日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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日本のプレー貫く福留
2008年04月29日 (火) | 編集 |
福留はこれまでの日本人打者とは、野球に対する姿勢が違う。
現在、地元シカゴでは、福留の打席への歓声が一番大きい。
25日付のワシントン・ポスト紙は福留フィーバーを大きく扱い、
同僚投手の話を紹介した。
  
『福留の打席はいつもフルカウントになる。
 投手にとって悪夢のような存在だ』―。
  

1打席あたりに投げさせる球数
(26日現在、リーグトップの4.56球)が取り上げられ、
辛抱強いと評価される。
  
だが、福留は意に介さない。
『日本にいる時から、いきなり難しい球には手を出さないけど、
 第1ストライクからどんどん打つ姿勢は変わらない』―。
  

福留がグラウンドに立つと、力勝負が主流の大リーグの中で、
きめ細かな日本野球の質感が浮き上がってくる。
  
打席ではバント、進塁打などに頭を巡らせる『チーム打撃』。
球数はその延長線上にある。
  
基本がしっかりし、ソツなくこなす守備と走塁。
ファンはこの5番打者に、日本野球の完成品を見る。
  


洗練された日本野球を持ち込むのは福留が初めてではないが、
騒がれるのには理由がある。
  
福留が日本でのプレーをそのまま持ち込んでいるからだ。  
ストライクゾーンが違っても自分の打撃は変えない。
『環境が変わっても、ボク自身は変わらない。
 日本でやっていたことをやるだけ』―。
  


首位打者経験者は、イチロー、松井秀喜に次いで3人目。
カブスのピネラ監督、ペリー打撃コーチは、
イチローが移籍1年目だった当時のマリナーズと同じだ。
イチローは、自分を変えた。
振り子打法をすっぱりやめた。
ピネラ監督から
『もっと右方向に強い打球を打つのが見たい』と
言われたこともあった。
  
だが、時代は変わった。
ピネラ監督は福留に何も言わない。
『真のプロフェッショナルだ』とたたえる。
  


福留も5番を任されてもジタバタしない。
『ここでは、自分は長距離打者ではない。
 野手の間を抜いて、たまたま長打や本塁打になることは
 あるだろうけど』―。

ひたすら、自分のスタイルを貫く。
福留は
『それが全てなのかどうか、1年間やってみないと分からない』
と話す。


                   読売新聞 『メジャー’08』より
                                 大月達也氏
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一時代の終わり告げる対決
2008年04月28日 (月) | 編集 |
『低めに投げただけなんですけど・・・』―。
4月15日。
マリナーズ戦でイチローを三振に仕留めたロイヤルズの
野茂は、ぶっきら棒にその場面を振り返った。
  

カウント2-0から高めのフォーク、135㌔の外角速球で
2ストライクと追い込むと、フィニッシュは外角に落ちるフォーク。
  
ワンバウンドした“伝家の宝刀”に、あのイチローのバットが
いとも簡単にクルッと回った。
イチローらしくなく大きくタイミングを外されて空振りした。
  


昨年、6月21日のパイレーツ戦で桑田に喫した
空振り三振だ。
初球は内角高めの直球がボール。
2球目は外角低めのシュートを見逃し、3球目は内角の
スライダーを空振りしたカウント2-1からの4球目だった。
  
外角低めのボール球にイチローは同じように
大きくタイミングを外され派手な空振りの三振に終わった。
  

『ピッチングは力じゃない。
 きちっと配球を組み立てて、正確にボールを投げ込む。
 そうすればバッターは抑えられる。
 イチローの三振はそういうことなんだ』―。
  

直後にパイレーツを解雇された桑田だったが、
ユニホームを脱いでからもこう振り返っていたという。
  
そしてその投球術を糧にメジャーへの再チャレンジを決意。
イチローの三振からもらった勇気が、
今年のメジャー挑戦への一つのきっかけになったわけだ。


イチローの三振から3日後の18日。
3度目の当番となったアスレチックス戦で3安打を浴びて
3失点した野茂は、試合後に戦力外通告を受け
チームを去った。
  
あのイチローの三振に野茂は、
いったい何を感じたのだろうか。
桑田のように勇気をもらえたのか、それとも・・・。


一つの時代が終わった。
逆にそのことを教える三振だったように思えてならない。


           サンケイスポーツ 『球界インサイドリポート』より
                             鷲田康氏      
固定概念を覆す『8番・投手』の2球団
2008年04月25日 (金) | 編集 |
ナ・リーグ中地区で福留が所属するカブスと首位争いを
しているカージナルスとブルワーズには共通点がある。

9番が定石といわれる投手の打順が
基本的に8番なのだ。

史上3位の通算勝利数を誇るカージナルスの
ラルサー監督は、球界の常識を覆す奇才でもある。

アスレチックス監督時代は先発で165勝の
エカーズリー(04年に殿堂入り)を
9回1イニングの限定で抑えに転向させたり、
左投げの一塁手を三塁手で起用。
球数を60球限定にして先発を3投手で回したこともある。



地元・セントルイスの番記者によると、
カージナルスの『8番・投手』の理由は、
大リーグ最強打者の1人であるプホルスを最大限に生かす
ためだ。

1回から打席に立たせたいので3番に固定しているのだが、
2回以降は1人でも走者がいる場面を作りたい。
第2打席以降は『4番打者』と同じになるように、
9番から野手を3人並べたという。



ブルワーズの『投手・8番』の発端は、出塁率は高いものの、
過去3年は打率が低迷して併殺打も多いケンドールの
加入だった。

投手の後なら先頭打者や走者がいない場面が多く、
併殺の可能性は減少すると判断。
高出塁率を買って9番に置き
『ダブル1番打者』のような役割を期待したところ、
開幕から絶好調。
9番打者ながら.352と期待以上の高打率をマークしている。



両球団とも、ここまでは『8番・投手』が大成功。
戦力的にはカブスが本命といわれるナ・リーグ中地区だが、

『投手は9番』という固定概念を覆した2球団も
簡単には脱落しないだろう。


               サンケイスポーツ 『MLBプレスルーム』より
                                     田代学氏


  ~日本語 日めくり~ *意表を突く ― いやあ、びっくりした! ―

『表』には、『外』の意味がある。
外に感情が出ると『表情』ができる。
外に出して明らかにすれば『表明』。
外にあって意(考え)に入れていなかったのが『意表』だ。
そこを突くのだから、人はあっと驚くことになる。
ビジネスの交渉、政治的な駆け引きなどでは、
ときに有効な戦略だろう。

『意表』は『思いの外』『意外』『想定外』などと
ほぼ同じ意味になる。
とすると、『意表外』はダブりのようだが、よく使われ、
辞書の用例にも載っている。
『意表』よりもさらに遠い外を指す、一種の強調表現ととらえれば
いいのかもしれない。


    
イチロー支えた名工引退
2008年04月24日 (木) | 編集 |
イチローの守備を支えてきた『名人』がこの春、
“現役引退”した。
『名人』とは、日米200人以上のプロ選手のグラブを作ってきた
ミズノの坪田信義さん(75)。
関係者から『名人』『マジックハンド』とも呼ばれる坪井さんは、
勤続60年の区切りと後進に道を譲るため、3月いっぱいで
退職した。
  


坪田さんが、イチローのグラブ作りを始めたのは
オリックス時代の1994年にさかのぼる。
  
『軽く、柔らかく、良く開く』という3点が基本リクエストだが、
驚くのがわずか5㍉単位で、毎年のように、
マイナーチェンジを繰り返してきたこと。
  
『守備にはものすごいこだわりがある。
 ダメなものは、ハッキリとダメとも言われます』―。
と坪田さん。
  


ミリ単位の注文を出すイチローの妥協なき姿勢も恐れ入るが、
それにピッタリ応えることができる名人の腕もすごい。
イチローはオリックスで7年連続ゴールデングラブ賞、
マリナーズでも7年連続でゴールドグラブ賞を受賞しているが、
その秘密は、こんなところにも隠されている。
  


その坪田さんが、イチローを見て、最も感心するのが
道具を大切にする心だ。
  
試合中、エラーをした選手がグラブをたたいて、
道具のせいにするしぐさを見せることがある。
グラブ職人にとって、つらい瞬間でもあるが、
坪井さんは、
  
『イチロー選手は絶対にそんなことはしない』と言う。  


坪井さんは現在、大阪の自宅で選手のサインや一緒に写った写真を
整理する日々を送る。
テレビで大リーグ中継も見るが、その時、
イチローのあるシーンを注意深く見守っている。
  
『外野からベンチに戻ると、グラブを放ったりせず、
 必ず、きちんと置くんです。
 うれしいですね』―。
  


道具を大切にすれば、道具も裏切らない。
イチローの華麗な攻守が、それを教えてくれる。



                  読売新聞 『熱視線』より
                           荒井秀一氏
『野球人』貫いた加藤博一さん
2008年04月23日 (水) | 編集 |
阪神、大洋(現横浜)などで活躍した故・加藤博一さん
(享年56歳)の追悼試合が先頃、横浜スタジアムで
行われた。
カードは加藤さんが所属した阪神戦。
式に出席した妻の春代さん(52)は
『病床で「グラウンドに行きたい」と言っていました。
 今日は一緒に来ていると思う』と涙を流した。


加藤さんといえば、テレビで見せる笑顔の印象が強い。
『解説者』というより、『芸能人』に近い雰囲気を感じさせた。
しかし、亡くなった後、取材を進めていくと、
彼が野球を愛し、プロ野球界に尽くした紛れもない
『野球人』であったことを痛感させられた。


大洋で一緒だった佐々木浩さん(40)は2000年、
マリナーズ入りして初めて迎えたキャンプで不安な日々を
過ごしていた。
そんな時、声をかけたのが加藤さんだった。
『お前、そんなに投げ急いでどうする。
 車の運転と同じでゆっくりや。
 急いだら、ろくなことない』―。
佐々木さんはその年、37セーブで新人王。
『成功の一因は博一さん』と語る。


『スーパーカートリオ』の一人、屋鋪要さん(48)は、
『胸に風穴が空いたように寂しい』と言う。
8歳年下の屋鋪さんは落ち込んだ時、よく食事に誘われ、
励まされた。
投球のクセをメモする先輩の姿にプロの厳しさも肌で感じた。
屋鋪さんはトリオ誕生の85年、58盗塁。
一流に成長した。


加藤さんは今年1月、亡くなる2日前まで、
もうろうとする中、こんな言葉を発していた。
『加藤博一です・・・・ハロー…・・・マイネームイズ・・・・・』―。

『意識の中では、アメリカで中継していたんでしょう。
 野球で終わっちゃった。
 ああ、野球人なんだ、と思いました』と春代さん。
加藤さんは最後まで、とことん野球を愛していた。
プロ野球は、こんな熱き『野球人』に支えられ、
隆盛を築いている。

                   読売新聞 『熱視線』より
                             荒井秀一氏
早い始動 残した高打率
2008年04月22日 (火) | 編集 |
厳しく、甘く、そして充実している。
4月16日、ヤンキースタジアム。
午後3時40分、ジーターがゆっくりと駐車場から球場に
向かうところ、松井秀喜はロッカーからグラウンドへと向かっていた。
  
フード付きトレーナーにハーフパンツ姿。
人影まばらなグラウンドでストレッチを済ませると、
ダッシュのペースを徐々に上げていく―。


20連戦真っ只中だったヤンキース。
その日は夜中の3時半に、遠征先のタンパから帰って来た。
球場の集合時間は夕方4時。  
だから、ジーターは別に悪くない。
昨年までなら、もっと遅かったかもしれない松井は今季、
確実に始動を早めている。
  


昨年。
夏が終わる頃には、『右ひざが痛くて、走りたくなかった』―。
11月14日に手術を受け、しばらくは杖を持っていた。
  
リハビリや、慎重に段階を踏んだキャンプを乗り越えた。
今は手術が『遠い昔』。
それでも常に負担のかかる関節は、疲労具合や天候によって、
違和感が出る。

 

その日のひざの状態を確認し、強化に向けたトレーニングも
必要だ。
要は全体練習が始まる前の時間を有効利用し、
やるべき新たな準備を自分に課した。
  
そうして過酷な20連戦は、レギュラー最高打率、
3割2分3厘を残している。

 

そんな中、甘さがあっても、誰も文句は言わない。
新婚だから。
帰宅も確実に早い。  
ホームでの試合は、自宅で夫人が夜食を作ってくれる。
『でも、あまりにも早く帰って、それが普通だと思われるのも
 嫌なんだよね。
 時間がたって、「なんか最近は帰るのが遅くなった」
 って思われると嫌だから・・・』―。
幸せな矛盾。
帰宅を前に、ロッカーで微妙な時間調整をしているとすれば、
それは小さな配慮でもある。


今季1号本塁打を放った4日は、
婚姻届をニューヨーク総領事館に提出した日と重なった。
『そのボールだけは欲しい』―。
テレビ観戦していた夫人はその場でチーム関係者に
電話をかけ、回収を頼んだという。
記念ボールは自宅のリビングに置いてある。
白地の皮に書き込むメッセージをどうするか、
二人で今、考えている。

                   読売新聞 『松井秀喜 ’08』より
                                小金沢智氏
バットと体の距離感
2008年04月21日 (月) | 編集 |
長谷川滋利の『Love Baseball』より。
『メジャーリーグの選手を見ていると、「型」がめちゃくちゃ
 ですよね? 
 どうしてあんな構えやスタンスで打つことができるんですか?』
という質問に、長谷川氏はこう答えています。
  



『面白い質問だと思いました。
 実はその数日前、日本に来ているアメリカの野球関係者と
 話をしたら、こんなことを言っていました。
 「日本人は打撃の基本がなっていない。
  あんな構えじゃ、打てるわけがない」―。
  
 つまり日本から見れば、
 メジャーの構えは基本がなってないように見えるし、
 反対にアメリカの視点から見ると、
 日本の打者は全く基本ができていないように見えるわけです。
 
 これは「基本」に対する考え方の違いから発生するものと見て、
 間違いありません。
  
 日本では、小学校の時から教えてもらっている素直な構えが
 奨励されます。
 スタンスは並行で、
 極端なオープンスタンス、クローズドスタンスはその時点で
 矯正されるといっていいでしょう。
  
 日本ではこうして「きれいな」構えが出来上がっていきます。  


 一方で、アメリカ的な視点の
 「日本人は基本がなっていない」という考えも、今の私には
 分かるようになりました。
 アメリカ人が重視するのは、一点だけ。
 それは「バットと体の距離感」、
 これだけと言っていいと思います。
   


 どういうことかというと、構え、スタンスは
 メチャクチャでもいいから、バットは体に近いところで
 構えること。
 そうすることによって、投手の動作、ボールの変化に対応する
 時間を早くすることができます。
 
 反対に腕を伸ばしてしまい、体とバットの距離を離してしまうと、
 反応時間が遅くなってしまうのです。
 特に投手が投球動作に入ってから、
 バットを後ろに引く時間がもたいない。


 アメリカ人はこうした発想をしているので、
 体から遠い所でバットを構える日本人のことを、
 「基本ができていない」と考えてしまうのです。
  



 メジャーの強打者といわれるアレックス・ロドリゲス、
 マニー・ラミレス、ライアン・ハワードといった
 選手達の構えを見ると、
  
 構えはバラバラですが、
 バットは近いところにあるのが分かります。
 ある意味、アメリカ人は基本を守った上で、いろいろな個性を
 発揮していると見ていいのではないでしょうか。
  
 ただし、日本ではこうした発想をする指導者の方は、
 なかなかいないと思います。
 「基本」とは何か、という共通認識ができれば、
 幅広い指導が出来るとも思うのですが。
  



 では視点を変えて、投手の立場から
 スタンスのことを考えてみましょう。
  
 投手は打者のスタンスによってある程度、
 相手の情報を読み取ることができます。
  
 たとえばオープン気味に構えている打者がいたら、
 それは内角が弱いからオープンに構えているわけです。
 同じように観察していくと、
 グリップを高くして構えている打者は、
 高めが弱いのでそれをカバーするために
 グリップを高く構えます。


 日本ではきれいに構える打者が多いので、
 そうした常識を忘れてしまいそうになりますが、
 投手としては投げる前に打者をジックリ観察することで、
 戦いを優位に運ぶことができるのです。


                            
プロ野球界のFA事情
2008年04月20日 (日) | 編集 |
巨人の上原が来季のメジャー挑戦を宣言したことで、
周囲が騒ぎはじめた。
その多くが開幕から3試合勝ち星がないことに
『メジャーで通用しない』や
『獲得球団はあるのか』といった
上原に言わせたら余計な心配といった類のもの。
  
ただ、ファンは複雑だろうが、球団にとっては
選手が早く方向性を明言してくれたのは、
本来は歓迎すべきことだ。
  


野球に限らず外国では契約切れが迫った選手と
シーズン中から交渉を始め、
再契約するケースは多々ある。
逆に移籍を決めた選手や契約延長を求めない場合の
フロントは、その旨を相手に通達しておく。
そうすれば労使双方が次のシーズンに向けて動き出せる。
  


ところが日本で同じことをすると、批判が殺到する。
契約更新しないと発表すれば『球団は冷たい』―。
FA移籍すると選手が宣言すれば
『気持ちは来季に向いている』―など・・・。



選手も余計な憶測を浴びたくないから、
実際は決めているにもかかわらず、
『シーズンが終わってから考えます』とコメントする。
FA選手=高額年俸となるだけに、
球団もハッキリするまで代役の選手の獲得に動けず、
オフになって右往左往するのだ。
  


たぶん巨人のフロントは、右の先発完投型を重点課題に
FA市場や新人の調査を開始していることだろう。
場合によっては今シーズン中にトレードで他球団の
埋もれている原石を獲得したり、
若手に経験を積ませるかもしれない。
  


超大物ばかりを獲り続けてきた巨人だけに、
後者の可能性は低いが、
  
上原の早期移籍宣言をこれ幸いと、
来季のチーム作りに着手できれば、
FAやメジャー移籍に左右されないチーム作りの
サンプルになるのではないか。
  


                 サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                               楠山正人氏
黒人初の大リーガー誕生から61年
2008年04月19日 (土) | 編集 |
ロサンゼルス15日(日本時間16日)。
米大リーグ各球団は15日、『ジャッキー・ロビンソン・デー』
を実施した。
  
『人種の壁』を破った黒人初の大リーガーは、
61年前の4月15日にドジャースでデビュー。
  
この日のド軍ーパイレーツ戦では、
両軍の全選手がロビンソンの背番号『42』の
ユニホームを着用した。


ロビンソンが黒人大リーガーとしてデビューしてから61年。
ドジャースタジアムに背番号『42』がズラリと並んだ。
『みんなが着けて42番効果があったようだ。
 チームにも、いいゲームだった。
 ロビンソンは確かな足跡を残したと思う』―。
背番号『6』ではなく『42』を着用し、11-2で大勝した
ド軍のジョー・トーリ監督(67)も会心の笑みだ。  


大リーグでは、この2球団を含む9球団で全選手、
残りの球団を合わせると330人以上が『42』の
ユニホームでプレーした。
  
中でもロビンソンの古巣・ド軍は特別。
14歳以下のファンには背番号『42』のTシャツが配られ、
セレモニーでは現役時代のプレーが流された。
始球式には姪のキャシー・ロビンソン・ヤングさんが登場。
試合前の国歌は、昨年グラミー賞を受賞した
チャカ・カーンが斉唱した。
  


トーリ監督は7歳のとき、ロビンソンと対面し、
握手をした覚えがある。
『とても特別な選手だった』―。
元ブレーブスの兄・フランクの試合を観戦した際、
白人用と黒人用に隔てられている水のみ場を見て
人種差別の存在を知ったという。
  
『カージナルス監督時代は、メンバー表を書くと
 「今日は白人がいない」と言われたこともあった』と同監督。
61年の歳月が流れ、人種問題を気にせずに
試合ができる喜びをかみしめていた。
  


≪ジャッキー・ロビンソン≫  

1919年1月31日、米ジョージア洲生まれ。
45年にブルックリン・ドジャース入団。
47年に有色人種として初めてメジャーデビュー。
同年から新設された新人王を受賞した。
49年には首位打者、盗塁王を獲得し、MVP。
通算成績は10年間で1382試合に出場、
打率.311、137本塁打、734打点。
引退後は黒人の公民権運動に影響を与え、
62年に野球殿堂入り、72年に53歳で死去。
デビュー50周年の97年に全球団で背番号『42』が
永久欠番となった。
1㍍80㌢、92㌔。右投げ右打ち。  
  



≪メジャーに存在するアジア系選手への“差別判定”≫
  ~力を示すことが市民権獲得への道~
  

1947年にドジャースでメジャーデビューし、初めて『黒人の壁』を
打ち破ったジャッキー・ロビンソンを記念するセレモニーが
全米各地の球場で行われた。
米セントフロリダ大の調査によると、昨季、
メジャーに在籍した黒人選手は過去20年で最低の
8.2%だった。
それでも8球団で監督を、3球団でGMを務め、
ロビンソンの登場から61年で、黒人は一大勢力と
なってきている。
  

その一方で、いまメジャーでは全体の28%が非アメリカ国籍選手
となっている。
そんな多国籍化が進む中で、いまメジャーで最もマイノリティー
(少数派)なのは、日本人選手など
アジア系選手であるのは間違いない。
  
 
『他の選手にはボールだったコースを突然、
 ストライクと判定されることはある』というのは松井秀喜だった。
もっとはっきり“差別”を口にするのは、
マリナーズで守護神を務めた佐々木だ。
『エーッ、っていう判定は何度もあった。
 白人の投手だったら、絶対に手が上がっている(ストライクの)
 ケースは数え切れないほどだよ』―。
魔神でも、そういう“壁”を感じ、それを乗り越えてきた。
  
いまだ偏見に満ちたメジャーの中で、
日本人を含めたアジア系選手が“市民権”を得る道は、
まだまだ険しいといわざるを得ない。
  


来年3月にはWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の
第2回大会が開催される。
  
分配金の比率が明確化されないなど大会運営における
MLB(メジャーリーグ機構)の“横暴”は相変わらずだという。
  
そのため日本では大会の出場辞退を口にする関係者もいると
伝わってくる。
  
ただ、『壁』を打ち破るには、とにかく戦いの場に立つことしか
ないのではないだろうか。


ロビンソンがグラウンドで力を示し、初めて黒人に
“市民権”は与えられた。
アジアの野球も辛抱強くその力を示すことでしか、
米国で“市民権”を得る道はない。
その戦いの場こそ、WBCなのではないだろうか。


           サンケイスポーツ 『球界インサイドリポート』より
                                   鷲田康氏
最古の球場 ハイテク化
2008年04月18日 (金) | 編集 |
大リーグの球団経営はレッドソックスやヤンキースに代表される
大都市圏を拠点とした球団と
ロイヤルズのように中小都市の球団では経営手法が異なる。
  


今年2月末、キャンプ地のフロリダ州で
ラリー・ルキーノ球団社長は日本遠征を心待ちにしていた。
レッドソックスの日本開幕戦という華やかな舞台という
だけでなく、
大きな商談を進める計画があった。  
『この遠征でパートナーとなる電機メーカーを探したい。
 日本の技術は世界一だから』―。
  
ルキーノ社長はオリオールズ、パドレスの球団トップとして
新球場建設をバネにして、観客動員数を飛躍的に伸ばした
実績を持つ。
  
彼がイメージする球場は、伝統と最先端技術の融合。
日本での商談とは本拠地・フェンウェーパークに新設予定の
大型スクリーンのメーカー選定作業だ。
『ファンのためにも、ハイテク化したい。
 もちろん、雰囲気は壊さないように』とルキーノ社長は言う。
  


2012年に開設100周年を迎える大リーグ最古の球場は、
レッドソックスの大きな財産だ。
それをどう生かして、収益増につなげていくかが、
ルキーノ社長に託されている。
  


投資家としても名高いジョン・ヘンリー氏がオーナーになった
02年以来、フェンウェーパークは毎年のように改修され、
今年も座席を増やし、レストランを新設した。
しかし、経営陣はまだ満足していない。


松坂が先発した3月25日の東京ドームでの開幕戦。
球場に姿を見せたルキーノ社長は言った。
『(電器メーカー)3社と会いました。
 まだ交渉は始まったばかりですが・・・』―。
笑顔からは確かな手応えがうかがえた。


                        読売新聞 『MLBの真実』より
球団軸にグループ拡大
2008年04月17日 (木) | 編集 |
米大リーグの成長が近年、著しい。
昨年の営業収益は60億7500万㌦(約6200億円)に上った。
またレッドソックスの松坂大輔に対する
総額1億㌦の投資や福留(カブス)、黒田(ドジャース)ら
メジャー1年目の選手に対しての1000万㌦を越す年俸にも
目を見張らされる。

日米球界のビジネススケールの差はどこからくるのか―。


『パーフェクトだ。日本で開幕戦が行われ、ダイスケがマウンドに
 上がる。興奮の一瞬だ』―。
3月25日。
レッドソックスの開幕戦が行われた東京ドームで、
ジョン・ヘンリー・オーナーとラリー・ルキーノ球団社長は
選手の姿を目で追いながら感慨深げに話した。
  


2006年12月、レッドソックスは松坂大輔に対してポスティング
(入札制度)による独占交渉権5111万㌦を含めて
6年間総額1億㌦の出資を決めた。
当時の為替レートで約120億円。
メジャーで1球も投げていない投手への巨額契約は
大きな波紋を呼んだ。
  
だが、著名な投資家であるヘンリー氏と球団経営のプロ、
ルキーノ氏の頭の中には資金回収の青写真が描かれていた。
  
『レッドソックスはチケットも広告も売れるものは全て
 売れてしまっている』とヘンリー氏は言う。
  
しかし、彼らは球団単体での資金回収は考えていない。
レッドソックスはシンボルではあるが、
同時に歯車の一つなのだ。
  


ヘンリー氏は2002年にチームを買収するとともに
持ち株会社を設立。
傘下には球団の他に、本拠地・フェンウェー・パーク、
ケーブルテレビ局、イベントの企画やコンサルティングを行う
会社の4社を置いた。
この構造の利点は何か。
端的に言えば、レッドソックスをシンボルに野球以外での
収入源を開拓できることだ。
  


大リーグでは、収益分配制度により、
各球団の球場関連の経費を差し引いた収益の31%が
大リーグ機構にいったん徴収された後、均等分配される。
つまり、収益が高ければ、その分『不利』となる。
さらに松坂を獲得したところで、日本からのテレビ放映権収入は
大リーグ機構が管理しており、
入場券も昨年まで388試合連続で完売。
球団単体では増収の余地は無い。
  


しかし、チームが勝てば、レッドソックス戦を昨年まで122試合
中継してきたケーブル局の視聴率は上がり、
広告収入は増え、全米最古、1912年開幕の球場は、
野球以外の様々なイベントでも引く手あまただ。

『レッドソックスブランド』の価値が向上することで、
イベントやコンサルティング会社のFSGは人気自動車レースの
チーム買収、大学スポーツマーケティングも手掛けるようになった。
これらは球団自体の収益でないため、
大リーグ機構に徴収されることもない。
  


『野球ビジネスには制限がある。
 だから、ブロックされていないエリアに進出し、
 出来る限りのことをやる必要がある』とヘンリー氏は
基本戦略を語る。
ブランド力向上のためにも、チームは勝ち続ける必要がある。
  


2008年のレッドソックスの年俸総額は約1億3340万㌦で、
全体の4番目だ。
  
『レッドソックスの成功が他のグループ会社の成功をもたらす。
 チームの利益は選手、育成、スカウト活動に投資できる。
 勝つことだけに集中することができる』とルキーノ氏。
そういう環境にあるから多額の投資金が投入できる。
  


昨年はワールドシリーズに優勝し、今年は日本でも開幕戦を行い、
野球以外のビジネスの足がかりもつけた。
まだ、1年が終わっただけだが、
1億㌦の投資は間違いではなかったというのが、
グループ首脳の共通認識だ。
  


*日米球界の収入比較*  

メディアによると、2006年の大リーグ球団の収入トップは
ヤンキースの3億200万㌦(約308億400万円)。
日本では、巨人が営業収益235億3800万円、
純利益15億9300万円(ともに2006年度)を計上しているが、
これは例外ともいえる数字だ。
創設4年目を迎えた楽天を例に取れば、
昨年の売り上げは75億5300万円で、
8億3600万円の赤字だった。
大リーガーの平均年俸は今季開幕時点で315万47845㌦
(約3億2180万円、AP通信調べ)。
一方、日本のプロ野球は選手会調べによると、
07年は3553万円(選手会未加入の外国人選手ら除く)。


                     読売新聞 『MLBの真実』より


六大学野球6番目 東大の存在価値
2008年04月16日 (水) | 編集 |
東大野球部が1925年に東京六大学野球の6番目の
チームとして加盟が認められたとき、
こんな条件がついた。
『入学難などで、いかなる事態になっても、
 部を存続させること』―。
東大紛争で入試が中止になった69年は1年生ゼロの
ピンチに陥ったが、翌年は留年生の登録を認める連盟の
特例措置で切り抜けた。


プロ入りしたエース松家(横浜)がいた04年は、
春夏で5勝したが、ここ3年間は6季でわずか3勝。
確かに甲子園経験者が目白押しの他の5校に比べ
素質や経験、体格などでは明らかに劣っている。
しかし、努力や頭脳でカバーし、勝敗はともかく真っ向から
挑むところに東大の存在価値がある。
  


そんな特別なチーム事情を差し引いても、
13日の早大2回戦の0-28の大敗は情けなかった。
打たれた22安打は仕方ないが、
4投手で15四死球は基本的な欠陥としか思えない。
『打つなら打て』と真ん中に投げれば、
正面の当たりや打ち損じもある。
少なくとも連盟記録に1点と迫る28点もの
記録的失点は防げただろう。
  


『走り込み、投げ込み不足では・・・』と  
サンケイスポーツ専属評論家・江本孟紀氏はいう。
81年春、早慶から勝ち点を奪う“赤門旋風”を巻き起こし、
東大屈指の名監督といわれた平野裕一さんは旧知の間柄。
科学的トレーニングにも熱心な監督で、あれこれ取り入れたが
  
『結論はやはり走り込み、投げ込みしかない』と
江本氏に話したという。
  


『プロ野球でも間違った科学トレも多い。
 東大生が走り込み、投げ込みの重要性を実施し
 論文にでも書いてくれれば見直すだろう』と江本氏。
  
まだまだシーズンは長い。
なんとか立て直して、いい方で話題を提供してほしいものだ。



                   サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                                   今村忠氏
一球入魂 黒田のこだわり
2008年04月15日 (火) | 編集 |
精神集中して向かった初登板のマウンド。
ドジャース・黒田は
『面食らった』と振り返る。


初勝利を挙げた4日のパドレス戦。
サンディエゴのぺトコ・パークは軍隊に敬意を表す
『ミリタリー・オープニング・ナイト』だった。
パドレスは特別に迷彩色ユニホームだった。
『試合に入ろうとしたら、ユニホームが全く違っていた』―。


3年総額3530万㌦(約36億円)の契約は、
日本人投手最高峰。
結果が欲しかった。
初登板にすべてを傾注した。
『いろんなビデオをみて、しっかりイメージをつくった』―。
まぶたの裏で、ホーム用のユニホームを着たパドレスの打者を
何度も打ち取っていた。
広島時代は11年間で103勝も、10年連続Bクラス。
辛抱のマウンドが続いた。
うち6シーズンでリーグ最多完投をマークし、
完投は通算74試合。
そんな黒田には、一球へのこだわりがある。
こちらで当番日の3日前に入るブルペンでは、
きまって背番号『18』の2倍にあたる36球を投げる。
オープン戦では当番後にブルペンで投げて、
投球数をちょうど100球にした。



投手がマウンドで直面するものに、その日の調子がある。
例えば変化球。
『毎回、同じ変化をするとは限らない。
 良いボールも、悪いボールもある』―。
現実を受け入れるのも技量のうちだ。
それが一球を大切にする姿勢につながる。
『その日の調子がベストと思って投げないと、
 メンタル的に厳しい』―。


我慢強さを周囲は両親の気質から受け継いだとみる。
黒田も『いい教えをしてもらった』と感謝する。
  
昨年8月に82歳で他界した父の一博さんは、
元南海(現ソフトバンク)の外野手。
黒田が小学校5年で地元のチームに入団したときの
監督だった。
  
『やるなら最後までやれ』と諭され、
『天狗になるな』とたしなめられた。
  
母、靖子さんは砲丸投げの選手で、
大阪府の高校で体育教師をしていた。
大声で叱りながら涙を流す先生で、生徒から慕われた。
6年前に亡くなった時、葬儀後に全校生徒が
校庭で見送った。
同僚だった教師は
『人情家。一本気な先生だった』と話す。


黒田は、妻、娘2人と暮らすロサンゼルスの自宅に、
両親の写真と小さな仏壇を持ってきた。
『日本にいた時より、逆に近くにいてくれる、
 という気がする』―。

これからも心の支えだ。
「ほめれば伸びる」実感
2008年04月14日 (月) | 編集 |
読売新聞の『子どもの心』より。
筆者は、中学校の女性教諭です。


~中学校で~

中学1年生のA男は、私が顧問を務める運動部に所属している。
控えめで声も小さく、感情をあまり表に出さないタイプだ。

そんなA男が、無断で部活を休むことが何度かあった。
呼び出して聞くと、
『宿題を忘れて、放課後残ってやっていました』―。
担任の先生に叱られた上に、そのことを私に話すと、
また怒られると思って、黙って帰ったのだというのだ。
  

『宿題を忘れたのはよくないけれど、
 その日のうちにやろうとするのはいいことです。
 理由をきちんと連絡しにきなさい』―。
  
そう論すと、それまで無表情で立っていたA男が
涙をぽろぽろとこぼした。
私の前で彼が泣いたのは初めてのことだった。
  

それほどきつい口調で話したわけではない。
普段から様々な場面で、たくさん叱られてきたのだろうと
感じた。
  
宿題を忘れては叱られ、居残りで宿題をやるために
部活を休めばとがめられ、
帰るのが遅くなればまた家で叱られる―。
  
原因を作ったのはもちろんA男自身だから、
仕方ないことかもしれない。
だが、叱られ続ければ、立ち直ろうとする気持ちも
うせてしまうだろう。
  

この時以来、『部活を休みたい』とA男から言ってきた時は、
宿題を忘れたことは注意するが、
  
きちんと連絡をしたことは、ほめるようにした。
時間通りに部活に出てきた時は、もっとほめた。
  
するとだんだん遅刻や欠席が少なくなり、
今では、毎日部活に参加している。
チームメートとも打ち解けて、表情も明るくなってきた。


私はまだ新米教師。  
ほめて伸ばすことの大切さを教師になって初めて実感できた。  
A男はたくさん練習して、どんどんうまくなるだろう。
きっと自信に満ちた表情が見られるようになる。
私は楽しみに待っている。
  


うちの息子もそうなのですが、
上手にほめられると、調子もよくなるうえ、
自信に満ち溢れてきます。
その中で監督からの注意点を復習し、
教わったことを冷静に思い出して考え直す努力を
しているようです。
向上心も出てきているようです。
今シーズンになり指導者も、これまでのA監督から総監督に代わり、
チーム自体がとてもいいムード。
息子がチームのキーポイントを握っているよです。
そのことを本人が一番理解しているようです。

先日6年生父兄の顔合わせ会が行われ、
指導者の方々よりチームの状況や息子の今後の課題などを
主人と一緒に聞かされました。
息子のこれからの活躍を首脳陣の方々と共に
支えていきたいです。



ハスに構えて
2008年04月13日 (日) | 編集 |
6日のアストロズ戦こそ4試合ぶりに無安打だったが、
カブス・福留孝介の大活躍には恐れ入るばかりだ。
衝撃デビューとなった開幕戦(対ブルワーズ)での
9回同点3ランなど、面白いように打ちまくり、
たった6試合でシカゴでの福留人気は完全に定着した。
Tシャツなどのグッズが飛ぶような売れ行きという。


日本での実績から活躍は予想されたが、
いきなりの全開。
サンケイスポーツ専属評論家の江本孟紀氏も舌を巻く。
『実践的で、体のしんが強いから向こうの野球にも
 対応能力がある。
 日本を離れて清々したといった風にも見え、
 少々のことではへこたれない強さが顔に出ている。
 かなりやるだろう』―。


カブスの本拠地は初代オーナーのフィリップ・リグリーの
『野球は太陽の下でやるもの』という理念を受け継ぎ、
1987年まで照明塔がなかった。
いまでもデーゲームが多く、日本の衛星放送の時間帯とは
まったく合わないようだ。
  
これほどの大活躍なのに、生中継で見られないのは、
ファンにとって歯がゆいだろう。


中日時代も巨人戦の中継で見られた程度で、
関東ではあまり馴染みがなかった。
  
そのせいか、カブスの試合後、インタビューに
ハスに構えて応じる福留の姿を見て、
とても嬉しそうに見えない。
  
ところが、このハスの構えこそが内心の喜びを必死に
押し隠そうとする気持ちの表れとか。
  
それを知る関係者は、
『どこに行っても正直なヤツ』と笑った。


日本で、福留にバッティングを教えられたのは
中日の落合監督ぐらいだったという。
バッティングの職人からバッティングの職人へ伝えられた技に
米国で磨きがかかり、
『大体こんなもの』とハスに構えるインタビューが
定番になったら、しめたものだろう。


                    サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                                  今村忠氏
選手生命の終わりには打球が詰まる
2008年04月12日 (土) | 編集 |
選手の衰えは、どこに出てくるのか。  
『とらえたと思った打球を打ち損じた』とか、
『打球がフェンス際でおじぎした』とか、
そういう時に引退を考えたという話をよく聞いた。
  
ソフトバンクの王監督はこんな話をしていたという。
『選手生命の終わりが近づいてくると、打球が詰まりだす。
 詰まった当たりばかり出始めたら、
 引退は近いなと思った方がいい』―。
  
ただ、この詰まった打球が不思議な現象を起こすことが
あるともいう。
それはパワーヒッターの場合に、ときどき起こるのだそうだ。
  


詰まった打球が逆に安打になる。
今までなら本塁打になった打球は詰まって外野飛球になるが、
外野まで飛んでいた打球が、逆に外野手の前に落ちる。
  
『晩年に打率が上がったりする。
 そうすると選手はまだできるんじゃないかと、
 またユニホームに未練が生まれるんだ』というのだ。
  


こんな話を聞いて巨人戦を見ていると、
開幕からラミレスの打球が怪しく感じてしまう。
ほとんどの打球が詰まっている。
  
もともとボールを呼び込んで打つタイプで、本人は
『ポイントを近くに置いているから』と説明しているそうだ。
ただ、打球の飛距離は、確実に落ちてきている。
ここ2年は本塁打も30本に届かなくなった。
逆に昨年は204安打を放って、打率は.343に上がった。
  
そこが王さんの説明していた『選手が終わるパターン』に
ピタリとはまり、不気味さを感じてしまう。
  


9日の横浜戦では開幕戦以来、10試合ぶりの2号を打った。
試合を決めたその打球は、弾丸ライナーで左翼席に
突き刺さった。
ずっと見てきた詰まった打球を気にするのが杞憂(きゆう)なのか、
それともあの弾丸ライナーはたまたまだったのか。
  
アウトかセーフかではなく、
詰まった打球か鋭い当たりか。
ラミレスが打席に立つと結果ではなく、
打球の質ばかり気になってしまう。


               サンケイスポーツ 『球界インサイドリポート』
                              鷲田康氏
 
ヒルマン監督の手腕を早くも評価
2008年04月11日 (金) | 編集 |
日本では巨人が開幕ダッシュに失敗し、
大リーグではタイガースが開幕7連敗。
今季の総年俸は約1億3770万㌦(約141億8500万円)で
ヤンキースに次ぐア・リーグ2位で優勝候補挙げられていた。

そのタイガースが所属するア・リーグ中地区で、
予想を履す好発進をみせたのがロイヤルズ。
就任1年目のトレイ・ヒルマン監督(45)=前日本ハム監督=
の手腕が早くも評価されている。


『とてもエネルギッシュでプラス思考。
 まだ優勝できる戦力ではないと思うが、
 チームを正しい方向に導いている』とは
『カンザスシティー・スター』紙のロイヤルズ担当、
ボブ・ダットン記者。
メジャー球団を指揮するのは初めてのヒルマン監督だが、
過去13シーズンで12シーズン負け越しているロイヤルズの
意識改革から着手。
若手育成に力を注ぎ、投手陣を立て直したことが
好調の要因だと分析した。


確かに開幕したばかりとはいえ、ロイヤルズの
チーム防御率はア・リーグ1位の2.67(昨季は同7位の4.48)。
先発3本柱が確立され、抑えのソリアはすでに3セーブをマーク
している。
あとは同記者が『ア・リーグでも弱い』と指摘する打線の強化。
若手が成長すれば、本塁打数がア・リーグ最少(3本)という
長打力も改善されるはずだ。


3年ぶりのメジャー昇格を果たした野茂も注目される。
プロ入り後、初の中継ぎで成功するようなら、
米国でも“ヒルマン・マジック”と呼ばれそうだ。


                サンケイスポーツ『MLBプレスルーム』より
                                    田代学氏
見せてやる オレの長打力
2008年04月10日 (木) | 編集 |
昨年の右ひざ手術から、懸命のリハビリを経てシーズン入りした
ヤンキースの松井秀喜が早くも2本塁打と好調な滑り出しだ。
開幕直前の電撃結婚で公私ともに充実しつつある、
大リーグ6年目の松井を追う。
(読売新聞 松井秀喜’08より ― 小金沢智 ― )


意思を感じる一発だった。  
6日の試合。
前日の8番から5番に昇格していた。
左足付け根を痛めたジアンビの代役だった。
0-0で迎えた4回一死二塁、甘く入ったチェンジアップを
豪快に引っ張る。
右翼席に飛び込む2号先制2ランは、打った瞬間に
本塁打と分かる強烈な打球だった。
  

8番・指名打者。  

開幕時のオーダーが、置かれた立場を物語る。  
ジラルディ監督は言った。
『3番、4番、5番を打てるヤツは何人もいるが、
 3A、3Bという打順はない。
 だから誰かが8番、9番を打たないといけない』―。
  

リーグ屈指のヤンキース打線は、重厚である。
新指揮官のもと、仕上がりが万全でキャンプインした選手が
多い中、オフに右ひざを手術して、全力疾走もできずに
2月を迎えた。
いかにも、分が悪かった。

左手首骨折から124日ぶりに復帰した2006年9月12日の
試合も、8番だった。
  
そこでは、総立ちの観客に拍手で迎えられ、
4打数4安打で応えた。
  
そのシーズン、最後はプレーオフ・地区シリーズ第4戦で、
打順は5番に上がっていた。
  

トーリ前監督が去り、若手が成長を見せる今年は生易しい
状況ではないが、
やるべき事は一つしかない。
結果を出し続けることだ。
  


今季、改めて長打にこだわるつもりだ。  
5番ジアンビ、6番カノ、7番ポサダを意識するライバル心とは
少し違う。
  
そこには、昨夏、打ちまくった裏づけがある。
7月に自己最多の13本塁打で月間MVP。
  
『いい状態なら十分、ああいう事を起こす事が出来る。
 長打は自分の魅力、自分ができる部分』―。
そんな思いを再認識している。
  
本塁打に特化するわけではないが、
外野の頭を越えたり、間を抜く強い打球―。
自分の潜在力を追及する。
  


昨シーズンは、4番ロドリゲスに次ぐチーム2位の
25本塁打を打ち、103打点を挙げた。
  
『いかに周囲に自分の力を証明するか。
 そういうシーズン。
 中軸を打つ、中軸に戻るつもりでやる』―。
そう決めている。
  

背番号55は、枯れたわけじゃない。


坂本よ 夢中になってプレーしろ!
2008年04月09日 (水) | 編集 |
監督として日本一3度、野球殿堂入りも果たしている
広岡達朗氏(76)が、
球界の後輩達へ熱きメッセージを送る
『今、伝えておきたいこと』が、サンケイスポーツでの
新企画としてスタートしました。
今回第1回は、原巨人への提言。
巨人軍OB会副会長は、鋭い視線で後輩達を分析しました。
  


こんにちは。広岡達朗です。
今回、35年ぶりにお話できる機会を(サンケイスポーツ紙にて)
与えていただきました。
  
私の経験、知識の中には、どうしても後輩たちへ
『伝えておきたいこと』があります。
私も76歳。単に斬る、しかる・・・といったケチくさいことではなく、
本当に大切な事、大事な物をこのコラムで残せたら・・・と
考えているのです。
  
読者の方々にも相通じることがあるかもしれません。
僭越ですが、みなさんがその“何か”を少しでも感じ取って
いただけたら、私にとってもこれ以上の喜びはありません。
  
(中略)  


坂本という19歳の新戦力。
私から見ても、素晴らしい素材です。
素晴らしいからこそ、先輩として『大切な助言』を
しておきます。
  
火事場のばか力を忘れるな・・・ということです。  

最近、若い選手たちの中には、
『楽しめた』『楽しんでやりたい』と口にする人が
見受けられます。
  
勝負の世界、楽しんで勝てるほど甘いものではありません。  
前日6日の満塁ホームランも、必死な思いから飛び出した
もののはずです。
  
試合に多く出て、活躍の機会が増えると、
火事場のばか力が消えていきます。
坂本には今年1年、楽しむ暇もないぐらい、
夢中になってプレーし続けてほしいと思います。
  


かつて、巨人軍には素晴らしい選手がいました。
彼は戦力の中心であり続けながら、いつでも夢中でした。
素振りのとき、周囲に居合わせた者は
クシャミひとつできない緊張感に包まれ、声をかけることさえ
できなかった。
 
 
王貞治です。  

彼はバットを振って振りまくった。
調子がいいときも悪いときも、バットを手から離しませんでした。
  

これから若い人たちに、
そんな歴史と経験を伝えていきたいのです。

メジャーと日本プロ野球界の格差
2008年04月08日 (火) | 編集 |
松井秀の結婚に松坂の開幕戦、さらには福留、黒田の活躍など
興味が尽きない今季のメジャーリーグだが、
それに追い打ちをかけるショッキングな発表があった。
MLB30球団の開幕ロースター(故障者を含めた855人)
平均年俸が315万484㌦に達したというのだ。


日本では3億円を越える選手が12球団で8人
(外国人は除く)しかいないのに、この格差はなに?
メジャーに渡る理由は金だけではないが、
これだけ差がつくと、有力選手の流出は致し方がないし、
今後はアマから直接メジャー入りする選手も増えるだろう。


各球団もこれまで断固として認めなかったFA期間の短縮を
新人選手に限って容認したり、
センバツ甲子園ではスカウト席からMLB関係者は除外したり
(これは効果があるとは思えないが)と、
若い選手の流失阻止に躍起だが、それより日本球界が
もっと収益を上げることが大事。
MLBに先を越されたが、来季こそは中国、そして韓国、
台湾でも開幕戦をやって新規ファンの獲得を目指す。
国内市場だけではメジャーに食われる一方だ。


それが長期的な生き残り方だが、
短期で効果が出る方法が1つある。
日本選手の年俸はあくまでも推定であり、
実際はもっと高い額を得ている選手は多い。
また、入団時に莫大な“裏金”をもらっている選手もいるが、
こうした額をすべてオープンにし
“日本球界だってケチではないぞ”と大キャンペーンをはるのだ。


日本にはどうもお金を稼ぐことが良くないことという風潮がある。
金銭に関する規制はすべて撤廃し、球団、選手、メディア、ファンが
その罪悪感から脱却しないことには
巨大な敵には太刀打ちできない。


           サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                              楠山正人氏
忘れ得ぬ ある祖母の奮闘
2008年04月07日 (月) | 編集 |
読売新聞の『子どもの心』~小学校で~より。
小学校の男性教諭からの投稿を今回は紹介したいと思います。


特別支援が必要なF男を担任した時のこと。
自宅から学校まで歩くと1時間以上かかるため、
保護者が来るまで送り迎えしていた。
しかし、歩いて通学することで様々な効果があるのでは
ないかと思った。
五感を使い、体力をつけることができるし、
地域の人ともふれ合える。
保護者と相談して、登校は家族が、下校時は私が付き添って
歩いて通学することになった。
雨の日も、吹雪でも歩いた。


家に着くといつも、足の悪いおばあちゃんが玄関先で
待っていてくれた。
おばあちゃんは、私が引き返す時には、F男と一緒に
手を振って見送ってくれた。

ある時、おばあちゃんが家の前まで迎えに出てくれた。
しばらくたつと今度は、近くの橋を渡った所まで、
ついには、家からかなり離れたところまで
迎えに出て来るようになった。
『足が悪かったはずだけど』―。
不思議がる私に、お母さんが訳を話してくれた。
『毎日のように先生が送ってきてくれる。
 あれだけ歩かなかった孫がよく歩くようになった。
 私も負けておられない』―。
孫の頑張りに励まされたようだった。


F男が6年生になった時、徹夜で27kmを歩く行事があった。
F男の参加を随分思案したが、
『歩けるところまで歩かせて欲しい』という家族や
おばあちゃんの声に押され、参加することになった。
不安な気持ちで当日を迎えた。
なんとF男は歩ききった。
朝方にゴールしたF男は、眠そうだったが、
『よく頑張ったなぁ』と声をかけると、
私の目をじっと見て大きくうなずいた。
そのことを一番喜んだのは、おばあちゃんだった。
それからしばらくして、おばあちゃんは亡くなった。
孫を迎えるために、笑顔で、歩きにくい足を
ゆっくりと前に進める姿は、私の心の熱いところにある。




G浮上へ 発想の転換が必要
2008年04月06日 (日) | 編集 |
『身にしみる寒さの中で、しんから体を作り上げる。
 キャンプとは寒稽古みたいなものなんです』―。
巨人・長嶋茂雄終身名誉監督の言葉だ。

1993年の監督復帰直後、それまでの前半はグアム、
後半は宮崎というキャンプ日程を変更。
宮崎で1ヶ月、じっくりチームを鍛えると宣言した。
  

2月の宮崎は寒い。
特に上旬は気温10度を下回る日が続くこともある。
  
だが、その寒さの中で薄皮一枚、一枚はがすように丁寧に、
体のしんから作り上げていく。
まさに寒稽古のように心身を鍛えあげて、
初めて本当にシーズンを戦える体はできあがるということだった。
  
巨人の不振を見て、改めてこのミスターの言葉を思い出した。  


開幕から球団史上ワーストの5連敗。
原因は打線の不振にあるのは明らかだ。
主力打者の振りの鈍さが際立っている。
  
だが、思えば今年の巨人の主力選手でミスターの
『寒稽古キャンプ』を過ごした選手が何人いただろうか。
  
高橋由と阿部ぐらいのものだった。  
小笠原、李、谷、二岡はオフに手術を受けてリハビリに
近い形からスタート。
じっくり組の阿部も、オープン戦の最後を故障で欠場した。

開幕戦で二岡が再び戦列を離れたのが象徴的だった。
間に合うには間に合ったが、本当に戦えるまで
打線の状態はきていない。
  
これでは、ただでさえ投手有利の春先に、
苦しむのは目に見えている。


打線は水ものではある。
相手投手との兼ね合いで爆発することもあるが、
エースクラスを打ち崩せるまで状態が上がるには、
まだ1ヶ月近くかかるだろう。
  
ただ、ここでこそ発想の転換が必要なときでもある。
打てないから打線をテコ入れするのではなく、
逆にどこまで守りの野球に徹せられるか。
打線爆発を待っていたら、手遅れになってしまう。
  


             サンケイスポーツ 『球界インサイドリポート』より
                                     鷲田康氏
ノーサイドの精神
2008年04月04日 (金) | 編集 |
部員の大麻事件で活動を自粛してきた大学ラグビーの強豪
関東学院大学が、1日に練習を再開した。
処分については賛否両論あるが、
昨季のリーグ戦は事件発覚前に消化した6試合の
成績は残して2位、
というのは事件の社会的な影響の大きさを考慮すれば
甘すぎる気もする。
2部からの再出発でもよかったのではないかと思う。


それはともかく、6度の大学日本一に導いた名将
春口監督が辞任し、5ヶ月にわたる部活動停止、
6月3日までの対外試合自粛などで部も大学も
社会的制裁は受けた。
再生に向け、ボランティア活動や寮生活のルール改善など
学生達が自らの手で取り組んでいるという。
二度と愚かな事件は起こさない、と信じて見守るしかない。


しかし、関東学院大などリーグ戦グループ47校で構成する
関東大学連盟からは、対外試合の自粛を6月末まで延長するように
要請されたという。
もともと、連盟内部では大学側の報告をもとに、
関東協会が決めた今回の処分を『甘すぎる』とし、
一時は休部や廃部を求める意見も根強かったと聞く。


それもわかるが、6月3日を6月末に延長させたところで、
何の意味があるのだろう。
4~6月はフィットネス中心で試合をしなくても
ほとんど影響は無いという。
リーグ戦1部8校の試合日程や会場などを管轄するのは、
上部団体の関東協会であり、その決定は覆ることもなく、
関東学院大に対する“やっかみ”ととられても仕方ない。


昨季の大学選手権は優勝した早大はじめ対抗戦が
ベスト4を占めた。
リーグ戦の巻き返しのためにも、
連盟は関東学院大の再スタートを気持ちよくバックアップ
する方が、ノーサイドの精神にかなっているのではないか。


                     サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                                     今村忠氏
松坂と稚内の縁
2008年04月03日 (木) | 編集 |
昨日のアスレチックス戦での今季初勝利を挙げた
松坂大輔投手(27)。
日本で見る事はしばらくできないが、
そんなファンにお勧めなのが、この冬、
北海道稚内市にオープンした記念館、
『松坂大輔スタジアム』だ。


稚内市は父、諭さんの出身地。
記念館建設の話が出たのは3年前だった。
松坂本人から
『この記念品を家に置いておくのは、もったいない。
 少年達に夢を与えるような記念館を作りたい。
 稚内はどうだろうか』と提案があった。
  


松坂は東京出身。
日本最北端の稚内というと奇異な印象も受けるが、
『怪物』にとっては特別な場所でもある。
  
西武に入団した1999年1月には雪深いこの地で自主トレを行い、
プロ生活をスタート。
壁にぶつかった時には、シーズン中でも日本ハム戦の
札幌遠征に合わせて、稚内まで行き、
心を癒していた。
  
『なぜか稚内なんです。
 ご先祖様を拝んでこようと足を運んだこともあった』と父、諭さん。
ここに記念館を作ることは、第二の故郷とも言える
稚内を大事にする心と感謝の気持ちも表れている。
  


その松坂。
先月25日の開幕戦では制球を乱し、5回を2失点。
試合後は、その投球内容とは対照的に、晴れやかだった。
『日本に帰って投げることができて、素直に嬉しかった。
 また、投げる機会があれば頑張りたい』―。
米国で活躍する松坂にとって、日本が故郷。
西武時代、稚内に足を運んだ時のように、
日本での凱旋当番は、メジャー2年目のシーズンに
はずみをつけるいい機会になった気がする。
  


記念館には、ユニホームやトロフィーなど約180点が飾られているが、
西武時代が多く、まだ、大リーグのものが少ない。
日本での当番を力に変え、さらに充実させて欲しい。

                   読売新聞 『熱視線』より
                               荒井秀一氏 
   

一花さんがいつもためになるコメントを寄せてくれています。
今回も(3/29日付け)松坂に関して頂いているので、
合わせて紹介します。

松坂は、高校時代からプロ入り後も、常にテーマを持って
投げているそうです。
大概の投手は、勝つことで精一杯ですが、
松坂は、プロ入り後も、試合によっては、事前に監督の了解をとり、
色んな事を試していたすです。
日々進歩が怪物を創り上げたんであって、天才ではないんですよ。
天才は、一時の活躍で消えていくもんです。
努力の天才だったんですよ。



熱血主将 粘りの説得
2008年04月02日 (水) | 編集 |
読売新聞『子ども心』より。
今回は中学校の女性教諭より投書があり、
思い当たることがよくある出来事でしたので
載せてみました。


B太は、部活の練習ではいつも一番に体育館に来る。
中学2年生になり、キャプテンとしてチームを率いることに
なった。
B太は、思っていることを正直に口に出してしまうタイプだ。
『もっと声を出せ』と部員を盛り上げる努力をよくする一方で、
カッとなると『ふざけんな』『ばかやろう』といった言葉が飛び出し、
けんかになってしまうことも。
熱いB太と、他の部員との温度差をどう解消するかが、
部活における最大の悩みだった。
  


トーナメントの大会で事件が起きた。
強豪チームを倒し、みなが喜んでいる時に、
主力メンバーのほとんどが、
『明日の試合には出られない』と言い出したのだ。
勝ち進むとは考えていなかったので、
用事を入れてしまったという。
  
その時、B太が声を発した。
『来てくれよ。お前らがいなきゃ勝てない』―。
  
けんかにならないか心配したが、この日のB太は説得し続けた。
部員達はじっと聞いていた。
子ども達に任せ、私は見守ることにした。
  


翌日、私は主力メンバー抜きのチーム編成も用意していた。  
ところが、『用事がある』と言っていた部員達も
全員試合会場にやってきた。
話を聞くと
  
『昨日のB太の言葉が嬉しかった』という。  
結局、試合には負けたが、ベストメンバーで臨むことができた。  



この事件をきっかけに、チームの雰囲気が変わってきた。
練習中、声を出す部員が増え、
みなでキャプテンを盛り立て始めた。
B太も
『カッとなった言葉では気持ちは伝わらない。
 そのことが少しわかってきた』と打ち明けてくれた。


話し合い、ぶつかり合いながら、
子ども達は少しずつ成長していくのだと感じた。