日々様々なスポーツ界での出来事や、気になった記事を取り上げ考えていくブログです。
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斉藤和巳の来季契約は残酷か否か?最近のプロ野球界はリスク減少傾向
2010年09月27日 (月) | 編集 |
               中村計 = 文 

先日、ある男子プロゴルファーの取材をし、
3000円ちょっとの昼食をごちそうしようとしたら
「こんなに高級なところでいいんですか?」と驚かれた。

いや、驚いたのは、むしろこっちの方だった。
その選手は、かつて賞金王争いも演じ、
優に1億円を超える賞金を稼いでいた選手だったのだ。
こちらとて取材の続きとお礼を兼ねるつもりで、
せめて昼食だけでもと奮発しただけだったのだが……。

 そのときふと思い出したのが斉藤和巳だった。

言わずと知れたかつてのソフトバンクの大黒柱で、
2003年、2006年と二度も沢村賞を獲得している。

プロ野球の世界は、他のプロスポーツ界同様
「実力の世界」だという。
だが、それはある面正しく、ある面正しくない。

団体スポーツは大抵そういうものだが、
過去の実績で未来の報酬が決まる。
つまり、極端な話、前年活躍すれば、
その年1試合も出なくとも相応の給料がもらえるのだ。
その翌年も、よっぽどのことがない限りガクンと落ちることはない。

 斉藤がまさにそうだった。

右肩を故障している斉藤は2007年のクライマックスシリーズ以降、
1試合も登板がない。
つまり2008年はまったく登板がなかったのだが、
それでも翌2009年は2億、今季も1億2000万円もらっているという。

~プロ野球からリスクと緊張感がどんどん失われつつある?~

その点、個人スポーツであるゴルフはもっと明快だ。
デビュー1年目であろうとも勝てば1億円稼げるし、
前年いくら稼ごうとも、翌年、普通はそこまで極端なことはないものの、
全試合予選落ちしてしまえば無報酬ということもありえる。

冒頭の選手も、そこまで極端ではないにせよ
「今はもっぱらファミレスですよ」と苦笑していた。

どんなプロスポーツも、その魅力の土台となっているものはリスクだ。
リスクがあるからこそ緊張感が生まれ、プレーの輝きが増すのだ。
またそれゆえ、
一般人には到底考えられないような報酬を得ることもできる。

2004年、近鉄とオリックスが合併し、
球団数が削減されそうになったとき、当時、
選手会の会長という立場もあったのだろう、
それに猛反対していた古田敦也が
「選手の雇用の場が減ってしまう」という主旨の発言をしていた。
全部を否定するわけではないが、
どこか白けた気分になったことも事実だった。
プロ野球選手の割にサラリーマンみたいなことを言うのだな、と。

理由はどうであれ、いつなんどき雇用の場を失いかねない、
つまりは報酬が0円になりかねないというリスクのないプロスポーツなど、
見ていてもおもしろくもなんともないではないか。

~斉藤は丸4年間投げないことになるのだが…~

ひと昔前までは、プロ野球選手といえば単年契約が普通だった。

だが今はベテランの主力ともなれば複数年契約が主流だ。
それがプロ野球の魅力を削いでしまったのだと言ってしまったら
あまりに短絡的だが、
そうした保守的な思想があらゆるところで当然のように持ち出され、
プロ野球界全体が以前よりも野性味を失ってしまったという気は
しないでもない。

今年2月に右肩の再手術に踏み切った斉藤の復帰は、順調に回復しても、
2012年になるという。
したがって2008年から2011年まで、
丸4年間、まったく投げていないことになるのだ。

球団も功労者だけに最初は優しかった。
だが来季は斉藤に対し育成選手として契約するつもりであることを通達した。
そうなると年俸は一気に1000万円台までダウンする見込みだ。
それでも個人スポーツに比べれば恵まれていると言っていいだろう。

~「プロ野球選手として生きる」という内容が問われる時~

これを冷酷と見るか、当然と見るかは意見の分かれるところだ。

ただ、どんな親でも、不慮の事故で働けなくなってしまった息子に対し、
最初は優しいものだ。
慰めの言葉をかけ、経済的援助も厭わない。
でも、その状態が何年も続いたとしたら、扱いは粗雑となり、
何かしら言いたくなるものだ。
もちろん息子が立ち直ることを期待して。

斉藤は球団のこの提案に対して、どう答えるのだろう。
単純な金銭だけの問題ではない。
斉藤にとっては、プロ選手としての生き方が問われているといってもいい。
もっといえば、斉藤だけでなく、
今のプロ野球選手のプロとしての矜持が試されている。


【筆者プロフィール 中村計氏】

1973年千葉県出身。ノンフィクションライター。
某スポーツ紙を経て独立。
『Number』(文藝春秋)、『スポルティーバ』(集英社)などで執筆。
『甲子園が割れた日 松井秀喜の5連続敬遠の真実』(新潮社)で
第18回(2007年度)ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。
他に『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)、
共著に『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)などがある。
『雪合戦マガジン』の編集長も務める。
趣味は、落語鑑賞と、バイクと、競艇。

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沖縄人の『なんくるないさ』が弱点? 新垣渚が断絶すべき“負の歴史”
2010年03月01日 (月) | 編集 |
                 中村計 = 文  


 ちょっと切なくなるような光景だった。

 ソフトバンクの宮崎キャンプを訪れたときのことだ。

球場外に、球団グッズのセール品が売られていた。
Tシャツもトレーナーもオール1000円。
思わずトレーナーの方を衝動買いしかけたのだが、よく見ると、
ほとんどが背番号18番なのだ。
そう、つまりは新垣渚のものだ。

 理由は2つ考えられる。

作りすぎてしまった、もしくは、売れ残ってしまった。

推測だが、ムネリンこと川崎宗則のものならともかく、
失礼ながら、新垣の場合は、
前者ではないように思える。
となると、やはり、後者か……。

人間心理とは微妙なもので、売れ残っているのだと思うと、
急に目の前の商品が色あせて見えてきてしまうものだ。

 ――やめた。

 伸ばしかけた手を、結局、引っ込めてしまった。

~3年連続2桁勝利のブライテストホープが「暴投王」に転落~

それにしても(売れ残ったという前提で話を進めさせていただきます)、
ここ数年の新垣はいったいどうしてしまったのだろう。

入団2年目となる'04年から'06年は3年連続2桁勝利を達成。
150kmを軽く超える速球と球界随一とも評されたスライダーなど、
リーグを代表する投手になるのも近いと噂されるほどの大物っぷりで、
どこから見ても順風満帆な船出に思えた。

 ところが'07年から急にコントロールが乱れ始める。

「暴投王」

これが新垣につけられたニックネームだった。

'07年には1シーズン25暴投というプロ野球新記録を樹立し、
続く'08年には1試合5暴投という新記録もつくった。

昨年もその悪癖は改善されず、
1軍での登板はわずか4試合にとどまった。

~傑出した身体能力を持つ沖縄出身者はなぜ活躍できないのか?~

ちょうど新垣が下降期に入り始めた頃だった。
関西球団の某スカウトから、こんな話を聞いたことがあった。

「今はもう、大阪やからとか、四国やからってことは
 ないんじゃないですか。どこも一緒ですよ。
 東北の子やからって、気が弱いこともないでしょう。
 これだけボーダレス化が進んどるんやから。
 ただ、沖縄の子だけは、優しいイメージがあるなあ……。
 沖縄の子の身体能力は、ほんまにすごいんやけどな。
 ほれぼれする。
 新垣なんて、あんなの本州にはおらんやろ。
 でも、沖縄ということで評価を差っ引かざるをえない。
 活躍したの、石嶺(和彦=オリックス→阪神)ぐらいやろ。
 でも、彼だけ性格が違とったわけやないんですよ。
 彼は沖縄の性格で成功した珍しい例。
 向こうの言葉でいう、
 『なんくるないさ(なんとかなるさ)』ってね。
 何事にもこだわらないというかね」  


~ロッテ・大嶺祐太にも“沖縄人のジンクス”がつきまとう~  

プロ野球界には今も根強く、沖縄人は成功しないというジンクスがある。

身体能力はずば抜けているのに、なぜか、
力を発揮し切ることができない。

新垣は沖縄水産高校時代、
松坂大輔以上の逸材と言われたこともあった。
だが、現在の2人の差は、どうしたことか。

千葉ロッテの大嶺祐太にしてもそうだ。
新垣と同じく長身右腕で、八重山商工時代、
甲子園ではこちらも新垣と同じく151kmをマークした。
そしてやはり、素材としては、同世代の田中将大以上と言われていた。
だが、今や、完全に水をあけられてしまっている。

2人に共通しているのは、すごいときはとにかくすごいのだ。
誰もが打てないようなボールを投げ込む。
だがその反面、信じがたいような崩れ方をしてしまう。

~ゴルフなどの個人競技では沖縄勢が席巻しているが…~

沖縄の、ある甲子園常連校の監督は、
沖縄の子どもに勝負根性をつけようと、
素手でボクシングの真剣勝負をさせたり、
包丁で生きたニワトリの首を落とさせたりしていた。

方法的にそれが適切だったかどうかはさておき、沖縄人の中にも、
自分たちは競争に不向きなのではあるまいかという劣等感が
もしかするとあるのかもしれない。

高校野球に限って言えば、沖縄のチームは春の甲子園で二度、
全国制覇を成し遂げてはいる。
野球だけでなくバレーボールや様々な取材で沖縄に行くたびに、
いつも彼らの身体能力には驚かされてきた。
だからこそ思うのだが、彼らの能力からしたら、
春の甲子園での二度の優勝くらいでは物足りない。
もっと勝ってもいい。

ボクシングやゴルフなど個人競技の世界では、プロアマ問わず、
沖縄人は大活躍している。
だが団体競技になると、ぱたりと名前を聞かなくなる。
その中でも特にプロ野球の世界は顕著だ。

~プロ球界に連綿と続く“沖縄人の負の歴史”を払拭せよ!~

 今年は大嶺祐太の弟、翔太も千葉ロッテに入団した。

翔太は周知の通り、ドラフトのあと、
居酒屋で同級生と酒を飲み補導されるというスキャンダルを起こした。
そんなことからも想像できるように、いわゆる「やんちゃ坊主」だ。

彼なら、プロ球界に連綿と続いている沖縄人の
負の歴史を変えることができるだろうか。

いずれにせよ、翔太でなくともいい、日本プロ野球界のためにも、
1日でも早く、誰かがそのような流れを断ち切って欲しいのだ。

可能性をもっとも秘めているのは、
今もなお、新垣であることは間違いないのだが。


【筆者プロフィール 中村計氏】

1973年千葉県出身。ノンフィクションライター。
某スポーツ紙を経て独立。
『Number』(文藝春秋)、『スポルティーバ』(集英社)などで執筆。
『甲子園が割れた日 松井秀喜の5連続敬遠の真実』(新潮社)で
第18回(2007年度)ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。
他に『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)、
共著に『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)などがある。
『雪合戦マガジン』の編集長も務める。
趣味は、落語鑑賞と、バイクと、競艇。
再び手術に挑む“ガラスのエース” 斉藤和巳の止まってしまった時間―
2010年02月18日 (木) | 編集 |
                 田口元義 = 文  


 見たい選手が見られないのは残念だ。

アリゾナでの自主トレの模様がテレビに映し出された際の彼の表情は明るく、
「今年こそは」と安心させるものがあった。

春季キャンプでは、二軍選手中心のB組でのスタート予定とはいえ、
久々にユニフォーム姿が見られると期待を募らせた。

復活を誓っていたソフトバンクの斉藤和巳が
右肩腱板修復手術に踏み切ることが報道されたのは、
キャンプ直前の1月31日のことだった。

右肩の状態はまだ深刻だったのだ。

~エースなのに2年以上も実戦登板が無いという屈辱~

「いくらトレーニングに励んでも(右肩の)
 状態が上向かないもどかしさは想像を絶するものでした」―。

これは球団広報を通じての斉藤のコメントだが、
他者を介したものでも、十分すぎるほど言葉に重みが感じられた。
'08年1月に右肩関節唇修復手術を受けて以来、
2年以上も実戦登板から遠ざかっているどころか、
まともに投球ができずにいる。
チームの大黒柱、絶対的なエースと呼ばれる斉藤にとって、
これほど苦しいことはないだろう。

 その心情は、同じく31日のブログに切々と綴られている。

<「投げたい」という気持ちが、少しも変わってない事を再確認し、
  可能性が高くない事は自分でも分かっていますが、先を考えると、
  凄く険しい事もわかった中で、
  もう一度そこに立ち向かおうと、決心しました>

投手にとって利き腕の故障は致命的だが、
なかでも肩は選手生命をも左右する重大な箇所。
多くの時間を費やし丹念にリハビリを続けても、
全盛期のボールが投げられる保証はどこにもない。

これまで、そんな選手を何人も見てきた。
特にあのふたりは……
現在の斉藤のように実績と怪我がクローズアップされた選手だった。


~今中慎二、川崎憲次郎はついに完治することなく消えた~

 ひとりは元中日の今中慎二。

17勝を挙げた'93年から4年連続で2ケタ勝利をマーク。
150キロ近くの速球と100キロ前後のスローカーブを武器とした
天才投手だったが、
'97年の自主トレ中に左肩に違和感を訴え手術を決断。
以後、故障と戦い続けたが完治することなく'01年に引退。

 もうひとりは川崎憲次郎。

ヤクルトでエースだった男も、
'01年に中日へ移籍してからは右肩の痛みに苦しんだ。
チームではエースを意味する背番号20を与えられながらも、
3年間で一軍登板はゼロ。
04年に開幕投手を務めたが往年の球威を取り戻せず、
同年に現役を退いた。


~ 不安や苛立ち焦燥感……プロとしての地獄の苦しみが続く~

ふたりは投手の最高の栄誉である沢村賞に輝くなど
チームの柱的存在でありながら、
故障期間が長かったため通算勝利が100勝に達していない。
これらは悲しいことに、今の斉藤と共通する部分でもある。

 つまり、「ガラスのエース」ということ。

言葉の響きはいい。
「滅びの美学」にも似た儚さがある。
何より他者は、これを「伝説」とし美化することを好む。
すでに引退している今中や川崎なら、
今となってはそれを過去のものとして受け入れるかもしれない。
ただ、未だ現役に強いこだわりを持つ斉藤からすれば、
嬉しくも何ともない称号であることは間違いない。

完治する、往年のボールが投げられる確証が持てないまま
生活をする苦しみは本人にしか分からないものだ。
不安や苛立ち焦燥感。
もしかしたら、諦めそうになる日だってあるかもしれない。
だが、それでも、と自分を奮い立たせるのもプロの仕事である。

<可能性が無くなった訳でないのに背をむける事は、
 自分の中では出来ません>

1月31日のブログで本人もファンに強く訴えかけている通り、
可能性はゼロではないのだ。

~斉藤和巳という選手を信じ、そして最後まで見届けたい~

だからこそ、斉藤和巳という投手を信じてみたくなる。
というより我々は、
斉藤和巳という投手を最後まで見届けなければならない。

まだ、斉藤和巳の時間は止まったままだ。
止まっているのだから焦る必要はない。
再び時計の針が動き出す、
一軍のマウンドに上がる日が来るまで、
じっくりと右肩と会話をすればいいのだと思う。


【筆者プロフィール 田口元義氏】

1977年福島県生まれ。
元高校球児(3年間補欠)。
ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。
Numberほか雑誌を中心に活動。
試合やインタビューを通じてアスリートの魂(ソウル)を
感じられる瞬間がたまらない。
共著に「戦力外通告 プロ野球をクビになった男たち」、
同「諦めない男たち」などがある。
直撃!注目のルーキーくん(3)
2008年02月02日 (土) | 編集 |
昨日からキャンプインしたプロ野球。
今日はソフトバンクの大学・社会人ドラフト1巡目、
大場翔太投手(22)=東洋大=。
昨年11月の明治神宮大会決勝では、早大・斉藤佑樹投手
との投げあいを制し日本一。
さらには3連続の完投勝利で“平成の鉄腕”を襲名した。
大場がこれまでに残した数々の鉄腕伝説を振り返りながら、
心優しい素顔にせまります。
  


大場を鉄腕へと成長させたものは何だったのか。
ただタフなだけではない。
そこには野球をやれる喜び、エースとしての責任感、
優勝を目指して戦った仲間たちへの思い・・・があった。
  


≪度重なるケガも成長の糧に変え≫  
 ~鉄腕伝説その1~

中学2年の秋、体育の授業で転倒し、右ひざの半月板を
損傷する大ケガ。
それにもかかわらず中学野球を引退するまで、
痛みに屈することなく三塁手としてプレーし続けた。
結果として高校入学前に右ひざを手術し、高校1年の間、
野球はできなかった。だが、
  
『あのケガで普通に野球ができる喜びを知ることができた』―。  
どんな不運だって前向きに捕らえるプラス思考。
そんな強さを身に付けた。
  


 ~鉄腕伝説その2~

右ひざのケガから復帰し、本格的に投手としてプレーするように
なった高校2年時は、エースナンバーを背負うほどの
成長ぶりをみせた。
だが、秋に新チームで初めて臨んだ公式戦前にまたも
不運に見舞われた。
試合1週間前の練習試合で、三本間の狭殺プレーに参加し
タッチの際に走者と激突し、左手首を骨折。
グラブもはめられない状態だったが、
『誰もが先発できるもんじゃない。
 チャンスを逃したくない』と医者がすすめたギブスも断り、
翌週の試合でエースの責任を果たした。
ケガの影響もあり試合は惨敗。
左手首も固定しなかったことで、可動域が狭くなる後遺症も
残ってしまった。それでも
『あそこで投げたから(3年)春の県大会優勝に
 つながったんです』と、
このケガも成長の糧にした。
  


 ≪全試合投げ抜き明治神宮大会V≫  
  ~鉄腕伝説その3~

大学4年の東都大学春季リーグ戦では9勝をマーク。
優勝がかかった国学院大との大一番は疲労の蓄積で
股関節痛に悩まされていた。
痛みで歩けないほどの状態だったが、
3-2と逆転した場面で
『(優勝は)みんなで目指したものだから』とマウンドへ。
タフネスぶりを発揮し、9回の1イニングをピシャリ抑え
優勝を勝ち取った。
  
仲間と分かち合った優勝の喜び。
このシーズンで疲労との付き合い方を覚えた大場は、
フル稼働し、秋も優勝しリーグ春秋連覇に貢献。
  
2季連続でMVP、最優秀投手、ベストナインを受賞した。
さらに明治神宮大会では全試合1人で投げ抜き、
東洋大を大学3冠に導いた。
  


 ≪先発ローテ守り新人王&日本一≫  
  ~鉄腕伝説は続く~

“鉄腕”の名を引っさげて挑むプロの世界。
今季の目標は『1年間先発ローテを守ること』と
キッパリ言い切った。
鉄腕は投げ続ける。
その先には新人王、そして03年(当時ダイエー)以来、
5年ぶりの日本一が待っている!!



小久保裕紀のホームラン理論
2007年06月07日 (木) | 編集 |
 小久保の真骨頂、それは空高くアーチを描くホームラン。
 昔からチームに勝利を呼び込んでいた、
 レフトスタンドに突き刺さるホームラン。
 片手を上げるその独特のポーズは、男のトレードマークとなる。

 背番号『9』の中に小久保のそのポーズが描かれている・・・。
 実は、この姿にこそ、小久保裕紀の原点があるという。  

 驚くべきことに、天性のホームランバッターでは
 なかったという小久保。
 力の弱い選手がボールを飛ばすには、どうすればいいか。
 高校時代、試行錯誤の末、掴み取ったのだ。

 ではこの男の独自の『ホームラン理論』とは―。  

 それはボールへの力の伝え方。
 インパクトの直前に両脇を絞め、同時に両足を内側に
 絞り込むことで、パワーを凝縮させる。
 ボールを打つ瞬間、一気にその力を解放させ、
 そして真上に跳ね上げるイメージでボールを押し込む。


 高校時代から独自に作り上げた『ホームラン理論』―。
 こうしてしみついたあの姿。
 放物線を描くその姿に いつも見られる片手を上げた
 独特のポーズ。
 このトレードマークこそ、ホームランバッター
  
 小久保裕紀の信念と努力の証なのだ。

 『むちゃくちゃバットを振っていましたよ。
  その前にボクはランニングの量が半端じゃ
  なかったんですよ。
  ねじり上げる時の伝え方も、やっぱり下半身が
  かなりできていたから。
  小学校の頃は毎朝ランニングしていましたし、
  中・高もしていた。
  その日“やる!”と決めたら“やる!”という
  積み重ねだと思います』―。
  

 その意識の高さは、幼い頃も今も変わることなく
 プロ野球選手としての活躍を支えている。
 野球に関わる全てのこと、全ての人達に対しても
 真剣に向き合うことのできる男だ。
  
 

 この話は、息子にとってヒントになった。
 調度、バットに当たる瞬間に力が逃げてしまい
 思ったほど遠くに飛ばないで悩んでいたのだ。
 小久保選手のバッティング理論は忠実で、息子にも
 分かりやすかったようで、昨晩のバッティング練習では
 振った後、バットを跳ね上げるイメージで
 スイングしてみた。
 どうしても力に頼る所があり、アッパーに
 なる面があったが、なんとかきれいに返せるようになり、
 力みも無くなってきた。
 振り切った時にバットを跳ね上げるイメージを
 持ったことで、ボールが当たる瞬間の力を
 最後まで感じ取ることができたようだ。 

 練習を重ねて、毎日のランニング・トレーニングを欠かさず
 努力していってもらいたいし、
 一緒に上を目指して頑張っていきたいです!

 とても参考になった『小久保・ホームラン理論』でした。