日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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日本ハム監督に就任した、栗山英樹が貫く“信念”~“魔術師”三原脩に近づけるか?~
2012年01月26日 (木) | 編集 |
'12年はタイプの違う4人の新監督が誕生する。
孫のような年齢の選手を見守る中日・高木守道、
浪花節でチームを引っ張る横浜・中畑清、
チーム事情を熟知した理論派の阪神・和田豊。
そして、無縁の地、
北海道にたった一人で飛び込んだ日本ハム・栗山英樹である。

球団の方針もあり、腹心のコーチを帯同しない“単身赴任”。
あるコーチは、
「球団のやり方が徹底されているので不安はないが、
 監督がどんな野球をやりたいのかが見えてこないのが気掛かり」
と打ち明ける。
戦力面でも、日本ハムを取り巻く状況は決して甘いものではない。
中5日でチームを支えてきたダルビッシュ有が
ポスティングシステムでメジャー行きを決めた。
ここ数年間、勝敗差“10”に加えて、
ローテーションを支えてきた存在を新たに作り上げるのは、
至難の業である。
武田勝(11勝)、ケッペル(14勝)、ウルフ(12勝)ら
二桁勝利投手が生まれたのも、ダルが相手エースを抑えたからこそ。
加えて、ローテ入りを期待していた
ドラフト1位の菅野智之が現時点では入団を拒否している。

ー斎藤佑樹や中田翔にかけた栗山流のアドバイス。ー

 
 厳しい状況でも栗山監督は明るく語る。

「プロにいる選手はそれなりの力があるからスカウトの目に留まった。
 少し発想を変えることで選手は大きく変化する。
 色メガネで見るのは嫌いなんだ」

この考えは、敬愛する日本ハムの大先輩・三原脩が標榜した
“個性を生かす超二流集団が勝負を制する”という理論と一致している。
2年目の斎藤佑樹について
「相手を抑える術と力はある。あとはそれを活かす体力が必要。
 ともかく走ってもらう」ときっぱり。
4番候補の中田翔にしても、ただバットを振れとは言わない。
「状況と場面を常に頭の中に入れておくように」と諭している。
余分な技術論も時代錯誤の精神論も語らないのだ。

背番号80は、ヤクルト時代の三原の番号にちなんでのこと。
先入観を持たずに人を使った名采配に近づきたいという思いからだという。
縁のなかった球団に単独で乗り込んだのは
“先入観に踊らされずに監督ができる”適切な場所だったからかもしれない。
三原は人当たりの良さの一方で、したたかさも持ち合わせていた。
このことも理解したうえで、名将の名を出したならば、
栗山の監督術でチームは大きく変貌するかもしれない。


永谷脩氏=文
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好青年なだけでは生きていけない!?斉藤佑樹に必要なのは“悪の勇気”
2011年02月09日 (水) | 編集 |
                  鷲田康 = 文
≪前略≫

~スライダーを生かすための厳しい内角と制球力が斎藤を生かす~
 
あるプロ野球関係者と日本ハム・斎藤佑樹投手の
プロでの成功の条件を話していたとき、こんな話を聞いたからだった。

「斎藤が成功するかどうかはシュートを覚えるかどうか。
 彼の一番いい球はスライダーだが、
 いまのままではそのスライダーもウイニングショットとしては使えない。
 あのスライダーを使える球にするためには、
 シュートを覚えて内角を厳しく突けるかどうかだろう」

 確かにその通りだと思う。

 だが、そこでもう一歩、踏み込んで考えたことがある。

それは斎藤がいかにマウンドで、
悪の顔を持てるかということだった。

シュートを覚えて、内角を突くだけではない。
場合によっては半端ではなく、
懐の奥深くめがけて打者をのけぞらせる。
その“悪の勇気”を持つことも必要なのだ。
そして何より、まずはそれを実行できる技術を身につけられるかどうかだ。
斎藤の試金石は、そこにあると思うからだった。

「ペドロの真骨頂はコントロール。
 真っ直ぐはもちろんだけど、
 切れのある変化球を自在にコースに投げ分けられる。
 その能力の高さが彼の一番の持ち味だ」

これは松井のマルティネス評だった。
それはシアトル・マリナーズのイチロー外野手も口を揃えて話している。

逆に言えばそれだけボールをコントロールできる能力が高いからこそ、
首狩りまがいの危険なボールも平気で投げられるということでもある。

~究極の制球力を誇る投手だけに“悪の勇気”は宿る~


「制球の悪いヘボ投手がインハイを無謀につけば頭に当たる。
 ただ、制球のいい投手は頭を狙えばそこにいくが、
 そこからちょっと外せば打者の体を起こして、
 頭に当てることもない。コントロールとはそういうものだ」

巨人V9のエース・堀内恒夫元監督は、
本当の制球力についてこう話している。

胸元を深くえぐれる特権とは、
その微妙なコントロールを持つ投手だけのものである。
そしてその特権を持つものは、
打者を制する究極の方法論を持つことになる。

日本球界で言えば、かつての西武・東尾修投手であり、
広島の北別府学投手もそうだった。
いずれも球威ではなく、内角の厳しいところを突ける技術と、
躊躇なくそこに投げられる“悪の勇気”を持ち合わせていた。
そうして200勝をマークしたわけだった。

~絵に描いたような好青年の斎藤は、悪の顔を見せられるか?~

キャンプ初日から大報道陣に囲まれ、追いかけまわされても、
斎藤は嫌な顔ひとつ見せることもないという。

「ひとことで言えば見た通りの好青年です」

 ある日本ハム担当記者の人物評だ。

だが、そんないい人・斎藤が、ひとたびマウンドに立ったら、
悪の顔を見せられるか?

「Who's your daddy?」

打者に向かってこう叫び、
投手としての己の征服欲を露わにできるようになれば……。

 一流への道も、必ず開けるはずである。

波乱万丈の野球人生で鍛えた、日ハム・榊原諒の“全天候型”能力
2010年10月06日 (水) | 編集 |
                氏原英明 = 文 

“救援”投手とは、まさに、彼のことを言うのだろう。

初勝利を挙げた、6月15日のヤクルト戦の緊急登板に始まり、
中継ぎだけで実に10勝を挙げている。
中継ぎ投手の二ケタ勝利は、最近では特に珍しいことではないのだが、
この男は、常に、チームを“救援”する投球を続けている。

日本ハム・榊原諒は39試合に登板し10勝1敗。
防御率2.63とCS進出を争うチームの投手陣を支えている。

彼の活躍が驚きなのは、そのヤクルト戦にしても、
2勝目を挙げた6月18日のオリックス戦にしても、
先発投手のアクシデント降板から、
10球にも満たない投球練習でマウンドに上がった末に、
快投しているということだ。
緊急登板で、これほど高いレベルでのパフォーマンスを発揮できる投手は
そういない。

今となっては、「榊原が投げれば勝つ」とさえいわれている。
“強運リリーバー”と報じるメディアもあった。

とはいえ、その功績を「運」で片づけられてしまっては困る。
裏打ちされたしっかりとした力が榊原にあることも、
また事実なのである。

~高校卒業後、入社した三菱自動車岡崎野球部が休部に~

榊原は、MAX150キロのストレートと切れのあるスライダー、
シュートなどの変化球、正確なコントロールが評価されて、
'08年のドラフトで2位指名を受けた。
アマチュア時代は速い球も投げたが、本格派右腕と言うより、
バランスのとれた投手だった。
ランナーを背負ってもクイックが速く、
フィールディングをそつなくこなす。
身長176センチという大きくはない上背ながら、
高い評価を受けたのはピッチャーとしての総合的な力が認められてのものだ。

ただ、そんな榊原の野球人生は、
すべてが順風満帆だったわけではない。

中京高校(岐阜)3年の春のセンバツに出場。
実績もあったが、大学へは進学せず、
地元に近い三菱自動車岡崎に入社し、その力を磨くことになった。
もちろん、3年後以降のプロを目指していた。

ところが、彼が入社してすぐ、親会社のリコール問題が明るみになり、
三菱自動車岡崎野球部が休部を余儀なくされたのだ。
移籍も考えたが、1年目でまだ実績もない彼の行き先など
そう多くは望めるはずもなく、野球部を辞めるか、
休部状態のチームに残るか、
宙ぶらりんの立場に彼は追いやられた。

そんな状況を見抜いて、声を掛けてきたのが関西国際大だった。
創部して10年にも満たない地方リーグの新興勢力である。
監督を務める鈴木英之は、神戸製鋼時代に休部を経験した身で、
当時18歳の榊原の事情が理解できた。
「18歳の選手の移籍先なんてないんですよね。
 だから、本人に連絡を入れて、もう一度学生野球をやってみいひんか? 
 と誘った」そうだ。
榊原は関西国際大にいた高校時代のチームメイトに状況を聞き、
1年遅れで大学野球に身を転じた。

~現在の姿に重なる大学時代の波のないピッチング~  

規定で1年秋のシーズンまで登板できないという苦汁こそ舐めたが、
1年秋からエースになると、
徐々に投手としての力を積み上げていった。
3年春の時点では140キロ台だったストレートは大学4年時後半に
150キロまで伸びた。
もともとスライダーとコントロールが持ち味だったから、
球速が上がったストレートとともに、
彼はバランスのとれた投手となったのである。

とはいえ彼の持ち味は、そうした技術面だけではない。
それこそ、今の姿を映し出すような真骨頂が大学時代からもあった。
鈴木がこんな話をしていたことがある。

「榊原はどこでも変わらないピッチングができる。
 雨でも晴れでも、グラウンドコンディションが悪くても良くても、
 (全国大会である)神宮球場で投げていても
 (リーグ戦のある)万博球場でも、同じピッチングができる。
 それは彼の持ち味でしょう」

調子に波がなく、どんな時でも一定のパフォーマンスを発揮できる。
榊原の持つ大きな力である。
緊急時にマウンドに上がり、チームを救う今の姿と重ならないか。

それは技術的というより、人間的な部分と言った方が良いかもしれない。
そんな力をこれまでの経験で培ってきたのだ。
大学時代の、彼の言葉を思い出す。

「調子に波があるかないか……う~ん、それは性格だと思います。
 やったりやらなかったりをなくすことですね。
 たとえば、靴を脱いだら必ずそろえるとか、
 大学で言えば授業に出るとか出ないとかの、
 そういう波をなくすことが野球につながってくる。
 練習態度にしても、10本のランニングをただ走るだけなのか、
 上手くなるために走っているんだという意識を持つかどうかで、
 だいぶ違ってくると思います」

~10勝を挙げる活躍で、CS進出と自らの新人王を視界に~

天性のリリーバー向きの気質が彼には備わっている。
もともとは、先発投手として試合を作れるだけの技術力があるのだから、
本来の力が発揮されさえすればもっと他の起用法もあるだろう。
だが「どんな状況にも力を発揮できる」、
という彼の少しばかり特異な才能は、緊急登板で、今、発揮されている。

24日の楽天戦では先発の木田が1回2/3で降板。
榊原が救援に立ち、5回を1失点に抑えて10勝目を挙げ、
チームは今季初の単独3位となった。

思えば、榊原が初勝利を挙げた6月15日、チームは最下位だった。
おそらく、その時点では、シーズン終盤戦に日ハムがCS進出を賭けて
戦っているとは思っていなかっただろうし、
まさか、榊原が10勝を挙げているとも思っていなかっただろう。

「少しずつ自信がついてきた」と榊原は10勝目を挙げた後にコメントを残した。
チームのCS進出とともに、
榊原には新人王というタイトルまでもが、視界に入ってきているはずだ。


                        (更新日:2010年9月27日)

【筆者プロフィール 氏原英明氏】

1977年ブラジル生まれ。
奈良大学を卒業後、地方新聞社でのアルバイト勤務を経て、
フリー活動を開始。
高校野球を中心に活動を続けるが、
野球を通じた人間性、人生観を伝え続け、
Numberのほかに野球専門誌で活躍。
WEBの世界でも「人間力×高校野球」(高校野球情報.com)
と題したコラムを連載している。

ダルビッシュとの“お見合い”が破談。大野に求められる理想の女房役とは?
2010年09月23日 (木) | 編集 |
                中村計 = 文 


スポーツ紙風に言えば、またしても「お見合い」が破談に終わった。

8月28日、北海道日本ハム対オリックスで、
ダルビッシュ有は前週に引き続き2年目の捕手、
大野奨太とバッテリーを組んだ。
今季3度目のことだった。

だが、ダルビッシュは2失点で完投しながらも、
打線の援護がなく1-2で7敗目。

結局、次戦の9月4日の千葉ロッテ戦は、従来通り、
鶴岡慎也とのコンビに戻し、勝ち星はつかなかったものの、
8回を無失点に抑えた。
このぶんだと今後しばらくは、
また鶴岡とのコンビでいきそうな気配だ。

ダルビッシュと大野が初めて組んだのは7月17日の楽天戦だった。
この日も7回3失点でダルビッシュは負け投手になっている。
2度目となった8月20日の西武戦は4失点を喫し降板。
黒星こそつかなかったものの、スッキリとしないものが残った。

監督の梨田昌孝の、
ゆくゆくは大野を正捕手にしたいという意図ははっきりしている。
だが、最後の扉が、なかなかに重いのだ。

3度目の「お見合い」となったオリックス戦も、
ダルビッシュは大野のサインに何度も首を振るなど、
明らかに苛立っていた。
だが、そうしたシーンは慣れているはずの鶴岡のときでさえ、
いまだによく見られる。

ただ、捕手サイドのその受け止め方によって、
わずかながらダルビッシュのリズムに狂いが生じているのかもしれない。

~「夫をたてる」鶴岡と「カカア天下」の大野~

鶴岡と大野の「女房役」としての違いを
投手コーチの厚澤和幸がこんな風に評していたことがある。

「大野は言ってみれば、カカア天下。
 鶴岡は、三歩でも四歩でも下がってついていくというタイプ」

 確かに、この言葉に尽きる。

鶴岡は樟南高校、三菱重工横浜を経て、
入団テストをパスしてドラフト8巡目で'03年にプロ入り。
'06年の終盤からダルビッシュとの相性のよさをかわれ、
少しずつ試合に出られるようになった苦労人だ。
しかも、他投手とバッテリーを組むこともあるが、今なお
「ダルビッシュ専属捕手」という印象が強く、言ってみれば、
ダルビッシュは自分を引き立ててくれた大恩人でもある。

それに対し大野は、大学球界最強と言っていいだろう、
東都リーグの名門、東洋大出身で、
3、4年時には戦後初となるリーグ4連覇を達成。主将も務めた。
学生時代の実績は十分。
'09年にドラフト1位で入団し、即戦力として期待されていたほどの捕手だ。

それぞれの経歴からも、2人のメンタリティの差は十分に理解できる。

ある意味、鶴岡は「夫をたてる」タイプの捕手でなければ
生き残れなかっただろうし、逆に、大野はこれまで
「カカア天下」でなければチームを引っ張ることはできなかったに違いない。
それは2人の話し方、話す内容にもはっきりと表れている。

~大野は本当に度量の大きな「母ちゃん」になれるのか?~
鶴岡は、いかにも人のよさそうな口振りでこう言う。

「首を振られるのはぜんぜん気にならない。
 ピッチャーに気持ち良く投げてもらうことがいちばん大事なんで」

一方の大野は、ダルビッシュに対してということではないが、
自分の存在感を示すかのようにこう話していたことがある。

「たとえ首を振られても、その球種で押し通すことがある」

 まさに両極端だ。

どちらも一長一短だが、ことダルビッシュに関しては、
鶴岡の方がフィットするというのもわかる。

楽天の投手コーチで、
かつて日本ハムの投手コーチを務めていた佐藤義則は
ダルビッシュの特徴についてこう説明する。

「ダルビッシュの中に、
 普通のピッチャーがいうような配球という感覚はないよ。
 そのとき、そのときで、自分が投げたいボールを投げているだけ。
 でも、それで抑えちゃうんだから。それでいいんじゃないの」

ある意味、捕手を無力化させる投手だといえなくもない。
要は、大野がそれを許容できるかどうかだ。

本当に度量の大きな「母ちゃん」というものは、
夫を尻に敷く振りをしつつ、
三歩下がって夫についていくこともできるものだ。
その逆もしかり。

大野に本当の意味での自信がついてくれば、
その両極を演じられるようになるはずだ。
だが、それにはまだ少し時間がかかりそうだ。



【筆者プロフィール 中村計氏】

1973年千葉県出身。ノンフィクションライター。
某スポーツ紙を経て独立。
『Number』(文藝春秋)、『スポルティーバ』(集英社)などで執筆。
『甲子園が割れた日 松井秀喜の5連続敬遠の真実』(新潮社)で
第18回(2007年度)ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。
他に『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)、
共著に『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)などがある。
『雪合戦マガジン』の編集長も務める。
趣味は、落語鑑賞と、バイクと、競艇。

きつい1年 声援が支え
2009年10月08日 (木) | 編集 |
日ハム 稲葉篤紀主将 手記より  


ヤクルト時代を含めたら6度目の優勝だけど、
一番きつかった。
主将を任され、勝ちたい、監督を胴上げしたいとの思いだけで、
やり切った感はある。

ワールド・ベースボール・クラッシック(WBC)に向けた準備を
昨年暮れから始め、本当に長く感じた1年だった。
最初は影響もないだろうと考えていたが、
精神的にも肉体的にも夏場以降、一気に来た。
体が軽いと感じた日はなかった。
9月には試合中、ふらふらして目の焦点が合わず、
途中交代したこともあった。
それでも逃げたくない、自分に負けたくない一心だった。

打撃でも打率、打点など数字こそ残っているが、
チャンスで打てない打席が続き、とても辛かった。
8月にインフルエンザが流行した時も、
体のだるさはみんな感じていたし、
士気も下がっているのを感じた。
『楽しくやろう』と練習では明るくやるが、
プレーボールがかかった途端に雰囲気が重くなった。
僕自身も『どうなっていくのか』と不安だった。

それだけに、ファンには本当に助けていただいた。
試合での表情から伝わったのか、
『一人で悩まないで』『笑顔が見たい』と寄せられた
励ましのメッセージを読んで、
改めてファンの力はすごいなと感じた。
試合終盤の逆転勝ちがこれほど多かったシーズンは
初めてだった。
『よう勝ったなあ』と話す日が続いたが、
みんなが勝敗のポイントをよく分かっていた。
ここぞという場面に点を取って守り勝つ野球ができていた。
坪井らがベンチで声を出して控え選手を引っ張ってくれ、
チームに溝がなく、一丸を改めて感じた。

札幌ドームでCSを戦うという目標はまず達成できた。
しかし昨年、西武とのCS第2ステージが僕の三振で
終わったことは忘れていない。
挑戦する気持ちで臨みたい。

                読売新聞より