日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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オリ駿太も『持ってる』?
2011年03月01日 (火) | 編集 |
実力の世界にも、きっと『運』は介在する。
見えない力を備えた人は <持っている> などと言われる。

オリックスでは、
新人の駿太(本名・後藤駿太、前橋商)だろうか。

昨秋、岡田監督がドラフトのクジを3度も外してくれた
おかげで、『1位入団』の称号を得られた。

キャンプは二軍スタートだったが、
外野の先輩・赤田、森山が故障したことで、急きょ一軍へ。
紅白戦で結果を残した。

かつては、ドラフト下位指名の掛布雅之(元阪神)が
1年目のオープン戦で、
結婚式で欠席したレギュラー選手に代わって先発。
2安打を放って勢いに乗り、一軍に定着した。

岡田監督も、6球団が競合しながら、
大ファンの阪神に入団した経緯がある。

持っている?
駿太に水を向けると、
『福引とか、1回も当たったことないです。
 じゃんけんも勝てる気がしない』。

まだ17歳。
これだけユニホームを汚していれば、
いつか野球の神様が味方になってくれるよ。


2月25日 読売新聞スポーツ面 『キャンプ えとせとら』より
                     北谷圭氏
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足を上げるか、上げないか?松井秀喜とTー岡田、うんめいの分かれ道
2010年09月20日 (月) | 編集 |
               鷲田康 = 文 


「背番号55」――巨人に入団した松井秀喜外野手
(現ロサンゼルス・エンゼルス)が活躍したことで、
このナンバーは日本球界で一つの意味を付与された。

大型スラッガーが背負う背番号。
プロ野球の世界に身を投じる若者にとっては、この「背番号55」は、
本塁打という野球最大の魅力に身を捧げる選手のシンボルとなった。

独特のノーステップ打法で、
今季ブレークしたオリックスのT-岡田内野手も、そんな思いで
「背番号55」を背負った選手の一人だった。
そしてこのT-岡田と松井の成長の軌跡をたどると、
実は不思議な双曲線で交わることになる。

松井が巨人に入団した1年目、1993年のキャンプでのことだった。
訪れたOBや評論家が松井のフリー打撃を絶賛する中で、ただ一人、
その将来性に“否定的”な人物がいた。
通算3085安打の日本記録を持つ張本勲さんだった。

「松井は素晴らしい才能の持ち主だ」

 張本さんは言った。

「だが、今のフォームでは通用しない」

そうして松井に教えたのが、右足を上げずに、
地面をするようにステップする打ち方――
いわゆる「すり足打法」だった。

~「すり足打法」で迷っていた松井を救った長嶋監督~

「すり足打法」はスイングの際の上下動が少なく
ボールを正確に捕らえるという点では有利だが、
松井のようなパワーヒッターには、ねじれの反動が使いにくく、
スイングパワーがボールに伝わりにくいと感じる部分もある。

結局、張本さんの指導を“拒否”する形で、
松井は右足を上げる今の打法に突き進むことになる。
そのとき迷える松井を救ったのが、
生涯の師弟関係を築くことになる長嶋茂雄監督(現終身名誉監督)だった。

「オマエにはオマエのタイミングの取り方、スイングの軌道がある。
 それを二人で探して、最高のフォームを見つけ出そう」

そうしてミスターとの二人三脚が始まり、
松井は日本を代表するスラッガーへと成長していくわけだ。

 この逆の道を歩んだのが、T-岡田だった。

プロ入り当初は一本足打法だったが、
入団2年目には「すり足」打法に挑戦。
それでも長いトンネルを抜け出すことができなかった。

「もっと反動を使った方がいい」

今季も開幕直後には、
打撃コーチからは再び足を使った打法に戻すことを勧められ、
悩みに悩んだ時期もあった。

「開幕直後にはちょっとノイローゼ気味になっていた時期がある」

こう教えてくれたのはあるスポーツ紙のオリックスの担当記者だった。

「性格が穏やかで、どちらかというと気が優しい。
 今季は“T-岡田”と岡田監督に命名されて、
 大きな期待がかかっていることも判っていただけに、
 結果がでないこと、コーチに徹底的に指導を受けたことなどで、
 ちょっと精神的に追い込まれていた時期もあった」

 それを救ったのがチームメートと岡田彰布監督だった。

~チーム一丸となってT-岡田を支えたエピソードとは?~

ある日の練習後、選手サロンでのことだった。
落ち込んでいるT-岡田を見て、
数人の選手がT-岡田の特注Tシャツを着て食事をしだした。
次の日にはまた数人が、そして次の日も……。
そうしていつの間にか選手サロンが、T-岡田Tシャツで一杯になったのだ。

「“悩んで、落ち込んでいるけどガンバレや!”
 という無言の励ましでしたね」(前出・担当記者)

 そして、もう一人、手を差し伸べたのが岡田監督だった。

5月に二人だけの打撃練習が始まった。
室内練習場を閉め切って、延々と続くマンツーマンの打撃指導。
そのとき指揮官が教えたのが、いまのノーステップ打法だった。

両足を大きく開く。
重心を落として低く構えてノーステップでスイングする。

「下半身の動きを抑えることで、
 低めのボール球を振ることが少なくなった。
 甘く来たのをしっかりとらえられている」

 本人はこの打法の利点をこう解説する。

あとやるべきことは、バットの軌道に集中することだけだった。
そうすることによって、
来た球に逆らわずにセンターから逆方向へも
強い打球が打てるようになった。


~足を上げるのか、それとも上げないのか~

松井とT-岡田はまったく逆方向に進むことで
それぞれの道を見つけ出した。
しかしその過程で生涯の恩師と出会い、
本塁打を打つという特別な才能を開花させた。

そして松井は「背番号55」を特別な意味を持つナンバーに育て上げ、
T-岡田はその継承者としての道をいま、歩みだしたわけである。


【筆者プロフィール 鷲田康氏】

1957年埼玉県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。
およそ10年にわたり読売ジャイアンツ取材に携わった。
2003年に独立。
日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、
Numberほか雑誌・新聞で活躍。
著書に『僕のメジャー日記 松井秀喜』(文藝春秋)、
『ホームラン術』(文春新書)がある。

交流戦初優勝の立役者、Tー岡田の“貪欲な成長”~MVPを獲得した若き4番打者~
2010年06月29日 (火) | 編集 |
永谷脩 = 文   


「3割3分以上を打たないと、
 ウチでは3割打者とは言わんのですワ」と謙虚に語るのは、
交流戦を初制覇したオリックスのT-岡田。
それもそのはず、交流戦打率3割1分7厘、6本塁打、
24打点の活躍を見せたが、
チームには3割8分9厘の坂口智隆を筆頭に、
交流戦3割打者がズラリと並んでいるからだ。
だが、岡田彰布監督は「優勝の立役者の一人」として
22歳の若き4番の名を挙げる。

昨オフ、岡田貴弘が半ば強制的にT-岡田に改名させられたのは、
岡田監督のひと言
「同じ名前でややこしいやん」が発端だった。
オリックスには、仰木彬監督時代からパンチ佐藤、イチローら
「改名すると急成長する」という“伝統”がある。
当時のイチローを知る唯一のコーチ、米村理が、
「イチローのキャンプもすごかったが、T-岡田も、ようやる。
 時間外勤務が長すぎて、労働基準法違反やでェ」と語っていたのは、
今春の宮古島キャンプであった。
「練習はウソをつかない」はイチローの言葉だが、
T-岡田にも、今季、早々とその効果が現れている。  


~“浪速のゴジラ”覚醒の理由は豊富な練習量にあり~

高校時代は大阪桐蔭の辻内崇伸(現巨人)らと共に
“浪速の四天王”と称され、
'06年のプロ入り後はウエスタンで本塁打・打点の二冠王に輝き、
“浪速のゴジラ”と呼ばれるようになった。
昨年は8月から一軍に定着、43試合で7本塁打。
だが、三振も59喫し、
「バッティングの師」と仰ぐタフィ・ローズに相談したこともあった。
そのローズが解雇されたのは、
金銭面の問題の他に、T-岡田の成長を見越した面もある。
「タフィさんの“T”をもらったと思えば、あの当時、
 言われたことを思い出せる」と、
ファンの公募で決まった名前も前向きにとらえた。

「将来を考えれば、守れて打てる選手でなければいけない」と、
DHを嫌って守備を志願したカブレラをスタメンから外してまで
一塁手に起用し、カブレラが故障したとき、
あえて4番に使った岡田采配。
その期待感がひしひしと伝わるから、
「練習志願せざるを得ない。今は練習が当たり前になった」
と本人は言う。

今季、激減した三振については、
「配球や読みがわかるようになってきた」。
今季から野球ノートをつけ始め、
「自分では判別できなかった球種について、
 必ず聞きに来るようになった」と、
島袋修チーフスコアラーがそっと教えてくれた。

T-岡田のホームランは客を呼べる!! 打率2割3分でも起用される理由
2010年05月14日 (金) | 編集 |
          氏原英明 = 文 


 開幕戦のことだった。

楽天のエース・岩隈久志のストレートを捉えた打球が
破裂しそうなほどのインパクト音を残して、
右翼席ポール右上方5階席へと突き刺さる大ファールになった。
その軌道を見た時、
彼への期待度が単なる若さや話題性からくるものでない
という確信が持てた。

 あの日、目にした打球は本物だった。

 オリックスの若き大砲・T-岡田のことである。

ファールになったとはいえ、'08年の沢村賞投手でもある岩隈に向かって
あれほどの打球を返せたということは、
彼のレベルが開幕時点ですでに一軍レベルにあることを伝えていた。

 時を経て、5月5日の対ソフトバンク戦。

3回裏、1、3塁で打席に立ったT-岡田はここでも驚愕の打球を見せる。

高橋秀聡のストレートを捉えると、
打った瞬間にそれと分かるホームラン。
T-岡田は行方を目で追うことなく、ベンチを見やり
「どうだ」といわんばかりのジェスチャーを見せた。
打球は開幕戦と同じ、5階席まで飛んでいた。

 これがT-岡田のホームランなのだ。

~高校時代は「浪速のゴジラ」だが、ドラ1入団後は……~

打率が.220~.230台でもスタメンに抜擢され、
彼が5番を打つ理由はその凄まじい打球にある。
「自然にバットが出ました。打った瞬間に(ホームランって)
 分かったんでね」と笑顔を見せたT-岡田。
履正社高校時代は「浪速のゴジラ」として注目を浴びたが、
まさに松井秀喜の打球である。

T-岡田が「ゴジラ」の愛称で呼ばれるようになったのは、
高校2年夏を前にある専門誌で紹介されてからだ。
直後の大阪府大会で5本塁打、
さらに2試合をまたいでの5連続敬遠をくらい、
その愛称はますます彼のものになった。
高校を通じて甲子園に出場することはなかったものの、通算55本塁打。
足を高くあげて、左右に本塁打をぶち込む岡田の打棒は
「浪速の四天王」(阪神・鶴直人、中日・平田良介、巨人・辻内崇伸)の
ひとりとしても、アマチュア野球界を騒がせた。

しかし、'05年の高校生ドラフト1位でオリックス入りした
T-岡田にとっては苦しい日々が続いた。
1年目こそ、一軍昇格を果たしたが、
2、3年目は結果を残せずファーム暮らし。
ファームでも、これといった成績を上げられなかった。
当時を振り返り、T-岡田はこう話していた。

「2、3年目は苦しかったですね。
 メンタル的には打てなくて落ち込むことが多かったですし、
 フォームに関しても、全然、定まらなかったですから」


~藤井コーチの「4スタンス理論」で才能が一気に開花!~

彼が変化を見せたのは3年目のシーズンを終えた秋、
入団初年度にもコーチとしてタッグを組んだ
藤井康雄氏がコーチに復帰してからだ。

それまでスカウトや編成にいた藤井氏は
バッティングフォームを研究するために
「4スタンス理論」を学び、チームとT-岡田に伝えたのだ。
今はスカウトへ再転身している藤井氏が昨年、
こんなことを話していた。

「(4スタンス理論というのは)要するに
 体幹を意識するということなんだけど、選手によって、
 それぞれ微妙に違うということになるんです。
 (フォームを)止めて打つのが合う人もいれば、
 動きながら打つ方が合う選手もいる。
 岡田の場合は、踵重心で、
 それも動きながら打つのが合っているんですよ。
 コーチの考えに当てはめるのではなくて、
 そういう理論のもとやっていきましょうよ、
 っていう感じで取り組んでいて、
 岡田自身も自分で考えられるようになったんじゃないかな」

~理論を習得した後、自らフォームを研究するようになった~

高校までのT-岡田はカチっと止まった状態で始動し、
足を高くあげる一本足打法だった。
それに比べれば現在は大きく変化し、彼のフォームを見ていると、
高校時代とは別の方法で一定のリズムを保とうとしているのが分かる。
相手投手が軸足に体重を乗せた時に、一端、
身体を投手側に預けている。
そして、それを軸足の方に引き、体重移動させている。

ただ、理論の習得は確かに彼を成長させたが、
藤井氏と取り組んでフォームについて
自分自身で研究できるようになったことにこそ、
意味があったのではないかと思う。

高校時のフォームについてT-岡田に聞いたとき、
「あの時の打ち方だと(プロだと)クイックもありますし、
 一軍の球は打てない」と話していた。
今、藤井氏はチームを離れているが、
彼のフォームはさらに成長の跡を見せている。
それは、彼自身がフォームについて
自分で考えられるようになった証だろう。

「打った瞬間にホームランって分かるやつがいいですね」
5月9日現在のT-岡田は打率.233で8本塁打。
決して褒められた数字ではないが、
開幕戦に見たあの大ファールと5月5日のホームランを
ダブらせて考えると、
どうしてもその先の成績を考えてしまう。

それに、“打球”だけでこれほどまでにファンを魅了してしまう選手は
そう多くいないのではないか、と。

5月5日はこどもの日。
多くの子供たちが彼の打球を見て、
度肝を抜かれただろうと考えると、それだけでワクワクした。
低迷するオリックスだが、
T-岡田の空に突き抜けるような打球だけは、
あいかわらず爽快である。

高校時代、彼から聞いた話を思い出した。
どんなホームランを打ちたいか、と聞いた時のこと。

「打った瞬間にホームランって分かるやつがいいですね。
 どこまでいったんやろって、
 歩いて打球を眺めるみたいな。
 そういうホームランを打ちたいです」

 打席に立つだけで期待感を持たせてくれるスラッガーの誕生。

 T-岡田の打球は、野球ファンをスタジアムへといざなう。


【筆者プロフィール 氏原英明氏】

1977年ブラジル生まれ。
奈良大学を卒業後、地方新聞社でのアルバイト勤務を経て、
フリー活動を開始。
高校野球を中心に活動を続けるが、
野球を通じた人間性、人生観を伝え続け、
Numberのほかに野球専門誌で活躍。
WEBの世界でも「人間力×高校野球」(高校野球情報.com)と題した
コラムを連載している。

オリックスを変貌させた、岡田彰布の『眼力』~理論派監督が目指す改革とは~
2010年04月13日 (火) | 編集 |
                    永谷脩 = 文 

開幕2戦目の京セラドームを訪れた時に
「思い切ったことをやりますね」と岡田彰布監督に声をかけると、
「そんなの当たり前よ」と言わんばかりにニヤリと笑って見せた。
楽天との開幕戦で主砲・カブレラを外した件について
聞いたときのことだ。

指名打者を嫌がり一塁を守りたいと言うカブレラに対し、
T-岡田を一塁で使う、と申し出を拒否。
反発するとそのままスタメンを外してしまった。
これまでわがまま放題だったカブレラも
「今までの監督とは少し違う」と思ったのか、謝罪をし、
開幕2戦目からはDHで出場することが許された。

監督の毅然とした態度はナインにも伝わる。
何よりもカブレラが危機感を持ったことは確かだろう。
楽天・田中将大から先制2ランホームランを打って存在感を見せ、
チームも開幕3連勝の好スタートを切った。

「まだ始まったばかりよ」と言う岡田監督が
何か運を持っているように思えてくるのだから、不思議だ。  


~岡田理論が如実に見えた開幕2戦目の選手起用~

 選手の使い方も理に適っている。

評論家だった昨年、古巣・阪神の真弓明信監督の采配批判の中で
「選手の使い方の順序」を厳しく追及していたが、
開幕2戦目にもそれが如実に表れていた。

2点を追う6回、主戦捕手の日高剛のところで大村直之、
開幕戦のヒーローにもかかわらず大引啓次には、
北川博敏を代打に送って勝負にでた。
1点差に追い上げた8回、
日高に代わってマスクをかぶった鈴木郁洋には
徹底して送りバントを指示。
スリーバントを成功させ田中をマウンドから引きずり下ろし、
サヨナラ勝ちに結び付けている。

得点圏に走者を送り、相手にプレッシャーをかけて戦う。
開幕戦、1点差の9回にノーアウトの走者を出しながら、
ダブルプレーに打ち取られたブラウン采配とは大違いだ。  


~チームの活性化に貢献するベテラン・田口壮の存在感~

「ローズは断っても、田口壮は獲ってくれ」
と岡田監督はフロントに直談判したと言われるが、
ベテランの域に達したメジャー帰りの田口の存在も、
チーム内の活性化につながっている。

誰が必要で誰が不要なのか。
選手起用の眼力に秀でている岡田監督によって、
オリックスは確実に骨太のチームへと変貌を遂げようとしている。