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“ミスター・タイガース”に育て!!一二三慎太への阪神の異常な愛情
2011年01月19日 (水) | 編集 |
               田口元義 = 文 


2011年1月6日、阪神タイガース選手寮「虎風荘」の入寮日、
母親が荷物を搬入した。

9日からの新人合同自主トレは
「他の選手に感染する恐れがある」とのことで参加を見合わせた。

阪神のドラフト2位・一二三慎太は、
「溶連菌感染症」にかかったのだという。

なにやら深刻な響きを持つ名称だが、主な症状としては発熱やのどの痛み。
言ってしまえば「風邪」だ。
しかし、彼の場合だとそれでは説得性に欠ける。
というより話題性が増長されにくい。
だから具体的な病名を出す。

周囲の目を一二三に向かせるべく、
球団やメディアは様々なアプローチをかける。

入団後の体力測定で新人選手中トップの懸垂16回を記録すると、
「鳥谷(敬)は13回で能見(篤史)は10回。
 高卒選手としては驚くべき数字だ」とトレーナーの言葉を用いながら
身体能力の高さをアピール。

そのほか、「一二三」という苗字にちなんで、
甲子園でのお立ち台に上がった際には
アントニオ猪木のお約束パフォーマンスである「1、2、3、ダーッ!」を、
「ひ、ふ、み、ダーッ!」とアレンジして大観衆に披露するという
青写真を早くも描かせる。

阪神のルーキーのなかで最も注目されている選手が
一二三であることは間違いない。


~球団が明言する「スター候補」という位置づけ~

球団の期待感はドラフト指名直後から表れていた。
それは、メディアに配布される選手紹介を見れば一目瞭然だった。

“非常に高い身体能力の持ち主。
(中略)今ドラフトの高校生ではトップレベルであり、将来がとても楽しみ。
プロで育てがいのある選手。
スター候補として期待する”

ちなみに、東京ガスからドラフト1位で指名された
榎田大樹の選手紹介の一部を紹介すると、“ゲームを作れる投手。
1年目からローテーションに入ることができる即戦力左腕”と記されている。

実力が未知数の高校生と即戦力として入団する社会人とでは評価の仕方が違う。

だが、球団の一二三に対する昂揚感は文面を比較すれば十分に伝わる。

~大阪出身で、なおかつ貴重な「甲子園のヒーロー」~

「スター候補」ということは、阪神の場合、必然的に
「ミスター・タイガース」候補であることを意味する。

ドラフト前は、一二三の獲得に阪神はそれほど積極的でもないと
思っていただけに、
この指名はちょっとしたサプライズだったが、
彼の球歴を紐解けばそれもすぐに納得できた。

高校は神奈川の東海大相模だが出身地は大阪。
中学時代は堺市のボーイズチーム、ジュニアホークスで抑えを務め、
ジャイアンツカップで全国制覇を果たしている。

 そして記憶に新しいのが昨年の甲子園だ。

センバツではナンバーワン投手と騒がれながらも初戦敗退。
大会後に極度のスランプに陥り、
投球フォームをオーバースローからサイドスローに変更。
「迷走」など厳しい声が飛んだが、
「バッターを打ち取ることだけを考える」とマウンド上では常に集中し、
チームを33年ぶりに夏の甲子園に導き準優勝。
全国の舞台で、自分の選択が間違っていなかったことを証明してみせた。


~阪神の地元である大阪の出身で、
 チームがホームとする甲子園を沸かせたヒーロー~

一二三にはミスター・タイガースを継承しうる資格が十分に備わっている。
だからこそ、球団はスター街道というレールを用意したのだ。

~阪神ファンとメディアによる「過剰な期待」にさらされる~

ただ阪神の場合、報道の仕方が過剰なだけに、
期待は「洗礼」にも置き換えられる。

選手からすれば、期待値が高まれば高まるほど、
それと比例するようにプレッシャーも重さも増す。
実際にこれまでも、一二三のように潜在能力が高く、
将来を有望視されていながら、
見えない重りを跳ね除けられず阪神を去っていった選手が何人もいた。

過去の事例を引き合いに、
一二三もいずれそうなってしまうのではないか……
そう危惧してしまうファンも少なからずいるだろうが、
きっとそうはならないだろう。それはなぜか。

東海大相模に入学を決めた理由に、
彼の芯の強さを感じたからだ。
彼はこう語っている。

「大阪にも強豪校がたくさんありますけど、
 神奈川は日本一の激戦区と呼ばれていますからね。
 厳しい環境のなかで自分の力がどれだけ通用するか試したかったんです」

~プロとしての選択。オーバースローかサイドスローか?~  

熱狂的な応援を代表するように、
現在の阪神は日本一人気があるチームといっても過言ではない。
戦力的にも球界随一と言っていい。
今オフも千葉ロッテの小林宏の獲得に名乗りを上げるなど
近年は大型補強が目立ち、
生え抜き選手の一軍での出番が少なくなっているのも事実。

1年目の目標を「新人王」と掲げてはいる一二三ではあるが、
オーバースローに戻すのかサイドスローのままでいくのか
決定していない状況で、
早々の一軍デビューまでが確約されているとは言いづらい。

ただ、前述の言葉や高校時代の実績でも分かるように、
一二三は環境が厳しければ厳しいほど成長し、飛躍するタイプの選手だ。

球団も「育てがいがある」と断言している以上、焦る必要などない。

昨年、高卒ルーキーながら後半戦で4勝を挙げた
秋山拓巳のような好例があるだけに、チャンスは必ずやってくる。

1歩ずつ着実にプロの階段を上っていけば、結果はおのずとついてくる。
ミスター・タイガースへの道は、まだ始まったばかりだ。


【筆者プロフィール 田口元義氏】


1977年福島県生まれ。
元高校球児(3年間補欠)。
ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。
Numberほか雑誌を中心に活動。
試合やインタビューを通じてアスリートの魂(ソウル)を
感じられる瞬間がたまらない。
共著に「戦力外通告 プロ野球をクビになった男たち」、
同「諦めない男たち」などがある。

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咆哮する猛虎メディアを手懐けた、城島健司の言葉を尽くすプロ意識
2010年12月06日 (月) | 編集 |
                 氏原英明 = 文 


初っぱなのヒーローインタビューからして痛快だった。

 開幕戦でのことである。

「長崎県佐世保市から来ました城島健司です。
 (中略)いい時も、悪い時もありますから、悪い時は、みなさん、
 お手柔らかにお願いします」

今年、阪神に入団した城島は開幕戦で3安打4打点のド派手なデビューを飾って
お立ち台に上がると、そういってファンを喜ばせたのである。

翌日にはサヨナラ本塁打を放ち存在感を見せつけると、
全144試合に出場し、シーズン3割3厘28本塁打を記録。
ゴールデングラブ賞も獲得した。
11月21日にはチームの勝利に貢献するプレーをした選手に贈られる
「ジョージア魂」賞の年間大賞に選出された。

 つごう1年で、完全にタイガースファンの心をつかんだのである。

~関西の虎メディアをも魅了する城島の豊潤な言葉~

いや、ファンだけではない。
きわめて特殊と言われる“タイガース・メディア”でさえ、
同様なのである。
彼の放った輝くようなパフォーマンスと、
開幕戦に代表されるような痺れる一言一句の虜になっていた。

「ジョーさんはプロ中のプロですよ。
 どんな時でも、質問に答えてくれますし、話が面白い。
 多分、数えてもらったら分かると思いますが、負けた翌日の紙面は、
 ほとんどジョーさんですよ。
 負けても話してくれるんです。
 本当はそうあってはいけないんでしょうけど……。
 もちろん活躍すれば載りますし、
 1週間でどんだけジョーさん使うねんって感じですよ」

 とは、あるトラ番記者の証言である。

今季、城島はどんな試合になっても、メディアの前に立ち続けてきた。
勝った時はもちろん、敗戦の責任が自身にありそうな時でも、
矢面に立って来た。
敗戦時には口数が少なくなる選手が多い中、
彼だけはどんな時も必ずメディアの前で口を開いてきたのである。

その心構えは、まるでインタビューに答えることが
プロのアスリートの仕事であるかのようだった。

~過剰なまでのタイガース依存が選手とメディアの軋轢を生む~

 プロ野球選手とメディアの関係―――。

中日・落合監督とメディアの関係があまり良くないということが
漏れ伝わってくることはあったが、
タイガース・メディアもこれまでそう上手くいっていたとは言い難い。

一部主力選手が新聞報道に掲載された自身のコメントを、
ブログで真っ向から否定するということが、かつて何度かあった。

そういう不幸な出来事の裏側を今までの経験から推測すると……
上司から「何が何でもコメントを取ってこい」と厳命を受けた記者が、
口数の少ない選手の声を断片的に拾って記事を書くからそうしたことが
起こるのだろう。
ひどい場合は、質問にちょっとうなずいただけでも、
あたかも選手が話したかのように書く場合もあると、聞いたこともある。

お互いが仕事だという観点に立ち返れば、
ユニフォームを着ている以上は勝った時しか話さないというのは、
プロのアスリートとしての務めを果たしていないといえる。
しかし、だからといって、記者が都合のいいように
記事を書いていくというのも大問題である。
どちらが悪いかという問題ではなく、
そうした悪循環が渦巻いていることが、いびつな現象を導くのだ。

~記者の問いかけに野球哲学で応答する城島のクレバーさ~

記者とのやりとりという点においても、城島の取材は非常に面白い。

彼はただ質問に答えているのではなく、
一人の選手として野球についての「語り」を入れてくれるのだ。

例えば、6月4日のオリックス戦で下柳の好投を引き出すと
「やっぱりピッチャーはストレートですよね。
 どれだけ、変化球がいい投手だって言っても、ストレートが走らないとね。
 下さん(下柳)もそう感じたでしょうね。
 まぁ、下さんは、前から分かっていたでしょうけど」と答えた。

7月20日の広島戦では、延長10回表、1死一、三塁のピンチで、
相手のスクイズのサインを見破りながら、
ウェストした球をバットに当てられたことがあった。
「やってはいけない失敗だった。
 バットに当てられないところに投げさせないといけなかった。
 僕の指示で野手の全員が動くわけだし、そこは反省しないといけない。
 敗因にならなかったことだけが救い。
 打ってくれた野手に感謝です」といった風だ。

~理路整然とした城島の言辞にはメディアも襟を正す~

とはいえ、城島はただ従順に対応してきただけではない。
的を射ないメディアの質問に対し、真っ向から反論することもあった。

6月5日の対オリックス戦、
9回裏、4-9で負けている状況で一塁走者だった城島が二盗を決めた。
試合の大勢が決まっている展開で盗塁をすることは
「挑発行為だとオリックスの岡田監督を怒らせたのではないか」
という質問が飛ぶと、城島は言い返した。

「岡田さんが言っているのは
 勝っているチームが負けているチームにした時に問題だと
 言っているんでしょう。
 勝っているチームが譲る塁は行くでしょう。
 アメリカだろうが、日本だろうが。
(遺恨について)みなさんが騒いでいるだけで、
 やっている選手は意識していないですよ」

6月30日の中日戦ではチェンに抑えられ、
「今年チェンの調子は良くないけど、今日は良かったですね」
と問われると、城島は血相を変えた。

「誰がそんなこと言ったの? 俺言った? 言ってないよ。
 チェンは前からもずっといいよ、いい投手だよ」

こうしたやり取りを繰り返していくと、
メディアの方も城島と向き合うようになる。
紙面を埋めるだけのコメントを取るような当たり前の質問を避けるようになるのだ。

城島はシーズン中盤以降、常に
「今日の勝負どころ」について語るようになったのだが、
それが記者の方からも的を射た話がでると、城島はにっこりと笑ったものだ。

「そこだよ、俺もあの場面が勝負どころだと思ったよ。
 分かるようになったんじゃない」

 そう言った後は、すらすらと試合を振り返るのである。

まさに、これがメディアと選手との友好な関係なのだろう。
選手はある一定の時間を割いてくれる。
一方で、聞く方も節度を持って質問する。

そこにあるのは、どちらもプロフェッショナルという意識である。

~プロとしての姿勢を言葉で表現することの重要性~

この1年間、城島がそうしたプロフェッショナルな姿勢を保ち続け、
メディアもそれに応えた。
だから、両者の関係は友好だった。

城島が作り出した選手とメディアの関係は、
タイガース・メディアを変えるきっかけになるかもしれない。
もちろん、城島に度量の大きさがあったことは確かだが、お互いがプロフェッショナルであるという姿勢を保ち続けられれば、城島以外の選手であっても、
彼らが野球の世界にいるプロなんだということを、
その語りの中から得られるのではないだろうか。

コメントされてから数日後に選手が真っ向否定するような、
いびつな関係ではなく友好な関係でつながっていくように……。

そのあるべき姿を、城島はこの1年で示してくれた。
そんな気がしている。

このシーズンオフ、城島に膝の半月板損傷が発覚した。
最悪の場合、来シーズンの開幕に間に合わないそうだ。
せっかく、城島がいい雰囲気を作ってくれたのにと、
そういう想いもするのだが、あの城島である。
来季の開幕には元気に顔を出し、冗談っぽく言ってくれそうな気がする。

「みなさんが大げさに書きすぎなんですよ」と。


阪神の生え抜き助っ人、マートン。活躍の秘密は“心意気”にあり。
2010年07月25日 (日) | 編集 |
                田口元義 = 文 

「神様のおかげ」

ヒーローインタビューなどで、
マートンは、このフレーズからその日の打撃について
話し出すことが多い。

「神様発言」といえば、
阪神ファンには忘れたくても忘れられない、
伝説の“捨て台詞”がある。

言うまでもなく、それは'97年の彼。
爆発したのはゴールデンウィークのみ。
直後に故障し、「神のお告げ」を理由に早々にチームを去った、
あのグリーンウェルの発言は、
今もなお、忌まわしき過去としてファンの心の奥底に刻まれている。

阪神は、少なくともここ10年ほど、
外国人の野手補強に関しては神から見捨てられていたような気がする。
活躍した野手といえば、アリアス、シーツ、
そして今季、日本記録を超える勢いで本塁打を量産する
ブラゼルくらいか。
しかし彼らは、国内球団から移籍した選手であり、
“生え抜き補強選手”ではない。
すでに日本で実績を積んでいる選手であれば活躍して当然
という見方もできる。
その一方で、“グリーンウェルの呪い”
というわけでもないだろうが、フォード、メンチと、
近年だけでも米球界から直接獲得した外国人選手は
ことごとく期待を裏切った。

だから、いくらメジャーの経験があるマートンとはいえ、
そう易々と信じてなるものか。
辛口で知られる虎ファンのなかには、
そう疑心を抱いていた者も少なくなかっただろう。
ましてや、あの赤星憲広の代わりとして期待され入団したのだ。
そこそこの活躍―新外国人の及第点で言えば2割8分、20本塁打あたり―
程度ではファンは当然、納得はしない。

~日本野球をよく知る先輩助っ人シーツが捧げたアドバイス~

ところが、である。
その“呪い”を払拭するかのように、
マートンはオープン戦から打ち続け、
シーズンに入っても首位打者になるなど、打率3割5分前後をキープ。
200本を超えるペースで安打を重ね続け、
1年目にしてオールスターに選出された。
今や不動の3番打者として、
リーグ制覇には欠かせないキーマンと言ってもいいだろう。

ではなぜ、マートンが来日1年目でこれほどまで
日本の野球に適応できているのか? 
その理由は、主に3つ挙げられる。

ひとつは、彼に目をつけた男だ。
球団は「長年リストアップした成果」と言うが、
やはり日本野球を十分に理解し、
阪神でも結果を残したシーツが、
昨年から駐米スカウトとなったことは大きかった。
来日直前の12月、先輩助っ人はマートンに、
「自分自身であれ」「修正点を確認してアジャストしろ」
「逆方向へのバッティングを心がけろ」と、
日本球界で成功するアドバイスを贈った。

これが2つめの理由に繋がる。
もともと勤勉なマートンだが、この訓示を受けて、
より日本の投手を研究するようになった。
「日本の野球はレベルが高い」と自覚し、
多彩な変化球を操る「日本式投球術」に
1日でも早く慣れるため、
各チームの投手の癖や配球を細かくノートに記し、分析した。
その結果、自分にとっていい球がきたら初球からでも
積極的に打っていく、という本来の打撃に加え、
追い込まれてからはファウルで粘り、
3ボールとなれば冷静にきわどいコースの変化球を見極める、
といった現在のスタイルが確立された。

~ マートンの人間性を物語る、あるファンとのエピソード~

そして3つめ。これは、野球選手としては最も重要なこと、
人間性だ。

「メジャー経験者」というプライドの壁を自ら取っ払い、
首脳陣の意見を素直に受け入れ実践する。
全く打てずにフラストレーションが溜まるゲームでも、
凡打して意気消沈する選手に対して「グッドスイング!」
と声をかける。
ポジティブな姿勢があるからこそ、
チームも最後まで高いモチベーションを保つことができる。

そのような姿を知るファンも、
彼を「虎戦士」として認め、愛するようになった。

ある日の試合前の練習中、
バックネット裏に背番号9のユニフォームを掲げたファンが、
近くにマートンがいることを確認すると、
「ミスター・マートン!」と声を張り上げる。
彼は笑顔で手を上げ、ベンチへと姿を消した。

と、これだけでも微笑ましい光景ではあるが、
なんとマートンはすぐにベンチから顔を出し、
そのファンの元へ歩み寄っていく。
手を上げる仕草は「ありがとう」ではなく、
「ちょっと待ってて」の合図だった。
サインペンを取りにいっていたのだ。
興奮したファンは、ありがとうございます、頑張ってくださいと、
早口で感謝の意を述べている。
それに対し彼は、申し訳なさそうにこう返す。
「ゴメンネ、マダ、ニホンゴガヨクワカラナインダ。ありがとう!」。

「ありがとう」だけ日本語で答えたマートン(カタカナの部分は英語)。
サインも適当にではなく、
自分の手元でしっかりと書いた。
日本語を話せなくとも相手の目を見て会話し、握手をする。
今できる最大限のコミュニケーションを図ろうと常に努力しているのだ。

~久々に現れた強力な生え抜き外国人に寄せられる期待~

「どのグラウンドでも甲子園だという気持ちでプレーしている」と、
マートンは話していたことがある。
彼にとってはどの球場もホーム。
そこに来てくれたファンのために全力でプレーする。
前述した要素に加え、
その心意気があるからこそ今の数字に結びついているのだろう。

個人成績については、度々「まだシーズンの途中だから」と
明言を避けるマートンだが、
久々に現れた強力な生え抜き外国人選手だからこそ
タイトルを獲ってほしい。
ファンからすれば、その思いは日に日に増してくるのも無理はない。

マートンの打棒は不可欠となってくるだろうが、
もし、首位になったことで上昇気流に乗り優勝、
となれば、神を信じる男は、
「神様、仏様、マートン様」と崇められるかもしれない。

いや、でもそれは、
本人が言うように、「シーズン途中だから」まだ気が早いか……。


【筆者プロフィール 田口元義氏】

1977年福島県生まれ。
元高校球児(3年間補欠)。
ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。
Numberほか雑誌を中心に活動。
試合やインタビューを通じてアスリートの魂(ソウル)を
感じられる瞬間がたまらない。
共著に「戦力外通告 プロ野球をクビになった男たち」、
同「諦めない男たち」などがある。

能見、岩田と阪神エースの座を競う、大黒柱・安藤雄也の存在感
2010年02月08日 (月) | 編集 |
                 氏原英明 = 文  


2月1日、プロ野球12球団の春季キャンプが一斉にスタートした。

キャンプ序盤の見どころは新戦力の動向である。
新入団選手、特に新人選手の力量がどれほどのレベルにあるのか、
メディアやファンはこぞって注目する。

今年は埼玉西武ライオンズの高卒新人・雄星が注目の的となっている。
2年前の中田翔、3年前の田中将大など、
その年の目玉に注目するのが今のスポーツメディアの風潮である。
個人的には雄星は焦らずじっくり育ててほしいと願っているが、
渡辺久信監督が
「(南郷に)連れて行かなかったら、みなさんが大変じゃないですか?」
とコメントしたように、
目玉選手にとってこの時期の報道過多はどうしても避けられない。


~新人のキャンプ不参加となった楽天と横浜のチーム事情~

今年のキャンプの一軍参加メンバーの顔ぶれを見ていると、
新人選手の数が多いように思えた。
これも、「雄星効果」と結び付けて考えていたが、実際、
トータルで見ると昨年とさほど変わりはない。
ただ、各チーム間での増減が激しく、
チーム事情が反映されているのがみて取れる。

たとえば、昨年の楽天は井坂、藤原、井上の新人3選手が
一軍キャンプに参加していたのに対し、今年はひとりもいない。
これは野村前監督とブラウン監督の違いと読み取っていい。

育成を重視するブラウン監督は広島時代、
戦力になってもおかしくなかった1年目の前田健太を、
1年間一軍マウンドに上げなかった指揮官である。
それが2年目以降の前田健の活躍を促したし、
今や彼は立派なローテーションピッチャーに成長した。

 このほかで目につくのは横浜。

昨年の5人から今年は一軍にひとりも抜擢していない。
昨シーズン後に、FAやトレードを2度実践したチーム事情から、
方針が「育成」よりレギュラー陣による「強化」を重視したものに
なっていることがうかがえる。
キャンプではチームの基盤を固めたいのだ。
去年のキャンプで一軍だった2年目の5人のうち4人は
今年も一軍キャンプに選ばれているし、
このほかにも、4年目の梶谷隆幸や高森勇気ら伸び盛りの若手も
メンバー入り。
生え抜きの中堅やベテラン、移籍組、若手と入り混じって
チーム強化に動いている。
いかに横浜が変貌できるのか、このキャンプでの注目の一つだ。


~昨季不振の安藤に代わる阪神の新エースは現れるか~  

しかし、新人選手の動向だけがキャンプの楽しみではない。
チームの骨格を指し示す、「エース」や
昨年まで固定されていたポジションに「空き」が出れば、
その争奪戦もキャンプの面白みとして存在してくる。

そこで、注目しているのが昨シーズン4位に沈んだ
阪神の「エース」争いだ。

昨年までは安藤優也がエースといわれ続けてきたが、
結局8勝12敗と低迷し、
勝負どころの終盤でもヤクルトのエース・石川雅規に投げ負けた。
一方で、能見篤史、岩田稔といった中堅の二人が台頭。
能見はチーム最多の13勝を挙げたし、岩田は数字こそ
残せなかったものの、
安定したピッチングと勝負強さはエースに推したいくらいの
活躍ぶりだった。

安藤は昨年の秋季キャンプで罰則として頭を丸めてみせている。

金本との約束だったとはいえ、
その姿はエースとしての存在感の失墜を周囲に
感じさせるに十分だった。
本人はシーズン反省の意味を込めたかったのだろうが、
見ている方は一抹の寂しさを覚えた。

その光景は、阪神のエースが誰なのか、
白紙に戻したようなものだった。


~能見、岩田の活躍は安藤という大黒柱があってこそ~

だが、そこで安藤の存在を簡単に否定して良いのだろうか、
とも思うのだ。
去年の活躍だけで考えればエースは能見でいいと判断できるが……。


~「エース」という看板の交替時期は、
 果たしてどうあるべきなのだろうか?~


野球評論家で元阪神の湯舟敏郎氏が、以前、
こんな話をしていた。

「確かに安藤は自分のボールが思うように投げられない中、
 不本意なシーズンを送ったと思います。
 しかし、その安藤を除外して考えてよいのかというと、そうでない。
 昨年に限っていえば、安藤あっての
 能見・岩田の活躍だったと思いますよ」

昨年の安藤の結果と能見の成長だけで、
「エース交替」と簡単にはいかないという。
チームの大黒柱という重荷は、
まだ活躍し始めたばかりのふたりにとって大きいということなのだ。
安藤の存在なくして能見や岩田の活躍はありえなかった、
という微妙な指摘といえる。

「藪がFA宣言してメジャーに行った時の井川がそうでした。
 結果的には勝ち星を重ねられたのですが、内容は苦しいものでした。
 見ていても、精神的にはつらそうにみえましたからね」

当時は藪が抜けても、下柳は安定していたし、
安藤も若さを武器に勢いがあった。
JFKも順序は違っていたが、計算が立ちつつある状況だった。 
 

~ 新エース候補の若いふたりも安藤の存在感は無視できない~

今の阪神はそこまで投手陣が厚くない。
新人の二神一人や2年目の蕭一傑をはじめ、
イキのいい若手はたくさん控えているが、経験は不足している。
救援陣も、昨季最多登板のアッチソンが抜け、
藤川球児だけでは心許ない。

このような状況下では、あっさり
「能見がエース」というわけにはいかない。
「能見や岩田がエースになることはあり得ますけど、たとえ、
 そうであっても、ローテーションの中に、
 安藤はいてないとね」とは湯舟氏の言葉である。

世代交代が急務の阪神であるとはいえ、
ことエースに限っては答えを急いではいけない。
優勝するためには安藤の復調が必要不可欠であるし、
安藤を軸に争ってこそ、真のエースが生まれる。
阪神キャンプでは、競った末のエース誕生を求めたい。



【筆者プロフィール 氏原英明氏】

1977年ブラジル生まれ。
奈良大学を卒業後、地方新聞社でのアルバイト勤務を経て、
フリー活動を開始。
高校野球を中心に活動を続けるが、
野球を通じた人間性、人生観を伝え続け、
Numberのほかに野球専門誌で活躍。
WEBの世界でも「人間力×高校野球」(高校野球情報.com)と題した
コラムを連載している。
『“勇気”これだけです』 赤星憲広、走り続けた9年間の矜持
2010年02月05日 (金) | 編集 |
                田口元義 = 文  


「阪神・赤星引退」の速報が届いた直後、
ファンは様々な思いを寄せていた。

「本当に引退するの?」、「誤報であってくれ!」。
平面のモニターから映し出される
無機質なインターネット掲示板に載せられたコメントですら、
人の心が感じられた。

残念なことにそれは誤報ではなく、
赤星憲広は昨年12月9日の夕方に引退会見を行った。

理由は'07年から悩まされ続けていた頚椎椎間板ヘルニアからくる
怪我の悪化だった。
脊髄の損傷は身体の自由が利かなくなる恐れがあることはおろか、
最悪の場合、命を落とす危険性もある。
そのことが、赤星に苦渋の決断をさせた。


~「今までの人生で一番辛かった」勇気ある決断~

アスリートのなかには、
グラウンドやリングといった主戦場で死ねたら本望だ、
と意気込む選手がいる。
去年引退した格闘家の武田幸三は、
試合前には必ず遺書を書いていたし、
「本当に死ぬ決意で走る人間なんていないけど、
 僕にはその気持ちがある」と、
陸上選手の為末大は自らが抱く武士道を熱く語るなど、
表現の手法はそれぞれだ。

 
アスリートが持つ闘争心の最終地点が「死」だとすれば、
それに勝る美学はない。
しかし、本当に死を宣告、
もしくはその危険性が高いと断言された人間が、
死を公言しながら競技を続けることができるだろうか?
  

「プロとして100%のプレーができず、
 恐怖感を持ったまま試合に出ることを考えると身を引くべきだと感じた。
 よくグラウンドで死ねたら本望というけど、
 本望とは思えない自分がいた」
  

 
赤星は命の重みを自分に言い聞かせるように、事実を説明した。

レギュラーにこだわらなければ、
代走要員としてでもあと2、3年はプレーできたかもしれないが、
死という壁がそれを拒んだ。
「今までの人生で一番辛かった」と本人が言うように、
シーズン終了後から悩みに悩んだ末、
辿り着いた答えが「引退」だった。
彼は、勇気ある決断を下したのだ。  

~野村克也監督に見出された“勝つため”のスペシャリスト~

赤星は勇気あるプレーヤーだった。

プロ入り前は、言うなれば足だけの選手だった。
大府高校、亜細亜大学、JR東日本と野球の名門チームで
レギュラーとなれたのは、
それなりに打撃や守備も評価されてのこと。
ただ、今も赤星に「引退撤回」を促す野村克也氏の言葉を借りれば、
「全てそつなくこなせて通用するのはアマチュアまで」である。

プロ野球選手になるため、
プロ野球選手として生きていくためには、
己の立ち位置を見極めなければならない。
それを理解し意識改革をしたにせよ、
一流の選手になれる可能性などどこにもない。

'00年、シドニー五輪の強化選手として阪神のキャンプに招かれた際、
赤星の足が野村の目に留まった。

「当時の阪神で足が速かったのは高波(文一)くらいでしたが、
 赤星のほうが格段に速かった。
 それに驚かされましてね。
 平均的になんでもこなせる選手はいくらでもいる。
 チームを勝たせるためにはどうしても
 スペシャリストが必要になってくるわけですよ」

身長170cmと小柄な俊足選手に残された道は“足”しかない。
加えて24歳という年齢にドラフト4位の下位指名である。
高校、大学卒ならまだしも、
社会人出身に与えられるチャンスはそう長くはない。
プロへは行かず会社に残れば将来は安泰だったかもしれないが、
赤星は平凡な人生よりも野球人として刺激を求めた。
これも勇気ある決断だった。
  

~「盗塁」ではなく「出塁」にこだわり続けた9年間~

新人から5年連続で盗塁王になるなど、
プロ入り後の赤星の活躍は語るまでもないが、
彼がプロで一流になれたのは確固たる理念があったからだ。
もっと具体的にいえば、「盗塁」よりも「出塁」への意識の高さにある。
  

「数にこだわりは全くないです。
 僕の理念は、盗塁を得点に結びつけること。
 毎年目標にしているのは出塁率4割。
 そのためには3割以上は打たないといけないし、
 達成できればチームの結果もついてくる」
  

赤星のことを「勇気のある選手だ」と認識したのは、
盗塁について話していたときだった。
「足にスランプはありますか?」という問いに対して、
彼は即答する。

「そりゃあ、ありますよ。僕のようなタイプは、
 調子が悪くても出塁して得点に結びつける走塁が求められます。
 盗塁も積極的にするわけですけど、例えばその試合で2回、
 失敗したとしますよね。
 そうすると、次に出塁したときに
 『次もアウトになったらどうしよう』と不安になる。
 そう思った時点でスランプですよね。
 じゃあ、盗塁に何が必要か? 
 『勇気』。これだけです」―。  


~身を削りながら、周りに勇気と感動と夢を与えてきた男~

スランプとは弱さ。

弱さを認めなければ強さを求めることはできない。

根底に、「内角球を逃げず、三遊間にゴロを打て。出塁率を上げろ」
という「野村の教え」がある。
だから出塁率を高めるために'05年には打撃フォーム改造にまで着手した。

外野守備でも縦横無尽に、
そして勇猛果敢に打球に食らいついていった。
引退を大きく引き寄せてしまった9月12日のプレーにしても、
自らのセールスポイントを信じて疑わなかったからこそできたものだった。

 9年間、全力で走り続けた。

 走り続けた分、周りに大きな勇気を与えた。

盗塁をするたびに福祉施設や病院に車椅子を、
7年間で301台も贈呈したこと然り。

なにより、身体が小さく、力はなくとも一流になれるということを、
プロを目指す野球少年たちに教えてくれた。
文字通り、身を削りながら。

そんな赤星に、月並みだけどやっぱり
「ありがとうございました」と言いたい。
そして、「お疲れ様でした」とも。



【筆者プロフィール 田口元義氏】

1977年福島県生まれ。元高校球児(3年間補欠)。
ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。
Numberほか雑誌を中心に活動。
試合やインタビューを通じてアスリートの魂(ソウル)を感じられる
瞬間がたまらない。
共著に「戦力外通告 プロ野球をクビになった男たち」、
同「諦めない男たち」などがある。