日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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ガッチリつかんだ富山のハート
2008年01月31日 (木) | 編集 |
“ミスターの秘蔵っ子”といわれた大型内野手は、
プロ野球独立リーグ富山県でBCリーグ・サンダーバーズ監督
として2年目を迎える。
  
鈴木康友さん(48)。
昨季は2位に終わったものの、
徹底したファン重視・地域密着路線を貫いている。
  


≪ミスターの教え≫

長嶋監督のラブコールを受けた期待の大型内野手も、
選手としては結果を残せなかった。
巨人―西武―中日―西武と渡り歩き、92年に現役引退。
その後は西武、巨人、オリックスでコーチを務めた。
12人の監督の下で野球をしたことが、今に生きている。  

長嶋監督のサービス精神は、
『引いて構える』富山の風土に溶け込むのに役立った。
本拠地開幕戦では自ら君が代を独唱した。
星野監督が選手の夫人に誕生日プレゼントを贈っていたことを
思い出し、富山でも2人の既婚選手の夫人の誕生日に
ワインを贈った。
『富山では監督役もコーチ役もやらなきゃいけないけれど、
 監督になって初めて、コーチには分からない苦労があると
 知った』―。
  


≪欽ちゃんの教え 『懐に飛び込む』≫

元プロ野球選手だから、富山のスターになれたわけではない。
グラウンドもない。
選手もいない。
順調なプロ生活を送っていたなら、ここまで泥にまみれることは
できなかった。
茨城ゴールデンゴールズの萩本欽一監督の下で
05年から2年間、非常勤コーチを務めた。
地域密着の精神は、実は13人目の欽ちゃんから学んだ。  
『富山でゼロから始めるには、欽ちゃんのように、
 自分から懐に飛び込まないと。
 プロの華やかな世界しか知らなかったから、
 まったくゆかりのない富山で、うまくやれなかった』―。
  

一昨年11月に初めて富山に来て、2日目には地元企業への
あいさつ回りを始めた。
富山出身のプロ野球の父、正力松太郎氏(巨人創設者)の
墓前に監督就任を報告したこともある。
県民の懐に飛び込んで、理解を深めてもらった。
  


≪苦闘マヨにぎり≫  

『プロは華やいだというけど、我々は全てを見せる。
 選手は自分でお弁当を作ってくるけど、
 おにぎりの中身がマヨネーズだけだったりする。
 そんな姿が地元の人たちの共感を呼ぶし、応援してくれる』―。
  
選手の月給は15万円。
しかも4月から10月まで7ヶ月間だけ。
みんなオフの間は、地元でアルバイト暮らしだ。
  
オフを前に
『いい季節に野球をしに来るだけじゃダメだ。
 厳しい冬も暮らしてみろ』と論した。
自らも野球人生の厳しい冬を経験した。
だからアドバイスできる。
  
『アジアシリーズを、いつかオープン大会にしてくれないかな。
 BCと四国と社会人と大学の優勝チームで予選をして、
 1チームに出場権を与えて欲しい。
  
 大きな舞台を用意してやりたい』―。  
富山のスターになって、地元と球界への恩返しを考えることが
多くなった。  

チーム発足直後、グラウンドを借りると、
ホームベースがなかった。
自ら段ボールを五角形に切った。
裏に『初心』『感謝』と記した。
球団倉庫のどこかに眠っているそのベースこそ、
鈴木監督が続ける挑戦の原点なのだ。


 
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寡黙な『必殺仕事人』
2008年01月30日 (水) | 編集 |
口数が多い方ではない。
野村監督に『無言会会長』と揶揄されることもある。
  
 
選手会長として2年目を迎える楽天・高須洋介(31)。  
『今でも“オレでいいのかな”と自問自答しながらやっている』
と苦笑いする。
自他共に認めるように、
言葉でチームを引っ張るタイプではない。
  
『引っ張るというよりも、自分も結果を残していくしかない。
 プロなんで、それぞれやらなければならないことは
 分かっているはずだし』―。
口よりも背中で引っ張っていくタイプだ。
  


寡黙だからこそ、一言が仲間の胸を打つこともある。  
昨シーズン初め、投手の松崎が一昨年のデビューから数えて
11連敗を喫し、プロ野球のワースト記録に並んだ。
自信喪失のどん底に陥った若手に、
ロッカールームで、あえてこう高須は言葉をかけた。
  
『記録作っちゃえよ』―。  
真意をこう説明する。
『良い時もあれば悪い時もあるんで、ある程度、
 開き直ってやることが大事なんじゃないかなと思って。
 頑張れよ、と言っても、みんな頑張っているわけだから』―。
  
この言葉で楽になれたという松崎は、
5月18日のロッテ戦で初勝利を挙げ、
不名誉な新記録を免れた。


『必殺仕事人』―。  
野村監督に、そう呼ばれることもあった。
得点圏打率は一昨年の3割7分8厘に続き、
昨年も3割8分6厘で、2年連続のリーグトップ。
  
ここぞという場面で、ことごとく期待に応えた。

『塁に出る人がいて、送る人がいて、そうして回ってきたチャンスで
 (走者を)かえさなければ、その人あちの仕事も無になる。
 そういう思いも加味して、打席に立って、まず振ること。
 結果は、ボクの中では問わない。
 やるだけやってダメなら、もう仕方ない』―。
それが、勝負強い打撃の極意だ。
  


球団発足4年目。
『初年度と違って、上とも対等に戦える、
 もうちょっと頑張れば(Aクラスに)行けるというのは、
 みんな思っている』―。
  
クールなポーカーフェイスの下に、熱い思いを秘める。
それが『必殺仕事人』の流儀だ。

阿部 珍トレ第2弾
2008年01月29日 (火) | 編集 |
巨人・阿部慎之介捕手(28)が地下足袋に続き、
またも珍トレーニングだ。
室内練習場にあったおもりの付いたベルトを着用。  
探求心の固まりの阿部は効果を実感した。


『これ、よく効くよ。
 (キャンプの朝の)散歩だけでも効果がありそうだね。
 キャンプ用に自分の物を注文しようかなぁ』―。
腰回りに複数のおもりが付き、その総重量はなんと約10㌔の
ウエイトジャケット』。
  
室内練習場のウエイトトレーニング室に置いてあったものを
試用したのだ。
負荷を感じながら、ランニングやティー打撃などの練習を行った。  


ティー打撃の途中でベストを脱ぐと、重力から開放されたかのように
『軽い、軽い』と連呼。
軽快な動きを見せ、ほんの2時間の練習ながら、
その効果を実感し、宮崎キャンプでの本格導入を
検討し始めた。

実際、巨人では金刃や西村ら若手投手陣が昨秋のキャンプで
ランニング時に使用。
ミズノ広報部は
『下半身や体幹部の強化に効果がある』という。
  
野球以外にも、バレーボールやテニス、陸上のトレーニングに
使われるなど、効果は高そうだ。
  


同じ練習なら効果は高い方がいい。
阿部の探求心が、通常の練習効果への“プラスα”に飛びつかせた。
今オフのグアム自主トレでは父・東司さんのススメもあって、
地下足袋を着用。
(1/23付けブログで紹介)  
野球の技術向上につながることなら何でも取り入れる。  
開幕に向け、新兵器のベストで
コンディションを“ベスト”な状態へともっていく。

42.195キロの奥深さ
2008年01月28日 (月) | 編集 |
昨日の大阪国際女子マラソンで、
25歳で初のマラソンに挑んだ副士加代子は、
練習での距離走はほとんど22キロまでだそうだ。
マラソン練習での距離走は30、40キロか人によっては
もっと長く走る場合もあるのに、随分短い。
さすがにトラックの女王だけに、
外国流のスピード型の調整で今回挑んだのだが・・・。


日本陸連女子長距離マラソン強化部長の金哲彦さんに聞くと、
『外国では40キロは走らない。
 故障を起こさないため、せいぜい30キロまで』という。
しかし、外国勢は起伏に富んだクロスカントリーで
筋力をつけ、いかに30キロまで楽に走り、
そこからスピードを上げて勝負するのが
一線級の走り方という。


かりに5000メートルで14分53秒22の日本記録を持つ
福士が、5キロを16分30秒から17分のペースで余力を残して
30キロまでついていって、残りで持ち前のスピードを
爆発させれば・・・??
『男子の場合、初マラソンでは速いペースに戸惑うが、
 女子は怖さ知らずで、力まずに走れる』と金さんは言う。


だが結果は惨敗・・・。


残り2キロ。
並走する監督が『もうやめてもいいよ』―。
だが、声は届かない。
痛々しい姿に天も涙したのか。
終着点の長居競技場に、雪が舞う。
残り600メートルを切った地点で転倒。
さらに、競技場に入ったトラックで3度、力なく倒れ込んだ。
『頑張れ!!』―。
2万人が集まったスタンドから拍手と励ましが鳴り響く。
あと5メートル。
数歩で届くゴールを前に、また崩れ落ちる。
“立ち上がれ!!”
観衆の祈りが、最後の力を与えた。
2時間40分54秒。
19位・・・。
計4度転倒しながらも、レースを捨てることはしなかった。
『ごめんなさい・・・』
監督の顔を見て、真っ先に口をついたのは、
お詫びの言葉だった。
すりむいた膝の治療の為、
『何とか生きています』と言い残し、
医務室へと消えた。


マラソン練習では『定番』といわれる40キロ走を1度もやらず、
30キロ以上を続けて走ったのも1度だけ。
昨年12月10日、監督に『申し込んでおいて下さい』と
決意したマラソン転向。
常識に挑戦する自己流も、準備期間が少なすぎた。

まだトラック競技で北京を目指す手段もある。
これが終わりではなく、これが始まり。
走りきった強いハートで、
力強く再起する。


≪福士が見せた『2つの衝撃』≫  

『福士さんが見せてくれた「2つの衝撃」が印象に残った
レースでした。
1つ目の衝撃は4回転んで、それでもゴールに辿り着いたこと。
30キロ付近で視界が真っ暗になったそうです。
脱水症状だったのでしょうが、普通は棄権しますよ。
(残る)12キロは走れません。
どんな気持ちで残りの距離を走ったのか・・・。
マラソン初挑戦で、マラソンの怖さ、難しさ、奥深さを
感じたことでしょう。

もう1つはの衝撃は、初体験なのに失敗を恐れず速いペースで
飛び出したこと。
これは素晴らしい勇気で、私の中ではこちらの方が
衝撃度は大きかったくらいです。


マーラ(ヤマウチ)さんはランニング専門誌をチェックしたり、
コースのビルや木の影まで把握して走るなど
頭脳プレーが得意な人。
スピードを磨いてきたことが勝因でした』

                       ~増田明美~

                       
30キロ過ぎた付近でドンドン抜かされ
福士選手が額の汗を拭い口にあてるシーンが
印象的でした。
コース街頭の人たちが『頑張れ~!!』と一緒に並走している
姿を見ながら涙が止まりませんでした。
たくさんの人たちに励まされ、後押しされて競技場に
辿り着いた福士選手を見ながら、テレビの前で
観客のひとりになって手をたたきながら応援しました。
奥が深いマラソン競技。
今回の42.195キロのドラマは、熱くて胸が痛くなった
でも、最後は安堵の涙に変わった感動のファイナルでした。











  
ゴジラのこだわりバットは大人気
2008年01月27日 (日) | 編集 |
 毎年、ニューヨーク・ヤンキースのキャンプで見る光景がある。
 若手が松井秀のところにやってきて
 バットをねだるのだ。
 
 駆け出しのマイナーリーガーだけではない。
 生え抜きで実力に人気も兼ね備える
 ロビンソン・カノ内野手(25)や、
 メルキー・カブレラ外野手(23)までが大事そうに手にし、
 フリー打撃などで愛用している。

 『ヒデキのバットはとてもいい。
  グラブも上質だね。
  日本人はみんな、あんなに質の良い道具を使っているの?』
  
 私にこう聞いてきたカノは羨ましそうな表情を浮かべた。

 
 毎オフ、松井秀がアドバイザリー契約を結ぶミズノに出向いて、
 バットやグラブ、スパイクなどあらゆる道具を事細かに
 注文することを説明すると、
 さらに驚いた様子だった。
  
 『米大リーグでは一部のトップクラスを除けば、
  メーカーの既製品の中から自分に合った物を選んでいる
  プレーヤーが多いようです。
  日本では新人や、中にはアマチュアも
  オーダーメードが少なくないですが、
  大リーグではカノのクラスでも珍しいですね』―。
 スポーツ用品メーカーの社員は証言する。
  


 オーダーメードが日本ほど普及しない理由については
 『プレーヤーの数が圧倒的に多いのと、
  日本に比べて道具に対するこだわりが希薄
  なのかもしれません』と分析した。
  


 松井秀が持ち込んだ“5本指ソックス”が
 ヤンキースに定着したように、
 各チームに散らばる日本人選手の与える影響は大きい。
 こだわり派の日本人が海を渡るたびに、
 大リーガーの野球用品の質も底上げされていくはずだ。


               サンケイスポーツ 『アナザーストーリー』より
                                   阿見俊輔氏
ここぞの一発 大器『完成』
2008年01月26日 (土) | 編集 |
 主砲もエースも去った。
 去年までとは全く違うチーム事情。
 2008年、広島の命運は若き大砲のバットに託される
 ことになる。

 栗原健太(26)。
 昨オフ、ブラウン監督は早くも今季の4番に栗原を指名した。  
 『打順は監督が考えること』としながら、
 『ここぞと、いう時に打つのが主軸。
  ただ打つことだけでなく、いろんな場面で引っ張って
  いけるように自覚を持ってやりたい』―。
  
 そこには、選手会長でもあった新井の『代役』で
 終わるつもりはない、という強い意志が見えた。
  


 昨季、走者を置いた場面での本塁打は15本。
 さらに本塁打を放った21試合の勝敗は、14勝7敗と
 大きく勝ち越している。
 その一振りが、何度もチームの重苦しい雰囲気を
 吹き飛ばした。
 
 好機で打席に入るとき、いつもこう考える。  
 『(相手投手は)振りかぶることはできないし、
  厳しいコースをつくために腕も縮こまる。
  走者も気になるはずだ』―。
  
 いつも通りのの投球はできないと想定するから、
 落ち着いて狙い球を絞れる。
  
 『打席に立っただけでイヤだな、と思われる打者』―。  
 プロになって4番を打ったのは06年の3試合のみ。
 しかし、『4番』のイメージは常に持っていた。
  
 『中日のウッズのように、どんなに調子が悪くても、
  守っているとやはり怖い存在でいたい』―。
 圧倒的な存在感と勝負強さを兼ね備えた4番を目指す。



 毎年のように大砲候補に挙げられながら、
 ケガに泣いてきた。
 だが、昨季、プロ入りして初めて全試合に出場。
 打率3割1分、25本塁打、92打点はすべて自己最高。
 プロ8年目で『ようやく満足できるシーズン』を
 送ることができた。
  
 
 『今回は納得してサインしたかった』―。
 オフには、日本人として球団初となる代理人を伴っての
 契約交渉を行った。
 それだけ自信がを深めた成績に、球団からは
  
 『チームを引っ張る存在に』との注文を受けた。
 『もちろん、全試合に出て4番を打つつもりだ』―。
  

 26歳。
 新井が初めて4番に座った時と同じ年齢になった。
  
 『チャンスに決めるだけの勝負強さを身につけ、
  チームの柱にならないといけない』―。
  
 もう、『未完の大器』とは言わせない。  


 息子も4月から最上級生。
 チームでも責任ある立場に立つことになります。
 栗原健太選手のように、
 『ここぞ、という時に打てる、勝負強いバッター』を目指し
 この冬、本人なりに頑張っています。
 息子も『未完の大器』と呼ばせない!!今年こそは!!



  
  
 
フルスイング
2008年01月25日 (金) | 編集 |
 先週よりNHKで土曜日夜9時から『フルスイング』
 というドラマがスタートしました。(全6回)
  
 
 プロ野球の打撃コーチとして活躍した
 故高畠導宏さん(享年60歳)が引退後、
 亡くなるまでの短い間に高校教師として
 “フルスイング”で生徒を指導した日々を
 ドラマ化した番組です。
  

 先週の放送では、高畠さんが58歳にして
 高校で教育実習を受けることに。
 そこでコーチ時代同様に、生徒のプロフィールを作成。
 それにより彼らの人望を得るという内容。
  

 
 他の教師らも手を煩わせていた生徒がいた。
 彼の両親は借金をし、両親共に失踪してしまう。
 その頃から人と距離を持つようになってしまったという。
 高畠先生は、なんとか彼の心を開いてあげたいと、
 彼にぶつかっていく。
 でもなかなか心を開いてくれない。
 ある教師からは、
 『あなたは本当に教師になるのですか?
  (実習生なのに)腰掛でなら彼には迷惑だと思います。
  何を彼に求めているのですか?
  余計なおせっかいは彼には必要ない』―。
 その通りだ、と思った高畠先生。
 これ以上彼に関わることで彼に迷惑をかけてしまう。
 

 その時、ふと思い出した。
 高畠先生はコーチ時代、選手ひとりひとりの特徴を書きとめ
 指導に役立てていたノートがあった。
 このノートを見れば何かヒントがあるかもしれない、と。

 ノートを見直してみると
 『これだ!!』
 “大きな耳 小さな口 優しい目”―。  

 まずは優しく遠くから見守ってみよう、そう心に留め
 彼に対して“大きな耳、小さな口、優しい目”で
 見守ることにした。
 

 先生の子供たちに対する優しさ、温かさが彼にも伝わり、
 自然と彼から高畠先生に接していくことができた。
 『僕には夢があります。カメラマンになること。
  でも、普通に就職してお給料を頂いて、そのお金で今お世話に
  なっている叔父さんらに返していかなくちゃならない』―。
 でも先生は
 『夢は捨てちゃいけない。
  夢のない人生は消化試合みたいなもんじゃ。
  夢を持つから前に進める。頑張れるんじゃ。
  やれるんじゃ』―。



 出来ないんじゃない。
 やってみる、トライしてみる、
 始めから理由をつけて逃げてはいけない。
 先生自ら体験し成し遂げたプロ野球界選手、コーチ人生経験を
 採り上げ、彼に勇気を与えた。
 とても感銘をうけました。



 2話目以降、高畠さんは教師となり、
 いじめなど諸問題にぶつかっていくが、
 やがて病魔にむしばまれていることが判明。
 それでも高畠は生きる気力を失わない。
 

 
 教育力の低下は、学校だけの問題ではない。
 家庭も、地域社会も、職場も、
 きちんと人材を育てられずにいる。
 あきらめ、過度な競争原理、事なかれ主義・・・。
 理由を挙げたらきりがないが、
 相手と本気で向かい合い、絶対に見捨てない気持ちがあれば、
 少なくとも真っ当な社会人は育つはずだ。
 この作品が訴えるのもまさにその点。
 目の前の相手に、とにかく全力でぶつかっていく。
 それが名コーチの遺言ではないでしょうか。
  


 たくさんの色んな方に見て欲しいドラマです!!
 子育てで悩んでいる親、
 学校に不満を抱いている親、
 子供とどう接したらいいのか分からない学校の先生、
 人の上に立つ立場の管理職の方など・・・。
 今まで私達が忘れかけていた
 『人と接することで相手の体温を知る』―。
 正面からぶつかっていく高畠先生の姿勢を
 心のまま受け止めて欲しいです。
 是非、ご家族でご覧下さい。


 
  *甲子園への遺言―伝説の打撃コーチ・高畠導宏の生涯  
                          門田隆将著
 
 
松坂震えたイチローのオーラ
2008年01月24日 (木) | 編集 |
天才のオーラはやはり特別だった。
昨季、日本だけではなく、全米も注目したのが
マリナーズ・イチロー外野手(34)と
レッドソックス・松坂大輔投手(27)の
『天才VS怪物』の勝負だった。
  

結果だけを見れば、4試合の対決でイチローが
12打数1安打の打率.083、1打点。松坂の“圧勝”だ。
  
ところが松坂にしてみれば、自分にとって相性が良かった
打者よりも、イチローの威圧感の方が嫌だったという。
  

『打順が回ってくる前、イチローさんはベンチで身構えて
 いるんですが、すごいオーラを放っている。
 その時点で別の打者と対戦しているのですが、
 ついつい、そっち(イチロー)を見てしまって・・・』―。
  

西武時代からマウンドでの『集中力』には定評があった松坂でも、
イチローがネクスト・バッターボックスにいるだけで、
気持ちが奪われる。
  
1番打者のイチローに気を取られすぎるのか、
その前の9番打者に対し、4試合で16打数5安打と
打たれている。
  
さらに、実際に打席とマウンドで対決するときのイチローの
印象は、また違うという。
『どのコースへ投げてもバットが出てくる絵(イメージ)が
 頭の中に浮かぶんです。
 どこでもバットの芯でとらえられるような・・・』。
  

グラウンド上でこれだけの存在感を放ち、刺激を与えるイチロー。
グラウンド外でも、
『プライベートで話しを聞かせてもらいますが、
 すごく勉強になります』と
野球への取り組み方、考えなどを勉強させられる。
  

数字ではない。
怪物がさらなる進化を遂げるためには、
イチローは避けることのできない、
そして越えなくてはいけない大きな“壁”なのだ。
  


            サンケイスポーツ 『アナザーストーリー』より
                                  湯浅 大氏


バランスアップ&脚力強化へ秘密兵器
2008年01月23日 (水) | 編集 |
ジャイアンツの阿部慎之介捕手(28)が今月9日、
自主トレ先のグアムで始動した。
さらなる下半身強化の“秘密兵器”として地下足袋を導入。  
フルシーズン戦い抜くため、とび職人らの必須アイテムを
使って、金メダルと日本一を目指す。


 
『父親から地下足袋を持っていくように言われて。
 下半身強化にいいみたいですね』―。
両足に履いたのはシューズではなく、なんと29㌢の
黒い地下足袋。
建設現場などでとび職人らが愛用するものを、
建設業を営む父から授かったという。
そう、これこそが、今年の阿部の秘密兵器だった。

地下足袋で走る際には、ランニングシューズより
両足親指の付け根に負担がかかる。
  
最後までやり遂げ
『今年はフルシーズン、コンスタントに活躍しないと。
 下半身強化が目的ですから』と目を輝かせていた。
  


   ≪スポーツと地下足袋≫  


 地下足袋は一般の靴と違い、親指と他の4本の指の間が
 割れた作りになっているのが特徴。
  
 両足の親指の付け根にある母趾球菌を使って踏ん張ることで、
 バランス能力を高め、脚力強化に役立ち、
 フットワークを良くする。
  
 また腰痛や外反母趾の予防にもなる。  
 近年はスポーツ選手用にスニーカータイプの地下足袋も
 発売されており、トレーニングに採り入れるアスリートも多い。
  
 総合格闘家の西島洋介はボクサー時代、
 地下足袋でリングに上がっていた。



イチローの体作りは手本
2008年01月22日 (火) | 編集 |
 カネやんの『ワシの話を聞きなさい』より。
 イチローの自主トレについて熱く語っていました。 

 ―『プロ』に徹するということで、金田さんはマリナーズの
  イチローを絶賛していますよね。

カネやん)そうよ。 この前もテレビを見とったら、
      『(オフに入っても)いつも体を動かしています。
       そうしないと、体がなまってしまうんで』と
      言うとったな。
  
      あの子は試合中もずっと体を動かしとるやろう。
      あれだから故障をしないんや。
  
      オフの間に、ご馳走食って寝て過ごすんやなくて、
      どれだけ体を作りあげられるか。  
      ワシはよく
      『備えあれば憂いなし』という言葉を使っていたけれども、
      イチローはその見本だね。
  


 ―キャンプインも近づいて、ここでケガをしたら元も子も
  ないですもんね。

カネやん)恥ずかしながら、ワシも若い頃に無茶をやってのう。
      キャンプインの3日前に(故ジャイアント)馬場と相撲を
      やって外掛けでぶっ倒したら、捻挫をしてしまったんや。
      体が万全で、疲れも何も感じない二十歳そこそこの
      ときこそ、注意をして体を鍛え上げないといかん。
  
      その時期に無茶や横着をしていると、
      25、6(歳)でガクンときて200勝なんか
      到底できなくなる。
  
      そういう意味でも『備えあれば憂いなし』を
      心に留めておいてほしいね。
  

 
父が師 福祉農園
2008年01月21日 (月) | 編集 |
 毎日息子とランニングしているコースに
 田畑の広がる場所があります。
 季節を感じ、のどかな風景が広がっています。
 が、ここ数年。
 ウィークリーマンションやアパートが建ち、
 田畑がなくなりつつあります。
 その原因のひとつには、農家を継がない、
 後継者がいない、という深刻な悩みが背景にあるようです。

 土がなくなってコンクリートに引き詰められると、
 地表が呼吸できなくなるので、夏にはヒートアイランド現象が起き
 冬には昔よく見かけた地面の霜柱や
 氷が張るという現象などを見るということもなくなり、
 生活はしやすくなったのかもしれませんが、
 徐々に季節感を感じることもなくなり、
 情緒を感じることもできなくなりました。


 そんな不安を抱いていた中、こんな記事を見つけたので
 載せてみたいと思います。
 心温まる 『人・物語』 です。


≪最初は渋々『人つなぐ喜び』を知った10年≫  


作業着姿の猪瀬浩平さん(29)が足元をまじまじと見つめた。
床板の所々に穴が開いている。
今月12日。
さいたま市の「見沼田んぼ福祉農園」で、倉庫として使っている
小屋の修繕作業が行われた。
全体が傾き、出入り口の戸も開けにくくなっていた。
『こんなに腐っていたなんて』―。
そうつぶやいた浩平さんの後ろで、父、良一さん(58)の
声がした。
『これほど長く続くとは思わなかったもんな』―。
父が開いた農園は今年、10年目を迎えた。


浩平さんの兄の良太さん(34)には知的障害がある。
農業ジャーナリストだった父が、地元の農家から小さな土地を
借りたのは20年前。
良太さんに農作業を経験させるのが目的だった。
  
浩平さんが小学校だった時は、週末ごとに家族と通った。
深い森には別世界があった。

だが、中学に入ると、部活動や友人との付き合いが忙しくなって
足が遠のいた。
家族との距離を感じ始めたのは、高校に進んだ頃からだ。
同級生から、父の仕事や兄について聞かれると、
どう説明していいか分からなかった。
家族とほとんど口を聞かなくなり、生まれ育った土地から離れた
大阪大の人間科学部への進学を決めた。


大学2年になった1999年5月。
父は農場を1ヘクタールに広げて福祉農園を始めた。
それまでは家族だけで農作業をしていたが、
障害者やボランティアを受け入れるようになった。
  
夏休みに帰省すると、『農園で草むしりをやれ』と父に言われた。
避けてきた相手だが、有無を言わせぬ口調に従うしかなかった。

その後も帰省の度に農園の仕事を手伝わされた。
初めの何年かは苦痛でしかなかったが、
渋々手伝ってるうちに、農業というものが少しずつ違って
見えるようになっていった。
  


そんな自分を初めて意識したのは、東大大学院に進むため
埼玉に戻った2001年の春だった。
  
ジャガイモを作ろうと、種芋を4分の1に切って植えた。
本当に芽が出るのかと半信半疑だったが、
2週間後、緑の葉がぽつぽつ顔を出し始めた。
畑が新芽で埋まったのは、その1週間後だ。
あんな切れ端から、こんなに多くの芽が育つとは・・・。
生命の神秘を目の当たりにした思いだった。
  
失敗も繰り返した。
雨の翌日に耕運機をかけ、すっぽりと泥に埋もれたことがある。
農薬を使わずに枝豆を育てようとして、新芽を全て青虫に
食べられたこともある。
  
そんな経験を重ねながら、苗が実った時の感動は
何物にも代え難いと知った。
  


翌年の1月。
子供らにも農業に触れてもらおうと、
農園の一区画で農作業の体験教室を開き始めた。
しかし、教室の準備に追われるなどして本来の農作業が
おろそかになり、畑は雑草だらけになってしまった。
  
この時に意見したのは父だった。
『知識も技術も十分じゃないのに、子供を受け入れるのは
 早過ぎる。
 まずは地道に農業と向き合うべきなんじゃないのか』―。
  
その通りだと思った。
農業だけでなく、父を見る目も徐々に変わっていった。
  


農園から発電機や耕運機がごっそりと盗まれたのは
一昨年5月のことだ。
揃え直す経済的余裕がなく、
『もうダメかもしれない』と気持ちは沈んだ。
  
だが、思いがけないことが起こった。
地元の農家や企業から、中古品や現金を寄付したいという
申し出が、約40件も寄せられたのだ。
  
父とお礼に回り、地域の人々が障害者や若い農業者に向ける
まなざしの温かさを実感した。
農園のことで、父と一緒に怒ったり笑ったりしている
自分がいた。
  



昨春からは明治学院大で『ボランティア学』を教えている。
秋には学生を農園に連れて来て農作業を体験させた。
  
若い人に伝えたいのは、
『人と人をつなぐ農業の素晴らしさ』だ。
  
農園では今、約200人の障害者や若者が汗を流す。  
10年目を迎え、父にこう提案した。
『これからは採算のとれる方法も考え、
 農園を何世代にもわたって続けられる体制にしたい』―。
  
  
小屋の床板を張り替えた後、農園の釜戸でおでんを作った。
具のジャガイモや大根は農園で採れたものだ。
汁をすすると、冷えた体がほんわり温かくなった。
鍋から立つ湯気の向こうに、
満足そうに笑う父が見えた。


                ~読売新聞 1/20付け 朝来野祥子~

 
いかに100球で役目を終われるか
2008年01月20日 (日) | 編集 |
昨季終盤、調子を落としたレッドソックス・松坂大輔が、
ある球界OBに漏らした話を聞いた。
『中4日(のローテーション)がボディーブローで効きました』―。  

西武時代は200球を投げて完投したり、
中2日や中3日の登板もへっちゃらだった。

だが、その怪物も、メジャーではシーズン終盤に
へばってしまった。
理由は本人の言うように、慣れない中4日にあったのか。
  


だが、突き詰めると中4日で投げられなくなった原因を作ったのは、
松坂自身にあるともいえそうだ。
  


球数の多さだ。
当初から1試合100球というメジャー流の球数制限に
欲求不満を感じ、
『もっと投げたい』と直訴していた。
その結果、6月5日のアスレチック戦の130球を最多に、
120球以上を投げる機会が多くなった。
直後は影響も無く、むしろ内容は良くなったようにも見えた。

だが、実はその球数の蓄積が、シーズン終盤のスタミナを
奪っていた。
  


メジャーにはこれまでも松坂以上にスタミナを誇る投手は、
いくらでもいた。
それでも162試合の長丁場で、いかに1年間、
投手を効率的に働かせるかという試行錯誤から、
100球という球数は弾き出されてきた。
いわばそれはメジャーの経験側から生まれた
スタンダードなのだ。
  


同僚のベケットは昨季、投球回数200回2/3で
総投球数は3100球だった。
松坂は204回2/3とほぼ同じ回数で3479球と379球も多い。
  
『ボディーブローで効いた』のは、
スタンダードを無視して投げ続けたこの球数の蓄積にあった、
ということだ。
  


メジャーの先発投手は、まず1年間、ローテーションを守ることが
最も大切な役割となる。
そういう意味では、いかに100球で役目を終えられるか、
未練を残さずに100球でマウンドを降りられるか。
そういう心のタフネスさこそ、
2年目の松坂の最大のテーマになる。
それができれば、数字はおのずとついてくる。
  


           サンケイスポーツ 『球界インサイドリポート』より
                                   鷲田 康氏  



昨年は、手探り状態で入団し、松坂にとって
メジャーの怖さを体感したシーズンだったのでしょう。
彼もこだわりを持ち、自分が納得するまでは
他の人にとやかく言われたくない、という
強い気持ちを持つ頑固なところもあるように見受けられたので、
昨シーズン失敗したことなどをバネにし、
何でも経験をし得ることで、次に繋がると思っていたに
違いないし、今シーズン、
この経験は必ず結果として出ると思います。
更にスケールアップした松坂大輔に期待したいです。

息子が物心つき野球に興味を持つキッカケとなったのが、
甲子園でPL学園と戦っていた松坂の雄姿を見てから。
まだ2歳になったばかりで、気管支炎で入院中のベッドで、
テレビを見てクギ付けになって見ていました。
“まつだか”“まつだか”・・・と。
まだ言葉をハッキリ話せない2歳が、一生懸命テレビを見る姿に、
息子が松坂から勇気をもらって励まされていたように
見受け取れました。
息子には松坂への特別な想いがあります。

これからも追い続けていきたいと思います。


メジャーから日本復帰しやすい制度構築を
2008年01月19日 (土) | 編集 |
2008年は新たに7選手がメジャーに挑戦することになる。
『挑戦』と書いたが、日本人選手にとって、
メジャーはもう現実的には、未知の世界や上の世界に挑む
というレベルのものではなくなっている。
メジャー側も、日本球界は確実な戦力の供給源として、
かつての中南米に近い位置づけになってきていると
いえるだろう。
  


こういう状況になると、日本野球の空洞化を心配する声が
大きくなってくるのは仕方ない。
だが、メジャーに挑戦する選手たちにとって、
今後のひとつのあり方となりそうなのが、
広島からドジャースに移籍する黒田ではないだろうか。
  


『黒田は3年で広島に戻ってくる』という話を
ある球界関係者から聞いた。
  
『メジャーは夢。
 夢を実現して3年間、目一杯自分の力を試したい。
 でも最後は広島のユニホームで
 自分の野球人生を終えたい』―。
それが黒田の希望だという。
  


メジャーである程度、自分の力を試して、
最後は日本でユニホームを脱ぐ。
今季で3年契約が切れるマリナーズの城島も選択肢のひとつに
『ソフトバンク復帰』という考えを持っているという。
  
黒田、城島はまだ先の話だが、
これまでも日本ハムに復帰した新庄を筆頭に、
ヤクルト・木田、西武・石井一、ベイスターズ・佐々木ら
Uターン組が、改めて日本野球界を活性化させているのは
見逃せない。
  


気持ちよく行かせて、気持ちよく戻らせる。
黒田はFA権を獲得した昨オフ、
金銭ではなくチーム愛を優先して広島残留を決断した。
そのチーム愛に応える形で、広島は黒田のメジャー挑戦を
快く受け入れた。
城島が復帰を思うのも、メジャー移籍に寛容なソフトバンクの
姿勢があるだろう。
  


選手の流出阻止を叫ぶのではなく、
むしろ選手交流を活性化させ、
もっとUターンしやすい制度を作ること。
それも日本野球活性化の一つの道のはずだ。
  


          サンケイスポーツ 『球界インサイドリポート』より
                                  鷲田康氏
 
カネやんの『質問コーナー』
2008年01月18日 (金) | 編集 |
 毎回ためになる『カネやんの質問コーナー』。
 今回は厳選して3つ、載せてみたいと思います。

≪背番号は自分で育てるもの≫  

Q)新入団選手発表で背番号のことが話題になります。
  金田さんの代名詞、背番号『34』は
  どうやって決まったのですか?

カネやん)どうもこうも、34番目の選手(監督・コーチも含む)
      だったからよ。
      国鉄(現ヤクルト)に入団したときに
      『とりあえず、これをつけて』と言われてつけたんだ。
      でも、いったんつけた以上は縁のある番号やからな。
      勝ち始めたら『10番代に変えようか』と言われたけど
      『ほっとけ』と取り合わなかった。
      背番号は自分で育てるものなんや。
      イチローの『51』や松井秀の『55』もそうやろ。
      そういう背番号を育てられるのが、
      本当の選手ですよ。
  


 ≪ハワイでの楽しみは“時差ボケ”≫

Q)年末年始に野球選手や芸能人が、こぞってハワイに出かけます。
  ハワイのどんな部分が、そんなにいいんですか?

カネやん)言われてみれば確かになぁ・・・。
      旅費もバカにならんからなぁ。
      ただ、ワシの場合、ハワイで楽しみにしとるのは
      “(日本と5時間ある)時差ボケ”なんだよ。  
      昼間から夕方にかけて太陽の光を浴びると、
      ボーッと夢見心地になる。
      さわやかな風も吹きぬけて、本当に天国に来たような
      気分になるんや。
  
      静養するだけなら日本の温泉の方がいいけど、
      この気分はハワイならでは。  
      時差ボケが取れたら飽きるから、早めに日本に帰ることに
      しとるよ。


 ≪トレードに賛成?反対?≫  

Q)今回のオフも、すでにいくつかのトレードが決まっていますが、
  金田さんは賛成ですか、反対ですか。

カネやん)賛成も何も、必要としてくれるところがあるんだから、
      行けばいいだけじゃないの。
  
      残念ながら、いまいる場所では自分という商品が
      売れなかったんだから、次のところで売れるように
      するしかない。
  
      よき上司に巡り会えるかもしれんしな。  
      だいたい、いまの野球界はFAがあったり、
      監督が同じリーグの違うチームに移ったりするんだから
      トレードなんてたいしたことはないんだ。
      会社でえば人事異動。
      それくらいの気持ちで、ビジネスに徹するべきだな。

   
課題図書で“レギュラー奪回&世界一”に
2008年01月17日 (木) | 編集 |
ヤンキースの松井秀喜(33)が4日、石川県の母校・星陵高校へ。
底冷えする母校の室内練習場に足を踏み入れた松井は、
懐かしそうに目を細めた。
今年もまた、自らの原点へと帰ってきた。  

『ここに来ると神聖な気持ちになります』―。
出迎えた山下総監督と握手をして言葉を交わすと、
さらに気持ちは引き締まった。
昨年末、松井に向けて
『やせろ』、『早起きして体を動かせ』、『逆境をバネにしろ』と
来季復活への3カ条を目標として与えた山下総監督は、
“冬休みの課題図書”として6冊の本を用意していた。


『私が読んだ本で、松井君にもぜひ読んでほしいと思ったものを
 選びました』―。

 
6冊の中でも松井にイチ押ししたのが北京五輪の
野球代表・星野監督の書いた『星野流』だった。
  
監督生活を通じて体験した人心や組織の掌握術などが
記されている。


山下総監督は
『野球部の部員に松井君は
 “今年は僕もレギュラー争いから始めなくてはならない”
 などと心情を隠すことなく話していたのに驚いた』と証言。
ゴジラは闘志を内に秘めるタイプだが、ゼロから定位置を争う
今季は、“燃える男”星野監督のように
熱く振舞ってもいいのではないか。
その参考になれば、という恩師の思いが込められていた。


『頂いた本からは、山下総監督のお気持ちが伝わってきました。
 星野流を含めて、これからしっかり読みます』―。


シーズンオフの冬は、松井にとっての読書の季節。
レギュラー確保と世界一奪回の知らせを、
山下総監督への読書感想文代わりにする。  



(他の山下総監督、推薦図書)
・人間の関係  五木寛之
・20の秘密   リッツ・カールトン
・豊田泰光のチェンジアップ人生論
・生き方     稲盛和夫
・安岡正篤の人間学

     





   
 
もしも松井秀が『右打ち』で『高校から渡米』していたら・・・
2008年01月16日 (水) | 編集 |
 例年通り、年末年始を故郷の石川・能美市で過ごした
 松井秀は、実家近くの温泉地で家族とともに
 新年を迎えた。
 『初夢は見たかもしれないけど、覚えていないなぁ』と
 首をかしげるゴジラから昨年、
 別の夢の話を聞いたのを思い出した。


 『おれ、野球に関してもしも・・・だったらと思うことが
  2つあるんだよね』―。
 こう切り出した松井秀は
 『もし、右打者だったら俺はどうなっていたんだろって
  考えるんだ』
と続けた。
 

 元々は右利きで右打ち。
 だが子供時代にやった“三角ベース”であまりにも打ち過ぎる、
 という理由で友人に無理やり左打ちに変えさせられてから、
 現在に至るまで、
ずっと左手の使い方に悩んできた。


 『どうしても利き手ではない左が弱い。
  右打者でうまくいく保障はないけれど、あれこれ考えずに
  使えるし、力もある。
  左よりいいバッターになっていたかも・・・』―。
  


 確かに打撃練習中、たまに見せる右打ちでは、
 左に負けないくらい強い打球を飛ばす。
  
 だが、私の
 『今からでも右に変えたら?』という言葉は軽く受け流され、
 2つ目の夢を語り始めた。  


 『高校からアメリカに来ていたらどうだったかな、
  とも思うんだ。
  おれがプロに入ったときはまだ、そんなこと夢にも
  思わなかったけれど、今の時代で高校生だったら
  真剣に考えたかもしれない』―。
  


 その他大勢に埋もれてマイナー選手で終わったかもしれないし、
 すぐに順応して今よりもスケールの大きい打者に
 なっていたかもしれない。
 どちらの夢の話も興味深かったが、
  
 まだ間に合うのは右打ちゴジラ。  
 本格的に試してみたらいいのに、
 と思うのは私だけだろうか・・・?  


           サンケイスポーツ『アナザーストーリー』より
                                 阿見俊輔氏
松坂、遼クンに『世界一』の教え
2008年01月14日 (月) | 編集 |
 昨年12月、チャリティーゴルフに参加した松坂大輔は、
 “ハニカミ王子”こと石川遼プロ(16)と同組で回った際に、
 体の作り方など“世界一の教え”を伝授。
 切磋琢磨し、スポーツ界を盛り上げていこうと共闘を誓った。


 遼くんは松坂への緊張も解けると、松坂への質問攻撃!
 松坂も自分の経験をもとに、体作りの方法などを
 惜しげもなく助言した。

①筋トレのマシンは使うな  

 『まだ若いし、マシンは年齢を重ねてからでいい。
  今は自然に力をつけるというか、無理に体を大きくする
  必要はない』
  
 マシンで筋肉を付けすぎることで、成長を妨げてしまうことを
 心配した。
  

 その遼クン、下半身強化の為に年末、
 人生初のクロスカントリースキーに挑戦。
 初の雪中トレに悪戦苦闘しながらも、本業“ゴルフ”に
 つながる極意を白銀の中から探し当てた。
 『“右足に比べて左足に体重が乗っていない”と
  コーチに言われました』―。
 これが飛距離アップのヒントとなった。
  
 『(体の)前や後ろ、左右にバランスが崩れることが
  クロスカントリーをやってみて分かりました。
  (それを矯正していけば)飛距離も変わってくると思います』。
  
 スイング時、テークバックでの右足への体重移動はできるが、
 切り替えしてからの左足への体重移動は
 改善する余地がある。 
 この体重移動がスムーズにできれば、今季8試合での
 平均飛距離293.48ヤードを越えることも
 十分可能というわけだ。
  

   
②体幹を鍛えろ  

 体の中心となる腹筋、背筋は
 あらゆるスポーツで重要な役割を持つ。
 松坂も十代に背筋を重点的に鍛えたおかげで、
 速い球が投げられるようになったという。
  
 『松坂さんは背筋が強いから、
  速いスイングなのに軸がブレない』
 と、遼クンも脱帽。
  
 まさに“背中”でその重要性を伝えた。


③壁を乗り越えろ  

 『これから壁にぶつかることもあると思うけど、
  十分に乗り越えられるし、そうなって欲しい』―。
 松坂も何度も壁にぶつかってきたが、それを克服し成長
 してきた。
  
 『ジャンルを問わず、明るいニュースを提供できたらいいですね。
  石川君みたいなスターを、みんなが待っている』―。


 最後は日本のスポーツ界を盛り上げていこうと共闘を
 誓った松坂。
 昨年、日本に明るい話題を提供したふたりは、
 2008年も主役となる。  




 

直撃!注目のルーキーくん(2)
2008年01月12日 (土) | 編集 |
 注目のルーキーにスポットライトを当てる特別企画第2回は、
 楽天の大学生・社会人ドラフト1巡目、
 長谷部康平投手(22)=愛工大=だ。
  
 昨年の北京五輪アジア予選(台湾)でアマチュアでただ一人
 日本代表に選出され、一躍全国区となったシンデレラボーイの
 素顔に迫った。

 ≪黄金の左手ツモ≫

 4人集まればマージャン荘へ。
 メンバーが揃わなければパチンコへ。
 日本代表の左腕、長谷部には意外にも、そんな日常を送る
 普通の(?)学生だった。
 
 かつては大学生・・・といえば“徹夜でマージャン”が合言葉。
 今のネット時代でそんな学生が減っている中でも、
 長谷部は友人たちと毎晩のようにアツい勝負を演じてた。
 『趣味は、ぶっちゃけマージャンです。
  勝負勘を養っています』―。

 大学入学後に始めた“頭のスポーツ”に、どっぷりとはまった。
 キャリアは浅いが、対戦中、相手の観察や心理戦が
 楽しくてたまらないという。
  
 『とっておきのときは左手でツモります』―。
 日本代表・星野監督から絶賛されたMAX152㌔の速球を
 繰り出す黄金の左腕が、マージャンでも武器となる。


 ≪サボり好きの少年時代≫

 野球を始めたのは小学校2年生の時。
 父・幸太郎さんや兄・佑太さんの影響が大きかったが、
 別の理由もあった。
 『ぜんそく持ちで体が弱く、スポーツをやれば体力がつくと
  思って』―。
 当時、アニメ『スラムダンク』で大ブームとなった
 バスケットボールか野球かで迷った末、
 野球を選んだことが人生の最初の分岐点だった。

 決して好きで始めたわけではない野球。
 実力はズバ抜けていたものの
 『土日に遊べないのがイヤで、サボることばかり考えていた』
 という。
 高校、大学へ進学しても考えは変わらず、
 『野球は就職の手段としか考えていなかった』―。  


 ≪化学反応起きた≫
 
 そんな長谷部に転機が訪れたのは大学3年。  
 大学日本代表に選ばれたときだった。  
 代表の合宿で衝撃を受けた。  
 1学年上に岸(東北学院大→西武)、金刃(立命大→巨人)、
 大隣(近大→ソフトバンク)、永井(東洋大→楽天)といった
 その年のドラフト上意指名選手がズラリ。
 『みんなスゴい球を投げていました。
  レベルが違った』―。
  
 ここで初めて闘志に火がついた。
 『ナゼか“化学反応”が起きました。
  やってやるという気持ちになりましたね』―。
  

 自分もプロに、という気持ちが芽生えると、
 練習に対する取り組みも変わった。
 『それまでは与えられたメニューをこなすだけだったのが、
  考えて練習をするようになった』―。
 もともと素質があっただけに、レベルアップも早い。
 その成果は、北京五輪アジア予選の日本代表に
 選出されるという形で表れた。
  


 ≪星野ジャパン≫

 新聞、テレビなどメディアにも取り上げられ、愛知大学リーグの
 星から一躍全国区へ。
 周囲の見る目も変わった。
 しかし、チームに入ればアマは自分だけ。
 『どこまで踏み込んでいいか分からないし、
  基本的に自分から話しかけることはなかった』という。

 そこで役立ったのが、マージャンで培った(?)観察力だった。
 ダルビッシュや涌井のブルペンでの投球を見つめるうちに、
 大きな発見があった。
 『体幹というか、体の芯にだけ力が入っていて、
  あとは力が抜けている。
  
  われながらイイ所に目を付けたと思います』―。

 現在、自主トレでも、速球にさらに磨きをかけるため、
 腹筋、背筋など体幹を重点的に鍛えている。
  

 『1年でも長くプロで野球をやりたい』と話す長谷部は、
 野球も遊びも全力投球。
 学生生活の中で養った勝負勘、観察力を活かして、
 目指すは東北一の“勝負師”だ。


 
今年初の『ワシの話を聞きなさい』
2008年01月11日 (金) | 編集 |
 ≪スピードが大切≫

 ―新しい年も始まって多くの選手が動き出しました。

カネやん)やっとるねぇ。あの若い中田(日ハム)なんかは、
      1日も早くプロで力を試したくて、ウズウズしとる感じがするな。
      大金が横行して、バブルがはじけそうな今のプロ野球を
      救うのは、なんといってもヤングパワーだからな。
      去年の(楽天)田中もそうだったけど、いい選手は
      1年目からどんどん使ってほしいね。

 ―その中田が梨田監督の減量指令を“拒否”したようです。
  体重が減るとパワーが落ちるということで・・・

カネやん)そこが、まだ若いんだよな。バカなことを言っとるよ。
      昔、ワシとゴルフをやった力道山は、ワシの半分も
      飛ばなかったんだぞ。
      問題は体重でも、腕力でもない。  
      インパクトの力を生み出すスピードなんだよ。  
      現役時代の王を見てみい。
      カンナで削ったような体で、あの飛距離を
      生み出したんや。
  
      もちろん、やせ細ってはいかんが、
      食べて食べて、動いて動いて、体を絞っていく。
      それができんようじゃぁ、
      中田といえどもプロでは成功せんよ。
  

 ―梨田監督は投手としても使うような構想を持っている
  ようですが、これはどうでしょう。
  

カネやん)それはいいことなんじゃないの。
      ワシも監督の時は、主力打者が打てなくなると
      ブルペンでピッチングをさせたもんや。
  
      ピッチャーとして投げることで
      下半身を使うことを思い出すし、
      上半身にもキレが出てくる。
      特に若いうちは、いろんなことをやらせて鍛えた方が
      いいよ。その上で、試合に登板すればお客さんも沸く
      だろうし、若い魅力でプロ野球を盛り上げていって
      ほしいね。
  


 ≪振り返るな!成瀬≫

 ―若い選手といえばダルビッシュ(日ハム)、涌井(西武)、
  成瀬(ロッテ)らも活躍しました。

カネやん)(ハッとして)そうそう、それで思い出した。
      成瀬がテレビに出て、プレーオフで打たれた一球を
      振り返っとったが、あれは感心せんかったなぁ。
      まだ(通算)20勝かそこらのピッチャーが、終わったことを
      いちいち語ってどうするのよ。
      テレビ局側にお願いされてやったんだろうが、
      後で思い出せんくらい、
      マウンドでは無我夢中になってやらなくちゃ。
  
      ワシは298敗したけど、
      打たれた球はほとんど覚えとらんし、後悔もしていない。
      一度打たれたら、次の機会ではねじ伏せてやる―。
      それだけでいいんだよ。
  

 ―悔しさを次回の闘争心に替えろ、ということですね。  

カネやん)いいこと言うねぇ。
      今の日本の野球にはそれが足りんのよ。  
      ワシなんか、ランナーとしてダブルプレーを
      阻止するために、両足上げてスライディングしたもんや。
      後頭部から落っこちて脳しんとうを起こして、
      3時間も意識不明になったけどな。
      『とにかく勝ちたい。
       チームが弱いから先に点を取られちゃいかん』。
      いつでも自分にそういうプレッシャーをかけて、
      すさまじい闘争心を燃やしてたんだ。
  
      ローマ帝国の剣闘士だってそうやろ。
      生きるか、死ぬか。それくらいの覚悟がないから、
      視聴率も下がってしまうんだよ。

 ―闘争心を避けるようになった教育にも関係があるかも
 しれません。
  

カネやん)試合中も相手の選手としゃべっとるし、みんな仲良し
      だもんな。
      メジャーリーグが全ていいわけではないが、
      アメリカにはまだ強烈な競争意識が残っとる。
      ヤンキースとレッドソックスの試合にしても、
      お客さんを引き付けるのはそういう部分やろ。
  
      日本も学校で『ルールのある競争』を身につける
      教育をしないと、野球に限らず、
      どんな分野もダメになってしまうぞ。


        
故障が変えたトーミの野球人生
2008年01月10日 (木) | 編集 |
 豪快なアッパースイングで、左打者ながら左翼方向にも
 本塁打を放つ。
 その姿は、過去に野球人生が終わりかねない故障をしたことを
 感じさせない。
  
 ホワイトソックスのジム・トーミ内野手(37)は、
 『故障から復活』を果たした代表格といえるだろう。
  


 05年、右肘手術と腰痛の影響で、出場はわずか59試合。
 打率.207、7本塁打、30打点でプロ入り後、
 最悪のシーズンを送った。
 だが、翌年の06年に復活。
 打率.288、42本塁打、109打点でア・リーグの
 カムバック賞を獲得した。
 07年シーズンにも存在感をみせつけた。
 9月16日のエンゼルス戦(シカゴ)で、メジャー23人目となる
 通算500本塁打(現在507本塁打)を達成。
 打率.275、35本塁打、96打点で、中軸の役目を果たした。
  
 

 復活の陰には、故障防止の鍛錬があった。  
 『それまで、私は練習をやらなかった。
  05年のケガが全てを変えたね』―。
 継続は力なりーを痛感させられた。
  
 
 『練習嫌い』で有名だった男が、練習の虫になった。
 試合前はもちろん、試合後は必ず居残って練習する。

 トーミは
 『どこかが悪くなれば、そこをかばうため他が悪くなる。
  年齢的にも、これ以上筋力はつかないから、
  力を維持しなくてはいけない』―。
 自分に合うケガの予防法と体力作りに取り組んだ。
  


 練習メニューは約6㌔のトレーニング用のボールなどを使い、
 主に患部や下半身、腰を強化。
 両手を伸ばしてボールを持ち、上半身を旋回させる運動などを
 繰り返す。
 地道な反復トレーニングは05年8月の手術以降、
 日課となった。


 ヤンキースの松井秀喜内野手(33)が、
 昨年11月に右ひざを手術した。
 故障箇所は違っても、厳しい境遇は似ている。
 手術があったから今がある。
  
 トーミの足跡は、松井秀にも励みとなるはずだ。


           サンケイスポーツ  『アナザーストーリー』より
                                  広岡 浩二氏
新春スペシャル 松坂大輔VSデニー(2)
2008年01月09日 (水) | 編集 |
 ≪巡回コーチ≫

松坂)デニーさんがレッドソックスに復帰されることになって、
   春季キャンプから接点が増えそうです。
デニー)球団に背番号『18』が欲しいって言ったんだけど、
    ダメらしい。
    一応本人にも聞くけど、無理?
松坂)ハハハ、いいんじゃないすか。シーズン始まるまでは。
   でも、それってアリ?!なんですか。
デニー)奪われるんだよ(笑)。
    君の大事な大事な『18』が。
    妥協点を取って『1.8』っていうのはどう?
松坂)再びチームメイトになれるのは心強いです。
   西武時代の投手陣はみんな仲良くて、僕もその中で
   なじむまでに長い時間がかかりませんでした。
デニー)大輔は騒がれて入ったけど、変にスレていたり、
    突っ張った所もなかった。
    いつもニコニコ、素直な子供だったから、
    周りが快く受け入れていた。

松坂)技術的なこともたくさん教えてもらいましたが、人として、
   社会人として、デニーさんや(石井)貴さんには
   本当によく指導して頂きました。

デニー)自分たちも大輔から学ぶことは多かった。
    互いに切磋琢磨していた。
    球場では年齢を取っ払って付き合った。
    技術的に触る場所はほとんどなくて『すげぇー』って
    感心していた。
    とはいえ18歳。
    常に俺とは正反対の行動を取れ、反面教師にして生きろって
    酒を飲みながら伝えてきた(笑)。

松坂)でも、しょせんは結果を出さないとチーム内で認めて
   もらえません。
   勝たなければ本当の意味で輪の中に入れないと思いながら    
   やりました。
   それは米国でも同じでした。

デニー)1年間で言葉も価値観も違う連中と、信頼感、
    土台を築いたことは大きい。

    いきなりワールドチャンピオンになったし、
    君はすごい星の下に生まれていることを示している。
松坂)人と人とのつながりは、僕自身も後輩達に大切に
   伝えていきたいと思います。
   たとえ米国にいても、日本で頑張っている後輩達との
   つながりは太い。
   大事にしたいですね。



 ≪投球数制限≫

デニー)日本国内では一年中、大輔は苦しんでいるって騒がれて
    いたが、球数、ボール、マウンド・・・。
    最も苦労したのは球数制限ですかね?

松坂)結局、最後までストレスを解消できなかったのは
   球数制限ですかねぇ。 

デニー)ワールドシリーズ第三戦
    (松坂は5回3/1、3安打2失点で勝ち投手。球数101球)
    デンバーで大輔を見たが、試合前のブルペンで
    何球投げたことか。
    60球、70球。
    君のことだから最後の1戦で完全燃焼しようと思って
    早い回での交代を想定して試合に入ったように見えた。

松坂)寒かったので、まず一度、汗を多めにかきたかったんです。
   早く代えられるだろうな、って
   初回からトップギアに持っていきました。
   終わったことですが、結局最後までこれかって思いました。
   もちろん自分の責任ですけど。

 ≪鍵握る球種≫

デニー)自分が05年にレッドソックスのマイナーにいた時に
    散々教育されたことがある。
    『お前はゴロ、フライ、三振のうち、
     どれに比重を置いてアウトを奪うのか』と。
     中継ぎやるなら、とにかくゴロを多く打たせろ。
     シンカーを投げろ』と口酸っぱく言われた。
    大輔は今後、どのタイプを目指していくのか。

松坂)球数を減らすなら、やはり
    ツーシームをたくさん投げなければいけない。
    相手のスイングの特徴なのか、やはり、
  僕が投げるボールでの相手の結果はゴロが少ない。

   メジャーの相手はツーシームの使い手が非常に多い。
   96、97マイル(約154~156㌔)の動く球。

   自分も苦手とする打者には少しシュートを多めに
   投げてもいいのかなと思いました。
   要所で、そういうボールがあると思わせるだけでも十分。

デニー)もっとゴロを打たせる。
    効率よく打ち取ることも、長くマウンドに立ち続けるための
    課題だね。

松坂)昨年1年、実際に対戦してみて、それをいい形で
   シュミレーションさせてくれた打者もいました。
   ずっと使っていなかったボールでしたが、今後は使います。
   実際に少し相性が悪かった打者に使ってみたら、
   バッチリでした。



 ≪滑るボール≫

デニー)昨年は滑るボールに慣れることから始まった。
    そもそもシリングやベケットたちとは根本的に手の大きさが
    違うからね。

松坂)それは確かにハンディでした。
   ボールは日本のよりもひと回り大きい。

   日本のボールを彼らに渡したら
   『高校野球のボールか?』って言われました。
   シリングの手を見たことがあるのですが、彼等は指の長さ
   というより、手のひらが大きい。
   包み込めるんです。
デニー)大輔は肘から指先までの使い方が器用。
    肩の強さ、股関節の使い方も柔らかい。
    体格でメジャーの一流選手に劣っていても、それを補う
    技術や器用さを持っている。

松坂)2年目は、1年間の経験を活かさないことには始まりません。
   でも一番大切なのは、故障をしないように体を成長させること。
   まだまだ、身体的にも伸びる年齢ですし、
   僕自身もこの先の自分がどう変化していくか楽しみです。



 ≪2007年 自己評価≫

デニー)シーズン後、日本でも米国でも
    『大輔なら15勝して当たり前』という風潮があった。
    厳しい評論家の意見も相次いだ。
    確かに大輔は100億円を動かして移籍したけど、
    1年で全ての目標を達成することは難しい。
    1年目の15勝は胸を張っていいのでは。

松坂)確かにあの契約が1年だけのものなら、物足りないと
   言われるでしょうね。
   1年で判断するなら、自分でも満足できるものでは
   ありません。
   でも僕は6年という長期で契約してもらっています。
   この6年でしっかり結果を出さないといけないですね。
   でも物足りないって言われるのは、仕方がないとも思います。




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 ~日本語 日めくり~
   今回から日本語の常識を簡単にお伝えしていきます。
   (不定)

 ●えび●

 長いヒゲと、腹部を折り曲げたカッコウから、海の翁(おきな)とみたて
 『海老』と書かれる。
 黒みを帯びた赤茶色を指す『えび茶』は『葡萄茶』とも書く。
 葡萄が古く、『えび(えびかずら)』と呼ばれたのに基づく
 書き方だ。
 つるの巻き具合が海老のヒゲに似ているから、
 反対に、葡萄の色が海老の体色に似ているから―
 の両説がある。

 わずかな元手で大きな利益を得るのは
 『海老で鯛を釣る』。
 語源海(杉本つとむ著)によれば、
 このえびは釣り餌の飯粒(いひぼ)がなまったもので、
 海老とは関係ないのだそうだ。

                    himekuri@yomiuri.com
               
レフェリーの判定
2008年01月08日 (火) | 編集 |
 “4度目の正直だ!”
 東福岡(福岡)が伏見工高(京都)に12-7で競り勝ち、
 初優勝を飾った。
 2年連続、決勝挑戦4度目で悲願を遂げた。


 全国高体連によると、平成19年度の登録部員数は
 サッカーが4119校、14万3581人に対し、
 ラグビーは1183校、2万7250人。
 17年度に初めて3万人を割ってから減少続きで、
 強豪校へ選手が集中し新顔が入り込む余地はほとんどない。
  
 4校参加の佐賀県予選1回戦で、
 佐賀工高がなんと300点も取ったのは、
 格差の象徴でもあった。
  


 少子化に加え『きつい、汚い、ケガが多い』の3Kでは、
 15人集めるのも難しい。
 それでも地元大阪勢が3回戦で姿を消したのに、
 花園には3日の準々決勝に2万4千人、
 5日の準決勝に1万8千人の観衆が集まった。
 いつの時代も、ファンは高校生のひたむきなプレーを求める。
  


 一つ残念だったのは、3回戦で敗れた大工大高の
 野上友一監督が、レフェリーの判定に不服を唱えたことだ。
 少なくとも7つのミスジャッジがあったとDVDを添えて
 意見書を提出し、部長兼任の監督も辞任した。
  
 確かにレフェリーによって解釈の違いが目立ち、
 能力差もある。
 しかし、大会期間中であり水を差すだけだ。
  


 昨夏の甲子園大会決勝では、佐賀北に敗れた広陵の監督が
 公然と球審批判し、物議をかもした。
 今回のケースも大会後、今後のレフェリング向上の為に
 問題提訴するのが筋で、
 花園に13度導いた名将の辞任にしては
 後味が悪すぎた。  
  


               サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                                 今村忠氏

大事にしたい『あいさつ』
2008年01月07日 (月) | 編集 |
 石川遼。
 この16歳ゴルファーに『ツアー史上最年少優勝』という
 “肩書き”はもはや不要かもしれない。

 昨年5月のツアー制覇で『すごく生活が変わった』という
 高校1年生は、年末年始も大忙し。
 長野でのスキー合宿を公開すれば、
 元日紙面用の撮影にも快く応じる。
 3日には初打ちを披露し、紙面をにぎわしている。

 息つく暇もなさそうだが、笑顔でマスコミやファンの期待に
 応えてきたことは、テレビ視聴率にもハッキリ表れた。
 ツアー最終日視聴率は、フジサンケイクラシックが
 前年の2.4%から6.3%に上がるなど、
 出場8試合で予選落ちした日本オープン以外は上昇。
 不出場の試合はほぼ横ばいというから、
 遼くん効果なのは間違いない。
 1試合平均のギャラリー数も4年続いた1万5千人台から
 1万6837人に。
 特に彼が出た試合で当日券の販売増が顕著だったという。


 人気の秘密は何だろう。  
 爽やかな笑顔と豪快に飛ばす攻撃ゴルフはもちろんだが、  
 『あいさつ』にもあるとみている。  
 日本ゴルフツアー機構の表彰式で特別賞など3冠を取った際、
 質問が終わると自ら立ち上がり
 『その日の出来事を他の人の目線で言ってもらうことが
  すごくプラスになっていると思う。
  来年も宜しくお願いします』
 と頭を下げた。
  
 米女子ツアーで活躍する宮崎藍も
 『どんなに成績が悪いときも「ありがとうございました」で
  締めくくられている。
  本当にすごい』と感心する。


 プロ以上といえるサービス精神を持つ彼が、
 多くのプロが失った、いや世間の人たちも忘れつつある
 『あいさつ』という礼儀も欠かさない。
 それが読者や視聴者に伝わり、多くの人の琴線に
 触れたのではないだろうか。
  


                サンケイスポーツ  『甘口辛口』より
                                  鈴木学氏

 
 『あいさつ』のできる人に不誠実な人はいません。
 相手の目を見て『あいさつ』をする。
 人として基本的なことです。
 誰にでもできます。
 『あいさつ』を通して、その人の心が読み取れます。
 とても大切な、でも今の現代社会で出来ていない『あいさつ』。
 
 『あいさつ』は心の窓です。
 元気よく『あいさつ』しましょう。
 心も体も元気になります。


 
  
新春スペシャル 松坂大輔VSデニー(1)
2008年01月06日 (日) | 編集 |
 1/1 元旦の日刊スポーツより。
 松坂大輔とデニー友利
 (今季よりレッドソックス・巡回コーチ、兼日刊スポーツ評論家)
 との対談が掲載されていました。
 今年始めの『一緒に育てよう!』に相応しい記事になっています。
 是非ご家族で読んで下さい。


 ≪08年への準備≫

デニー)今年のキャンプは、もう少し投げ込みをする予定はある?
     2年目で結果も出したし、自分なりの調整もできると思うが。
松坂)昨季就労後に、ファレル投手コーチと話し合いました。
    08年はキャンプからどんな調整をすべきかという話になって、
    『もっと投げます』と伝えました。
    首をかしげていたので、
    『来年までに自分がしっかり体を作った後で判断して欲しい』
    と言い置きました。
    今年は初めて知ることばかりだった去年のストレスが
    ないと思う。
    もっと違う形でスタートできると思う。
  
デニー)このオフはどんなトレーニングをしているの?
    今年もう一度頑張らないと、オレもちゃんと給料がもらえない。
    君が昨年手にしたチャンピオンリング、俺も欲しいから。
松坂)はい。走ることはしっかりやっています。
    下半身は腰、上半身は肘と肩の強化を
    オフは考えています。
    昨年の力を維持するのではなく、負担をかけた練習。
    体のメンテナンスも同時にやっています。


 ≪精神的ケア≫

デニー)君の女房役のバリテックが
     『シーズン中に眠れない時は、2週間も続く』
     という話をしていた。
     理由は『打てない、チームの力になっていないから』
     だという。
  
     レッドソックスやメジャー各球団には、
     選手の精神状態をケアしてくれるカウンセラーがいる。
  
     多くの選手はそこで心の悩みを解決するらしいが、
     大輔は利用しなかったの?
松坂)日本ではあまり馴染みのない存在ですが、   
   米国では当然のように
   何人もの選手が相談に行きます。
   そこは保健室的な感覚です。
  
   僕はオープン戦、シーズン当初にかけて(カウンセラーと)
   話す機会がありました。
   『今日の試合はどうだったか、悩みを抱えていないか』
   とか聞かれました。
   でも僕が真意を明かさない人だと分かったのか、
   途中からカウンセラーも寄り付かなくなっちゃった。

 ≪日本の球界≫

デニー)イチローがテレビのインタビューで、日米のレベルについて
    話していた。
    『確かにWBCで日本は優勝し、レベルも上がった』と。
    でも『そうは言ってもメジャーの一流どころは凄い。
    先発投手の筆頭候補、中軸打者に日本人は勝てない』と。
    まだまだ、日本人にも伸びしろがあることを示していた。  
松坂)イチローさんの言い方は
   『現時点で』という条件付きでしたよね。
    確かに個々の能力では、ずば抜けた能力を持つ
    選手がメジャーにはいます。
    でも、僕は決して日本の野球がメジャーの力に
    劣っていると思いません。
    もちろん、それを証明したいという気持ちで
    やっていました。
    最近は日米の差をどうこう言う時代でもないと
    思います。
  
デニー)自分も今年からレッドソックスのコーチになり、
    今年も新たに日本人選手が米国に渡る。
    去年は大輔。これだけの人材が動けば、少し嫌な見方もされる。
    『日本は米国のマイナー』とかね。
松坂)いや、僕はそうは思いません。
    確かに今、日本で実績を残した選手が米国に行っていますけど、
    それで日本球界が空洞化しているとは思わないし、
    日本のレベルが米国の下だとは思いません。
    今は日本人が助っ人として米国に行く時代になったという
    感覚ですよね。
デニー)総合交流は日本にとって大切な財産。
    日本人もいずれは米国から帰ってくる。
  
    自分がプロに入った時代は、全盛期を過ぎた故障持ちが
    助っ人として来日していた。
    今は米球界が頭を下げて日本人に来てくれという時代。
    だからこそ大輔の責任も大きい。
    自分で認めたくなくても、
    日本球界を背負って米国に行った。
    夢を抱いて野球に取り組む子供たちの
    希望の星であってほしい。
    その宿命を忘れずに頑張らないと。
  
松坂)ずっとそういう誰かの目標になるような
    選手でありたいと思います。
  

 ≪子供たちへ≫

デニー)今は子供たちが夢を描きにくい時代。
     都心では体を動かす場所も少ないし、子供たちが閉鎖的な
     環境にいて伸びる可能性、将来性も狭められている。
     今の子供たちに欠けているものって何だと思う?
  
松坂)最近は残念なニュースが多いですよね。
    いじめとか、自殺とか、今は平気で人を傷つけてしまう
    風潮がありますよね。
    おそらく現実と非現実の区別がつかないんでしょうね。
    僕もマンガを読むし、ゲームもする。
    でもそれはそれ。
    人と人との触れ合いでストレスを解消しようとしていない。
  
デニー)周囲を大切に、人間同士の絆をうまく築けない時代だね。
     野球だって1人ではできないから。
  
松坂)僕が子供の頃は、いつも大勢の仲間が集まって
    遊んでいました。
    勉強のできる子、できない子、野球のできる子、できない子。
    いろんな性格の子がいて、その中に『すごいな』
    『尊敬するな』って思う友達がいた。
    小学生のころ、公園で遊んでいて夕方5時に帰宅を促す
    音楽が流れますよね。
    その時『もう勉強を始めなきゃ』って家に帰る友達が
    いたんです。
    そういうの、って大事だなって、
    直接その子のまねをすることは
    恥ずかしくても、こっそり自分も
    そうしようかなって思った。
    友達と一緒にいると、いいところを学べたり、
    刺激を受けたりもする。
    人を思いやり、つながりを大切に思うことが
    大事なのではないでしょうか。
  

                                    (続く)         
 

 
 
 
今年も宜しく!
2008年01月05日 (土) | 編集 |
 更新が遅くなりましたが、新年最初の『一緒に育てよう!』―。
 今年は息子が4月から最上級生(小6)に進級し、
 チームの中でも責任を重んじるポジションに立たされる
 ということで、力まず欲を持たず、重圧を跳ね除け
 『不動心』の心構えで挑んでもらいたいと思っています。


 お正月は3日間のお休みで、フットワークよく動き回っていました!
 近所で初日の出を見ながら、手を合わせ今年の祈願を。
 朝早くからK稲荷神社へ、商売繁盛、家内安全を祈祷、
 午後からは主人の実家へ東京に向かい、
 ベイブリッジ経由で首都高を走ると息子、娘が
 『東京は宝石箱だね。 とってもきれい!!』と
 感動していました。
 日が暮れる前の夕焼けを眺めながら、勇汰や娘は
 ハイテンション
 2日は娘の福袋を買いに朝から渋谷109へGO
 その後、主人と国立競技場へ大学ラグビー選手権観戦
 ワンセグを見ながらの観戦
 実況を聞きながらで分かりやすく楽しめました
 その後、渋谷を主人とショッピング
 主人にモッズコートを買ってもらい上機嫌
 いつ着ようかなぁ~~~
 3日は帰って私の実家での毎年恒例新年会
 ボーリング大会、カラオケ大会
 総勢17人で盛り上がり、総額7万円の商品券を
 みんなで仲良く分け合いました
 そして宿泊し温泉でゆっくりとくつろぎました
 (私達夫婦は4日から仕事だったので
  温泉に入らず先に帰宅しましたが・・・)


 昨日は朝から仕事で忙しく、5時で閉店。
 その後、家族でバッティングセンターへ初打ち
 年末買った松井秀喜モデルのバットで
 楽しくバッティング。
 息子の捻挫も治った様子で、いよいよトレーニングも開始!
 


 ・ムーミン一家、年賀状すごく可愛く撮れてたよ
  ムーちゃん、ひなたんが・・・
 ・ユン、今年もお互いに子育て励もうね。
  子供にとって親は一番の見方なんだからね
 ・ゆっこさん、私の良き理解者でもあり長年連れ添った(?!)
  戦友 今年は忙しくなるけど、力を合わせて一緒に
  チームを盛り上げていこうね
 ・えっちゃん、小・中・高と12年連れ添いまた、息子同士も同級生。
  最終学年になるけど、お互い息子を支え勇気つけようね。
  試合で会えるのを楽しみにしてるよ  
 ・デカさん、いつもブログ見に来てくれてありがとう
  コメントも気軽に頂戴ね
 ・いとうちんテニス頑張っているかな
  いつでも相手に誘って下さいね
 

 
 今年も『一緒に育てよう!』、宜しくお願い致します

 このようなカラフルブログはお正月版でして、
 普段は真面目な野球中心のブログであります