日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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一戦必勝体制の横浜ベイの救世主? 心を入れ替えて復活した吉村裕基
2011年05月13日 (金) | 編集 |
       村瀬秀信=文

今季、特に劇的な変化が感じられる選手がいる。
10日はソロ、そして8日のサヨナラと
2戦連続本塁打を放った吉村裕基だ。

2000年代序盤から中盤。
当時チームは弱くとも内川、古木、村田、多村、吉村……
なんて圧倒的な才能を感じさせる若手がベイスターズには存在した。

なかでも吉村は高卒4年目の'06年に26本塁打で
レギュラーを獲得した早熟の逸材。
足を高く上げた豪快なスイングと、
「歌舞伎投げ」と呼ばれる美しすぎるフォロースルーで
多くのファンの心を鷲掴みにし、応援歌
「ハマに勝利を呼び込む豪快なスイング、
 ユーキ!ユーキ!狙えスタンド遥か」
の歌詞通り、翌'07年は24本、
'08年には34本塁打を放ち村田らに続く横浜の看板打者に上り詰めた。

だが結果を残したとはいえ、
まだアラも多く好不調の波も激しい。
その当時インタビューしたある野球解説者の吉村評も
ひどいものだった。

「あまりにも考えなしにバットを振り回しすぎだよね。
 チームがタイムリーを欲しい場面で
 明らかなワンバウンドに手を出して三振してる。
 彼はチームじゃなくて自分のために野球をやってる。
 考えて野球をやらないと先はないよ」

解説者の予想通り、翌年から吉村は極度の不振に陥った。
'09年打率.248、16本塁打。
さらに昨年は49試合で打率.205、本塁打3本。
5月には二軍落ちと吉村にとってプロ人生最悪の2年間となった。


~ライトを守る背後で容赦なく浴びせられた残酷な野次~

この間、輝ける期待の大砲の溌剌とした姿はどこにもなかった。
得点圏にランナーを置いても無策な一発狙いでバットは空を切り、
外野の守備でも凡ミスを連発。
そんな吉村のプレーに、ライトスタンドのファンからのタメ息、
そしてヤジは日増しに激しさを増していき、
いつしか一部ファンから応援歌を
「タマ~に勝利を呼び込む~豪快なスイング、ユーキ! ユーキ!
 狙うと打てなーい」なんて替え歌まで歌われる始末。

「嫌いだったり、憎いわけじゃないんですよ。
ただ、守備の雑さも、
狙うと打てないがタマには勝利を呼び込む豪快なスイングってのも
事実でしたからね。
彼に対するイメージそのまんまの替え歌ですよ」(替え歌を考えたファン)


~ライトを守る吉村の背中から聞こえる強烈なヤジ~

かつて同じように不振にあえぎ守備でもやらかしていた
古木克明(現格闘家)が、
「何を言われても、頑張れと言われても
 バカにされているようにしか思えなかった」と
気を病んでしまったように、
味方から背中を撃たれるものほど応えるものはない。

~野次に対して頑なな態度をとり続け、沈んでいった吉村~

 それでも、多くのプロ野球選手はその壁を乗り越えてきた。

自軍の応援団の目の前でプレーするライト(もしくはレフト)は、
ある意味メンタルのポジション。
暗黒時代の辛い罵声を乗り越えて現在の地位を築いた
阪神の桧山のような選手を見ていると、
その壁の前でどう振る舞えるかが選手としての
分かれ道のような気さえしてくる。

 だが、野次に対して吉村は頑なになった。

ライトスタンドの声援にも応えないことが多くなり、
サインボールも内野席だけに投げ入れる。
それでも声援を送り続けるファンはもちろんいたが、
吉村の態度にこれまで擁護していたファンも少なからず呆れかえった。

「こちらを見ないように後ろ向きでバックしながら守備位置に着く。
 『吉村コール』にも後ろを向いたまま帽子をちょっと取っただけ……
 なんてこともありました。
 こちらの野次が原因だってことはわかっていますけど、
 あの態度には腹が立つ以前に、あ然としました」(ライトスタンドのファン)

両者ともに汲むべき事情はある。
だが、その関係は修復不可能なところまでこじれていた。
弱いとこんなことまで起きてしまうという典型的な例というべきか、
なんというべきか。

当の吉村は苦しんでいた。
自分のスタイルを見失ったかのように打撃フォームはくるくると変わり、
昨シーズンには'06年以来はじめてファームに落とされ、
最後まで復調は叶わず。
レギュラーは下園辰哉に奪われて、オフには大幅減俸の提示。
新聞紙上にはトレード要員という報道も出るなど、
文字通り崖っぷちにまで追い込まれていた。
高卒4年でレギュラーを取ってからのこの浮き沈み。
平静でいられるわけがなかった。

~昨年オフに囁かれた言葉「もう吉村はダメだろ」~

「もう別人になっちゃったよね。
本当は明るくて素直な子なのに、
球場で挨拶しても下を向いて素通りしちゃうし、
どうしちゃったんだろう」 

 以前から吉村を知る人は、その変貌ぶりに戸惑っていた。

「もう吉村はダメだろ」

昨年オフ、そんな言葉を何人の横浜ファンから聞いただろうか。
それまでの吉村に向けられていた期待はすべて
2年目の筒香へと移行したかのように、
その名前を聞く機会はパタリとなくなってしまった。

多村が去り、相川が去り、古木が去り、内川も去った。
ベイスターズの未来を背負って立つはずだった彼らと同じように、
吉村に懸けた夢もまた露と消えて行くのか。

~“ハマの毒舌家”中野渡進氏までが認めた劇的な変化~

筆者が吉村復活の兆を知るのは、昨年オフ、
国分寺でもつ鍋を食べている時だった。

「吉村はやるんじゃねぇの。
 キャンプで中根さんと一緒にめちゃめちゃ練習してたけど、
 目の色が全然違ったからな」

普通の人が褒めるならまだしも、
発言の主はベイスターズとケンカしてプロ野球を引退した、
毒しか吐かない元横浜の中継ぎ投手であり店主の中野渡進氏である。
彼が横浜の選手を褒めるなんて事件と言ってもいい。

それ以降、吉村の言動に注目し始めた。
昨オフから中根コーチと徹底的に新フォームの完成に取り組み、
自主トレは取材陣もシャットアウト。
大きく足を上げ、
フルスイングする従来の豪快なバッティングフォームを捨て、
シンプルなスイングにこだわった打撃を求めた。
さらに、これまで固執し続けていた本塁打も
「捨てる」というようなことまで漏らしている。

吉村の中で何かが変っている気配はしたが、
確信したのはキャンプ中のこんな発言だ。

「昨年は本当に悔しい思いをしたし、このままでは終われない。
 自分自身、本気で覚悟を決める時がきたと思います。
 今年も横浜スタジアムのライトスタンドをバックに守りたいです」

忌避していたライトスタンドを意識したような発言。
去年までの吉村の態度を知る人からは信じられないのだが、
その覚悟は開幕後に本物であることがわかる。

~ファンサービスでも見違えるような変化を見せた吉村~

開幕戦、スタメンを勝ち取った吉村は新打法が機能したのか
4打数4安打の大活躍を果たした。
ライトスタンドのある女性ファンは、
サインボールを投げ入れてきた吉村に感動しきりだった。

「昨シーズンの最後の方にもちょこちょこ投げるようには
なってくれていましたけど、今年は態度が明らかに違っていて驚きました。
表情が柔らかくなったというか、
いろんなものを受け入れようとしてくれているのが動きや言葉から
感じられるようになった気がします」

~ファンから向けられた声援に応える~

タイムリーヒットを打てば、塁上からファンに向かって拳を突き上げる。
ホームラン談話では
「ファンの声援がスタンドまで運んでくれました」
なんて殊勝なコメントを出してしまう。

今シーズン、吉村のそういう言動に出会う度に、
幸せな何かが込み上げてくる。
いや、他球団ファンからすれば、
「幸せの敷居が低すぎる」と笑う話なのかもしれないが、
それが今までできなかったのがベイスターズなのだ。

もちろん、すべてが改善されたわけではない。
吉村は相変わらず三振が多いし、守備でもボーンヘッドをやらかす。
現時点で4本塁打なのに7打点など、ヤキモキさせられることは多い。
ファンの方から野次も相変わらず飛ぶ。

 だが、復活した吉村はそんなことじゃ腐らない。

サヨナラホームランを打ち、でんぐり返しでホームイン!!

 5月8日の阪神戦だ。

それまで16打席連続無安打で迎えた9回の打席。
考え込み暗くなりがちだった吉村は、
「こんな暗い顔をしていたらダメだ」と、
笑って打席へ向かいサヨナラホームランを放った。
さらに、おどけてでんぐり返しでホームインした吉村は、お立ち台で叫ぶ。

「ベイスターズファンの皆さん、
センターの守備位置で気持ちが下向きになりそうな時に
頑張れと言ってくれた右中間のファンの皆さん、
今日はありがとうございました!」

あんなに笑っている吉村の顔を見るのは、
今回のベイスターズの4連勝よりも遥か遠い昔の出来事だった気がする。

「楽しもうと思う」

2年間のどん底を経て尚もそんな言葉が言えるのは、
どんなに結果が出なくても腐らずに戦おうとする決意、
そして自分の真後ろにある、
ライトスタンドを背負っていこうという覚悟があるからだろう。

~「去年までの僕の野球は子供だったと思います」~

「過去は過去と割り切りました。
 自分で言うのもなんですけど、
 去年までの僕の野球は子供だったと思います」

試合後のコメントを聞いて確信した。
吉村は壁を一歩乗り越えたのだ。
そして、それはライトスタンドで野次を浴びせていたファンにも
同じことがいえよう。

「昨年、二軍落ちしたときに
『やっぱり吉村がいないと寂しい』と気づかされたんです。
 まだ打撃も守備も雑さは残っていますが、
 今年は覚悟を持ってやっているのが伝わってきますし、
 頑張っていると思います。
 そりゃ嬉しいですよ。嫌いなわけじゃないんだから。
 吉村にはすぐ後ろにはファンがたくさんついているってことを
 忘れないでほしい。ただ、
 気の抜けたプレーには容赦なく野次りますけど(笑)」(野次の中心人物)

~不幸な関係を乗り越えた絆は強くなる~

ハマスタで声の限りにユーキ! と叫べる幸せ。
そんなものが続いていけば、
ベイスターズは玉砕覚悟のこのシーズンをも乗り越えていける。

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杜の都から横浜へ。楽天・渡辺、涙の移籍。~“野村門下生”尾花監督の下へ~
2011年01月15日 (土) | 編集 |
              永谷脩 = 文 


ある場所から去ることになった時、
心から涙を流してくれる人が何人いるかで、その人の価値が決まる。
楽天・渡辺直人の横浜移籍が決まった時、
鉄平、嶋基宏、草野大輔が悔し涙を流しているのを見て、
若い頃に読んだ本に記されていた一節をふと思い出した。

「女性以外に3人も泣いてくれる人がいたんだ。
 それってすごいことじゃない」

渡辺に声をかけると、何とも所在無げな作り笑いを返してくれた。

昨年最下位に沈んだ楽天は岩村明憲、松井稼頭央の
元メジャーリーガーで二遊間を補強し、
岩隈久志のポスティングで得た落札金でふたりの年俸を払う、
という青写真を描いていた。
ところが交渉が不調に終わり、岩隈の残留が決定。
そこで同じ内野手の渡辺が放出されることになったのだ。
控えで置いておくよりも金銭トレードで金にしたい、
そう思われても仕方のないトレードだった。

ブラウンが指揮を執り出場機会が減った昨季
「なぜダメなのか」と説明を求めたことも、
フロントから小うるさいタイプと思われたのかもしれない。

~野村克也を師と仰ぐ尾花高夫と野村野球の申し子・渡辺直人。~

渡辺は野村克也監督就任2年目の2007年に大学・社会人ドラフト5巡目で入団。
野村監督の評価が高く、野村野球の申し子といわれる選手だった。
一度だけ宴席をともにした時、若手が野村監督のボヤキに不満を言う中で、
監督の意図はここにあるのだから、
と仲介役を買って出ていたことを今でも憶えている。

渡辺は移籍が決まった夜、野村克也に電話を入れ、
「よそのメシを食うことは視野が広がる」とアドバイスをもらった。
また世話になった仙台の知り合い一人ひとりに電話で挨拶を済ませ、
誰もいないロッカールームで私物を整理していた時、
渡辺を師匠と呼ぶ鉄平が「お手伝いさせて下さい」と声をかけてきた。
さすがにこの時は涙が止まらなくなったと言う。

「今は横浜で自分のポジションをどう獲るか、
 それしか考えないようにしている」と渡辺は言うが、
ショートには売り出し中の石川雄洋がおり、
熾烈なポジション争いになることは確かだ。

3年連続最下位の横浜は「自己犠牲」という発想がないチーム。
勝つためには泥臭いプレーも厭わない渡辺は、
野村克也を師と仰ぐ尾花高夫にとって、
何より頼りになる存在になるかもしれない。


今までの横浜ナインの野球感を覆す、カウント1-3における渡辺直人の選択
2011年01月12日 (水) | 編集 |
                鷲田康 = 文 


このオフ、ある意味、最も衝撃的だった発言は、
昨オフにロッテから横浜に移籍した橋本将捕手が1年間、
横浜にいて感じたというこの言葉だった。

「このチームでは、ありえないことが当たり前になっている」――。

橋本によると
「試合中にベンチにいる選手が少ない」など、
他チームでは考えられない出来事に、
横浜では当たり前のように遭遇したというのだ。

確かにこれまでも某主力選手は途中交代すると、
ベンチ裏に下がってソファーで寝そべりながらテレビ観戦を決め込んでいた――
そんな話も聞いたことがある。
他チームでは打ちこまれた投手も、
アイシングが終わればベンチに戻って声を出す。
そういうことは常識中の常識だと思っていたが、
横浜ではどうやら違うようなのだ。

尾花高夫新監督を迎え、これまでの大雑把な野球から
「アナライジング・ベースボール」を掲げて
野球スタイルの一新を図ったものの、
シーズン中には監督と主力選手の不協和音がささやかれ、
終わってみれば3年連続最下位。
しかも、シーズン中に身売り騒動が表面化し、
オフには主力の内川聖一内野手がFAでソフトバンクに移籍した。

 そして橋本のこんな爆弾発言だ。

~暗い話題ばかりの横浜に渡辺直人が明るい光を注ぎ込む~

2010年の横浜にいい話なんか何もなかったが、
唯一ともいえる朗報は、
楽天から渡辺直人内野手を金銭トレードで獲得したことだった。

「(楽天では)最高の仲間と最高の野球ができたことに感謝したい。
 でも、今日からはお互いに頑張って最高のステージ(日本シリーズ)
 で戦えれば……。
 今度は敵になるので、楽天を叩きつぶしたい」

突然のトレード通告に涙した渡辺の気持ちも、
もうすっかり吹っ切れていた。

渡辺は今季、楽天では規定打席には届かなかったが
115試合に出場して打率は2割6分5厘、本塁打は0、打点も26と
レギュラーとしては不満の残る数字だった。
星野仙一監督が遊撃手のレギュラーとして
メジャー帰りの松井稼頭央内野手を考えるのは、
仕方ないことでもあった。

~“自分で自動待て”が3割5分3厘の高出塁率に結びつく~

だが、渡辺にはあまり目立たないが、特筆すべき数字がある。

 それは3割5分3厘という出塁率だ。

「カウント1-3になったら“自分で自動待て”をかけているんだろ?」

 ある選手が、こんなことを渡辺に聞いたことがあるという。

「……」

企業秘密もあるので、本人は言葉を濁したそうだが、
この沈黙が答えでもあった。

1-3は圧倒的に打者有利のカウントだが、
そのシチュエーションで渡辺はほとんどバットを振ることがない。
四球の可能性があるので、
そこで我慢して“自分で自動待て”と決めているのだ。

~打率2割6分5厘でもチームにとっては3割打者と同じ価値が~

カウント1-3というヒットカウントで我慢していたら、
その打者はなかなか3割は打てないだろう。
ただ、選手が3割を打つにはおいしいカウントでも、
チームにとっては安打も四球も意味は同じなのだ。
より高い確率で出塁できる、
安打を打てる可能性を捨てても四球をとる。
渡辺はその可能性を選択する選手、ということだ。

逆に言えば、だからこそ打率2割6分5厘でも、
出塁率は1割近くアップする。
実質的に渡辺はチームにとっては3割打者に匹敵する能力を秘めた選手、
ということになるわけだ。

2010年シーズン、横浜の選手で100試合以上出場して
出塁率が3割5分を越えたのは内川(3割7分1厘)と
下園辰哉外野手(3割6分5厘)の2人しかいなかった。
しかも、そのうちの1人の内川がソフトバンクに移籍してしまった。

塁に出て、まずチャンスを作るリードオフマンがいない。
そう考えると、横浜には渡辺のような選手がいかに必要か、
ということが鮮明になってくる。

~個人プレーに走りがちな横浜ナインを渡辺が変える!~

そして、もう一つは、橋本を驚愕させた横浜の常識を変えるために、
渡辺獲得は一つのきっかけになるはずだ、ということだ。

 選手が勝手気ままに野球をやる。

横浜ではカウント1-3は、
一発長打を狙う絶好のバッティングチャンスだった。
もちろんそれが全面的に間違いだ、というつもりはない。
ただ、その選択だけならば打てれば勝てるが、
打てなければダメという、
これまでのスタイルからの脱却は永遠に不可能だということだ。

その横浜に風を送る存在となりえるのが、
カウント1-3から“自分で自動待て”をかけられる渡辺という選手だった。

あとはこの選手のそういうやり方を、
選手個々にきちっと気付かせられるかどうか。
選手としての存在価値をどう評価するか。
そこが2011年の首脳陣、フロントの大きな仕事になるはずである。


【筆者プロフィール 鷲田康氏】

1957年埼玉県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。
およそ10年にわたり読売ジャイアンツ取材に携わった。
2003年に独立。
日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、
Numberほか雑誌・新聞で活躍。
著書に『僕のメジャー日記 松井秀喜』(文藝春秋)、
『ホームラン術』(文春新書)がある。
横浜の“振り切り男”石川雄洋。アグレッシブ過ぎる1番打者の魅力。
2010年05月19日 (水) | 編集 |
             田口元義 = 文 


近年、選手の登場曲がファンの間でも定着しているが、
これがまた、本人の好みが窺えるから面白い。

なかには、歌詞の内容が実際のプレースタイルと
見事に通じている選手もいる。

今シーズンなら、
横浜のリードオフマンとして申し分ない活躍を見せている
石川雄洋が、その象徴と言えるだろう。

“きばってこーぜ イェイ イェイ イェイ♪”
“振り切ってこーぜ ほら ブンブン♪”
“あたってこーぜ イェイ イェイ イェイ♪”

 この曲とともに打席へ向かう。

「きばってこーぜ」と「あたってこーぜ」というフレーズは、
人によって解釈は異なるだろうが、
「振り切ってこーぜ」は、今の石川にピッタリだ。

~開幕から37試合で四球がわずか5つという驚異的な数字~

この「振り切る」という姿勢こそが、
躍進の大きな要因となっている。

それは数字を見ても明らかだ。
まず、何と言っても四球が少ない。

5月18日時点で37試合に出場し、たったの5つ。
主に1番を任されているが、
セ・パ両リーグの1番打者のなかでひと桁なのは石川だけだ。
積極的な打撃でチームを牽引する巨人の坂本勇人ですら
11個を記録しているのだから、
彼がどれだけ攻撃的な打者であるかが理解できる。

 そこには、はっきりとしたわけがある。

「三振はしたくないので。三振からは何も生まれないですから」

初球からバットを振り切る「攻撃型1番」ではあるが、
2ストライクになるとシャープなスイングで
投手に多くの球数を投げさせる、
いやらしい「職人型1番」へと鮮やかにシフトする。

ファウルで粘る打席が多いことについて、石川は
「特に意識はしていない」と謙遜する。
こだわることはただひとつ。
「逆方向へ打つ」こと。

~名門・横浜高で培った高い野球偏差値がその打撃にいきる~

春季キャンプから大きなテーマに掲げていたことで、
同時にその「打ちどころ」を見定める眼も培われた。

5月4日の広島戦。
先頭打者で迎えた8回裏に三塁への内野安打を記録した。
本人は「ヒットになったのはたまたまです」と言っていたが、
その後の言葉で技ありの1本だったと納得させられる。

「サードが前に来ていたので三遊間のヒットゾーンが広くなる。
 だから、そこへ転がせば、と」

相手の守備陣形から的確な答えを導き出せる野球偏差値の高さは、
「さすが名門・横浜高の出身だ」と感嘆させられるところだが、
このような打球を安打にできるのは、
何より最大のセールスポイントである足があるからだ。

~リーグトップの内野安打を生みだす粘りの打撃と俊足~

どれだけ速いのか? と問われたとき、このような場合、
単純に盗塁数だけを挙げても説得力に欠けるため、
5月16日の西武戦で各塁への到達タイムをストップウォッチで計測してみた。

第2打席(三塁打)……10.1秒
第3打席(二塁内野安打)……3.87秒
第4打席(投手前犠打)……3.75秒

専門家の間では、一塁到達が4秒以内、
三塁到達が12秒以内であれば俊足と言われているだけに、
石川のタイムは充分それに値する
(といっても、ストップウォッチを押すタイミングには
 必ず個人差が生まれるため、あくまでも参考ではあるが)。

2ストライクからの粘りや逆方向への打球に対する高い意識。
そして足の速さ。
この三要素が石川の中に根強く染み付いているからこそ、
リーグトップの14個もの内野安打を量産し、
3割2分3厘のハイアベレージを残せている。

~昨季とは正反対の守備の良さが打撃好調を支えている~

補足すれば、打撃好調の要因のひとつに守備も挙げられる。
昨シーズンは、遊撃手部門での守備率はリーグワーストの9割7分。
失策数も17と多くの課題を残したが、
今シーズンは37試合で守備率10割。
つまり、失策を1度も記録していないのだ。

打者はよく、「守備で打撃のリズムを作る」と言われている。
石川もまた、守りが安定しているから
攻撃面に余裕が生まれているのだろう。

他球団にとって、
今シーズンの横浜のリードオフマンの存在は脅威であることは間違いない。

ただ、ひとつだけ気になることがある。
それはプレーではなく、冒頭でふれた登場曲だ。

曲名は「ズッコケ男道」。
<あたってこーぜ~~>の後に<ズッコケ男道>と続くのが、
この歌の特徴だ。

とはいえ、今の石川には“ズッコケ”る穴らしき穴は見当たらないため、
前向きにこの曲を捉えたい。

“ズッコケメロディー”を背に
スター街道をひた走る、彼の「男道」に期待しよう、と。

※ 今シーズンの成績は、全て5月18日現在のもの



【筆者プロフィール 田口元義氏】

1977年福島県生まれ。元高校球児(3年間補欠)。
ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。
Numberほか雑誌を中心に活動。
試合やインタビューを通じてアスリートの魂(ソウル)を
感じられる瞬間がたまらない。
共著に「戦力外通告 プロ野球をクビになった男たち」、
同「諦めない男たち」などがある。

尾花新監督は横浜を変えられるのか? 問われる「名参謀」の“決断力
2010年03月20日 (土) | 編集 |
                       田口元義 = 文   


横浜ベイスターズ 「名参謀」で終わるのか? 
それとも、「名監督」へ向けて新たな一歩を踏み出せるのか?

今シーズンから横浜で指揮を執る尾花高夫の、
指導者としての真価が試される1年がスタートした。

 ルーキー監督は、キャンプから大胆に動き出す。

まず、昨年まで午前中に組まれていたブルペンでの投球練習を
午後に回した。これには、
「疲れている状態で、バランスよく無駄な力を入れずに
 投げることを体で覚えてもらいたい」といった意図が込められている。
巨人のコーチ時代に導入していたメニューを、
そのまま横浜にも取り入れたわけだ。

そして、体の強さはもとより、昨年、
守護神として18セーブを挙げた山口俊のメンタルを買い
先発転向を指示。彼を含め、
エースの三浦大輔、ロッテから移籍した清水直行、
2年目のランドルフ、寺原早人(隼人から改名)の
「先発5本柱」でシーズンを戦う意志を早くも固めた。

2年連続最下位と低迷するチームにあって、
このような改革を俊敏にできる尾花の手腕は、
さすがのひと言に尽きる。

そして、やはり「名参謀」と呼ばれていたコーチ時代の経験が
確実に生きているのだな、とも思う。

~投手出身ながら捕手の目線で指導できる「名参謀」~

'95年のロッテからコーチ人生がスタート。
'97年にはヤクルトに移り、田畑一也を15勝投手に成長させるなど、
「野村再生工場」の陰の功労者として脚光を浴びた。

ダイエーでは、'99年から'05年までコーチを務めリーグ優勝3回、
日本一2回。
その期間に斉藤和巳や和田毅、杉内俊哉といった金の卵たちを、
球界を代表する投手へと見事に孵化させていった。

巨人時代も磐石の投手陣を作り上げ、在籍期間にリーグ3連覇。
昨シーズンは、02年以来となる日本一に大きく貢献した。

 尾花がなぜ「名参謀」になれたのか?

それは、投手目線ではなく捕手目線で指導できることだ、
と尾花同様、名参謀として数多くのチームを優勝に導いた
黒江透修氏は言う。

「現役時代に広岡(達朗)さん、選手、コーチ時代に野村(克也)さんから、
 徹底的に緻密な野球を教え込まれたことが
 生きているんだと思いますね。
 ダイエーに呼ばれたのも、
 王(貞治)さんが彼の育ってきた経緯や野球理論を高く評価していたから。
 事実、投手ミーティングでは自分で用意した膨大な資料を見せて、
 『このバッターのインコースの打率は低い。
  だから、そこを起点に攻めろ』など、
 明確な対策を選手に伝えていたそうです」

黒江氏は、
「横浜ではおそらく投手コーチ兼任のような立場になるでしょうね」
と言う。

これまでの実績を考えればそのほうが
チームにとってもプラスに働くだろう。  


~名将たちの決断を間近で見てきた経験は活かされるか?~

しかし、これからは他者から進言されることはあっても、
今までのようにすることはできない。
決断するのは監督である尾花本人なのだ。

尾花は今まで数多くの名将を見てきた。
野村克也、王貞治、原辰徳。
彼らがゲームで何を考え、重要な局面でどのような決断を下したか? 
そういったところも、冷静に見てきたはずだ。

たった1イニングで勝敗の行方がガラリと変わる。

あの試合で得た教訓も大きかったのではないだろうか。

'08年の日本シリーズ第7戦。
2対1と巨人がリードしていた7回、
3番手の越智大祐は西武打線を0点に抑えた。
尾花はこの時点で原に、
「次のピッチャーいけます」と交代を促がしたが彼は続投を選んだ。
8回のピンチの場面でも進言したが、
指揮官は首を縦に振らなかった。
結局、チームは逆転され、日本一を逃した。

決断力は紙一重。
原の「続投」という答えが間違っていたわけではない。
結果として負けたに過ぎない。

監督となった今年、ペナントレースでそのような局面を迎えた際、
どのような決断を下すのか。
そういったところにも注目していきたい。

~オープン戦では最下位。やはり「今年もダメ」なのか?~

ただ、監督で勝てるほどシーズンは甘くない。
昨年、両リーグを通じて最下位の打率2割3分9厘、
11位の防御率4.36を残してしまった選手たちが、
ヤクルトで「野村野球」を熟知し、
ダイエー、巨人で常勝軍団の帝王学を学んだ指揮官の野球に
どれだけついていけるか? 
最終的に重要となってくるのはそこだ。

オープン戦が本格的に始まった3月。
相変わらずの不調ぶりにファンは落胆してしまう。
「今年もダメか」と。

しかし、今はまだ1、2年目を中心とした若手を率先して試している状態。
手探りの段階ともいえるこの時期に、
シーズンの行く末を判断してしまうのは早計だ。

仮に、新人監督以上にプレッシャーを感じているのが、
選手たちであったにしても……。


【筆者プロフィール 田口元義】

1977年福島県生まれ。
元高校球児(3年間補欠)。
ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。
Numberほか雑誌を中心に活動。
試合やインタビューを通じて
アスリートの魂(ソウル)を感じられる瞬間がたまらない。
共著に「戦力外通告 プロ野球をクビになった男たち」、
同「諦めない男たち」などがある。