日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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マー君クセなくせ!
2007年03月31日 (土) | 編集 |
 “鉄は熱いうちに打て!”
 29日のプロ初登板(対ソフトバンク戦)で、
 KOされた楽天ルーキー・マー君こと田中将大投手(18)が
 一夜明けた30日、早速、修正に乗り出した。
 フルスタ宮城での調整後、コーチ陣とクセの矯正などを確認。
 フォームに改良を加えていく。

 落ち込んでばかりはいられない。
 悪夢のKO劇から一夜明け、仙台に戻った田中は、早速課題に
 取り組んだ。
 29日の初登板は、1回2/3、6安打6失点。
 3盗塁を許し、ソフトバンク陣営に見抜かれていた可能性が
 高い投球時のクセを矯正した。

 『セットポジションの時に、1箇所だけ気になる所があった。
  本当に盲点の部分で直すのは簡単だよ。』

 この日、田中を指導した紀藤投手コーチが、修正に応えを
 みせた。キャッチボールの相手を務め、修正ポイントを指摘。
 今後、ビデオでも分析していくが、正面だけでなく
 一塁側や三塁側からも撮影し、スキのない
 投球フォームを作り上げていく。
  

 『次回の登板までには ちゃんと修正したいと思います』
 クセだけではなく、軸足に体重が残りすぎていた点も
 矯正したマー君。
  
 
 次回は、4月5日の日ハム戦。
 フルスタ宮城の初登板で、進化した姿を見せる!
 
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省エネ77球
2007年03月31日 (土) | 編集 |
 川辺が77球の“省エネ”投法で、3安打に抑えての
 無四球完投。
 背番号『5』の活躍が、チームを5年ぶりの
 ベスト8に導いた。
  
 エース中村の不調で回ってきた先発。
 普段は週に1度しか投球練習をしないが、1回戦(対高知)で
 リリーフした経験が生きた。
 「打たせて取るのが自分の投球。
  三回から落ち着いて低めに投げられた」
  
 打っても5番で、六回に先制の二塁打を放つと
 七回には犠飛で追加点。
 「野手の方が楽しい」
 と、本音をもらし、笑みを見せた。


 秋はマスクをかぶっていた川辺。
 独特の投球術で、半年間に2度の無安打無得点試合を
 達成した実績を持ち、大化けの可能性を秘めていた。

 昨夏から秋にかけて故障者が続出し、中でも捕手で
 主砲・攻守の川辺は戦線離脱した。
 中国大会終了後も練習試合をキャンセルせざるを得ない程
 レギュラーの多くが満身創痍の状態だった。

 そんな状況でもセンバツ出場の切符を手に出来たのは
 「(苦戦続きの)甲子園に対する意地があったから」(谷)。
 中村主将は「チーム作りがなかなかうまくいかなかった。
 でも、全員の“絶対甲子園に行くぞ!”という気持ちで
 ここまでこれた
」と振り返る。

 チームは5季連続の甲子園出場になるが、
 自慢のチームワークで今度こそ上位進出を目指して欲しい!
 
 
  
 
 
阪口慶三監督の甲子園作戦!
2007年03月30日 (金) | 編集 |
 森田、大林が投打の軸。
 一生忘れられない甲子園になるでしょう。  
  
~・~・希望枠 初出場 大垣日大を紹介!・~・~・  
  
 *阪口慶三監督* 
 1944年5月4日生まれ。
 愛知県出身。
 東邦一愛知大。
 高校2年生の時に、センバツ8強を経験。
 67年に母校監督に就任。
 38年間率いて、89年にセンバツ優勝
 77年夏、88年春に準優勝へと導く。

 『1点の重さを選手達がよく知っている。
  そういう野球を教えてきました。
  それが、浸透しつつある今。
  全国に出しても恥ずかしくない戦力だと思っています

  最大のポイントは、エースの森田が昨季から
  どこまで成長しているかでしょう。
  打線の軸は、4番の大橋。
  甲子園でも1発を狙える力を持っている。
  大垣日大での甲子園出場が、こんなにも早く実現でき
  感激さえ覚えます。
  一生、忘れられないものになるでしょう。』

 名将・阪口慶三監督は、投手 森田貴之に対しても
 『投手としての資質、特に投げる時のピシっとボールを
  離す指先感覚は天性のもの!』と絶賛する。
  
 
 阪口監督就任とともに、大垣日大へと入学してきた
 今の3年生達。  百戦錬磨の魂を叩き込まれた
 『阪口チルドレン』が、甲子園に新しい風を吹き込む。
 
  
 
   
 
ビックイニング作るスキ無し打線
2007年03月29日 (木) | 編集 |
 常葉菊川(静岡・私立 3年ぶり2度目)
 
 左腕2本柱が安定。 田中はMAX134㌔だが、切れのいい
 速球と縦のカーブが持ち味。
 戸狩は制球力が良く大崩れしないタイプ。
 佐野部長は「田中は今中(元中日)戸狩は和田(ソフトバンク)
 のビデオを見て勉強させている」とイメージを描かせる。

 両左腕を好リードするのが捕手の石川。
 「あいつの成長が大きい」
 と、森下監督が東海大会初制覇のMVPに挙げた。
 強肩で再三のピンチを未然に防いだ。
 捕ってからが速く、捕球から二塁への送球が1秒8。
 プロのスカウトも注目している逸材だ。
  

 攻撃は、どこからでも点の取れる切れ目のない打線。
 「状況にもよるが、送りバントでアウトひとつを
  簡単に与えるのは もったいない」
  
 森下監督の考えで、無死一、二塁でも簡単に送るケースは無い。
 特に序盤では積極的に打たせていく場面が目立つ。
  
 一番のポイントは、核弾頭・高野の出塁だ。
 体は小さいがパンチ力があり、指揮官の信頼は厚い。
 5番・中川、6番相馬、7番・石岡はチャンスに強く
 打点が多い。
 チーム全体に走塁の意識が高く、シーズン中はほぼ毎日
 実戦練習を取り入れてレベルアップを図った。
 第二リード、帰塁など細かな走塁術を身につける。
 ただ打つだけでなく、
 「打てない時には、どう点を取るか」
 という工夫を怠らない。
  

 確実性を高めた新打法で挑む 4番 ファースト浅原将斗。
 県大会までの好調は影を潜め、東海大会では打率1割を切り
 絶不調のまま終わった。
 その要因はどこにあったのか・・・。
 「技術もそうですが、気持ち、考え方の部分が大きかった
 森下監督の目はこうだ。
 「パワフルでスイングスピードに長けている所が持ち味。
 捕らえた時の打球はすごいんですよ。
 でもね、ゲームで力を発揮できないタイプ。
 性格なんでしょうけど・・・。
 打者というのは7割ダメで3割いいものですよね。
 浅原は、その3割だけを意識しすぎ、考えてしまう
 傾向があるんですよ。そこら辺が逆転してくれれば
 いいんだけど」
 
 センター返しを究極まで極めろ―。  
  
 181cm、80kg。
 「捕らえさえすれば、どこまでも飛ぶ」(相馬主将)
 という言葉もうなずける。
 だからこそ、まずは基本に忠実に、確実性を高めることを
 第一に。
  

 秋までは、テークバックを思い切り取っていたが、
 トップの位置を早めに作り、そこから素直に
 バットを振り下ろす打撃フォームに切り替えた。
 ティーバッティングでも、センター方向に印を付けて
 意識を高めた。
  
 監督、コーチからの「センター返しを―」
 という言葉を胸に、冬場は無心でバットを振り続けた。
 
  

 「理想は、得点圏で走者を置いた場面で打てるバッター。
  勝ちにつながる1本が打てるバッターになりたい。
  それが4番だと思います」

 小・中学校と常に4番に座ってきた浅原君。
 常に4番らしく―。
 注目しています!
 
  
 

 
 

 
泣いてたまるか!仁志敏久手記(3)
2007年03月28日 (水) | 編集 |
   ~若手に財産を~
 
 私は今年36歳になる。 昨年巨人で経験した二軍での
 若手選手との時間、そして若い選手が多いベイスターズでの
 これからの時間は、活気を蘇らせてくれる源であり
 これからの人生に生かされる経験となる。
  

 若い選手たちが、毎日の練習や試合の中で何を考え
 何を感じているのか。
 私自身が彼らの考えや感じ方を どんな風に捕らえ
 どう対処するのか。  自分の考えをうまく伝えられるのか。
 彼らの為になれるのか。
 私の意志を押し付けるようなことは絶対にしたくはない。
 言い過ぎやお節介は不快感しか与えない。
 私の器量が試される。

 私がもらった沢山の言葉の宝を、自分だけの財産に
 するつもりはない。
 私の出したヒントで若い選手が のし上がってくれたら
 こんなに嬉しいことはない。
 ヒントをきっかけに同じ内野手が成長し、私自身が
 追い抜かれることになったとしても
 それはそれで仕方がない。
 むしろ、喜ぶべきだろう。
 
 若い選手に抜かれる時は必ず来る。
 実際にそのときが来たら、複雑かもしれないが
 そんな小さな考え方は、誰の為にもならない。
 自分もそうして来たのだから、覚悟している。
  

 右往左往した私の現役生活は、これからの時間に
 その意味が集約されているのだと思っている。
  
 多くの人に助けられ、多くの言葉に救われてここまで
 やってきた。

 『人生いつ、何が起こるか分からないから
  頑張っておけよ―』
  

 桑田選手の言葉の意味を、今はよく理解することが出来る。
 昨年、気持ちを切らさずやって来られたのも、この言葉に
 支えられてきたからである。 

 大事な言葉を残してくれた先輩も、試練を乗り越え
 38歳のルーキーとして海を渡った。
 どんな時でも精一杯生きるべきである。
 必ず報われるときが来るはずだから―。

  
  ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

 仁志選手が今回の紙面(サンケイ新聞 3/27号)の為だけに
 綴った草稿は、原稿用紙19枚に及んだ。
 その中には、トレードを待つ間の心の揺れも素直に
 振り返っていた。 いくつか引用してみると―

 仁志選手がトレードを思い描き始めたのは昨年3月。
 願いはしても現実的になれなかった。
 「ベテランの域に入る高年俸の選手となれば、
  現実的に相手探しだけでも容易ではない」
  

 トレードが無理なら引退、と心に決めて  
 巨人・清武球団代表との話し合いを重ねた。
 『清武代表とは口論となることもあったが、私自身が
  介入できるはずもないのだから任せるしかない。
  (引退か移籍か)どちらに転んでもと思っていたはず
  だったが、いざとなると自分自身の弱さを痛感する』
 待つ身の辛さを十分に味わうことになる。
  

 『携帯電話に清武代表からの連絡が入った。
  “いい方向に話しが進んでいるから”。
 知人らとの外食の最中の出来事だったが、笑顔が溢れる半面
 涙を抑えることに苦労した


 崖っぷちを意識した昨年11月6日、トレードは成立した。
 
  
 
  
泣いてたまるか!仁志敏久手記(2)
2007年03月27日 (火) | 編集 |
  ~必ずや勝者に~  

 2007年は、ベイスターズの存在を見せつけ、
 浮上の1年にしたい。  チームスローガンである
 “成せばなる”とは、“やれば出来る”ということ。
 このまま踏み潰されているわけにはいかない。
 強い意志を持って立ち向かい、必ず勝者、強者になる。
 そうなれると信じている。
  

 『外から見たベイスターズは どうだったか』と、
 良く質問された。
 決まって答えるのは『若い選手が多い』ということ。
 そして、もうひとつ言えること。
 『優勝経験のある選手が ごくわずか』・・・なのだ。
 要するにそれだけ『勝っていない』『負けている』
 のである。  『勝つ意味、勝たなければならない意味を
 勝つことで感じよう!』・・・これは、チームの一員として
 思うことである。
  

 勝負の世界、勝つこともあれば、負けることもある。
 倒されても、すぐに立ち上がることが出来れば
 再び挑むことが出来る。
  
 しかし、倒れている時間が長ければ、容赦なく踏み潰される。
 そうなりたくなければ、恐れる事無く戦うしかない。
  

  
 勝つ為には“負けない”ことである。
 倒す前に、倒されないことである。
 攻撃の裏側にある防御というものも  
 非常に重要なのである。
 続けて勝てるようになれば  
 高い意識が芽生え
 やがて負けないための知恵もつく。
 それらを基本として強くなれれば、
 先々にも生きる根幹となるだろう。
泣いてたまるか!仁志敏久手記(1)
2007年03月27日 (火) | 編集 |
 不屈のリードオフマンは
 『今、この想いを口に出しただけで消えていくのは
  もったいない!』とペンを執った。
 30日に迫った古巣・巨人との開幕戦を目前にした心境を
 サンケイスポーツに綴った。
 巨人で過ごした11年間を糧に再び飛躍を誓う
 ベテランの心は、澄み切っている。  
 3回に分けて、この手記を紹介していこうと思う。

~希望に満ちて~
 人生いつ、何が起こるか分からないから
  頑張っておけよ!

 4年前、桑田真澄投手にかけられたこの言葉が
 頭から離れない。  当時、不振やケガに悩まされ
 自暴自棄になっていた私に、かけてくれたこの言葉が
 思いがけず現実になった。
 ベイスターズのユニホームを着て、巨人を迎える開幕は
 1年前には想像も出来なかった。
 だが今の私は、新天地での希望に満ち溢れている。

 巨人での11年、さまざまな経験をしてきたが
 指導して頂いた監督やコーチ、OBの方々の教えは
 最高の宝であると同時に、私を支えてくれる重要な柱と
 なっている。 プロに入った当初、守備コーチだった
 土井正三が、こんなことを言ってくれた。
 『お前がランナーとしてホームに突っ込んだとき
  絶対にアウトになってはいけない。
  お前がアウトになることでヒットにならない、
  打点がつかない、ということもある。
  中には生活がかかっている者もいる。
  お前がセーフだったらクビにならなかったかもしれない。
  そういう事だって あるかもしれない』

 当時の私は1番を打ち、2番はバントの名人、川相昌弘選手。
 3番は常にタイトルを争う松井秀喜選手だった。
 必然的に作戦はバントが多かった。
 世界記録を作るほどの選手である。
 失敗はほとんどなくても、たまに甘い所へ転がる事も
 あるかもしれない。それでも、アウトになってはいけないのだ。
 
 速い遅いの問題ではない。 問われているのは、アウトに
 ならない為に、最善の努力をしたかどうかである。


 松井選手らのヒットや犠牲フライでホームに還る時など、
 あらゆる場面に必要とされる。
 例えば守備の際、消極的なエラーや平凡なミスを犯せば
 チームに悪影響を与えるだけでなく、ピッチャーをも苦しめる。
 自分が人を、またチームを窮地に追い込むことになる。
 結果はどうあれ
 チームやチームメートに胸を張れるくらい、
 精一杯のプレーをしたのか。
 それが一番大事なのである。
 
  
初出場・室戸(高知)旋風の予感!
2007年03月26日 (月) | 編集 |
 美技だ!無失策だ!
 森沢の粘りのピッチングが、甲子園初勝利をもたらした!
  
 『とても嬉しい。力を出し切れた』
 と、声を弾ませた。
 相手は呼び声高い好投手の近田。
 毎回走者を許しながら、7回の1点に抑えた。
 『点を取られないよう、辛抱の投球を心掛けた』。
 9回は右翼フェンス手前の飛球を中山が好捕!
 エースの好投にバックも応えた。
 2人が並んだヒーローインタビューで森沢は
 『ナイスプレーだ』と感謝した。
 

 室戸に入学時、同級生に投手がいなかったこともあり
 『自分が頑張らないと!』という気持ちが強くなり
 (中学時代は、3番手投手だった)
 更に、打者としてもチームの中心。
 『それまでは(練習中に力を)抜くこともあったけど
  妥協ができなくなってきた。』

 一昨年も四国大会に進出したが鳴門工(徳島)相手に
 初戦でコールド負け。
 力不足を実感した。
 ピンチになると周りが見えなくなったメンタル面、
 制球力、スタミナ・・・。
 課題が明確になったことで、ブルペンでも投げる
 意識が変わっていった。

 『それまでは、ただ投げるだけでした。でも、それからは
  “ここで離したら あそこに行くとか、
  一球一球感覚を考えて投げるようになりました。』

 当てるのを恐れ、投げ切れなかった内角の制球力を磨いた。
 ストライクが取れなかった変化球の制球力を磨いた。
 更に、ストレートに頼りがちだった配球も変更。
 場面によって、変化球を多めに使うことも覚えた。

 『責任感があります。
  室戸に来て投手として成長できました。
  高知にいたら性格的に野手のままだったと思います』

 本物の投手として、自信をつかんだ森沢君。
 初出場、初優勝も夢では無い・・・?!かも!!
 
 
 
夏に舞い戻る!山梨 都留高校!
2007年03月25日 (日) | 編集 |
 三宅高野球部との交流などを評価され、21世紀枠で
 初出場を果たした都留(山梨)
は、8回に今治西(愛媛)に
 逆転を許し2-3で惜敗した。

 都留は5,6回に1点ずつ奪い勝ち越したが、前半の好機を
 ものに出来なかった事が響いた。
 内角を突く強気の投球を続けていた小林は最後に力尽きた。

 
 夢を打ち砕かれた。
 都留のエース・小林久貴投手(3年)は1点リードの8回
 二死満塁、内角直球を笠原に左前に痛打される。
 逆転を許し、甲子園初勝利は消えた。

 プロが注目する今治西のエース・熊代と堂々の投げ合い。
 7回まで散発3安打の好投で、春夏通算18度出場の
 名門を、土俵際まで追い詰めた。

 21世紀枠による初出場の影に地道な支援活動があった。  

 01年、小林太郎部長が三宅島噴火により 都内で
 避難生活を送っていた都立三宅高・山本政信監督(55)と
 共通の知人を介して知り合い、ボールやバットを寄付。
 当時グラウンドに木が生えるほど荒れ果てた状況に
 光をともした。
 その後、お互いの学校を行き来、練習試合や
 合同練習も実現させた。
  

 昨季の山梨県大会で準優勝した都留は、06年度に
 一橋大を含め、100人を超える国公立大合格者を
 排出する進学校。
 18日の大阪入り後も宿舎に自習室を設け
 夕食後、就寝までの約2時間は各自勉強に励んでいた。
  

 『展開的にうまくいっていたんですが』
 と、長田監督も唇をかんだ。

 野球に打ち込みながら苦しむ人に手を差し伸べ勉学に励む。
 学生の本分をわきまえた 都留ナインは、
 夏に“甲子園1勝”の『宿題』を終わらせる。
  
 
守護神奪還へ全力投球!
2007年03月24日 (土) | 編集 |
 主にマイナー選手が出場する12日の「Bゲーム」
 対ブルワーズ戦。
 0点に抑え、3試合連続無失点としたレンジャーズ大塚昌則
 笑顔で言った。
 『ガニエが僕の前に投げたんですけど、(レギュラー)
  シーズンに入っても、こうなるようにしたい』
 
 ガニエとは、2002~2004年の3年間で
 152セーブを挙げたサイヤング賞投手。
 ここ2年は、故障で登板機会が少なかったが
 昨季、32セーブを挙げた大塚に代わって、今季チームの
 抑え役を務める。

 この日は、ガニエが4回、大塚が5回の1イニングを投げた。
 
 チームの方針とはいえ、渡米3年目でようやく手にした
 抑えの座を譲ることになった大塚。
 
 冒頭の発言の後に『デヘへ』と冗談めかしたり、米メディアに
 『順番は関係ない』と言ったりしてはいるものの
 “守護神奪還”を狙う気持ちは隠しようがない。

 その為に自らの投球の質を高める工夫もしている。
 球速を上げようと、『みんな速い!』と言う
 ドミニカ共和国出身のチームメイトに練習方法を聞いた。
 出した結論は
 『遠投。後は、傾斜にバチッと合わせれば、速くなる』
 オープン戦初戦、『腕が振れなかった』と言いつつ
 93マイル(約150㌔)を記録した。

 球速だけでなく、コントロールや切れも良くしようと
 投球フォームをオフの間に研究した。
 
 結局は、昨年の投げ方に戻したが、一歩でも上を目指し
 試行錯誤する向上心は、35歳になっても変わらない。
  

 チーム内でも信頼が厚いが、危機感は持っている。
 『スプリングトレーニングは競争。
  少しでもスキを見せたら、いい素質を持った若い選手に
  自分の仕事を取られてしまう。
  野球をやっている間はズット、引退するまで、
  どんな試合でも、結果を求めていきたい』

 調整の場のはずのオープン戦でも
 相手がマイナーでも
 常に“全力投球”のベテランだ!
私の高校野球(杉山繁俊監督)
2007年03月23日 (金) | 編集 |
 福岡県 福岡工大城東、杉山繁俊監督の取材が高校野球誌に
 載っていたものを今日はピックアップ。

 オヤジ(原貢監督・・・現巨人原監督の実の父)の野球が原点。
 厳しさ、愛情溢れた東海大相模時代の話しや、
 原監督夫妻の熱い説得で決意した 福工大城東監督を
 引き受けた経緯など・・・
 苦悩や葛藤などが綴られていました。

 また、攻め一辺倒の野球から迎えた転機があった事を
 高島仁監督(智弁和歌山)の講演を聴きヒントを得た
 出来事を語り、興味深かったので紹介したいと思います。


 転機となったのは高島監督の言葉。
 7年連続で決勝敗退。
 自分の野球(智弁野球)は これまでか、と辞任を出し
 学校側の慰留で1年間外から野球を見て翌年復帰。
 その後、ポイントとなる試合以外で(決勝など)
 エースを投げさせないようになった。
 それ以後は1回戦で負けることがあっても
 決勝では負けなくなった。
 それが今の“智弁野球の礎”だといわれた。

 「こういう人もいるんだ」
 と安堵感を覚えている・・・と振り返る杉山監督。
 それからは自分自身の考え方の切り替えも必要と実感。
 自分が教わってきたのは“攻撃野球”で、自分にも合ってた。
 それをチームに合ったものへと調整して来た。

 “投手がここまでなら夏は難しい、4点は覚悟しなきゃ・・・
 ならば攻めを重視しよう、逆に投手がここまでのレベルならば
 守りだ、守りきれば勝つ確立が高くなる”・・・など。
 
 高島監督から話しを伺って
 『(攻撃的な)イメージばかり強くても・・・』と
 考えざるを得なくなりました。

 お陰で最近は周りの方々からも変わってきた、と言われます。
 (バントなど)小技も織り交ぜ、そういうものが
 ここ5年で3度の甲子園に繋がったと思います。
  

 練習は大事。じゃあ、倒れるまでやればいいのか?
 そうじゃない。
 子供たちに合った練習方法を見つけるのが我々の仕事だと
 考えています。
 
 エラーひとつで選手への信頼を失えば、その子はダメになる。
 今、考えているのは、その時生徒に何を言ってあげたらいいか
 ということ。
 ミスをした子を怒るか、ミスを受け入れて練習しようと
 頑張らせるか・・・。
 そんなことばかり試合中は考えています。
 何をしたかよりもアドバイスの言い方も
 その子に分かりやすいように話してやる。
 自分だけ分かっていても、 
 この世界では意味を成さないもの。
 
 昔はエラーをしたら『貴様~!』
 でしたが、今は
 『どうなんだ?何を考えていたんだ?まさかそんなことは
  してこない、とと思っていたら、いざそれをされたら
  対処できないよ』と
 経験させながら覚えさせようというやり方になってきた。  

 どこの監督も言う事は“精神的なもの”。
 甲子園に出る、出ないの差だ。  

 ここ一番で投げられるか、怒鳴るのではなく 出来るように
 させていけば・・・と思う。

 押し付けることは指導者の自己満足でしかない。
 そうじゃなくて、生徒が納得して得る自己満足でなければ
 ならない。

  
 こういう考えは、ここ10年で変わった。
 『ひとつのエラーで くよくよせずに行こうよ、
  ここまでやって負けたのなら仕方ない』
 という心境を植え付けさせてあげられるかが大事なのでは
 ないか、と思います。
  

 分かってきたことは今、色々な意味で時代の流れがある。
 それを掴まないとダメだという事。
 育った環境も違うし、親も叩かないのに赤の他人が叩く必要は
 ないのが今の時代。
 それを理解して勝つためにどうするか、
 我々も日々努力だという思いを抱いています。


 この話を読んで、今の子供たちに大人たちが翻弄されすぎ
 なのでは・・・?と考えさせられた。
 
 高校球児は純粋である。育つ選手・育たない選手の差は
 子供の本質を早くから見抜く能力がある監督かどうか。
 いい部分をうまく伸ばし、的確に対応していくことが
 大事なことだと思います。
  
 
 母親の立場の私でも分かる
 子供たちの個々の適応能力の差を うまく活かす方法は
 高校球児のみならず、子育てにも 大いに関係していくのでは
 ないかと思っている。
 
 
  


 
 
元炭鉱の町に42年ぶりの吉報
2007年03月22日 (木) | 編集 |
 42年間、甲子園とは無縁だった旧炭鉱の町に
 久々届いた吉報!
 かつては日本有数と謳われた三池炭鉱(97年閉鎖)があった。
 戦後、石炭産業の斜陽化で炭鉱労働者が 大量解雇された事を
 受けておこった60年の労働争議、63年の坑炭じん爆発事故。
 
 暗い話題に包まれていた大牟田に希望を与えたのが
 65年夏、三池工野球部が成し遂げた
 選手権初優勝の快挙だ!

 巨人・原監督の実父・貢さんに率いられた球児たちの
 達成した偉業に市民は熱狂。

 自衛隊の“護衛”がつくほどで、パレードした街は
 紙ふぶきに包まれた。

 大牟田からの甲子園出場は その三池工以来。
 地元に素材のいいの選手は多いが、福岡・熊本など
 野球名門校に流出してしまう。
 その流れに歯止めを、と九産大九産で40年間指導した
 ベテラン松嶋監督に白羽の矢が立った。
  

 松嶋監督は
 『地元の選手で甲子園に行きたい、という学校側と
  意見が一致した。』
 と話す。

 04年9月に着任すると選手だけでなく、その父兄にも
 自らの野球哲学を説いてチームをまとめた。
 
 三池工同様の興奮を市民に与えることができるか・・・
 明日から始まるセンバツ 第一試合 対佐野日大戦に
 注目です!
  

 ちなみに、明日は早速 注目の大阪桐蔭“中田翔”が
 第二試合に登場します!
 第三試合も、これまた注目の仙台育英“佐藤由規”が登場!
 
 ・・・が、13日の練習試合で佐藤くん右手親指を負傷
 していたことが判明。
 投球練習は18日に再開したばかり。
 『投げた後に違和感がある。
  初戦でベストな状態で臨めるように頑張る』
 と話し、暗さはなかったものの、心配な材料・・・。
 得意のスライダーを披露したようだが、
 本人が自覚している“立ち上がりの悪さ”
 (初回に失点するケースが多い)を克服すれば
 上を目指せるチームだと思います。
  
 
 佐々木監督
 『これから先、調子の悪い時でも何とかするという
  対処能力を身につける必要がある』
 と、更なる佐藤投手の進化を促している。

 明日からセンバツ、土曜日からはパ・リーグ開幕と
 忙しくなりそうです
 あっ、息子の野球もだった
 

 
   
昨日の決起集会
2007年03月21日 (水) | 編集 |
 大体が仕事の関係で応援は決められた日でしか
 足を運べないのですが、昨日は たまたま店休日だったので
 参加出来ました。

 3部構成の決起集会でしたが、言わせてもらえば・・・
 散々だったようなあ・・・
 
 私的には、女子のダンスより、応援団の新曲披露などを
 チームの出陣式の前に行い、ファン同士の絆を より深め
 ロッテナインを盛り立てたかった
 なんでダンス
 しかもだらだら“決起集会”と名うつ大半がダンス・・・
 前置き長すぎ・・・
 選手が登場してからも ほんの数分でしたよ・・・
 “選手のみなさんには そろそろ退場して頂きます”
 『え~っ

 ファンは大激怒ですよ
 何時間待ってると思ってるの~ぉっって感じでした・・・
 まぁ、こんなものなのでしょうが、喜ばしい出来事もありました。
 
 あの大嶺投手から サインを頂きました
 ひとりひとり丁寧にサインを下さり、自分の番が回ってくるか
 微妙な順番でしたが(30分限定だったので)
 運よく回り、緊張してしまいました
 『ずっと応援しています
  (甲子園での活躍も)ズッと見てました
 と言い、私の愛用バッグ(ホワイトのアディダスバッグ)を
 テーブルに置くと
 『(こんな所にサインして)いいんですか』と聞かれたので
 『もちろんです』と
 甲高い声で答え サインして頂けました

 息子は
 『自分もプロになって、ファンにサインしたい。
  自分を待っていてくれる人たちに。
  それには練習だよね

 うちに帰ってからも主人に
 『連れて行ってくれて ありがとう。』
 私にも
 『すごく嬉しかった~明日も練習頑張るね』と。
 
 小学生にとっては、大きな出来事だったのでしょう。
 今日の練習で、首脳陣らとの紅白戦が行われ
 勇汰は4番 ショート・途中ピッチャーでスタメン出場。
 3打数ノーヒットだったが、リリーフで立つマウンドでは
 難なくこなした様子。
 (1回2安打1失点)でもないか

 寝室には“大嶺シャツ”を飾り、これを励みに
 日々邁進していく勇汰です。

 今後もロッテマリーンズを応援しつつも、
 色々な野球ネタをひろって、盛り沢山の話題を提供できたらと
 思う所存でございます


マイバック&大嶺サイン


マイバック&応援フラッグ 
  

ファンクラブユニフォーム&大嶺サイン  


 
今日は携帯から!
2007年03月20日 (火) | 編集 |
20070320184541


今日は携帯から!

ロッテの決起集会に参加しました! 念願の大嶺選手にもサインを頂き、胸いっぱいで涙が出ました~!! 息子もファンクラブのホームユニホームにサインを頂き「俺もプロになってファンにサインして喜んで欲しい!」と熱く語っていました! 決起集会が思ったより始まるのが遅く、間延びしていたのが ちと?? これから選手達の結団式が始まります。 来場でいただいたフラッグを手に、降り降り回して応援しま~す!!

いよいよ まもなく春の甲子園!
2007年03月19日 (月) | 編集 |
 別の県に野球留学した高校球児の数の統計で
 (高野連2006年調べ)
 登録人数76374人に対し、3096人。

 県外へ流出した球児が多い県で見てみると
 1位・・・大阪  409人
 2位・・・兵庫  128人
 3位・・・神奈川 91人 
 4位・・・東京  82人
 5位・・・京都  62人
  
 と、野球激戦区に多くみられる。

 409人とズバ抜けた数の球児達が県外に流出している
 大阪の野球部を 今日はピックアップ。
 激戦区の中、工夫を凝らすことで夢を叶えていく高校を
 取り上げてみたい。


 大阪桐蔭・PL学園など、強豪がひしめく大阪から
 この春、13年ぶり8回目のセンバツ出場を果たした
 北陽高校。
 
 阪神の岡田監督を輩出した名門校。 

 ざっと見渡しても、体の線の細さが目立つ彼らが
 13年という時を経て復活出来たわけ・・・。
 その秘密は練習の中に隠されていた。

 
 ①ベンチ入り予定18人中10人が体重60㌔台。
  秋の近畿大会ベスト8(大阪2位)。
  大きくない体を効率よく動かす為に始めた
  格闘技式のトレーニング。
  体のバランスを意識する事が狙い。
 
 ②体幹を鍛えるトレーニング
  体の軸・バランスを意識する為に3年前に導入。

  格闘技に詳しい水泳部の先生の発案。

 工夫して工夫して、線の細さを補ってきた北陽高校。
 体を大きくする為に、練習中の間食も許可されているそうだ。 
 夏には水泳トレーニングも実地している。
 
 実はこの高校にも未来のスター選手(?!)がいる。
 北陽高校 キャプテン 3番 ライト 上杉達也。  
 長打を狙わず足でかき回すタイプの選手。
 彼には『タッチ』を彷彿させる活躍を(?)期待し
 更にセンバツを盛り上げていってほしい。
 (桐蔭の中田君ひとり勝ちしそうな感もありますが・・・)
 
 

  
三塁コーチャー 井原マジック
2007年03月18日 (日) | 編集 |
 これぞ新生・原巨人のスキ無し野球だ!!
 巨人は昨日(17日)の楽天戦の5回二死一・二塁から
 谷佳知の中前打で、俊足の鈴木尚弘が一塁から生還!
 三塁コーチャーをつとめた井原春樹野手総合コーチが
 西武コーチ時代の87年日本シリーズ、
 巨人VS西武の第六戦で見せた“スキ無し走塁”を見せた!!
 
 ここで面白い“井原流改革”を紹介してみたい。

 ①読書感想文      
  30歳以下の選手に抜き打ちの読書感想文の提出を指示。
  文字ひとつで性格が分かると、手書きを厳命!    
  課題図書は『野球のメンタルトレーニング』
 
 ②キャンプの練習メニューの見直し
  5ヶ所でノック、2ヶ所での投球連係。
  全体練習の時間も大幅短縮され、自主練習が増えた。

  ③ミーティング

  コーチを務めていた西武黄金時代を手本に、一つでも
  前の塁を奪う積極走塁を徹底。
  キャンプ中は夜間はもちろん、練習出発前や練習中にも
  ミーティングを開いた。

 ④つなぐ意識
  紅白戦で4番・李の場面で重盗のサインを出した。
  2番谷には、自身紅白戦・オープン戦では初めてという
  犠打を指示した。


 ⑤カミナリ

  昨季キャンプの紅白戦で凡走した小坂・矢野にダメ出し。
  試合後、約1時間の青空ミーティングを行った。
  今春キャンプでは、紅白戦でサインを見落とした矢野に
  即刻交代を命じた。

 『手綱を裁く人と走る人がいれば出来る。
  そういうランナーがいるから楽しみですよ』
 と語る“名演出家”の井原コーチ。
 
 
 就任した当初の秋季キャンプから取り組んできた
 緻密な攻撃の完成に、自信をみなぎらせている。


 この日、三回には二死から粘り強い攻撃で先制点。
 1番 高橋吉伸から始まる’07オーダーも形になり始め
 1点を守りきる試合が出来た。
  

 『こういう試合がペナントレースで出来れば勢いがつく。
  相手チームにとっては、嫌な点の取られ方だからね。』
 と、原監督。
  

 スキ無くソツないチームを目指す巨人。
 この日の走塁もまだ、新シーズンへの“予告編”に過ぎない。
 
 
  
 2月22日のブログでも紹介してるが、
 私は、井原コーチの分析能力は高く評価している。
 新生ジャイアンツの“起爆剤”に打って付けの人材だと思う。
 ジャイアンツの今年の結果は どうなるか・・・
 とても興味がある。 
逆境での地道な行動
2007年03月17日 (土) | 編集 |
 『新庄のやり方50 人生・仕事に役立つ「新庄流」哲学』
 (三洲田泰雅・覇夢付愛太 ヒューマン文庫)
 より、とても心打つ文面があったので紹介したいと思います。

 いつもヘラヘラしている新庄も、未知の世界、メジャーに
 飛び込んで2、3週間が経った2001年3月初めの頃は、
 さすがにプレッシャーに苛まれていた。
 思うようなプレーが出来ずにイライラしていた。

 まず、参ったのがバレンタイン監督の“バント責め”である。
 阪神時代の新庄には、バントのサインなどめったに出なかった
 から、練習をほとんどしたことがない。
 それが
 『彼もメッツの一員。うちの練習スタイルに従ってもらうよ。
  新庄はピアッツア(マイク・ピアッツア)ではない。
  主砲以外は全員、バントの可能性があるんだ』
 というバレンタイン監督の方針によって、キャンプで盛んに
 バント練習をさせられた。

 練習では何とか格好がついてはきたが、実戦でバントのサイン
 が出ると、失敗が続いた。
 『バントは全員に必要だ!』
 陽気なバレンタイン監督も、バント失敗を繰り返す新庄に
 情け容赦なく苦言を呈してきた。

 まさか、メジャーでぶつかる最初の壁が「バント」とは
 思いも寄らない事態だったが、新庄が偉かったのは
 冷静にこれを受け止め、『唯一の対策』を講じた事である。
 
 出来ないことは、出来るようになるまで練習するしかない。
 早出、居残りのバント練習に汗を流した。
 

 やがて、送りバントが1つ成功してから、バットにも
 快音が戻り、結局、新庄はオープン戦でメッツ最高の
 成績を残して、開幕メジャーの栄誉を手にする。

 彼らしからぬ地道な行動が、失いかけた流れを引き戻し
 逆境を抜け出す力になった。

 うまくいっているとき、ゆとりある状況下でする努力は
 比較的たやすい。
 困難なのは、思うようにならない時、追い込まれた
 状況の中でする努力である。
  

 逆境にある時、人は往々にして、事態を直視出来ずに
 やるべき事をやらなくなり、打つべき手を打たなくなる。
 そして事態を悪化させていく。
 
 成功する為には、逆境においてこそ、着実な努力を
 積み重ねる必要がある。
 

 状況を好転させる為には どうしたらいいのか、
 冷静に分析して、的確な判断を下し、成すべきことを
 コツコツと実行して行かなければならない。
  

 分かってはいても なかなか出来ない・・・そういう
 “基本”に、新庄は忠実だった。
 彼の本質に、ヘラヘラしたうわべからは窺い知れない
 強靭なものが秘められてるからこそそれは可能だったのだ。 
 

 
宿敵Rソックス倒すには井川の活躍が不可欠!
2007年03月16日 (金) | 編集 |
 ヤンキースで今季、世界一奪回のカギを握る一人が井川だ。 
 理由は、同じア・リーグ東地区の宿敵・レッドソックスが
 先発左腕を苦手にしているからだ。
 
 左腕が狭いレ軍の本拠地フェンウェイパークは左腕に不利な
 球場として有名だが、昨季のレ軍は先発左腕に対して
 25勝31敗と大きく負け越した。

 ヤ軍がレ軍を叩く為には、井川と4年ぶりに復帰した
 アンディ・ペティット(34)という先発左腕コンビの活躍が
 不可欠なのだ。

 確かに同僚のアレックス・ロドリゲス内野手(31)は
 日本の報道陣に
 『井川は15勝出来る』と予想した。
 だが“Aロッド”はファンが聞きたがっていることを言うのが
 好きだという特徴も忘れてはならない。

 私は、井川の今季の成否はカーブ次第とみている。
 日本人大リーガーは1年目に多くの日米の違いに適応
 しなければならないが、投手にとって重要なのはボール。 
 一般的に日本に比べて滑りやすく、握ったときに
 大きく感じるといわれている。
 井川の場合、球が滑って最も制球が難しくなるのは
 カーブだろう。

 カーブは投球に緩急をつける上で欠かせない球種。
 特に左の強打者と対戦する際には強力な武器になる。
 
 
 レ軍のデービッド・オルティス内野手(31)らを
 抑える為には、阪神時代と変わらないカーブの制球力が
 求められる。
  

 井川はスリムで運動能力が高く練習熱心。
 トーリ監督やギドリー投手コーチも、若手の模範になれる
 投手だ、と評価している。

 マウンド上で期待通りの投球さえすれば、先発の座は不動だ。


          記事・・・ヤンキース担当 ドム・アモレ氏
            (ハートフォード・カーラント紙より)
 
 
 
チェンジアップ投球時に3つのクセ
2007年03月15日 (木) | 編集 |
 ヤンキース井川慶投手に、チェンジアップを投げる際の
 クセが発覚!
 77球のブルペン投球で修正した。
  
 
 ロン・ギドリー投手コーチ(56)ら、ヤンキースの
 投手担当首脳陣3人が真剣な表情でマウンドに近寄ってきた。
 井川は、いったん投球をやめて、通訳の言葉に耳を傾けた。

 「細かい技術的な話しをしてくれました。
  日本時代と同じ話なので、理解しながら投げました」
 実は、決め球のチェンジアップを投げる際の
 クセを指摘されていた。

 ブルペン投球を6度も中断し、終了後も含めて合計20分間の
 直接指導。
 緊急修正を命じられたのだ。  

 首脳陣の話によると、速球時の投球フォームとの違いが3つ
 あるという。

 ①左腕の振りが小さく肘も下がる。 
 ②グラブをつけた右手が上下に動く。
 ③全体的に体の開きが早い。 

 そこを早急に直さなければならなくなった。  

 投手指導には定評があるビリー・コナーズ管理部長(65)は
 こう分析した。
 
 『右手はしっかり固定して、上半身が前に突っ込まないように
  軸足に体重を乗せれば修正できる。
  今まで通りに戻せばいいだけ。問題ないよ』
 
気がつけばキャンプ入り後最多となる77球のブルペン投球。
 その後は志願の遠投も行い、投球フォームを確かめながら
 約70メートルの距離を15球投げ込んだ。


 こうなると疲れが気になるが、体のケアは万全だ。
 自主トレ期間中に帯同していた井川の個人トレーナー
 添田隆也氏(45)が11日再びタンパ入り。
 前日、阪神時代に続けていたカイロプラクティックの
 治療を行った。
 『筋肉を緩めることによって疲労回復になるんです。』
 という添田トレーナーは、開幕直後まで帯同。

 今後は1日おきに治療を受け、中4日のローテーションで
 たまった疲れを癒す。

 「前回登板より腕を強く振ること。あと、チェンジアップを
  低めに集めることを考えて投げたい」。 
 本人も欠点克服に意欲的。

 次回先発、15日(同16日)のブレーブス戦で
 切り札の精度を高める。
 
  
 
小笠原FA移籍秘話
2007年03月14日 (水) | 編集 |
 昨晩のニュースステーションで、小笠原選手を取り上げて
 特集が組まれていました。
 個人的に“寡黙で四角四面”というイメージを持っていましたが
 強い信念の持ち主で“野球人”として尊敬すべき選手だな、と
 今までとは違う大きな興味を持ち
 ジャイアンツ移籍の理由にも 本人なりの葛藤も含め
 知りうるべき成り行きを見た中でお伝えしようと思います。

 去年のWBCでは世界一に貢献。ペナントレースでは
 二冠王に輝き、41年ぶりの日本一に導いた。
 日本ハムの顔といわれる男のフリーエージェント宣言。
 一体その裏では どんな葛藤があったのか?
 巨人を選んだ理由は?

 アテネオリンピック、WBCという二つの国際大会での経験。
 それが小笠原に これまでと違う想いを抱かせた。

 「あの頃から(WBC)考え方が変わったというか、
  殻が破けたというか。 やっぱり新しい環境、色々な壁が
  ある物に向かってやっていった方が
  色々な経験が出来ていいかな、と」
 また家族の問題も小さくなかった。
 
 だが、3年の月日が経つうちに小笠原は北海道に特別な
 愛着を抱くようになっていた。
 
 元来、小笠原は野球に集中する余りファンへの接し方が
 不器用な選手だ。
 元日本ハム球団社長補佐の三沢今朝冶氏は
 「(小笠原は)今まで野球一筋で良いプレーを見せる
  事だけを考えていたが、(移転後は)もっとチーム
  全体のことを色々と考えたり、ファンを大事にするような
  所がすごく出てきました。」
 移転後の小笠原はチームを北海道に根付かせる為に
 積極的にファンと接するようになっていく。
 そして札幌ドームに次第にファンが溢れていった。
 小笠原は満員のファンに囲まれてプレーする喜びを知った。


 悲願の日本一の喜びの瞬間は、同時にFA問題が本格化する
 苦しみの始まりでもあった。
 その当時、日本ハム金子誠は
 「残りたい気持ちもかなりあったと思います。
  北海道のファンは温かいし、そこでやるのは
  野球選手みよりに尽きる事だし。」
 アジアシリーズ戦のさなかもFAに悩み眠れぬ日々が続いたという。
 そんな中、すがる想いで ある人物に相談した。
 片岡篤史元日本ハム内野手。(1992~2001)

 「将来的に今どうこうじゃなく、後悔しないような選択を
  したらいいんじゃないか、という事を話した」

 「内容よりも片岡さんの声を聞いたことによって少し苦しみ
  というか重い空気というものが少し楽になった。
  その時期助かった」と小笠原は当時を語る。
  
 
 2006年巨人がFA獲得。
 小久保の移籍に伴いサードのポジションが空いていた。
 しかし、それだけではなかった。
 球団代表清武氏は交渉の席で小笠原に一冊のファイルを見せた。
 それは2005年各球団のキャンプを視察したリポート。
 その中に小笠原についての報告があった。

 『小笠原は走塁練習を黙々とこなし、30分ほどの
  ノックを終えると散らかったボールを自ら片付けグラウンドの
  荒れた土をトンボで慣らした。整備しようとする
  若い職員を制止して。
  自分で練習の後始末をしていた』

 小笠原の野球に取り組む姿勢は深く共感できる。
 清武氏も「こんな人間がいるんか」と感激したそうだ。
 
 「色んな過程を評価してまた取り組む姿勢を評価してくれて
  そこまで見てくれるのであれば全てを任せて自分も
  飛び込んで行って皆で一緒になってドロドロになり最後に
  大きな物を皆で掴み取りたいという気持ちにさせてくれた」
 
 
 2006年12月22日小笠原は巨人入りを表明。
 実はこの日の交渉で、あるやり取りがあった。
清武氏)彼は照れ屋ですから最後に『妻が手紙を書いたので
自分の想いもここにあるので読んで下さい』と見せてくれて・・・

 『私事ではございますが、結婚して10年。ファンからの、
  球団からの、大切な預かり物として小笠原と接してきました。
  この度多くのファイターズファンの“涙の落胆”という
  大きな大きな十字架を背負い覚悟をし飛び込んで行く
  決心をしたようです』
  

 3月1日オープン戦初戦は札幌ドーム。くしくも古巣日ハム
 との対戦になった。
 打席に向かう小笠原はファンからのブーイングも覚悟していた。
 札幌ドームの観客は彼を大歓声で迎えた! 
 「グラウンドに出た瞬間、沢山の拍手を頂きました。
  チームが変わっても下手な事は出来ないな、と」
 そして巨人の移籍後初めてのヒットは札幌のファンが贈った
 大声援に応える一打だったに違いない。
  

 「こっちにきて自分にとって(北海道での)3年間は
  非常に大事だったなという事を もう一度再認識
  させられました。」
  
 
 新たな一歩を踏み出した男の挑戦が始まる!

 奥さんが自ら“球団からの大切な預かりもの”と主人を
 位置づけし、“野球人 小笠原道大”を支え続けてきた妻。
 寡黙な小笠原の心を一番そばで見守り続けてきた奥さんの
 心情、願いがこもる 清武氏(球団)への手紙に
 私は感銘を受け、今までとは違った角度から
 “野球人 小笠原”を見守り応援し続けていきたいと思う。
  
 
  
 
 
ナックル攻略糸口見つける
2007年03月13日 (火) | 編集 |
 ヤンキース松井秀喜外野手が12日のレッドソックス戦
 遠征に同行し、苦手のナックルボーラー
 ティム・ウェークフィールド投手(40)攻略に挑む!

 対戦はしないが、松坂との対面も見もの。 
 
 長旅の末に待っているのは新加入の松坂に、苦手の
 ウェークフィールド・・・。
 例年にも増して熱い戦いを繰り広げるであろう伝統の一戦の
 前哨戦に松井は挑む!

 『そういえば去年は あまりウェークフィールドと
  対戦した記憶がないなあ。
  そうか、ボクが居なかっただけだ
 レッドソックス先発予定のウェークフィールドのナックルには
 2003年以来、手を焼いており
通算成績は
 打率.158 2本塁打と分が悪い

 昨年5月1日の対戦でも3打数無安打。
 同5月11日にもニューヨークで対戦する予定だったが
 一回の守備で左手首骨折。
 打席に立てないまま病院に直行して幻となった。
 いわば因縁の相手でもある

 『彼は特別な投手。球に慣れたからといって
  打てるとは限らない』
と松井は言う。

 ナックルは左右に揺れながら落ち変化が予想しずらい魔球。球を最後まで見て捉えるしかない。
 シーズンに向けて攻略の糸口を見つけるためにも、
 オープン戦の打席を無駄にはしたくないはず。
 

 また『周りが騒ぐだけですよ』と平静を保つが
 登板しない松坂との初対面の可能性もある。
 日本ではウェークフィールドとの対決以上に注目を集めそうだ!

 
  

 
 
秘密兵器で桑田超回復!
2007年03月12日 (月) | 編集 |
 パイレーツの桑田真澄投手が10日、前日9日のブレーブス戦で
 痛めた左足首のケアに専念するため、屋外の練習に参加せず
 完全別メニュー調整をした。

 「軽い捻挫」と診断されているが、パイレーツの“秘密兵器”
 で治療し、順調に回復。
 この負傷がメジャー昇格の障害には ならずに済みそうだ。

 9日のブレーブス戦で、桑田は投ゴロを処理した際に
 左足首をひねった。
 1イニング目での負傷だった。
 『せっかく2回を投げさせてもらえるチャンス。投げたい』
 と続投。 
 実は桑田、1イニングで止めようと思っていたらしいが
 何も言わずにマウンドへ立ったそうだ。
 メジャー屈指のアンドリュー・ジョーンズとの対戦を
 (’05 ナ・リーグHR・打点王)
 してみたかったらしい。
 ノーアウトランナー1塁3塁のピンチだったが
 サードライナーに仕留めた。
 そして予定通り2イニングを投げ、試合後に治療を受けていた。

 その時に使われたのがHIVAMAT
 (ひばマット)と言われる医療機具。
 
 パイレーツの関係者は「2~3年前に導入。
 大リーグ全体が使用しているものではない」と話す。
 

 この器具で患部に強い振動を与える事で
 腫れを抑えられるという。
 
 
 昨季ナ・リーグ首位打者となったサンチェスも愛用。 
 以前、キャンプ中に自打球で ふくらはぎを負傷した際に
 使用し、翌日には練習に復帰した。
 

 2日連続でこれを使用した桑田は
 『日本にも取り入れたいような機械。効くのかな?と
  思ったけど、一夜明けても、全く腫れなかった』
 と、その効果を実感。
 『明日には軽く走れるようになると思う。
  走れたら(復帰は)早い』
  
 と、前回同様『中4日』で登板することが可能な状況に
 なってきている。
 
 
 


 
 
  
 
桑田真澄 悔い無き人生を
2007年03月11日 (日) | 編集 |
 憧れのマウンドで厳しいサバイバルのスタートを切った桑田。
 素晴らしいパフォーマンスを初登板で披露した。
 夢への第一関門突破へ、恐れていたマイナー通告も無事クリア。

 『マウンドが硬い。土が硬くて・・・』
 軟らかい日本の土とは異なる硬いマウンドに
 38歳の肉体は悲鳴を挙げていた。


 『スパイクの歯が ひっかかって結構足に疲労がきたりする』
 グランドにポツリとひとり残り、酷使された体を労わる桑田。
 その本人が言っていた 慣れないマウンドの影響か
 昨日の登板の際、左足首捻挫をしてしまうも
 次回登板が、桑田にとって生き残りを懸けることとなる 
 “背水の陣”になる。
 

 更に慣れないボールも当初は違和感だらけだった。  
 『日本のボールよりも ひとまわり大きく感じるんで
  すごくドライで滑る。自分が ここで離そうとするのが
  その前ですっぽ抜けてしまう』

 先日のオープン戦で投げた井川もコントロールに苦しんだ。
 『まるで縫い目の無い 砲丸投げのボールのような感覚だ』 と桑田は語る。
 『ギュっと握ってしまうと引っ掛けてしまう。
  できるだけリラックスしといて最後に力を入れたいんだけど
  投げる手前で(離れるから)滑ってしまう。』


 しかし、同時にこのアメリカのボールは多彩な変化球を持つ
 桑田にとっては追い風にもなった。


 右バッターを詰まらせるシュート。
 大きく割れるカーブも。 
 制球力と配球力。桑田の生命線に打って付け。

 『変化球の曲がりが すごくいいので、滑る感覚が無くなれば
  かなりいいボールになると思うよ』


 また、今回単身海を渡った生活を通して自分を見つめ直すように
 なった桑田は、ひとつ新しい自分を見つけ出したという。

 『ボクは野球が大好きなんです!  エースが好き、とかリーダーが好きとかじゃないんです』
 それは過去の名声よりも大切にしたいという心だったのだ。
 『人生に悔いを残したくない。
  もう一回あの時に戻りたいなんて無い。
  常に前に前に進んで行きたい!』


 桑田は、がむしゃらに自分の信じた道を突き進むだけだ!

 
  
 
リベンジOK!井川流“股割り投法”
2007年03月10日 (土) | 編集 |
 全体練習を終えた井川が、約5メートル先のフェンス目掛けて
 黙々と投げ込んだ。
 『体重移動とバランスよく投げる為。
  ブルペンでいい形で投げる為の下作りですね』

 両足を大きく開いて腰を落とす。
 その状態から75球通常の投球フォームで16球の合計91球。
 キャンプ最多の投げ込みになった。

 井川から投げ込みを志願したのは今回が初めて。
 ルーキーながら、日本で実績もあることから認められた。

 “股割り投法”はメジャーでは違例の調整法だが、
 投手の育成や指導には定評があるビリー・コナーズ管理部長
 (65)は、こう分析した。
 『リリースの際の球持ちが良くなる。
  彼にとっていい調整法の一つだ。
  首脳陣も納得しているよ』


 発奮材料があった。
 6日付のニューヨーク有力紙が、不完全燃焼に終わった
 5日のオープン戦初登板(タイガース戦)を酷評。

 井川は『英語は読めないので分からないです』と、かわしたが
 刺激を受けた。

 この日はナイターのレッズ戦をベンチ観戦。
 同じ左腕のアンディ・ぺティット投手(34)を
 じっくり見学した。

 二回無死満塁のピンチを切り抜け、三回無失点という
 ベテランらしい投球からパワーをもらった。
 『彼のすべてが参考になります』

 日本時間今夜深夜、登板予定の井川。(対パイレーツ戦)が
 雪辱のマウンドとなる。

 井川の“股割り投法”を見守ったヤンキース
 リッチ・モントレオーネ特別投手インストラクター(44)は
 『今まで見たこと無いね。日本で彼がやっていた
  練習のようだ。我々が指示したのではないよ』
 と、井川の調整法に興味深々の様子だった。
 
216勝軟投派の投球術44歳モイヤーから刺激
2007年03月09日 (金) | 編集 |
 桑田真澄(38)が夢のメジャー昇格へ第一関門突破した!
 6日マイナー降格8選手の中に入っていなかった。

 練習後に観戦したフィリーズ戦では、通算216勝を誇る
 軟投派のベテラン左腕、ジェイミー・モイヤー投手
 に刺激を受けた。

 桑田は明日当地で行われるブレーブス戦に登板が決まっている。

 一塁ベンチから食い入るように見つめた。
 「すごく参考になることばかり。
  色々な(球の)出し入れをしているね。
  生で見られるとは思っていなかった。」

 夢のメジャーに挑戦中の桑田が最高の刺激を受けた。

 モイヤーは6歳上で初めて20勝したのが38歳という遅咲き。
 今も先発陣の一角を占めている上、現在の桑田と同じように
 球威ではなく、制球力と変化球の組み合わせで勝負するタイプ。

 「今日のメインは試合を見ること」
 と観戦を楽しみにしていた。

 カーブの使い方や粘り強い投球術など収穫は多かった様子。
 モイヤーと“もういいや”をかけて
 「名前のわりには全然諦めない人だね」と
 オヤジギャグまで口にするほどご機嫌の桑田


 マイナー降格8選手の中には“クワタ”の名前は無かった。
 6投手がメジャーのキャンプから姿を消し、近くのロッカーも
 空になった。
 ライバルの投手は『34人』から『28人』に。
 
 「日本でも21年間、そういう厳しい中でやってきた。
  そういう世界なので仕方が無い」

 開幕ベンチに入れるのは10~12人。
 桑田がサバイバルレースで生き残るにはまず、
 次回の登板のブレーブス戦で好投することが最低条件になる

  〔この日の桑田〕
 ブルペンに入り、カーブやスライダーを交えて65球の
 投球練習をする。
 「少し張りがあったので、ビシビシ投げ込むというより
  体全体の柔軟性を出すのが目的」
と桑田。
 途中で打席に入り球筋を見たゼイビア・ネイディ外野手(28)は
 『内角に変化球を投げてきた。コントロールがいいから
  当てない自信があるのだろう』
 と、感心していた。
 
 かつて日本の球団に売り込みのビデオを送ったこともある
 フィリーズのモイヤー投手は桑田について・・・
 『投球は速球ではない。制球力と緩急をつけて
  打者のバランスを崩すことが重要。
  桑田も日本で21年投げていたなら知っているはず。
  これから注目するよ!』
と、コメントしている。
 
 
 
会社設立 マッティングリー氏バットで日本進出へ
2007年03月09日 (金) | 編集 |
 大リーグで日本進出を狙っているのはヤンキースや
 レッドソックスという球団だけではない。
 ヤ軍で昨季まで打撃コーチを務めたドン・マッティングリー・
 ベンチコーチ(45)=(日本のヘッドコーチに相当)は、
 昨オフにバット会社を設立。
 日本市場へ売り込みをかけている。

 『日本で野球をしている人達に是非、私の考案したバットを
  紹介したい。特に子供達に使って欲しいんだ。』

 今でも「ミスター・ヤンキース」と呼ばれる同コーチが
 日本市場にラブコールだ。

 現役時代は左打ちの一塁手。84年に首位打者、85年に
 MVPを獲得して、10代目の主将も務めた。
 87年にはア・リーグ記録の8試合連続本塁打と、
 大リーグ記録の満塁本塁打6本をマークしている。

 世界最強のヤ・軍打線を指導してきた独自の打撃理論を基に
 開発したのが『Vグリップ』だ。
  

 「構えた時に両手の第二関節が一直線になっていないと
  柔軟なバットコントロールができない」

 と、同コーチ。

 自然に正しい握り方が覚えられるように、グリップ部分を
 V字型に工夫した。
 

 同コーチがV字型バットを開発したきっかけは、ヤ・軍に
 ドラフトされた長男(既に退団)を含む息子3人に
 打撃を教えたことだった。
 「子供は“打とう”という気持ちが強くて捕手側の手が
  かぶってきてしまう。 
(第三関節と第二関節が一直線になる)」
 と、同コーチ。
 
 このクセがある大リーガーも多く、ヤ・軍ではV字型バットで
 矯正している選手もいるほどだ。


 同コーチは現役時代、王貞治のフォームも研究。
 日本刀を使った練習の写真を見て
 『正しい握り方の重要性』を再確認したという。


 松井秀喜の存在や04年開幕戦で来日したこともあり
 (この日、うちの息子もチームの仲間と東京ドーム行き観戦。
  数万人の中で“松井バット”を当ててきました
  余談でした
 日本にはビジネス以上の思い入れが強いようだ。

 「是非、日本で野球教室をしたい。
  日本の子供たちを指導するチャンスを作って欲しい

 同コーチは今オフ、契約最終年となるジョー・トーリ監督(66)
 の後任に昇格する可能性もあるが、
 「(日本に)招待されたら必ず行くよ
 と断言。

 例え監督就任の話が進行中でも来日する覚悟で、
 日本からのオファーやビジネスパートナーが現れるのを
 心待ちにしている
 
 
  
  
天才と呼ばれる由縁 2000本安打の境地へ!
2007年03月08日 (木) | 編集 |
 膨大を射程圏内に捉えた選手・・・。
 広島 前田智徳(35)2000本安打まで94本。

 プロ17年間の通算打率 .305  
 多くの一流選手が言う。
 『前田こそ 真の天才である!』ということを。
 前田はこう言う。
 「天才だったらもっと数字を残していると思う。
  ボクは並の選手なので・・・」
 だが、イチローが前田へ挨拶に足を運んだり、中日落合監督が
 『(左打者で真似していいのは)前田だけだ!』
 
 というエピソードもある。

 通算200勝まで あと9勝に迫る41歳のベテラン
 中日の山本昌投手は、前田を こう評す。
 『やっぱり天才ですよ!彼には一度、アウトローの低目を
  ライトスタンドに持って行かれた事があるんです

 忘れられない前田からのホームラン。

 1998年5月20日対広島戦 静岡 浜松球場。
 『あそこは多分、引っ張って打つというのは、恐らく松井君でも
  イチロー君でも そう持っていけないはずなんですけど
  前田君にね“ガツン!”と、そうやられてから
  (ピッチングが)難しくなりましたね
  あんなに奇麗にライトスタンドまでアウトローの球を
  持って行かれたのは初めてなので、そういう意味では
  やっぱり天才ですよね


 外角低めの球をレフト方向に流し打つのではなく、
 ライト方向に引っ張ってホームランにする。
 それはイチローでも松井でも簡単な事では無い。
 前田が“天才”と称される由縁のひとつなのだ。


 バッティングに関しては、自分でも理解できないらしい。
 「“勘”でやっていますから。教えてもらいたい位ですよ!」
 というくらい。
 言葉を搾り出して考えてようやく口にしてみると
 「適当に言わせてもらうと、フワッと(バットで)払うだけ。
  払うようなイメージで長く(バットを)ボールに
  食いつかすというイメージですよね」

 また勇汰へのヒントがひとつ増えた


 “前田智徳”という選手を知る上で、重要なシーンがある。
 プロ3年目の92年9月13日 対巨人戦。
 広島1点リードの5回(1-0)。
 巨人 川相の打球が前田の守るセンターへのライナー。
 前田はこの打球を後逸してしまう
 結局これがランニングホームランとなり1-1同点に
 先発ピッチャーの北別府は勝ち投手の権利を得られず
 続く6回でマウンドを降りた。
 
 「あそこで何故ダイビングをしなかったか?悔いが残るんです。
  自分の勇気の無さが(悔やまれる)。
  1-0で良いピッチングをしていて、それも(勝利投手の
  権利を得られる)5回ですから・・・

 そして8回 ランナーを一人置いて前田の打席。
 センターへのツーランホームランが決勝点になり広島勝利
 試合後のヒーローインタビューに前田が指名されたが
 彼はそれを拒否する。
 「やはり自分の中では(5回の守備で)ダイビングしなかった
  事の後悔、(投手の)勝ちを消してしまった事の悔やみ。
  そんな中で“何がヒーローインタビューだ
  ふざけるなという感じでしたよ」
 消極的なプレーでピッチャーの勝ち星を消してしまった自分には
 ヒーローインタビューを受ける資格は無いという事だ。
 前田は悔し泣きをしていた。


 その後大きなケガに泣かされ続けた前田。
 95年 右アキレス腱断裂。
 その後も後遺症に悩まされ続け
 2000年には左アキレス腱も手術した。

 そんなたび重なるアクシデントを乗り越え、2000本という
 数字は、手の届く所にある
 大台に辿り着いた時、その時前田は・・・
 「(自分は)運が良かったな、と。
  本当はもう終わっている。
  だけど色々なチャンスを (神様から)もらった訳で、
  本当は終わっている自分に 色々な繋がりがあるのだと思う。
  2000本打ったら“ありがとうございます!”という
  気持ちだけです! 打ったらですよ

 天才と呼ばれる者は、独特の世界観を持ち、強い信念の塊
 のように思う。
 天才の哲学を またひとつ垣間見たように思う
  
 
 

 
 
 
 
 
 
MAX138㌔でも冴えたツーシーム
2007年03月07日 (水) | 編集 |
 オープン戦初登板 1回遊ゴロ2三振を奪い三者凡退に抑える。
 メジャー挑戦の為に覚えたツーシームと決め球のカーブを
 駆使して、MAX138㌔のボールでも通用することを証明した。

 先頭のブッバ・クロスビー外野手への初球は、左打者の外角へ
 逃げながら沈むツーシーム。

 リーチが長い大リーグの打者に内野ゴロを打たせる為に
 キャンプ中に磨いてきた新球を計3球投げて遊ゴロに仕留めた。
 

 続く2番のスコット・ハッテバーグ内野手は第一打席で
 本塁打を放っていたが、フルカウントからのスライダーで
 空振り三振。

 二死走者無しで3番のブランドン・フィリップス内野手を
 カウント2-0に追い込むと、
 ジム・コルボーン投手コーチから一昨日に受けた助言を
 思い出す余裕が生まれた。
 

 『ツーストライクを取ったら一度試してごらん』と勧められて
 いたのは、内角への速球勝負!

 追い込まれると外角を意識する傾向がある大リーグ打者の
 意表を突く配球だった。
  

一発を浴びるリスクを承知で、桑田はこの日のMAX138㌔を
 投げ込み、見逃しの3球三振だ。

 
 巨人の看板も、通算173勝の実績も通用しない世界での
 再出発・・・。
 熱心な練習姿勢と技術の高さで認められ、英語やスペイン語を
 駆使してチームに溶け込む努力も欠かさなかった。
  

 次回登板は8日(日本時間9日)のデビルレイズ戦か
 9日(日本時間10日)のブレーブス戦。
 奇跡を予感させる14球だったように思う。
 
土台固め
2007年03月06日 (火) | 編集 |
 3日から県南大会が行われ、4日2回戦で逆転負けしてしまい
 卒業する先輩への“はなむけ”を送る事が出来ませんでした。
 とても残念です

 そして、新体制も着々と進み、17日には新5年生主体の
 練習試合が行われるそう。
 もちろん、今度5年生になる勇汰は主軸になる。
 2月中旬頃からピッチャーの練習を始めたが、
 同級生には、チームの大黒柱のピッチャーがおり、
 内野を固める為に勇汰はショートの守備に徹する事になると思う。
 
 先日、試合前 監督に直訴した勇汰。
 左打者になる事に こだわりを持ち、冬の間特訓をしたのだが
 ある事がきっかけで、また右打者へのチェンジ。
 その“こだわり”を監督らに わがままと思われても、
 仕方の無い行動だったと思う。
 だが、また右に変えた事で“そんなに浮ついた考えで”・・・
 とも捉えられたかもしれない。
 
 ワンクッション置いて夫婦で手紙を書きお詫びする。
 (監督を無視し、今までの左でのこだわりを捨て右に変えた事)
 そして、勇汰が手紙を渡すと、監督が勇汰に一言・・・
 『お前に(右に変える事を)言って欲しかった。』と言われ
 次の日、監督に『これからも右で頑張ります!』と本人が直訴。
 監督は頷きながら『よし、分かった』・・・と応えた。

 監督は始めから左では打てないと確信していたらしく
 それを本人に分かって欲しくて 練習試合では
 4番の打順で使っていたらしい。
 屈辱を味あわせる為に・・・?早く気付いてもらう為に。
 でもまだ4年生。
 結果はすぐには出さなくても いいのでは?という
 本人の気持ちとは裏腹に、既に結果を求められている立場に
 置かれている本人に、私たち夫婦は チームの方針に
 従わなくては・・・という やり切れない気持ちにも
 なりました。
 ですが、お任せしている以上、委ねることも必要と
 本人の気持ちを尊重し、右に変えました。

 苦渋の選択ではありましたが、家でのバッティングの練習では
 両方で打つ練習をする事にしました。

 4日の巨人VSソフトバンク戦での松中の内角低めのホームラン。
 松中はインタビューで『右手の感触が良かった』と語ったが
 利き手と逆の手で運ぶ力の入れ具合。
 右手で運んだホームラン。
 勇汰は その感触を理解していた。

 今晩の右のバッティングでは、右手は添えて左で運ぶ訓練を
 してみた。 シングルハンドでバットの先を見据えて運ぶ練習。
 腕がよく振れていて、左での練習が無駄にはなってなかったな、
 と夫婦で話していた。

 17日の練習試合では、少しでもチームに貢献出来るように
 毎日一緒に頑張りたい
 
 
 
全米「ジャイロ論争」に自らケリ 
2007年03月06日 (火) | 編集 |
 ついに正体を明かした! チーム本隊の遠征に帯同せず、
 キャンプ地に残留しての練習を終えた松坂が
 “魔球”について語った。

 『ジャイロの映像?ああ、ありましたね。ただのカットボール
  でしょ』。

 インターネット上では、「松坂が投げるジャイロボール」
 という売り込みで動画が流されている。
 それに対し松坂は あっさりと『それはカットボール』
 と断言した。

 全米で沸いている「ジャイロ論争」。
 進行方向に向けアメフトのボールのように“らせん状”の
 軌道を描き、直球より球速が落ちにくいとされる魔球だ!

 新聞にジャイロ回転の図解や、球場には「ジャイロボール」と
 書かれたボードを掲げるファンもいる。

 松坂も入団当初の会見で米メディアからの質問に
 『どの球をジャイロと言われているのか分からない』
 というなど、話題ばかりが一人歩きしていたが、
 自らケリをつけることになった。

 “雑音”を排除し、試合に専念できる環境を整えたのでしょう。