日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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プロで果たす 夢の160㌔
2007年09月29日 (土) | 編集 |
 仙台育英の佐藤由規投手。
 17歳、1㍍79㌢、右投げ左打ち。

 ずば抜けて大きな体ではない。
 人並み外れた筋力を誇るわけでもない。
 それでも、速い。


 この夏、甲子園大会のスピードガン最速となる155㌔を
 出し、一躍脚光を浴びた。
 昨夏の宮城大会決勝の東北戦では、
 引き分け再試合を含む計24回を1人で投げ抜いた。
 横に滑るように曲がるスライダーと、鋭いフォーク。
 高校球界を代表する右腕だ。


 155㌔は、連日の投げ込みで作り上げた。
 『遊び感覚で毎日投げて、色々な体の使い方を
  覚えた。工夫を積み重ねるうちに、自分に合う
  フォームが見つかった』―。

 入学当初は126~7㌔だった球速が、その年の秋には
 143㌔、今春の選抜では150㌔にまで伸びていった。
 佐々木順一郎監督は
 『元々、体の力をボールに伝えることは出来たが、
  ここまで投げられるようになったのは本人の努力』
 と絶賛する。
 『きっかけ』を大事にしてきたと言う。
 

 今夏の宮城大会では、佐々木監督の一言で不調から
 脱することができた。
 準々決勝の試合後、
 『お前の表情、楽しそうじゃないぞ』―。
 それまでは、思うような投球が出来ず表情も暗く
 なりがちだった。
 『まずは楽しくやろう』―。
 一度吹っ切れると、球の伸びや切れが見違えた。
 周囲にかける声や気配りも変わった。

 『きっかけを掴むのは自分。
  色々な経験やきっかけが、今に生きている』―。


 プロ志望を表明した9月10日、
 『並みの存在で終わりたくない。
  “こいつは違う”という、大きな存在になりたい』
 と話した。

 球速も『これで終わりにしたくない』と、
 さらに伸ばす意気込みだ。
 プロの世界でも『自分の思ったことをやる事が一番大切』
 と語る17歳。
 160㌔の可能性を漂わせ、夢の扉を開く。
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速球磨く 未完の大器
2007年09月28日 (金) | 編集 |
 千葉・成田高校の唐川侑己くん。
 18歳、1㍍81㌢、76㌔、右投げ右打ち

 最速148㌔のエースはそこまで、この夏まだ1点も
 許していなかった。
 千葉大会で3試合目の登板となった5回戦。
 東海大浦安を相手に、試合は0-0のまま、
 延長十四回を迎えた。
 二死二塁の場面。
 178球目となる渾身の直球は、しかし、左中間に
 打ち返され初失点。
 無情にもこれが決勝点となり、高校最後の夏は終わった。
 『直球に迷いはなかった』と唐川。
 その投球哲学は明確だ。
 『投手としての魅力は、真っ直ぐが速いこと』と
 言い切る。


 野球を始めた小学3年の時、
 快速球で甲子園を沸かせたのが、横浜高校の
 松坂大輔(現レッドソックス)だった。
 松坂モデルのグローブを買い、白球を追ったのが原点だ。
 

 高校入学時の最速は130㌔程度だったが、翌春には常時
 140㌔を出せるまでに。
 昨年の選抜大会で小松島(徳島)から10三振を奪い、
 完投した。


 急成長の秘密は冬場に積んだトレーニング。
 ハンマー投げの金メダリスト、室伏広治を生んだ
 名門陸上部でハードルなどを使った練習に取り組み
 下半身強化に成功。
 リリースポイントも安定した。


 投球マシーンが発達した現在、150㌔の球を打ち返す
 高校生は少なくない。
 それでも唐川の直球が捕らえにくいのは、
 打者の手元で鋭く伸びるからだ。
 『数字ではなく、体感速度を大事にしている』と唐川。
 カーブ、スライダーも投げるが、
 『小手先のことは教えたくなかった』という尾島治信監督の
 指導も、直球の磨きを後押しした。


 同じ速球派の佐藤由(仙台育英)と比較されることも
 多いが、スカウトの1人は、
 『佐藤由は完成しつつあるが、唐川はまだまだ
  伸びしろがある』と期待する。

 『未完成の大器』という言葉が
 最も似合う逸材だろう。
署名入りで返却 カタカナ『トーリ』
2007年09月27日 (木) | 編集 |
 9月1日(現地時間)のヤンキース戦(ヤンキースタジアム)。
2の二回二死一、二塁の第二打席。
 カウント2-2の場面で、ヤンキースのトーリ監督が
 『先端の形がおかしい。岩村が切ったのではないか』と
 岩村明憲(デビルレイズ)のバットにクレームをつけた。
 岩村は審判団の求めに従ってバットを提出。
 
 再開後、同じ形のバットで打席に立ったが、
 空振り三振で好機をつぶしてしまった。
 試合後、バットの“無罪”は確定したが、
 『ヤンキースとは開幕戦から対戦している。
  バットはズッと一緒だよ!!』と
 岩村の怒りはおさまらなかった。


 その調査されたバットにヤンキース・トーリ監督が
 『イワムラサン、これをとても上手に使っている。
  グッド・ラック』
 というメッセージとサインだけでなく、カタカナで『トーリ』
 とまで書き込んで返してくれたのだ。



 この日の岩村選手には、さらなるできごとが起きていた。
 練習前はジョー・マドン監督(53)から監督室へ呼ばれ、
 編成担当のアンドリュー・フリードマン副社長(30)と
 通訳を交えてミーティング。
 来季からの二塁手転向を正式に打診された。
 『マイナーに有望な若手がいるが、三塁しか守れない。
  アキを二塁のレギュラーにして、2人を常時出場させたい。
  戦力アップのためだ』
 と同副社長。
 最終結論は持ち越しとなったが、岩村選手は今オフや
 来春キャンプで二塁コンバートに挑むことを
 約束したという。


 切り替えの早い、頭の回転もイイ選手なので、
 うまくこなすのではないでしょうか。
 今シーズンも見れる範囲で見て応援していましたが、
 来シーズンもまた、今までとは違った岩村明憲が
 注目を集めそうですね!
 本当に器用な選手だと思います。

http://sports.cocolog-nifty.com/gun1/
ボビー流バッティング
2007年09月26日 (水) | 編集 |
 ベストヒッターでも10回打って7回アウトになる。
 野球をやり始めるときに、このことをコーチはチームの
 少年に理解させるべきなのです。
 つまり、30%の確立で成功させられる3割バッターは、
 メジャーリーグにおいてでも、偉大なバッターだと
 考えられているのです。

 バッターボックスに立ち、10回に3回しか、必ずヒットを
 打てないのではありません。
 3割の確立でヒットを打てることは、高い成功率だと
 見なされているのです。
 だから、野球をプレイする際には、成功する以上に
 失敗する可能性があることを理解するべきなのです。

 失敗することに悩む必要はありません。
 失敗はバッティングにつきものだと受け入れるべきなのです。

 プロの選手達は、選手生活の早い時期に、70%の
 失敗確率を受け入れます。
 そうしないと、ゲームに集中できなくなり、プロとしてやって
 いけません。
 メジャーリーガーは、ヒットは打てるものだと思っています。
 しかし、三振することもあるし、ポップフライでアウトに
 なることもあるし、内野ゴロでアウトになることもあり、
 必ずしもいつもヒットが打てるわけではないことを
 理解しています。
 
メガネをかけた捕手の戦い
2007年09月25日 (火) | 編集 |
 珍しいメガネをかけた捕手として、史上初のストライキを
 決行した、労組日本プロ野球選手会の戦う会長として
 ヤクルト・古田兼任監督は、今までになかった選手像を
 作り上げた人だった。
 19日に今季限りでの現役引退と監督退任を正式表明した。
 『思うような成績があげられず、ファンに失望を与えてしまった』
 と語った。


 5度のリーグ優勝(うち日本一4度)に貢献し、
 MVP2度、通算2000本安打も達成するなど、
 人気と実力を兼ね備えた不世出の捕手ではあったが、
 兼任となるとそうとう重荷だったのだろう。
 『結果が悪いから大きなことはいえないが、絶対にできない
  とは思わない』との言葉に苦労がにじみ出ていた。


 本来ならまずコーチとして勉強するか、いったん現場から離れ
 外から見てみるものだろう。
 古田監督の場合、
 『長く捕手をやっていたから何でもわかるだろう』と、
 過大な期待をかけられすぎたのかもしれない。
 選手としての実績が実績だけに、“孤高”の存在に
 なりすぎたのか、ブレーンに恵まれなかったとも聞く。


 涙をこぼした理由を聞かれ、古田監督は
 『寂しいというより、悔しい』と言った。
 球団側は
 『来季は選手契約を結ばず、監督専任で交渉を進める』
 ことを名言していた。
 今季は3試合しか出てない選手の古田が限界であることは
 ファンも薄々分かってはいたことで、球団としては
 既定路線の“引退勧告”だったろう。


 監督なら球団からクビを切られても仕方ないが、
 あれだけの大選手。
 こと選手の部分に関しては、今季早い段階から覚悟して
 臨んだというだけに、自分から引退表明したかったのかも
 しれない。
 これも『悔しい』理由の一つではなかったのか。

  
 サンケイスポーツ 『甘口辛口』より      今村忠氏
投手は『5人目の野手』という意識が大切
2007年09月23日 (日) | 編集 |
 内野守備、それも連携プレーの際、
 当然のことながら『5人目の内野手』という意識を
 投手は持つことが必要です。

 特に試合終盤で点差が競っているような場合には、
 ダブルプレーの欲しい局面が必ずといって
 いいほど訪れます。

 このときのバッテリーは相手が右打者であれば、
 次のような思考になります。

≪やりたいこと≫
 できればゲッツーを取りたい→低めに変化球を投げて
 ゴロを打たせればベスト

≪やってはいけないこと≫
 長打を浴びてピンチを広げてしまうこと→内角には
 投げたくない

 必然的に導かれる結論は、外角に変化球(スライダーなど)
 を投げることです。
 ライト方向に流し打ちをされて、一塁・三塁になる
 パターンも考慮すべきリスクではありますが、
 試合が終盤を迎えた時点では、内角よりは外角の方が
 ベターでしょう。

 当然のことながら、外角への変化球を投げる、と決めた
 時点で、一塁・二塁へのゴロの可能性が増えるわけですから、
 そうなれば投手はフィールディングの仕事が増える
 ことになります。

 投手がフィールディングをするシナリオには、
①一→遊→投のダブルプレーでのベースカバー
②一塁ゴロで投手がファーストカバー
 の二つが主なものでしょう。
 
 ポイントとなるのは、ベースカバーに入る為の技術です。
 ベースカバーに入るなんて、何も難しい技術は
 要らないんじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、
 投手にとって大切なのは
 『素早い小走り』です。

 たぶん、基本を大切にするコーチがついていれば
 教わっていると思いますが、一塁ベースに向かって
 走るときには、ストライドを狭くして、ベースを踏む足を
 合わせやすくします。
 だから学校の体育の授業で50mや100mを走る
 ときとは、走法が違います。
 イメージとしては小さな犬が地面をかくようにして
 走るのがベスト。
 これはメジャーリーグでも日本人投手が得意とする所で、
 大股でベースカバーに向かう外国人の選手よりも
 日本人の動きはシャープで、安心です。

 普段の内野手との連係練習でも、走り方に気をつけて
 いれば、自然と一塁手との呼吸も合うはずです。
 最初はショートダッシュのつもりで素早く、そして
 ベースに近づいたら一塁手と呼吸を合わせながら
 スピードを緩めてプレーの確実性を高めます。

 そしてもう一つ、投手のフィールディングで重要な仕事は
 バント処理です。
 バント処理で大切なのは、
①まず捕球することに集中する。
②捕手の指示をよく聞く。
③そして何よりも落ち着いて処理する

 といった要素でしょうか。

 気持ちを落ち着かせるというのは、とても重要なことで、
 バントが見え見えの場合だと、その後のフィールディングが
 気になって、投球自体が疎かになってしまうこともあります。

 しかも自分で四球を出した後だったりすると、自分の手で
 どうしてもランナーを刺したいという欲が出てしまうので、
 かえってピンチを広げたりすることもあります。

 そしてボールを取りに行くのと同時に、落ち着いて捕手の
 声を聞くのも重要になります。
 ここで大切なのは『声の連携』で、決して慌てずに女房役の
 声を聞き分けることを重視すればいいでしょう。

 バント処理の練習では、練習の時から足の速い走者を
 置いておき、緊張感を持たせると効果的になると
 思います。
 ポイントは、決して欲を出さないこと。
 確実にアウトを一つ取ることが重要だということを
 忘れてはいけません。


   長谷川滋利の『Love Baseball』
           ~未来のメジャーリーガーたちへ~より 
折れたバットの再利用化
2007年09月22日 (土) | 編集 |
 『グシャッ!』・・・。
 トロピカーナフィールドに鈍い音が響き渡った。
 2003年4月5日、ヤンキース対デビルレイズ戦でのこと。
 日本ではめったにお目にかかれなかった光景が
 目の前で繰り広げられた。
 松井秀喜がこの試合3本のバットを折ったのだ。
 改めてメジャーのピッチャーの力を思い知らされると
 ともに、内角攻めや“沈む直球”への対応を
 考えざるをえなくなったのである。

 ニューヨーク・ヤンキースに入団が決まった直後、
 松井選手は大リーグの飛ばないボールに合わせ、
 従来のしなりの強いアオダモから、ボールにぶつけて
 飛ばすホワイトアッシュやメープル材のバットに
 切り替えることを決意、
 バット作りの職人・久保田五十一名人に
 作ってもらっていたのだ。
 『バットは体の一部です。
  そのバットが折れるようでは、僕の力がまだまだという
  ことなのだと思います』―。
 
 バットが折れたのは、材料のせいではない。
 ボールをバットの芯で捕らえられない自分に実力が
 ないからだ。松井はそう言いたかったのである。

 その時、松井選手は長嶋茂雄元監督の言葉を
 思い返していた。
 『バットを折るようでは、バットマンとして、まだまだ
  その域に達していないということです』―。
 技術とそれに勝る力があれば、バットは折れない。
 いや、折られない。
 師の言葉を思い浮かべながら、松井の新たな
 戦いが始まった。


 松井選手の優しい気持ちは、何も“人”に対して
 だけではない。
 バット、グラブ、スパイクといった野球用品を
 ことさら大切に扱う。
 
 これは日米の文化の違いかもしれないが、メジャーの
 選手の中には、準備体操をする時など、平気で
 帽子やグラブを放り投げる。
 が、松井選手の場合は、帽子とグローブをいつも
 キッチリ合わさるように並べてから準備体操に入る。
 そんな姿を見て、
 『彼は素晴らしい。いつまでもあの気持ちを忘れないで
  ほしい。他の選手も、是非見習ってほしいよ』―。
 と言ったのは、ヤンキースの用具担当、
 ルー・カクーザさんだった。
 
 そんな松井選手が、試合が終わると、何があろうと
 クラブハウスで真っ先にやるのが、
 グラブの手入れである。
 油をたっぷりスポンジに含ませ、グラブの隅から隅まで
 ゆっくり時間をかけて磨く。
 まるで恋人のごとく、大切に磨くのだ。
 
 『丹精込めて作ってくれた人の気持ちを思うと、
  粗末にはできません。それに、僕がナイスキャッチ
  できるのも、このグラブのおかげ。
  僕にとって、かけがえのない大切なものなんです。
  感謝しなくてはバチがあたります』―。


 もうひとつ、バットにも格別の思いがあった。
 日本にいる頃、久保田名人のところへ初めて行った時、
 『山の木からバットになるまでの話を聞いて、
  いろんなことを考えさせられました。
  バット1本作るにも、大切な資源が使われていること。
  その資源が失われれば、人間の体や心も壊されていく。
  そんな権利が僕らにあるのだろうか、ってね。
  野球ができるのも、健康な体があってこそ。
  それに豊かな自然や大地があって、初めて野球を
  楽しむことができるのではないだろうか』―。

 
 野球選手たちのバットを作るために、毎年どれくらいの
 木が切り倒されているのだろうか。
 そう考えると、1本のバットも無駄にはできない。
 松井選手は黙っていられなかった。
 
 『アメリカのも日本人がたくさんいる。
  最近では、お寿司を食べるアメリカ人も増えている
  のだから、箸を使うケースが多いと思うんですよ。
  だったら、こっちでも箸に再利用できるのでは
  ないだろうか』―。

 箸が無理なら鉛筆でもいい。
 折れたバットを何かに役立てることができるはず・・・。
 松井選手の取り組みが、アメリカに来て再び始まろうと
 している。


 
 ある日本の社会人チームの監督が、折れたバットを
 燃やしながら暖を取っている光景がテレビ画面に
 流れたことがあったが、それだけが処理の仕方ではない
 ことを、松井選手は証明してくれるだろう。
 

               
 
ヤ軍キャッシュマンGMの評価再上昇
2007年09月21日 (金) | 編集 |
 ヤンキースの歴史的な巻き返しで、改めて評価されているのが、
 ブライアン・キャッシュマンGM(40)の手腕だ。
 頑なにトレードせずに育ててきたチェンバレンやヒューズ、
 ダンカンなど生え抜きの若手選手の台頭が、逆襲劇の原動力に
 なっているからだ。

 キャッシュマンGMの転機は05年の契約更新だった。
 スタインブレナー・オーナーに他球団のGM並みの権限を要求。
 認められると、スカウトやマイナーなどの組織改革に着手した。
 方針に従わないベテランのスカウトやマイナーのコーチなどを
 解雇。有望な選手をドラフトで獲得して、マイナーから育成
 する原点に戻っていた。
 (今季は3Aがプレーオフ進出、2Aはリーグ制覇)

 『3連覇が止まった01年以降、オーナーの希望もあって
  ベテラン中心の補強をしてきたが、それでチーム内の
  “競争”がなくなっていた』―。
 と同GM。
 控え選手にまで他球団のレギュラー並みの年俸を
 支払っていたため、開幕ベンチ入りの枠の25人は
 キャンプ前から決まっている状況だった。

 同GMが目標にしているのはジーター、ポサダ、ウィリアムズ、
 ぺティット、リベラらがメジャーに昇格した90年代前半の
 ようなチーム作りだ。
 すでに王、カノ、カブレラとセンターラインには生え抜きが
 定着。有望な若手が昇格してくれば若返りが進むだけ
 でなく、ポジション争いが激化してチームが活性化。
 不振でローテーションから外されたベテランのムシーナが
 復調してきたのも、危機感を抱いたからだろう。

 確かに井川やパバーノなどの失敗例もあるが、
 『現在の方向、方針が間違っていないと信じている。
  夜もよく寝られるよ』―。
 と同GM。

 たとえ今季の世界一を逃しても、ヤ軍の将来には
 希望が持てる。


 サンケイスポーツ
   『MLBプレスルーム ドム・アモレ氏(ヤンキース担当)』より
休む勇気
2007年09月20日 (木) | 編集 |
 『あっ、痛い!』
 初の大リーグ春季キャンプの2003年3月11日。
 目覚ましの音みに、松井秀喜選手がベットから身を
 起こそうとすると、首に激痛が走った。
 突然の痛み。
 それはすぐに不安に変わった。
 ここまですごぶる順調にきていただけに、これから一体、
 どうなるのかそれを考えると、いっそう不安が募ってくる。

 原因は寝違えだった。
 おそらく寝相が悪かったために、首の筋を痛めたのだろう。
 とにかく、こんな経験は生まれて初めてであった。

 このまま部屋でジッとしているわけにはいかない。
 その日、レジェンズフィールドでは、デトロイト・タイガース
 とのオープン戦が予定されているのだ。
 松井選手は何食わぬ顔のまま球場入りすると、
 いつものようにユニホームに着替え、ランニングから
 キャッチボール、そして打撃練習にも加わった。
 しかし、痛みは一向に引かないばかりか、
 益々増していく。

 このまま試合に出るべきか、休むべきか。
 松井選手は迷った。
 もし、出場しなければ・・・。
 オープン戦とはいえ、多くのファンが楽しみにしているに
 違いない。その中には、日本からわざわざ自分を応援
 する為に来ている人だっていることだろう。
 もし、自分が出ないことになれば、日本の報道陣も
 きっとガッカリするだろう。

 その反面、この状態で無理をしたら、さらに長引く危険もある。
 開幕まで引きずるようにでもなったら、それこそ元も子もない。
 それらを考えると、なかなか決心がつかなかった。


 
 そんな時だった。松井選手の脳裏に4年前の出来事が
 蘇ってきた・・・。

 それはプロ入り7年目の1999(平成11)年7月30日の
 ことだった。
 その日、広島市民球場では、ペナントレース後半の開幕戦
 ともいうべき広島対巨人戦が行われることになっていた。
 首位中日に追いつく為にも、弾みを付けたい。
 当時の長嶋監督も、この試合にかけていたのである。
 が、そのスタートから遅れをとったのが松井選手だった。
 原因は、直前のオールスター第3戦(7月27日倉敷球場)
 で傷めた右脇腹痛である。
 当日、夏風邪をこじらせ、38.6度の熱があり、試合に出場する
 予定はなかったが、ファンの姿を見たとたん、
 『このまま出ないのでは、選んでくれたファンに申し訳ない』
 と言って、ウォーミングアップもストレッチもしないまま
 8回に代打で出場。
 バットを振った瞬間、右脇腹を傷めてしまったのである。

 ファンを大事にするがゆえの強行出場。
 それはプロとして責任感ある態度とは言えたものの、
 その代償はあまりに大きかった。


 広島に到着してからも、痛みが消えない。
 トレーナーの見解は、肉離れ。
 筋肉の断裂までには至っていなかったものの、完全に
 痛みが引くまでには1週間。
 その間は絶対安静というものだった。
 だが、トレーナーの休養指示に対し、松井選手はがんとして
 首を縦に振らなかった。
 『試合には何が何でも出る』―。
 痛み止めの注射を打ち、テーピングで固定すれ
打席に立てる。
 それが、松井選手の訴えだった。

 これには長嶋監督以下、コーチ陣も頭を抱えてしまった。
 脇腹といえば、バッターにとっては大切な部分。
 一度痛めると
クセになり打撃フォームを狂わす原因にもなる。

 『できることなら、休んだほうがいい。
  風邪をこじらせた後でもあるし、長期離脱でもしたら、
  それこそ・・・』―。


 その一方で、首脳陣を悩ます問題があった。
 松井選手がそれまで積み上げてきた574試合フルイニング
 出場と、781試合連続出場という記録をどうするか、という
 問題であった。
 できることなら、記録を続けさせてやりたい。
 長嶋監督は悩んだ末、当日の状態を踏まえ、あくまでも
 松井選手の自主性を優先させるという結論を下した。

 松井選手のフリー打撃は、わずか8球で終わった。
 誰の目にも満足なスイングができていないのは明らかだった。
 しかし、松井選手は『いけると思う』と主張。
 長嶋監督をはじめコーチ陣の結論も
 『それでは、いけるところまでいこう』となった。
 スターティングメンバー表には、松井選手の名前を書き込み
 長嶋監督は報道陣に『松井は出ます』と、
 先発出場を告げた。

 しかし、試合開始まで約1時間と迫ったところで、
 松井選手は原(辰徳)野手総合コーチのところにやってくると
 こう申し出た。
 『やっぱり。思い切りスイングが出来ません。
これ以上チームに迷惑はかけられません。
  チーム第一でお願いします』―。

 生まれてはじめての出場辞退だった。
 試合後、松井選手は報道陣に語った。
 『フリー打撃が終わってから、あれこれ自問自答しました。
  いろいろ迷ったけど、最後は自分で出した結論です。
  9回に代打で立ちましたが、あれが精一杯の
  意地でした
』―。

 

 話はアメリカに戻るが、寝違えで首を痛めた松井選手、
 タイガースとのオープン戦をどうしたのだろうか。

 試合開始1時間前、監督室のドアをノック。中に入ると、
 トーレ監督にこう申し出た。
 『申し訳ありませんが、今日の試合を休ませていただけない
  でしょうか』―。
 返事は、もちろんOKである。


 過酷なスケジュールで知られるメジャーリーグ。
 フルシーズンを戦うには、ときには休む勇気、
 自分を抑える勇気が必要だということを、
松井選手はあらためて学んだのだった。
 
 
プロで頑張る新星たち07
2007年09月19日 (水) | 編集 |
 人気・実力ともにスター選手の仲間入りをしたとも言える
 楽天・田中将大投手。
 選んだ道はプロ・アマに分かれても成長過程は同じ。
 プロのエースにインタビューした。
            (報知・高校野球増刊号より)


 ―駒大苫小牧時代はとにかくパワーピッチング。
  150㌔の速球も凄かったが、プロ顔負けのスライダーに
  驚かされた。田中君のストレートはスライダーを生かす為の
  “見せ球”だった?

田中)(即座に)いえいえ、やはりピッチャーは基本は真っ直ぐ。
    この真っ直ぐがあってこその変化球なんで、
    とにかく基本はストレートです。
  
    状況によって変化球が多めになたり、という
    ことはありますけど。

 ―プロ入り後、変化球の球種も増えただろうし、ピッチング内容も
  変わるのは当然。
  高校時代のように、いつも三振狙いとはいかない?

田中)球種が増えたといっても、特に新しく使えるように
    なったのは、ツーシームくらいですか。
    全体的に変化球をバランス良く使えるようになって
    メリハリがついた、ということですか。
    チェンジアップは効果的に使えてます。
  
    それと、ハッキリ言えるのは、打たせて取るのを明確な
    目標にしたこと。だいたい相手は(三振を)狙って取れる
    打者じゃないです。
    ここは三振が欲しい、というところはありますけど。
  

 ―しかし7月にはドラフト制度後の高卒ルーキー4人目の
  前半7勝、史上最速の96イニング2/3で100奪三振。
  さらにオールスター出場と活躍していますが。

田中)高校では通算458奪三振なんですが、もちろんそれとは
    全く別な、ひとつの区切りというだけ。
    (プロでは)ストライクゾーンは微妙に違うし、打者の技術
    なんて、それまでとは別世界です。
    まず、試合の間が長い。どこへ、どう投げればいいんだって
    感じでした。
    でも、今は何も考えず、毎日その日、
    その時に目の前のこと、やるべきことをやるのに
    必死です。調整一つ一つとっても、高校時代とは
    まるで違うでしょ。
    それが楽しい。1年目ですからね。
    先のことなんか考えないし・・・。
  

 ―高校時代からハートの強さ、身体的能力の強さは抜群という
  評価が不動だった。
  自分でもそれは認めるところでしょう?

田中)別に・・・。あまりないです。地道にやってきたし、
    今も地道にやっているだけです。
    ただ、自分の気持ちを前に出す。そのことは大事だと
    思います。
    甲子園の初戦で(駒大苫小牧・香田)監督から
    “チームのみんなが、お前の背中を見て守ってるんだ”
    と言われた時、“よーし”と思い、そういう気持ちに
    なった。気持ちで相手に負けたらそこで終わりです。
    まず気持ちで相手に勝つ。そこから相手に
    向かっていく。
    それが勝利につながる。
    自分の中では、いつもそういう思いがあります。  
  

 ―田中君はいつ頃からプロを意識し始めました?中学の
  卒業文集で目標は甲子園、夢はプロ野球選手と書いたのは
  知っていますか?

田中)ウーン。とにかく小さい頃から考えていました。
   考えというか、そういう意志を持ってやっていましたね。
   野球をやる子って、どこかに夢として(プロになりたい気持ちは)
   持っているでしょうが、夢と意志は違う。
   中学の頃から
   “このままうまくいけば、うまく伸びれば、プロに行けるかも”
   という感じはありましたね。
   別に周りから言われたわけじゃなく、自分の中で感じていた。
   それは(兵庫県の)宝塚ボーイズというチームでやっていて
   そこの指導を受けながら何となく自信というか感じというか。
   (それまでのポジションだった捕手から投手へ転身し)
   ピッチャーとしての基礎、基本を学びながらです。
   このチームにいたからこそ今の自分がある。

 ―そこから駒大苫小牧に進むわけですが、雪や寒さなどで
  練習環境的には、不利と思われる北海道。
  選択肢は他にもあったと思いますが・・・。

田中)ボーイズの指導者から聞いた駒大苫小牧・香田監督の
    指導力、それと中3の春、甲子園で見た駒大苫小牧の
    チームの雰囲気。それに自分が魅力を感じたからです。
    当然、走り込みや基礎体力系の、体をイジメるメニューが多い
    のは分かっていました。
    そりゃぁ、楽しいトレーニングじゃないです。
    だからこそ、“意志”が必要なんです。  
    でも、特に歯を食いしばるみたいに苦しんだ覚えが
    ないんです。
    でも、やっておいた方がいいのは腹筋、
    背筋強化のトレーニングですか。
    これはコツコツやっていました。
    要は自分でやる。
    その気持ちだけです。
  

 ―田中君にとっては“当然のこと”だったかもしれませんが、
  そうした気持ち、努力が早くもプロの世界で成果として
  出ている。フォームやピッチング内容についても、
  厳しくチェックするんでしょう。
  
田中)ま、投げた試合は見ますが、特に自分でチェックと
   いうこともない。
   だいぶ安定したし、固まってきていると思うし・・・。
   プロには見てくれる人が、ちゃんといますしね。

 ―まずは、故障なく、悔いない1年目のシーズンを、
  と祈ります。
  最後にやっぱり“ハンカチ王子”斎藤君に一言エールを。

田中)もうお互いに立つ舞台も立場も違いますから、斎藤クンには
    早稲田の柱として“やるべきこと”を全力でやってくれ
    としか言えません。
    違う舞台、違う立場で野球を盛り上げていきましょう!      
       
不調 松井秀喜先発落ち
2007年09月18日 (火) | 編集 |
 勝利の輪の中に松井はいなかった。
 延長に突入した場合の出番に備えロッカールームで
 体を温めていた。
 大事なレッドソックス戦で初めて、不調が原因で先発を
 外され、代打で待機したものの結局、出番は無し。
 試合後は悔しさを必死に抑えた。

 
 松井は『スランプとは関係ありません。打撃の際には
 痛くないので』というが、
 気になるのは痛めている右ひざの状態だ。
 守備に就いたときには必ず、試合後にアイシング。
 常にサポーターを巻いて生活する状態が続いている。
 突然、痛みを覚えてから3ヶ月近く経過したが、
 腫れは引かない。
 トレーナーの手によって試合前には電気やレーザー、
 超音波などを用いた治療を施されているが、
 『良くも悪くもなっていません』と
 劇的な効果はまだあがっていない。
 もどかしい日々が続く。



 松井が厳しい現状を突きつけられた。
 レッドソックス戦で先発を外されたが、今回の欠場は
 これまでの休養目的とは全く意味合いの違うものだ。
 戦力的判断からの先発落ちだった。
 ポサダを指名打者で起用する為、押し出される形で
 左翼をデーモンと争うことになった。
 その結果、9月に入っての大不振もありトーリ監督は
 松井を外し、デーモンを選択した。
 この時点で松井は、これまでのレギュラーとしての
 保障を失ったということになる。

 これがポサダのケガによる一過的なものかといえば、
 そうとも言えない。
 プレーオフ進出をかけた残りシーズン、
 ポストシーズンに進めば、ますます1敗の重みの
 増したゲームが続く。
 その中で松井の価値を指揮官がどう値踏みするか。
 現実的なことをひとつ言えば、もはや松井より
 若手のカブレラの方が、守備力を含めチームで不動の
 地位を築いている。
 
 ここにきて調子の上がってきたジアンビが
 指名打者に固定されれば、左翼でデーモンとの争いに
 勝つしか松井に生き残る道はない。
 怖いのは、プレーオフに進出したものの、
 代打要員としてベンチを温めるという屈辱の
 シチュエーション。
 それがあながち、ないとはいえない状況になって
 いることを、この日の先発落ちは突きつけた。


 疲れからバットの振りが鈍い。
 思い切って2,3試合休む方が、得策かもしれない。
 しかし、その間にデーモンがガンガン打ってしまえば・・・。
 
 ポジションを空けて、待っていてはくれない。
 それがメジャーなのだ。

  サンケイスポーツ9/18付け『球界インサイドリポート』
              鷲田康氏(スポーツジャーナリスト) 
原点は木内野球・スター選手無しにどう勝つか
2007年09月17日 (月) | 編集 |
 他人とは違う自分の長所を知り、それを磨く自分の頭で
 考え、努力しなければ生き残れない―。

 高校生ドラフトを前に、ある雑誌で企画されていた
 『みんなが夢見るプロ野球の世界甘くはないよ、
  こういう所です』より
 プロ経験者のインタビューを今回は採り上げてみました。
 
 最近、プロ野球の世界を経験した選手が教諭となって
 アマ資格を取得し、高校野球の指導に当たるケースが
 増えてきています。
 パ・リーグの盗塁王に輝いたことのある
 東洋大牛久・大野久監督。
 経験者ならではの話を載せてみたいと思います。


 『高校の指導者をしていて、やはり木内さん
  (幸男=取手二、常総学院監督)の影響を受けているな、
  と思っています。
  当時、ウエートトレーニングはしなかったのですが、
  今も嫌いで選手にはさせていません。
  高校時代はボールを遠くへ飛ばすことなど、
  あまり考えませんでした。それよりも例えば試合前の
  ノックを見て、「このチームはサードが穴だ」とか
  「ボール回し下手だな」とか相手のスキを探し、
  「じゃぁ、こう攻めていこう」と考えたものです。
  ずば抜けた選手のいない中、どう戦うかを
  教わりました。
  私の高校時代、部員は30人ほど。
  選手がたくさんいない中で戦うには、
  「この選手はこういう特長がある。だからこういう
   野球をさせよう」と考えるしかない。
  その為に木内監督は365日、隅から隅まで選手を
  見ていました。
  観察力、洞察力の集大成を試合で披露しているのだと
  思います。
  東洋大牛久の選手たちにも、自分の経験は話します。
  ただし、「自分の時はこうだった」と押し付けると
  今の生徒たちは
  「オレたちは違う。先生の時はそうだったかも
   しれないけど」と
  そっぽを向かれていまいます(笑)。
  どう伝えていくかですね』―。
  


 
21年目の極意は“脱力”にあり(2)
2007年09月16日 (日) | 編集 |
 たまたまではないホームラン―。
 今季、山崎をここまでの成績に導いたのは、
 5月2日、ソフトバンクの和田毅から放った、
 2打席連続ホームランだった。
 『彼との対戦では、それまで全く打てて
  いなかったんです。だから、どうせなら違うことを
  やろうと思って打席に入ったんです。
  簡単に言うと“力を抜いて”・・・。
  僕はバッティングが固いので、とにかくグニャグニャ
  にして打ってやろうと思って。
  力を抜いて、ポンとバットに当てようという
  ということしか考えなかったんです。
  ホームランになったのは、たまたまでしたけど、
  コツを掴んだような感覚がありましたね。
  それからですね、コンスタントにホームランが
  出るようになったのは。
  力を入れてギュ―ッと打つホームランも
  ありますけど、それじゃ限界があるんですよね。
  自分の中の6、7割くらいでパコーンと打って、
  ドーンと飛んでいくのが最高のバッティングの
  イメージです』―。

 山崎には、今でも忘れられない最高の感覚の
 ホームランがある。
 ホームラン王のタイトルを獲った
 96年の7月12日、ナゴヤ球場での中日対阪神戦。
 相手投手は現在セ・リーグ審判を務める
 嶋田哲也であった。
 
 『とにかく僕は力を抜いてホームランを打ちたい
  んですよ。それは今も昔も変わらない。
  その時は特に、半端じゃなく力を抜いたんです。
  それでも当たりは弾丸ライナーでいい角度で。
  みんなは普通のホームランだと思っているけど、
  僕のなかでは究極のホームランだったんです』―。


 和田から放ったホームランは、究極のイメージを
 再現したものであった。


 しかし、96年の自分に近づいているかとの問いを
 山崎は言下に否定した。
 『全然なっていないんです。あの時とは全く違う
  人間ですもん。考え方や野球に対する気持ちが違う。
  あの時は切羽詰った感じはなかったんですけど、
  今は正直言って、あと数年しか野球をやれない
  と思っている。どういうふうに野球人生を
  締め括っていくかという段階なんです。
  僕が抜けた後の若い選手を育てる部分も
  考えなきゃいけない。
  中日時代はそんなこと欠片も考えて
  いなかったんですけどね』―。


 
 8月4日、気温30度を越す蒸し暑い仙台で、
 楽天はソフトバンクと対戦した。
 コーチ陣は試合までに山崎のスタメン落ちを監督に
 進言したが、野村監督は
 『こういう時ほど、アイツのクソったれ根性が
  必要なんだ』と
 スタメンに起用した。
 ソフトバンクの先発は杉内俊哉。
 山崎は今季11打数0安打と完全に抑え込まれていた。
 1点をリードされた4回裏に、山崎は逆転の3ランを
 放った。
 『今季ホームランの中で、一番嬉しい当たり。
  力を抜いて打ったつもりだけど完全じゃない。
  力が入ってしまうのは、まだまだ小僧ってこと』―。

 力が抜け切れるのはいつだろうか。
 山崎に円熟期が訪れるのは、意外としばらく先に
 なるのかもしれない。
  
『負荷軽減+力強さ』新スパイクで足固め
2007年09月16日 (日) | 編集 |
 レッドソックス・松坂大輔投手(27)の
 “新兵器”が明らかになった。
 ナイキ社開発の特殊反発素材が埋め込まれたスパイクで、
 日本人選手では松坂が初めて使用。
 

 『下半身の負担を軽減し、体重による負荷を
  エネルギーに変えるよう開発されたものです』―。
 PR担当者がコンセプトを説明。
 メジャー移籍時に採用した9本歯
 (かかと3本、前部6本)、足首まで保護する
 ミッドカットという部分は変わらないが、
 注目はかかと部分の素材だ。
 今までは足裏部分にエア(空気)が注入され、
 クッション性重視だったが、今回は同個所に4本の
 バネ状の特殊高反発スポンジが埋め込まれている。
 これにより『負荷軽減+力強さ』という
 同時作用が働くことになる。


 シーズン終盤を終え、下半身に疲れも見える松坂。
 このスパイクが、新しいエネルギーを与えてくれる
 わけだ。
 すでに8月末から使用。
 まだ十分な効果は出ていないが、
 新スパイクの力を借りて、最後まで投げ抜く!!
21年目の極意は“脱力”にあり(1)
2007年09月14日 (金) | 編集 |
 『楽天に入るまで、バッティングに関してはあまり
  考えたことがなかったんですよ。とりあえず、
  ボールに体ごとぶつけてバットを振って、
  来た球を打てばいいかな、って』―。
 楽天・山崎武司は屈託なく笑う。

 38歳、21年目にして、目下パ・リーグ本塁打
 ランキングトップ。
 さらにプロ野球史上、最年長本塁打数を更新し続けて
 いる。21年の間に中日、オリックスでも働いたが、
 いずれの球団も首脳陣との確執を原因に引退。
 人間不信に陥り、野球から身を退こうとしていた
 山崎に声を掛けたのが、やはり現役時代に同様の
 経験を持つ、楽天の初代監督・田尾安志だった。

 『田尾監督の1年目に「バッティングそのものを
  考え直さないと、お前使えんぞ」と、
  さんざん言われたんです。ですから後ろ足に
  しっかり体重をためて打つということをキャンプ
  から取り入れたんです。田尾監督にバッティング
  というものを教えてもらいながらね。でもねぇ、
  開幕当初は泣かず飛ばずでした。
  しっくりこねえなぁと思っていたんですけど、
  こっちはクビになって楽天に来ているわけだし、
  現状のままだったら次はない。
  どうせならやってみようと。
  5月半ばになって、こんな感じだな、というのが
  掴めました。
  死に掛けていた僕が25本ホームランを打って、
  4番も打たせてもらった』―。

 また野球が楽しくなった。
 しかし、そのきっかけを与えてくれた田尾は1年で
 更迭され、後任に野村克也監督が決まった。
 『初めは厄介だな、と思いましたよ(笑)。
  野村監督は僕みたいなタイプを一番嫌うんじゃ
  ないかと思って。
  そんな思いのままキャンプに入りましたけど、
  僕ずーっと監督としゃべりませんでした。
  監督、初日に僕を見て
  「ズボンの裾が長い、コケたら罰金だ」なんて
  記者に言ってたんです』―。

 二人が会話を持ったきっかけは、紅白戦後の
 ミーティングに山崎がいなかったと思い込んだ、
 野村の些細な勘違いだった。
 『お前は態度が悪い、という話しから始まって
  「見栄えも悪い、俺の若いときによく似とる。
   勘違いされることが多いからな。
   俺がちゃんとチェックしてるからしっかりやれ」
  と。そこからですね、監督との本当の出会いは』―。
 野村の代名詞とも言える“知の力”は、
 ベテランにも役立つことばかりだった。


 『監督がいつも言うのは、技術で補えるのは限界がある
  ということです。試合のときにはアドバイスは
  そうはないんですけど、監督が若い選手に話している
  のに聞き耳立てたりしています。
  キャッチャーがバッターを観察しているのを
  逆手にとる、なんていう駆け引きを教わりました。
  20年以上野球をやっていて、分かってた部分も
  あるけど、やらなかった自分がいました』―。


 山崎にとって幸運だったのは、田尾の次に野村との邂逅
 (かいこう)があったことだ。
 出会う順序が逆だったら、これほど素直にアドバイスに
 耳を傾けられていただろうか。
 田尾によって野球を楽しむ気持ちと、バッティングを
 取り戻したところで、野村の応用編が始まったのだ。



 今年、量産するホームランについて、技術的に変わった
 ところは、ほとんどないという。
 『今年に関してはやっぱり“思い切り”ですね。
  (ホームランだけでなく)三振もリーグ2位くらい
  なんで、まあ1位とどっこいどっこい。
  でも野村監督には三振については、あまり言われない
  んです。思い切っていけと。
  意外かもしれませんが、僕、基本的に三振するのは
  嫌なんです。だからこそ、三振でもええという
  気持ちを持ってて、バッターボックスではすごく
  楽しいですね。もし池山(隆寛)コーチに何か
  言われたら、「池山さんより三振はしていない」と
  言うつもりです(笑)』―。


 山崎がこれまでぶつかってきた首脳陣は、
 三振を嫌うタイプが多かった。
 『そうですね。だから近年は、気持ちが消極的になって
  いたところもあると思います。でも野村監督は
  そういうことは言わない。
  現時点では思い切ってスイングしろとだけ言われて
  いるので、少しホームランが増えてきてるんだと
  思います』―。

 今季初ホームランは、3月25日開幕2戦目に
 西武の岩崎哲也から放ったものだった。
 『開幕試合は僕だけ蚊帳の外だったんです。
  どうなるのかと思いましたよ。
  キャンプもオープン戦も順調で、いつか調子が
  下がるんじゃないかという恐れを抱いていたん
  ですけど、それが開幕になっちゃって。
  危機感があったから、あのホームランではまったく
  安心できなかった。それにあれは、
  たまたまのホームランでしたからね』―。

                       (続く) 

  

 
 
どんな凡打を打っても凄みだけが印象として残る中田翔(2)
2007年09月13日 (木) | 編集 |
 バッティング面での開眼も、全てがうまくいっていた
 わけではない。
 予選での4試合連続の5本塁打も、実は大会序盤での
 出来事で、戦いが進むにつれ、中田は大会の独特な
 雰囲気に飲み込まれていった。
 投手の時とは違い、注目されながら結果を残していく
 という経験が乏しかった彼は、経験不足の不安と
 加速していくメディアの期待との狭間で、日々、
 追い込まれた。

 『投げて抑えることでリズムをつかんでいた選手でした
  から、全てが未体験の世界で苦しかったと思います』―。
 と、西谷監督は言う。
 その象徴的な試合が、甲子園2回戦の早稲田実戦だった。
 中田は斎藤佑樹に3三振を喫し、『王子』の見事な
 適役を演じることとなった。

 『バッターボックスで余裕が無くなってしまうと、
  考えられないボールまで振ってしまう』―。
 と、中田は語った。
 練習でできたものが試合で出る時と、出ない時がある。
 ここが『投手・中田』と『打者・中田』の
 大きな違いだった。


 とはいうものの、中田の規格外の打撃を疑うものは
 いなかった。それほど彼の放つ大人びた打球には、
 それを見た物にしか分からない凄みがあった。
 驚いて舌を巻くというより、顔がほころぶ。
 驚嘆を越えて、それが幸福感へと移り変わっていくのが
 自分でも分かるのだ。
 だから、中田がどんな凡打を打ったとしても、
 凄みだけが印象に残るのである。

 2年秋からはピッチャーとしての活動も再開したが、
 なかなか全力投球ができない。
 近畿大会で復帰し、2試合に登板するも、2試合目は
 途中降板。このとき、またも右肘に痛みが走ったという。
 一方で、バッティングは絶好調で、近畿大会で
 放った170㍍弾をはじめ、メディアは中田の打棒を
 多く取り上げ、中田自身もその波に乗った。
 新チーム結成後の公式戦12試合で11本塁打を放ち
 自信を掴んだ後は、多くのメディアを通して
 『バッティングでの活躍』を宣言するまでに
 なっていたのだ。
 逆に、ピッチングの事を語ろうとしない中田は、
 ピッチャーを諦めたのか・・・。
 そう感じたほどだった。

 しかし、今春センバツ、大会を目前にした甲子園練習を
 終えると、彼の意識に変化が表れた。
 西谷監督の下へ行き、『投げたい』と言い出したのだ。
 休んでいたとはいえ、調子が良い時に限り、
 ピッチング練習を続けていた中田は、春の訪れと
 甲子園のマウンドに焦がれ、投手への想いを
 再燃させたのだ。

 センバツでは2試合に先発。球速が絶頂期から10㌔も
 下回り、変化球も肘に負担の掛からないボールしか
 投げられなかったが、見事にゲームを作った。
 調整不足でも、まとめられるピッチングセンスに、
 投手としての才能を改めて確認した。

 
 5月、右肘が完治した彼はようやく全力投球を再開させた。
 週を追うごとに上がって行くピッチングの状態。
 ストレートは140㌔台後半を計測し、彼の代名詞
 でもあったスライダーもキレを取り戻した。
 5月末の練習試合では初完投。
 一方、打つ方では、一時期のスランプもあったが、
 それを乗り越え、同じ試合で通算80本塁打を記録。
 以後、マスコミの連日のプレッシャーを受けながらも、
 大阪府大会を前にした最後の練習試合でついに
 87本塁打の高校通算記録を達成した。

 『注目してくれることが、自分の力になりました。
  スランプがあってこそ、打てたと思います。
  自分のバッティングのレベルはまだ低い方だと
  思うけど、本塁打数が1位になったことを
  自信にしていきたい』―。
 乗り越えた大きな壁、中田は満を持して夏の舞台へ
 照準を合わせた。


 最後の夏、メディアは連日、本塁打の様子を気に掛けたが
 中田がその存在を確かに見せたのは投手としての姿。
 150㌔近いストレート、縦・横のスライダー、そして
 カーブ。特にこの大会で冴えわたったスライダーは、
 元々彼が持つイメージとの間に大きなギャップを生み、
 打者を混乱に陥れた。
 『相手は僕が直球を投げてくれると思い込んでいると
  思ったので、スライダーを多投した』―。
 3回戦の交野戦では5回参考記録ながら完全試合を達成。
 4回戦では優勝候補のライバルのひとつ東海大仰星を
 完封。5回戦では履正社、準決勝では北陽と、
 完投こそ逃したものの、強豪を次々と封じ込めたのだ。
 『中田が輝く場所はマウンド』と指揮官が話したことが
 あったが、まさにそう思わせるこの夏の活躍ぶりだった。

 今大会は6月に傷めた股関節の故障もあって
 バッティングが不調だっただけに、『投手・中田』の
 活躍は際立って見えた。
 それが結局は本人に投手への想いを呼び覚ませるキッカケ
 となったのだろう。
 決勝戦を前に、中田は『投げ勝ちたい』と誓うように
 なった。大会前に『打の活躍』を誓っていた彼の
 心情の変化を映し出している。

 しかしこの夏、中田は甲子園にその姿を見せることが
 できなかった。
 今後、彼が投手として挑戦すべきなのか、
 打者として挑戦すべきなのか、分からない。
 本人も迷っているだろう。
 だが、これだけは言える。
 『エースで4番』の存在が珍しくなった今の時代、
 そこに挑戦したことに、中田翔の価値があったのでは
 ないかと。

 1年夏の、あの衝撃をもう一度―。
 『高卒でプロに行って、すぐに活躍したい』
 中田を取材し始めてから、何度も聞いたその言葉を
 私は忘れない。


  『スポーツ・グラフィック ナンバー 685』より。

 
甲子園が産んだ怪物(1)
2007年09月12日 (水) | 編集 |
 この夏、高校通算本塁打記録を『87』に塗り替え、
 バッターとして騒がれた中田翔だが、彼がマスコミの前に
 初めて登場した時、最初に印象付けたのは『投手・中田』の
 姿だった。
 ところが、2年春に右肘を故障してからというもの
 かれに付けられたイメージは、『清原以来』と称される
 ホームランバッターとしての姿。
 昨年秋に、投手として復活を果たしたものの、
 思うように肘は回復せず、自分の気持ちとは裏腹に上昇する
 『打者株』に、中田は投手への想いを封印してきたのだ。
 この夏の大会前も
 『上の世界では、バッターとして勝負したい』と
 公言するようになっていった。
 だからこそ、甲子園への夢が破れ、次なるステージへ
 進む中田が『投手』の選択肢を語ったことは、
 長らく封印してきた投手への想いを再燃させたという
 意思表示だった。
 入学時の中田の投手としての凄みを知っていた記者たちは、
 それに安堵したのだ。
  


 この3年間の中田のハイライトシーンといえば、
 1年夏の甲子園1回戦・春日部共栄戦だろう。
 5番を任されていた中田は、乱調のエース辻内を助け、
 5回途中から登板。
 146㌔のストレートを武器に4回1/3を1失点に
 抑えた。さらに、7回には勝ち越しとなる130m弾を
 左中間スタンドにぶち込んだ。

 『マウンドで投げたいと思っていた。僕の持ち味は
  思い切り行くということなので、思い切りいきました。
  ホームランは思い切り振って、パッと見たら
  入っていました』ー。
  
 試合後、中田はそう語った。
 投げて『松坂』、打って『清原』クラスの逸材と、
 誰もが色めき立った。

 だが、それと同時に『投手・中田』と『打者・中田』の
 どちらが本物なのか、どちらでプロの世界で挑戦して
 いくべきなのか、あちこちで、騒がれるようになった
 のも、この頃からだった。

 
 中田を指導する大阪桐蔭・西谷浩一監督は、
 どちらをも評価した。
 『今までウチに来た投手の中では間違いなく
  ナンバーワンです』
 『たくさんの選手を見てきましたけど、パワーだけなら
  桁外れに一番の打者です』
 この10年で13人のプロ野球選手を輩出している
 大阪桐蔭にあっても、中田は投打どちらをとっても
 秀でた存在と西谷監督は評す。
 
 ただ、そう話す指揮官は投打に才のある彼から、
 どちらを棄てさせるという考えは最初からない。  
 『よく言うのですが、僕は中田がピッチャーであるべきか
  バッターであるべきかという考えを持っていないんです。
  入学してきた時から『エースで4番』になるための
  プログラムを作ってきました』ー。

 とはいえ、『エースで4番』というポジションが簡単に
 こなせるポジションかというと、そうではない。
 80年の歴史を誇るプロ野球においても、
 海の向こうのメジャーリーグにおいても、今、そんな
 『どあつかましい』ポジションを担っている選手は
 いない。それだけ、同時に全うすることが難しい
 ポジションなのだ。
  
 少年野球ならザラにあるポジションなのに、それが、
 成長していくにつれて減っていく。
 このポジションに求められるものが、年代を経るに
 つれて重くなるからだが、実際、高校野球までが限界
 だろう。しかも、その高校野球ですら、最近の
 『エースで4番』は形だけのものが多い。
 投打ともに高水準を保ったままの選手が
 いないのが、現状だ。

 だが、少年野球の観点に立ち返って考えてみると、
 『エースで4番』の概念は実に明瞭である。
 一番野球が上手な選手が、ピッチャーをやり、4番を打つ。
 マウンドに立つものは元来、運動能力に長け、
 それだけの精神力も備えている。
 王貞治しかり、桑田真澄しかり、松坂大輔しかり。
 田中将大も、斉藤佑樹の打撃も非凡だった。
 マウンドに立つ人間には、野球選手としての優れた
 ポテンシャルが備わっているはずなのだ。
 中田も同じである。
  
 チームメイトの丸山貴司主将が証言する。
 『投げても打っても、すごいんですけど、入学して
  一番驚いたのが、意外に足が速いんです。
  運動能力が高いんです。打って投げて守って走れる選手
  なんです』―。

 中田こそ『エースで4番』を成し得る男。
 西谷監督はそこを目指したのだ。
 1年秋の新チーム結成以降、実質的に『エースで4番』
 というポジションを中田に用意し、誰もが成し遂げなかった
 『投打の怪物』育成を実戦しようとしたのだ。
 高校2年の春、中田は最速151㌔を投げ、
 本塁打も36本を記録。松坂と清原を一人で演じる、
 彼はその道を確かに歩もうとしていた。


 中田は元々、投打共に自信を持っていたわけではない。
 どれだけ両面で騒がれても、入学当初から、
  
 『僕はバッターというより、ピッチャー。
  投手として注目してもらって、ここに来た』と
 話していた。
 
 それは西谷監督も同じで、中学時代の中田を初めて
 見た時、『こんな中学生がいるんか』と驚いたのは
 打棒の方ではなく、投球の方だった。
 実際、中田自身の野球への想いは常に、ピッチングに
 向いていた。ことピッチングに関しては、人一倍の
 こだわりを持っていたし、投打のどの部分を比較しても
 打者にはなくて投手にしかない物が、中田には多かった。

 それは、こだわり、勝負勘、粘り、繊細さ、経験、
 修正能力、度胸といったものだった。
 野球選手としてのプラス要素は全て、投手の能力に
 備わっていたのだ。
前出の丸山は言う。
 『繊細さと豪快さを兼ね備えた投手。ピッチャーとしての
  弱点が全くないですね』―。

 ピンチになると、簡単に追い込むし、大きなリードをする
 走者がいれば、必ず刺す。バントヒットも許さないし、
 カバーも怠らない。
 『投手・中田』にスキはなかった。


 そんな時、中田に右肘の故障という転機が訪れた。
 大阪府大会準決勝の浪速戦で故障し、それから約6ヶ月の
 間、投手から離れることとなる。
 故障をしたのが5月だったから、7月になっても
 投げられない状況が続いたのは、もはや重症といえた。
 結局、高校2年の夏は、投手としての活躍を断念。
 それまで『ピッチングのついで』だったバッティングに
 より結果を求めていくことになる。


 ピッチングに向いていたものをバッティングに向けていく。
 そう意識を変えただけで、中田は本塁打を量産。
 年間51本塁打の驚異的な数字で、
 打者としての才能を開花させた。
  
 バッターボックスでの風格、放たれる大人びた弾道。
 ファンは、メディアは、スカウトは、『打者・中田』に
 多くの期待を寄せるようになった。
  
 2年夏は大阪府大会で4試合連続の5本塁打。
 甲子園1回戦の横浜戦では、観客の度肝を抜く、
 バックスクリーン左への140m弾。
 バッティングへの注目は日増しに増え、投げられない
 期間が長引くほど、中田はバッターとして
 表現されるようになった。

                  (続く)
       
  
 
 
 
イチローは野球選手の鑑
2007年09月11日 (火) | 編集 |
 カネやんの『ワシの話を聞きなさい』より。
 
 ―1週間前になってしまいましたが、
  イチローが7年連続200安打を達成しました。

カネやん)(目をカッと見開いて)それよ。ワシが一番
     話したかったのは。
     簡単にヒット200本というけど、7年続けるなんて
     今後二度と出てこないんじゃないか。
     あの体で(球威のあるメジャー投手の)あの球を
     跳ね返す。体を全て使って打てるからできる業だ。
     本当に頭が下がるね。
     野球選手の鑑だ。
  

 ―金田さんにも「14年連続20勝」という記録がありました。
 
カネやん)だからこそ、イチローの偉大さが分かるのよ。
     ワシの場合は、毎年のように20勝する別所さんが
     先におられて『オマエらに、オレの記録が破れるわけ
     がない』と挑発された。
     だからこそ『絶対に破ってやる!』と
     必死になれたんや。
     ある年なんか、最後の最後まで19勝だったけれど、
     『これができなかったら、ワシは終わってしまう』
     と必死で踏ん張った。
     だけど、イチローには別所さんみたいな存在が
     おらんやろ。

 ―イチローは来季「8年連続」の大リーグ記録に挑みます。

カネやん)記録を持っとるのは、墓場の中の人
     (1894ー1901年のウィリー・キーラー
     だってな。それを掘り返して蘇らせるんだから、
     (キーラーの)一族の人も喜んでくれるだろう。
     イチローは野球界の先祖孝行をしとる。
     世界で二人といない大切な選手だね。 
 


 そして日本時間10日、タイガース戦で新たな偉業を。
 4得点(3安打、1打点)をマークし、新人年から
 7年連続の100得点を記録。
 自身が目標に掲げる
 『200安打、100得点、30盗塁』を
 今季も全てクリアし、7度目の達成でメジャー記録を
 塗り替えた。  


 決して、都合のいい数字を集めたわけではない。
 いずれもリードオフマンを評価する代表的なカテゴリー。
 それをマリナーズ入団の01年から7年連続で
 クリアしたのだ。
 救聖と呼ばれたタイ・カッブ(元タイガース)、
 8年連続200安打の記録を持つウィリー・キーラー
 (元オリオールズ)が持つ
 「200安打&100得点&30盗塁」の達成回数を
 あっさりと塗り替えてしまった。
 往年の名選手の名前をまたも蘇らせた。
 昨季、伝説的な両選手とこの記録回数ですでに
 肩を並べていたが、これで、2人を抜き去って
 唯一の存在に。
 『まあ、1個片付いた感じ』と
 狙っていた数字であったことを明かした。

 日本から来た天才打者が、またひとつ、
 メジャーの歴史にその名を刻み込んだ。  
最後の最後は技術じゃない。やっぱり精神力だと思います。
2007年09月10日 (月) | 編集 |
 紀藤コーチ(楽天)は、田中将大の球種の豊富さや、
 プロで経験を積むことによって期待できる技術的な
 上積み以外の魅力にも着目している。

 田中の初勝利は、4度目の登板となった4月18日。
 紀藤が強調するのは、その相手がデビュー戦でメッタ打ちに
 された、ソフトバンクだったこと。
  
 『プロ野球選手としての第一条件は“やられたらやり返す”
  という気持ち。
  
  やられっぱなしじゃ、絶対この世界では生きられない。
  アイツの中では「またやられるかもしれない」という
  恐怖心と「今度は抑えなくちゃならない」という葛藤で、
  相当なプレッシャーがあったと思います。
  特に鳴り物入りで入ってきているわけだし。
  それに打ち克ったことは、やっぱり精神力の強さだと
  思います』―。


 田中が勝った試合を見ていくと、大事な場面で必ず厳しい
 コースにボールを投げ込んでいる。
  
 例えば二死満塁。
 カウントツースリー。
 そういう勝負所で、最高のボールが投げられる。  
 たまたまそこに行っているのではない。
 キャッチャーが構えたミットにボールが収まるということは、
 そこに狙い通りに投げている、ということだ。
  
 田中は言う。
 『それは高校時代からずっと続けていることで、
  ピンチでの粘り強さや、ここぞという時に一番力が出せる。
  気持ちの持ちようですね。
  
  ピンチになればなるほど、アドレナリンというか
  そういうものがすごい出てくるのが自分で分かるし、
  とりあえず、もう本当に相手に向かっていくだけですね。  
  でも、そういう時に限っていい球が行くんですよ。
  だから最後の最後だと、技術はあんまり関係ないんじゃ
  ないですか。
  ピッチャーはやっぱり一番精神力が重要じゃないかと
  思うんです。気持ちの強さは、もう絶対に負けない
  っていうふうに思ってやっています』―。


 精神的な強さは、田中の不思議な勝負運にもつながる。
 8月3日のソフトバンク戦、先発した田中は4回までに
 5失点しながら、打線の援護で逆転勝ちし、9勝目を挙げた。
 試合後のインタビュー、野村監督は おどけるように
 『マー君、神の子、不思議な子』と声を弾ませた。

 この試合に象徴されるように、田中が登板した試合では、
 楽天の打線はよく打つ。
 決して対戦相手のレベルが落ちるわけではない。
 ソフトバンクの杉内俊哉や和田毅といった、エース級と
 投げ合っているのだ。
 紀藤もこんなことを話してくれた。
 『やはり打者に対する気持ちが出ているからですよ。
  後ろで守っている野手も、18歳のプロ1年生が、
  カブレラや松中のような強力な打者に対して、一生懸命、
  全力で立ち向かって行く姿を見たら、なんとかしてやろう
  と思いますよ。それが人間の感情じゃないですか』―。


 田中はよくマウンド上で咆える。
 会心の1球で打者を打ち取ると、握り拳を作って、
 荒々しい表情で『ウォー』と声にならない声を挙げる。
 今ではそれが田中のある球のパフォーマンスになっている。
 『もちろん、投げている試合は全部勝つつもりでやって
  いるんで。初めから負けると思って投げてなんかないですし
  それだけの決意を持ってマウンドに上がっているから
  自然に気持ちが表に出てしまうんですよ』―。
 ただし、本間は
 『ああやって叫んだりするけど、実際は冷静というか
  よく周りが見えていましたね』とも話している。
 その言葉を伝えると、田中は手の内を読まれたかのように
 『内心は冷静ですよ。冷静ですけど、強く行く所は強く
  行かないとダメだし、冷静に状況というものは
  いつでも見られるように、と』―。
 照れながら打ち明けてくれた。


 『今までのプロ野球選手にはいなかったタイプの投手』  
 紀藤は田中をそう表現する。
 真っ直ぐで押せるし、変化球でかわすことも出来る。
 そして、ここぞという時にはビシッとそこに投げられる
 勝負強さ。精神的にも強い。
 
 インタビューでよく『目標とする投手は?』と聞かれると
 口ごもるのは、やはり本当にいないからなのだろう。
 田中は将来像についてこう語る。
 『3年先とか5年先とか、正直そこまであんまり考えていない
  んで。とりあえず、今できることや課題、たとえばバランス
  だったり、クイックだったり、フォアボールを少なくする
  とか、そういうものを考えながらやっていくだけですね。
  もちろん試合の中で課題が出るのは良くないですけど、
  課題があるってことは、まだまだ良くなるってこと
  でしょうし。そこを改善していけば、と思っています』―。
 

 『自分としては白紙の状態から始めたんで、ここまで
  これるなんてまず思ってなかったですけど・・・。
  自分の中では、二桁勝利っていうと、良いピッチャーと
  いうか、まあ、一流でもないですけど、結果的にはいい数字に
  持っていけたらいいかなと思っています。
  でも本当にそこまで欲はないんです。
  一戦一戦、自分のピッチングを全力で、そしてチームの
  勝ちに貢献するだけっていうふうに今は思っているんで。
  何勝したかよりも、一戦一戦、成長していくことだと
  思います』―。


 一昨年夏、田中は甲子園で鮮烈なデビューを飾った高校2年生の
 頃のピッチングを取り戻そうと、人知れず悩んだことが
 あったという。
 『その時に戻そう戻そうとして・・・。でも、プロに入った
  今は、もう意識することはなくなりました』―。
 田中はすでに、新たな高みを目指して歩み始めている。
 

 『末恐ろしいですよ。今後どうなっていくのか』―。
 紀藤がふと漏らしたその言葉が、今の田中の魅力を
 言い表している。
 やはり怪物だった。
 田中は、甲子園で与えた以上のインパクトを、
 プロ野球で与えていくに違いない。 
 

怪童の進化
2007年09月10日 (月) | 編集 |
 『今の自分は、まだ変化球ピッチャーです。本格派って、多分
  真っ直ぐのスピードだけで言われていると思うんですよ。
  だけど実際には中身が伴っていないんで。
  高校の時も、真っ直ぐはそんなに通用していません。
  三振はほとんどスライダーとかの変化球でした。
  自分に無い物を求めていくのが人間だと思うし、
  そりゃーピッチャーですから、速い球を投げたいという
  気持ちはありますよ。
  でも、今の僕のボールじゃ無理です』―。
 田中将大投手(楽天)は、自身の投球スタイルを
 こう考えている。
  

 しかし、まがりなりにも150㌔を越える田中のストレートの、
 一体何が足りないというのか?

 『ボールの質です。藤川球児(阪神)さんとクルーンの
  真っ直ぐは、見比べても全然違うでしょう。
  クルーンの方がスピードガンの表示では出ていますけど、
  藤川さんの方が速く見えますから。
  やっぱりバッターが見て速く思われないと、バットに
  当てられるし、変化球にも対応されてしまう』―。

 
 プロ入り後の田中を一番近くで見てきた紀藤コーチも
 『ストレートに関しては、岩隈の方が上です』と言い切る。
 楽天の現エース岩隈久志のストレートは145㌔前後。
 スピードガンの数字上では、むしろ田中の方が
 速い球を投げている。
 それでも、岩隈はストレートで空振りを取れる。
 田中はなかなか取れない。この差はいったい―。


 『ボールのキレの差です。その投手の特徴ですね。
  投げ方とか、関節の柔らかさとかから生じる。
  ほとんどが生まれ持ったものです』―。
  
 紀藤はこんな説明もしてくれた。
 投手はその投げ方で『肩ピッチャー』と『肘ピッチャー』に
 分類される。
  
 肩を可動させてブワーンと腕を大きく振って投げるのが
 『肩ピッチャー』。
  
 一方、肘ピッチャーというのは、体幹と肘のしなりを利用して
 ピューンという感じで投げ込む。
  
 岩隈は典型的な肘ピッチャー。
 肘をうまく使うから、ボールのスピンが多い。
 だからキレが良い。
  
 逆に肩ピッチャーは、ボールが重くて、ズドーンと来る。
 かつての中日のエース小松辰雄がそうだった。
 言い換えれば、剛速球と快速球の違いともいえる。


 『田中は今のところ、両方の要素を持っています。
  ただ、ちょっと肩系かな。肩で投げる投手というのは、
  ある程度体を早く開かないと、腕を振れないんです。
  その分、打者からは見やすくなる面がある。
  でも、これから投げ続けていくことで、フォームの中の
  ムダなものを排除できるようになるんです。
  1年間通して長いイニングを投げると、どうしても
  体に負担が掛かりますから。体の軸でちゃんと投げられる
  ようになれば、腕の回転も速くなる』―。


 スピードとはイコール腕の振りの速さであり、
 単なる腕力ではない。
 そういうムダのないフォームをマスターすることで、
 体への負担も軽くなるし、スピードそのものも上がってくる。
 キレも出てくると考えられる。
もっとも、
 『今、田中に教えても、何のことかサッパリ分からない
  でしょうね』と紀藤は笑う。
 『僕が20年以上プロやってきて身に付いたフォームの感覚を
  まだプロで1年もやっていない18歳の子に、
  いきなり植えつけるのは無理がある。
  僕らは教えるのが仕事ですが、
  何でもかんでも教えてしまったら、自分で考えなくなる。
  だからあえて言わないんですよ』―。


 田中にも同じ認識がある。
 『確かに投げ方とか、体の使い方を変えていかないとダメだと
  思います。一軍で投げながら、常にもっとこうしたらいい
  のかなと自分の中で追求していっています』―。


 ストレートを磨いていくことは大きな課題になっている。
 しかし、田中には現状のストレートの物足りなさを補って
 あまりある武器がある。
 それが球種の多さだ。
  
 紀藤にとっても、田中の球種の豊富さは意外なことでは
 なかったという。
 『甲子園時代から、一つ一つのボールは十分プロでやれる
  レベルだと思っていました。そういう高校生って、
  田中以外にも結構いますが、球種が限られているんです。
  球種が1つ2つじゃまだまだ二流の投手。
  しかし田中は高校の時点で、ストレートとスライダーは
  プロの一軍レベルのものを持っていた。
  そこにフォークボールが投げられる。
  チェンジアップもある。
  もう4種類です。
  球種的には、エースになっておかしくない素材です。
  これが全部良くなって、はじめてエースになれる。
  そういう段階を踏んでいる投手です』―。


 田中の飲み込みの早さは、高校時代から顕著だった。
 駒大苫小牧では、投手はキャッチボールの時に
 変化球を遊びで投げて練習する。
 特に田中は新しい変化球の習得に非常に積極的だった。
 本人が『コツさえ掴めばすぐに投げられるようになる』
 というように、どんな球種もマスターするのが早かった。


 こうした特徴は、田中とは世代の近いダルビッシュ有(日ハム)
 や、涌井秀章(西武)にも共通する。
 彼等は入団した時から何種類もの変化球を使い分け、
 その全てが高い水準にあった。
 これは、そこそこ速い球は投げられるが、他の持ち球といえば
 カーブくらいしか投げられなかった、かつての高卒の新人投手
 とは明らかに異なっている。

 要因のひとつには、高校野球のレベル向上が挙げられる。
 『対田中を想定した練習をしているチームがあると聞いた』
 (本間)というように、好投手が出現すれば、投球フォームの
 クセを徹底的に調べられ、研究され尽くす。
 サインを盗んでくるチームもある。
 その中で、当時の駒大苫小牧のように勝つことを義務付け
 られたチームのエースは、単なる『球の速い投手』ではなく、
 コントロールや豊富な球種を身に付けることが求められる。


 また、変化球全盛の昨今では、
 スライダー・フォークボール・チェンジアップ、
 そして今ならカットボールと、その時代の流行の変化球を、
 高校生や中学生、小学生までが認識していく。
 いまや高校生が2、3種類の変化球を投げられるのは
 当たり前なのだ。
 その意味では、田中はまさに新世代を象徴する
 投手のひとりといえる。 
ふにゃふにゃボールの秘めたる威力
2007年09月09日 (日) | 編集 |
 『監督と甲子園』より
(日刊スポーツグラフ 輝け甲子園の星 2007選手権号)
 空間を読み、空気を探れ 悲願の初優勝を果たした背景には
 豊かな感性と自らに向ける探求心―
 和泉実監督(早稲田実)を取り上げていました。


 和泉監督が早実の監督に就任したのが1993(平成5)年。
 それ以前は山口県の南陽工で指導を執っていた。
 大学3年時にコーチに出向いたことが縁で、卒業後すぐに
 同校監督に。
 丸9年の指導の間、甲子園には出場出来なかったが、
 思い出に残る選手は数多く、昨年の全国制覇のときは
 祝賀会を開いてくれるなど、今も親交は深いそうである。

 中でも、赴任直後の選手達はいまだ鮮明な記憶として残り、
 うち、遊撃手だったある選手との出会いは鮮烈だった。
 『小柄で足が遅く、肩もさほど強くなくて、
  投げるとみんなへなちょこボール。
  
  ところがゲームになると、打球の飛ぶところに必ず
  いるんです。あ、レフト前に抜ける!と思うとそこにいて
  捕って“ふにゃふにゃ”ってボールを一塁に投げて
  “アウト!!”。
  
  なんで分かるのって聞いていたんですが、自分からは
  ものを言わない子供だったので、分かんないと
  首をかしげるだけ。
  それが昨年、優勝祝賀会を開いてくれた折に
  初めて答えを聞くことができたんです。
  なるほどなと
』―。

 20年以上たってようやく聞くことのできた彼の答えは
 こうだった。
  
 “守備位置は打者の構え方で変えていた。
  バットがトップに入ったときに、構えが高いときは、
  バットが最短に出るので、打者は三遊間、レフト前にくる。
  ヘッドを下げて打つ選手は、オーバースイングになるので
  当たればでかいけれど、詰まってショート後方に落ちる
  場合が多く、だからセンター前にポジションを取る。
  それに打者の足の速い遅いが加わるので、1打席目は
  様子見で守備範囲を広げ深めに守る。
  その後は、足の速さが分かるので、早い選手の場合は
  少し前目に守らないと、送球が間に合わないから
  そのように守っていた”―。
  

 『すごいでしょう。いつから考えていたのかと聞いたら
  小学校の時からだって言うんです。
  ソフトボールをやっていて、塁間が狭いだけに足も肩もない
  自分には工夫が必要になる。
  だから、事前にボールが飛んでくる位置を予測して
  守るようにしていたと。
  
  田舎の本当に普通の子どもなんですが、こうやって
  野球にのめり込んで、単純にアウトにしたい、勝ちたい
  と思えば考えるんです。
  これらを僕は南陽工の選手達から学び、
  以後の大きな財産になっています
』―。


 早実ー早大で得た経験が、野球をする上で
 全てではないことを知った。色々な子どもがいて、
 色々な考えの野球があっていい。
 その考えにそって、早実の監督に就任してから一貫して
 言い続けているのは、
  
 自ら考え動く野球だ。  


 『考える力って、勉強が出来る、出来ないじゃない。
  考える土壌を与えるか与えないかです。
  選手個々をまず認め、好きにやらせて指導者が
  口をはさまない。ところが、おおかた先に教えてしまうから
  そこの脳みそもできてこないんです。
  まずは見守ってイライラせず、待つことだよね』―。
  

 和泉監督は古いOBから話を聞く機会が折々にあり、
 その度に感じるのは、当時の人々はみな創意工夫して
 大胆に野球をやっていたな、ということ。
 技術書などさしてない時代には、今聞けば驚くような
 変化球の握りをあみ出したりして、
 その発想の豊かさには驚かされるばかりだとか。
  

 『王(現ソフトバンク監督)さんへの指導もそうだった
  らしいですが、どんどん新しいことに挑戦する、
  早実ってそんなパイオニア的存在で、独自性というか
  考え方を1人1人に植えつけるのではなく、
  自分たちで作り出していく空気が元々あるんです。
  
  僕自身も和田さんから何かを教えられたというよりは、
  ゲームになったとき、自分たちの感性でやらせてもらった
  気がします。選手達が実体験で開拓していき、
  その力をベースに監督のアドバイスや技術書などの
  情報を使えばもっと伸びると思う。
  
  今の子は考える力が退化して、自分の発想というものが
  足りない。ある程度のレベルになったとき、
  この探求心があるかないかで、大きく伸びが違って
  くるんじゃないかと思います』―。
  

 変化球など、遊びながら模索していたのが斎藤投手だった。
 こうして磨かれていくのが感性であり、
 日頃は全体練習をある程度の時間に抑え、後は自主練習に
 なっている。
 全くの選手任せで、指導者は一切ののぞき見もしていない。
 グラウンドに限らずどこへ行ってやろうと制約はなく、
 全て自由だ。
  

 『監督の持論を押し付け、がんじがらめにしたら、
  斎藤がああいう感じで育たなかったんじゃないかな』―。
  

 斎藤投手ら投手陣によく言ったのは、
 “空間を読め”である。  

 投球動作で足を上げたとき、腕を振り下ろすときなど、
 段階を踏むそのどれもがピッチング。
 これらモーションの途中途中での空間を、常に読むこと。
 それにより、相手打者や周囲の動きに相対していけ
 というものだ。
  

 『野球ってゲームでしょ。お互いを読み合うことが
  できなければ、ゲームにならない。
  振りかぶってただ力一杯投げるだけじゃ、
  野球じゃないんですよ。
  
  
  柔道の技のように、相手をきれいに倒す形なら
  指導者が教えられる。でも、それだけでは勝てない。
  組んで相手の動きにパッと反応し、今度は自分の技を
  どこで出していくか。
  ボクシングがその典型で、
スポーツの世界では
  瞬時の空気というのが分からないと勝負にならない。
  そのためにも、感性を磨けと言っているんです』―。
  


 選手層が厚いとは決して言えない早実が勝つためには、
 この感性を豊かにすること。
  
 そう言い続けて目指していたのが、ノーサイン野球だ。  
 監督が主導権を握らない、選手自らが動く野球。
 それに最も近づいたのが、昨年の全国制覇のチームだった


 『彼等は成長しました、成長しちゃったんです。
  僕の力じゃない、自分たちの力で。
  ノーサインは極端だけど、
  終わったときにそれに近い感覚がありましたね』―。
  

 わずか2年半の間、精一杯技術指導は行うが、
 極端にチーム力が上がるとは思えない。
 それを少しでもアップさせるには、技術以外の部分で
 アプローチしていく方がより効果的なのではないか。
 そんな思いをより強くしたのが、全国優勝後の
 全日本選抜チームを率いたときだった。
  
 監督として高校球界トップクラスの選手を
 間近で見ながら感じたのは、肉体や技術の違いではなく、
 心の持ちようだった。
  
 『基本的にはみんな普通の子なんです。
  違うとすれば、プライド、絶対に負けないという思い。
  相手が誰であろうと揺るがない強い意志を持っている。
  どう頑張っても指導で全員を中田翔(大阪桐蔭)君
  みたいにすることは不可能だが、絶対譲らないという
  精神構造は作る事が出来ると思うんです。
  やるんだ、という気持ちにさせて、負け犬根性を
  作らない。そうすれば、ある程度戦えるチームに
  なるんじゃないかな、と』―。

 それは同時に、選手を励ますことでもあるという。  
『励ましてやる。監督なんて、最終的には
 それくらいしかできないんじゃないの?
 でも勝負事においては一番大きなことだと、
 僕は思う』―。   
  
  
プロ球界を衰退させるダラダラ試合はやめろ!
2007年09月07日 (金) | 編集 |
 昨日の巨人・中日戦、ソフトバンク・楽天戦など。
 このところ試合が長引くケースが増えてきています。
 そんな状況を、この人は黙っていません!!
 今回も『カネやんのワシの話を聞きなさい』より
 カネやん節をお届け致します。
              サンケイスポーツ 9/4付け


 ―さて、金田さんが愛する巨人ですが、一進一退が
  続いています。

カネやん)勝ったり負けたりはしようがないけど、なんで
     あんなに試合時間が長いの。
     あれじゃぁ、テレビが地上波でやらなくなるのも、
     しようがないよ。

 ―原因は?

カネやん)主導権を持っているのはピッチャーなんや。
     サイン盗みを気にしているんだろうが、
     相手ベンチからの伝達が間に合わないように、
     テンポを上げて投げればいい。
  
     あと(球を打者に)ぶつけないで抑える投球術を
     身に付けること。
     最近危険球でモメることが多いが、もってのほか。
     わざとぶつけるヤツはもちろん、
     手が滑ってボールが頭に行くようなピッチャーは
     プロじゃない。追放ですよ!
  

 ―投手にはそれだけの体力、技術を持て!という事ですね。  

カネやん)それから、審判だな。
     重箱の隅をつつくようなジャッジはやめなさい。
     ゾーンをワイドに取って、生きた球はストライクに
     しなくちゃ。あの温厚な谷(巨人)を怒らせた
     塁審もそうだが、審判のミスが多いのも試合が
     長い原因になっとる。
     審判の技術向上のためにビデオを撮って、
     3度ミスしたら降格させるとかしたらどうや。
  

 ―全てはスピードアップのためですね。

カネやん)みんな気づいていないようやが、高校野球の
     魅力のひとつは、試合のスピード感なのよ。
  
     あんな炎天下なのに、ダラダラやっとらんだろ。
     なぜ、それをプロができないのか。
     球界全体で取り組まないと、日本のプロ野球は
     滅びるぞ。
  

 ―完投が少ないのも試合が長引く原因になっています。
  巨人が抜け出すためにも完投が欲しいところですね。

カネやん)木佐貫なんかも、途中まではホレボレするような
     ピッチングをしとるんや。それが7、8回に
     なると、コンコン打たれる。
     あれは、野球の締めくくり方を知らんからなのよ。  

 ―『締めくくり方』ですか。  

カネやん)それが出来るのが上原なんだが、2日の横浜戦
     でも、村田を抑えただろ。
     ああいう感じで、試合の終盤は相撲の仕切りの
     ように、投げる前に闘志を煮えたぎらせて、
     集中しなくてはいかん。
  
     しかも、体そのものは思いっきりリラックスさせて
     最高の球を投げ込む。
     投げ急ぎ、稼ぎ急ぎをするから、逃げきれんのよ。
     締めくくり方のコツさえ覚えられたら、
     完投するピッチャーも出てくるんだがな。



 『体そのものは思いっきりリラックスさせて
  最高の球を投げ込む』―。
 昨日のイチロー選手の記事と重なりますが、
 (『何かあった時の為に、常に力を抜いていますから』)
 『うまく力を抜く』ということはとても大切な事で、
 その術を理解し身に付けることで、
 本来の実力以上のものを手にすることが出来るのかも
 しれない。
  
自然体 大記録導く
2007年09月06日 (木) | 編集 |
 マリナーズ・イチロー外野手(33)は3日、
 ヤンキース戦の3回に右中間にソロホームランを放ち、
 大リーグ7年連続のシーズン200本安打を達成した。


 大リーグ史上3人目で、新人からの連続200安打と
 しては、自らの記録を更新した。

 シーズン200安打の最多記録は、ピート・ローズ 
が持つ10回。


 イチローは過去6年、多くても年間5試合しか休んでいない。
 今年も欠場は1試合だけ。
 ケガとは無縁の肉体を誇る。
 
 元パイレーツの桑田が、
イチローに秘訣を尋ねたことがある。

 『特別なことをしているの?』―。
 イチローは
 『特別なことをしないのが、特別なこと』と答えた。
 『自然体』なのだ。


 トレーニングでは、体が求めることを行い、
 ムリな筋肉増強などはしない。
 シーズン中も、疲労がたまれば、『大切な時間』と言う
 試合前の守備練習も休むなど、
 肉体との対話を大事にしている。


 もちろんそれだけではない。
 7月8日のアスレチック戦。
 本塁に生還後、ベンチに向かって歩いていると、
 足元にこぼれた球が転がってきた。
 これに気づかないイチローを、相手チームの選手が
 後ろから突き飛ばした。
 それでもイチローは平然としていた。

 『突き飛ばされた感じが全然ない。
  何かあったときの為に、常に力を抜いているから』―。

 
 確かに、不意を突かれたのに、軽やかにステップを踏み、
 体勢は崩さなかった。
 感覚を研ぎ澄まして、危険を回避する能力が、
 イチローにはある。


 さらに、意地がイチローを後押しする。
 新たな契約を更新したシーズン。
 中には金銭的な保証を得られたことで、気が緩んでしまう
 選手もいるが、
 『そんなことやりそうだな、と思われたらシャクだもん』
 とイチロー。
 さらに、

 『この数字を続けている限りは、僕が試合に出たいと思う
  ことは(首脳陣も)分かっているわけだから』
 と記録へのこだわりが、自分を支え、
周囲も巻き込んでいる。

 体の管理と精神的な強さ。
 それが抜きん出ているからこその、快記録達成だ。



 <敵地での達成で場内放送もなし>
 敵地での200本安打達成とあって、ヤンキースタジアムは
 アッサリとしたもの。
 電光掲示板でのお知らせも、場内放送でのアナウンスも
 なかった。
 観客がほとんど記録を知らぬ中での快挙達成。
 しかし、記録の重みを力説したのは、ネット裏にいた
 公式記録員のビル・シャノン氏だ。
 1978年から記録員を務め、記録に関する著書もある
 シャノン氏は
 『野球で最も重視されるのは継続性。
  それを飛び抜けた形で見せている。
  過去に達成した2人はいずれも殿堂入りしている。
  これがイチローにとって何を意味するか。
  そう。殿堂入りの価値があるということ
』―。
 そう話した。


 マリナーズ球団社長チャック・アームストロング氏は、
 『私が野球に関わった22年間でイチローほど厳しく
  自分をコントロールする選手はいなかった。
  米国からの選手が比較的多い我々のチームでは、
  特に行動と結果で引っ張るイチローのような
  存在が必要だ』―。
 と語っている。


 メジャーの世界で戦うイチロー選手。
 この世界で認められる存在になった理由、それはやはり
 日々の努力の積み重ね。
 見えない努力を続けることは大変なこと。
 それを口で説明するのも難しい。
 桑田に語った、
 『特別なことをしないのが、特別なこと』―。

 イチローは超一流の証でもあり、イチローを知ることで
 超一流への手本を学び取ることも出来ると思います。
 基本を忠実に、常に前を見て
 自分に今できることを理解して努力する。
 ・・・頑張らなきゃ!!
 
『未練残して辞めたくない』と海を渡った桑田
2007年09月05日 (水) | 編集 |
 桑田が今季、また現役としてユニホームを着るかも
 しれないという。
 パイレーツから解雇通告を受け、今季はプレーはしない
 ことを宣言した桑田だが、最終的な去就については、
 いまだに明らかになっていない。

 最有力とみられるのが1、2年は評論家として
 ネット裏から野球を勉強。
 その後、指導者としてユニホームを着るという道だ。

 先日、ラジオ出演した古巣・巨人の滝鼻オーナーも
 『オフになったら前向きに考えたい。
  彼が経験したことを日本で教えていただきたい』と
 何らかのポストを用意して、迎え入れる考えがあることを
 明らかにしている。

 正式な去就については、現在のアメリカ国内旅行から
 帰国して、ジックリ考えるとしてきた。

 今回の旅行では、野球殿堂を見学したり、
 ヤンキースタジアムでヤンキース対レッドソックス戦を
 観戦、その後、右肘手術でお世話になった
 F・ジョーブ博士に面談するなど、
 引退に向け思い出作りの旅ともとれるスケジュールを
 こなしている。

 だが、その一方で近い関係者の間で、根強くささやかれて
 いるのが、桑田の現役に対する執着の強さだった。
  
 開幕直前に審判と激突して足首を痛め、
 そこから奇跡の復帰を遂げてメジャーまで登りつめた。
 だが、痛めた足首が完全な状態ではないままに、
 投げていたのが心残りの理由だという。

 そんな状態でもある程度、メジャーの打者を抑えることが
 できた。
 イチローから三振を奪うこともできた。

 『ピッチングは配球とコントロール。
  球威は関係ない』という持論からすれば、
 足首さえ完治すればさらに制球の精度を
 上げることはできる。
  
 今年の経験から配球に磨きをかければ、必ず結果は出ると
 いうわけだ。
  

 最終的に桑田がどんな決断を下すのか。
 『未練を残して辞めたくない』と海を渡っただけに・・・。
 桑田の再チャレンジがないとは
 決して言い切れないようだ。


  サンケイスポーツ 9/4付け 
           『球界インサイドリポート』鷲田康氏


 桑田投手のこれまでの経過を、このブログでも度々
 紹介してきました。
 転んでも、また転んでも、自らの夢に立ち向かって行く姿勢。
 年齢は関係ないと思います。
 夢を追い求め妥協せず邁進していく姿は、
 現代の人々への強いメッセージになっているのでは
 ないでしょうか。
 同世代の私から見てもとても頼もしく『生きる教科書』に
 なっています。
 今後の動向にも注目していきたいです。

 『夢叶うまで挑戦!!』
 
ノーコン克服 インターバル走 (他)
2007年09月04日 (火) | 編集 |
 400勝投手カネやんの『ワシの話を聞きなさい』より。
 江本孟紀氏との対談をお送りします。

江本)カネさんは、どうやって大投手になったんですか?
   “走れ、走れ”は、いつから?
カネやん)高校(享栄商)では最初ノーコンでな。
     『どうやったらコントロールがつきますか?』
     と、監督に聞いたら、ただ『走っとけ』と。
     それから自分で工夫してランニングを取り入れる
     ようにしたのよ。
  
江本)長い距離を走るわけですか?
カネやん)いや、マラソンは苦手でな。
     400㍍をとにかく全力で走った。
     それから100㍍。間を置いてまた100㍍。
     インターバルっちゅうヤツやな。
     それが、ピッチングのスタミナにもつながると
     思ったんや。  
  

 ~朝から3杯!!何でも食べた~

江本)体はどうですか?何を食べて大きくしたんですか?
カネやん)母親が、朝からご飯をドンブリ3杯食わして
     くれたんだ。ワシが朝飯を大事にするように
     なったのは、これが基本。
  
     昼は晩飯の為の調整で、夜は豚肉の串焼きやら
     豚足やら、何でも食べたね。
     プロに入ってからも、10㌢背が伸びたよ。
     その後は登板や練習によって『何をいつ食べるか』
     を、考えるようになったな。  
  

 ~400勝の陰によきトレーナー~  
  
江本)ボクは東映時代に(金田さんの弟の)留広さんを見て
   練習のスゴさや、食べ物への気の使い方を知りました。
   なにしろ、登板前に(左翼から右翼までの)
   ポール間を、うさぎ跳びするんだから・・・。
   『何するんや、このオッちゃんは』と思いましたね。
   やっぱり金田一族は違いますよ。
カネやん)そんなことはないぞ。ワシのやり方についてくれば、
     体が自然に投げることを欲するようになる。
     その欲求に従って、投げたいだけ投げ込んでいけば
     ええんや。キャンプで100球数えながら
     投げとるヤツがおるが、あれはナンセンスだね。
  
江本)実際カネさんのやったことは、経験に基づく科学
   なんですよね。これだけ成功した例があるんだから
   もっと検証しないと。ボクも“金田式トレーニング”
   の伝道師になりますよ。
カネやん)あと、忘れてはいけないのがトレーナーだな。
     よきトレーナーに出会って、アフターケアを
     してもらったからこそ、400勝できた。
     いまはアイシングが全盛だが、冷やさない方が
     いいときもある。その見極めが出来る人を
     見つけることだね。
  

 ~野球人気復活へ 底辺の拡大を~

江本)それにしても、カネさんくらいの投手がいまの日本に
   いたらなぁ。地上波で野球をやらなくなったけど、
   どう思いますか?
   NHKはメジャーばっかりやっているし・・・。
カネやん)しょうがないよ。目立つ子はみんなメジャーに
     行っちゃうんだから。それより、いなくなった
     分を補う為に、底辺の拡大をすることが大事だよ。

江本)確かに。ポスティング(システム=入札制度)で
   入ったお金も、そういう所に使うべきですよね。
   ついでに高すぎる契約金もなくして、ドラフトは
   ウエーバーにする。
   その上でFA権を6年で取れるようにして、
   本当に活躍したヤツの給料を上げるようにすれば、
   健全になると思うけどなぁ。
  
カネやん)いいこと言うねえ。契約金どころか
     『金を稼ぐ場所を貸してやるんだから、銭払え』
     くらいの気持ちでおらんとな。
     バクチで言うところのテラ銭や。だいたい、
     いまの子は『金っていうものは後からついてくる』
     という意識がない。
     まずは自分に投資する気持ちを持っていないと。
  
江本)その辺のところ、みんなに教えてやって下さいよ。
   阪神の藤川は、高校(高知商)の後輩でもあるんで
   今度お願いします。
カネやん)球児か。そういえば、前にも言ったことがあるけど
     あの子は先発ピッチャーにしたいんだよなぁ。
     ワシが教えれば、物凄いカーブを投げられるように
     なるぞ。地肩も強いし、ええ先発になる。
江本)秋の(巨人対阪神)OB戦に球児を連れてきますから
   是非教えてやって下さい。  


 ~カネやん質問コーナー~
  『自打球は日米、バッティングの違い』

Q)日本のプロ野球選手は自打球が多いようですが、メジャーの
 選手は少ないような気がします。
 この差は何が原因なのでしょう。

カネやん)日本の選手は、しつこく当てにくるから、
     最初からピッチャーはフォークやシンカーのように
     『落ちてボールになる球』を投げる。
     これを打ちにいって、ファウルになると自打球に
     なるんや。それに対してメジャーの選手は
     アッパースイングが多いし、しっかり振ってくる
     から、自打球になることが少ない。
     まぁ、こればっかりは仕方ないんじゃないか。
     日本の選手は、骨折せんように防具を付ける
     ことやな。 
         
      
ベースボールセミナー(打撃編)
2007年09月03日 (月) | 編集 |
 Q)中学で軟式野球をしています。
  右打者ですが、セカンドの上をライナーで越えていく
  ような強い打球をなかなか打てません。
  どうすれば右方向にも強い打球が打てるようになりますか?
              (山口県 14歳中学生)
 

―解説・大島康徳氏
 A)これは左右の打者に共通ですが、より確実にヒットを
  打とうと思ったら、投手の足元に打ち返すのが一番です。
  それはここが一番広いヒットゾーンであり、そこに強い
  打球を打つことを考えていけば、自然にヒットの確立が
  上がるからです。
  その為には、ボールが真ん中付近に来たら、バットを
  ミートポイントにそのまま真っ直ぐに出していけば
  いいのですが、投手の投げてくるボールの高低や、
  コースによっては、多少バットに角度を付ける必要が
  あります。その角度が付いたときに、ポイントが近くに
  来て、やや遅れぎみにバットが出て行くと、
  右中間方向に打球が飛んで行きます。
  そのバットの角度を、自分で練習の時から意識して
  打っていくと、セカンドの頭上に強い打球が打てる
  ようになるはずです。
  同時に、そうやって常にセカンドの頭上に強い打球を
  打とうとする意識を持っていれば、
  体の開きを抑えられます。
  
  遠くへ飛ばす意識の強い打者は、どうしてもバットが
  遠回りして出てきます。
  そのスイングだと、体から離れたところのボールに
  対して、ポイントで力が入りません。
  すると、どうしても振り負けする。
  力がある打者なら、右中間方向にうまく打球が上がれば
  ホームランにすることもできるでしょう。
  しかし、そんな技術を持っているのは、プロでも
  限られた打者しかいません。
  そうなると、センター中心に打ち返すのが一番確実で、
  これを常に練習でも意識していくことです。
  この時に、『軽打』をしていたのではダメです。
  流してチョコンと右方向に打球を飛ばしているだけでは
  セカンドからライトの方に、強い打球は打てません。
  また、外のコースにボールが来たから、それを打ちに
  いけば、バットが勝手に角度を付けてくれるという
  ものではありません。
  その前に体が反応しているので、バットだけ角度を
  付けようと思っても、手が動きません。
  
  ですから自分で、どこまでグリップを出してきて、
  どこまでヘッドを残して打たなくてはいけないのかを、
  知っておく必要があるでしょう。
  それができずにバットを操作しても、ボールをこすって
  しまって余計に強い打球は打てなくなってしまいます。 
  
高卒ルーキー99年松坂以来8年ぶり快挙!
2007年09月01日 (土) | 編集 |
 『とにかく早く投げたかった。
  早く試合がしたかったですね』―。
 田中将大(楽天)投手は、この日の先発を
 待ちわびていた。

 
 前日30日のブルペン練習―。
 直球の軌道から、小さく切れ込む。
 田中の新変化球カットボールが完成した。

 ブルペンで45球中9球を投げ、手応えは十分。
 これが10勝への切り札となる。

 『武器は多いほうがいいですからね。
  試合で投げる?それは分かりませんよ』

 実戦投球については笑顔ではぐらかしたが、
 もう投げる気満々。
 『誰かに教わったわけではない』というカットボールは、
 以前からキャッチボールなどで練習。
 最初は遊び半分だったが、いまは精度を増してきた。
 ブルペンで合格点となれば、あとは実戦で試すだけだ。

 『ちゃんとカットしていたよ』と驚いたのが、
 現役時代にカットボールを持ち球にしていた
 紀藤投手コーチだ。
 打席に入って球筋をチェックし、握りも確認したが、
 実戦投入に支障なし。
 『投げるかどうかは本人次第』と
 暗黙のゴーサインだ。

 実は田中も気持ちを高ぶらせている。
 キャンプではツーシームをマスターして周囲を驚かせたが、
 シーズン終盤にはカットボールを習得。
 日々進化するマー君が、10勝を挙げたのだ。


 ~カット(ファスト)ボール~
 
 直球とほぼ同じ球速で、打者の手元で曲がる変化球。
 右投手なら左打者の内角に向けて変化する。
 直球の握りでリリースの際にスライダーのように
 切って投げるのが一般的だが、握り方や投げ方は
 多種ある。
 通称『カッター』ともいう。