日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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メジャー仕様マウンド
2007年11月30日 (金) | 編集 |
 星野監督率いる北京五輪アジア予選の日本代表チームが、
 豪州とのテストマッチを行い、いよいよ臨戦態勢に
 入ってきた。
 完全アウエーの最終予選。
 環境やグラウンド、審判、用具の違いなど、様々な障害が
 考えられる。
 その中でちょっと気になるのが、固さや傾斜など
 マウンドの仕様の違いだ。
  

 これまで国際試合ではボールやストライクゾーンの違いが
 取りざたされてきた。
 それだけに選手も、そういう部分では対応できるように
 なってきているが、どうにも厄介なのがマウンドの違いなのだ。  

 これはメジャーに渡った日本人投手にも言える。  
 日本の柔らかく、着地点が掘れるマウンドでは
 下半身を粘り強く使うことができる。
 だが、メジャーの固く傾斜のきついマウンドでは、
 踏み出した足がつま先下がりの状態になり、
 体重がうまく乗っていかないという。
  
 このマウンドでは踏み出した足をテコのように使って、
 上半身で投げる投手の方が合う。
  
 石井一(元ドジャース)や佐々木(マリナーズ)ら
 メジャーで成功した投手たちは、やはりこの投げ方だった。
  
 レッドソックスの岡島が成功して、ヤンキースの井川が
 失敗した理由も、投法の違いにあった。


 アジア予選の行われる台中インターコンチネンタル球場も
 傾斜が強く固い土のメジャー仕様のマウンドだという。
  
 日本の主力投手を見回してみると、
 日本ハム・ダルビッシュや巨人・上原など、
 あまり影響の無いフォームの投手が多い。
 その中でただ一人だけ気になるとすれば、
 阪神の藤川だ。
  

 メジャー球場で行われた昨年のWBCでも、
 藤川は結果を出せなかった。
 踏み出した足に体重を乗せて目一杯の剛速球を投げる。
 威力は抜群だが、固いマウンドでは制球に苦しむ
 可能性があり、そこにこの投手の危険が潜んでいる。
  

 1点を守り切るトリプル・ストッパー構想の中で、
 星野監督が藤川をどう使うのか。
 そこも星野采配のひとつのポイントとなる。
 
 
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広角に見て知った『やりがい』
2007年11月29日 (木) | 編集 |
 2大会連続の主将・宮本慎也内野手(37)にかかる負荷は、
 アテネ大会よりずっと大きい。
  
 選手ミーティングだけでなく、スタッフミーティングも参加。
 試合に出場しないときは一塁コーチ。
 そしてプレーヤーとして。
  

 『何もわからず(主将を)引き受けた前回とは違う。
  選ばれた以上、選手としてプライドもありますし・・・』と
 少し苦笑いしながら星野監督の打診を振り返った。
  

 葛藤が晴れたのは、11/6日の社会人・近畿選抜との
 練習試合だった。
 一塁コーチボックスに入ると、グラウンドとベンチを
 広角に見渡す、初めての光景があった。
  
 『今のプレー、サインでベストだったのか、考えながら見た。
  試合に出ないベンチの選手が、笑顔で話しているのも
  気になった。
  本番までの残りの時間で、チームの密度を高めていく
  “やりがいのある仕事じゃないか”と
  思えるようになった』―。
  

 心の視界が開け、星野ジャパンで自身が置く軸足の
 位置は決まった。
 チーム作りには、野球人としての経験をフルに生かす。
  

 神戸での自主トレでは、
 1人だけチームバスに乗らなかった。
 球場に到着すると、ひと汗流したあとの主将が、
 待っていた。
  
 『これだけのメンバー。
  言ってもなかなか・・・。
  まずは態度で示そうと思った。
  口だけで動かないベテランって嫌でしょ』―。

 和やかな雰囲気に苦言を呈すこともあるが、
 狙いももちろんある。
  
 『決め事を確認する投内連係は、最も大切な練習で、
  引き締めなくてはいけない時間帯。
  でも各自のフリー打撃などは、
  そんなナーバスになる必要はない。
  WBCは“絶対勝たなくては”の思いが強すぎ、
  追い込みすぎて苦労した。
  メリハリが大切ということ』―。
 経験則から導いた結論だ。


 勝負の世界に長く身を置く男の本能が湧き出す。  
 『高校球児のように、どれだけ多くの選手が
  ヘッドスライディングで飛び込めるか。
  日本の五輪野球は金メダルからスタートした。
  金メダルで終わるしかない』―。
  

 背番号にそんな決意が詰まっている。
 長嶋茂雄アテネ五輪監督は、志半ばで病に倒れた。
 『3』は欠番。
 『あくまで星野ジャパンだけど、いいかなぁと思って』―。
 『3』番とヤクルトでの背番号6を合わせた『36』を
 背負うことに決めた。
 
  
  
7年7つのイチローShort Story(5)
2007年11月28日 (水) | 編集 |
 ≪2007年 松坂の投げたカーブ≫
 ―もう二度と戻ってこない勝負の拭いきれない失望感―

 2007年4月11日、ボストン。
 メジャーでの松坂大輔対イチローの対決が目の前に
 迫っていた。
 一塁側のベンチ前でキャッチボールをしていた松坂が、
 小走りにマウンドへ駆け出す。
 三塁側のベンチから完全武装したイチローがゆっくりと
 歩いていく。
 グリーンモンスターを挟んで、松坂とイチローが
 同じ視界の中にいる。

 イチローはストレートを待っている。
 しかし松坂が投げた初球は、なんと、カーブだった。
 『ワーオ』―。
 松坂が投じた初球のカーブを見逃した瞬間、
 イチローは大声で叫んだ。
 『だって、せっかくジーンときてたのにさ、
  あれで冷めたよね(苦笑)。
  一番遅いカーブでしょ。ありえないよ』―。

 イチローと対戦したいと、松坂が名指しで口にしてきて
 くれたからこそ、イチローもその期待に応えられる
 自分であろうと、この日までに準備を重ねてきた。
 だからこそ、すべての力をボールに託したストレートを、
 すべての力をバットに託して打ち返したかった。
 結果がどうであれ、イチローは
 “初対決の一球勝負”を望んでいた。

 松坂とのメジャーでの初対決―。
 その初球は、もう二度とない。
 その1球で互いの切っ先を交錯させ、斬り合い、
 雌雄を決したかった。

 『あいつが投げた最初のカーブは、しばらくは僕の中から
  消せないね』―。

 相手が松坂大輔だからこその、イチローの手厳しい
 一言だった。
7年7つのイチローShort Story(4)
2007年11月27日 (火) | 編集 |
 ≪2006年 恩師の笑顔≫
 ―WBC優勝を決めた直後、突如、イチローの心を
  支配したある感情―

 2006年3月、イチローは第1回のWBCで日本代表を
 世界一に導いた。
 キューバを破ったグラウンドの上で、イチローはふと、
 恩師の顔を思い浮かべていたという。
 亡き、仰木彬さんのことだ。

 『胴上げが終わって間もなくしたら、仰木さんのことを
  考えていました』―。
 最後に会ったのは2005年の11月、
 WBCの出場を決める直前のことだった。
 仰木さんは、福岡まで見舞いに来てくれたイチローの
 顔を見て涙を流した。
 亡くなったのは12月15日。
 イチローが帰って来たら、うどんすきを食いに行こうと
 約束していた日の、わずか5日前。
 元気になっているとイチローが思っていた矢先の、
 訃報だった。

 12月19日、イチローは帰国してすぐ、仰木さんの
 持っていた携帯に電話を入れてみた。
 もちろん、すでにこの世にいないということは承知の上で
 それを実感できなかったイチローは、
 メモリーの中にあった恩師の番号を呼び出し、
 発信してみたのである。
 
 すると、電話が鳴った。

 イチローは驚いた。
 もちろん、運命を変えられるはずもない。
 電話がつながったのは、故人の携帯がそのままになって
 いるからだろう。
 しかし、イチローはどこかで仰木さんが生きている
 のではないかという錯覚に陥った。

 『監督がいなければ、今の僕はありませんから・・・。
  (キューバに勝った)あの日はずっと自分の感情に
  任せていたんですけど、そうしたら監督の顔が自然と
  わいてきたんです』―。

 思い出すのは2004年の9月のことだ。
 シーズン最多安打記録に迫っていたイチローを見るため、
 仰木さんはアメリカに来ていた。
 大記録まであと2本に迫った試合後、サンフランシスコにある
 ジャパニーズ・レストランで仰木さんはご機嫌に
 飲んだくれていた。
 一緒だったイチローに、
 『監督、飲みすぎですよ』と、からかわれていた。
 『いやいや、老け込んでいるようじゃ、とても“オリ近”の
  監督なんか、やっとれんぞ』―。
 『監督、“オリ近”っていうんだから、チーム名も
  “バファウェーブ”にしたらいいじゃないですか(笑)』―、
 『監督、大阪ドームをたこ焼きドームに改称して下さいよ』―。

 イチローも、記録達成を間近に控えたプレッシャーを忘れ、
 心の底から かつての恩師とのバカ話を楽しんでいた。
 やんちゃな仰木さんもイチローへの注文を忘れない。

 『イチロー、メジャーに行っていいと言った時のこと、
  ちゃんと覚えとるか?』―。
 『もちろん、覚えていますよ』―。
 『今度はお前が“オリ近”に戻って恩返しする番
  じゃないのか』―。
 
 2時間ほどの食事の間、イチローに“オリ近”入団を5回も
 迫った仰木さん―。
 イチローの家のテーブルには、今も仰木さんの写真が
 飾られている。
 
  
7年7つのイチローShort Story(3)
2007年11月25日 (日) | 編集 |
 ≪2005年 徹底したルーティン≫
  ―サンフランシスコで珍しくイチローが見せた狼狽(ろうばい)―

 イチローが狼狽していた。
 あれほど慌てふためいたイチローを見たのは初めてだった。
 2005年の開幕直後、サンフランシスコへの遠征に
 出た時のことだ。
 イチローには遠征先での試合前の昼食、試合後の夕食
 ともに行きつけの店があり、必ずそこで食事をする。
 サンフランシスコでの昼食は決まったイタリアン・レストランに
 出向いて、毎回、チーズピザを頼む。
 その日もイチローはいつものようにホテルを出て、
 ブラブラと歩き始めた。
 ところが、ずいぶん歩いたのにその店が見つからない。
 『あれ、行き過ぎたかな』
 すぐに引き返したが、やはり店はない。
 よくよく確かめてみると、あったはずの場所にはガランとした
 空き店舗が残されていた。
 店が潰れていたのだ。
 じゃあ、隣の店に、というほどコトは容易ではない。
 イチローにとって、食事は体のためというより、
 心のために重要なファクターなのだ。
 どこでもいい、というわけにはいかない。
  

 とはいえ、試合前に新しい店を探すほどの時間はなかった。
 イチローのルーティンは、試合開始の時間から逆算して
 緻密に組み立てられている。
 決まった時間までに昼食を終えられなければ、
 球場に入るのも遅れ、予定していた準備をこなせなくなる。
 だからイチローは狼狽した。
  

 そんなことで、と笑われるかもしれない。  
 しかし、イチローがこれほどのペースで
 ヒットを量産できるのは、
 “そんなこと”にこだわって、緻密な準備を積み重ねて
 きたからだ。
  
 シーズン中には常に試合開始の時間から逆算して、
 生活のリズムを作る。
 その結果、余計な気負いもプレッシャーも感じる事無く、
 “普通”の状態でグラウンドに立つことができる。
 そのために、決まったお店で昼食をとることは、
 イチローにとっては大事なことなのだ。

7年7つのイチローShort Story(2)
2007年11月24日 (土) | 編集 |
≪2003年 松井秀喜との邂逅(かいこう)≫
―すべてが真逆の両雄が唯一混ざり合う野球の深遠―

 2003年、メジャーに松井がやってきた。
 『Hey,What's up?(よう、元気か)』
 『アイム、ファインで~す』
 『「です」を付けるな、「です」を(笑)』―。

 ニューヨークのヤンキースタジアムで出逢ったイチローと
 松井秀喜が交わすやり取りは、こんな感じだった。
 相変わらず、両極端なふたりである。

 イチローにあるものは松井にはなく、
 松井にあるものはイチローにはない。
 いつもとんがっているクラスのガキ大将がイチローなら、
 何事にも動じずにクラスをまとめる学級委員が松井だ。

 見た目ももちろん、性格や人当たり、集団の中で果たす役割、
 物事に対する考え方、プレイスタイルから結婚観まで、
 ことごとく対照的なのがイチローと松井なのである。
 並び立つ両雄というのは、こういうものなのかもしれない。


 ヒットとホームラン。
 マリナーズとヤンキース。
 華奢な体とでかい体。
 スマートなプレイースタイルと豪快なプレイスタイル。
 イチローのファンにとって松井は物足りないし、
 松井のファンにとってイチローは鼻につく。


 イチローと松井は、それぞれの目指す場所を聞かれて
 『200本安打』(イチロー)、『ワールドシリーズ制覇』(松井)  
 と答えた。
 『チームの勝利』を優先してプレイすべきか、あるいは
 『個人の成績』を優先してプレイすべきか―。  
  
 イチローはプロとして成績に伴わない勝利を求めるなんて
 ナンセンスだと主張し、
松井は勝利を求める姿勢こそが
 いい成績を生むはずだと主張していた。
  
 これも、よく噛み砕いてみれば、
 結局は高速道路に乗るか、一般道を行くのかの違い
 だけで、目的地は同じところだったりする。
 イチローは言った。
 『僕は、常に自分にプレッシャーをかけながら野球をして
  きましたし、プロならそれが当たり前だと思って
  プレイしてきました。
  だから、そういう9人がひとつのチームで野球をするのが
  理想だと思いますし、それでゲームに勝てないはずが
  ないと思っています』―。
  

 一方、松井はこう言った。
 『僕はこれまでずっと周りを見ながらチームを勝たせるという
  責任を背負って野球をやってきました。
  だからチームのためにプレイするという意識を持つことが、
  いい成績を残すための方法論だと思っているんです』―。

 打って勝ちたいイチローと、勝つために打ちたい松井―。
 ふたりが目指している場所はちっとも変わらないことを、
 ふたりの言葉を聞いて確信した。



 ≪2004年 過去からの声≫
 ―シーズン262安打の偉業を生んだ あの夏の閃き―

 サンフランシスコのジャクソン・ストリートには、
 ゴールドラッシュの時代に建てられた古いレンガ造りの
 アンティーク・ショップが並んでいる。
 その通りを、イチローが歩いていた。
 その頃、アンティークに凝っていたイチローは、
 サンフランシスコに来ると決まってこの通りをブラブラ歩いた。
 よさそうな店があれば、重い扉を開けて中に入り、
 テーブルやソファーなどを眺める。
 彼の自宅に飾ってある青銅のアーメット(兜)は、
 3世紀のギリシャのものだという。
 一目見て気に入り、衝動買いしてしまったのだと
 イチローは笑った。
 そして、アンティークの魅力をこう話していた。
 『古いものからは、声が聞こえてくる気がするんですよ』―。


 野球が生まれた19世紀。
 讃えられたのは、ライナー性の速い打球だった。
 そもそも、原っぱで生まれた野球にホームランはない。
 スピードこそが、野球の醍醐味だった。
  
 ところが、ベーブ・ルースの登場によって、
 野球が劇的に変わった。
  
 ボールを遠くに飛ばす―。
 時間が止まるホームランの魅力に人々は引き付けられた。
  
  
 1920年、ニューヨークのルースはシーズン54本の
 ホームランを放って、記録を大幅に塗り替えた。
 同じ年、セントルイスでコツコツとヒットを積み重ね、
 シーズン257安打の新記録を達成したのが
 ジョージ・シスラーだった。
  
 パワーに傾く時代の流れにシスラーが
 必死で抗って(あらがって)いたようにも見える。
 シスラーは1973年の春、セントルイスで80年の
 生涯を閉じた。
 奇しくも同じ年の秋、日本でイチローが誕生する。
 二人を結ぶ運命の糸は、このとき、絡み始めた。


 2004年の夏のことだ。
 7月1日、試合前の練習中にイチローがふと、
 ミスを減らせるかもしれない試みを思いついた。
 早速、試合で試してみる。
  
 ほんのわずか、右足を引いてみたのだ。
 すると、イチローの体が意外な反応を示した。
 右足を引いて背筋を伸ばしたら、自然にバットが寝た。
 その状態でスイングをすると、
 バットのヘッドが遅れて出てくる。
 そうすると、
 今まで以上にボールを引き付けることができる。

 ミスショットは劇的に減った。  
 7月以降、驚異的なペースでヒットを
 打ち続けたイチローは、
 その年の10月1日、シスラーが持っていた記録を、
 ついに塗り替えた。
  


 不思議だったのは、バットを寝かせた
 イチローのバッティングフォームが
 シスラーのフォームにそっくりだったことだ。
 そもそも体のサイズもほぼ一緒、三拍子そろった
 プレイスタイルも似通っている。
 84年の時を越えて、イチローが思い出させた
 シスラーの記録。
 野球がパワーに引きずられそうな時代にこの記録が
 蘇ったのは、偶然ではなかったのかもしれない。  
  


 記録達成の際、シスラーの家族は、イチローに一通の
 手紙を託した。
 シスラーが息子に書き残したバッティングの極意。
 そこにはこんな一文が認められていた。
  
 
 『バッティングの本質はタイミング、バランス、そして
  バッティングコントロールです』―。
  

 イチローは
 『この3つが揃って初めてパワーが生まれると、
  シスラーはそう言いたかったはずですよ』
と言った。
 イチローに262本のヒットをもたらしたあの閃き―。
 シスラーは忘れられつつあったバッティングの奥義を
 イチローに伝えてもらいたかったのだ。
  

 シスラーそっくりのフォームに変えた7月1日の夜、
 イチローは初めてセントルイスを訪れている。
 そこには、シスラーが眠っている。
 あの日、イチローが聞いたのは、やはりシスラーの声
 だったのだろうか。


 
7年7つのイチローShort Story(1)
2007年11月22日 (木) | 編集 |
 当たり前のように試合に出て、当たり前のようにヒットを放つ。
 傍目には淡々として見えるイチローの日常。
 しかし彼は常に闘っていた。
 メジャー7年間の誰も知らない内なる闘い。
 7つのイチローがここにある―。
  


≪2001 駐車場を走る≫
  ―テロが全米を停止させた翌日、イチローはひとり
   黙々と走っていた。―

 2001年9月11日、全米同時多発テロ―。
 マリナーズは、地区優勝を目前にしていた。
 ニューヨークのワールドトレードセンターから、
 秋の青空には似つかわしくない真っ黒な噴煙が
 立ち上っていたところ、イチローはアナハイムの
 ホテルの部屋で眠っていた。

 やがて、ワールドトレードセンターは轟音とともに
 崩落してしまう。
 事の重大さは街の風景を一変させた。
 昼過ぎ、店のシャッターは次々と閉まり始め、
 フリーウェイも閑散としてきた。
 アメリカ国内の空港は完全に閉鎖され、
 全てのフライトがキャンセルされた。

 そしてメジャーリーグの試合が中止となった。

 9月12日。
 丸1日が過ぎた。
 全米各地の空港は相変わらず閉鎖されたままだった。
 店も相変わらず閉まっていたが、フリーウェイには車が戻って
 きていた。
 アナハイムは、よく晴れていた。

 エンゼルスのホームグラウンド、エジソン・フィールド(当時)は
 ホテルからすぐのところにあった。
 予定通り、試合が行われていれば、マリナーズの地区優勝が
 決まっていたはずの球場は、シンと静まり返っていた。
 
 広大な駐車場には停まっている車はなく、ゲートは閉ざされた
 ままだ。
 陽光が傾きかけた頃。
 イチローは、黙々とエジソン・フィールドの外周を走っていた。
 イチローは来るべき日に備えて、人知れず準備を
 始めていたのである。
  

 『野球どころではないという気持ちは、当然、みんなが持って
  います。その半面、僕たちにできることといえば、
  野球しかないというところもあります。
  再開のゴーサインが出たからには、それに向けて準備を
  するということです。
  その日のゲームが中止になっても、
  明日はやるかもしれないという状態ならば、
  練習をしないわけにはいかないですからね。
  
  でも、アナハイムの球場は使えない、っていうし、
  じゃ外でやるしかないってことで・・・』―。


 イチローの1年目、
 アメリカという国は彼にいくつもの顔を見せ、
 思わぬ試練をいくつも与えた。
 その中で、イチローは傑出した数字を残した。
 あれほど非日常の漂う空間で、日常を全うしようとした
 イチローだったからこそ、
 それが可能になったのである。
  


 ≪2002 胸を張った≫
  ―9年連続首位打者を逃した日、
   イチローは清々しく胸を張った。―

 2002年のシーズンはアナハイムで終わった。
 残った数字は208安打でリーグ2位、打率は.321で4位。
 シーズンを終えたイチローは、報道陣の前で
 胸を張ってこう話した。
 『やれることは全てやってきましたし、手を抜いたことは
  一度もありません。
  常にやれることをやろうとした自分がいた、
  それに対して準備ができた自分がいたことを
  誇りに思います』―。
  

 聞いている方が呆気にとられるほど清々しく
 堂々とした態度だった。 
 そこまで胸を張って言い切られてしまうと、
 『調子が悪かったのは・・・』などと、
 切り出せなくなる。
 不調をどう受け止めたのか、打率が下がった原因は
 どこだったのか―。
 そんなネガティブなコメントを期待していた報道陣は、
 イチローがあまりにも清々しい表情で2年目を
 受け止めていることに困惑した。
 残った結果は、満足がいくものではなかったはずだ、と
 決めてかかっていたからだ。
  

 しかし、イチローは残った数字をありのままに
 受け止めていた。
  
 世界中から超一流が集まるメジャーという舞台では、
 選手達の力の差も大きくはない。
 そんな中での力の勝負は、1打席ごとに紙一重の
 結果をもたらす。
 ヒットになるか、アウトになるか、紙一重の結果が600以上も
 積み重なれば、どんな数字が出ても不思議ではない。

 『どんなに苦しい時でも、
  諦めようとする自分がいなかったし、
  諦める自分もいなかった。
  その時のベストを尽くそうという自分がいつもいた
  ということ・・・。僕は2000年のシーズン、.387打ちました
  けど、ヒットの数は141本、試合数も100試合ちょっと。
  多くの人はその数字をすごいという。
  でも今年と比べてどちらが価値があるかは
  本人には明らかです。
  だからこそ、
  (首位打者というだけですごいと思ってしまうような)
  そういう価値観を、僕が彼らに負わされるわけには
  いかないんですよ。
  世の中の流れに乗ってしまうことの怖さ、
  何が大事なのかということは、
  自分で知っておかなければなりません』―。
  

 イチローには、ブレがない。
 常に数字に一喜一憂することなく、
 やるべき準備をこなして、イチローとして舞台に
 立ち続けていた。

   
FAを“第2のドラフト”に・・・
2007年11月21日 (水) | 編集 |
 カネやんの『ワシの話を聞きなさい』(11/20付け)より。
 またまたカネやん節炸裂!!
 

 ―ドラフト1巡目を抽選にしたことで、裏金が無くなったかも
  しれません。

カネやん)もちろん、そうならないといかん。
      前にも言ったけど、裏金だけじゃなく、新人にかける
      バカげた大金を無くさなくちゃいかん。
      FA(の権利を得る期間)を7年くらいにして、
      働いたヤツはそこでお金がもらえるように
      すればいいんだ。
      つまりFAを“第2のドラフト”にするんだよ。
      それがプロ野球の経営として健全な姿や。

 ―働いて権利を得たFA選手はチームに残らなくても仕方がない、
  ということでしょうか。

カネやん)いまの選手には、チームに対する愛情というものが
      無くなったからな。ビジネスどよ、ビジネス。
      だから、巨人は絶対福留を獲りに行かなくちゃいけない
      んや。18日、OBの広岡さんが
      『福留はいらない。生え抜きを育てるべきだ』とか
      言うたらしいが、何を考えとるのかね。
      時代遅れもはなはだしい。
      巨人はいつも強くなきゃいけないし、そのために出来る
      努力はすべきだよ。
      あの長嶋だって、前に監督をやったとき(75~80年)は、
      チームが弱くてクビになった。
      勝てば官軍、負けたら賊軍。
      それが巨人の監督ですよ。
      『若い者が育つまで待つ』なんてことは、
      巨人の辞書にないの。

 ―主力に生え抜きが少ないから人気がない、という話も
  ありますが・・・。

カネやん)(目を見開いて)FAの選手を獲りに行くことと“製造販売”
      の製造の部分をしっかりすることは別の話や。
      いままでドラフトにかけていた金をつぎ込んで、
      しっかり選手を育てなくっちゃいかん。
      アマチュア野球の世界にも、天才的な指導をする
      素晴らしい人はいるんだから、そういう人もスカウトして、
      生え抜きの“製造工場”を作ることやな。

 ―次々とFAで大物を獲るから、若い選手がやる気を無くす、
  ということはないですか。

カネやん)(一層目をつり上げて)何をバカなことを言っとるの。
      そんなのでやる気が無くなるヤツは、選手を辞めたら
      いいんだよ。
      レギュラーの足をけっ飛ばして、ケガでもさせるくらいの
      気概がなくてどうするの。
      それだから、『ウチにいる若い選手は使えない』と
      なっちゃうんだ。
      ただし、逆にFAを含むレギュラーにも厳しくせにゃあ
      いかんよ。『ケガをしたら二軍で調整』などということが
      まかり通っているが、そんなことは断じて許してはならん。
      ケガをして二軍に落ちたら、全力疾走して結果を残すまで、
      一軍に上げないことや。
      そういうシステムを作れば、FA選手を獲ろうがなにを
      しようが、強い選手だけが一軍に残って、
      戦う軍団になっていくんだ。  

   
辛抱できないのは意気地なし
2007年11月20日 (火) | 編集 |
 昨日今日と、義理の両親が宿泊に東京から来訪。
 今年、結婚40周年記念を家族で祝いました。
 息子の学校行事にも一緒に参加し、
 普段見られない孫の姿を、目を細めてにこやかに
 応援していました。
 学校給食を経験したことのない両親は、
 初めて味わう給食を、子供たちと堪能していました。

 その母が、いつも気になる新聞の記事を収集するクセが
 あるらしく、孫の勇汰がスランプと聞いたか知らずか、
 こんな記事を見つけて持ってきてくれました。


 タレントの桂小金治さん(81)。
 『わたしの失敗』という記事でした。


 『草笛って聞いたことある?』―。
 小金治はそう言うと、垣根から取ってきたという葉っぱを
 口にあてて、『故郷』(岡野貞一作曲)を吹き始めた。
 郷愁を誘うメロディーがあたりに響く。
 この曲にまつわる、ほろ苦い思い出があるのだという。

 10歳の頃、友達の家で覚えたハーモニカが欲しくて
 父親にねだった。
 父親は『なんで?』と一言。
 『いい音がするからだよ』とせがむと、いきなり神棚の
 榊の葉を1枚むしって、目の前に突き出した。
 『いい音ならこれで出せ』―。
 『鳴るわけないじゃないか』と不満を口にすると、
 父親は葉を唇に当て、素晴らしい音色を奏で始めた。
 『故郷』だった。
 『こんな葉っぱで、こんないい音がするするんだと
  ビックリしてね』―。

 
 あくる日から、学校の行き帰りに垣根の葉っぱを取って
 練習した。
 しかし、いくらやっても鳴らない。
 わずか3日で止めてしまった。
 
 
 ある日、父親が成果を聞いてきた。
 『鳴らねえから止めたよ』とふてくされて言うと、
 こう言われた。


 『努力まではみんなするんだよ。
  それで止めたらドングリの背比べ。
  一歩抜き出る為には、努力の上に辛抱という棒を
  立てるんだ。
  この棒に花が咲くんだよ。
  辛抱できないヤツは意気地なしだ。
  やるからには続けろ』―。


 一言一言が胸に刺さった。
 殴られるよりもショックだった。
 中途半端な自分が恥ずかしくなった。
 悔しくて、それから毎日諦めずに吹き続けた。
 行き帰りだけではなく、学校の校庭の隅や、
 自宅でも練習を続けた。
 すると、10日ほどたった頃、突然『ピー』と音が鳴った。
 『嬉しかったなあ。
  おやじが凄く褒めてくれてねえ』―。


 もっと嬉しかったのが、翌朝目を覚ますと、
 枕元に新聞紙に包まれたハーモニカが置いてあったことだ。
 台所の母親に伝えると、
 こんな言葉が返ってきた。

 『3日前に買ってあったよ』―。

 思わず『何で?』と尋ねると、母親は
 『父ちゃんが言ってたよ。「あの子はきっと吹ける」って』―。
 この時は、涙が止まらなかったという。
 

 『人に信じられるってこんなに嬉しいことなんだ。
  人に信じられる人間になろうと心に決めたのは、
  このときからなんだよ』―。  
  


 今の息子に必要な言葉でした。
 今、監督から信用されたくて、懸命にバットを振り続けて
 います。一言一言聞き逃さず、試合から帰って来てからも
 振っています。
 『どうして当たらないんだろう・・・。
  どうしてバッターボックスでは力んじゃうんだろう・・・』―。

 不調の息子を根気強く使い続けて下さる監督に
 プレッシャーを感じているところもあるようですが、
 監督から信用を得たいんです、きっと。

 『一歩抜き出るためには、努力の上に辛抱という棒を
  立てるんだ。
  この棒に花が咲くんだよ。
  辛抱できないヤツは意気地なしだ。
  やるからには続けろ』―。
 胸に染みました。
 

 もうこのスランプから抜き出すのに、もうそう時間はかからないと
 思います。
 辛抱した分、結果が出ると信じているから。
 
 
『巨人入団』に対するアマ球界の不安
2007年11月18日 (日) | 編集 |
 巨人が中日からフリーエージェントとなった福留の獲得に
 動いている。
 巨人のFA選手獲りは、いわばオフの恒例行事のようなもの。
 昨年はFA戦線最大の目玉だった小笠原を獲得し、
 その小笠原の活躍もあって5年ぶりのペナントを
 奪回したという経緯もある。

 その年の一番の選手を獲得に動く、というのは補強としては
 決して間違いではない。
 巨人が福留獲得に動き出したこと自体は、
 批判されるべきものではないだろう。

 ただ、ここ数年、巨人人気の低迷が話題となるたびに
 出てくる『自前のスター育成』という方針と、
 フリーエージェントでの選手獲得というのは、
 なかなか相いれない部分がある。

 先日、あるアマ球界関係者と話をする機会があった。
 その人によると、
 『アマチュア球界の指導者の中では、巨人に選手を
  あずけることを不安視する人が多い』という。
 巨人に大事な教え子を預けて、本当に一人前の選手に
 してくれるのか。
 せっかく若手が育ってきても、勝つために即戦力に
 ポジションを奪われてしまう。
 アマ球界の指導者たちの抱く不安は、もっともである。


 若手選手が育たないだけなら、それほど深刻な問題では
 ない。指導方法やチームの育成方針の見直しを図ればいい。
 だが、選手の供給源であるアマ球界からソッポを向かれる
 ような事態になってしまうと・・・。

 
 プロを頂点とするピラミッドの底辺を支えるのはアマチュア
 である。
 逆指名制度が撤廃され、指名権さえ獲得できるとはいえ、
 巨人というチームの根幹を揺るがす重大問題となる。


 純粋に戦力面を考えれば、走攻守と三拍子揃った福留は、
 獲得できれば大きな力になる。
 ただ、加入したら矢野は、鈴木尚はどうなるのか。
 それとも谷をあっさり切るのか・・・。


 アマ球界がファンが、何を思うか。
 一考の余地はありそうだ。


 サンケイスポーツ 鷲田康氏 『球界インサイドリポート』より
秘すれば花
2007年11月17日 (土) | 編集 |
 中日からFA宣言した福留孝介外野手(30)との
 第1回交渉から一夜明け、原監督(49)は15日、
 秋季キャンプ中の宮崎で好感触に喜びながらも、
 早期の出馬やラブコール作戦を当面封印することを
 明かした。


 意中の人の熱い言葉に、原監督の表情は緩んだ。
 『ありがたいですね』―。
 前日14日、ライバル阪神に先駆け、電撃的な
 第1回交渉を実現。
 福留の口から出た
 『嬉しい。小さな頃からの憧れのチーム』との言葉を伝え
 聞いた指揮官は、静かに喜んだ。

 つかみはOK!しかし、本命への“殺し文句”は
 隠し持ったままだ。
 一昨年の秋。FAで獲得した豊田、野口の第1回交渉の
 席では、宮崎から生電話で直接口説き落とした。
 昨秋の小笠原との交渉中には、生電話に加え
 清武球団代表が小笠原夫人への手紙を用意するなど、
 心憎い演出で落とした。

 今回のサプライズは・・・。
 『直接出馬?ありません。電話する予定?
  それもありません』と原監督。
 阪神に加え、米球界からもラブコールを受ける福留の
 決断を静かに見守る。
 静観は、今後一気に福留の心をつかむ効果的な
 アプローチにもなる。
 まさに『秘すれば花』の大作戦だ。

 長期戦も予想される福留の獲得交渉。
 『秘すれば花』戦法で、原監督が大本命を劇的に
 “落として”みせる??


 ≪世阿弥の言葉≫

   『秘すれば花、秘せねば花なるべからず』とは、
   世阿弥の『風姿花伝』の中の有名な言葉。
   芸道において、観客が予想もしないような芸や演出を
   見せることが感動を生み、
   それを悟られると効果は失われてしまうとの意味。
   また、全てを見せずに、少しのことを象徴的に
   表現することで、相手の想像力をかりて
   より鮮やかな感動を生むことを表している。

 
 
日本のエースへ ダルビッシュ有・覚醒の秘密
2007年11月16日 (金) | 編集 |
 高校時代から昨シーズンまで肩に痛みを抱えていた
 ダルビッシュ有投手(日ハム)。
 肩の故障はピッチャーにとって致命的といえる。
 痛みの中、どう投げていたのか・・・。
  

①背中を反りすぎない。
②上体を前に屈みすぎない。
③右腕を後ろに入れすぎない。
④左肩を内側に入れすぎない。
⑤首を右側に傾けすぎない。


 全部、体に一番負担がかからない、自分なりに体感して
 作り上げたフォーム。
  

  

 肩に痛みを抱えるダルビッシュは、高校時代から
 体に負担のかからないピッチングフォームの
 徹底研究をしてきた。
 その成果があったからこそ、プロへと駆け上がって
 きた
のだが、昨シーズンの交流戦のことだった。
 これまで肩の痛みをごまかしながら投げてきていたのだが、
 肩の痛みに耐えられなくなってしまった。

 
 これを機に肩の痛みを根本的に見つめなおしたダルビッシュ。
 肩を意識したトレーニングを積み重ねていく。
 すると肩の痛みが和らぐのと平行し、高き潜在能力が
 表れて来る。
 その身長196センチからくり下ろされるMAX150㌔の
 好速球。ストレートの球速が上がるにつれ、
 変化球の威力も増していった。
 

 昨シーズン後半に追い上げ12勝5敗で日本一にも貢献。
 しかし、納得しなかった。
 昨シーズン25試合登板し、完投はわずか3つ。
 勝利はリーグ屈指といわれたリリーフ陣に委ねることが、
 ほとんどであった。
 そんな悩みをダルビッシュは今年、驚くべき方向で解決した。
 

 肩の故障を発端に研究を重ねたピッチングフォームの
 こだわりが、成長の糧となっていた。
  
 今シーズン完投数12は、両リーグ通じてトップ。
 立て続く決戦においても、タフなピッチングを見せ付けた。
 (クライマックスシリーズ・日本シリーズ4試合先発2完投)

 そして日本の球界にとって重要な戦いにおいても
 ダルビッシュはエースナンバー『18』を背負う。  

カネやん、意味深発言
2007年11月15日 (木) | 編集 |
 11/13のサンケイスポーツに、毎週火曜日連載されている
 『400勝投手カネやんの ワシの話を聞きなさい!』―。
 私のブログでも度々紹介していますが今回、
 どうも首を傾げてしまう記事があったので、
 取り上げてみます。
 みなさんは どう思いますか?


≪関東学院大ラグビー部大麻事件≫
  ~法を犯したヤツは罰せられるべき~

 ―関東学院大ラグビー部の大麻事件について一言。

カネやん)昔、覚醒剤の一種でヒロポンというのがあってな。
      ワシの仲間もバンバン打ってた。
      ただ、ワシはこう見えて
      注射が大の苦手でな(苦笑)。
      『打ってやる』っていう仲間から逃げまくってたのよ。
      いま思えば、それで救われたんだ。
      ヒロポンをやった人間は、みんな早死にしたよ。
  
      
      関東学院大の学生も『大麻くらいたいしたことない』と
      思ったのかもしれんが、必ず覚醒剤、麻薬と
      エスカレートする。
      何より法を犯したヤツは、必ず罰せられなければ
      ならないんだ。ただ、今回はやったヤツだけを
      クビにすべきだったな。
  
      連帯責任にして、他の者の夢を奪ったのは
      間違いだった。
      そこがスッキリせん。
      最近は野球も世の中も、スッキリせんことばかりや。  



 13日、午前1時21分、悪性腫瘍のため福岡市内の病院で
 死去した稲尾和久氏。
  
 見計らうかのようにこの日、
 カネやんの記事が掲載されました。
  
  
 通算276勝、61年にはシーズン42勝。  
 並大抵なことでは達成することの出来ない記録。
 でも、もしヒロポンを打っていたのなら・・・。
 想像するだけでも鳥肌が立つ思いでいっぱいです。
 江夏豊氏が、覚醒剤所持で逮捕された時を
 思い出すと、もしかしたら暗黙の了解で覚醒剤が
 プロ野球界に広がっていたのか?
 記録を素直に認めることのできない素人の私です。

 ただ、そうとも限らないとは思いますが、
 調度タイミングよく、この記事が目に飛び込んできたので、
 気になって書いてみましたが、
 みなさんの反応は?
 
 
  
  
客観的に学ぶ
2007年11月14日 (水) | 編集 |
 朝から澄み切った青空。
 野球日和の昨日、県民の日で学校が休校だった為、
 息子と神宮大会を観戦に行きました。

 準決勝、強豪横浜高校、常葉菊川の試合をナマで観れる
 ということで、息子にとっても客観的にゲームを見て
 何かを掴んで欲しい、という思いもあり足を運びました。

 試合中、息子は『なんでアッパーになるのかな、力み過ぎ』
 とか、『土を足してる分、イレギュラーするから、足を前に
 出さないと・・・』とか、『4番がここで打たないでどーすんの』
 などなど・・・。  

 私は言い返しました。
 『勇汰が試合中、監督やコーチも今勇汰が思っていることと
  同じこと思っているよ。
  客観的に見ると、よく分かるでしょう。
  監督に助言して頂いた言葉は忘れちゃダメだよ』―。

 本人、撃沈してました
 痛い所を付かれた、というような顔をしていました。
 『そうか・・・。みんな今自分が思っていることを
  感じているんだね。
  すごく勉強になったよ、お母さん。
  連れて来てくれて ありがとう』―。

 第三者の立場になって野球を見ることも
 勉強になります。
 しかも、プロでもなく身近な高校生。
 息子は軟式野球なので、まだまだ本人なりに学ぶことも
 これから沢山ありますが、
 今回連れて行ったことで、ヒントを見つけてくれたかな、と
 今後の残り2つの大会に期待したいと思います。
 なんせ、スランプで皆に迷惑掛けていますから・・・
 このスランプを なんとか乗り越えさせたいという気持ちで
 親が精一杯、協力できることは してあげたいんです
 長いトンネルを越えることで、また成長できる、
 そう信じて応援しています。
 
 

 
 
 
鉄腕稲尾
2007年11月14日 (水) | 編集 |
 “鉄腕”の名を欲しいままにした かつての大投手、
 稲尾和久さんの訃報に接した。
 10月はじめ、故郷大分・別府市民球場内にできた
 『稲尾記念館』のオープンのニュースを見たが、
 元気そうだった。
 10月末に検査で入院し、そのまま亡くなったという。
 まだ70歳。
 鉄人にしては早すぎる“ゲームセット”だった。


 150㌔近いストレートや鋭いスライダーも印象に残るが、
 何といっても打者の打ち気を読み取って冷静に組み立てる
 頭脳的なピッチングが、連投また連投に耐え抜いた
 鉄腕の真骨頂だった。
 幼い頃から、近くの海岸で日が暮れるまで石投げをして
 遊んだことが、鉄腕の素になった。

 
 父親の久作さんは漁師で素人相撲の横綱だった。
 開催中の九州場所の前夜祭で配布されたパンフレット
 『相撲ファン』に、父親の血を引いて相撲好きという
 稲尾さんの談話が載っている。
 久作さんは若い頃、大分・宇佐神宮奉納相撲で
 4人抜きし、5人目の少年に負けた。
 その少年こそ、後の名横綱双葉山というのが
 父の自慢だった。


 5人抜きの賞品は白米1俵。
 稲尾さんが後年、元双葉山の時津風理事長と会食
 した時、その話が出て、
 『生まれて初めて腹いっぱい白米を食べた』と
 理事長が笑ったそうだ。
 横綱の初代若乃花や柏戸も飲み仲間だった。
 昭和32年に九州場所ができて以来、毎年のように
 観戦し、今年も楽しみにしていたという。


 『巨人、大鵬、卵焼き』の時代。
 日本シリーズで巨人の前に立ちはだかる『鉄腕稲尾』は、
 巨人好きの子供にとっては憎らしい存在でもあった。
 あれほど超人的な投手はもう現れないだろう。
 セピア色の昭和のプロ野球がまた遠のいていく。
 ご冥福をお祈りする―。  


          サンケイスポーツ 『甘口辛口』  
                           今村忠氏      

 

  
デーブ・大久保 お腹いっぱい解析料理
2007年11月12日 (月) | 編集 |
デーブ) この度、西武の打撃コーチに就任しました。
     ユニホームを着ると、同じバックネット裏から見る
     日本シリーズも、見方が変わるものだなぁと、
     つくずく感じています。

     西武の秋季キャンプが始まりましたが、ボクは西武打線
     強化へ向けた最大のテーマとして
     『本格派投手の攻略』を掲げました。
     マウンドからホームベースまでは18.44メートルですが、
     球威のある投手を打ち崩すために16メートル、
     14メートル・・・と距離を縮めて打撃練習をさせています。
     日ハム・ダルビッシュ、中日・川上のような
     本格派エースの攻略なしに、上位復帰はないと
     感じました。
     今季の川上は球威が戻らず苦労していましたが、
     夏場以降、プレートの三塁寄りの端を使うようになって
     体の開きを修正してきました。
     CSから完全復帰していましたが、日ハムは
     『川上は絶好調だ』とイメージできていなかった
     のではないでしょうか。
     

     ボクには来季へのヒントが詰まった試合になりました。
     ダルビッシュ、グリン、武田勝・・・といった
     バリエーションに富んだ投手陣を揃えた日ハムの
     攻略法を、見つけていきたいと考えています。    

 
“市民球団”生き残るためには・・・
2007年11月10日 (土) | 編集 |
 広島の主砲・新井がFA宣言した。
 ただ、記者会見では、
 『もうカープのユニホームを着られないのが寂しい』
 と号泣。
  
 その姿からは『自由の身になる』晴れがましい
 気持ちが、全く感じられなかった。

 それでも権利を行使したのは
 『野球人として前に進みたかった。
  優勝争いをしたい』からだという。
  

 今季で10年連続Bクラスの広島。
 楽天を除く11球団で最も長く優勝から遠ざかっている
 チームから、3日前にエース黒田もFA宣言していた。
 『強いカープを知らない』―。
 新井はますます絶望的になり、
 見切り発車してしまったのだ。
  

 このままでは、低迷しているチームから、
 エースと4番が消えることになる。
  
 松田元オーナーをはじめとする経営者の責任が
 問われるのは当然だ。
 今季も観客動員はセ・リーグ最少だった広島だが、
 球団は昨年まで32年連続の黒字決算。
 ただ、その黒字優先の経営方針が現状を招いている。
 2009年に新球場移転も控えているが、
 器を立派にしても、中身が乏しいのでは意味がない。
  

 実際に地元でも、市議会議員らから
 経営方針の転換を求める声があがっている。
  
 3年前の球界再編では合併・消滅を免れた広島だが、
 もう一度波がやってきたら真っ先に標的になるだろう。
  
 地域密着の元祖でもある“市民球団”が
 生き残るためには、経営者に改革を働きかける
 地元ファンの声が必要だ。
  

 広島生まれで広島育ち。
 カープの帽子をかぶって育った野球少年が、
 憧れのチームの4番に上り詰める―。

 新井がかなえた究極の夢が、なぜ散らなければ
 ならなかったのか。
 この悲劇を他球団の経営者も真剣に受け止めないと
 日本のプロ野球は終わってしまう。
  


        11/10 サンケイスポーツ 『甘口辛口』より
                 山根俊明氏
 

発想の転換
2007年11月09日 (金) | 編集 |
 11/4日 サンケイスポーツ 『甘口辛口』より。
 楠山正人氏が面白いコラムを書いていたので
 紹介したいと思います。


 ―最近、他者の記者と こんな会話を交わした。
  自分が巨人のGMになったとして、30億の補強費を
  用意されたら、どう使うか。
  
  最初に断っておくが、2人とも巨人ファンではなく、
  心底強くなって欲しいという愛情には欠けるかも
  しれない。
  ただ少なくてもクルーンやラミレス、あるいはAロッドを
  獲るといった意見は出なかった。


  自分もそこそこのものを出したつもりだが、
  その記者の案に思わず唸ってしまった。
  『30億全てを使って、東京ドームの外野フェンスを
   できるだけ後ろに下げる』―。

  名古屋や札幌ドームのような球場に作り替えるという
  考えなのだ。
  
  なるほど、これならもう弱技と陰口をたたかれることはない。
  今年でさえ3.58とセ2位の防御率を記録したのだ。
  被弾の心配がなくなれば、今の投手陣で、
  2点台だって可能ではないか。


  もちろん今の球場用に組んだ打線は改編し、
  二遊間、中堅、右翼は足の速い選手に変えなくては
  ならない。
  
  40本打つ強打者を獲るのはマネーゲームに参加する
  必要があるが、走守に優れ、2割8分前後を打てる
  好選手はトレードで賄える。
  
  坂本や田中ら将来有望な若手も、筋トレより守備走塁を
  重点的に鍛えられるから、故障に悩まされる心配もない。



  実はこの作戦、標高1600メートルの高地を本拠地とする
  ロッキーズが実証している。
  
  試合球を加湿処理することで、本塁打に怯えていた
  投手陣を再生。
  極端な投低打高チームから脱却し、今年、
  初のワールドシリーズ出場を果たした。


  日本シリーズも近年、本塁打が出にくい球場を
  本拠地にしたチーム同士の組み合わせとなっている。
  巨人がそこに参加するには、発想の転換こそが
  近道になる気がする。


  

   

   
意外と“気にしない”な落合監督
2007年11月08日 (木) | 編集 |
 大胆な割りに、意外と“気にしない”のだ。
 中日の落合監督である。
 
 現役時代にこんなことがあった。
 顔なじみの記者が色紙を持ってサインを求めたが、
 それこそとりつくしまのないような無愛想さで断った。
 怒った記者が目の前で色紙を丸めて帰ってしまうと
 『試合前はサインしないって決めているんだよ』と
 慌てた顔を見せてしまう。
 『本人がダメ、と言ったらしようがない』

 あと3人で完全試合達成の山井から9回に守護神・岩瀬に
 スイッチした日本シリーズの采配に、
 賛否両論が巻き起こった。
 だが、批判の多さを気にしたのか、落合監督は交代の
 理由を『本人の申告』と後日談で明かした。
 それならもし、山井が『ダメ』と言わなければ、
 続投だったのだろうか。

 そうではないはずだ。
 監督の頭には
 『勝ち試合なら最後は岩瀬』という“決め”があったはずだ。
 
 
 89年に落合監督はノーヒットノーランの夢破れた
 巨人・斎藤にとどめを刺すサヨナラ3ランを放っている。
 8回まで中日打線を完璧に抑えていた斎藤が、
 9回に浴びた初安打から一気に崩れて
 最後はその3ランで白星すら失ってしまった。

 野球の怖さ。
 ましてや1点差のシリーズでは何が起こるか分からない。
 『監督で勝つ試合は年に1試合か2試合だが、
  負ける試合はいくらでもある』と言われる。
 ましてや山井はマメをつぶして完全な状態ではなかった。
 勝つことにこだわれば、答えは1つ。
 最も確率の高い戦略として、岩瀬投入は当然で、
 あとは他の監督では難しいその大胆采配を
 落合監督が振るうかどうかだった。


 『あそこで何食わぬ顔で抑えて帰ってきた岩瀬を
  もっと評価してもいい』と落合監督。
 確かにあの交代の瞬間、『打たれたら面白い』と
 思ったファンも多かったはずだ。
 その特殊な状況、特別な重圧を跳ね除け
 胴上げ投手となった岩瀬を思えば、
 落合監督はゴタゴタ言わず
 『あそこは岩瀬投入以外にないだろう』と
 言い切ってもらいたかった。


  サンケイスポーツ 鷲田康 『球界インサイドリポート』より
カネやんの質問コーナー
2007年11月07日 (水) | 編集 |
 Q)最近のプロ野球では、サヨナラ勝ちが決まったとき、
   みんなで水をかけるのが流行っているようですが、
   どう思いますか?

 カネやん)あれはいかん。ワシだったら『何をするんだ!!』って
       引っぱたいとるね。
       冷たい水を体にかけて、心臓マヒを起こしたら
       どうするんや。
       それはなくても、風邪をひくぞ。
       ワシは降板後、軽くキャッチボールをしてから
       休むようにしていたくらいなんだ。     
       優勝して、全てが終わってからビールをかけるのは
       いいが、サヨナラで水をかけるのは急に体を冷やす
       からよくない。
       草野球でマネされることを考えても、
       すぐ止めるべきだな。
  

 Q)監督経験豊富な金田さん。短期決戦の采配で、最も重要な
   ことはなんですか?

 カネやん)やっぱりピッチャーやな。まず、絶対的なエースを
       どの試合に投げさせるか決める。
  
       あとは、他のピッチャーの調子を見極めて、
       レギュラーシーズンの実績にこだわらない
       使い方をしていくんだ。
  
       今年のクライマックスシリーズみたいに3試合から
       5試合だったら、当然いいピッチャーから順番に
       使えばいい。でも、日本シリーズだと、
       第3戦から第5戦の間につないで勝つ試合が
       必要になってくる。
  
       勝てると思った試合にどれだけ
       思い切ってつぎ込めるか、それで負けたら
       どうするか、そこに采配の難しさが
       あると思うね。 
  

 Q)最近、投球がワンバウンドしたボールを投げると、すぐに
   取り替えてしまいますが、もったいない気がします。

 カネやん)ワシらの頃は、めったに替えなかったがな。
       よほどボールがいびつな形になるまでは、
       そのまま使っとったよ。
       新しいボールは滑って投げにくいしな。
       『とにかく土をつけてこすれ』と習った覚えがある。  
       ただ、あれはアンパイアが判断するんだ。
       いくら選手が『替えて』と言ってもアンパイアが『ダメ』
       と言ったら、それで終わり。
       そういう意味ではいまのアンパイアが素直に応じて
       やるのと、昔より経済状態が良くなったから
       だろうね。

 Q)各球団の秋季キャンプが始まりましたが、金田さんは
   現役時代、秋にはどういう練習をしていたのですか?

 カネやん)若い選手はともかく、
       140試合出るようなレギュラー選手は、
       まず体を休めるべきだよ。
  
       オーバーホールっていうヤツだな。
       しっかり疲れを取って、次の年の始動を早めに
       すればいい。
  
       いま五輪に出る選手たちが合宿しとるが、
       あれはかなりの負担になると思うよ。
       ワシはこの時期、1ヶ月くらい上諏訪や下諏訪の
       温泉に出かけて、ゆっくりとした。
       『休む勇気を持ちなさい』と言いたいね。     




    カネやんHPもご覧下さいね
スナック禁止令!
2007年11月06日 (火) | 編集 |
 食べたい!!でも食べられない。
 食欲の秋を迎えた巨人に『スナック禁止令』が出された。
 『いつも食べているって訳ではないんですが、
  テレビを見たりするときには食べていましたね』―。
 食欲旺盛な18歳のルーキー坂本は少し残念そうだ。

 『禁止令』はキャンプ初日のミーティングで
 首脳陣から出された。
 その代わりに坂本ら線の細い選手には3日の夕食から
 毎晩、250グラムのサーロインステーキが
 出されるようになった。 
 おやつではなく、3度の食事で十分な栄養を
 とっていこうというわけだ。


 理由はまだある。  
 ポテトチップスなど袋詰めのスナック菓子には、
 食品保存料としての“リン酸”が多く含まれている。
 リン酸を過剰に摂取すると、
 骨の形成に必要なカルシウムが損なわれる可能性が
 あるといわれているのだ。
  

 日頃から体調管理に気を使う木佐貫も、
 尾花投手コーチからの詳しい説明を聞き、
 『なるほど、と思いました。
  尾花コーチは博識ですね。
  おやつはもう食べません』と宣言。
 体質改善から巨人の日本一奪回ロードが始まる。
 
2年目の主張
2007年11月05日 (月) | 編集 |
 サンケイスポーツ3回連載の第3回。
 『松坂大輔 夢の途中』より。
 “100球制限”レッドソックスで味わった
 『投げられないストレス』―。  

≪満足していない≫

 レギュラーシーズンで15勝12敗、防御率4.40。
 投球回204回2/3(チーム1位)、201奪三振は、
 メジャー新人で唯一の『ダブル200』を達成した。
  
 それでも松坂は言った。
 『100%、期待に応えることが出来たわけではない。
  決して満足いくものではなかった』―。
  

 全てが初体験のメジャー1年目の今季とは違い、
 来季は“1億ドルの男”としての真価が問われる2年目。
 松坂の頭の中にはすでに、更なる活躍へのビジョンが
 描かれている。

 『来年からは2年目ということで、思っていることは言いたい』
 とミーティングでの積極的発言を示唆。
 さらには、レッドソックスの投手陣は原則禁止の打撃練習も
 下半身強化などにつながるとして
 『ボクは重要』と、首脳陣への直訴も考えている。

  

≪真価問われる年≫

 そして、最重要課題が投げ込みの量。  
 『肩は消耗品』として練習、試合での投球数を100球程度と
 制限するメジャー流に対し、西武時代は1日に333球を
 投げるなど、多く投げ込むことで1年間を乗り切れる肩を
 作るのが松坂流だ。
  

 今季はチーム方針からブルペンで100球以上投げたのは、
 春のキャンプで1度(103球)。
 シーズン中も5月に2度(109球と107球)あるだけ。
  
 6月には『ボクはマグロのようなもの』と、
 自身を泳いでいないと死んでしまう回遊魚に例え、
 投げ込み不足を嘆いた。
  
 夏以降は松坂の投球過多を抑えるため、
 ジョン・ファレル投手コーチ(45)が
 “監視役”として練習を見守った。
  

≪独自メニューで≫  

 自由に投げられないストレスとも戦ってきた松坂。
 すでに来季の自主トレ期間中の投げ込み案が
 浮上している。
  
 前田高典トレーナー(46)は、
 『投げ込みがダメというなら、せめてその前に気持ちよく
  投げさせてあげたい』という。
 2月中旬開始のキャンプ前に、独自のメニューを組み、
 納得がいくまで投げ込む考えだ。

 カート・シリング投手(40)の退団が決定。
 松坂にはジョシュ・ベケット投手(27)と並ぶ
 2本柱としての期待がかかる。
 『何年も続けるのは難しいけど、何回でも経験したい』―。
 レッドソックス史上初のワールドシリーズ連覇へ向け、
 松坂の戦いは、もう始まっている。  

 
ヤンキースを語る
2007年11月05日 (月) | 編集 |
 サンケイスポーツ3回連載の第2回。
 『松坂大輔 夢の途中』より。
 今回は『ヤンキースへの対抗心』を語る。


≪雰囲気に圧倒≫

 1920年、レッドソックスが金銭トレードで
 ベーブ・ルースをヤンキースに放出し、両軍の対立関係が
 激化。
 レッドソックスはバンビーノの呪いにあい低迷してきた。
 04年に86年ぶりの世界一に輝いたが、
 今でもこのカードはスタンドも異様な興奮の中、
 熱戦が繰り広げられている。

 『両チームがライバル関係と言われるのが分かった。
  (観客の)反応はすごいものがあった』―。
  

 4月20日。
 初のヤンキース戦をベンチで体感した松坂は、
 雰囲気に圧倒された。
  
 だが、敵対関係は感じたものの、
 投球は別とクールに構えた。
 特定の打者や球団を意識し過ぎると力みが生じ、
 冷静さも欠く。
 そんな警戒心から、
 『ヤンキースを特別視することはない。
  どのチームも同じ』というスタンスを貫いてきた。
  

 そんな松坂に心の転機が訪れたのは、
 今季最後のヤンキースタジアムでの対戦となった
 8月28~30日の3連戦。
 初戦に先発した松坂は、5回にヤンキースの
 デレク・ジーター内野手(33)に、
外角のカットボール
 (140㌔)を右中間スタンドに運ばれた。
 絶対に打たれるはずがない、コース、球威ともに
 納得のいくボールだった。
  
 ベンチにいた前田高典トレーナー(46)が、
 『仕方ない。向こうが上だったよ』と慰めると、松坂は
  
 『それは言ってはいけません。
  (上だと)認めると目標が無くなります』と
 珍しく語気を強めた。
 このときこそ、松坂の中に“打倒ヤンキース”の
 熱い気持ちが芽生えた瞬間だった。
  

 それからは徹底してヤンキースにライバル心を燃やした。
 2戦目では球場の大型ビジョンに、観戦に来ていた歌手の
 ポール・マッカートニーの姿が映し出された。
 試合後、松坂は
 『彼がヤンキースのファンだったとは知らなかった』と、
 iPodにダウンロードしていた同歌手の曲を削除している。
 ヤンキースへの対抗心は一層強くなっていった。
  

 今季、松坂の対ヤンキース戦成績は4試合2勝1敗、
 防御率6.12。
 満足のいく数字ではなかった。
 “打倒ヤンキース”こそ、レッドソックスの宿命。
 身も心もレッドソックスの一員となった松坂が、
 来季もライバル相手に熱い投球を見せる。

1億ドル男の重圧
2007年11月04日 (日) | 編集 |
 レッドソックスの3年ぶり7度目のワールドシリーズ制覇に
 貢献した松坂大輔投手(27)のメジャー1年目が終わった。
 結果を見れば『最高』のルーキーシーズン。
 しかし、世界一パレードで見せた笑顔の影には、
 数々の苦悩があった。

 『今季』を松坂が初めて明かす“本音”とともに振り返る
 サンケイスポーツで3回連載。
 『松坂大輔 夢の途中』より。
 
 敵は打者だけではなかった―。


≪金の質問攻めに≫

 昨年12月18日、成田空港の到着ロビー特別室には、
 入りきれないほどの報道陣が詰め掛けた。
 『小学校の卒業式で「100億円プレーヤーになる」
 と言ったのを思い出しました』―。

 ボストンでの入団会見を終えて帰国した松坂は、
 満面の笑みを浮べた。

 落札額5111万1111ドル11セントと、
 6年契約の年俸総額5200万ドルを合わせ、
 レッドソックスは松坂に1億ドル以上を投資した。
 突然の“100億円プレーヤー”誕生に日本は大騒ぎ。
 松坂も、これから訪れる重圧に苦しめられることなど、
 考えてもいなかった。
  

 春季キャンプ以降、常に『1億ドル男』の形容詞が
 ついて回った。
 キャンプ、オープン戦では米メディアから同じ質問を浴びた。
 その度に『お金の大小で野球をするわけではない。
 責任は感じますが、重圧はありません』―。
 こう繰り返していた。
  
 前半戦こそ10勝6敗、防御率3.84だったが、
 後半戦は中4日が続く初体験の過密ローテの影響もあり、
 5勝6敗で防御率5.19。
 地元メディアはこんな見出しをつけた。
 『この男に1億ドルの価値はあるのか?』―。  


≪家族で苦しんだ≫
 この頃から松坂は地元紙を開かなくなった。
 ナイター後の深夜の移動便では、疲れているのに眠れない。  
 日本であれほど楽しみにしていたインターネットの
 利用頻度も減った。
 見たくない記事が目に飛び込んでくるからだ。
 敵は打者だけではなかった。 
 『全てに苦しくて悩んでいたと感じた1年でした』―。
 夫人の倫世さん(32)は振り返る。
 父・論さん(54)も
 『苦しんでいたのが伝わった。
  私は西武1年目以来の胃潰瘍になりました』と語った。
  
 家族にも“1億ドルの重圧”がかかっていた。
 それでも2人は口を揃えた。
 『(夫は)(息子は)弱音は吐かなかった』―。

 怪物は耐えた。
 浮上のきっかけを模索した。
 日本で不変だった登板日の調整法は頻繁に変わった。
 投手は原則禁止のティー打撃をこっそり行ったこともある。
  


≪耐えて・・・手探り≫  

 『ボクは何と言われようといいんです。
  ただ、周りの人をひと安心させることができたから・・・』―。
 最終的に日本人の新人投手最多の15勝を挙げた。
 メジャーで一流投手といわれる200投球回、
 200奪三振の“ダブル200”も達成。
 ポストシーズンでは、『第3の先発投手』の役割を
 十分に果たした。


≪来季も続く重圧≫  

 『重圧があっても、それが苦しさにつながるわけではない。
  楽しんでやりたい』―。
 ようやく、1億ドルの重圧から開放された。

 しかし、それもオフの間だけ。
 世界一も関係なし。
 来季、怪物は再び『1億ドルの男』のプレッシャーと戦う。

  
花となるより根となろう
2007年11月03日 (土) | 編集 |
 トップリーグが開幕して、熱を帯びてきたラグビーシーズン。
 サントリー・清宮監督が、その開幕戦(対東芝)の勝因に
 挙げたように、今季はスクラムの重要性が再認識
 されそうだ。
  


 ご存知の通り、スクラムはラグビーというゲームの
 起点になり、勝負を分ける大きな要素だ。
  
 ところが、あの“押し合いへし合い”は、一般のファンに
 とって『何をやっているのかわからない』
 『ゲームの流れが止まってしまう』と、
 いまひとつ人気がない。
  
 崩れると首の骨を折る可能性もあって、一部では
 『スクラム廃止論』さえ出てきている。
  


 そこでお薦めしたいのが、光文社新書の『スクラム』だ。
 早大ラグビー部のプロップとして活躍した松瀬学氏が、
 スクラムのメカニズムや駆け引きを解説。
  
 現役のコーチ、選手、レフェリーらの証言も集め、
 現場での実情を探っていく。
 ラグビー経験者はもちろん、そうでないファンにも
 スクラムの奥深さがわかる本だ。
  


 スクラムを知れば、ラグビー場で遭遇するこんなシーンも
 理解できる。
 プロップがボールを持ってゴールに迫ると、
 観客ではなくスタンドに陣取る他の部員が異様に
 盛り上がるのだ。
 日々の練習やゲームで、プロップがいかに辛い思いを
 しているのかを知っているチームメート。
 『ごほうび(トライ)をやりたい』という願いが自然に
 伝わってくる素敵な場面だ。
  


 慶大ラグビー部では、代々のFWに
 『花になるより根となろう』という言葉が受け継がれて
 いるという。
  
 根(スクラム)がしっかり
 しないと、花(トライ)は
 咲かない―。

  
 これまでスクラムに興味がなかったファンも、
 一度ジックリと“根っこ”の部分を掘り下げてみては
 どうだろう。


                サンケイスポーツ 『甘口辛口』  
                                   山根俊明氏
バッティングチャンスで欠ける・・・二段構えの意識
2007年11月02日 (金) | 編集 |
 サンケイスポーツで日本シリーズ特別版として
 野村監督(楽天)のコラムがシリーズ中載せられていた。
 シリーズ第4戦での『ノムラの考え』より、
 参考になるお話を載せてみたいと思います。

≪目立つ打ち損じ≫  
 2対3で迎えた七回一死一塁で打者・小谷野。
 カウント0-3から直球で1-3。
 投手・平井はコントロール、特に変化球の制球に苦しみ、
 しかも四球で一、二塁にはしたくない場面だった。
 高い確率で『直球系のストライクが来る』という
 ダブルチャンス。
 小谷野もそう感じたのだろうが、外の甘いカットボール
 (直球系)を打ち損じ、二飛に倒れた。


 このシリーズ、日ハム打線にこうしたバッティングカウント
 での打ち損じが目立っている。  
 森本は執拗に苦手の内角を攻められ、待っているのに
 安打に出来ない。
  
 四回無死二塁で打席に入った鶴岡は、捕手・谷繁が
 『右に打たせたくない』と内角を続けたにもかかわらず、
 内角直球を三振した。
  
 私が監督なら『引っ張っても構わない』とサインを変えるか、
 ベンチから出て鶴岡に耳打ちする振りをする。
 それだけで、谷繁のリードに迷いが生じ、
 右に打つには打ちごろのボールがくる可能性はあった。


 直球系に狙いを定めているところに直球がくる。
 プロならば最低80点の打球を放ってほしいが、
 実際はうまくはいかない。
  
 私は首をかしげながら戻ってきた選手に
 『0.1秒喜ぶのが早いわ』と言ってきた。
 難しい直球に手を出す。
 高めにバットが下から出る・・・。
 だからこそ常に“二段構え”で備える必要がある。
  
 直球を待つだけではなく、
 『ストライクの直球だけ』
 『直球を上から(叩く)』 
 『直球を(バットの)ヘッドを立てて』
 とひとつ、注意事項を加える。
 変化球も同様である。
 右対右のスライダーなら
 『腰から曲がってくるスライダーだけ』、
 フォークなら
 『高めから落ちてくるフォークだけ』・・・。

 狙っていてもヒットにできないコースなら
 手を出さなければいい。
 ただ、こうした“二段構え”は指導者の日々の
 教育なくして、持つことはできない。
  



≪茶髪、ヒゲ・・・選手にも『責任感』を≫  
 リーグ5位の打率(.259)でありながら、
 シリーズに進出した日ハム。
 走塁を駆使し、少ない得点差での勝利を目指す戦法は、
 野球という競技の性質に合致している。
 
 しかし、昨年はうまくいったヒルマン監督が唱える
 『エンジョイ・ベースボール』が、今年は短期決戦の
 弊害となっているように思えてならない。
  

 パ6球団の中で茶髪、ヒゲが多いのは日ハム、ロッテ
 という外国人監督が率いる強豪球団である。
 たかが茶髪かもしれないが、
 選手教育というのは人間教育、社会教育を基に
 成り立っている。
  
 日頃から髪の毛ひとつうるさく言われていない選手が、
 打席の中で生まれた小さなチャンスで、二重、三重の
 構えを持つことができるだろうか。
 
 文化やモラルの違う外国人監督に、そこまでの教育を
 求めるのは酷だろう。
  
 自由(エンジョイ)の裏側にある『責任』という自覚。
 残念ながら第4戦までの日ハムの戦いには、
 選手個々がそれぞれの仕事を確実にこなす、
 という責任感は薄れて見える。


 1勝3敗になってもヒルマン監督は慌てていないかもしれない。
 この日はいわば捨てゲームで、ダルビッシュとグリンで勝てば
 第7戦まで持ち込むことが出来ると
 思っているのではないか。
 しかし、野球がメンタルなスポーツである以上、
 準備の充実なくして、いい結果は生まれにくい。
  
 昨年のシリーズやペナントレースと別のチームのような
 戦い方をしている日ハム選手を見ていると、
 改めて選手教育の大切さを実感する。
 
勝負の分かれ目 『誰を殺すか』
2007年11月01日 (木) | 編集 |
 短期決戦では『誰を殺すか』が
 勝負の分かれ目となる。

 チームの主砲やムードメーカーという影響力の強い
 選手の活躍をどうやって封じ込めるか。
  


 昨年と同じ顔合わせになった今年の日本シリーズ。
 去年は苦杯をなめた中日が、その教訓を生かして
 日ハムのムードメーカを徹底的に押さえ込んでいる。
  
 

 昨年は新庄の“引退興行”のようなムードだった。  
 中日にとっては最も乗せてはいけない選手だった新庄に
 『気持ちよく』プレーをさせてしまったことが、
 勝負の流れを日ハムに傾かせる大きな要因となった。
  


 今年のシリーズ。
 中日バッテリーが『殺し』にかかっているのが、
 日ハムのムードメーカーでもある
 トップバッターの森本。
  
 初戦では警戒するあまり、森本を歩かせセギノールに
 3ランを浴びた。
 しかし、その後は徹底して森本の弱点であるインサイドを
 攻めまくって2試合で許した安打は内野安打1本。
 中日バッテリー、特にマスクをかぶる谷繁のマークぶりが
 伝わってくるリードを見せている。
  


 ラッキーボーイにしてはいけない選手を
 徹底的にマークして『殺して』しまう。
 それがシリーズの戦略であり、
 第2戦まで徹底できているのは
 中日といえそうだ。
  


 このまま森本を押さえ込めば、おそらくシリーズの流れは
 中日に傾いていくだろう。
 逆に日ハムは誰をマークすべきなのか。
  
 中日ウッズと日ハム・セギノールの両主砲封じが
 テーマといわれたシリーズ。
 だが、本当にマークすべきは、森本と同じく中日の
 リードオフマンの荒木。
 日ハムバッテリーが荒木封じにどこまで徹底できるか
 ということになりそうだ。


    サンケイスポーツ10/31付け  『球界インサイドリポート』
                               鷲田康氏
  
ノリの技術を見抜いた落合監督
2007年11月01日 (木) | 編集 |
 カネやんの『ワシの話を聞きなさい』より。
 中日が俄然有利になってきた日本シリーズについて
 語っていました。


カネやん)中日が有利になってきたねぇ。第1戦でダルビッシュが
      打てんのは当たり前。
      日本一のピッチャーやからな。
      それに負けたことを引きずらず、第2戦を取ったことで、
      俄然有利になったよ。

 ―それはどういう部分でですか?
カネやん)ダルビッシュ以外のピッチャーなら、中日のピッチャーの
      方が上や。(日ハム第2戦の柱)グリンが調子を
      落としているようだからな。
      第1戦で負けても、落合(監督)が落ち着いとっただろう。
      自分の方がいいピッチャーを持っている自信があるから
      バタバタせんのよ。

 ―打つ方では中村紀が活躍しています。
カネやん)これは、落合(監督)の持つ
      “技術屋の目”の勝利だね。

      (中村紀が)『自分を拾ってくれた監督への恩返しを
      している』という人情話になっとるが、それは違う。
  
      天才的な右打ち(右翼方向への打撃)をしていた
      落合(監督)が、ノリの右打ちの技術を買ったのよ。
  

 ―近鉄時代からフルスイングのイメージがありますが・・・。
カネやん)ノリが本当に素晴らしいのは、右打ちの技術なんや。
      落合(監督)は、それを十分分かった上で
      『自分がアドバイスをすれば何とかなる』と
      思ったんやな。
      中古品を買って新品に仕立ててしもうた。
  
      いまやノリは、ノリに乗ってるでぇ。
      これなら、あと5年くらい活躍できるだろうな。



 ―日ハムは打線が振るいません。
カネやん)それは、やる前から分かっとったやろう。日ハムが優勝
      する為には、ピッチャーが抑えるしかないの。
      つまり、こうや。
      ダルビッシュが名古屋でもう一つ勝って、第7戦にも
      投げて勝つ。その他の試合のどれか一つを、
      他のピッチャー全員で取ることやな。
      逆に中日はダルが3つ目を投げる前、第6戦までに
      勝負をつけなきゃいかん。
      名古屋で2勝して、第6戦に川上を持っていって
      決着を付けるという算段や。

 ―いずれにしても、もう一度札幌まで行きそうですね。
カネやん)魅力ある野手が少ないのは残念やが、勝負としては
      面白い日本シリーズになりそうやな。


                サンケイスポーツ 10/30付けより