルーキーに
『メジャーリーガーの教え』を伝授した。


バリバリのメジャーリーガーの動作ひとつひとつが、
新人には最高の教材だ。
『うまいと思う、体のバランスもいい。
 横浜は(広島移籍の石井)琢朗さんが抜けて
 内野陣の若返りを図っているので頑張ってもらいたいね』―。

共通の知人を介して実現したコラボトレ。
終始緊張気味の山崎に、岩村がアドバイスを送った。

その一~無理するな
 プロの世界に飛び込むからといって、
 がむしゃらに筋トレをする必要はない。
 『若いうちは大丈夫』

そのニ~謙虚であれ
 プロの選手になったからといって、天狗になってはいけない。
 『上には上がいる、ということを忘れてはいけない。
  しっかりと足下を見て』

その三~ひとつのアウトを確実に
 『併殺は一つ目のアウトを取らないと成立しない。
  スピードばかりだけでなく確実に』


精神面だけでなく、併殺プレーの練習で素早い動きへの意識が
強すぎる山崎に、プレーのツボもしっかりと伝授した。
さらに今オフから、長打力アップのために取り入れた
ソフトボールのティー打撃や、
フリー打撃も惜しげもなく披露。

山崎も『すごい勉強になりました。技術的な話もして頂けました』
と笑顔を見せた。



面倒見のいい岩村明憲選手。
今日の『ウチくる!?』でも交遊録が放送され、
親近感を感じるとともに、
人間味の溢れた男気にまたまた
『惚れてまうやろ~~~ぅぅ!!』と叫びたくなるような
人柄が垣間見えました。
番組最後、お父さんの手紙には心を打たれましたが、
今シーズンもきっと、やってくれると信じています。
まずはWBC。
期待しています!!
近未来予想図 (巨人)
2009年01月09日 (金) | 編集 |
来季の東京ドームは予告なしの“同時多発サイン会”で
大盛況!?
読売巨人軍・中山実ファンサービス部長が明かした
ファン拡大策は、徹底的なファンとのふれ合い。
やっぱり盟主はスケールが違う?
  


≪4年の準備経て≫  
球界再編騒動に揺れた4年前、巨人にファンサービス部が
設立された。
それまでチケットは『即日完売』が当たり前。
“殿様商売”の代名詞にもなっていたが一転、
『4つのテーマ』を掲げ、さまざまなファンサービスを展開してきた。
  
『この4年間は準備期間だった』と中山部長。
来季からは1番目の柱、
『ファンとのふれ合い』に重点を置く。

『プロ野球選手にあこがれてもらわないと、
 野球ファンは増えない。
 来場者にサインボールを配るより、選手が直接サインをする機会を
 つくりたい。
 球団の指示ではなく、選手が自発的に出ていく
 環境づくりをしたい』―。


中でもユニークなのは、今季から始まった『サプライズ・サイン会』の
活発化だ。
  
1年目は発案者のクルーンだけだったが、
『若い選手は積極的にファンの前に出たがっている』(同部長)と、
2階席、外野席でも予告なしのサイン会を計画している。
外野通路に坂本が突然現れれば、
内野コンコースでは越智が即席のサイン会・・・。
こうなればファンは驚喜すること必至だ。


≪区切りの75周年≫  
東京ドーム側から
『何万人も集まっているところへ、突然スター選手を出すのは危険』と
心配されているそうだが、
同部に立ち上げから参画している貴島勝司課長(43)は、
  
『どんなに混乱しようと、ファンと選手が触れ合う場所を作るのが
 私たちの仕事』とやる気満々。
既にファンの誘導や安全確保の方策も立てているという。

くしくも、12月26日は昭和9年に巨人の前身、
『大日本東京野球倶楽部』が発足した日だった。
来季は“巨人軍75周年”という区切りの年を迎える。
  
『歴史と伝統が作り上げたブランド力に甘えないで、
 夢のある企画につなげたい。
 私たちの活動は、子ども達が球場に来てくれることで完結する。
 まだまだです』と貴島部長。
80年、90年、そして100年続く野球文化の下地作りへ、
盟主の挑戦は続く。


≪キッズデーを毎週日曜日に≫  
サプライズ・サイン会だけでなく、
『今年は1回だけだった“キッズデー”を、今年は毎週日曜日に
 行いたい』と中山部長。
子ども達にボール・ボーイ、場内アナウンスなどを体験してもらう
企画で、毎週実施となれば多くの来場者に参加のチャンスが広がる。
このほか、
『試合後に黙ってバスに乗るんじゃなくて、外で待っているファンに
 ハイタッチするとか、
 2軍なら可能だと思う』(同部長)と、
アイディアを次々に披露した。
  


~巨人の“ファンサービス4本柱~
①ファンとのふれ合い  
小学校訪問、エキサイトシートを開放してのサイン会など、
球場の内外で選手がファンと接する機会を増やす。

②ボールパーク  
東京ドームにイベントスペースや、幼児向け施設『ジャビットの部屋』
などを設置、来場者が1日中楽しめるようにする。

③社会貢献活動
骨髄バンクへのドナー登録を呼びかけ、原監督、木佐貫、上原が登録。
阿部は『阿部慎之助赤十字基金』を設立、
安打1本につき1万円を積み立てる。

④野球振興事業  
少年、少女野球大会の主催や、長嶋終身名誉監督を校長とする
『ジャイアンツアカデミー』の野球教室など、
多面的に展開。


イチローに なる準備
2009年01月08日 (木) | 編集 |
マリナーズのトレーナー、森本貴義さん(35)に、
イチローについて聞く機会があった。
  
彼の話で思い浮かんだのが、『継続は力なり』という一見、
ありふれた言葉だった。
  


イチローはホームゲームのナイターの際、
午後1時45分ごろ球場に入る。
マッサージ、ストレッチ、機材を使ったトレーニングなどで
体を作った後、
午後4時15分ごろ、全体のウォーミングアップに合流。
打撃練習を行う。
もちろん、デーゲームや敵地では違うが、
  
基本的にシーズン中は、毎日、
このメニューをきっちり、こなしていく。
  

森本さんは言う。  
『普通の選手の球場入りは3時ぐらい。
 イチロー選手は、選手の中では一番乗りです。
 簡単そうに思えるかもしれませんが、162試合、
 毎日これを続けることは、けっこう難しいことなんです』―。
  


長いシーズン、スーパースターのイチローと言えども、
不振で気分の乗らない日や体調が優れない日は
必ずあるはず。
それでも、人より早く球場に現れ、当たり前のように
準備メニューをを消化する。
スポーツ選手に限らず、一般の社会人だって、
意志を強く持って、毎日、規則正しく生活を送ることは難しい。
そんなところにも、イチローの非凡さは見えてくる。
  


森本さんは続ける。  
『彼のルーチン(一連の決まった動作)は球場の中だけでなく、
 毎日の際活から始まっているんです。
 起きる時間や食べる時間も、ほぼ一緒。
 深酒もしません。
 “イチロー”になっていくプロセスを自分で作って、
 ルーチンの中に入れている点が、すごいと思います』―。
  


イチローの記録は、彼の才能が作った部分も大きいが、
徹底した自己管理の積み重ねがあった点も、見逃せない。
  

2009年、注目を集めるメジャー新の9年連続200安打という
大記録は、まさにそうした
  
『継続性』がなければ、実現しない偉業でもある。  


                        読売新聞 『熱視線』より
                                   荒井秀一氏


『継続は力なり』―。
私と息子の心の中でも毎日唱えている言葉です。
毎日続けることの意味を、色々な形で息子が小さい頃から
植え付け学ばせています。
今、続けていることが、将来何らかの形で実を結んでくれることを
願っています。
今日から新学期。
中学校に向けて新たな気持ちで取り組まなくてはならない3ヶ月に
なりそうです。
大八木イズム 心が成長
2009年01月07日 (水) | 編集 |
元ラグビー日本代表の大八木敦史氏(47)が高知中央高の
ゼネラルマネージャー(GM)に就任したのは一昨年2月。
それから2年足らずで、勉強やスポーツに挫折した
生徒達を束ね、創部2年目で花園出場を勝ち取った。


大八木GMは伏見工(京都)時代、
山口良治監督(当時)の熱血指導で、花園の舞台を踏んだ。
恩師がラグビーを通じて不良少年達を更生させた話は、
1980年代に人気を集めたテレビドラマ『スクールウォーズ』の
モデルとされている。
今回の花園出場は、当時を連想させる快進撃と話題になったが、
大八木GMは『試行の連続』とまだ、道半ばを強調する。


出身地の京都や、自宅がある神戸ではなく、
高知を指導の場に選んだのは高知中央での講演がきっかけ。
ラグビー部を受け皿に、生徒の健全育成を目指そうと考えた
近森正久理事長に触発された。
  
だが、1年目は、理想と現実のギャップに苦しんだ。
他校や、よそのクラブを辞めた経験のある生徒達は精神力が弱く、
練習もさぼりがちだった。
月の半分近くを高知で過ごし、学校では授業態度を観察した。
実家に帰省したまま戻ってこない生徒を
車で迎えに行ったこともある。
親身に正面から向き合っても、何人かは退部、退学していった。
  


『ラグビーは人生の縮図。
 どうやって生き方のヒントを与えるか』と考え抜いた。
思うように転がらない楕円球を人生に例え、
団体生活での規律、辛抱の大切さを説いた。
  

嫌々ラグビーを始めたという加藤弘幸主将(3年)は、
『自分も成長できたし、チームも成長したと感じている』
と言い切る。
大八木GMは、
『あの時、出会えてよかったと、20年後にでも思ってもらえれば』
と話す。
  

『強いチームとの違いに気づいてほしい』―。
大八木GMは、花園で選手たち自身がその答えを発見する姿を
思い描ていた。


                 12月末 読売新聞より 南恭士氏

今年もよろしくお願い致します。
2009年01月05日 (月) | 編集 |
昨日より仕事始めでしたが、
午前中は家の掃除や、たまった洗濯物、布団干しなど・・・
主婦らしい仕事をこなしていました。
午後からは店が忙しくなって、夜まで主人とお仕事
夕食は、ほか弁になってしまいました

息子の友人ママが遊びに来てくれて、
お昼は一緒にうちでインスタントカレーを食べました。
二人ともカレーが無性に食べたかったんです

昨日から島根県にて、小学生バドミントン全国大会が行われており、
友人の息子さんは団体でベスト8に進出し、
今日、ベスト4をかけて試合に挑んでいます。
子育ての話でいつも盛り上がり、お互いに子供たちから
たくさんの喜びやパワーを与えてもらって幸せだね、と
新年から二人で今年の抱負を語り合っていました。
友人ママも、
『結果は二の次で、勝っても負けても全国の同世代のみんなが
 自分以上に頑張る姿を目の当たりにできる喜びを
 体で覚えてきて欲しいし、
 次につながる結果を出してきて欲しい』
と話していました。


息子の友人らは、上を目指し頑張る子がたくさんいます。
その中でお互いを尊敬し認め競争し合う仲間を
4月からの中学でもたくさん作って、
みんなで伸びていって欲しいし、
その過程を見届けられる立場にいられる親である自分も
息子だけでなく、みんなをサポートしていけるように、
視野を今まで以上に広げて応援して行きたいと思います。


今年勇汰は芽を出す年。
頑張りすぎて芽をつぶさないように、
一歩一歩着実に中学野球の土台を作り挙げていけるよう、
頑張っていって欲しいです。


今年もよい1年になりますように